200381日―815日の日誌

 

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2003815(2) 教員組合藤山先生から、市大の4労働組合が共同で学長に対して行った申し入れの情報[1]、その要望書を頂戴した。そのさい、第16回 プロジェクトR幹事会議事概要」が昨日公開されたことも教えていただいた。「市大改悪案」作成を秘密主義で推進する事務局主導の幹事会だけあって、教学と経営の分離についても相変わらず事務局独裁(将来的には経営独裁)を許容する「分離体制」を美名の元に推進しようとしていることがわかる。大学の教学側がいかに屈辱的な態度にあるか、国立大学法人のことなどきちんと勉強し検討していないことがわかる。すなわち、

------議事録抜粋----

. 意思決定システムについて

 ・ 教育研究機能と経営機能との役割と責任について、教育・研究の活性化を図り、経営の健全化を進めるため、市長が任命する大学の経営を担当する責任者(理事長)と、教育研究を担当する責任者(学長)とを分離することについて議論がなされた。学長と理事長は兼ねるべきとの意見もあったが、責任の明確化、経営の専門家による大学経営、及び学長が教育・研究の推進に専念できることなどメリットが大きいため、今後大枠として、学長を理事長と分離する方向を前提として、運営組織の検討をすることとした。

・ 役員会など経営審議機関と教育研究審議機関との調整機能をさらに検討することとした。

・ 学長選考機関は、教育・研究の責任者として相応しい選考が行われる機関とすることとした。

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学長=理事長の体制を法的に選択した国立大学法人(国立大学関係者、文部科学省と全国の国立大学の大学人)は、そうすると、「教育・研究の活性化を図り、経営の健全化を進める」ことはできないということになる。そんなことを主張していいのか?

市長が任命する大学の経営を担当する責任者(理事長)が、どうして経営に優れているといえるのか?どうして大学にとって本当に大切なことがわかるというのか?

企業などで営業と経理とを分離してしまうことがないように、社長がその二つを統合するように、大学も教学と経営を統合していなければ,「責任の明確化」どころか、責任のなすりつけあいになってしまうであろう。

 

国立大学法人()は、学長と理事長が一体であるが、そうすると、国立大学の学長は、「教育・研究の推進に専念できることなどメリット」がなく、教育研究の推進に専念できないというのか?

理事長=学長の一体化の制度設計をした国法(国立大学法人法・文部科学省、そしてそれを決定した国会)は、馬鹿なことをした、ということになるのか?

 国立大学法人の問題をそのようにとらえていいのか?

 上の議事録によれば、「学長と理事長は兼ねるべきとの意見もあった」とあるので、一部には、まっとうな意見、すなわち国立大学法人の原則(学長=理事長)公立大大学法人の原則の立場(学長=理事長)[2]を述べた委員もいたようであるが、それ以外は都立大学のような行政権力がきわめて大きな力を持っている地方自治体を真似るという模倣精神の人々が多いようで、それならばなんら「オンリーワン」の大学など作れるわけがない。恐るべき人々が「リボーン」を称し(その実、旧態依然の思考枠組に安住)、大学の改革を検討しているといわなければならない。そのような人々だからこそ、720日の市民の意見も公開せず、委員会を秘密にして押しとおそうとするのであろう。秘密主義のこのような幹事会が作り上げたシステムなど21世紀の初頭にふさわしいものでは決してありえない。

 

------------------上述の意見に関して寄せられた共鳴の意見------------------ 

 永岑先生のおっしゃるとおりです。大学経営の特殊性をまったく知らない者の官僚作文です。

第一、いままで予算については独占的に支配し、空前の「赤字」をもたらした張本人にそのような大それた人事を、経営を行う資格がないのはいうまでもありません。何事を進めるにも過去の出来事の丁寧な検討から始めなければならないのですが、まず結論ありきで、ネガティヴな部分をすべからく教員に押し付けようとするのです。私が前の声明文でいった「過去の総否定」とはこのことを指します。外部者は内部の者だけでは気のつかないことをヒントのかたちで指摘することはできますが、改善案の骨格をつくることはできないはずです。教育、研究、文化の面で外部者が専横を極めて台無しにした例は枚挙に暇ありません。

 学長=教育の責任者、理事長=経営の責任者の区分は昨年来、主として戦略会議で論議されてきたもので、経営権を一括設置者がにぎり、しかも経営権の範囲を人事にまで広げることによって、教学の範囲を最小限度に狭めようとする狙いがそこに読み取れます。昨年段階では学長にも、経営の一端を担わせよう(学長は教学部会と経営部会の両方に出させ、彼に一定の権限を持たせる案)との妥協的姿勢を示していたのですが、今年に入ってからは学長を経営権から完全に放逐しようというふうに態度を硬化させたのです。それにも飽き足らず、今後、学長選挙方法にまで逐一介入してくるのは見え見えです。

 

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2003815日 2003815日 一楽先生が改革委員会担当部局に、818日の改革プラン策定の全体委員会への傍聴を求め、可能性を打診した。

        

今、改革担当に電話して、18日の会議を傍聴できないか、と聞いたところ、「委員長判断になるが、現在のところ公開しない方向で考えている」という返事でした。いまの時点でも、こんな返事の仕方をすること自身、おかしなことと思います。私が、名前を言って聞いているので、学内にも非公開ということです。この回答を私が公開してもよい、ということを確認しました」と。

 

 委員長である学長の判断が示されているわけではない、まさに学長が答えるべきことある。18日午前中にでも学長に直接返答を聞きたいものである。またまた事務局の圧力で、非公開を貫くか?

 

この期に及んでもなお非公開だというのならば、これは許されるべきことではない。

 傍聴し、誰がどのような意見を言っているか、どのような議論を戦わせているのか(ただ出席して沈黙しているだけか)、それを公開できないというのは、許されない。

 大学の運命に関わることをなぜ学内大学人に傍聴させないのか? 

 この秘密主義は一体なになのか?

 これを大学人は許しておいていいのか? 

 

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2003814日 昨日、一楽先生からの文書に続いて、矢吹先生の構想も公開され、HPで拝見した[3]。衝撃力のある矢吹構想はPdfファイルで、直接コピーできないので、本日、ここに矢吹先生のHPとリンクを張って紹介しておこう。総合理学研究科・佐藤真彦教授HPにも関連文書が掲載されている。

商学部サーバーダウン状態のとき(これが結構頻発するので)は、矢吹教授HP佐藤教授HP一楽教授HPにアクセスされたい。

事務局主導・官僚主義的でトップダウン的な極端な秘密主義[4]の「改革プラン策定委員会・幹事会」の姿勢を批判し、われわれは大学人全体で市民とともに問題を考えていこうとする姿勢を貫いている。その見地から、全国的にも問題提起し、意見や協力を得ようとしている。「国立大学独立行政法人化の諸問題」を全国的に考えていこうとする北大の辻下徹氏にも、「新・横浜総合大学構想」をお知らせしたところ、全国的に公開された(同上Archives,20030812)。全国的な支援と建設的意見が、松井道昭・代表世話人e-mail: decapan311@ybb.ne.jpまで、あるいはわれわれ世話人(さしあたり一楽、矢吹、永岑)の誰かに、届けられることを期待したい。

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2003812日 一楽先生から、昨日付けの文書:「真の総合大学を」という建設的ご提案をお送りいただいた。以下にコピーしてご紹介しよう〈強調は引用者〉。

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新・横浜総合大学構想

 

l     20世紀までの大学は、学問の方法(discipline)ごとに編成された「学部」を基礎にして発展してきた。

l     21世紀に必要な大学とは、既成の学部に加えて、学際的方法(inter-disciplinary)を合わせてもつ総合大学でなければならない。

l     学部の基礎(disciplineに基づく基礎教育)なくして、総合(inter-disciplinary)はない。

 

いまこそ横浜に真の総合大学を創造しよう。

国大及び県立大との連繋・統合によって大きな「新・総合大学」を!!

