大学問題日誌 2003年5月

 

 

2003530日 「市民の会」「議論の広場」への投稿No.266に加筆修正を行った。

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補正予算によりシンポジウム、アンケート実施とか

−シンポジウム・アンケート実施において念頭に置くべき諸論点−

 

 さる要人から聞いたところでは、先日、市会があり、補正予算が議論になったようである。
 シンポジウム開催と市民アンケートの予算が審議されたようである。
 学長は、「いまのやり方は拙速ではないか」といった質問に対し、10月までに答申を出すと答弁したそうで、上記補正予算案を通すことに努めたようである。
 だが、決意表明の裏づけとなる大学改革の構想は、学長から聞いているだろうか? 
 学長の態度表明でわれわれが知っているのは、例の怪文書だが、それに対しては3教授会からの批判決議があった。過去の発言と現在の考えとはどのように関連しているのだろう?
 ともあれ、一部には、シンポジウムやアンケートは行われないのではとの予測もあったが、私の本日得た情報が正確であれば、それらは実施されるようである。
 どのようなシンポジウムが行われるか、どのような討論者がえらばれるのか? 「あり方懇」のような顰蹙を買う人々が選ばれるのかどうか、これが問題となろう。
 誰に議論させるかで、結論は決まってくる。
 「あり方懇」答申を見ても分かるように、だれが議論を取りまとめるのか、だれがその原案の下書きをするかによっても結論は決まってくる。
 また、アンケートについても、どのような質問項目とするのか、質問項目自体の意図や見識が問われることになろう。
 「市民の会」が汲み上げようとする市民の希望、意見は、ますます重要になってくるであろう。
 そのようなアンケートやシンポジウムにおいては、しっかりと本学の歴史的発展の筋道をおさえておくことは必要だろう。
 正確には、60年史をまとめた諸先生からの発言を期待したいが(われわれが市大60年史を読みなおしてみるべきだが)、医学部も新制大学の学部として成立する当初は、学部としては存立していなくて、医学部生もひとまず商学部に入学し、商学部に設置された教養課程で学んだということである。
 これは、前々学長の梅田先生ご自身が何かの折に、「自分は新制大学として発足した商学部の教養課程に入りました」という意味のことを話されていた記憶にもとづく。商学部に次いで医学部が創設され、専門課程は医学部で学んだ、ということだと理解している。
 また、商学部をプラクティカルな学部とする位置づけがあるが、それは一面的で、そもそもの新制大学発足時から、教養的諸科目が商学部のなかにあり、医学部や文理学部が発展的に誕生した後も、教養関係のスタッフが商学部には一貫して相当数所属していたし、現在もその数は決して少なくはない。
 それが魅力でもあった。
 「市民の会」でご活躍の矢吹先生はそうした歴史的経過のなかで、科目の上では「教養科目・語学」に属する中国語のスタッフです。実際には、語学教育を行いながら、中国経済論、現代中国論を学部・大学院(経済学研究科博士課程創設時にはいわゆる○合教授)でご担当になっていて、商学部・経済学研究科の全国的魅力のひとつの核をなすことは、皆様よくご存知のことと思われる。こうした実力のあるスタッフをこそわれわれは商学部に期待すべきではないか?
 大学の発展のなかで、商学部に経済・経営学科ができ、その両学科の中に社会学、法律学、国際社会・語学などのコースもできてきたわけで、商学部がある意味ではリベラル・アーツ系諸科目・諸担当者を擁して、すでに相当に総合的な学部になっているという側面もある。
 少なくともこの十年以上の商学部の売り文句は、看板の「商」から普通にイメージされる単純な実務系学部ではなく、総合性であり、「
総合社会科学」の学部という性格であった。この歴史をどう生かすか、どう発展させるかということが大切な論点となろう。
 追記・・・したがって、商学部のなかでは、プラクティカルな側面を強調する経営、会計、法律、そして経済理論、経済政策の諸科目・諸スタッフと、どちらかといえばリベラルアーツ系諸科目・スタッフに属する人々、すなわち歴史系諸科目、社会学系諸科目、語学文化系諸科目の担当者との間にある種の緊張感・境界線があることも、見逃すことはできない。
  これを踏まえた構想、すなわち、商学部内における第三学科構想はずっと出ている構想のひとつである。
 3学部解体の押しつけという乱暴なやり方に対する対案として、こうした歴史を踏まえるときには、長年出てきている商学部内第三学科構想をこのさい実現することも、ひとつの選択肢である。
歴史・社会学・語学文化系スタッフで構成する「グローバル地域学科」といった学科(名)なども提案されたりしている。
 学科創設は設置基準の大綱化によって非常に容易になったのであり、その気になればすぐにでも出きる「大改革」である。
 この
第三学科構想でも、長年の議論の発展・停滞の繰り返しの歴史を考えれば、商学部としては相当に「大胆な改革」といえるものである。
 とりわけ、
市の財政事情が厳しく、従来にも増して、人員増・予算増の配慮を市から期待することができないとすれば、現実的で合理的な選択肢ではないだろうか?
 商学部のなかに二つの学科しかないよりは、三つの学科、しかも、
新しい時代・21世紀の地球・地域の綜合的問題に取り組もうとするような新学科が創設されることは、魅力ではないか?

 

 歴史系の私が、新しい学科で担当する科目は、たとえば、「歴史・社会・経済−宇宙人の視点から−」というのはどうだろうか?(従来の経済学科、経営学科の科目としては「経済史」である)

 

 

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2003529日 この数日間に「市民の会」「議論の広場」No.264に投稿した記事に若干の加筆を行った。ここでまとめて日誌にも書き写しておこう。

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経営的視点を強調する事務局は、資料を示すべき!

 これまでに大学の財政問題とは何か、種々議論されてきた。「市民の会」「井戸端」での最近の議論でも、またこれが5月26日付『毎日新聞』記事(全体としては、学内の批判的意見を紹介し、当局情報垂れ流しでなく、取材努力の跡が顕著な記事であるが、ヘッドラインにはあいかわらず例の「累積負債1140億円」を使っているので)をきっかけに、問題になっている。

 市大当局は、学内開催の「あり方懇談会」において、学部別収支や大学費への一般会計繰入状況に関して、公立大学協会の統計資料などを提出していた。
 市大当局が、大学改革検討委員会の「基本的考え方」で、「経営的視点」を強調する以上、その検討の基礎資料として、学部別収支や一般会計繰入の詳細についてきちんと統計を公表し、議論の素材とすることは当然だろう。

 そのさい、忘れてはならないのは、この間、各方面から指摘され、この「議論の広場」でも最近、大西文行教授の投稿(No.257)で重ねて指摘されている地方交付税交付金における大学への国からの補助金の額(学部別など)である。大学と大学病院合わせて、相当の額(たしか一楽先生が御指摘になっていたが、70億円程度)である。

 (追記・・・「井戸端」で地方交付税に関するページの紹介があった。多くの人の誤解を解くために、大学の財政のあり方を少しでも理解してもらうために、ここにもそのページを紹介しておこう。地方交付税交付金に関するわかりやすい説明http://homepage2.nifty.com/juniwada/juni/univ/indexu.html)

 240億円という一般会計からの繰入に関しても、総額だけを一人歩きさせるのではなく、きちんとした数値計算・内容分析が必要である(…総額についても、上記の国からの補助金、すなわち大学の研究教育・大学病院の学術的医療という特殊な非営利的公的な目的のために補助されている地方交付税額を差し引く必要がある。

 (追記・・・実は、それだけではない。神奈川県下には国立大学医学部がない。他の都道府県にあって神奈川県に国立の医学部がない以上、国からの補助金が果たして現状のままで妥当かを問題としなければならない。理論的には少なくとも10億や20億は増額可能では?
 一体、国立大学医学部を持っていた場合、どのていどの国費が投じられることになるのか? わが市大の医学部と付属病院の投資額や毎年の経費をかんがえても、すぐに数百億・数千億の負担が必要なことは予測できる。
 それとの比較で神奈川県民や横浜市民への国からの還元は十分か?
 医学部の存立・補助に関する国家政策に対し、横浜市は地方自治体としての異議申立てはしてきたのか?
 「公立大学はどうなる」を読んでくださった三五年商学部卒のあるOB(奈良市朱雀N氏)から寄せられた意見も、横浜国立大学が医学部を持っていない、市立大学が持っていることを問題とされている。そのこと自体は衆知の問題であるが、それと市の財政負担との関連・妥当性が問題となろう。市がこれまでその見地から検討したことがあるのか、情報開示を求めたいところだ。)。


 まさに、学長・事務局長がその明確な数値を全学的検討委員会に対して示し、また学内外に公表すべきものであろう。
 このような基本的なことをこれまで大学当局はやってきていないのである。全学的検討委員会の責任は重い。
 
 上記の「あり方懇談会」学内開催の会場で配布した資料に関しては、すでに私のHPで紹介したことであるが(大学の公式HPで公開されていないので、当日配布の資料を私がエクセルでうちこんだもの)、念の為、ファイルの所在を書き、当面の参照素材としたい。

 @学部別学生一人あたりの経費と収入 http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20030131Gakububetsushushi.htm

 A大学費への一般会計繰入状況(2002年度予算) http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20030131KoritudaiDaigakuhi.htm

 @から見据えておくべきことは、一般会計からの大学への年間240億円の出費とされるもののうち、固有の意味での大学・学部のためには100億円弱しか支出されていないということ、残り140億円は、大学病院関係、付属研究所関係だということであろう。

 この大学の固有の研究教育に関わる100億円のうち、医学部に約40億、理学部に約22億である。
 これに対し商学部約15億、国際文化約11億となっている。
 正確には統計をみていただきたい。

 Aの公立大学比較からわかることは、横浜市がとりわけその予算規模に費して、目を見張るほどの高率の負担をしているわけではないということである。

 (追記・・・しかも、東京都立大学と比較して、市大の予算額(絶対額)が大きい理由は、一見してあきらかなように、医学部およびその病院、看護短大の存在である。
 だが、医学部や看護短大の必要性を認めたからこそ、これまで維持されてきたはずである。これほど地域貢献のアカウンタビリティがある学部はないのではないか。
 しかし、莫大な医学部・付属病院の負担を重荷と感じるようになってきたからといって、
歴史的発展のなかから生まれてきた商、そして国際文化・理の3学部[1]を十分な議論も正当な理由もなく一挙に統合するなどというのは、筋違いであり、不見識だろう。
 大学の発達史と大学基準協会の評価と意見を踏まえ、市民の会が主張する「大学の充実発展」という線を結べば、文科系大学院の発展的充実といったことは無理のないところではないか? これまでの文科系研究科を大学院総合文化研究科(これには博士課程までをもたせる)に統合し、法学など新規の学位も創設して、経済学、経営学、国際関係、社会学、その他各種博士の学位を取得可能にすることもありうるのではないか。現在の財政状態で可能なところはそんなところではないか? 現在可能なことと将来的なプランとはわける必要があろう。

 ともあれ、大学らしい経費削減努力のあり方が問われている。支出・経費構造をきちんと踏まえたうえで、この負担をどのようにすれば合理的に軽減できるか、また、そもそも市の全体の財政構造との関係で大学の医学部・病院を含めての経費削減が妥当かどうか(どの程度なら合理的か)など、議論していく必要があろう。
 しかし、市民、「市民の会」各方面から指摘されているように、市の全体の財政構造で削減すべき部門は他にないのか?
 その綿密な検討は、実は市財政全体の責任を負う市長・市当局・市議会の責任である。大学の財政構造の問題の解決を大学に丸投げしてすむわけではない。市民は、自分たちが選んだ市長、市会議員の発言と発想、見識の一つ一つに注意しなければならないだろう。

 改革は、あたかも「大学の主体性」如何にかかっているかのように語られるが、それは一面的であり、大学の財政的裏づけが市にある以上、過去から現在に至る市(市長、市議会、市民)の大学政策こそが、そして今後のスタンスこそが問題になる。
 大学院修士課程の増設、博士課程の増設に際して、まったくといっていいほど人的物的予算をつけなかったという市の政策・やり方も振り返ってみる必要がある。過去の総括なしに、問題点の発掘と解決策の発見はありえないだろう。「大胆な改革」を迫るほどの総括は、大学において、また市当局においてなされているか?)

 なお、次のHPにも、詳しい大学財政分析がある。是非、参考にされたい。
 随 清遠助教授  http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~zuiz/INDEX.HTM

(追記:「井戸端」投稿で、隋さんの上記HPのなかの累積債務の具体的な中身を丹念に明らかにした労作ページが示されている。忙しい人のために、ここにも明記しておこう。市債の具体的な内容・・・http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~zuiz/zenyo.htm)

 全学検討委員会がどのような財政上の基礎データに基づき、「基本的考え方」で打ち出した「経営的視点」に関する議論を進めているのか、市民、「市民の会」は、資料公開を請求するとともに、その内容に注目し、妥当性に関して検討し、意見表明を行っていく必要があろう。

 
大学人にも市民にも問われているのは、公立大学の存在意義であろう。
 その公立大学の存在意義に関して、営利法人・株式会社経営大学の容認を批判する元文部省高官の最近の論説は、ひとつの重要な示唆を与える。私の大学問題日誌(上記、「参照先」5月26日付)に紹介しておいたが、ここにも、コピーしておこう。

 とりわけ、印象的なのは、六〇年代末の大学紛争の原因として、「教育条件の悪化と学費の高騰があの大学紛争を招き」と記されているところである。
 当時は、アジアではベトナム戦争があり、ヨーロッパでは、プラハの春、フランスにおける大学反乱「カルチェ・ラタン」もあり、必ずしも日本国内の要因だけで世界的な大学紛争の波及を見ることはできないが、日本における重要な原因として、元文部省高官が大学教育の劣悪な条件をみていることは、私にとっては印象的である。

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大崎仁「株式会社大学容認を憂う」抜粋 2003.5
『IDE現代の高等教育』2003年5月号p449
定価600円(送料120円)購入問合:IDE 事務局 03-3431-6822
------「大崎氏は文部省高等教育局長、国立学校財務センター所長などを歴任」

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 アメリカに少数の営利大学があることは、事実である。だからといって、アメリカで営利大学が積極的に認められているわけではない。米国の代表的営利大学であるフェニックス大学とその姉妹会社に籍を置くスパーリング、タッカー両氏の著作『営利大学(For-Profit Higher Education)』を読むと、アメリカでも営利大学を認めてもらうのが難しいことが、よくわかる。

 国としての統一的大学制度のないアメリカで大学として認められるには、州政府の許可と民間のアクレディテーション(大学資格認定)機関による認定が必要である。ゆるやかといわれる州政府の審査でも、営利大学については、不許可を明文化するなど厳しい態度をとる州が多いという。アクレディテーション機関の認定は、さらに厳しいようである。

 高等教育政策研究の第一人者アルトバック教授に伺ったところでは、全米6地域に分かれて設置されているアクレディテーション機関の多くは、営利大学を認定しない。そこで、審査のゆるやかな南部の認定機関を選んで認定を受けるケースが多いそうである。

 前掲書では、フェニックス大学を実例として、営利大学の存在理由は、普通の大学には不向きな企業の労働者教育にあると説いている。企業と緊密な連携を図り、実務専門家を教員とし、標準化されたカリキュラムで、場所、時間を企業・労働者の都合に合わせて、教育を実施する。パートタイム教員の活用や、貸しオフィスの利用等でコスト削減に努め、営利的経営を可能にする。これがアメリカの営利大学の代表的モデルである。

 このように、規制が最もゆるいアメリカにおいても、営利大学はきわめて特殊な存在であり、わが国での株式会社大学容認の理由になるようなものではない。

 ムード的容認論の論拠の薄弱さは、以上のとおりであるが、容認論の根元は積極的推進論にある。積極的推進論は大学の設置・経営主体としての株式全社のメリットをいろいろ挙げているが、要すれば、「株式会社による利潤の追求が、顧客サービスの向上と効率的経営を生む」ということのようである。

 株式会社経営の効率性に見習うべき点があるとしても、利潤の追求が顧客=学生サービスの質の向上につながるかはきわめて疑わしい。私学経営が最も自由であり、国の支援も長期低利融資しかなかった1960年代の状況が、そのよき例証となる。当時、多くの私学が借入金に依存して新増設・拡充にはしり、その返済資金獲得のため、大幅な水増し入学が常態化し、授業料等の学費の大幅値上げが相次いだ。

 これによる教育条件の悪化と学費の高騰があの大学紛争を招き、私学振興助成法の制定による経常費助成と私学の拡充抑制でその是正が図られた。この教訓を簡単に忘れるわけにはいかない。

 大学経営における最も容易な利潤の追求は、教育条件の悪化を顧みない学生増と高額な学費の徴収である。消費者である学生が自己責任で選べばよいといっても、大学教育の質をそう簡単に判断できるものではない。学生の学歴・資格志向を考えれば、株式会社大学容認が、アメリカで「デプローム・ミル(学位・資格発行所[1])」と呼ばれるような、「営利大学」に道を開く危険性も見逃すわけにはいかない。

 積極的推進論の根底にある最大の問題は、それが、教育の全コストに利潤を上乗せして学生に負担させる、究極の「受益者負担=学生負担」につながることである。先進各国の大学改革において、大学運営に企業的経営の長所を取り入れることは一つの課題になってはいるが、大学の経営主体として株式会社を想定する国は絶無である。

 大学が国家社会発展の基盤であり、国際競争力の源泉であり、それゆえにその維持発展に国が責任を持って当たるのは、国際常識である。無償が原則だったヨーロッパ諸国でも、高等教育拡充の追加財源を求めて、授業料導入の動きもみられるが、学生を大学教育の主要な買い手とする単純な受益者負担論は全く聞かれない。

 私学依存率先進国中最高(78)、公的大学学費世界最高〔州立大平均42万円、日本国立大56万円(授業料+4分の1入学料)〕、
高等教育公費負担GDP比OECD加盟国中最低(加盟国平均1、日本0.5)。これがわが国大学の現在の姿である。高等教育費の家計負担の重さが少子化の原因ともいわれ、少子化で私学の廃校も予想されるなか、利潤を求めて学生の学費負担を加速する株式会社立大学を容認することが、国際的に通用する大学づくりを目指すわが国のとるべき方策であろうか。

 それにしても、この問題について大学関係者、教育関係者の声があまり聞かれないのは、なぜだろうか。教育基本法、学校教育法の基本に係わる問題である。悔いを千載に残さないよう、関係者間で徹底した論議が尽くされることを強く期待したい。)

 

 

2003527日 「市民の会」運営委員から、教員に対し、下記のような問い合わせがあった。参加の希望をお伝えしたが、ここにもその問い合わせ文章を掲載し、学生、院生、市民のみなさんにも、沢山の参加を呼びかけたい。

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教員の皆様

 いつもご尽力いただきありがとうございます。今回は、「市大を考える市民の会」からの御願いでメールを差し上げました。「市大を考える市民の会」では、以下のように井上ひさしさんを迎えての集会を予定しています。皆様の参加を御願いできましたら幸甚に存じます。「市民の会」の運営委員会では、会場準備の都合もあり、大体の参加者数をあらかじめ予測して見ることになりました。つきましては、先生の当日のご都合をお知らせいただけましたら大変ありがたく存じます。もちろん、現在は未定の方でも当日の参加は大歓迎です。お忙しいところ面倒な御願いで恐縮ですが、ご返事をお待ちいたしております。

                      

             「市大を考える市民の会」運営委員  藤山嘉夫

Yoshio Fujiyama <yfujiya@yokohama-cu.ac.jp>

 

 大規模集会 「横浜市立大学および附属2病院の存続・発展を求める市民の夕べ」開催決定!!
 日時:6月7日(土) 18:00〜20:30(17:30開場)
 場所:横浜開港記念会館(関内駅より徒歩)
    地図は「市民の会」HP(www8.big.or.jp/~y-shimin/)からダウンロードできます。

 

 速報!! 井上ひさし氏の講演が決定!!

