2007年6月の日誌
6月19日 今日は、教養ゼミで、ハラスメントに関する特別講義を受けることなり、私も参加した。
それで思ったことは、この間の大学「改革」における強行なやり方、どう考えても学校教育法や憲法に抵触している教授会自治の破壊状態は、所属する一般教員に対する「パワーハラスメント」ではないのか、ということであった。
最近で言えば、教員組合の質問状に答える代わりに、SDシートを提出しないと「低い評価の危険性」(英語原文の直訳)、「最低の評価の危険性」(日本語公式文書)があるとの文書で記入登録を迫るやり方、この脅かしのやり方は、まさに、職権を利用したパワーハラスメント以外のなにものでもないのではないのか、ということである。
この言葉と、任期制とが結びつけば、恐怖が倍増し、強制力が増すのははっきりしている。制度がいかに不十分であっても、不利益措置を恐れて、泣き寝入りせざるを得ない立場の弱い人々は多いだろうから。
講師の話では、ハラスメントの立証においては、証拠が決定的に重要だということだった。しかも、文書証拠が一番重要だといった。まさに、上記の脅かしは、文書で全教員に送りつけられた。
SDシート記入後に差し戻し等がおこなわれたようであるが、それも文書証拠があれば、後々、ハラスメント問題としても役に立つので、差し戻された教員は、不当だと感じた差し戻し案件は、その文書証拠をきちんと保管しておく必要があろう。
さらに、今後、面談等が行われる可能性がある。その際には、ICレコーダーによる録音を行っておくことは(弱い立場からすれば秘密裏に行う必要があるが)、身を守るために絶対必要となろう。本日の弁護士の話では、録音は貴重な証拠となるという。
いろいろなルートで耳にする情報からすれば、まさに多くの教員は、この「脅かし」に怒り、呻吟し、諦観し、泣き寝入りしている。
「弱いものいじめ」の力学は、この場合にも働いている。単にに上からだけではなく横から背後からも働くようである。いろいろなところで嫌がらせや不利益措置が、隠然公然と行われることを恐れて、SDシート登録に踏みきっている人も多い。
講師の弁護士は、「質問に可能な限り答えます」といっていた。
今後の展開によっては、パワーハラスメント問題として、質問することになるかもしれない。正義感旺盛な弁護士で、全国的に相当な数と質のハラスメント事件を手がけているようなので、頼もしそうである。教養ゼミAの担当者であったことが幸いした。
参加している教はいうまでもなく学生は非常に多かった。教養ゼミの教員は、私の見る限り、あまり多くはなかった。
次回にたくさんの教養ゼミの教員が、担当時間の責任者として、ハラスメント講義に参加して、パワーハラスメントでの提訴の可能性に関して、注意深く聴講していただけるとありがたい。
また、教養ゼミA担当以外の教員も、不当なことに苦しめられていると感じている人は、ぜひ、学生諸君とともに聴講することを薦めたい。きっと勇気がわいてくるであろう.
学長・当局の態度の不当性は、教員組合声明(週報掲載)が説明するとおりである。
明日から、海外出張(ベルリン・フンボルト大学ハルトムート・ケルブレ教授招聘による講義「新自由主義と大学改革」と科研費調査のため)。
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6月18日 先週木曜日の執行委員会・拡大執行委員会の議論を踏まえた教員組合声明が、週報で組合員に知らされた。組合HPにも掲載されるであろう。ここにそのコピーを掲載しておこう。
組合がこれまで当局に求めてきた質問(昨年度の総括など)に一切誠実な回答がなかったことから、多くの組合員が当局の姿勢(たとえば人事における最も重要な評価事項=昇任問題)に信頼を持てず、SDシートに記入登録できないとしても、それは当局側に責任があることであり、余儀ないことだろう。システムの問題性を明確に指摘するには、SDシートへの不参加、という道が最も明確な意思表示となろうから。
内発的なSDシート登録への条件整備は、当局が、真摯に、組合の提起した諸問題に答えることであろう。
その誠意ある態度こそは、SDシートへの登録を促進する道であろう。
形式主義的態度は、亀裂を深くするであろう。
委員長名で提起した抗議文に即していえば、管理職がみずからのSDシートを公開すること、その最後の評価結果も公開すること、これがSDシート登録の一つの前提となろう。
現実には、一般教員の何人かが、正々堂々とSDシートを公開しているようである。評価権限を与えられている管理職で公開しているのは、私の見た限りでは、一人しかいなかった。
現状では、一般教員が管理職任命に自由な意思表明ができない(任命の決定権から排除されている)なかで、一方的に被評価者とされている一般教員が納得しうる条件は、権利者=評価権限所有者が、みずからのSDシートとその実績、評価者の評価を全面的に公開することによるしかないであろう。
------横浜市立大学教員組合週報-----
組合ウィークリー:2007.6.18
●目次 今年度の教員評価に対する組合の見解
今年度の教員評価に対する組合の見解
今年度、教員評価を実施するとして、5月1日学長からの文書が出されましたが、組合は多くの問題点を指摘し学長宛てに複数回質問状を出しました。しかし、毎回、不誠実な回答しか得られなかったことから、学長に、私たちの質問に誠実に答えようとする姿勢がないことが明白となりました。
昨年度の当局が言っている「試行」は、試行と言うには余りにもお粗末なものでした。即ち、期間は半年間にすぎず、参加者もごく僅かで、結果の評価もどのようにして行ったか、どのような反省点があり、どのような改善を行ったかが説明されないものでした。従って、今年度の教員評価が実質的な試行に相当すると考えるのが自然です。