 

 現在、横浜市・市立大学では、横浜市立大学を「大胆に生まれ変われ」させるとして、大学改革案を策定中です。これは、市長の私的諮問機関「市立大学の在り方懇談会」の答申を「踏まえて」進められています。この答申は財政的に「市大が市民の負担になっている」として「研究より教育に重点を」とか「既存3学部をプラクティカル・リベラルアーツに」とか「市からの大学運営費への繰り入れを極端に減らす」とか「学費を値上げする」ことなどを謳っています。

 在り方懇の答申では、市民の求める大学はどんな大学であるのか、市民の期待はなんであるのかについての十分な検討がなされておらず、「答申を踏まえて」改革案を作るのは、とても危険です。

 大学主催で7月20日に開かれたシンポジウムでは、市長は「改革はお金の問題ではない」と明言し、答申の問題意識を否定しました。同じシンポジウムで学長は10年は持つ改革案」を作ると言いましたが、10年とはあまりに短かすぎます

 

 教育は百年の大計といわれます。わが国のノーベル賞学者のほとんどが百年以上の歴史を持つ大学から輩出されたという事実がこれを裏づけています。中国にも「十年樹木、百年樹人」という成句があります。木の育成に十年、人の育成に百年かかるという意味です。 私たちは、市大改革は、100年を見据えたものであるべきであると考えます。また、350万市民の期待に答える大学の姿を明確にした上で、改革案を作成する必要があると考えます。

 これからの100年に渡って、市民が必要とするのは「新・横浜総合大学」です。市民の多様な要求や産業界の最新の要求に応えるためには、大学の本質である「研究」の充実、それも各学問分野をそろえた最新の研究をもとに、市民に開かれた大学、「新・総合大学」こそが必要です。最新の学問研究がもとにあってこそ、時代時代に出現する新たな市民のニーズに応えることができるのです。そのよい例が「環境ホルモン」問題でした。基礎的な生物学研究の蓄積があってこそ最新の市民の問題に対応することができたのです。また、各専門分野での研究が充実してこそ、境界領域の研究や産学連繋などが意味を持つことも言うまでもないでしょう。

 

 もちろん、市財政が厳しいこの時期に市立大学を大きな総合大学に拡張することは困難です。市大と国大、そして県立大との緊密な連繋・統合によって「大きな総合大学」としての役割を果たすことができます。将来はこれらをひとつの連合大学とすることも視野にいれて、大学改革案を作成することが必要です。統合することによるスケールメリットや合理化は、今後の厳しい競争に有利な条件ともなります。

 

 市大と国大は重複する分野は少なく、国大に工学部、経済学部、教育人間科学部、市大に医学部、商学部、理学部、国際文化学部、看護短期大学部があり、また、それらに外語短大を加えることによって、大きな総合大学が実現することが一見して分ります。さらに、真に市民の市立大学とするために、「市民科学センター」の新設を提唱します。環境ホルモンのみならず、化学物質や電磁波過敏症などについて、市民の立場から研究したり、啓蒙活動を行ったりする拠点となるものです。

 

 このような「新・横浜総合大学」に向けての改革案をつくることが、350万市民、800[5]県民の期待に応え、競争力ある大学を作り出すために、もっとも近い道であると考えます。統合しても不足する分野、例えば、法学、薬学などについては、将来、これらに関する学部や学科を設置することが望まれます。また、社会の側から必要とされる情報科学、公共政策や市民文化に関する学科を設置することなども考えられます。もちろん、これらは一例に過ぎません。具体的な充実策については、十分な時間をかけて関係者で検討を行っていくべきものと考えます。

 

 以上のような理由から、私たちは現在進められている大学改革案作りの方向を転換し、「新・横浜総合大学」を目標とする観点から改革案作りをするよう求めるものです。

平成15年8月11日

「新・横浜総合大学を推進する会」

世話人:横浜市立大学理学部 一楽重雄

連絡先(email):shichiraku@aol.com

 

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2003811日〈2〉松井先生から、すばらしい構想をお送りいただいた.大賛成である。多くの方がこのような建設的構想を松井先生に寄せられることを期待したい。閉鎖的・秘密主義的・官僚主義的・独善的手法にかえて、市民的な建設的構想・アイデアを総合して、すばらしい建築を!〈強調は引用者〉

 

---------------------壮大な新次元の構想を!------------------------

「新・横浜総合大学」構想を立ち上げよう

 

●20世紀までの大学は学問の方法(discipline)ごとに編成された学部を基礎に発展してきた。

●21世紀に必要な大学とは、既成の学部に加えて学際性(inter-disciplinary)を併せもつ総合大学でなければならない。

●学部という基礎(disciplineに基づく基礎教育)なくして、総合はありえない。

 

       今こそ、横浜に真の総合大学を創造しよう。

横国大および県立大との連携統合によって大きな「新・横浜総合大学」を!!

 

横浜市大は激震の最中にある。今年2月末に発表された「あり方懇答申」は市大3学部(商・国際文化・理)の1学部(リベラルアーツ・カレッジ)への統合・縮小を提案している。その理由は二転三転していて本当のところは定かではないが、財政難への対処と新時代を意識した模様替えにあるようだ。最近では「大胆に生まれ変わろう」をスローガンに、大学当局にゲタを預けたかたちで改革案が策定中で、まもなく「あり方懇答申」を踏めた最終案が飛び出しそうな状況にある。

極端な秘密主義のもとで進められている市大改革の進め方を一言で評せば、75年の歴史を誇る市大の過去をすべからく否定し、教養単科大学への縮小を図る路線といえよう。すなわち、当局発表の種々の文書を見るに、終始、結論先行で理屈が後追いしていること、装いはともかく教育と研究の現場の意見が反映されていないこと、世人を納得させるに十分な説明を欠いていること、美辞麗句とカタカナ語で盛られた文書はしばしば意味論的混乱をきたしていることなど、今回の改革論議は何から何まで異例ずくめである。そして、結果として打ち出される改革方向は、見紛うことなき横浜版「ブンカク」への道である。「自主性尊重」や「独立」という語が頻出するわりに、設置者のプレゼンスがやたら大きい。

「教育は百年の大計」といわれる。わが国のノーベル賞学者のほとんどが学校歴百年の大学で輩出された事実がこれを裏づける。中国にも「十年樹木、百年樹人」という成句がある。木の育成に十年、人の育成に百年かかるというのだ。顧みるに、市大文理学部が国際文化学部と理学部に分かれてまだ8年しか経っていない。その成否を見極めないうちに、はや解体である。人の育成という課題が樹木のそれより軽んじられていることになる。

市大が横浜・日本・世界に対し最高学府として真の使命を果たすべきだと考えるわれわれは、もっと先を見据えた改革論議を行うべきことを提唱したい。万事、新しがり屋の日本人の耳には心地よく響くかもしれない「リベラルアーツ・カレッジ」とは、本家本元のアメリカでは短大の評価でしかなく、現に18歳人口の減少を前にいずれも存立の危機の淵に立たされている事実を指摘しておこう。教養はもとよりたいせつだが、個別専門科学に根ざしてこそ意味をもち、身につくものである。専門を離れた教養はそれこそ、現代学生に疎んじられている「パンキョウ(一般教養)」にすぎず、高度に分業の進んだ現代社会では趣味以上の価値をもたない。

設置者は市大に専門課程は不要、研究も要らないという。リベラルアーツ・カレッジこと教養単科大学では就職への見通しが立たないところから学生は集まらず、研究や身分保障がなおざりにされているところから優秀な教員は去り、たとえ生涯教育に特化したとしても高い授業料が噂されていることから社会人受講者も集まらず、早晩、破綻するであろうことは火を見るより明らかである。市民から見てカルチャセンターは他にごまんとある。目先の小さな課題ばかりを追う教育は真の教育ではないことを肝に銘じるべきである。

百年の大計に立つ大学改革とは何か。われわれは、国立・公立・私立を分かつ大学の垣根が低くなろうとし、独立行政法人が具体的日程に上ったいま、市大が隣接の横浜国立大学と統合する道を選ぶことを提唱したいこれに神奈川県立外国語短大(さらに県立保健福祉大学も)を加えるのも妙案。横浜国立大学は工学部、経済学部、経営学部、教育人間科学部の4学部構成である。一方の市大には商学部、医学部、国際文化学部、理学部、看護短期大学部(4年制大学への昇格構想あり)がある。市大商学部と一部重なるところもあるが、これは時間をかけて新構想の学部に編成しなおせば(あるいは狭い意味の商学部に特化すれば)すむ問題である。また、すでに各方面から出ている法学部の新設もありうるだろう。また、社会の側から必要性が叫ばれている公共政策や市民文化に関する学部や学科を設置することも可能となろう。