 

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2003年5月26日 下記の週報には国立大学法人法案に関する貴重な最新情報が掲載されている。そのなかで、大崎仁「株式会社大学容認を憂う」抜粋 2003.5を特にここにコピーして、おきたい。

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国立大学独立行政法人化問題週報

Weekly Reports  No.116 2003.5.25 Ver 1
http://ac-net.org/wr/wr-116.html
総目次:http://ac-net.org/wr/all.html

 

[2] 大崎仁「株式会社大学容認を憂う」抜粋 2003.5
   『IDE現代の高等教育』2003年5月号p449
       定価600円(送料120円)購入問合:IDE 事務局 03-3431-6822 
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大崎氏は文部省高等教育局長、国立学校財務センター所長などを歴任
 
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 アメリカに少数の営利大学があることは、事実である。だからといって、アメリカで営利大学が積極的に認められているわけではない。米国の代表的営利大学であるフェニックス大学とその姉妹会社に籍を置くスパーリング、タッカー両氏の著作『営利大学(For-Profit Higher Education)』を読むと、アメリカでも営利大学を認めてもらうのが難しいことが、よくわかる。

 

国としての統一的大学制度のないアメリカで大学として認められるには、州政府の許可と民間のアクレディテーション(大学資格認定)機関による認定が必要である。ゆるやかといわれる州政府の審査でも、営利大学については、不許可を明文化するなど厳しい態度をとる州が多いという。アクレディテーション機関の認定は、さらに厳しいようである。

 

高等教育政策研究の第一人者アルトバック教授に伺ったところでは、全米6地域に分かれて設置されているアクレディテーション機関の多くは、営利大学を認定しない。そこで、審査のゆるやかな南部の認定機関を選んで認定を受けるケースが多いそうである。

 

前掲書では、フェニックス大学を実例として、営利大学の存在理由は、普通の大学には不向きな企業の労働者教育にあると説いている。企業と緊密な連携を図り、実務専門家を教員とし、標準化されたカリキュラムで、場所、時間を企業・労働者の都合に合わせて、教育を実施する。パートタイム教員の活用や、貸しオフィスの利用等でコスト削減に努め、営利的経営を可能にする。これがアメリカの営利大学の代表的モデルである。

 

このように、規制が最もゆるいアメリカにおいても、営利大学はきわめて特殊な存在であり、わが国での株式会社大学容認の理由になるようなものではない。

 

ムード的容認論の論拠の薄弱さは、以上のとおりであるが、容認論の根元は積極的推進論にある。積極的推進論は大学の設置・経営主体としての株式全社のメリットをいろいろ挙げているが、要すれば、「株式会社による利潤の追求が、顧客サービスの向上と効率的経営を生む」ということのようである。

 

株式全社経営の効率性に見習うべき点があるとしても、利潤の追求が顧客=学生サービスの質の向上につながるかはきわめて疑わしい私学経営が最も自由であり、国の支援も長期低利融資しかなかった1960年代の状況が、そのよき例証となる。当時、多くの私学が借入金に依存して新増設・拡充にはしり、その返済資金獲得のため、大幅な水増し入学が常態化し、授業料等の学費の大幅値上げが相次いだ。

 

これによる教育条件の悪化と学費の高騰があの大学紛争を招き、私学振興助成法の制定による経常費助成と私学の拡充抑制でその是正が図られた。この教訓を簡単に忘れるわけにはいかない

 

大学経営における最も容易な利潤の追求は、教育条件の悪化を顧みない学生増と高額な学費の徴収である。消費者である学生が自己責任で選べばよいといっても、大学教育の質をそう簡単に判断できるものではない。学生の学歴・資格志向を考えれば、株式会社大学容認が、アメリカで「デプローム・ミル(学位・資格発行所[2])」と呼ばれるような、「営利大学」に道を開く危険性も見逃すわけにはいかない。

 

積極的推進論の根底にある最大の問題は、それが、教育の全コストに利潤を上乗せして学生に負担させる、究極の「受益者負担=学生負担」につながることである。先進各国の大学改革において、大学運営に企業的経営の長所を取り入れることは一つの課題になってはいるが、大学の経営主体として株式会社を想定する国は絶無である。

 

大学が国家社会発展の基盤であり、国際競争力の源泉であり、それゆえにその維持発展に国が責任を持って当たるのは、国際常識である。無償が原則だったヨーロッパ諸国でも、高等教育拡充の追加財源を求めて、授業料導入の動きもみられるが、学生を大学教育の主要な買い手とする単純な受益者負担論は全く聞かれない。

 

私学依存率先進国中最高[3]78)、公的大学学費世界最高[4]〔州立大平均42万円、日本国立大56万円(授業料+4分の1入学料)〕、高等教育公費負担GDP比OECD加盟国中最低[5](加盟国平均1、日本0.5)。これがわが国大学の現在の姿である。

高等教育費の家計負担の重さが少子化の原因ともいわれ、少子化で私学の廃校も予想されるなか、利潤を求めて学生の学費負担を加速する株式会社立大学を容認することが、国際的に通用する大学づくりを目指すわが国のとるべき方策であろうか。

 

それにしても、この問題について大学関係者、教育関係者の声があまり聞かれないのは、なぜだろうか。教育基本法、学校教育法の基本に係わる問題である。悔いを千載に残さないよう、関係者間で徹底した論議が尽くされることを強く期待したい。」

 

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2003522日 下記文章を「市民の会」「議論の広場」に投稿した。

 

ある方から、次のようなメールをいただいた。

すでに、ご存じかと思いますが、大学の大学改革のホームページで、今度の改革推進・プラン作成委員会の「基本的考え方」を見て、びっくりしました。
 露骨に事務局が、委員選定に注文をつけています。そして、委員の選任は、学長・事務局長に一任となっています。
 評議員があいかわらず、頼りないです。しかし、あれでも、結論まで学長・事務局長一任だったそうですから、まだ、いいのかも知れません」と。

 

私は、まだ「基本的考え方」を見ていなかったので早速、見てみた。そして驚いた。基本的考え方に流れているのは、研究教育の軽視であり、経営効率主義、地域貢献主義、それらを主導するのは結局のところ教学ではなく、事務局の発想の優位、ということである。その象徴は、「基本的考え方」において、下線を引いて強調されているところを見れば明かである。

 

すなわち、「(1)市民の視点(産学連携、生涯学習、医療水準の向上など大学改革への期待、厳しい財政状況下での効率的・効果的な財政運営への期待)」となっている。

市民のみなさま、市民の会の皆様、みなさまの「視点」は、上記のようなものですか?

狭すぎませんか?

大学に求める本質的なことですか?

 

大学という研究教育を本務とする学術機関に対し、市民は自分たちの地域の産業と大学との連携を求めていますか? 生涯学習の希望に大学がこたえるように希望していますか?

大学人がきちんと研究教育に邁進し、気持ちよく研究教育に没頭できるようにする必要はないでしょうか?

現在、「事務の効率化」と称して行われていることは、大学教員の事務員化です。普通どこの大学でも事務がやっていること、例えば、学費未納者への納付金請求関係書類を教員から学生に渡すようにさせることさえやりはじめているのです。大学教員がそのような事務的仕事をやることはできます。しかし、事務的仕事をきちんとやろうとすると、本来の研究教育に割くべき精神的余裕と時間にしわ寄せが来ます。人間は万能ではなく、高度分業社会では、大学教員に課せられた研究教育の任務を達成するためには並々ならない努力が必要であり、精神的緊張が求められます。そのようなことがわかっていない。いつのまにか大学の研究者が事務職化してきていた(研究時間にしわ寄せが来ても、研究時間が奪われても平気になってきた)とい言うのが実態で、それを一挙に財政危機が極端にまで推し進めているということかもしれません。

きちんと研究できない状態にいる教員・大学人から市民は学ぶ気が起きるでしょうか?

「基本的考え方」で下線が引かれている次の箇所は、異化の文章の1箇所です。すなわち、「(2)人材育成や教育研究の充実、地域以上水準の向上などを図るとともに、経営的視点からも議論ができる者。」と。

 

「人材育成や教育研究の充実」は言葉としては、無難に、掲げられています。「教育研究の充実」のためにどのような予算的配慮をするのでしょうか? 上でも述べましたが、教員の事務職化が進むことは、「教育研究の充実」につながるでしょうか? 各種委員会で昨年度まで事務職が担ってきた仕事が大幅に教員にまわされる事態は、教員の事務職化ではないでしょうか?いみじくも、まさに下線を引いて強調した「経営的視点」が優位に立っているのです。

出てくる結論は、いまから見えているような気がします。

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2003521(2) 横浜国立大学で開催される大学「評価」をめぐるイギリスの経験の講演会「評価のための研究は、大学をどこへ導くか−イギリスの大学の経験から19802000−」(529)の知らせが入った。ここにもご紹介し、多数の参加を呼びかけたい。

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2003521(1) 大学基準協会の市大に対する評価および参考意見が出されている。大学改革を考える場合、ひとつの重要な素材となるはずだが、この大学基準協会という正式の公的な組織の大学評価・問題点の指摘に関しては、どういうわけか「学内専用資料」(大学基準協会による横浜市立大学に関する相互評価結果)ということになっている[6]。本学に対する基準協会の公的な(基準協会の評議員会・理事会で満場一致の)評価と意見という外部評価を市民に公然と示さない理由はなにか? なぜ「学内専用情報」と外部にたいして秘密のようにするのか? 基準協会は、大学院の充実をこそ勧告している。一体この勧告に対して、学長・事務局はどのように対応しようとしているのか? 大学評価の専門家でもない数人が半年程度しかかけないで(せいぜい56回会合しただけで)出された全国的に批判の声の高い「あり方懇」答申については不必要に頭を下げ、沢山の大学で構成される全国的な自立的組織としての大学基準協会の勧告は学外に対して秘密のようにする態度は、大学として取るべき態度か?[7] 

 

-----基準協会の評価(改善勧告)--------

横浜市立大学
学長 加藤祐三殿

財団法人 大学基準協会
会長 丹保憲仁

貴大学の相互評価の認定に関する件について

 

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて,貴大学の相互評価認定に関する件につきましては、平成13年3月6日開催の評議員会および理事会におうて満場一致をもって承認されましたので,同封の「横浜市立大学に関する相互評価結果」のとおりご通知いたします。
 上記「結果」におきましては,貴大学の一層の充実向上を期待するため,助言,勧告,および参考意見を付しておりますので,その点もよろしくご高配下さいますようお願いいたします。
 本来,維持会員は,勧告等の有無にかかわらず,自らの大学の掲げる理念・目的を達成するために,自主的かつ恒常的にその質的水準の向上を期して努力すべきはいうまでもありません。このたび「勧告」あるいは問題点の指摘に関する「助言」の付せられた大学におかれましては,「勧告」の趣旨に添った対応策を講じられるとともに,「助言」の趣旨も可能な範囲で参酌され,その改善実施の概況に関して「改善報告書」をお取りまとめの上,平成16年7月末日まで本協会会長宛にご提出願うことになっております。
 なお,貴大学の相互評価認定年月日は,平成13年3月6日付けとなりますので,何とぞご承引下さいますようお願いいたします。

敬 具

同封文書
 「横浜市立大学に関する相互評価結果」



横浜市立大学に関する相互評価結果


I 相互評価結果

 平成12年度相互評価委員会において,貴大学は,大学基準に適合し,かつ,改善の努力が認められるものとして相互評価の認定を行うことが適当である旨の評価結果が下され,また,評議員会および理事会において,同評価結果が満場一致をもって承認されたので,ここに貴大学の相互評価認定を行う。


I 助言・勧告

[1] 概 評

 「国際港都横浜の学術の中心として,真理の探究につとめ,学生に高い教養と専門の学術を教授し,知的,道徳的及び応用的能力に富む人材を育成するとともに,世界の平和と人類の福祉に貢献し,あわせて市民の実際生活並びに文化の向上発展に寄与する」という理念に基づき,各分野で有用な人材を輩出するとともに国際性と地域貢献に積極的役割を果たそうとしている姿勢は評価できる。また,激変する時代の要請に応えるべく,大学院研究科の充実,学部の改組,新学部や研究科新専攻の設立などについて,不断の努力をされていることも十分窺える。全般に,教育目標もカリキュラムも体系化され,教員組織や研究面も充実している。貴大学がさらなる発展を期するなかで,大学の管理運営に関する諸規程の整備をはかるとともに,大学全体を学部の寄せ集めではなく,より強い有機的組織として発展させるべく努力されることが望まれる。さらに,現在貴大学で進行中の法人化問題への戦略的対策,情報公開,自己点検・評価制度,教育研究組織の再検討など広範な大学のあり方に関する議論を踏まえ,改革・改善を継続的に実施することにより,貴大学は高レベルの特色ある大学としてさらなる展望が開けると思われる。
 なお,今回の貴大学における自己点検・評価の結果並びに本協会の相互評価の結果に対し,全学的,組織的に対処し,教育研究のさらなる改善に結びつけることが望まれる。

 

[2] 大学に対する提言

一. 助言

1.

長所の指摘に関するもの

  

1学術情報の多様化に対応して,図書館,情報処理センター,LL施設を統合して「学術情報センター」として組織し,学内・学外の学術情報の収集・発信基地としていることは評価できる。

   

2図書館に着いて,特色あるコレクションをそろえていること,また選書や利用時間などに関して利用者への配慮がなされていることは評価できる。

  

3全学的組織である生涯学習推進委員会のもと,アーバンカレッジを中心に生涯教育プログラムに組織的,積極的に取り組んでいることは評価できる。

  

4医学部の教育課程においてコミュニケーション,生命倫理,医療安全関連の科目を1年-6年にわたり,一部専任教員をあてて教育していることは評価できる。

  

5商学部においては,公立大学の特性をよく生かし,少人数教育を重視し,地域経済に密着した専門教育を行っていることは評価できる。

  

6商学部の経済学科,経営学科ととも,教員の業績報告から判断してかなり高いレベルの教員組織が維持されている[8]と評価できる。

  

7経済研究所においては,地域と密着したテーマで研究を推進し,横浜市職員を含む学外機関の研究員を受け入れ,開かれた研究所としての特性を生かしていることは評価できる。

  

8医学部において,「神奈川科学アカデミー」のレンタルラボの誘致は,予算,研究教育の活性化の面で貢献しており評価できる。

  

9医学部において医学以外から医学・医療に精通した医療人及び研究者を育成する修士課程はユニークであり,評価できる。

 

10医学研究科において,全国公募で選ばれた優れた力量を持つ臨床専門の5年任期の病院勤務教授をおき,臨床教育の質の維持に努めていることは評価できる。

 

11理学部,総合理学研究科において,医学部,看護短期大学部と,学部の壁を超えてプロジェクト研究が行われていることは評価できる。

 

12総合理学研究科において,研究活動の活性化を促すべく,「研究活動の定期点検に関する申し合わせ」がなされ,実行されている点は評価できる。

 

13国際文化研究科の修士課程における「インターンシップ」や博士課程における多分野交流演習科目「共同プロジェクト」などの科目設定は評価できる。

 

2.