今年度を実施と言うには余りにもお粗末なことは、SDシート記入開始時期が1ヶ月近く遅れたこと、また、その時点で、組織の目標を記入していない評価者が多くいたこと、システムに多くの不備があったこと、評価者のうち多くの者が自身のSDシートへの記入登録が遅れ期限を超えていたこと、また、未だに記入登録を行っていない評価者もいることなどから明らかであり、今年度がまさに試行として位置付けるべきものと考えます。
教員組合としての方針を示して欲しいという組合員の意見が寄せられていますが、教員組合は「平成19年度の評価結果を平成20年度に反映させることはない。また、5年あるいは3年単位の評価として処遇に反映させることもない。」および「評価制度が教員の理解が得られるまで処遇へ反映させることはしない。」ということを松浦副理事長と人事課課長に明言させています。
このことから、今年度は実質的には試行に相当するのでそれほど気にすることはないので参加するという組合員の立場、種々の教員評価制度の問題点を洗い出し将来教員に不利益とならない評価制度にするために参加するという組合員の立場、教員評価制度自体に根本的問題があり応じることはできないという組合員の立場、いずれも理解し尊重したいと思います。教員組合は、いずれの立場をとる組合員にも、その権利を擁護すべく努めます。
教員組合として、現時点ではこのような見解を提示しますが、今後も継続して、教員評価制度における諸問題、学長の対応と発言に関する問題等については厳しく追及していく方針であることには変わりはありません。
以上
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教員組合に皆様の声をお寄せください
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel
045-787-2320 Fax 045-787-2320
E-mail : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP:http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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6月15日 学長名で、「仮登録」している人間に対して、提出を促す文書が、届いていた。他の人の情報では、昨日のうちに入れられていたようである。
「教員評価制度では常勤のすべての教員が対象としており」、「全教員がSDシートの提出を行うこととなっている」という。
前半部分、すなわち、全員を対象と考えること、一部の教員だけを評価し、一部を排除するものではないことは、制度設計の趣旨であろう。
全員が参加できるようなシステムにしていくことは必要だろう。
しかし、そのためには、被評価者としての圧倒的多数の一般教員(現在、種々の事情で評価権を与えられている教員も、「明日はわが身」の可能性はある)が、現行制度の改変、ありうべき制度設計について、自治的民主的な意思表明を行う場(審議の場)がなければ、一方的強制となってしまう。そのシステムは欠如している。
どのようなルート・手続きを経て、全員が参加できる道を開くのか?
阻害要因となる諸問題をクリアしてこそであり、そのためにこそ、教員組合(その現在の執行部)も、現在の制度の諸問題を提起しているのである。
問題は、その後にある。
「行うこととなっている」という決定は、誰がどこで行ったのか?
その決定は民主的手続きに基づいていたのか?
大学自治の原則、あるいは、教授会自治に基づき、教授会の審議を経た上で、その自治的行為として決めたことか?
そうではない。
制度の改正、問題点のクリアのために、どのような手続きが設定されているか?
現在では、自主的自立的な組織としての教員組合の問題点の指摘、制度補足・改正要求等が、学長等の当局においては、正式な審議事項となっているのか?
昨年度の半年間の「試行」が最後まできちんと行われ、総括されていれば、たとえば必然的に出てくるであろう「不服審査」請求制度の整備も問題となったはずである。
現在の制度では、当局任命の管理職だけが、不服請求に対応することとなっている。
それでは、公正で透明な不服請求審査の制度たりえない。
そうしたことも含め、全教員が納得して参加できる制度になっているかどうか、すくなくとも決定に自主的自治的に参加したのか(できたのか)、これが決定的に問題である。
この間の、あまりの問題の多さ・深刻さに、教員評価委員会とその長である学長に、教員組合は種々の質問を出してきた。その質問が、不当であり、検討に値しないものであれば、そのことを明確に述べればいいのである。合理的に説明すればいいのである。
そうしたことは、この間の繰り返しの質問状に対する回答においては、見られなかった。
具体的な問題点を挙げて回答を求めたが、内容的には一切回答がない。
SD参加に対する不信感があるとき、参加することが表面的形式的な「登録率の高さ」を喧伝する勢力に利用されるだけ(「これだけの登録率があったので制度は承認を得た、次は処遇に結び付ける」といった新たな攻勢の危険性)で、教員諸個人の真の意味での「自己発展」(したがって真の意味での大学の発展)には決して結びつかないのではないかという疑念や怒りが蓄積しているとき、畳み掛けるようにSDシートの提出を求められても、「強制」としか映らない。
教員組合の提起している問題がおかしいのであれば、そのおかしいことを条理を尽くして説明し、参加を求めるべきであるが、形式的官僚的な文書を配布するだけである。
しかも、気がめいることには、今回の資料には、評価者のリストがこれでもかこれでもかと、何ページもの表で示されている。
その評価者たちは、すべて、「上から」,「外から」任命されたものである[1]。
その圧迫感たるや、私のようなものでも感じるのだから、若い人々には本当にすごいものではなかろうか?