もし3大学が合併すれば、神奈川県で1012学部の、しかも1万人規模の学生を擁する総合大学が出現することになる。一方、私立大と比べるとまだ学生収容力にゆとりがあるため、学部間の壁を低く保ちつつ入学制度を弾力的に運用することによって多数の優秀な学生を集めることができよう。さらに、統合には「規模の経済」がプラスに作用する可能性もある。思慮なき縮小は破滅につながる、720日の市大主催シンポジウムで清成法政大学総長が言われんとしたところはまさにこれであり、われわれに必要なのは「縮小も拡大もない」拡大つまり統合であることだ。

横浜市350万人、神奈川県850万人の地域に国公立の総合大学が皆無という現状はまずもって打開さるべきである。私立大学ではなし得ない部分に対してこそ、血税を投じる価値があろう。「百年樹人」の大計に適う道は「新・横浜総合大学」の創成しかない。独立行政法人化が議事日程に上っている今を逸しては、好機は永遠に去ることになるだろう。焦慮と拙速を避け、小利大損の轍を踏まないために、今こそ横浜の国公立の大学が大同につくことが望まれている。

以上の理由により、われわれは、現在進められている大学改革案づくりの方向を転換し、「新・横浜総合大学」の改革構想を立ち上げることを呼びかけるものである。

 

平成15年8月11日  「新・横浜総合大学構想を推進する会」

世話人代表  横浜市立大学商学部 松井道昭

tel.: 045-787-2131;

 e-mail: decapan311@ybb.ne.jp

 

 

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2003811日 8日の金曜日夜、大学時代〈横浜国大〉の友人と久しぶりに会った。大学問題との関連で得た情報によれば、今年の冨久会(横浜高商・横浜国大経済学部・経営学部・大学院国際社会科学研究科のOBOG)会が横浜で開催され、それに中田市長が出席し、何百人もの出席者を前に基調講演・記念講演を行い、「民の力」など地域からの活性化に関する彼の主張を述べたほか、市大問題にも言及し、「横浜国立大学との合併を含めてご検討いただいている」、「市の職員に横浜国大の出身者が2300百人はいる、本日もたくさんご出席では」などといったことを話したそうである。まさに、司会をしていた人が国大出身の市職員だったということである。

そうしてみると、年来、戦後新制大学発足時から、浮かんでは消えてきた横浜国立大学との合併構想=神奈川県・横浜市に10学部から12学部を擁する国立・公立の協力・連帯の一大総合大学を創設すると言う構想は、いままさに21世紀の初頭、地方分権の時代、地方分権を主体的に推進すべき時代において、横浜国立大学が国立大学法人として「独立」する好機をとらえ、世界的な科学技術大変革の時代において、市民・県民の科学の殿堂・叡智の結集点として、学生、卒業生、市民、現役・OBOG教職員など広範な層に再度現実的に検討すべき構想として浮上し、そのような全般的空気とあい呼応するかのように、中田市長の構想のなかにも含まれていると言うことのようである。そのような市長の発展的な考えが本当だとすれば、それについては、そのかぎりでわれわれと思想を同じくし、したがって大賛成である。それは歴史が求めてきたものである。

その場合に、二つの大学の歴史をきちんと踏まえ、二つの大学の持っている学部を活かし長期的な壮大な夢を掲げつつ、この難局を新たな発展のチャンスとして乗り切ることが、わが大学人には求められている。

 二つの大学が合同するとすれば、新たな飛躍的次元の大学を作り出していく必要がある。

その二つの大学を総合した中央本部は、まさに横浜の都心・夢のある場所=「みなとみらい」地区になければならないだろう。その立地としては、MM21こそふさわしいであろう。横浜国大が創設するロースクール、わが市大が創設する法学部など都心型〈社会人向けも含め〉の学部・大学院・専門大学院をMM21地区に共同して創設する、その21世紀型の「横浜総合大学」本部棟をMM21の遊休地〈塩付け=金だけ使って有効利用されていない場所〉に、国と市、県が資金を出し合って打ち立てるということ、この本部棟が21世紀を象徴する国際的学術発展のシンボルとなるように構想する、建物もそのような風格のある何百年も持つような記念碑的なものとする、というのはどうであろうか。国〈国民〉と県〈県民〉と市〈市民〉が協力連帯すれば出来ないことはないのではないか?

 

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200387(3) 本日公開の第2回 市立大学改革推進・プラン策定委員会」議事録によれば、幹事会は、大学改革については、「リベラルアーツカレッジ」と「学府‐院構想」としか議論していないようである。これは、この間の内外の意見をいっさい聞かない態度[6]と符合する。幹事会の議論のやり方に関して、全体の策定委員会は、何を議論したのであろうか? すくなくとも、基本的には反対していないようである。一部に教授会の意見を聞かなければならない、と態度を保留している人がいる他は、どのような民主的意見が表明されたのか?

          

この議事録と資料を見るかぎり、いずれにしろ、「あり方懇」答申で押しつけられようとしている「3学部の廃止・解体」と言う方向性をあたかも確定したかのように議論しているようである。公開された資料から、それ以外に考えられるか?

1研究科・2学部の決議(学長への説明会要求参照)はどうなったのか?どのように議論されたのか?

理学部と国際文化を分離独立させた当事者達・独立の理念を掲げた人達はどこにいるのか?

75年の伝統を背負っているはずの商学部の責任者はどこにいるのか?

ワンデーオープンスクールで会場を埋め尽くしたあのようにたくさんの高校生とその両親が市大の説明に目を輝かしていたのに、その人々に対する説明と責任感はどうなるのか?

 

「あり方懇答申」、「戦略会議議事録」、緩和された形で「将来構想委員会中間報告」に貫かれた事務局独裁体制の影響は共通している。「生まれ変わって」はいない。今にして、「市大改悪案」と矢吹教授が特徴付けられたことの意味がわかる。

 

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200387(2) 教員組合藤山委員長から、都立大学の厳しい現状に関するメッセージが届いた。ここにリンクして、掲載しておこう。また、教員組合が行った学生アンケートの結果「学生の切実な訴え」もリンクして、掲載しておこう。藤山委員長の御指摘の通り、学生の声は実に真剣なものばかりである。事務機構改革の弊害などが繰り返し、批判されているのが目につく。

とくに、藤山委員長が強調し、関係者の注意を促している以下の点は重要である。すなわち、

都立大学の現在のような展開は、市大にとって決して対岸の火事ではありません。市大改革案の策定作業は、「プラン策定委員会」の不当な秘密主義のもとで、行われています。教授会が無視され、この秘密主義のもとで、少数の者が、大学の在り方という重大事態を決定することになりますと、都立のような最悪の展開を許す余地を作ってしまいます。」

トップダウン的大学改革、行政的手法の大学改革に抗して、「市民の会」は、9月7日に大規模集会を計画しているようであり、市民と大学人・教授会・評議会・学生・卒業生が連帯して、21世紀の横浜と神奈川県にふさわしい創造的な大学を作り出していく必要があろう。

プロジェクトRなる大学の改革プラン策定委員会は、7月20日のシンポジウムについて議論したことをつぎのように紹介している。

 

・大学改革シンポジウムの振り返りについて
7
20(日)に開催した「大学改革シンポジウム」について振り返り、各幹事から意見や感想が述べられた。記念講演や、パネルディスカッションの内容及び参加者からのアンケート結果については、大学改革に生かしていくこととした。」

 

ところが、シンポジウム当日のアンケート結果はいったいどうだったのか、公開されていない。当日、会場からの発言を封じた以上、また、その代替措置としてアンケートをご提出くださいと意見を集めた以上、意見を言おうとした人に会場責任者がアンケート用紙を渡しに行っていた以上、アンケートの公開は当然の義務ではないか?アンケート用紙は、その場の口封じのための手段だったのか?