問題点の指摘に関わるもの

  

1瀬戸キャンパスの国際文化学科と福浦キャンパスにおいて講義室・演習室が狭隘なので,改善が望まれる。

  

2商学部の教育課程において,卒業必要単位数を軽減する努力が望まれる。

 

3医学部において,学修の活性化,教育指導方法と教育内容などの改善をはかるために,教育評価のフィードバックシステムを構築するなど,組織的な取り組みが望まれる。

  

4ラジオアイソトープセンター,動物センターなど研究用施設で種々の機器が老朽化している。早急の更新が望まれる。

  

5国際文化学部の理念・目的に照らし合わせて,より多くの外国人留学生,帰国生徒の受け入れをはかることが望まれる。

  

6附属病院において,思い切った組織改革が行われているが,制度や組織面での改革にとどまり病院組織の末端まで改革の理念と対策が浸透しているか,改革が実際に機能しているかの検証が必須である。

二.勧告

 

医学部は,在籍学生数が収容定員を超えているので,遅滞なく是正する努力が必要である。

三.参考意見

 相互評価委員会において,以下のような意見が示されたので参考とされたい。

  

1自己点検・評価については全学的な組織体制が整備されたばかりであり,今後の成績が期待される。ただ,その結果の生かし方が十分明確ではない。例えば,報告書の作成と学内外へ公表するシステム,学生の授業評価,教員の研究活動調査などの制度を導入すべきである。

  

2貴大学は,伝統ある学部を中心に大学組織が作り上げられており,大学全体としては組織整備の不整合を起こしている感が否めない。

  

3キャンパスの分散に対して,教員・学生の利便に配慮した具体策,例えばマルチメディアの利用,スクールバスの配車などの措置が望まれる。

  

4商学部の理念・目的と経済学研究科・経営学研究科の理念・目的との整合性を検討し,大学院充実の方向で教育内容に特徴を持たせるべきである。

  

5経済学研究所・経営学研究科の博士前期課程については高く評価できるが,後期課程は在籍率が高いにも関わらず課程博士の学位授与実績が乏しく,指導体制の見直しが必要ではないか。

  

6医学部で6年一貫教育を実施するのに,一般教育と専門課程の組織が分離し,またキャンパスも離れている。最新の医学教育に対応するためにも,専門教育と教養教育の円滑な連携が望まれる。

  

7医学部の助教授・講師の一部で最近の原著論文の少ない教員が見受けられるので,改善が必要である。

  

8医学研究科では,小講座制をベースにした多分に古典的な学問区分に基づく組織で運営されている。近年のライフサイエンス分野における急激な進展にも対応できるように,また講座間の閉鎖的な壁を打ち破るためにも新しい学問区分に基づく組織及び教員組織の再編成が望まれる。

  

9国際文化学部において,卒業研究として,「400字100枚程度の卒論」,「公開卒業論文発表会」の制度は評価できる。

 

10国際文化学部の教育課程の運用にあたって,系統的な学修の周知徹底が必要である。そのためには講義要項の改善,シラバスの内容充実などが望まれる。

 

11国際文化研究科において,課程博士の学位授与を積極的に進めるべきである。

 

12木原研究所の教員は,総合理学研究科の専任教員を兼ね大学院の教育も担当しているが,同研究所で教育研究の指導を受ける学生のために環境整備が望まれる。

 

13国際交流は総じて活発であるが,交流の相手を広げること,相手国からの研究者や学生の受け入れを促進すること,学生レベルでの交流を推進すること,国際交流活性化のための宿舎や担当事務局の設置及び体系的カリキュラムの導入をはかることなどが望まれる

 

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2003520日 国立大学法人法案がほとんど議論らしい議論をしないままで、採決され、国民の最高意思決定機関としての議会が機能不全に陥っていることが明かになったが、まだ参議院もあり、「土俵際でうっちゃり」ということも期待し、それを促すために、各種の運動が展開している。下記のはがき署名もそのひとつで、ご紹介しておきたい。

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「国立大学法人法案」 意見広告 賛同者の皆様、

   
以下は、意見広告とは別個の署名運動です。
ひきつづき、廃案を目指し、葉書署名をおこなって
いきます。ぜひ、ご協力ください。

「法人法案」事務局
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日本の明るい未来を希求する市民の皆様: 2003.5.19

拝啓

私は、群馬大学工学部電気電子工学科で教鞭を取っている近藤義臣と申します.先の、お願いのメールで、日本の50年−100年後を平和とはかけ離れた方向へ導く危険性の大きい、「有事関連法案」と「国立大学独立行政法人化法案」の成立をくい止める為に、強力な市民運動が必要であると呼びかけました. しかし、御承知のように、「有事関連法案」は多数与党と民主党の賛成多数で衆議院を通ってしまいました。これと並んで、「国立大学独立行政法人化法案」も、5月16日に、衆議院文部科学委員会で与党多数の強行採決をされてしまい、衆議院でも5月22日に、多数与党で強行採決される見通しになってしまいました. 

この「国立大学独立行政法人化法案」は、末尾に番号を付けた資料1を挙げましたような、憲法違反と教育基本法違反の内容を含むだけでなく、与党議員の保守新党熊谷代表が記者会見(最末尾の資料2に添付)で、「、、。実はなかなか問題がある、と考えるようになり、、。、、、やはり100年に一度の大改革で、100年に一度の大失敗、とならないよう、、
、、」と公式に発言するほどの、日本国民に対して多大の悪影響をおよぼす法案です.

これらの情勢に何とか対処する為に、「国立大学法人法案に反対する意見広告の会」では、1340名の多くの方の賛同を得て、約1400万円の賛同金を集め、「朝日新聞」4月23日に1回目の意見広告を出しました. また、2回目の意見広告を「毎日新聞」の5月21日の朝刊全国版に出します。

 更に、より沢山の市民の方達の意見を反映する方法として、比較的に容易に参加して頂けるハガキによる署名を考えつき、この方法による署名活動をさせて頂く事になりました。

 この署名活動に参加して頂く方法は、2回目の意見広告(「毎日新聞」5月21日)に印刷されます以下のような文面にある方法です.

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以下、ハガキ署名を訴える文面-------------------------
「国立大学法人法案」の廃案に賛同するみなさま、ハガキ署名に御参加を!
このハガキ署名は、これまでの意見広告とは別個の署名運動です。
宛先:〒376-0031 桐生本町二郵便局 留置 国立大法人化反対ハガキ署名
集計係 近藤。ハガキ裏面:上4分の1以内に横書き。一行目:郵便番号と住所。
二行目:氏名。三行目:国立大学法人法案の廃案へ賛成(分類:大学教員や一般など書ける範囲で)。複数名署名は最大5段まで。御意見:自由形式又は空白。
受け付け締切日:5月30日。署名集計結果は市民の意志表示の証拠として、各種陳情や報道機関へ使わせて頂きます.
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誠に恐縮致しますが、「国立大学法人法案」の廃案に賛同するみなさま方へ、ハガキ署名に御参加を呼びかけ頂きたく、ここにお願い申し上げます. このお願い状は、日本の全ての市民の方に宛てたお願い状です。どうぞ宜しくお願い致します.

尚、このハガキ署名の方法は、「有事関連法案」反対の全国的署名活動にも利用できると思いますので、御検討頂ければ幸いに存じます。「有事関連法案」反対のハガキ署名活動の案内を頂ければ、私もハガキ署名を送らせて頂きます.

敬具
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(資料1)----------問題点、番号を付けの資料----------------------------

1. 大学が官僚=国の統制下におかれ、学問の自由がそこなわれます。「法案」は国立大学の「独立」「民営化」とは、全く関係がありません。戦前にもなかったことで、各大学の自主性・独立性(学問の支配者からの自由と独立)は全く認められていません。

. 大学が高級官僚の天下り先となり、構造的腐敗の温床になりかねません。この人達の給与に教育・研究・運営に必要な費用が回されて、結局国民の税金(「法人」への「交付金」)や学生納付金(授業料など)が使われます。

. 学長の独裁をチェックする仕組みがありません。「学長選考会議」の委員の過半を、学長が決定することが可能で、これは独裁国家の仕組みと同じです。

. 大学の財政基盤が不安定となり、授業料の大幅な値上げがもたらされます。理科系の学部・学科を中心に、学生納付金(授業料・施設費など)の大幅な値上げが予想され、「教育の機会均等」の理念は結果的に消されてしまいます.

. お金もうけ目当ての研究が優先され、基礎的科学・人文社会科学の研究や学生の教育が切り捨てられてしまいます。即ち、憲法及び教育基本法で保証されている「全ての国民は等しく教育を受ける権利」が、政府と官僚によって取り上げられてしまいます.

. この「法案」は、「違法・脱法」行為を行わない限り、実施することが不可能な「欠陥法案」です。 衆議院文部科学委員会で遠山文部科学大臣は、労働安全衛生法の適用問題を追及する民主党鳩山議員が、2004年4月までに対策が終わらない場合、この国立大学法人法を凍結するか、という質問に対し、国立大学は「現在も人事院規則に違反しているわけですから」と答えています。現実に、各国立大学の職場では、
「労働基準法」や「労働安全衛生法」を満たさない環境の所が多くあり、この法律に違反すれば使用者が刑事罰に処せられる刑罰法規です。現在は、大学での教育研究上で起こった事故には国家賠償法が適用されますが、法人化後は事故を起こした関係者が個人で賠償するようになる為に、大学病院などでは医療ミスの賠償を想定して、教職員看護婦達による大きな保険加入を検討しています.
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(資料2)------与党議員、保守新党熊谷代表の記者会見資料---------------
、、、、、審議入りし、具体的な法律案に審議の過程で光が当たるにつれて、実はなかなか問題がある、と考えるようになりました。
 この件については、私のほうから昨日、二階幹事長、また井上政調会長にも話をしました。やはり100年に一度の大改革で、100年に一度の大失敗、とならないよう、ここは我が党として委員会の場できちんと審議を通じて、私どもの危惧感を取り除いてもらう努力をしなければなりません。
 要点を申し上げると、国立大学独立行政法人化ということ自体は私どもも是とするわけですが、結果としてこれら大学の自治や学問研究の自立を損ない、官僚支配になってしまうのではないか、と。(法律の)運用次第によっては、そういうことになる可能性がある、という危惧感を持つに至っています。
 特にこれをこのままやると、天下り三倍増計画のような結果になってしまうのではないだろうかと。現場の委員の意見等や、各党の議論に参加している方々の話なども聞くと、皆さん、そういう感じを多少なりとも持っているようです。
 大学の中期目標を大臣、つまり実際においては官僚が決める。ご存じの通り、文教行政というのはもっとも統制色の強い、信じられない戦前型の仕組みがまだ残っている。私どもの体験からしてみると、余計に危惧感を持っているわけです。
 (この法律案の)そういう仕組み(=内容)が工夫されないままに、法律ができて後は官僚の世界に持っていかれると、先ほどの危惧感が現実のものになるのではないか。なんとかこれを何らかの形で補強するということが必要なのではないか、と思っています。(後略))
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近藤義臣  〒376−8515 桐生市天神町1−5−1
      群馬大学工学部電気電子工学科
      電子応用講座第2研究室
電話 0277-30-1719    FAX 0277-30-1707
E-mail      kondohy@el.gunma-u.ac.jp
Home page:  http://www.el.gunma-u.ac.jp/~t-tak/stff/kondoh/index.html
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2003519(2) 地方独立行政法人法に関し、教員組合委員長藤山先生から、適切な注意喚起と問題点の指摘の文書「公立大学の独立行政法人化をめぐって」をいただいた。いまからきちんと独立行政法人・公立大学法人の問題を認識しておくことが重要だとの指摘は、貴重である。

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2003519(1) 国立大学法人法案は衆議院文教委員会で、まともな議論もなしに採決された。事実上の強行採決である。しっかりした議論なしで、たくさんの問題を抱えた法案を通してしまうことが、日本の科学技術を担う大学の道を大きく左右することになるわけで、ゆゆしいことである。

独法化反対ネットワークからの情報を、ここにコピーして、この間の事情を記録しておこう。

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国立大学独立行政法人化問題週報

  Weekly Reports
 No.115 2003.5.18
   http://ac-net.org/wr/wr-115.html
総目次:http://ac-net.org/wr/all.html
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[115-1]
衆議院文部科学委員会での可決について
[115-2]
これまでの経緯
[115-3]
北海道新聞読者の声:渡辺信久「国民を黙らせる改革案には不満」
[115-kd]
国公立大学通信抄 2003.03.17(土)
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各位 前回、文部科学委員会の採決ですべてが決るかのようなことを書きまし
たが、友人から叱られました。憲法59条(2)「衆議院で可決し参議院でこ
れと異った議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再
び可決したときは、法律となる。」は小学校で習ったとおりです。2/3以上
の多数での可決は現状では与野党の合意がなければできませんので、実質的修
正の可能性はかなりあり廃案も不可能というわけではありません。
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[1]
衆議院文部科学委員会での可決について

国立大学制度を廃止する国立大学法人法案等が5月16日の衆議院文部科学委員会で無修正で可決されました。文部科学省による必要資料提出が行なわれない段階での「審議未了採決」(*1)ですから、参議院で実質的な審議が行われなければ、国会の存在意義をないがしろにする科を現政権が負うことになると思います。 法案作成までの4年間の検討過程では、政・官・産の意思は十二分に反映されましたが、国民の意思も、教育研究の現場の意思も、真剣に問われたことはなく、 多くのパブリックコメント(*2) も棚ざらし同様に放置されました。このような国民不在・当事者不在のなかで、国立大学制度を廃止し大学を政府の受託会社に格下げすることが決まるとすれば、それは将来の日本が悔いる選択となるでしょう。

メディア関係者は、参議院での審議が終わるまでには、国立大学法人法案が大学改革を行政に白紙委任する笊法であることを日本全体の知らせ、日本新聞協会の新聞倫理綱領(*3)に記された「新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」という、報道機関全体に妥当する責務を果して頂きたいと思います。また、国立大学協会は、54の国立大学の教員248名が連署している意見書(*4)を尊重し、臨時総会をただちに開催して国立大学法人法案の諸問題点を日本社会に向け明らかにするとともに、その責務遂行を妨害してきた現幹部を直ちに更迭してください。

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[115-2]
これまでの経緯
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 国立大学を独立行政法人化する方針が密室で決まったのは4年前です(*5)

 独立行政法人制度(*6)は「小さい政府」を目指す行財政改革の中で、国家機関外部化の過渡形態として設計されたもので、3〜5年毎に各独立行政法人の存続・民営化・廃止を主務省と総務省が判断することになっています。定型業務を担う国家機関を想定して設計された独立行政法人制度を大学に適用することについては関係者の多くが疑念を持ち、旧文部省は2000年7月に調査検討会議を設け60名の「協力者」(*7)と共に、大学向けに独立行政法人制度を修正することを検討し、同会議は2002年3月に、国立大学法人制度設計の大枠を示す最終報告(*8)をまとめました。国大協は同年4月19日、臨時総会において法人化を異例の強行採決で了承し、それを受け文部科学省は2004年4月法人化を目指して準備を進め、2003年2月28日に国立大学法人法
案が閣議決定されました。4月3日から審議が始まり、文部科学委員会では、参考人質疑2回以外には、わずか3回の審議で5月16日に可決しました。

法案によれば、「国立大学法人」制度は独立行政法人制度との違いは微小に留まる一方、学外理事を含む少人数の役員会を最高意思決定機関とするトップダウンの経営体制を義務付け、さらに学外者を過半数含む経営協議会を経営に関する中核的審議機関としました。また、国が国立大学法人を設立し、国立大学法人が国立大学を設置することとなり、さらに、全教職員が非公務員化となりましたので、学校法人との違いは、政府補助金が最初は多いこと、政府による徹底した管理と学外者経営により大学自治が抹消されることの2点だけと言えます。

 
国立大学法人発足時は国が現状(*9)のまま6割程度は出資すると予想されますが、それ以外の点では、経営形態にとどまらず債券の発行も可能になるなど、非営利法人である学校法人を越えて、営利大学に近づける(*10)ものとなっています。

 
国立大学が国立大学法人となれば「評価」に基づく改廃や予算額の増減が制度化され経営基盤が不安定になるため、役員会は、企業からの寄付講座や資金援助を受け入れるために、また、志願者を確保するために、即効的成果が確実に期待できる研究活動や、人目を引く派手な教育活動を最優先することを余儀なくされます。こうして、学長も構成員も、真に創造的な経営・教育・研究活動 (*11)の持つリスクをとることは困難となり、確実に成果が上る活動が大学全体を覆い尽すことは明らかです。サバイバル的競争的環境で活性化する活動は創造的活動ではなくロビー活動や政治的闘争であり、そこでの「勝者」に必要な要素は抜け目なさと体力ですが、それは創造力とは無関係な要素であることを否定する人はいないでしょう。政府は、日本が知的社会(*12)となることをなにゆえか妨害しようとしている、と言えるでしょう。

 
独立行政法人化により、政府による大学の直接的コントロール強化(*13)や財界・産業界からの「使途限定出資」への依存度増大がもたらす教育・研究活動の「寡占化」・矮小化のデメリットよりは、大学教職員に意識改革をもたらすことのメリットの方が大きい、という考えが政治家・官僚・企業人・ジャーナリストの一部に見受けられます。現在の国立大学は多くの問題を抱えていますが、それは、職員の失職・降格への不安をかりたてたり、高い報酬への欲望を募らせることによる「意識改革」で解決できるような種類の問題ではありません。そのような、人の尊厳をないがしろにする手段は、問題を悪化させるものでしかありません。教育や研究などの創造的な精神活動を支えているもの(*14)に関心がない人達が行う外科手術が心配です。

 
お願いしたいことは、国立大学法人法案を吟味し、この政策にどういうメリットが一体あるのか(*15)、よく考えて頂くことです。現在の国策に近い分野の人達も含め、ほとんどの大学関係者は、「国立大学法人」化により大学の基本的機能が損われるだけでなく、本当に必要な大学改革(*16)への道が閉ざされることを再三再四警告してきました。こういった警告が妥当なものと判断されましたら、ぜひ、日本社会全体が、このことを認識できるよう努めてください。
特に、報道関係者には、そのことをお願いしたいと思います。これまでの4年間、一部の例外を除いて、メディア全体が政府広報紙の役割をはたし国立大学法人政策の実現に協力してきました。多くの人により指摘されている、法案の膨大な問題点を詳細に報道し、報道機関の倫理の中枢となる「中立性」を取り戻していただきたいと思います。(管理者2003.5.18

(*1) http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030517syutkenseimei.html
(*2) http://ac-net.org/dgh/01/a29-pcomments-list2.html
(*3) http://www.pressnet.or.jp/info/rinri/rinri.htm
(*4) http://ac-net.org/dgh/03/514-ikensho-to-janu.html
(*5) http://ac-net.org/dgh/00212-tokyo-shinbun.html#2
(*6) http://ac-net.org/dgh/dgh.html
(*7) http://ac-net.org/dgh/tkk/meibo.html
(*8) http://ac-net.org/dgh/doc/tkk-report.html
(*9) http://ac-net.org/doc/01/127-minamura.html
(*10)http://ac-net.org/dgh/01/a25-tjst-hucoop.html
(*11)http://ac-net.org/dgh/philosophy.html
(*12)http://ac-net.org//wr/wr-93.html#[93-0-1]
(*13)http://ac-net.org/common-sense/00b-wolfren.html
(*14)http://www.u-tokyo.ac.jp/jpn/news/1237/1.html#3
(*15)http://ac-net.org/home/hu-net/doc/03221-ozawa.html
(*16)http://www.erix.com/bunko/omuni/omuni18.htm
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[115-3]
北海道新聞読者の声:渡辺信久「国民を黙らせる改革案には不満」
2003.5.17
朝刊       
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「母の日.実家に電話して安否を尋ねたついでに国立大学法人法案反対活動の報告をした.母親は,あまり無理をするなという.国の決めたことに逆らっても何も得は無い,というのが70年近くを生きて来た年寄りの知恵だ.田舎で細々商売で生計を立てて来た人にとっては,お上に文句をつけることなど無駄以外の何物でもないらしい.