抑圧感・不安感で大学は良くなるのだろうか?
合理的で明快な説明、合理的で民主主義的な、憲法原則にのっとった制度設計こそが、内面的など同意にもとづく自己発展を可能にするのではなかろうか?
教員評価制度は、自治的な教授会が権限と責任を持つような学則体制の場合には、教授会の審議と意思決定でおこなわれるものである。その場合は、自主的自治的な制度設計として、SDシートは、自主性と自発性によることが可能となる。
しかし、現在のように、学則とシステムの運営が、民主主義的原則・大学自治の原則から乖離しているとき、「上から」、「外から」任命された学長による運営体制(評価体制)であるとき、危険性は大きい。
大学の内部において、いまや唯一自治的自主的な組織となっている教員組合が、かつての教授会が持っていた自治的民主的機能を代替するしかなく、その意味での質問状の提出(問題点の明確化)となっている。
そうした自治的な問題点の指摘には一切具体的に答えない、というやり方。
これは、これまでの学長・当局に対する不信感を裏打ちするだけである。
当局が発表する「83%」の登録率なるものも、実際には、当局任命の管理職を含む総数を基にしており、一方的に被評価者の立場におかれた一般教員の登録率を計算すると70%程度だという(忙しくて私は計算していないが、すくなくとも、83%なる数字が評価権限を与えられている管理職を含む数字であることだけは確実である)。
登録率の「数値」だけを喧伝するとは、たとえば、このようなことを意味する。
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6月14日 昇任人事に関する不透明な諸問題に関して、理事長、副理事長(最高執行責任者)・学長(副理事長)に質問状を出し、12日までに回答を求めていたが間に合わないという連絡が書記長に対してあった。昨日の執行委員(4役会議)で明らかになった。19日までには回答するとのことである。
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6月7日(2) 教員組合の質問状に対する学長からの回答があった。われわれが求めた回答期限よりも前に回答があったことは、その姿勢を多としたい。ただし、これまでと同様、内容的にわれわれが指摘した問題には答えるものではない。
この事実から判断すると、昨年「半年間」の「試行」のきちんとした総括など存在しないのである。そうした総括など抜きに、ただ、タイムスケジュールにしたがって「教員評価制度」を「実施した」という外面を繕うという態度としか受け取れない。巷間で言われているように、「血の通わない」制度設計であり、運用である。
期限延長をせざるを得なかったことを事実上において認めるだけで、その背後にどのような問題が山積しているかに関しては、まったく反省も言及もしていない。
山積している問題点を理解するために、学長がイニシャティヴを発揮して、現場に、すなわち、一般教員のいる各コース会議等に出かけ、議論し、説得を試みるといったことがあってもいいが、そのようなことはない。形式的な期限を知らせるメールを送り付けるだけである。
全教員に、教員評価事務局を通じて、学長メッセージ(提出期限延長を伝えるもの)を送りつけるというこの手法は、これまでと同様である。学長に対する信頼感がますものではない。
ただ、今回は、公式文書で、日本語だけを送ってきており、原級(英語原文)と最上級(公式文書)の混同まで行った露骨な脅迫のやり方(これについても、「処遇への反映は教員の納得が得られてから」とする「団体交渉記録」との齟齬も含めて、追及する必要があるかもしれない)とは違っている点は、事実における反省の態度がわずかとはいえ、示されたと感じられる。
いずれにせよ、多大の問題点を抱えるなかでの「評価システム」であること、「上から」5月18日などという提出期限を連休の合間に送りつけるなどということの不当性は、教員組合の度重なる抗議や質問状があってはじめて、明確になり、事実上に置いて訂正されたといえよう。
官僚主義的行政主義的な勢力は、6月7日現在で「80%」という登録率に、歓喜の声を上げているであろう。その内実がいかなる問題をはらんでいるかに関しては、そのような勢力は関知するところではない。目先の「成果」が上がればいいということだろう。
教員組合が指摘した問題点に、具体的に答えないという態度が、それを示している。
総括ができていないなら、「総括はできていません」と事実をありのままに言うべきである。そして、「昨年半年間」とちがって、「説明だけは聞いてみよう」という教員組合の態度があってはじめて、今回のような当局が歓喜するような登録率になったことを、深くかみ締めるべきなのである。
指摘されている幾多の問題点に関して、具体的に回答するという態度こそは、血の通った制度の構築に向かう道であろう。
しかし、今回のメッセージでも、「決まっていること」として、SDシート登録を求める。
それでは、問う。「誰が、どこで決めたのか?」
大学の自治にふさわしい民主主義的審議を踏まえて決められたのか?