アンケート結果の非公開は、まったくの許されざる秘密主義であり、怠慢である。当日の出席者は五百人以上だったかである。当日の参加者は、このアンケート取扱いに関する「改革プラン策定委員会」の態度一つとっても、いかに官僚的行政的トップダウン的手法であるかがわかるであろう。「改革」の論議の仕方は変わっていない。率先垂範すべきものが「生まれ変わって」などいない。

 

教員組合の学生アンケート(630日、71日実施)結果は今回公開された

多大の予算を使っているプロジェクトRがなぜ迅速にアンケート結果を公開しないのか、シンポジウムに参加した市民の広範な意見をなぜオープンにしないのか、厳しく糾弾されるべきだろう。

 

大学の組織に関する議論もしたようであるが、国立大学法人における理事長=学長体制、地方独立行政法人法における原則規定を無視して、教学と経営とを分離する案を推進しようとしているようである。大学の自立性・独立性はますます形骸化し、この間の評議会からの事務局一斉退場の実力行使とは比較にならない事態が進行することになろう。その場合、やはり「あり方懇」答申を錦の御旗に掲げている。「あり方懇」答申は、事務局独裁のシステムを強化する武器となろう。

「独立行政法人」という場合の「独立性」はどのように担保され、どのように大学の研究教育の自由と自立性・自律性が従来よりも拡大するのか? 具体的に示すべきである。

市長はそのような「独立性」「自立性」を保障する制度改革として「独立行政法人」の導入を語っていたが、現実に改革プランを作成する委員会(幹事会)が、法制定の精神や趣旨を踏まえないとき、独立性・自立性は換骨奪胎されてしまうことになる。以下の議事録には、その兆候がすでに現われている。

国立大学の場合、学長が理事長を兼ねることに批判があるわけではない。学長・理事長の独裁体制=権限集中が問題とされているに過ぎない。国立大学法人法も地方独立行政法人法も、大学の行政権力からの独立を推進すると言う大義名分(本来の目的=目標)からして、大学の長としての学長が教学と経営の全体的な統合者・責任者となって、大学の自律性・自立性を実現していくところが原則となっている。

こうした国立大学法人法と公立大学法人法の精神がわかっていない。はじめから公立大学法人法の例外的但し書き的項目を前面に押し出すなどというのは、奴隷的屈従の精神が染み込んでいるからだといわなければならない。

だから、法の精神の最も肝心なことが、以下の議論はわかっていない結果にすぎない。大学の最高意思決定機関としての評議会[7]の事務局による形骸化・無視、評議会のこれへの追従昨年11月の事務局責任者による嘲笑的実力行使・会場総退場によって示される「思考停止」状態は、まさに継続中であるとみなければならない。まったく「生まれ変わって」などいない。要するに、すべての思考は、一昨年4月から今年3月までの「辣腕」事務局責任者主導の強引な「改革」路線引きずられたもの(「あり方懇答申」然り、「戦略会議議事録」然り、緩和された形とは言え教学と経営を分離すると言う発想をはじめとして「将来構想委員会中間報告」も然り・・・商学部・国際文化・理学部の独立と総合の長年の実績と労苦の歴史を無視したもの=まさに落下傘部隊が考えること)であり、その事務局独裁の影響力を根底から排除するものとなっていないこと、「改革プラン策定委員会」における大学改革の担い手=教学関係者が自主独立、独立自尊[8]の精神を獲得していないことを明確にしているといわなければならない。

 

「・意思決定システムについて
国立大学法人の意思決定システム(運営組織)を参考に、地方独立行政法人法に基づく改革後の運営組織について議論した。
理事長を学長が兼ねるか、理事長は学長と別に任命するかについて議論がなされた。

運営組織の構築にあたっては、「あり方懇談会」答申及びこれまでの学内における検討経過からも、経営を担当する責任者(理事長)と教育研究の責任者(学長)とを分離することによる役割・責任を明確にする方向性について議論がなされ、それぞれの審議機関の所管事項及び構成の概要について別途整理することとした。」

 

大学の人事制度に関しても、「あり方懇」に添った形での議論を展開しているようである。掲げている「題目」と内実がどのようになるのか、任期性などの問題、主任教授制の問題その他、相当に問題になりうることを、確たる理論的根拠もなく議論しているように見うけられる。結論だけを「あり方懇」に合わせるということになりそうである。大学の発展をどのように保障する内容となるのか、その説明責任が問われることになる。

 「・教員の人事制度について
教員人事制度の枠組みとして、高い透明性
[9]実績主義[10]に基づく人事システムを採用し、大学の目標[11]が効果的・効率的に達成できる人事制度を構築する必要があり、1」自主性・自律性を高め[12]中長期的な視点[13]に立った人事制度、2」教職員の業績を適正に評価し、給与制度等に反映させる、3」教職員の採用、育成については、流動性・多様性を高め[14]、幅広い分野から適任者を採用する。
これらを基本的な視点とし、I.人事委員会制度 II.主任教授制 III.任期制 IV.年俸制 V.評価システム について議論がなされた。
人事委員会制度は、全学的な意思決定の中で、引き続き検討を行うこととし、主任教授制については、教育・研究体制のビジョンの中で、引き続き検討を行うこととした。
任期制、年俸制及び評価システムについては、導入にあたっての課題を整理し、次回以降、引き続き検討していくこととした。」

 

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200387日 市大改革に関する「あり方懇」と都立大新構想改革の発想の画一性・単純性を批判するコメントを書いた(昨日、一昨日)が、グローバル化の現代世界・地球が国際的な教養や都市的な教養をますます求めるものであることはいうまでもない。問題は、それをどのような枠組み(制度的構成)で行うかということであり、既存学部をひとつにまとめてしまうと言う発想・やり方が妥当かという点にある。

その点について、研究科委員会や各学部(学長への「説明会要求」参照)、「市民の会」、「大学人の会」などには、強い反対がある、ということである。それぞれの大学には歴史があり、市大の場合は、8年ほど前にやっと文理学部を改組し、国際文化学部と理学部を分離させ、社会の科学技術・文化の高度化に対応する専門教育を行うための学部を独立させたのであり、そのわずか8年後に再び解体統合する、今度は商学部も一緒にするというその見識のなさが問題にされ、乱暴だと批判されている。

教養に深みをつけるため学部間の垣根を低くする、各学部の学生が他学部開講科目を大幅に自由に履修し単位取得することを可能にする、といった工夫は、例えば他学部聴講認定単位数を卒業単位の半分まで認めると言うことによっても可能である。ある特定の学部の卒業生を名乗る以上、各学部の固有の単位を半分は取らなければならない、というのは当然ではなかろうか。また、そのような取得単位の割合と接触する教員や友人との関係で形成されるアイデンティティ(自己認識・同一性認識)は、大切ではないか。そのような程度の専門性は学部34年間に形成されてもいいのではないか。

いずれにしろ、はじめに強引な学部解体縮小という発想しかないと言うのは、まさに無教養そのものではないか。大学を知らない人が考えた発想ではないか? 長年の大学設置基準に硬直的な部分があったにしても、その自由化は無制限な教養科目科か?

今回の都立大学の構想も、大学管理部長更迭後1ヶ月で「作成」されたものであり、大学人が大学管理当局と折衝を重ねて23年かけて練り上げてきた構想を反故にしたもの、その意味で乱暴なものであることだけは確実である。それを「やくざまがい」の恫喝で押しつけようとしているのである。現実の進展がどうなるかわからないが、歴史の審判の法廷においては、このような石原都知事の記者会見の文言が一つの歴史的証拠として提出されることにはなろう。

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200386日 昨日の日誌で東京都立大学の「新構想」とわが「あり方懇談会」答申のあまりの類似性について批判的コメントをしたが、本日、都立大学教職員組合の抗議を知った(昨日の日誌に注記・加筆した)

その都立大学の構想が大学管理本部長更迭後「わずか一ヶ月」の「作品」だということがわかった(都立大に吹き荒れるファシズムの嵐」都立大・長谷川宏氏の通信参照)。どこにも強引な「辣腕」事務局員タイプがいるようだ。そのような人物の任命が、東京都の場合、300万票の圧倒的多数を獲得して再選された石原都知事による大学管理本部長更迭の結果だから、横浜市大よりももっと強烈なことになっている[15]。だが、石原再選は都立大学に関する政策を明確にした上での再選ではない。都民が納得する改革かどうか、それが問われる。

ファシズムの嵐」に抗するためには、全国の大学人・市民・学生の支援・連帯が必要だろう[16]

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200385日(2) 学長・プラン策定委員会のあまりの秘密主義に対して、改革問題に関する学内説明会を開催する要求を提出することにした。

説明会を求める要求を提出した有志がいた、という厳然たる事実とその根拠の説明は、社会的に公開しておく必要と価値があろう。以下、その文書である。矢吹教授HPにも「説明会要求」のタイトルで掲載されている。

それにしても、東京都立大学は、伝統ある人文学部や法学部、経済学部、工学部などを解体して「都市教養学部」というものをつくるという[17]。「“イメージダウン競争”で,横浜市立大学と熾烈な戦いを繰り広げている」と酷評されているが、どうしてこうも、思考が画一的なのか? 従来の大学を改革するには「教養学部」というものしか思い浮かばないという[18]、それこそ教養の欠如ではないか? 画一性と教養とは同じか?