 考えてみれば,日本は立場が人を黙らせてしまう国のようだ.別に母が特別なわけでもなんでもない.大学の教授や学部長,学長になるほどの人も,個人的には国立大学法人法案にはいろんな問題を感じていても,それぞれの立場で得失を考えた瞬間,金縛りにあって沈黙してしまう.納得してしまうためには,「仕方がない」という万能の呪文もある.

 はたしてこれは民族に染着いた性分か,それとも教育のなせる業か.有事法制,国立大学法人化,さらには教育基本法改悪.国民を沈黙させるための改革は進む.なんとかならないものか.」
                       (
投稿時のタイトル「立場が人を黙らせてしまう国」)
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[115-kd]
国公立大学通信抄 2003.03.17(土)
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Subject: [kd 03-05-17]
アカデミックアニマルからアカデミックヒューマンへ
From: TSUJISHITA Toru <tjst@ac-net.org>
Date: Sat, 17 May 2003 11:03:10 +0900
全文:http://ac-net.org/kd/03/517.html
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目次------------------------------------------------------------
[115-kd-1]
衆議院文部科学委員会で国立大学法人法案を可決
[115-kd-2]
法人化反対連絡会ニュース
[115-kd-3]
山口二郎「言論人の気概」2003/05/16 Fri
[115-kd-4]
NHKニュース速報:国立大 独自に研究資金確保へ
[115-kd-5]
共同通信5/16「国立大法人化法案、成立の見通し 教職員12万人非公務員に」
[115-kd-6]
東職声明「国立大学法人制度運用等に関する要請」(補足)
[115-kd-7]
愛知教育大学教職員から文部科学委員各位への要望書 5/16
[115-kd-8]
愛知教育大学教職組から愛知教育大学長への意見書 5/12
[115-kd-9]
平和と民主主義のための研究団体連絡会議 幹事団体会議 声明
[115-kd-10]
京大職組病院支部支部長「国立大学等の法人化に関する緊急申し入れ」5/14
[115-kd-11]
山口二郎「民主党の政権担当能力とは 2003.5.15
[115-kd-12]
永井 實「至急具申」2003.5.15
[115-kd-13]
山内惠子議員と近藤義臣教授の往復書簡
  [115-kd-13-1]
山内議員から近藤教授へ5/15
  [115-kd-13-2]
近藤教授から山内議員へ5/16
[115-kd-14] (kd 03-05-09)[5]
Tenure について」へのコメント紹介
[115-kd-15]
おたより紹介「グチ」#(地方国立大学の現状)
[115-kd-16]
憲法研究者有志92名:5.14.有事法案に関する緊急声明
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各位

衆議院文部科学委員会で国立大学法人法案等が一括して可決されました。これまでの審議経過を追う者は、国会がほとんど機能していないこと、ほどんど行政の附属物に退化してしまっている現状を実体験できたと思います。また、この法案の「修正案」を安易に出して法案の無修正可決を助長した民主党には野党第一党としての使命を果す能力がないこと[115-kd-11]も日本の現状の悲惨さを増しています。こういった構造的疾患は、おそらく、国立大学法人法案、有事法案、個人情報保護法案等が可決されることと同じくらい、あるいはそれ以上に、深刻な問題のようにも思います。

ところで、共同通信の記事[115-kd-5]に「文科省に設置する第三者機関「国立大法人評価委員会」が目標の達成度など、業績評価を実施し、その結果は国の交付金配分に反映させる。」とありました。「文科省に設置する第三者機関」は「丸い三角」というのと同じですから、上の空で記事を書いているとしか思えません。あるいは国語能力の低下を懸念すべきかも知れません。また、NHKのニュース[115-kd-4]は「独立法人」という言葉をあいかわらず使い、政府の「サブリミナル情報操作」を、知ってか知らずでかはわかりませんが、サポートしています。

日本の政治風土とメディアのあまりの荒廃に、無力感そして無関心がさらに広がることを懸念しつつ、山口二郎教授が「しかし、学者、ジャーナリストなど、言論を仕事とするものは、ここで諦めてはならない。」と警告しています。こういった荒廃に対し、大学セクタは大きな責任があります。知的好奇心と自己の業績以外には何も関心を持とうとしないアカデミックアニマル(編集人も例外ではありませんが)状態から、アカデミックヒューマンに進化することが、大学セクタの社会的貢献の第一歩ではないかと痛感しましたが、国立大学法人化はアカデミックアニマルをアカデミックビーストに退化させる危険もあり、前途多難です。国立大学法人法案に反対されている山内議員[115-kd-13-1] の国立大学批判に重いものと感じました。

憲法研究者有志92名が、有事法案について専門的立場から問題点を指摘しています[115-kd-16]が、41名の国立大学教員も参加しています。有事法案や個人情報保護法案などの重要法案について、「国立大学全体投票」で賛否を問うことを習慣化できれば、三権分立の行政独裁への退化とメディアの退化の危険性をわずかでも緩和できるかも知れません。

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地方国立大学のインフラの惨状を伝えるお便り[115-kd-15]がありました。COEに熱中している大手大学の方々は、COEの財源がどこからでているかを認識しておく必要があります。くれぐれもアカデミックビーストに退化しませんように。

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参議院審議終了前の、国立大学協会現執行部の辞任と、臨時総会開催をひき続き求めていきたいと思います。来週中に再度提出しますので、連署されるかたはよろしくお願いします。(編集人)
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[115-kd-1]
衆議院文部科学委員会で国立大学法人法案を可決
   
採決映像(Real Player, Broad band)
http://www.shugiintv.go.jp/rm.ram?deli_id=20675&media_type=rb&time=06:53:06.8
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[115-kd-2]
法人化反対連絡会ニュース
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【5月16日文科委員会】

 野党の追及にまともな答弁せず

 本日の委員会では、民主(3名)、自由、共産、社民が質疑を行いました。

 前回14日の委員会に引き続き、学問の自由と大学の自治にかかわって、中期目標、大学評価の問題、学長の位置づけ・選考の問題、労基法・労安法適用にむけた準備・改善の問題などが鋭く追及されました。

 これに対して文科省はまたもやまともに答えようとせず、「大学の活性化のため」「大学の自主性・自立性には十分配慮する」などこれまで同様の曖昧な答弁を繰り返しました。

 答弁のあまりのひどさに、野党議員はもとより傍聴者からもたびたび失笑がもれました。

 文科大臣、児玉議員(共産)の追及に「いいじゃない」と暴言

 とりわけ労基法・労安法の適用問題は、国大協が弾力的な運用を政府への要請事項に盛り込もうとしていること、文科省は施設改善予算の試算すらしていないことがこの間の審議で明らかになったことなど、来年4月に違法状態のままで法人がスタートする可能性が濃厚なことから、各野党から厳しい追及がなされました。

 この追求に対して文科省が、終始「違法状態にならないように責任を持って努力する」との答弁を繰り返したことに、共産党の児玉議員が「それは決意表明に過ぎない」と強く迫ったのに対し、遠山大臣は席上で「いいじゃない」と開き直り、委員会室は騒然となりました。

 なお、佐藤議員(自由党)の「改善の具体的な計画、資料を提出しなければ、審議・採決できない」との抗議に対して、文科省は「5月中に提出する」と確約しました。

 さまざまな点で、政府・文科省、与党の無責任さが鮮明に

 上記の施設改善問題をはじめ、さまざまな問題について必要な資料の用意もなく、「細部はこれから」と問題を先送りにし、それでいて「審議は十分尽くした」と強弁する政府・文科省、与党に対して、野党議員からは「国会を軽視する無責任なやり方」「これで審議十分としたのでは国会議員としての責任が問われる」など、強い批判がなされました。

 満足な審議ないまま、採決強行

 野党各党が徹底慎重審議を要求したにもかかわらず、本日の委員会で審議打ち切り、採決が強行され、政府案は与党の賛成多数で可決されました。「重要法案」と言いつつ、参考人質疑を入れて5日のみという短時間の審議で委員会を通過しました。

 また、民主党より附帯決議案が提案され、共産党以外の賛成で可決されました。

 なお、民主党が提案した修正案の審議は行われませんでした。

 今後の動き

 委員会後行われた議運で、法人法案は22日の本会議に送られることが決定しました。

 これによりたたかいの舞台は参議院へと移ることになります。

 傍聴行動後の総括集会にかけつけた石井議員(共産)、山内議員(社民)は、会期(618日)延長がない見通しであること、施設改善に関する資料の5月中提出を確約していること、衆議院段階での審議不十分が明らかなことなど、廃案に追い込む展望があると述べ、本会議・参議院に向けて国会内外でのたたかいをともに強めようと訴えました。
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[115-kd-9]
平和と民主主義のための研究団体連絡会議 幹事団体会議 声明
[he forum 5578] 2003.5.16
http://ac-net.org/kd/03/517.html#[9]
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「平和と民主主義」の確立に背く危険な「国立大学法人法案」の廃案を強く求める
(声明)

 現在、国会において国立大学法人法案(以下「法案」)とその関連法案が審議されている。日本と世界の平和と民主主義の確立を願って活動を重ねてきた私たちは、この法案について「平和と民主主義の確立に寄与するか否か」という観点から検討した結果、以下の如く、「寄与する」どころか、全く逆の結果をもたらす危険性があるという結論を得た。

 第一に、この法案には、大学の自治を保障し、大学における民主主義の確立をいっそう促すどころか、全く逆に、大学における民主主義の確立に明らかに背く内容が含まれている。そもそも、大学の自治とは、大学が政治・宗教等の介入を排して、大学構成員の総意に基づいて教育・研究の自由を行使することであり、日本国憲法第23条に規定された「学問の自由」の制度的保障となるものである。この「大学の自治」「学問の自由」の確立の如何は、その国の民主主義確立のバロメーターと言っても過言ではない。

 しかるに、法案は、(1)国立大学法人が6年間で達成すべき「中期目標」を文部科学大臣が定め、法人が従わなかった時は役員が過料に処せられる(2)学長に権限を集中させ、トップダウンの経営方式を目指している(3)学長選考は当の学長も参加する少数の学長選考会議により行われる(4)「役員会」「経営協議会」に学外者を参加させる(5)文部科学省に置く評価委員会による評価に基づく予算配分によって、大学や教育研究組織を再編する、などの条項を含んでおり、これらは、どれひとつをとっても、大学の自治・学問の自由の確立を逆行させる内容となっている。

 第二に、この法案の成立・施行は、平和の確立に貢献するどころか、全く逆に、戦争遂行のために国立大学の研究・教育を変質させる危険性をはらんでいるということである。第2次大戦後、日本国憲法の下で、大学は、平和の確立のため、教育・研究の面でも、平和運動の面でも、重要な役割を果たしてきた。
しかるに、法案は、上記のように、大学の目標決定や評価を大臣や学外の企業人等が行うことによって、国立大学における教育・研究を国策に添った方向に誘導・さらには強制する役割を果たす危険性がある。戦争と平和の問題では、戦争に協力したり戦争を推進する政策を批判して平和確立を志向する教育・研究は、たとえ当初は可能であっても、軍事につながる企業人や国の「評価」が行われれば、直ちに不可能なものとならざるを得ない。

 米国のアフガニスタン・イラク侵略戦争への協力、有事立法の制定、日の丸・君が代の強制、首相・閣僚らの靖国神社参拝、「愛国心」の強調、教育基本法の改悪、そして第9条を中心とする日本国憲法の改悪・・・今まさに急ピッチで「戦争をする国づくり」が進められている時、上記のような危険性を持つ「国立大学法人法案」が提出されていることは、決して偶然ではない。

 私たちは、このような重大な危険性を有する法案を、直ちに廃案とすることを強く求め、ここに声明する。

2003
512
平和と民主主義のための研究団体連絡会議
幹事団体会議
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[115-kd-15]
おたより紹介「グチ」#(地方国立大学の現状)
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「聞いて下さい、辻下さん。地方大学のインフラは酷い物です。私は理系で生化学が専門です。今の処は2間x3間の一室が教官室としてあるだけで、実験室も分析機器もありません。モノ、金、ヒトがありません。文科省は2,3年前に校費を半減しました。お蔭で私の使える校費は年間37万円です。これでは実験試薬も買えません。カラーで論文を書いたら1報が25万円、2つでその倍かかりました。さて減らしたその分を科研費に回すのかと思ったら採択率が大幅に増えたということはありません。相変わらず20人に1人程度、しかも一般C、萌芽しかあたりません。驚いたことに金を浮かしてCOEとか言って帝大に持って行ったようです。地方国立大の酷いインフラの旧帝大との格差がもっと著しくなりました。このような状況で、法人化して国庫負担を更に3,4割削減する。加えて公務員定員削減をもっと進める。今年の私の学科の事務職員は半減されました。パソコンで能率が上がったと思えばその分、山なす雑用が増えて皆喘いでいます。もう末期症状です。教育も研究も何もするなということなのでしょう。こんなに切り詰めてまあ、余裕がなかったら、良い教育も良い研究も出来ないじゃありませんか。旧帝大や国立研究所が優れた研究を行っているかというとそうではありません。億近い金を使うに困っている核研の先生もいるというじゃありませんか。

不思議なことに大学人は私も含め「茹でガエル」なのでしょう。今回のように足元に火がついても何も言いません。おそらく首を切られる時も何も言わないでしょう。物事を判断する力が文科省の教育には入っていないことによるのでしょうか。この日本愚民化文教政策が法人化で完成することでしょうね。」
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編集発行人:辻下 徹 e-mail: tjst@ac-net.org

 

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2003516(2) 教員組合委員長・藤山先生から、学長への申し入れ(回答要求)がとどいた。筋の通った重要な申し入れであり、学長は、学長としての責任ある回答を提示すべきである。学長の一つ一つの行動が、大学改革に実に重大な意味を持つことを踏まえ、質問事項に関する明確な回答を大学内外にしめすべきである。

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2003516(1) 「市民の会」「井戸端」の市民の意見No.186に対し、賛同の下記の意見を投稿(No.189

 

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公立大学と法学部の必要性

 民間の社会も公共団体も、市民社会の成熟とともに、法の精神と法体系にもとづく行動の規律がますます重要になってくると思います。 その意味では、市立大学において、法学部・法学研究科はたとえ定員は少なく規模は小さくても(したがって、財政効率はわるくても−とはいえ自然科学と比べればただのような安上がりの経費・主として人件費のみ)、発展的に増設すべき学部のひとつだと思います。 

 商学部と国際文化学部の定員を削り、たとえば一〇〇名程度の定員の少数精鋭の法学部をつくることもありうるのではないでしょうか?
 横浜国大も法学部は作らせてもらえなかった歴史があり、国公立で神奈川県には法学部を持つ大学がないのは、神奈川県、横浜市としては問題ではないでしょうか。

 現在英国留学中の国際人権(国際法)の専門家をはじめ、国際法、行政法、民法、商法といった法律関係から、国際政治・国際関係・軍縮、中国政治、など通常法学部の講義科目の一部を担当するスタッフもいます。
 それぞれ、東大、京大、一橋大、早大、慶応、中央大、明治大等の法学部・法学研究科出身のスタッフであり、これら現有スタッフ・現有講義科目を踏まえながら、上記諸大学の定年退官教授(国立は6062歳ですので)に新学部創設のためにご出馬願う、ということもありうるでしょう。
 各分野で日本を代表する法律研究者を揃えれば、一挙に、相当ハイレベルの法学部ができるのではないでしょうか?