「上から」、「外から」決めたのではないのか?
今回の「期限延長」は、教員評価委員会で決めたという。
だが、その委員は、誰が、どこで決め、任命したのか?
民主的選挙によって選ばれた委員なのか?
「上から」任命した委員だけがルーティンだけを守るかのように「学長の意向」に従うのは当然であり、その決定の正当性が問題となる。
ここでまた、この根本問題が浮上する。
「決まったこと」を繰り返すメッセージからは、行政的態度はうかがわれるが、大学の自治の担い手としての見識は、うかがわれない。つまり、一貫しているのは、大学の自治(憲法原則)の精神の欠如である。
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6月7日(1) 本学の学則と昇任規定の齟齬の問題の指摘があった。昇任問題が、真正面から取り上げられるなかで、はじめて、大学の諸規定を調べなおし、相互関係を確認する作業も行われる。一つ一つの問題の発見は、その解決への道であろう。こうした問題の発掘は、みんなで力をあわせて、すなわち民主主義の力で、やっていくしかない。緻密に諸規定を調べて、情報を提供してくれた方に御礼申し上げたい。
当局は、学則を具体的に運用するに当たって、昇任規定をつくり、その具体的運用では、学則にさえも違反することを決めていることになる。
そして、その昇任規定でさえ、「現実の必要」にあわせて、人事委員会で、必要条件の「お手盛り」的改定(『カメリア通信』)も行う。具体的な運用を担う責任者・部署の思いのまま、と。
確かに、制定過程において大学の自治に基づく審議を行わず、一般教員の発言の余地をなくしておけば、その当座は「効率的に」進む。
しかし、制定された規則がじっくり練り上げられていないと、すなわち、制定過程で検証・批判の目を潜り抜けていないと、後で、重大問題を引き起こす。
憲法(大学自治の原則)を無視ないしないがしろにする姿勢は、大学改革推進本部(市当局)で決めた学則さえも無視する姿勢となって問題を露呈する、ということであろう。
「上から」任命されただけに「イエスマン」とならざるを得ない人々の会議では、疑問を呈することさえはばかられる雰囲気が蔓延し、「阿吽の呼吸」、にこやかで和気藹々の温和な場で、事務的にすべてがすいすいと決まっていく。議事録は、事務連絡ばかり、と。
この問題が発見された以上(具体的問題の検討によって問題が明確になり、定式化された以上)、その昇任規定や学則の改定こそが、民主主義的に、大学自治の原則(憲法原則)に基づいて行われなければならないだろう。
教員組合の質問状は、まさにその筋道において、生かされるべきだし、そのようにしていくことが必要だろう。
-----学則と「昇任規定」の齟齬-------
昇任人事について、諸規定を調べました。
「学則」第9章第63条の3に、以下のようにあります。
「コース長はコース会議の議を経て、以下の事項について決定する。……(2)コースに係わる教員人事の学部長への発議に関すること」
また、「公立大学法人横浜市立大学教育研究関係の職員及び諸会議に関する規定」の第27条に、コース会議の審議事項として、以下のようにあります。
「(2)教員の人事を学部長に発議すること」
このように見てきますと、「昇任規定」で、「推薦にあたり、推薦者は各々コース長、カリキュラム長、専攻長、副研究院長、副病院長等から意見を聞くものとする。」とあるのは、学則と整合していないように思われます。つまり、「学則」「……諸会議に関する規定」では、コース長およびコース会議に発議権があるのに対して、「昇任規定」では、それがないのです。「昇任規定」は日本国憲法に反しているだけでなく学則等の上位の規定にも反しているのではないでしょうか。
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6月6日(2) 昨年11月30日の団交記録がやっと週報で報じられる状態となった。任期制問題に関する当局の責任者相互間の態度の違い、法解釈問題などが要因となって、難航したものである。教員組合からすれば、色々、問題があるが、ひとまずこの記録を確定し、次の団体交渉に向けて、進んでいかざるを得ない。すでに、教員評価問題に関する部分は、不安を抱える多くの教員のために、抜粋的に週報で知らされていた部分を含むものである。
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6月6日(1) われわれの対当局質問状に関連し、本学の規程に詳しい人から、コース長や学部長の「発議権」はない、学部長にしても「推薦権」しかないという注意があった。
「審議」、「発議」、「推薦」の意味内容・定義・権利状況とも関係するが、つまるところ、徹頭徹尾、大学の自治、一般教員の属する基礎組織の自治的な人事発議権が否定されているということが、さらに明確になった。いかに現在の昇任規定が、法人・経営の専制体制を保障するものとして制定されているか、明らかであろう。
そのことの意味を逆の側面から示すのは(「上部」の専制的決定権を示すのは)、一方では、少なくとも、われわれが関知する昇任人事に関してはコース会議で議論し、コース長を通じて「推薦」したのだが、その教員が「経営的観点」から昇任を拒否され、他方では、われわれのコース会議では何も書類が出ず一切の議論が行われなかった人が、上部の(学部長、以上の?)「推薦」で、昇任している、という現実である。
ここに明らかなのは、コース会議における一般教員の議論とそこで出された結論=「ある教員の推薦」は、「上部で」無視する・否定する、ということである。
コース会議も、学則上、何の権限も与えられないものとして制定されているのだから、当然とも言えるが。
いかに一般の教員を人事問題から徹底して排除しているか、大学自治の根幹となる人事権から排除しているか、あきらかであろう。
これを大学自治破壊といわずして、なんと言うのだろうか?