 この画一性は、どこからくるのか? プランを作成している人々の思考が問題なのだろう[19]。かつて、戦後新制大学の教養課程がだめだ、と一斉につぶして、今度は反転して、いっせいに教養を前面に出す、というわけで、後数年から一〇年もたつと、また逆の方向が出るであろう。経済バブルの付和雷同は、大学改革の付和雷同に形をかえて継続している。経済バブルのときにも、本業・本職を堅持し、しっかりした見地を保ったものが発展したように、大学もしっかりした見識を維持し得たものだけが、本当の意味での発展を勝ち取ることになろう。

 

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「大学改革」に関する説明集会の開催要求

横浜市立大学小川恵一学長殿

(写し 中田市長 高井市大事務局長 相川市議会議長)

 

 先般大学主催で開催された「生まれ変われ!横浜市大 大学改革シンポジウム」での学長,市長の挨拶,及び,「大学改革推進・プラン策定委員会」幹事会からの第2回同委員会への報告において,現在大学では「在り方懇答申を踏まえて,独立行政法人化を念頭において」改革案を策定中であることが明白となりました.

 市側は「まず,決めるのは大学です」と言いながら,実際には,現行法に背離して教授会の改革案策定への関与を排除し,事務局長の同意した委員による「大学改革推進・プラン策定委員会」を作り,その幹事会を非公開にし,市側の考える改革案を「大学の案」として提案させようとしているのではないか,と危惧されます.

 これに対して,小川学長は,「要望」文書[20]を提出し,副市長との会見において4点の意見表明を行いました[21].これらは当然一般には大学を代表したものと受取られますが,実際には教授会はおろか評議会での正式な議論をも経たものではなく専ら学長の責任による行動です.

 「在り方懇答申」に沿った改革案作りに対して,教員の多くが賛成していないことは,5月に行われた上記要望に対する2学部1研究科委員会の決議[22]をみれば明白です.学長は,これらの決議に対する自らの考えをも依然として明らかにしていません

 学長の選挙前の公約「学内の叡知を結集する」とか,最近の発言「大学改革を率先して推進する」ということに照らしても,改革案作りの方針について,構成員に対して学長自ら直接説明することは,当然のことと思います.

 全学に対する「大学改革」に関する説明集会をすみやかに開催することを要求致します.

 

平成158月5日

 

横浜市立大学教員有志

代 表:一楽重雄(理) 矢吹 晋(商)

賛同者:佐藤真彦(総合理) 永岑三千輝(商) 市田良輔(理) 吉岡直人(理)

    大西文行(国際文化) 松井道昭(商) 山根徹也(国際文化) 平智之(商)

    本宮一男(商) 笹隈哲夫(木原研)


 以下は、2学部1研究科委員会の決議です.

要 望

横浜市立大学学長、小川恵一様

 横浜市立大学学長小川恵一氏は、市長からの諮問に応じ、さる49日に「あり方懇答申に対する要望」を提出した。この「要望」に記された内容は以下に述べる理由で、容認しがたいものである。

 「要望」に述べられている内容は「あり方懇談会」の答申の路線をそのまま無批判に追認しているものであり、学問の府としての大学のあり方を充分考慮したものになっていない。

 横浜市立大学が市民に貢献する大学であるためには、大学内部の議論も踏まえて意見を表明するべきである。 本学では、今まで「将来構想委員会」等の全学委員会や各部局で真摯な議論を重ねてきたが、今回の「要望」には、これらの議論の成果は反映されていない。

 本研究科委員会としては、大学改革の基本方針について学長が全学に対して誠実に説明されると同時に、今後の評議会等における議論において、今まで本学内部で積重ねられてきた議論の結果も十分考慮されるよう強く要望する。

 平成1551日                     総合理学研究科八景研究科委員会

 

平成15年5月1日

横浜市立大学国際文化学部教授会決議

 学長が市に対して提出した「あり方懇答申に対する要望」(H1549付けの文書)は、本学全体が進むべき改革方向を示したものでなく、また国際文化学部の意見を反映したものとは考えられない。またこの文書は、評議会で正式に配られ、承認されたわけではなく、教授会で確認された文書でもなく、大学の意見をとりまとめた上で作成された文書とは認められない。

 「あり方懇答申」とこれまで大学内の将来構想委員会などで検討された改革案を再検討し、学内の意見を集約して具体的な改革案を策定する委員会を立ち上げ、評議会で承認を得るよう学長に要望する。

 学長は責任を持って全教員・職員・学生(院生)に対して、大学改革の基本方針について直接説明することを要請する。

 尚、国際文化学部としてはこれまでに検討してきた中期計画等を中心として改革を具体的に進めるよう努力することを表明する。

 

 

平成1552

小川惠一学長殿

商学部長 川内 克忠 

 平成1551日商学部教授会において、以下の事項を確認し学長に申し入れることを決議しましたのでご通知申し上げます。

 学長による「あり方懇答申に対する要望」(平成1549日)は、評議会および教授会の議を経ていないことを確認する。

 将来構想委員会答申案中間報告、各部局から提出された中期目標・中期計画等を踏まえ、早急に全学の意見を取りまとめ、大学の改革案を作成し、市当局に提示するよう学長に要請する。

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200385日 昨日は、8時間以上もの長時間、商学部サーバーが不通(フリーズ?ダウン?)になり、各方面から、いったいどうしたのか、「ネットワークシステム無法乗っ取り」に関わる妨害が入っているのではないか、との意見もいただいた。学術情報センター長のもとでの委員会も動きはじめたようなので、そうした「操作」、「妨害」の技術的可能性・(その部署など)につき、適切な解明が行われ、大学が社会の中で最も自由な意見交換が可能な場となるように、していく必要があろう。

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200384日 先日および82日の「学生アンケート」の問題性に関して、次のような匿名情報が寄せられたので、掲載しておきたい。

 

--------不公正なアンケートのやり方-----------

「永岑先生と随先生のそれぞれの、事務局実施の学生・受験生向けのアンケートの問
題性を指摘する記事を拝見しました。
 
 随先生のご指摘と同様に、2〜3年前の全学の入試広報委員会でも、当時の入試担
当の事務局が実施した入学者アンケートで、入試制度や入試情報提供などの項目で、
「一定の結論」を誘導するような大変に恣意的な設問が目立ち、当時の同委員長はじ
めの教員委員が問題にして、集計を発表をしないという措置が採られた記憶がありま
す(資料が手元になく申し訳ありませんが)。
 
 また、事もあろうに夏休みに入ってから(?!)、事務局が実施しているという学生
アンケートについては、8月1日のワンデー・オープン・スクールでも守衛所の横に
テントが設置され、そこで来場した受験生を対象に配布や回収が行なわれていまし
た。ところが、私が観察したかぎりですが、そこには事務職員と思われる大人は見当
たらず、事務局が当日の要員として雇用した学生アルバイトの一部が詰めて実施に当
たっていました。そのアンケート用紙には、ロゴマーク以外の実施主体が明記されて
おらず、設問も事務局が望む「大学改革」の結論に誘導されるような形式となってい
るなどの、両先生のご指摘を考え合わせると、以下の想像がされます。すなわち、在
学生も含めて、事務局としては大学当局実施の「御用アンケート」という性格をでき
るだけ隠して、できれば学生の自主的なものとでも誤解させるような、非常に姑息な
姿勢が見え隠れしています。

 市民や学生に対するアンケートの実施の発表から、市・大学当局による恣意的かつ
誘導的な実施手法は、あらかじめ十分予想されていましたが、まさにその通りとなっ
ています。「あり方懇」の設置や答申がその典型だったのに続き、7月20日の大学
主催のシンポジウムも、参加者の発言による意見表明をいっさい許さず、一部教員も
「職権乱用」そのものの履修学生への成績条件付きのレポートを課した大量動員が裏
付けられたように、この間の中田市長・市役所・大学当局の望む「大学改革」への取
組みはあまりにも不公正で非民主的なものです。それに反対する勢力が告発と批判の
活動をさらに強める必要を感じ、以上をご一報しました。」