 市民から提起されたひとつの積極的提案が、どのように発展するか、大学の改革プランを作成する委員に開かれた心があるか、市当局に耳を傾ける姿勢があるか、見ていきましょう。

 解体縮小の貧困な発想しかしない人々に対する反論として、一言します。

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2003514(3) 国立大学法人法案反対のネットワークから、下記のような要請が届いた。一人でも多くの人の目にとまるべく、ここにもコピーしておこう。

 

「法人法案」意見広告 ご賛同の皆様、
   
本日、国会の文科委員会において、「国立大学法人法案」が
集中審議されています。いよいよ正念場にきています。前回も
案内しましたように、1次の「意見広告」は委員会審議において
も有効に使われました。5月21日に出す予定の2次「意見広告」
も多くの方の賛同があれば、大きな効果を発揮すると思われます。

    
しかしながら、現在のところ、2次の賛同者が500名弱に
とどまっています。国会情勢を考えますと、意見広告としては、
これが最後の機会になるかもしれません。今日と明日の最後の
2日、できるだけ多くの方に広めていただきますようお願い致します。

「法人法案」事務局
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最新の情報はホームページ
    http://www.geocities.jp/houjinka/index.html
をご覧ください。

5月14日  意見書:国立大学協会の長尾会長、松尾副会長および石副会長に、ただちに職を辞することを求める
*5月9日  国立大学は違法・脱法行為と悪法制定の共犯者となるのか驚くべき国大協特別委員会の5.7依頼文書― (「首都圏ネット」より)
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2003514(2) 「国立大学法人法案徹底批判」のブックレット普及のお願いが、ネットワークに公開された。執筆者の一人として、下記にその訴えをコピーし、普及に貢献したい。一般社会が無関心であっても、大学人がもっと自分たちの運命に深い関心を寄せてもいいのではないか。

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ブックレット
『国立大学はどうなる―国立大学法人法を徹底批判する―』普及のお願い
                                                         2003
510
                             
独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

 このたび、東京大学職員組合と独立行政法人反対首都圏ネットワークの共編で以下のブックレットを刊行しました。国立大学法人法案に対する初めての本格的批判集ですが、ブックレットの形式をとって、読みやすくかつ廉価(税込840円)にしております。

 このブックレットを「国立大学法人法案」反対闘争に大いに役立たせるために、以下に2点のお願いがあります。

(1)ブックレットを皆さまのご協力によって組織的に普及したいと考えています。組織的普及に対しては、価格2割引、3冊以上は送料出版社負担などの便宜をはかります。

(2)このブックレットを資料として関係者に広めるために、総額50万円のカンパをお願いします。もう1冊分=700円を1口として、下記の振込口座にご送金くだされば幸いです。また、大学の教職員組合など、諸団体からのまとまった金額のカンパもお待ちしております。

 法案反対闘争勝利のために、どうか皆さまからのご協力のほどを、お願いいたします。

(1)につきましては、直接、出版社(花伝社)の方にお申し込みください。
 花伝社
 101-0065 東京都千代田区西神田2-7-6 川合ビル
 TEL03-3263-3813  FAX03-3239-8272
 E-mailkadensha@muf.biglobe.ne.jp
 http://www1_biz.biglobe.ne.jp/~kadensha

(2)につきましては、恐れいりますが、下記の振込口座の方へお願いいたします。
 郵便振替口座
 口座名称:「法人法案ブックレット」
 口座番号:00150-0-776530

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『国立大学はどうなる―国立大学法人法を徹底批判する―』
 東京大学職員組合・独立行政法人反対首都圏ネットワーク編
 発行/花伝社、発売/共栄書房、2003515日初版第1刷発行 A5版全96

目次◆『国立大学はどうなる』―国立大学法人法を徹底批判する―

はじめに―全大学人、国民に訴える 東京大学職員組合執行委員長  小林正彦
I
  驚くべき国立大学法人法の内容―法案の分析  東京大学 田端博邦
II
  Q&A  国立大学法人法で大学はどうなる  千葉大学 小沢弘明
III
  遠山プランと「産官学総力戦」  千葉大学 小沢弘明
IV
  国立大学の理念  東京大学 小林正彦
V
  国立大学法人法―地方大学からの批判   教育学者 秋山徹
VI
  公立大学はどうなる―横浜市立大学は公立大学民営化のモデルか  横浜市立大学 永岑三千輝
VII
  教育基本法「改正」と国立大学の独立行政法人化 新潟大学 世取山洋介
VIII
  いま、なぜ大学法人化が出てきたか  一橋大学 渡辺治
あとがき

資料編:「国立大学法人法」(抜粋)ほか

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2003514(1) 博士研究院制度の規定と運用に関わる以下の意見を「市民の会」「議論の広場」に投稿した。事務局は、単なる事務処理の外見の元に、大学の自治、教授会の自治を蝕んでいることについては、不感症におちいっているばあいがある。いつのまにか教授会の側もそのようになっている場合も多い。

大学の最高意思決定帰還としての評議会の学則審議事項として明確に規定されている「予算見積もり」が一度も審議されなかったことは何を意味するか?

法的規定と実態との乖離は、法律の文言だけを見ていては分からない。杞憂であればいいのだが。

 

問題の所在はなにか?
 採用の最終的権限は市長(市当局)にあるのは、当然として、問題はそれを根拠に、学部教授会決定などを無視し、それに介入し、「上申しない」といったかたちで、実質的に大学の独立性が奪われる危険性である。
 助教授昇任問題や定年退官教員補充問題ですでに現実に起こっている事例からみて、いつのまにか限定された「事務処理」権限を超えた事務局からの介入がありうる危険性を、文章の文言に感じ取ることができる。
 これを杞憂というか?

 この榊原研究科長の回答でも、まさに大上段に市の権限がまず持ち出されるのであるが、大学の独立性・自律性・自治に対する介入は行わないものであるという肝心のことは明言されていないように思われる。
 繰り返すが、事務手続きの末端から大学の自治が幾重にも蝕まれるという危険性をどのように考えるか、ということである。

 今後、この規定を運用するに当って、研究上の必要を学問的科学的に判断した専門家集団としての研究科の自立的決定が、左右されたり、脅かされたりしないように、注視していく必要があろう。

 

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2003513日 次のものを「市民の会」の「議論の広場」に投稿。

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回答の内容に唖然!

 「要望」は、今回の学長回答によれば、「あり方答申に対する注文」だという。普通の感覚・普通の用語法ではこれは、欺瞞的な言葉のつかい方である。それとも私がおかしいのか?
 問題になっていること、要望事項(
「要望」の最終版参照)の1は、次のような記述になっている。
  「1.国際教養(リベラルアーツ)学部
   対案:入学試験は例えば、経営・都市学科、基礎工学科の2分類。
      学部3年以降はさらに細分化したコース制にする)。

 この表現は、あり方懇答申が大胆な改革として求める商・国際文化・理の3学部の統合を認めたということを示すのではないのか? どこが「対案」なのか?
 そもそも、「対案」という言葉は、意味のある言葉になっているのか?
 常識的には、「国際教養学部」案に対する案とは、現状の3学部存続、あるいは例えば文科系2学部の統合と理学部の存続、といったことになろう。論理次元の問題として「対案」になっていないものを対案として提示している。しかもそれを今回の回答では、「注文」だとしている。

 「要望」に関する問題点が指摘されないときに、観念があいまいであることは人間だれしもあるだろう。しかし、この間、様々の角度から批判が出ている。それを踏まえて誠実に答えるべきだと考える。学長回答のような文章を見ると、精神的誠実性を疑わざるを得ない。

 他にも論理のすり替えが見られる。市民の会の皆様も広く社会の人も、学長の4月9日付の「要望」書と今回の学長の回答を読み比べて、検討していただきたい。

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2003512日 この間、本学の「有力」3教授の学長支持・あり方懇支持が記者会見で発表され、各方面で話題になっている[9]。記事の文言中、ひとつだけ、「サイレント・マジョリティ」に関して指摘しておきたい。3教授はあり方懇答申とそれを受けた学長「要望」が、あたかも「サイレント・マジョリティ」の声であるかのように新聞記事で語っている[10]。しかし、商学部の決議[11]国際文化学部の決議、総合理学研究科(38名中34名の賛成)決議[12]を見ればただちに判明するが、学長「要望」は教授会や評議会で議論されたものではなく、したがって教授会や評議会の意向ではないことを明確にしている。

3学部統合やプラクティカル・リベラルアーツ学部の新設、学部間授業料格差導入、研究費原則廃止、市費繰入の6年間での完全廃止など、あり方懇談会答申の路線には、圧倒的に多くの大学人が反対しているというのが実情ではないだろうか。

だからこそ、学長「要望」のような形ではなく、これまでの議論の積み重ねを踏まえた改革構想を大学の主体性でまとめるべく努力すべきだと3学部の教授会は決議したのではないだろうか?

いま問題になっているのは、市長の方針を受けて、大学がどこまで9月末までに大学らしい改革を纏め上げることができるか、ということである[13]。そのために3学部教授会はそれぞれに努力することを表明しているのであり、その改革構想が本当に市民の視点に立ったものかどうか、これがとわれている。

市民・大学人の視点は、本当に「国際教養学部」の創設か?

市民・大学人の視点は学部間格差授業料を求めるのか?

市民・大学人は、「プラクティカル・リベラルアーツ」をどのように理解しているのか?

これらの諸点に間して、一楽先生とともにわれわれが学長宛てに質問状を出したが、学長からはなしのつぶてである。これは何を意味するか?

市民」の視点とはなにか、これが一番重要になる。その広さ深さ、21世紀を見とおしたものになっているかどうか、大学らしいものであるかどうか、これが激しく問題となろう。

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2003510日 独立行政法人反対首都圏ネットワーク『国立大学はどうなる−国立大学法人法を徹底批判する』花伝社を緊急出版した。新聞ニュースなどをつうじて市立大学の動向が編集者の注意を読んでおり、その要請で私が市大の状況に関して簡単に報告した。独立行政法人化を先取りしたような「研究費原則廃止」、「任期制導入」、評議会を無視する事務局責任者の態度など、大学の自治を考えるものから見ると恐るべき自体について、またあり方懇談会答申の問題性について、あるいはあり方懇談会答申の作成課程における大学の問題について、一昨年4月以来の激動ぶりを報告した。

国立大学法人法案に危険な問題性を見る人々は、横浜市大の「あり方懇談会」路線が、独立行政法人化された後の極端な事例を見るかのように見ている。まだ、本の現物を手にしていないので、この本の中心テーマである国立大学法人法案批判がどのように行われているか、じっくり読んでみたいと思っている。

この日誌をつうじて、緊急出版の存在を知られた方は、是非一読していただきたい。仮に法案が通れば、その法律の下に置かれるのは国公立大学であり、独立行政法人化反対の全国ネットワークの指摘がすぐにも現実のものとなるから、一読しておく価値はあるのではないだろうか。

ともあれ、国立大学法人法案をめぐる動向からも、教授会の議論、教員組合の主張・運動や「市民の会」の運動などによって、まともな大学らしい改革を実現しなければならないといえるだろう。

 

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2003510(2) 「市民の会」HPから大学改革のHPができたことを知った。そこにはこの間、新聞で報道された学長声明や市長のメッセージがまとめて掲載されている。市長の記者会見の内容も、大学に関しては、いかのようになっている。

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記者:
 市立大学のどこが問題なのか。

市長:
 現状認識に危機感がない。少子化の中で教職員がこのままでも何とかなると思っており全学的な議論をしていない[14]。教授会が中心になっており学長・学部長の権限が無い[15]

記者:
 これまでも議論されてきていると思うが、それには限界があるということか。

市長:
 議論を続け結論を出してこなかった[16]。答申の中身は、今まで学内での検討されたものが含まれていたが、きちんとした結論をださないできた。

記者:
 全学的改革検討組織と推進本部の関係だが、10月まで推進本部は何もしないということか。

市長:
 大学が主体となって議論していくこととなる。設置者として推進本部とも連携を取りながら議論することとなる。

記者:
 ラストチャンス、或いは最後通告のように聞こえるが、10月までに推進本部が受け入れられるような改革案が大学から出なければ、あり方懇のほかの選択肢も考えるのか。

市長:
 大学自ら市民の視点にたった大胆な改革案を示さなければ[17]、他の選択肢も考える。

記者:
 あり方懇答申より、よいアイデアが出てきた場合、答申と違う改革もあるのか。

市長:
 大学はそのくらいの気概を持って改革にあたってほしい。ただし、だらだらと議論するだけではいけない。

記者:
 なかなか議論が進まないから、今日のタイミングで記者会見を行ったということか。

市長:
 批判ばかりしていて先に進まない。独立行政法人化はあたりまえのことではないのか[18]。どういう結論にするんですか、ということを確認したい。

記者:
 国の独立行政法人化に反対している人の多くが、文部科学省の介入が強くなるということを聞く。

市長:
 独立行政法人化により、自主的な大学運営が可能となる一方、責任ある執行体制が確立され、より優秀な人材を確保することができることも可能となる[19]

記者:
 市立大学の独立行政法人化により市長の統制[20]がきつくなるということはあるのか。

市長:
 それはない[21]

 

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2003510(1) 国立大学法人法案の杜撰さを露呈する国大協石弘光副会長の文書が問題になっている。法案の内容も検討しないで「独立行政法人化」を念頭において「改革」作業を進めようというのが本学の学長・大学首脳部の態度だとすれば、問題は大きいということを指摘しておかなければならない。

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「法人法案」意見広告 賛同者の皆様、

 
去る58()、東大駒場において「国立大学法人法案に関する教官懇談会」が開かれた折に、小林元東大副学長が「とんでもない文書が国大協の石副会長名で各大学へ配られた」といって紹介したのが、以下の文書です。

15
日までに各大学よりの意見を求めていますので、可能なかぎり、迅速な対応をお願いします。

「法人法案」事務局
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国立大学は違法・脱法行為と悪法制定の共犯者となるのか驚くべき国大協特別委員会の5.7依頼文書

               2003
59日 独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

国立大学協会の法人化特別委員会は、57日に石弘光委員長名で「国立大学法人制度運用等に関する要請事項等について(検討案)」という文書(以下、「5.7要請事項案」と略)を各国立大学長あてに送付した。この文書は、515 日午後5時を期限として加除修正の形式で意見を寄せることを求めている(末尾の資料参照)。

この文書の内容は、国大協が「特別な問題点は生じていないと評価」(15417法制化対応グループ)した国立大学法人法案が、現実にはもはや廃案する以外にはないものであることを明白に表明している。

違法・脱法行為を勧める文書

1に、5.7要請事項案II1をご覧いただきたい。「各種法令の適用に関する運用上の協力と配慮」が要請されている。しかし、「経過的期間」であることを理由に「弾力的な運用」といった措置や配慮を予め認める条項は当該法令には全く存在しない。とりわけ労働基準法は、最低限の労働条件の確保を罰則規定の下で厳格に実現させるための法律であって、各種届出義務(417日の特別委員会では、根幹にかかわる就業規則、三六協定が例示されている)の猶予などあり得ない。そもそも国立の機関である国立大学が、自らこのような違法・脱法措置を要求することなど論外である。この要請自体が、20044月法人化が適法的には実施し得ないことを明白に示している。

手当されない移行経費

2に、II3では「移行に伴う新たな必要経費の確保」が要請されている。「移行に伴う」と曖昧に書かれているが、正確には「移行前に」であることをまず指摘しておこう。その必要経費は旧7帝大では数10億円から100億円程度とも伝えられている。
こうした必要経費は、たとえ国立大学法人法案が今国会で成立したとしても、移行前である今年度に支給されるという保証は全くない。このことは、国立大学が、たとえば労働安全衛生法が要求する環境を準備し得ないことを意味している。

移行はすでに時間切れ

ことは必要経費だけの問題ではない。一例としてII3の末尾にある登記に関していえば、国立大学の中には、戦前、軍によって強制接収された土地を敷地として用いているところがある。このような土地の登記に関しては、名義変更の法的確認作業が必要であり、20044月までには到底間に合わないと言われている。すなわち、財政的にみても、また時間的にみても、20044月の法人化が適法的には実施し得ないことを示しているのである。現在の独立行政法人が、通則法成立から19カ月の移行期間を有していたのに対し、国立大学法人法案はもはや11カ月を切っている。

要請事項が自ら示す法案の根本矛盾

3に、IIIでは、9項目にわたって「制度運用」に関する要請事項が列挙されている。
しかし、一読して分かるように、国立大学法人法案は、はじめから、これらの事項をことごとく否定するために作られたものである。従って、これらの要請事項が運用で対処できる事柄でないことは論を俟たない。このような要請事項を掲げなければならないということは、国立大学は国立大学法人法案を受け入れることはできないことを示している。そもそも法自身の運用問題や関連する他法の適用延期・猶予・免除などを審議中から議論しなければならない法律は悪法であり、法の名に値しないのである。

以上のように「5.7要請事項案」は、違法・脱法的措置をとる以外に法人化が実現し得ないこと、また国立大学法人法案が国立大学の要求を全面的に踏みにじるものであることを、内外に明らかにしている。

「要請」が意図するもの

では、国大協執行部はこのような「5.7要請事項案」への意見を各大学に求めることにより、何を狙っているのだろうか。それは、各大学で急速に高まっている国立大学法人法案への批判をそらすためである。国会の立法権を侵害する形で強行されている悲惨で過酷な準備作業のなかで、各大学の現場からいま激しい批判や懐疑が湧き起こっている。現場の声を反映し、法案の「抜本的見直し」を求めた元大阪大学事務局長糟谷正彦氏の論説『私の視点』(57日付『朝日新聞』)に、各大学なかんずく事務部で共感の拍手が起こったことがそのことをはっきりと示している。これらの批判に対して、各種法令適用への配慮と制度運用でなんとかなる(つまりは、当初から違法・脱法行為を予定している)というデマゴーギッシュなキャンペーンをはるために、この「5.7要請事項案」が出されたのである。

だが、国大協執行部の背後には文部科学省がいることは確実である。文部科学省は、移行過程における違法・脱法措置をあたかも大学からの要望であるかのように仕向け、そしてまた、制度運用上の要請を出させることによって、高まる批判に対するガス抜きをはかろうとしているのである。