大学自治の再建に向けて、みんながそれぞれの立場から知恵を出し、行動しなければならないだろう。
-------------
Ø
教員組合執行委員各位
>
> 大学のためにご尽力感謝いたします。
Ø
> さて、「公立大学法人横浜市立大学教員昇任規定」には、次のようにあります。
> 「第4条 教員の昇任には、学部長、研究科長、研究院長、病院長(以下、「推薦
> 者」という。)のいずれか1名の推薦を必要とする。」
> 「第5条 2 推薦にあたり、推薦者は各々コース長、カリキュラム長、専攻長、副
> 研究院長、副病院長等から意見を聞くものとする。」
Ø
> そこで、質問書の以下の部分は、「規定」と対応していないことになります。
> 「各コースの審議を経て2007年4月に昇任させるにふさわしいと判断された教員を、 >
> 各コース長を通じ、昇任適格者として人事委員会に対して発議した」
Ø
Ø
> すなわち、コース会議には人事の発議権はなく、その審議結果は、コース長の学部長 >
> に対する意見具申に反映されるだけです。その意見を受けた学部長にしても、単なる >
> 推薦者であり、発議者にはなれません。
Ø
> ご存じのこととは思いますが、念のためお伝えいたします。
-------------
6月5日(2) 記入登録した教員に対して、失礼なやり方での修正命令が、メールで送りつけられているようである。怒った教員からの訴えのメールを紹介しよう。命令だけは出して、それに対する反応は受け付けないシステムとなっているようである。無礼千万。権力を持つと、いつの間にか、こうなる。
しかし、「差戻し」をして、訂正を求めた人物が責任者であることは明確である。その事務的下請けを、だれか「不明の発信人」がやっているとしても。したがって、責任者が、もろもろの意見の受け取り手になるべきである。
組合としても、この訴えに関しては、本日発送の組合からのアンケートに対する回答の集約とあわせて、対処していくことになろう。
---------第二の訴え----------
> 教員組合御中
>
> 先便でご報告しました「教員評価システム」宛のメールは、returned mailとして、戻って来ました。返信できないシステムになっているようです。組合のほうから、しかるべき宛先にご送付願えますか。
----------最初の訴え-----------
> 教員組合御中
>
> 以下のようなメールを「評価システム」あてに送付しました。教員組合の問題として、ご検討いただければ、ありがたく存じます。
>
>
> 評価システム様
>
> どこから発信されたかも分からない文書を送りつけるのは止めて下さい。・・・の「差戻し」の要望を、だれとも知れない者が私に命令しているようですが、そういう命令を発するのは、いったい何者なのですか。
> 今後、いっさい、こうした発信人不明のメールは、「迷惑メール」として削除しますが、そうした迷惑をかけないよう、留意してください。(こちらには返信しないで下さい、とは、なにごとですか。迷惑防止条例に反することとして、訴えられても仕方のない失礼な文書です)。
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6月5日(1) 久しぶりに『カメリア通信』が送られてきた。その内容は、人事規程(昇任人事規程)の「お手盛り」の改正を指摘し、批判するものである。
教員組合は、昨日付けで、4月昇任を「経営的観点から」拒否された人事問題をめぐり、理事長・副理事長・学長あてに質問状を出したが、まさに、他方では、この情報で明らかにされたような規程の「お手盛り」的改定まで行ったという事実があるとすれば、由々しい事態といわなければならない。この規程改正問題も、今後、本格的に問題にしなければならないことになるのではないか。
大学の規程、法人の規定・規則が、大学自治の原則(憲法原則)に基づいて、公明正大に制定されない場合、すなわち専制的体制での規則制定の場合、いったいどんなことが起きるか。
専制的体制における教員評価が,いったいどんなものになるか。
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6月4日 教員評価制度問題で多忙を極めたため、先延ばしになっていた重大問題、すなわち、昇任人事に関する対当局交渉を開始した。人事は、給与や評価と並んで、大学自治にとって決定的に重要な問題である。
本学(本法人)においては、昇任規程なども、教授会や評議会で審議決定するのではなく、「上から」任命された管理職ばかりで決めている(したがって、そこには、行政優位の規定がいくつもあり、全国的に比較してみれば、その行政優位の規程は一目瞭然となろう)。本学のシステムとその運用は、徹頭徹尾、大学自治の憲法原則とは相容れないというべきだろう。
------(芦部『憲法』第3版より)------
「大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治の二つである。ほかに、近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である。
(1)人事の自治 学長・教授その他の研究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。
以下略・・・・・・・・・・・・・・・」
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この憲法学の標準テキスト(最近4版が出た)が示す基準に照らすとき、本学が、憲法違反状態にあることは、誰が見ても明らかであろう。
法令順守をと法人・大学当局は看板を掲げる。法令の精神を倫理的にも追求するという。
しかし、わが国の最高法規である憲法に違反するような人事制度を採用していて、はたして、法令順守といえるのか?