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200382日 本日誌2003731日(2)で、アンケート実施主体が不明確なRマーク付きの「市大学生用」アンケートを紹介した。これに関して、きちんとしたアンケートの質問項目がないかぎり、アンケートの回答はゆがめられるというもっともな意見が、随さんのHPで公開された。

自己点検評価に関するアンケートの問題性といい今回のRロゴマーク付きアンケートの質問設定の操作性といい、大学人はしっかりと批判的に分析し、大学改革の真の創造的方向を発見していくために、各方面で意見を述べる必要があろう。

念のため、以下にコピーしておこう。また、随さんが調べた全国の同じような学部の難易度ランキングも興味深い(できれば、データの出所を明示しておいていただきたい→→随さんからご返事があり代々木ゼミナールのものだという御指摘をいただいた。全国的規模と実績・データ収集力からして、そのデータの信頼性は高いというべきだろう、駿台予備校や河合塾などにも同様のデータがあろう)。この一覧表(代々木ゼミ作成)を見ると、随さんが言うように「市大商学部は評価されるべきところによってそれなりに評価されているのではないか」というのは首肯できる。これにもリンクを張っておこう。

 

------ 随清遠HPより--------------


情報操作の実践


アンケートを実施する場合、同じ主旨の質問でも、設問の仕方によって結果が大きく変わってくる。したがって、客観的な結果を得るために、アンケートの実施者は細心の注意を払う必要がある。
 逆に設問を操作する余地を利用して意図的に特定の結論を誘導し、「学生の声」、「市民の声」ないし「国民の声」として発表するような行為は、情報操作そのものになる。
 これについて、情報操作の手本ともなるようなアンケート調査が今の市大で見られようとしている。

調査内容は、現行の大学教育における
「一般教育科目」と「専門科目」のバランスに関するものである。

調査例1
 1998年に実施した商学部学生を対象としたアンケート調査では、設問は

「商学部のカリキュラムについて、つぎの意見に該当する者が有れば、お答えください。イ、一般教育科目と専門科目のバランスについては、
1,一般教育の比重が大きすぎる
2,専門教育の比重が大きすぎる
3,適当である」

となっている。結果はこうなっていた。

1,一般教育の比重が大きすぎる:回答者数=500(48%)
2,専門教育の比重が大きすぎる:回答者数=57(6%)
3,適当である:回答者数=469(46%)

資料:『横浜市立大学商学部学生アンケート結果(平成10年度実施)』、
商学部自己点検委員会。

調査例2
 調査1とほぼ同じ時期に実施され、全学の学生を対象としたアンケート調査では、設問はこうなっている。

「あなたが本大学で今まで受けた授業のうち、特に一般教育科目についてたずねます。一般教育科目のうち満足のいく授業はどのくらいありましたか。」
「あなたが本大学で今まで受けた授業のうち、特に専門科目(実習・実験・演習も含む)についてたずねます。一般教育科目のうち満足のいく授業はどのくらいありましたか。」
となっている。

その結果を集計すると次のようになる。


資料:『横浜市立大学・横浜市立大学看護短期大学部教育に関する
学生アンケート結果』、平成12年3月、横浜市立大学自己点検評価審議会。
(委員長、小川恵一)

 学部と関係なく、学生が一様に一般教育科目より専門科目を評価し、より充実した専門教育を望んでいることがわかる。

調査例3
 どうしても、現実と異なる結果が出てこないと気が済まないというか、
ほぼ同じ主旨の内容について聞き方を変えて、またアンケートが実施されようとしている。

「アメリカの大学の中には、学部4年間はどの分野にも共通する幅広い教養教育(リベラルアーツ)を総合的に学び、さらに専門分野を学びたい人は各分野の大学院やロースクールなどの専門大学院に進学するシステムがあります。日本でもこのようなリベラルアーツを専門にする大学があればよいとあなたは思いますか。」

これだけ質問の周辺にきれいなチョコレートを飾っていたら、普通は「きっと中身がおいしいだろう」と思うのではないか。
調査例3の結果はまだ見ないが、もし調査例1、調査例2と結果が大きく異なるなら、それは、回答者の意識変化というよりは、むしろ設問誘導によるものであろう。 戻る

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200381日 大学の改革プラン策定委員会幹事会のあまりの秘密主義のなかで818日には改革プラン全体委員会に一方的な案が提案されることに対し、学内の教職員、学生だけではなく、多くの名誉教授、市民の会、大学人の会、その他さまざまのところで憂慮が深く、危惧の念が高まっており、そうした憂慮する人々の大同団結による何らかの建設的な改革の方向性だけでも出すべきではないか、との声が強まっているようである。私はこれに大賛成である。

これまで各方面から出されてきた改革プランを骨太の、21世紀全体を見とおすような長期改革構想としてまとめ、その大構想の中に当面の改革プランを位置付け、21世紀らしい発展構想を煮詰めていくべきだという意見は、非常に重要であろう。

名誉教授会、大学人の会などと学内の有志がなんとか骨太の改革構想・指針をまとめることができればすばらしい。

さまざまの構想を大きく組み合わせていく公開の場・オープンな議論の場がないので、インターネットHPの活用などが必要になろう。建設的提案だけを出し合う、場が必要になろう。

21世紀の日本が、国立や公立の設置形態での高等研究機関・大学を必要とすることは、先日、720日のシンポジウムの多くの識者の意見であったし、市民の会の67日のシンポジウムにおける多くの識者の意見でもあった。私立大学ではできない部分(たとえば、専攻分野を問わず学費を低く押さえることは、教育・研究の機会均等をまもり、厳しい個人間の競争を維持し促進し、真に優秀な個人を育てる可能性を日本社会が維持するために決定的に重要)に重点を置きながら、720日シンポジウムにおける医学関係の識者の発言のように自発的内発的にノーベル賞受賞者を生み出すような高い目標を掲げるべきだろう

せせこましい中期目標をこのような機会に打ち出すだけでは「大山鳴動して鼠一匹」ということになってしまうであろう。

横浜市350万人と神奈川県850万人の地域に国公立の総合大学が一つもない現状は、打開すべきではないか?これこそ21世紀初頭の横浜市民、神奈川県民の、そして国立公立の大学・大学人の、そしてこれと連携・連帯する横浜市・神奈川県下諸大学・大学人の大きな課題ではないか。

地方分権の時代ならば、市と県と国とが一体になって智恵と力を総合して、神奈川県下・横浜市に大きな構想の自立的総合大学を創造すべきではないか?

それこそオンリーワンになるのではないか。

そのような総合大学が一方で有機的な高度な研究教育体制を構築しながら、市内・県下諸大学との連携も強めていけばいいのではないか。市民と県民が自立的創造的発展のために必要としながらも、私立大学と競合しない部分をこそ血税を投じる総合大学が担っていくべきではないか?

 



[1]

市大の4労働組合が共同で学長へ申し入れをしました

 

 

依然として不透明なままに市大改革の検討が水面下で行われていますが、8月15日1時より、横浜市立大学教員組合、横浜市従業員労働組合大学支部、自治労横浜市従業員組合大学支部、横浜市立大学病院従業員労働組合の横浜市立大学4労働組合が、共同して学長へ申し入れを行いました。申し入れ書は別添しました。組合側は、教員組合からは藤山執行委員長、浮田書記長、市従大学支部からは丸茂支部長、高橋書記長、自治労横浜からは瀬端支部長、小池書記長、医従からは吉原執行委員長、小芝書記長が出席しました。大学側は、小川学長、中上総務部長、葛西総務課長、小泉人事係長が出席しました。

 横浜市立大学内部の4労働組合が共同行動を組んだのはこれが初めてですが、情勢の厳しい中で、今後も、情報交換をしながら協力共同を可能な限り模索していくことが重要になっています。

なお、学長への申し入れに先立ち、7月28日、市労連から中田市長へ同趣旨の申し入れを行いました。

 

2003年8月15日

                        横浜市立大学教員組合執行委員長    藤山嘉夫    

 

[2] なぜ、法律の原則が、独立性を持つ大学において教学と経営が学長の元に統合されなければならないとしたのか。大学の統一性・大学の独立体=主体としての一体性の要請するところだからであり、大学の自立性・自律性・自治の根幹に関わることだからである。

単に例外として、学長と理事長を分離出きるのは、複数の大学から構成される場合(まsに都立大学は都立の4つの大学の合同で出来あがったものである)のことを考えてのほうの設計である。横浜市立大学はそのようなものではない。

 例外とされたことをはじめからとり入れようとする精神、「独立」の制度という本来の趣法の趣旨さえも熟慮しない精神(明確な根拠を挙げていない精神、本文でみたようなはじめに結論ありきの、国立大学関係者が見たら驚くような論拠を平気で述べていること)は、ように表現すればいいのか?