もはや廃案以外にはない

5.7
国大協特別委員会文書は、自ら、国立大学法人法案は廃案にする以外にないことを改めて示した。教職員組合、教授会、評議会などは、515日を締め切りとする各大学の回答書に、「制度の運用によっては国立大学法人法の持つ根本的問題点を解決することはできない。従って、法案は廃案にすべきである。違法・脱法行為に加担するなど論外である」と明記するよう、大学執行部に対して直ちに要求を開始する必要がある。そして、このような法案を廃案にするために、国大協臨時総会の開催を会則に基づいて行うよう各学長に要請しよう。

とりわけ労働条件に責任を負う教職員組合は、労働基準法や労働安全衛生法の適用猶予という違法・脱法行為を行ってまで国立大学法人化を強行しようとする国大協執行部と文部科学省に対し、厳しく批判・抗議するとともに、各大学執行部に対してあらためて廃案要求を行うことが必要である。国立大学を違法・脱法行為と悪法制定の共犯者とさせないために、今、教職員組合の役割は極めて重要である。

最後にすべての大学教職員に訴える。現在、法案を審議している衆議院文部科学委員会ならびに同委員に対して、法案の徹底審議と求めるとともに、違法・脱法行為を前提とした国立大学法人法案は廃案にする以外にない、という声を集中しようではないか。

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【資料】
平成15年5月7日
  各 会 員 校 代 表 者  殿
              国立大学協会副会長
              国立大学法人化特別委員会委員長
               石   弘  光

国立大学法人制度運用等に関する要請事項等について(依頼)

 既にご報告のとおり、本特別委員会としては今後、法人化後における制度運用等に関する政府等への要請事項を盛り込んだ国立大学法人化に関する国大協の総括的な見解案をとりまとめ、6月の総会へ提案する方向で作業を進めつつあります。

 その見解に盛り込む要請事項等については、各会員校のご意向を反映したものとなるよう、各会員校のご意見を伺うことになりました。

 つきましては、時間的な関係もあり、ご意見を検討いただく際のたたき台として、別添の(検討案)を用意しました。この検討案に加除修正する形でご意見をお寄せいただきたく、よろしくお願いいたします。

 なお、理事会までの作業時間の関係もあり誠に恐縮ですが、ご意見については、5月15日(木)午後5時必着で,Eメールにより国大協事務局までご回報ください。また、加除修正部分については(検討案)と明確に判別できるよう、文字色等についてご工夫をお願いいたします。

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国立大学法人制度運用等に関する要請事項等(検討案)
T
 明確な内容の政省令等の制定実現
 (1)政省令等の確定にあたっては、国立大学法人法と最終報告(調査検討会議「新しい「国立大学法人」像について」)の趣旨に則り、国立大学における教育研究の特性に配慮し、国立大学法人の自主性・自律性を十分に尊重した、明確な規定とすること。
(2)国立大学法人法の施行に必要な政省令等の詳細制度設計については、早めに国大協と意見交換をすること。
(3)とりわけ、国立大学法人評価委員会に関する規定については、上記@Aの点について十分に配慮すること。

U
 法人への移行過程に関する事項
1.各種法令の適用に関する運用上の協力と配慮
  国の組織から国立大学法人へ移行することに伴い、労働関係法規、医療機関に関する法規をはじめとする各般の法令が新たに適用されることとなるが、関係行政庁への各種届出義務に関する規定及びこれに関連する罰則規定の適用をはじめとする諸法令の適用に関しては、当面は、各大学が法人化へ移行する経過的期間であることに鑑み、その準備が整うまでの一定期間、弾力的な運用が図られるよう、例えば以下のような点で、関係行政庁の十分な協力と配慮が必要であること。
 ・ 労働基準法に基づく関係行政庁への各種届出義務に関する運用上の配慮
 ・ 労働安全衛生法の適用に関する運用上の配慮
 ・ 法人化に伴う関係行政庁への附属病院の開設承認再申請に関する運用上の配慮

 
2 事務系職員の適切な人事交流システム構築への協力
 ・ 法人の人事権のもとで、事務系職員の人事交流による人材活用と職場の活性化をはかるための適切な人事交流システムの構築や国の機関との人事交流・異動の円滑な実施への協力等

3 法人への移行に伴う新たな必要経費の確保
 ・  労働安全衛生に対する計画的な対応への必要経費、財務会計システム等の構築のための経費、などの確保
 
・ 出資財産(土地・建物等)の確定・整理・評価・登記に伴う諸経費の確保

V 法人移行後の制度運用に関する事項

1 高等教育への公財政支出の充実
 ・ 中教審で検討中の高等教育のグランドデザインに基づく公財政支出の拡大と充実
 ・ 基盤的研究・基礎科学的分野への基盤経費の確保

2 法人の財政的な自律性を高める観点からの適切な運用
 ・ 剰余金の処理における法人の経営努力の幅広い認定
 ・ 中期計画終了時の積立金の処分における法人の立場の最大限の尊重
 ・ 効率化係数等による運営費交付金の一律減額措置の排除
 ・ 運営費交付金の算定基準の明確化
 ・ 国立大学の存在意義を踏まえた適切な学生納付金の標準額の設定等 
 ・ 土地処分収入の一定額の当該法人への留保
 ・ 収益を伴う事業実施に関する法人の判断の尊重
 ・ 寄附金、受託研究経費等の運営費交付金の算定からの除外

3 法人の実状に応じた確実な財政措置
 ・ 労災保険、雇用保険、各種損害保険等の保険料、各種手数料、監査に要する経費、事務系職員の採用試験実施経費など、法人化に伴う必要経費の確保等 
 ・ 施設の維持・保全に要する経費の運営費交付金への反映
 ・ 附属病院の施設整備に充てる資金の国立大学財務・経営センターからの円滑な借り入れの確保 
 ・ 寄附金税制を含む現行の税制面での取り扱いの継続

4 国による各種損害の補填システムの整備
 ・ 自然災害及び火災等による被災施設等の復旧補填システムの確立(施設災害補助金等)
 ・ 医療過誤や医療事故による賠償責任システムの確立(賠償金等)
 ・ 教育研究中の事故等による賠償責任システムの確立(賠償金等)

5 文部科学省の国立大学法人行政体制の整備等
 ・ 法人化された国立大学に対する大学の自由度を尊重した文部科学省の新しい行政体制等の整備
 ・ 中期目標・計画を前提とした事後評価を尊重する具体的な事務処理体制の整備
 ・ 概算要求作業の簡素化等新しい関係における国立大学の事務負担の軽減

6 中期目標・中期計画における大学の自主性・自律性の尊重
 ・ 文部科学大臣が中期目標を定めるに当たって、大学の意見を最大限配慮すること
 ・ 文部科学大臣が中期計画を認可するに当たって、大学の自主性・自律性を最大限尊重すること。なお、中期計画について、大学の教育研究の特性を踏まえ数値目標など詳細な内容指定を排除すること。
 ・ 年度計画の取り扱いについて、大学の教育研究の特性に十分配慮すること。
 ・ 計画期間中における計画変更を容易にする運用

7 国立大学法人評価委員会等による評価とその評価結果の活用方法
 ・ 国立大学における教育研究を伸張する適切な評価の実施
 ・ 大学の教育研究の特性を踏まえ数値目標などによる評価を排除
 ・ 大学に過度な負担をかけない評価方法の実施
 ・ 評価結果に対する大学の意見申し立て等の制度化
 ・ 評価結果の資源配分活用への慎重な配慮
 ・ 年度ごとの評価結果を資源配分に活用することを排除

8 国立大学の特性を踏まえた国立大学行政の確立
 ・ 教育研究の特性に配慮した適切な法律等の運用
 ・ 新連合組織(新国大協)と文部科学省との定期的な意見交換システムの構築
 ・ 監事の選任における透明性の確保

9 その他の要望
 ・ 法人化後における会計検査院との関係の明確化(計算証明、実地検査等)   

 

 

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200358日 昨日、学長・市長の会談(教員組合からの情報)のあと、市長の大学改革方針・大学と市民へのメッセージが公開され、これを受けた学長声明[22]が公開された。

市長の改革方針を市民(工程表によれば市民アンケートが予定されている)議会(新しい議員による議会で大学問題もひとつの重要議題となるということだろう、「市民の会」のアンケートには必ずしも多くの回答がなかったが市議会のメンバーの責任も大きい)社会がどのように受け止めるか、また本学の歴史と議論の到達点をどのように生かすことができるか、これが問われている。

「市民の会」に結集して市民とともに大学の維持発展を模索してきた大学人の建設的批判は、今後ますます必要になるだろう。「市民の会」は、歴史と伝統を踏まえた大学の創造的発展のためにこそ活動してきたはずだからである。達成すべきは創造的発展であり、大学の主体的努力と大学の設置者としての市との相互協力による発展構想こそが求められており、脅迫と恫喝による解体縮小[23]ではないことだけ、今回はっきりしたといえよう。

「市民の会」に寄せられた建設的プランの数々は、横浜市大学改革推進本部などにも積極的に提出されることになろう。いい大学を創造することが設置主体である市民の願いであろうから。

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200357日 商学部、国際文化学部、総合理学研究科(八景)の教授会決議は、実質的に学長「要望」文書の明確な否定であり、大学の長としてそのような「要望」しかまとめられなかった学長にたいする不信任、すなわち学長不信任の表明である。学長が大学のきちんとした意思を踏まえないで、「あり方懇」答申に無批判的に屈服した内容を「要望」として市長に出したことは、これで医学部を除く全学部の明確な決議で批判されたことになったわけである。その点を、総合理学研究科・佐藤真彦教授「続出する学長への実質的不信任決議」と明解に指摘している。このような学長批判・実質的不信任の全学的な高まりに対し、学長はどのような態度をとるのか? 

普通ならば辞任するほかないのではないかとおもわれるが。

一方に「あり方懇談会」答申をほぼ全面的に受け入れ実行しようとする確信と意思があり、他方で、それは大学の総意や到達点ではないことがはっきり各教授会の決議によって大学内外に明確にされ衆知徹底された場合、辞任しか道はないのではないか? 全学を代表すべき職務内容と自らの確信とが合致しない場合、どのような態度をとるのが誠実か? 普通なら、苦しすぎると思われるが。

市当局(市長)、市議会、市民、大学人は、学長のいうことを信頼できるか? その発言に重みはあるか? 学長発言が大学を代表していない勝手な個人的思い込み(独断専行)だとすれば、社会はどのように大学と学長を見るか? 今後学長発言は相手にされない、見向きもされなくなりはないか? 学長のリーダーシップはどうなるか? なくていいのか? 大学の尊厳はどうなるか?

それとも学長は明確な「確信」でもないものを、市長に対して「要望」したのか?[24] それならそれで、不見識きわまるといわれるのではないか? それこそ「あり方懇」答申に屈服したことを最終的に証明したことになるのではないか? 大学の長としての、大学の自主独立性の象徴・代表としての学長の権威は失墜してしまったのではないか?

長たるにふさわしくないものが長の職務にとどまりつづけることは、大学が直面している厳しい状況では許されないことではないか?

経済学科会や「市民の会」シンポジウム、「議論の広場」で提起されている「学長は即座に辞任すべきだ」、「もはや辞任しかありえない」という意見は、間違っているか?

このような主張は、「戦略」ぬきの単なる「情熱」の吐露にすぎないか?何としてでも学長にその職に留まるように引きとめる人々(が仮にいるとして)は、何を大学改革の「戦略」として考えているのか? それは大学のためではなく、その人々の単なる自己保身戦略でないはないか。そうでないことを願うが。

いずれにしろ、「あり方懇談会」答申を自分の意思として受け入れる学長の基本的態度と大学各教授会の意思とはちがうことを直視しなければならない。

 

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200356日 国立大学法人法案の審議は、早くも山場を迎えるという。国会は一体何を議論したというのだろうか? 意見広告への賛同呼びかけと審議の今後の予想など、以下に、コピーしておきたい。

 

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5月7日の文教委員会理事会で、今後の日程が決まります。
会期延長をせずに、今国会で「法案」の成立をはかるためには、5月20日前後の委員会採決、衆院通過が必要だそうです。
ですから、この時期に合わせて意見広告を出すことが、第一次のような大きな反響をもたらすものと考えます。

第一次では1300人を越す人々が賛同を下さいました。
詳しい会計の結果はまだ出ておりませんが、これは、平均二口として、「朝日新聞全国版」に7段の意見広告を出す費用をぎりぎりクリアできる数字です。
今回の二次呼びかけでは、未だ200人程度の賛同しか集まっておりません。
仮に600−700人程度の賛同者が得られれば、より購読者の少ない新聞の全国版に6・7段の意見広告を出すことが出来ます。
前回同様の掲載紙面を狙うためには、前回同様の賛同者が新たに必要です。

また単にお金のこととは別に、最低限の人数が集まらなければ、前回せっかく成功した意見広告の迫力も、不十分なものになってしまう恐れがあります。
この「トンデモ法案」を廃案にできなければ、これまでの努力も残念な結果に終わってしまいます。
直接に聞いてみると(もちろん一部の人だけですが)、「意見広告」のことを「知らない」という人が未だに多いことに驚きます。

どうか、賛同者の皆様。
ご自身でも新たに、あと1名の賛同者を意見広告の仲間に加えて下さい。
2000人、3000人の力が得られれば、国会も国大協も事柄を考え直さざるを得ないでしょう。
どうぞ、広範な人々に再度の呼びかけをお願い申しあげます。

以下は、今回の「呼びかけ文」です。
切り取ってご利用下さい。

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「国立大学法人法案」の廃案を求める「意見広告」への賛同の呼びかけ
        −法案を読もう 大学の未来へ想像力を−

 現在、国会に国立大学法人法(案)が提出され、既に審議が行われています。一方で、この法案に対する人々の関心は乏しく、大学人すらその例外ではないようです。この法案は国立大学のみならず、明日の日本の高等教育の在り方を決定する重要法案です。
政府は「国大協には十分説明した」「国立大学から異論が上がってこない」などと言って、今国会での早期の成立を意図しています。大学人・市民のみなさんにこの法案の危険な内容を知っていただき、法案の廃案を求める「意見広告」への賛同・参加をして下さいますよう呼びかけます。

 法案では、教育・研究の自由を奪い去り、官僚=国家の手による統制の意図が驚くほど明瞭です大学の教学に関わる方針(中期目標)は文科省によって定められ、その達成計画(中期計画)は、文科省の認可を受けなければなりません。
 また、学長の解任権限や監事の任命権までもが文部科学大臣に与えられています。しかも学長を選考する学長選考会議は、法案をよく読むと、学長に自分自身を含む次の学長を選考する権限が委ねられる循環的権力移行システムとなっています。これは、独裁国家の仕組みと同様です。
 
これまで教授会・評議会に残っていた意思決定権限が学長と役員会に奪われ、学問の自由を保障する大学の自治が根本からくつがえされてしまいます。一部の法人化推進論者が積極的に主張するような、トップダウン型の経営組織に変質しようとしているのです。
 法案には、国立大学法人の長期債務や債権の発行が明記されています。役員会や経営評議会に産業界・官僚出身の学外者が入ることをあわせれば、大学は国策的な営利研究を進める「トップダウン型」の企業体になりかねません。
 国の政策と経営効率主眼に大学が運営されれば、基礎的な科学研究や人文・社会科学は切り捨てられ、政府や産業界の要請に教育や研究が従属させられてしまいます。法案は日本の学問・文化に百年の禍根をもたらすものと、私たちは考えます。 
 もちろん、教職員の同意無しの非公務員化は、教職員の基本的人権の侵害でもあります。

 以上のことから私たちは、「学問の自由」を守ることを規定した日本国憲法23条と、「教育への不当な支配」からの自由を保障した教育基本法10条に違反する「国立大学法人法案」を、ただちに廃案にすることを求めます。

******
「意見広告、第二次」の実際

@
「意見広告」は、5月下旬をめどに新聞全国版の掲載を予定しています。
実際の掲載紙、日付は、国会などの情勢、賛同者の状況を配慮して、「呼びかけ人」の方で決定させていただきます。ご賛同の方々には事前に連絡いたします。
A
第二次の募集の締め切りは、5月10日(土)と致します。10日までに到着した賛同者の氏名を全国紙紙面に掲載します。
B
賛同者全員の氏名を、所属機関名略記とともに掲載する方針です。賛同者で匿名を希望される方は、その旨をお伝え下さい。特に希望の有無が記されていない場合は、「掲載」として処理します。機関名を示さないことも可能です。その場合は機関名を記さないで下さい。
C
「機関名」は、「法案」についての当事者性を持ったものを掲載いたします。
D
1口5000円としますが、意見広告の費用は極めて高いので、2口以上の協力を期待いたします。定職の無い方(非常勤を含む)は、その由お記し下さい。少額(千円単位)で結構です。
E
氏名掲載を問題にしない1口千円のカンパ賛同人も募集いたします。もちろん賛同人として数えられます。1口単位でどうぞお加わり下さい。連絡を差し上げる関係上、連絡先はご明記下さい。
F
団体によるご賛同は、団体そのものとしては取り扱えません。代表者などの形でお願いいたします。
G
情勢に変化が生じた場合の扱いは、「呼びかけ人」に御一任下さい。
H
呼びかけ人への参加を希望する方はその旨ご連絡下さい。

*賛同者は以下の記載事項を書いて、メールかFAXで送って下さい。名簿作成上、氏名は漢字・ひらがな両方が必要です。

賛同者記載事項
 氏名     「漢字」  
 氏名     「ひらがな」  
 所属機関   「無し」でも結構です。「名誉・元」など無差別に掲載します。
 連絡先住所  
 醵金の口数  「何口」または「何千円」
 氏名掲載の希望  有  無  カンパ賛同