どこに自治があるか?
理事長、副理事長(最高経営責任者)、学長のすべてが「上から」「外から」の任命であることは明確である。どこに、大学の自主的判断があるか?
「学生管理の自治」が、憲法的要請である。しかし、学長以下の管理職がすべて任命制の教育研究審議会で、TOEFL500点基準を設定し、教授会審議を経ていないで、仮進級などの措置をとっている。このどこに大学の自治があるか?
まさに、そのこと(自治の欠如、そこから来る不透明性)を明らかにするのが、この間の人事問題、とくに、今回の昇任人事をめぐる不透明さである。
任期制評価問題WGの議論、組合執行部での議論を重ね、下記のような質問状・要求書を本日、当局に提出した。この問題は、つぎの団体交渉マターとなるべきものであり、その準備書面、とでも言うべきものである。
昇任に当たって、任期制同意を条件とするなどというのは、すくなくとも、公務員時代からの身分継承の法理からしても、不当労働行為である。
新任人事のように、さしあたり、外部からの採用時においては、法人が掲げている任期制に同意せざるを得ないとしても、「任期」の間にしかるべき業績を上げて、安定したテニュアの地位を得るのが、全教員の希望であろう。またそれが、大学の安定的発展の基盤となろう。そのような見通しは、現在は制度化されていない。
任期制同意への事実上の強制に苦しめられている教員、任期制に同意して新規採用されたが将来の安定が見えてこない教員、公務員身分の継承にもかかわらず「任期制」に同意して不安・不安定な状態におかれている教員、これらすべての人のために、下記のような当局への質問状は意味があるであろうし、透明性のある制度、安心して働ける制度を構築することが、今後の団体交渉の課題であろう。
------------昇任人事に関する質問書----------
2007年6月4日
公立大学法人横浜市立大学
理事長 宝田 良一 殿
副理事長 松浦 敬紀 殿
学長 ブルース・ストロナク 殿
横浜市立大学教員組合
執行委員長 永岑 三千輝
2007年4月の昇任人事に関する質問書
前年度、各コースの審議を経て2007年4月に昇任させるにふさわしいと判断された教員を、各コース長を通じ、昇任適格者として人事委員会に対して発議したが、4月以降に教員組合が調査したところ、各コース・人事委員会の発議の対象となった教員のうち数名が、「経営上の判断」から4月には昇任できないとされたことが明らかになった。
教員の昇任は、対象となる教員の研究・教育業績の内容を理解し、それを公正に判断できる教員組織がこれまでおこなってきたが、このたび数名の昇任が発令されなかったことは、教員が営々と積み重ねてきた研究教育業績に対して、それを否定するばかりでなく、「経営上の」理由を大義名分のごとく掲げ、研究教育業績審査をも意味のないものに貶める、忌々しき出来事であると考える。
この件ついて当局に対して以下の質問を提出する。各事項について、昇任の判定・判断に関与した当局側のそれぞれ該当する各責任者に対して、誠意ある文書での回答を、下記6月12日の期日までに求める。
― 記 ―
1.サイボウズに掲載された「第11回人事委員会議事録」(2007年2月9日開催)には、国際総合科学系部会から国際総合科学系の「昇任候補者の部会審査結果」が審議事項として発議され、「藤野国際総合科学部長より[国際総合科学部昇任]推薦者の内容が説明され、質疑の後、昇任候補者について承認した。なお、任期制に同意していない教員が昇任することは適当でないという意見が出された。」とある。「昇任候補者について」の何を「承認」したのか。「承認」された内容を詳らかにせよ。
2.さらに、この「任期制に同意していない教員が昇任することは適当でないという意見」は、近視眼的な経営的視点による、学問業績への冒瀆的かつ不当な介入である。このことにより被評価者の評価が低く位置づけられ昇任自体がおこなわれないようなことがあれば、それは学問・教育・研究を真摯におこなう者への侮蔑的発言である。議事録に記載された経緯を問うとともに、この発言者および座長・議事録作成責任者にその謝罪を要求する。
3.同じくサイボウズに掲載された「第12回経営会議報告」(2007年3月8日開催)には、上記の第11回人事委員会での決定事項は、その後、この第12回経営会議の議事として取り上げられ、この事項について「2月9日(金)、2月23日(金)に行われた第11回及び第12回人事委員会結果について、報告」されたと記されている。第12回経営会議では、第11回人事委員会の決定事項について報告のみがおこなわれたのか、あるいは審議もされたのか、明らかにせよ。