 

[3] 学部サーバーのダウン状態(フリーズ状態、ファイル・アクセス不可能状態)が一昨日から昨日にかけて長時間続いたので、本日誌には昨日の内に掲載ないしリンクを張ることが出来なかった。

[4] これらは、学問・科学技術・文化の自由で創造的な発展とはあいいれない。

 現在の学則(評議会の位置付けと審議事項の規定、学長が事務局長を統括するという大学事務分掌規定など)があってさえ、事務局が予算等の技術的事務的処理の職務を梃子にして、評議会(大学の最高意思決定機関)や学長を無力化することが出来ているとすれば、「独立行政法人化」などが強行され、しかも「教学と経営の分離」という「あり方懇路線」「事務局路線」が実現してしまえば、「独立」などとはまったく反対になってしまい、大学の事務局への完全屈服が制度化され、大学(自治・自律・独立・自由・民主を生命とする大学)は実質的に死んでしまうであろう。

 

[5] 松井道昭教授が神奈川県のHPで調査したところ、住民数はもっと多かった。すなわち、「インターネットで調べたところ、15年7月1日現在で867万9千人とありました」と。それだけにますます、国公立一丸となった県民・市民のための総合大学の必要性は高くなるといえよう。

 

[6] これは閉鎖的「唯我独尊」の官僚的態度であり、民主的態度の反対物であろう。

 

アメリカにおける黄金時代、その「技術革新主導の経済成長と社会進歩を可能にしたのは、フランクリン・ルーズベルト大統領による大恐慌からの立ち直る為の政治、経済、社会、教育の大改革による民主化の大躍進だった。1992年以来の『第二の黄金時代』もハイテク科学技術の進歩と米国社会の民主化の飛躍によるところが大きい」と。霍見芳弘「ナショナルイノベーションシステム‐イノベーションの国際比較‐」亀岡・古川編『イノベーション経営』放送大学教育振興会、2001年、p.236.

 ブッシュのネオコン勢力・政策、その「帝国」政策は、この対極を意味するものであり、そこから米国の凋落を予想する人は多いが、それは十分ありうる 。

 

[7] 東京大学評議会の学長に対する毅然とした態度http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/030724hyougikai.html

を見習うべきである。

また室蘭工業大学の毅然とした態度http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/cat_oeaeia.html

も噛み締めてみるべきである。

 

[8] 「日本人の自由で独創的な思考と行動を促すには、日本人の精神的解放が欠かせない。・・・自由な思考と行動を支えるのは『独立自尊』の精神で、個々人の多様な個性を尊び、他人に迷惑をかけないで共生の社会連帯を育てる」ことという「イノベーション経営」の基盤を、大学のイノベーションにあたっても熟慮する必要がある。霍見芳弘「科学と技術のイノベーション」亀岡秋男・古川公成『イノベーション経営』放送大学教材、2001,p.230. 霍見氏は慶応大学出身のようで、この言葉はことのほか彼の精神の中核にあることなのだろうが、世界的に重要なことをついていることは事実だ。

 わが大学人に問われているのは、まさにこの「独立自尊」の精神であり、その欠如ではないか?

 

[9] ということは、これまで透明性が「低かった」と見ているようである。

さて、どのような点が「低かった」のか? その結果どのようなことが起きているのか?「低かった」と主張する以上、その実証的な説明責任がある。

 

[10]「実績主義」という場合、実績の基準はなにか?

 

[11] 「大学の目標」とはなにか?

 

[12] 「自主性・自律性を高め」るのは、すばらしいことだ。だが、その制度的保障は? その主体的推進力の精神的基盤は?

 誰の自主性?

 誰の自立性?

 誰の自律性?

 言葉だけ? 「言うは易く、行うは難し」は子どもでも知っていることわざではないか?

 (Cf.「日本企業の多くには企業戦略の独力での構築と実施の能力がかけている。『戦略』とは『売上倍増』『人材育成』だの『国際化』だのの『スローガン』ではない。」霍見、前掲、p.241)

 

大学の担い手の独立自尊は?

 「日本人の自由で独創的な思考と行動を促すには、日本人の精神的解放が欠かせない。・・・自由な思考と行動を支えるのは『独立自尊』の精神・・」(亀岡・古川『イノベーション経営』p.230)

 

[13] 「中長期的視点」にたってこなかったということか? 何を根拠に?

 

[14] これまでは「流動性・多様性」が低かったというわけだ。

 だが、「流動性」とは何か? 「多様性」とは何か?

 「流動性」、「多様性」と「適任者」とはどのように整合するのか? その適合性を誰が判断するのか? その判断の説明責任は誰が負うのか? その責任は誰が取るのか?

 

[15] 伝えられるところでは、「当局の組織である大学管理本部の策定していた「大学改革大綱」をも無視する代物が有識者なるものの組織から出されてきた」ということのようである。

 

[16] (連帯のコメントを「国公立大学通信」に送付したがhttp://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000067.html

何箇所かワープロ転換ミスを修正できていないことに後で気がついた)

 

[17] 日本学術会議も、大きな制度改革を行おうとしている。その問題意識はつぎのようなものであり、科学者の現代的課題に応えようとしている。

 

「科学技術の飛躍的な発達・高度化の中で、地球環境問題をはじめ、個々の領域知識のたんなる集積では対処できず、科学の総力を挙げて解決しなければならない諸問題が次々と生起している。にもかかわらず、科学者が、各自の専門領域を越えた〈科学総体〉を認識し、その中に自らを位置づけて問題に立ち向かおうとする努力はほとんど見られない」と。

 

 つまり、科学の総力を見渡そうとする総合的な見地と力量は、大学の研究教育を実践すべき教員サイド(そして文部科学省や公立大学設置の各地方自治体行政当局)にこそ欠如している、ということである。

 「社会は、研究開発にとどまらず、中立的で信頼できる科学的見解を提示できる存在を求めている。科学者が、その社会的責任を果たすためには、結集した〈科学総体〉の力により、社会に対して有効・適切な助言・提言を行わなければならない。そのためには、科学者が他の領域の科学者と対話し、領域を越えて科学的知見を利用しあい、共同できる体制を構築して、その社会的責任を果たすことを任務とする、全領域に亘る科学者の集団である〈科学者コミュニティ〉を形成する必要がある」と〈以上、『日本学術会議のあり方について〈中間まとめ〉』〈2001419日〉。

 

 まずは、教員サイド・科学者の側が大きく姿勢を変える、ということが必要なのであり、学部を解体し、いじりまわすことではないのではないか? 学部や大学院は伝統的に確立してきたものを維持しつつ、教員集団・科学者集団を一まとめにするという構想は必要ではないか? その意味では、研究院という形の教員集団の統合〈教授会自治の有機的発展・教授会の集合体=融合体として〉はありうる構想かもしれない。

 

[18] 東京都立大学・短期大学の教職員組合中央執行委員会は、当然のことながら、陳腐な当局の構想を批判していることを知った。思考停止状態でない人々がいるのだ。http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000067.html

 20030805

「都立の新しい大学の構想について」に対して抗議する

2003年8月4日  東京都立大学・短期大学教職員組合中央執行委員会

石原都知事は、8月1日の定例記者会見で、

1)「都立の新しい大学の構想について」の内容について

「まったく新しい大学」を標榜しながら、その内容は、「都市」、「教養」等、さんざん取りざたされてきたキーワードのつぎはぎと、「観光・ツーリズム」、「メディア・アート」、「産業系デザイン」等、各種専門学校等でなされてきた教育の「剽窃」に過ぎない。結局、予算削減、大学教職員の労働条件の悪化をねらいとする「改悪案」そのものであり、本質的な「改革」の名に値するものは、どこにも見当たらない