メールの宛先   houjinka@magellan.c.u-tokyo.ac.jp
        campaign@sbp.fp.a.u-tokyo.ac.jp
        信頼性を考慮し、上の2箇所に登録メールをお送り下さい。
FAXの宛先  03−3813−1565 電話兼用

*送金は 郵便振替口座 『「法人法案」事務局』  00190−9−702697へお願いします。カンパも歓迎いたします。
*メール宛先で事故が生じた場合などは、連絡欄に必要事項を記入して、郵便振替口座をご利用下さい。

以上についてのお問い合わせは
  メール  qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp
  電話   03−3813−1565 FAXと同じ

*出来るだけ多くの方の「意思」が表明される機会が与えられるよう、この呼び掛けに賛成の方も、反対の方も、保留の方も、重複をいとわず、このメールを知人やグループ、学会などに御回送下されば、有り難く存じます。また、ホームページは次の通りです。
  http://www.geocities.jp/houjinka/

以下は、「意見広告」の掲載「文案」です。数字のすぐ後が「見出し」となります。
*****

1 大学が官僚=国の統制下におかれ、学問の自由がそこなわれます。「法案」は国立大学の「独立」「民営化」とは、全く関係がありません。

 国会で審議中の「国立大学法人法案」では、各大学の教育・研究をはじめとした一切の目標(中期目標)が、「文部科学大臣が定める」ものとされています。各大学の自主性・独立性は全く認められていません。こんなことは、戦前にもなかったことでした。
また法案では、その目標を達成するための措置・予算などのプラン(中期計画)も、文部科学省の「認可」事項となっています。「国立大学法人法案」は、中央省庁の「許認可権」をできるだけ縮小しようとする行財政改革の本来の理念に、全く逆行する法案です。

2 大学が高級官僚の天下り先となり、構造的腐敗の温床になりかねません。

 法案によれば、国立大学などに全国で500名を越す「理事・監事」などの「役員」が、新たに生まれます。この人達の給与に教育・研究に必要な費用が回されて、結局国民の税金(「法人」への「交付金」)が使われます。しかも、決定権や認可権を中央省庁に握られた各大学は、いわゆる「中央との太いパイプ」を求めて、あたかも特殊法人のように、学長を含めた理事などに天下り高級官僚を迎え始めるに違いありません。こんな仕組みが、どうして国立大学の改革になるのでしょうか。

3 学長の独裁をチェックする仕組みがありません。

 法案では、大学の学長の権限が強大です。その学長は、各国立大学法人の内部の「学長選考委員会」が選考します。ところが、この「学長選考委員会」の委員の過半を、学長が決定することが可能です。つまり学長は、自分を含めた次の学長を決定することができるのです。これは独裁国家の仕組みと同じことではないでしょうか。仮に学長が問題を引き起こしたとしても、大学自身がそれをチェックすることはできません。

4 大学の財政基盤が不安定となり、授業料の大幅な値上げがもたらされます。

 財政基盤が不安定なまま、授業料などが各大学でまちまちになってしまいます。特に理科系の学部・学科を中心に、学生納付金(授業料・施設費など)の大幅な値上げが予想されます。財政基盤の弱い大学では、特にそのことが顕著に現れます。今の国立大学の比較的低廉な学費が高騰したら、「教育の機会均等」の理念は一体どこへ行ってしまうでしょ

5 お金儲け目当ての研究が優先され、基礎的科学、人文社会科学の研究が切り捨てられてしまいます

 学問・研究の成果は、長い目で見てゆくしか判断の出来ない性格を持っています。法案が定める「経営協議会」や「役員会」がトップダウン(上からの命令)で目前の成果をあおっても、真の成果は期待できないのです。また、現在の日本の学問・研究の水準は悪条件の下(大学関連予算は欧米諸国のGNP比の半分程度)にあっても、決して諸外国に見劣りするものではありません。一部のプロジェクト研究にばかり予算をそそぎ込もうとする法案の考え方は、日本の学問・文化に百年の禍根を残します。
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大学「改革」構想に関する田中正司名誉教授のご提案に対する応答として、一楽教授は、理念や目的のはっきりしない改革・改造案(一楽先生は学内の構想にしても、たとえば将来構想委員会の「学府-院」構想は理念や目的が見えないと批判的である)をこねくり回すよりは、市民との連携を深め発展させる方途をこそ模索すべきであるとして「市民科学センター」構想を提案しておられる。その内実をどのようなものにしていくか、大変な作業も予想されるが、いずれにしろ、ひとつの貴重な建設的提案だと思われる。

 

「市民の会」の有志からは、東北大学の「未来科学技術開発センター」構想が紹介されている(いずれ公開されるだろう)。その場合、注意すべきは、この東北大学のセンターの創設に当っては、きちんと人的予算的裏づけが用意されているということである。

本学のこれまでの「改革」構想は、予算削減・人員削減を目的(暗黙の打ちに含意?)とし、新たな提案の財政的裏づけがないことが特徴であり、何か新しいことをすれば負担だけが増えるという悪循環の構造がある。その点をきちんと改善しないと、改革は名ばかりで、「改革」の名前を借りた「改悪」・「縮小均衡」策、ということになろう。発展の景気をどのように改革案に盛りこむか、その構想力・理念、それらと市民との相互関係が問題になろう。

  

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200352日 「市民の会」HPを読んで、メールで下記のような意見と情報が寄せられた。大学設立・維持・発展の主体である市民の意思こそ、最終的に改革の方向を決めていく。市民が大学に何を望み、何を期待しているか、いかなる方向での大学の発展を求めているか、これをしっかり把握する必要があろう。

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市民の会HP拝見致しました。

学内でもやっとこういう動きが出てきて、今後の動向がとても気になるところです。

さて、下記のメールは市大のOBの印刷会社の方のものです。

市民の会を広めるために、ポスターを作りたいのですが、予算的にも苦しいので、だめもとで見積もりメールをしたところ、ご協力していただけることになりました。

工場長さんが市大商学部のOBとのことで、「これは金の問題じゃない」といって、金銭面でもかなりお安くしていただけそうです。毎日徐々に活動の輪が広がっていることを実感しております。

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市大の医学部、八景キャンパスとは、かれこれ10年以上もまえからお付き合いがあります。
会社も金沢区にあり、私自身も六浦に住んでいる関係上 今回の市大の問題は私も他人事とは思えません。教育・文化、地域の活性化・発展等考えなければならない事があると思います。

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本日の新聞ニュース(『朝日新聞』朝刊)[25]によれば、市当局は、今年度中に市大の改革案を纏め上げるために、市民へのアンケート費なども含め、1500万円の予算で各種調査を行うとか。まさにそのような市民意思の調査も、市民のための市民による大学改革を前進させるために必要不可欠なことであろう[26]

大学の設立主体・維持主体・貢献と享受の主体である市民によって4年の任期で選ばれた行政当局最高責任者(市長)がそのような市民の声にも直接耳を傾ける態度を示したことは、当問題に即しての民主主義実現の前進的姿勢であり、「民の力」を主張する市長としてまっとうなことである[27]。と同時に、大学改革をどうするか、その具体的問題で市民に政策を提示して当選したわけではないから、今回の措置は、必要不可欠な手続き・手順であったといわなければならない。

インターネット社会であるだけに、すでに市民レファレンダムを行ってはどうかという提案もあり、市民意思の確認のためには現代的な最先端の方法・手段を使ってベストをつくす必要があろう。

すでに小林貞雄さんのような市民からの具体的な提案もあり、「市民の会」に結集した市民・卒業生・在校生・将来の進学希望者・そして本学名誉教授や「大学人の会」からの多様で質の高い声は、市民意思の明確化、市民の求める大学像を練り上げていく上では、重要なベクトルを構成するものとなろう。今後の創造的な(現状を乗り越えていく建設的批判の)運動のいっそうの発展が期待される。

 

大学改革の主体であり担い手は、なんといっても大学の構成員であり、そのひとつの中心が教授会であることはいうまでもない。とりわけ、研究教育体制こそは、まさに大学教員がその主体的な担い手である。学則規定の評議会審議事項をみるまでもない。したがって、その主体的担い手を無視した学長の49日付の「要望」なる文書は、学内外の厳しい批判の的となっている。

昨日は国際文化学部も決議を採択した。

正式な決議文(52AM11:02のメールで入手)はリンク文書(および下記コピー)をみられたいが、決議に至る経過は以下のようだった。

「市民の会」議論の広場で公開された学長への説明要求(全学説明集会要求:投稿NO.210:投稿者・理学部一楽教授)に賛同したものに送られた情報(52AM09:04メールで入手)である。

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「一楽先生の提起された学長説明会開催要求に賛同された皆様へ
昨日、国際文化学部の臨時教授会がありました。
議事は、4月9日付けで出された学長の「あり方懇答申への要望」という文書についてだけを議するという異例のものでした。
 学長への批判的文書を出すと学内に意思決定能力がないとみなされてかえって市からの介入を招く結果になるのではないか[28]という意見もありました。
 しかし、黙っていては学長が出した文書がわれわれの意思であるかのように受け止められることになるから、少なくともそうではないということを明確に示し、同時に学部として改革案作成にいそしむという意思を表明するという形になりました。また学長に対して全学に改革方針を説明するよう要請もしました。
 途中、浮田さんから商学部でも決議がなされたという情報提供があり、これに励まされて一気に決議にまで行けたようにも思います」と。

学長の独断専行を批判し、大学らしい主体的な改革を練り上げていこうとする点で、国際文化学部と商学部の間には相互支援・連帯関係の発展があったのだ。「市民の会」に結集している国際文化の黒川学部長が問題の緊急性と重要性に鑑み、臨時教授会を自らの意思で召集し、連休の谷間であるにもかかわらず、教授会がこれを受けて、こうした決議を出すまで審議されたことを心からうれしく思う。学部長のこのような民主的意思確認・意思決定のやり方こそは、大学の総力を結集する上で一番必要なことだろう。

敬意を表し、煩を厭わず、正式決議文を以下にコピーしておこう。

 

-----200351-国際文化学部・臨時教授会決議-----------

平成15年5月1日

 

横浜市立大学国際文化学部教授会決議

 

1 学長が市に対して提出した「あり方懇答申に対する要望」(H1549付けの文書)は、本学全体が進むべき改革方向を示したものでなく、また国際文化学部の意見を反映したものとは考えられない。またこの文書は、評議会で正式に配られ、承認されたわけではなく、教授会で確認された文書でもなく、大学の意見をとりまとめた上で作成された文書とは認められない。

2 「あり方懇答申」とこれまで大学内の将来構想委員会などで検討された改革案を再検討し、学内の意見を集約して具体的な改革案を策定する委員会を立ち上げ、評議会で承認を得るよう学長に要望する。

3 学長は責任を持って全教員・職員・学生(院生)に対して、大学改革の基本方針について直接説明することを要請する。

 

尚、国際文化学部としてはこれまでに検討してきた中期計画等を中心として改革を具体的に進めるよう努力することを表明する。

 

なおまた、「市民の会」「議論の広場」に新しく投稿された佐藤真彦教授のご報告No.216)では、49日付学長「要望」書、すなわち、

“怪文書”の内容・手続きの容認し難いことに関しては,5月1日の研究科委員会においても批判・非難が続出・噴出した.その結果,出席教員38名中34名という圧倒的多数の賛同を得て,学長に対する“要望”が決議され,本日(5月2日)学長に伝達されることになった.決議(“要望”)の内容については,近日中に公表されるはずである.」とのことである。

 

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200351(夕方) 定例教授会が終わった。やはり一番の問題は、大学改革問題であった。1.あり方懇談会答申に対する学長の要望は、教授会、評議会等全学の公式機関で審議されたものではないこと、したがって本質的な意味で大学の見解ではないこと、その意味で大学見解ではないことを教授会で確認した。2.大学の主体的な改革案は、商学部もイニシアティブをもって纏め上げていくべきものであり、その決意を確認した。

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200351日 昨日三〇日付で、学長が、大学改革検討委員会を結成し、510日をめどに大学改革の本学の到達点をまとめることにしたという。このようなことこそ、やるべきであったし、本学の発展の歴史とこれまで将来構想委員会等で積み上げられてきた議論の到達点を総括しておくことは、大学の主体性を確立し、大学内外に示す上で、いちばん重要なことである。主体性のない大学など大学ではありえないからである。本学の歴史(発展と改革の歴史)と最近数年の改革検討の到達点をどのように纏め上げるか、これが問われている。

 

理念の提示もない3学部統合・国際教養学部案というようなこの間の改革案の浮上に対し憂慮を深めた商学部名誉教授・田中正司先生から、「商学部の教員の皆様へ」という手書きの訴えをいただいた。国際文化学部や理学部、医学部の教員・学生諸君、そして卒業生にも紹介しておきたく、以下に抜粋しておこう。

「リベラル・アーツとか教養に反対なのではありません。現代の日本に一番欠けているのは教養で、深い教養こそ学問の極地であるとも存じます」としたうえで、無理念的な3学部統合を問題にする。すなわち、つづいて、「しかし、教養は高度の個別専門研究に裏づけられてはじめて身につき、学生にも伝達可能になるもので、人文も社会も自然も何でもありの一般教育では分業社会では存在理由をもちえない文字通りの一般教養になりさがってしまうのではないでしょうか」と。

研究軽視・研究費原則 廃止の「あり方懇」答申への批判がにじみ出ていると感じる。

 

また、「東大の『教養学部』がそれなりに成功し、多数のすぐれた人材を輩出しているのは、多くの専門学部が存在するという前提の下で、それらのいずれでもない、経済でも文学でも自然科学でもない独自の新しい世界の構築を目指しているからだと思います」と。

「そうした前提と裏付けのないpractical liberal arts=教養単一学部構想には、現代世界の直面している課題に応答しようとする理念も哲学も感じられないというのは言い過ぎでしょうか。」つづけて、

「人と人との交流は、ものの交流(commerce, Verkehr)に媒介され、文化の交流を招きます。それが人類の歴史であり、その阻害・撹乱・r対立・衝突要因を取り除き、交流を促進することが現代世界の直面している最大の課題の一つかと存じます。市大の人文・社会系もそうした問題を綜合的に研究する『国際交流学部』にしたら、別表のような形で、商学部と国際文化学部はすべてすんなり入るだけでなく、その一部を構成する「国際地政学科」では環境問題なども主題になるので、理学部の一部スタッフの参加も期待出きるのではないかと考えます。こうした理念に基づく学部構想こそ、国際港都ヨコハマに最もふさわしい大学として市民や学生の期待にもこたえられる道ではないでしょうか。」

 

わたしは、このような理念の提示と学部構想の提示は、一つの見識を示すものであり、学内でこれまで打ち出されてきた諸構想とつき合わせ、重ね合わせて検討に値するものだと思う。

 

「理学部のことは私にはわかりませんが、市大の理学部の特色を生かした『生命科学科』として医学部と合体し、医学を生命科学と一体的に研究することになれば、これまでの医学の通年を超える独自の存在流が生まれるのではないでしょうか」と、理学部と医学部の合体もその再編構想で提言されている。

 

市民の大学としてどのような大学再編がありうるのか、同じく名誉教授の浅野先生が提案されているように、「セカンド・オピニオン」の募集、市民主体の「もう一つのあり方懇談会」を提案されていることと相通ずるところがある。さらにつづいて、

「公立大学には大学行政のプロが存在せず、財政上の問題に直面する場合が多いのが実態です。教員にも、私学や一流国立のような厳しさに欠ける面があります。市大もその例外ではないと考えます。

しかし、全日本的な教育の崩壊の危機、厳しい大学再編成の波のなかで、今こそマイナスをプラスに転じる逆転の発想をすることによって、公立大学にこそ市民が自分たちの『大学』を持つことを誇りに思うような知的欲求充足とリフレッシュの場を一般市民や小中高教員や市職員に提供する道が開かれている事実に注目する必要があるのではないでしょうか」と。

「大学に日本の教育と現代世界の直面している課題に応える理念と哲学があれば、設置者を説得できるはずです。中田市長はそうしたアピールなら即座にアクセプトするだけの見識を持った、先進自治体の首長だと思います。」

OBとしては出すぎた行為かと存じますが、多数のすぐれた卒業生を輩出し、多くの一流の研究者を擁していた市大の転落を危惧する気持は卒業生や教員OBに共通すると考えますので、名ばかりの名誉教授でしかない人間としての分限をわきまえぬ介入的な態度表明であるとの御批判を覚悟の上で、ひとつのご参考までに私見を述べさせていただいた次第です」と。

このような建設的提案こそ、各方面から出してもらい、大学のこれまでの検討結果とすり合わせ、もみ合わせて、ベストの改革案を創出していくべきであろう。

 

田中先生の付表「A(2学部案)

(1)国際交流学部

   国際経済学科

   国際経営学科

   国際文化学科

   国際地政学科

   international commerce school

(2)医学部

            既存学科

            生命科学科

            medical school 

               

                    B(3学部案)

(1) 国際交流学部

(2) 理学部

(3) 医学部」 

 

 



[1] 正確には、60年史をまとめた諸先生からの発言を期待したいが(われわれが60年史を読みなおしてみるべきだが)、医学部も大学の学部として成立する当初は、医学部生も商学部に入学し、商学部に設置された教養課程で学んだということである。

 これは、前々学長の梅田先生ご自身が何かの折に、「自分は新制大学として発足した商学部の教養課程に入りました」といった意味のことを話されていた記憶にもとづく。商学部に次いで医学部が創設され、専門課程は医学部で学んだ、ということなのだろう。

 また、商学部をプラクティカルな学部とする位置づけがあるが、それは一面的で、そもそもの新制大学発足時から、教養的諸科目は商学部のなかにあり、医学部や文理学部がで発展的に誕生した後も、教養関係のスタッフが商学部には一貫して所属していたし、現在もその数は決して少なくはない。

 大学の発展のなかで、商学部には経済・経営学科ができ、その両学科の中に社会学、法律学、国際社会などのコースもできてきたわけで、商学部がある意味ではリベラル・アーツ系諸科目・諸担当者を擁して、すでに相当に総合的な学部になっているという側面もある。

 少なくともこの十年以上の商学部の売り文句は、看板の「商」からイメージする単純な実務系学部ではなく、総合性であった。この歴史をどう生かすか、ということが大切な論点となろう。

 

 

[2] 「ミル」の訳語としては、文脈上、「工場」がいいのではなかろうか?