4.さらに、「第11回人事委員会議事録」に記された「任期制に同意していない教員が昇任することは適当でないという意見」は、この第12回経営会議ではどのように取り扱われたのか、明らかにせよ。また任期制に合意することが、経営会議において昇任の条件とされたのか否か、回答せよ。
5.昨年7月の昇任人事においては、昇任対象者に事前に労働契約書(含任期制合意確認)を提出させ、提出した者のみを昇任させ、非提出者には今年3月に至るまで昇任発令が出されないという忌々しいことがおこなわれた経緯があるが、今回は、事前に労働契約書の提出を求めることがなかったのはなぜか、説明せよ。
6.昨年7月人事における昇任対象者と異なり、今回の候補者に対しては、任期制への同意確認がおこなわれないまま、昇任に関しての順位付けがなされたのか否か、回答せよ。また前回とは異なり、同意確認もすることなく、昇任候補者間で差別的扱いをした明確な理由を示せ。
7.教員組合の調査により、数名の教員の昇任を発令しない根拠は「経営上の判断」であることが明らかになった。この「経営上の判断」はいかなる会議でなされたものか、明らかにせよ。
8.数名の教員の昇任を発令しない根拠とされている「経営上の判断」とはいかなることか。その裏付けとなる論拠を示した上で、「経営上の判断」に含まれる事項を列挙し、具体的かつ明確に説明せよ。
9.この「経営上の判断」が、研究・教育業績によって判断されるべき教員の昇任の事柄と具体的にどのように結びつくのか、説明せよ。
10.人事委員会が発議した際に、各コースが昇任適格者と判断して発議された教員は、文系・理系の別にその研究・教育業績が点数化され、順位付けがおこなわれたとされるが、教員の研究・教育業績を点数化するにあたり、それを学術的・教育的に客観的に判断できる資格・能力を持つどのような審査者が参加し、その点数化がどのようなプロセスに従ってなされたのか、また具体的な配点項目と配点基準は何か、明らかにせよ。
11.人事の透明性を謳う新法人当局からすれば、審査基準・配点基準の公開のみならず審査結果の公開は当然のことであり、もし仮にそれを公開しないのであれば、透明な人事という原則を踏みにじるものである。従来法人化以前の教授会においては候補者の専門を判断できる教員によって構成される人事選考委員会が作成した詳細な報告書が教授会構成員全員に配布され、昇任についての判断理由の詳細な説明がなされていた。本年度4月昇任の人事に関しても同様に、最終決定の段階において、候補者が教授等に昇任するのに適任あるいは不適任であるとする人事委員会あるいは経営会議の正式かつ詳細な文書が存在しなければならないはずである。その文書の有無を問う。
ここでいう文書とはサイボウズ上に出された簡単な報告・文書を意味しない。最終決定の根拠となる、法人化以前に教授会報告で作成されていた審査報告書と同等ないしはそれ以上の、詳細な審査報告書の存在の有無を問うているのであり、もし存在するのであれば、その詳細な審査報告書を全教員・教授会全構成員に公開せよ。
上述したようにサイボウズ上に、きわめて簡単な審査報告はあり、各候補者と昇任者・非昇任者との同定は可能であることからしても、個人情報保護等による文書開示拒絶はできない。法人化前の教授会における人事選考以上の透明性・公平性を謳う新法人であるなら、少なくとも全教員・教授会全構成員に詳細な審査報告書を示すことがなくてはならない。それなくしては、公平・透明・厳密な審査がおこなわれなかったことの証左に他ならない、ということを申し添えておく。
12.様々な学問分野・教育科目が存在する各系において、その個別性・多様性を否定することにも繋がる恐れが明らかに存在する点数化・順位付けのシステムが、教員の昇任の審査において適切であると判断した論拠は何か、明らかにせよ。
13.文系・理系別に順位付けされた昇任適格者を、さらにどのように順位付けして昇任人事がおこなわれたのか。その際、きわめて多様な専門分野にわたる候補者を、客観的に序列化できる能力を持つ審査者が最終段階で選考をおこなったというなら、そのことは審査者の業績・能力から客観的に判断できねばならないはずである。それを明確に示せ。
14.教授等の条件を、文部科学省は大学設置基準第14条等で明確に規定している。それ以外の基準を設け昇任人事をおこなうことは、法令遵守の精神に反する行為をあえておこなうことになる。人事の透明性・公平性を踏みにじり、人事に恣意性・非公平性を持ち込むことに他ならない。そのようなことが起こらぬように、大学設置基準は厳格に規定している。「任期制に同意していない教員が昇任することは適当でない」という意見は、まさしく法令遵守の精神に悖る。いやしくも公立大学法人に身を置くものであれば、まず、日本国の法令を遵守せねばならない。それが一大学の一時期の「経営上の判断」などより上位に位置するのは当然のことである。発言者に法令遵守の精神が欠如していることをいかに考えるか、また、法令を遵守せずに人事がおこなわれたことをいかに考えるか、回答せよ。