2)「都立の新しい大学の構想について」が出された経緯について

組合は大学管理本部主導で策定された「大学改革大綱」に反対してきた。それはそれとして、今までの大学「改革」案は、きわめて不十分ながらも、大学側が意向を表明する場が設けられ、そこでの意見を多少なりとも踏まえて作成が進められてきた。しかし今回出された「構想について」は、執行部を含め当事者である大学を完全に閉め出した「密室」で作成され、大学側に何の相談もなくいきなり出されたものである。もし今までの「改革」案に問題があるというのなら、問題があると考えた側が大学側とひざを突き合わせてどこに問題があるのかを話し合った上でその解決をはかるべきである。
 これまで検討されてきた大学「改革」は、都立4大学の統合・改組であった。今回発表された「都立の新しい大学の構想について」は、当事者である大学にひとことの相談もなく出され、手続き的にも正当性があるとは到底認められない。大学管理本部は、このような乱暴なトップダウン方式で、大学改革が本当にうまくいくと考えているのであろうか。

3)一方的な賃金・労働条件の変更は認められない

 「都立の新しい大学の構想について」では、教員の任期制や年棒制の導入業績主義の徹底が盛り込まれている。また、「大学改革大綱」とは、全くことなる学部構成とそれに伴うキャンパス配置も発表された。教員の任期制や年棒制の導入、新たなキャンパス配置に伴う勤務地の変更などは、賃金・労働条件の著しい変更であり、労働組合との協議すら開始しない段階で、一方的に発表することは許されない暴挙である。大学管理本部に対して、厳重に抗議する。

4)政治的、社会的、法的問題について

7月1日参議院総務委員会における「地方独立行政法人法案」の採決にあたり、以下のような付帯決議がなされた。

 二、地方独立行政法人への移行等に際しては、雇用問題、労働条件について配慮し、関係職員団体又は関係労働組合と十分な意思疎通が行われるよう、必要な助言等を行うこと。

. 六、公立大学法人の設立に関しては、地方公共団体による定款の作成、総務大臣及び文部科学大臣等の認可等に際し、憲法が保障する学問の自由と大学の自治を侵すことがないよう、大学の自主性・自律性を最大限発揮しうるための必要な措置を講ずること

新構想は新大学の根幹をなす学部構成や、教職員の労働条件等について、当事者である大学側の意向を形式的に聞くことさえせずに出されたもので、以上の付帯決議の趣旨に違反することは明白である。
「地方独立行政法人法案」や「国立大学法人法案」の国会審議で指摘された問題点を、全く顧みないものであり、大学関係者のみならず、良識ある多くの国民・都民の批判は免れることができない。以上の点から、私たち都立の大学に働く教職員は、「都立の新しい大学の構想について」の撤回と、都立4大学教職員との協議と合意に基づく、新大学設立準備を、強く求めるものである。

Posted by tjst | 荒廃の諸相 , 国会審議の形骸化 , 大学の自治 , 地方独立行政法人制度 , 不当な介入 | | TrackBack

 

今回の「構想発表」にいたるトップダウン方式など、大変な問題については、

 

20030805

[reform:04921] 都立大に吹き荒れるファシズムの嵐

http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000068.html

Date: Mon, 4 Aug 2003 09:01:50 EDT

「・・・今年の6月末になって、大学管理本部長が任期途中で解任され、新しい本部長が送り込まれてきました。前本部長が解任されたのは彼が大学側の意向に一定の理解を示して、結果として「生ぬるい」改革案を作ったからである、と噂されました。選挙で300万票を得て気をよくした知事が、「まったく新しい大学をつくる」と意気込んで投入したのが現本部長で、「今まで『やる』と言って実現しなかったことはひとつもない」と豪語している、とかいう人物でした。・・・・」



皆様、

このメーリングリストで流れた8月3日付「国公私立大学通信抄」でも、都立の新大学に関する情報が紹介されました。

受信日時:2003/08/03 17:51:50 東京 (標準時) tujisita@math.sci.hokudai.ac.jpからの引用:

> [3] 「単位バンク」で柔軟カリキュラム 統合後の都立新大学

この「都立の新しい大学の構想について」が出された経緯は異様なものです。

これまで都立大学では、2〜3年以上の年月をかけて、都当局と大学側が交渉し、(都当局主導で大学側の意向が必ずしも十分に反映されたとは言えないものではありましたが)とにかく都当局と大学側の共同作業の結果ほぼ改革案がまとまりつつありました

それが今年の6月末になって、大学管理本部長(私たちの大学は、キャンパスではなく新宿都庁内にあるこの「大学管理本部」といういやな名前の部署の下に属する「二級事業所」(!)という扱いです)が任期途中で解任され、新しい本部長が送り込まれてきました。前本部長が解任されたのは彼が大学側の意向に一定の理解を示して、結果として「生ぬるい」改革案を作ったからで
ある、と噂されました。選挙で300万票を得て気をよくした知事が、「まったく新しい大学をつくる」と意気込んで投入したのが現本部長で、「今まで『やる』と言って実現しなかったことはひとつもない」と豪語している、とかいう人物でした。

そして新本部長が着任して1ヶ月程度で、突然出てきたのがこの「都立の新しい大学の構想について」です。これが突然プレス発表(知事の記者会見は以下をご覧ください)

http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/index.htm

されるまで、大学側は学長以下まったく何の情報もなく、大学管理本部のお役人でさえ下の方は何が起こっているのかわからない、というような密室の中で作られた案が、大学側にひとことの相談もなく突然プレス発表されたわけです。しかも(上記の記者会見を見ていただければわかりますが)、「いやならおやめになったらいい」という知事のやくざまがいの恫喝のおまけまでついています。これがファシズムでなくていったい何でしょうか?

その内容も、(「ちゃぶ台をひっくり返す」という噂通り)今までの数年間の積み重ねを完全に反故にした滅茶苦茶なものです。はっきりしているのは管理強化、人件費削減、労働条件悪化の意図だけで、あとは、(1ヶ月で「まったく新しい大学」の構想をゼロから作る、などという荒唐無稽な話ですから必然ではありますが)実にお粗末きわまりない出まかせアイデアのオンパレードです。

これから何とかこの滅茶苦茶な案を、全学で一致団結して押し返していかなければなりません。このような案がこのまま通ってしまえば、それが全国の国公立大学の改革・法人化に与える悪影響は甚大だと思います。教職員組合中央執行委員会としての抗議声明 を以下(上掲)に貼り付けます。
 どうか皆様のご支援のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。

東京都立大学  長谷川 宏

 

[19] しかも、その発想は、わが「辣腕」事務局責任者やあり方懇談会座長(答申)と石原都知事のもののいい方の共通性に端的に現われている。すなわち、「ああだこうだ,いやだとか,へちまだとか言うだろうが,そんな者は辞めたらいいんでね」とhttp://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/ASX/20030801.ASX 

社会と大学における民主主義的多元性に基づく自由で批判的な議論の中から、新しいものを作り出していく、という点を否定するやり方、この民主主義否定、反対者を放逐する思想が、共通している。議論を尽くし、しかるべき制度的な医師決定過程を経て、物事を決定すればいいので、その決定過程において多様な対立的意見が出てくるのは当然である。

大学管理本部が出した意見を批判するものを大学から放逐しようという発想(問答無用の論調)に危険と大学自治否定・学問の自由の否定を感じないとすれば、それは根本的に問題である。

 

[20]この文書は,宛て先,作成者名などの入っていないものが出回ったため,通称「怪文書」と呼ばれているものです.その内容については,教員組合ホームページhttp://homepage3.nifty.com/ycukumiai/shiryo/0304010gakucho-shi.pdf

を参照願います.

 

[21] 5月7日に副市長に対してされたという4点の意見表明とは,次のようなものと伝えられています.1.49日付けの学長の「あり方懇答申に対する要望」において学長は、独立法人化を念頭におくとか「あり方懇」答申を踏まえるとしている。2.市議会の答弁で学長は、「あり方懇」答申を真摯に受け止め、事務局と協力して大学改革を進めると答弁している。3.大学内の議論の方向性は「あり方懇」答申と大筋で齟齬はない。4.57日に学長は改革への決意を表明したことを確認する。これらの4点を前提として、「大学への市長のメッセージ」が示されました。

 

[22]5月初めに採択された2学部1研究科委員会の決議は,末尾に掲げます.