 大量生産の非学問的・非大学的な「学位証書」発行工場、と言った批判的意味合いだろうからである。

 

[3] このような「最高」も、よしとするのか?

 

[4] この「世界最高」を、よしとするのか?

 

[5] この「最低」を、よしとするのか?

 

[6] この記事を見た方が、大学HPから当該文書を探したがわからなかったと連絡をくださった。実は、「事務局から」のページを丁寧に見ている人がいて、雑談のときに批判的コメントとともに教えてくれたのである。「事務局から」のページをひらき、下から二番目に「学内専用情報」があることを確認されたい。

 

[7] 例えば、最近の事例として、成蹊大学に関するものなど沢山のものが、全国誰からでも見ることができるようになっている。このオープンな態度こそ、市民とともに大学を発展させようとする場合、大切になる。情報開示なしに、市民との協力による発展はありえない。

これに関連し、一般に、大学ホームページの作成(構成)は誰の責任によるものか?

掲載記事の内容と構成、そうしたことに関する責任は、誰が負っているのか?

これに関して、学内からはいま各種の批判が巻き起こりつつある。大学ホームページは、あたかも事務局のHPであるかのようである。

今後、適宜、大学としてのあるべき広報活動とその管理責任・文章責任などに関しても、問題化するであろう。大学の方針(評議会を再こう決議機関とする大学の方針決定)と大学事務局の方針との相互関係はどうなるか? 

 

[8] この外部評価と教員各人の仕事との関連は、教員プロフィールの情報http://www.yokohama-cu.ac.jp/profile/profile_top.html と照合する必要がある。

 

[9] この日誌を書いた後、久しぶりに復活した「議論の広場」「井戸端」を見にいったら、ほとんど同じような意見がすでにいくつも投稿されていた。「有力」3教授の態度(あり方懇答申)に関する疑問・疑念・批判は、ほぼ共通しているようである。

 

[10] また、あり方懇談会答申と自分たちの改革構想は「大筋で」一致しているという。

 「大筋」とは抽象的である。

問題は、その具体的な内容である。

 3学部統合については?

 プラクティカル・リベラルアーツの概念については?

 それが本学の発展史の上でいかなる意味を持つ科の説明は?

 今回の教授たちは、文理学部の分離、理学部の創設を推進してきた中心人物ではないのか? とすれば、自分たちのやってきたことと今回の再統合をどのように社会に対して説明するのか?

 つまり、理学部の創設は誤りだった、成功しなかった、ということか? 理学部存続のこの一〇年間は何だったのか?

 

 

 

[11]                 平成15年5月2日
小川惠一学長殿
                    商学部長 川内克忠

 平成15年5月1日商学部教授会において、以下の事項を確認し学長に申し入れることを決議いたしましたのでご通知申し上げます。

1.学長による「あり方懇答申に対する要望」(平成15念4月9日)は、評議会および教授会の議を経ていないことを確認する。

2.将来構想委員会答申案中間報告、各部局から提出された中期目標・中期計画等を踏まえ、早急に全学の意見を取りまとめ、大学の改革案を作成し、市当局に提示するよう学長に要望する。
                      以上

 

[12] 横浜市立大学学長、小川恵一様

 横浜市立大学学長小川恵一氏は、市長からの諮問に応じ、さる4月9日に「あり方懇答申に対する要望」を提出した。この「要望」に記された内容は以下に述べる理由で、容認しがたいものである。


1.「要望」に述べられている内容は「あり方懇談会」の答申の路線をそのまま無批判に追認しているものであり、学問の府としての大学のあり方を充分考慮したものになっていない。
2・横浜市立大学が市民に貢献する大学であるためには、大学内部の議論も踏まえて意見を表明するべきである。
本学では、今まで「将来構想委員会」等の全学委員会や各部局で真摯な議論を重ねてきたが、今回の「要望」には、これらの議論の成果は反映されていない。


本研究科委員会としては、大学改革の基本方針について学長が全学に対して誠実に説明されると同時に、今後の評議会等における議論において、今まで本学内部で積重ねられてきた議論の結果も十分考慮されるよう強く要望する。

平成15年5月1日

総合理学研究科八景研究科委員会

 

 

[13] そんなに急いで9月までに後世から見れば「珍奇」としか写らないような「学部」などを無理に作り出すことになるとすれば、それは拙速な・失敗の「改革」ということになるのではないか、その点を私は危惧する。

 文理学部を国際文化学部と理学部に分けて10年に満たない時点で、3学部統合ということは真剣に考え抜いた熟した構想なのか? 私が国際文化の人から聞いたところでは、学部統合はそんなに議論されていないという。大学院の統合なり相互交流なりはけんとうかだいになっているとのことである。

わけもわからずがむしゃらに外部から押し付けられ、駆りたてられた改革構想ではないのか? この間の経緯からすれば、そのように見える。

学長「要望」などを読んでも、内発的論理、改革の内発性が見えてこないのである。その説明がないのである。将来構想委員会などの議論は相当な時間をかけて議論したとされる。それならば、説得力のある理念をぜひ示してほしい。

 

3学部統合はありうる構想のひとつではあっても、それは十分に時間をかけ検討を重ねて、その本当の必要性を全学的に認識して、実行に移すべきような改革ではないのか? (ただ、「慎重に」「根本的に」検討が必要だとばかり主張すると、まったくの改革反対論者・超保守主義者の論法と同じではないかとの後批判もありそうである。)

 その点で、「9月末までに」という期限を切った枠内での改革には、3学部統合はなじまないのではないか、と考える。政治主義的外在的改革が大学を破壊していいのか、危惧する。

すくなくとも、「有力」3教授は、3学部統合を説得的に説明することをやってきたのか?今後有志を集めてそれをやっていくということが記者会見の意味なのであろう。とすれば、十分な説得力を持った見解の公開を期待したい。実現すべきはすばらしい大学の構築だから。

 

[14] 各学部の受験生は相当な倍率であり、横浜市大の研究教育の実績が社会から評価されているということは認めてもいいのではないか? 

 大学内部で議論されてきたことはたくさんあり、文科系大学院の定員充足率の関係から、特に大学院の充実をどのようにすればいいかということがこの間一番の議論となった。それなりに着実に前進している。

 

[15] 改革を考えるといっても、この数年以上、予算削減の話ばかりで、予算措置の伴うような前向きの改革を議論することは最初から否定されていたというのが現実ではないか?

 そのような予算制約に関しては、学長・学部長もどうしようもない。また大学事務局も同じである。

 大胆な「改革」を求めるというのは、新市長になってから出てきた方針である、というのが実際ではないか? 「権限がない」こととは関係ないと思われる。

 「権限がなく」ても、文理学部を改組し、また経済研究科に博士課程を創った。

 また、大学に権限がなくても、市当局がその気になれば、国と連携して鶴見に新キャンパスを作った。

 大学改革は、その意味では市当局の態度が非常に大きなウエイトを持つ。

 中田市長が発したメッセージ、大学改革推進本部の設置で、市当局の大学に対する関心が高まり、積極的態度が明確になったわけで、大学人が評議会、大学改革検討委員会等で議論することも空論に終わらない条件がやっとできたということだろう。

 外から見て議論だけしているように見えたかもしれないが、内部から見ても、市当局・その意向を直接反映する大学事務局が積極的でない場合、「空しい議論ばかり続く」という無力感を持っていた教員は多い。

 

[16] 「結論を出す」ためには、予算措置その他の条件が必要であり、市当局とその意を受けた大学事務局に、予算措置に関する積極的態度がなかったことも事実ではないか?

 

[17] 「大胆な改革案」などを求める雰囲気は、新市長になって、しかも、昨年秋以降のことである。

 昨年秋からの半年、そしてこれからの数ヶ月で、本当に立派な市民の視点に立った改革構想が出きるのか? 拙速ではないか? 「大胆」ではあっても、問題の多い改革、派手なだけの改革構想とならなければいいのだが。

 すばらしい案が出きればもちろん、それは全学の支持を得ることになろう。

 すばらしい案であるためには、自由活発な議論が必要だろう。たくさんの批判的意見を克服した構想のみが、すばらしい案となろう。

 議論の進め方が、そのような自由闊達なものとなるかどうか、これが問題である。

 その点では、「批判ばかりしていて先に進まない」という市長の表現には、危惧を持つ。

 「先に進まない」ことの原因を「批判」においているからである。

 「先に進まない」理由は、そんなに簡単なことではない。

 たとえば、評議会の審議事項のひとつに「予算見積もりに関すること」があるが、経営問題、予算問題を評議会で審議したことが一度もなかったという歴史をどのように見るのか?

 大学人から「経営」に対する責任感や能力を剥奪してきたのは、これまでの市当局、そのいを受けた大学首脳部、その以降に従う大学の態度ではなかったのか?

 責任もなく、審議件もないことに、真剣になれるのか?

 

[18] 「独立行政法人化」は、一面では時代の趨勢であるが、現状では大学法人に関してきちんと議論が煮詰まっているわけではない。

 先行する国立大学法人法案でも様々の問題点が史的されている。そのような問題点をきちんとクリアしていって、本当に必要で妥当な大学らしい(大学の使命を果たす上でしっかりした)法人化をこそ実現していくべきであろう。

 そのような前提諸条件がない、というのが現実である。

 単なる行政改革の線上で出てきた法人化であるところに、相当な問題がある。

 

[19] 市長は民主党議員だったわけだが、民主党も現在の国立大学法人法案に対して修正案なりを出そうとしている。民主党議員にも強い反対論がある。市長の言うように主観的な意図としては「前進」だが、その制度設計において、大学の自治や学問の自由、基礎学問軽視などにおちいるたくさんの問題がある、ということが明らかになっている。

 立法の趣旨と実際の法律条文と、その現実の適用において、大学の自治や学問の自由が奪われるという危険が、各方面から指摘されている。

 そのような多様な批判に目を配りつつ、法案自体を改善する、練りなおして新しく提出するということもありうる。

 問答無用の態度は、「民主」的ではない。

 

[20] これはあってはならないことである。大学の自治の原則は憲法的原則であり、それを地方公共団体の長が犯していいということにはならない。

 

 

[21] 「それはない」というのは、法律条文をつぶさに検討していえることだが、個々では短に断定となっているだけである。

 以前この日誌でも紹介したようにある民主党議員が、この法案を批判しているが、それ似ついては市長はどのように見ているのか?

 

[22] 「市長の期待」は、市民の期待の最大限の集約としてのかぎりで、またその程度に応じて重みがある。学長のスタンスは、このメッセージに見られるように、いまだ市民の地平には立っていない。大学人と市民の深い期待・希望をつかみ、そこに依拠しない限り、浅薄な改革に終わるだろう。目線は「市長」の顔にではなく、市民総体の顔に注がれなければならないだろう。市民の声を聞こうとしない態度、市民のなかに積極的に入っていこうとしないこの間の学長の態度で、それが実現出きるか、危惧される。

 「独立行政法人化」は、果たして市民の期待に添うものなのか?どこで検討したのか?

 法案もつい最近できたばかりという段階だが、どこでそのことを確認したか? 

法案に対するきちんとした検討抜きで軽軽に物語ることは、責任ある自立的な大学人の態度か? 

 

 

[23] 財政的発想・経費削減しか念頭にないそのような縮小・矮小化案には誰も魅力を感じないだろう。市民の希望と対応する大学人がやる気を起こすような発展的改革構想こそ求められている。

 

[24] 一部には、姑息な言い逃れをもてあそぶむきもある。そのような人の発言は、発言を続ければ続けるほど、馬脚が現われる。文は人なり。恐ろしい。しかし、事実だろう。他山の石としなければならない。

 

○他山の石以て玉を攻(おさ)むべし

[詩経小雅、鶴鳴](よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨く役には立つという意から) 自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 

[25] この報道記事は、相変わらず、問題的表現を使っており、教員組合はこれに抗議した。

 

-----抗議文------ 

朝日新聞社広報部殿

 

貴紙200352日付け記事「市、年度内に市大改革」は「多額の累積負債を抱える横浜市立大学について、市は今年度中に『大学改革中期プラン』をまとめる方針を決めた」と報じております。しかし、このような表現では、横浜市立大学が赤字を抱え込んでいると誤解されてしまいます。その実態は正確には横浜市がおもに大学病院建設や医療関連設備の整備のために市債を発行した残高が1140億円となっていることをさしています。病院や関連諸施設は横浜市民の貴重な資産となっているものです。したがって、この資産の存在を考慮するならば、横浜市立大学が赤字を抱え込んでいるかのような誤解を与える表現は慎重に回避されるべき性格のものです。

  また、記事は「『あり方懇談会』の検討結果」として「一般会計から毎年約240億円を繰り入れている」と報じていますが、教育が営利的な営みではないことにわずかでも想到するならばこのような安易な表現は避けられたものと思います。大学運営における「設置者負担主義」が法律上明記され(学校教育法第5条)、すべての国公立大学で国や地方公共団体の繰入金が計上されていることは言うまでもありません。

去る227日、横浜市長の諮問機関「市大の今後のあり方懇談会」が、市大が1140億円の累積負債を抱えているので、廃校をも選択肢のひとつとして残しつつ、事実上の縮小改編を求める答申を出しております。当事者を排除して学外者のみで構成された「あり方懇」がその見解を大学に強要することは、「教育は不当な支配に服することなく」と定めた、教育基本法第10条に抵触する恐れがあります。しかも、「あり方懇」が市大自体が作り出した高額の赤字という誤った認識を前提として論じていることは極めて操作的であり、重大な疑義を感じます。

横浜市立大学をめぐるこうした状況に鑑み、今回の上記報道は、世論形成において甚大な否定的影響を与えるものです。上記報道は、社会の公器との認識に立って、関係各方面への事前調査が行われれば回避しえた性格のものです。以上の申し入れに関して、横浜市立大学教員組合まで文書でご回答ください。

200352

                       横浜市立大学教員組合

 

[26] この一節を引用し、市の行うアンケート調査などは、大学解体(縮小再編)に利用されるだけ、という意見が「井戸端」に投稿されていた。アンケートを実施する主体の問題意識と課題意識によっては、まさにそのようなアンケート質問項目となり、結論もそれに応じてある程度決まってくるであろう。

新自由主義路線による大学・大学病院・教育へのしわ寄せ(予算削減・縮小再編)の政策に対して、どのように対決していくべきか、どのように大学の歴史と論理を対置していくべきか、が問われている。

1.    市の行うアンケートについては、まさに質問項目などが問題になろう。「あり方懇談会」の委員の選び方一つ見ても、結論先にありきであり、大学の問題をきちんと検討したうえでしかるべき識者に建設的意見を聞くというものではない。

2.    アンケートが操作的意図的であることは十分ありうる。その場合には、1140億円の「赤字」とか「累積負債」の意味合いについて行ったと同じように、きちんと「市民の会」などをつうじて批判し、適正な理解を市民、市議会につくり出していく必要があろう。

3.    もしもアンケート調査が、その質問項目などで、結論先にありきのものであるなら、その問題点をこそきちんと明かにすべきだろう。これまでの市民の会やその他の大学人の行動は、まさに「あり方懇談会」の問題性の批判的解明であった。

4.    そのような批判的解明にもかかわらず、相変わらず結論先にありき、ということなら、それこそどうしようもないのではないか? 

5.    適正な状況認識、すぐれた状況認識であれば、何をすべきなのか? 建設的提案を期待したい。

 

-----

> 市民へのアンケート費なども含め、
> 1500
万円の予算で各種調査を行うとか。
>
まさにそのような市民意思の調査も、
>
市民のための市民による大学改革を
>
前進させるために必要不可欠なことであろう。

なんか、状況認識ができていないようだ。
「1140億円の市債によって維持された
大学はあなたどう思いますか?」
という質問に対して、素朴な市民なら
「そんな大学はいらないよ」と
答えるに決まっているじゃないか。

あり懇に翻弄され、
この大学はいかに危険な状態にあるか、
わからないのかね。

 

[27] 大学の縮小解体を先に決めておき、それに都合のいいような民意聴取(アンケート調査)であれば(そのように危惧する人がいる)、それはきちんとアンケート項目批判によって、明らかにしなければならない。

 このようなアンケート調査・市民意識調査を行わざるを得なくなったこと自体は、「市民の会」のような運動が、「あり方懇」路線を批判し、大学関係者や市民の意識や希望、要望をなんら調べないで出された「あり方懇」答申だ、という批判が当っていたからではないのか?

 

[28] 沈黙・無批判的受容を正当化するさいによく使われる論理。

 学長文書の非民主性を明確にすることは、民主的意思形成の必要性と能力と責任を内外に示すことになる。

 学長「要望」への沈黙とその無批判的受容(沈黙はその証拠となる)は、まさに民主的意思形成の必要性・能力・努力・責任を不問に付すものである。

 

ただし、学長批判文書を出すべきかどうかに関する議論で、「介入を招く」という発言を行った人からのメールによれば、発言の趣旨は、「沈黙・無批判を正当化する」ものではなかった、「学長個人に対する批判をするだけではなく、建設的な対案を提出すべきだとの主旨」だったとの趣旨だったということです。

 「建設的な対案」を作っていくためには、大学の意思と市当局の意思とのすり合わせが必要になってくる。「大学の意思」がなにか、はっきりしないと、建設はできない。