以上すべての質問事項は、いずれも昇任審査をおこなうにあたり、審査権限をもつ部局において明確に確認されているべき事柄である。これらの事柄が明確かつ迅速に明らかにできないというのであれば、本年度4月昇任の昇任審査が必要な手続きに従っておこなわれたものでもなく、また客観的かつ公正におこなわれたものでもないと疑わざるを得ない。
6月12日を期限として遅滞なく、各項目(計14項目)について、該当する各責任者からの文書による回答を求める。
以 上
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6月1日 共通教養で差し戻しないし保留がたくさん出ているとのことで、何が問題になっているのかと思っていたら、共通教養長のメールが送りつけられていた。それによれば、「担任の役割のうちで重要な仕事のひとつに学生の履修指導があります。ひとりひとりの学生がそれぞれの課題を意識しその解決のためにはどんな科目をどのように履修したらよいのか,といった話」をすることを目標に書き入れるようにという。
しかし、教養ゼミAを例に取れば、すべての学部・コースの学生がいる。いったいどのような履修指導をすればいいのか、だれがわかっているのか?わかりもしないことを指導するなどということを目標に書けるのか?
(こうしたことを関係者に送る共通教養長は、もちろん、すべての領域を理解して学生に指導を行っていたのであろうが・・・・。)
こうしたことも、教授会があれば、意見交換ができ経験交流ができる。しかし、そのような教授会は存在しない。
教授会の再建、そのための学則の改定こそ、大学当局は目標に掲げるべきではないか?
憲法原則(大学の自治・学問の自由)をきちんと考え直すべき管理職が多いように思われる。
一次評価権などの評価権を持つものが、教授会が破壊された現状に無批判・無自覚に追随し、権利者として、一般教員にあれこれ言う(訂正を求め、目標の修正を求める)ことは、重大な問題となる。すでに、その証拠が明確化しつつある。
将来の「処遇」を考えて、教員は奴隷化せざるを得ないからである。
今回の場合、共通教養長は、オープンに差し戻し・訂正を求めた[2]。だから、まだ問題は陰湿ではない。これが、一人一人のコース長等の評価権者によって、みずからが評価権を大学自治破壊状態で与えられていることに無批判・無自覚に、対面・対談・面接方式でなされるとしたら、深刻な思想・信条・学問の自由・精神的自由への抑圧行為となる。
一般教員は、コース長等と面談・面接する場合、必ず、テープレコーダーを準備し、不当な介入が行われるかどうか、証拠をきちんと残し、後々のために準備する必要が出てくるであろう。
教員組合は、すでにSDシートを提出した組合員の教員に対して、上記のような介入(細かいことも含めて)に実態を注意深くメモし、来週中に行う予定のアンケートにできるだけ詳細に記載してほしい。
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登録していただいたSDシートへの対応の作業がなかなか追いつかずご迷惑をおかけいたします。以下の3科目について大勢の先生方の書かれたシートを読み,以下の点についてご検討いただきたく,差し戻させていただきました。大きく修正していただくお願いではありませんので,2,3日のうちに再度本登録してくださいますようお願いいたします。
○ 教養ゼミA,B担当の先生方へ
国際総合科学部では,1年次では教養ゼミA,B,2年次以降は専門教養ゼミの担当教員が担任の役割を担うことになっています。担任の役割のうちで重要な仕事のひとつに学生の履修指導があります。ひとりひとりの学生がそれぞれの課題を意識しその解決のためにはどんな科目をどのように履修したらよいのか,といった話もしていただければと思います。もちろん,教養ゼミAでは学生数が33,4人,Bではそれ以上のクラスもあり,容易に達成できる目標とは言い難いとは思いますが,この点に関して,目標設定で何らかの言及をお願いしたいと思います。
(ちなみに,主担任でない先生には,この点を考慮せずにすでに了承を出してしまった方もおられます)
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5月31日(3) この間の事態の進展と学長の態度を見据えて、四役、および任期制・評価制検討WGの議論を踏まえ、委員長名で、学長に再度の回答要求を期限を切って提出した(学長室に出向き、会議中とのことで秘書に渡してきたが、そのことを組合事務室に連絡するため歩いていると、学長が部屋に帰ってきているのを偶然目にしたので、「再回答要求書を提出してきましたので、よろしく」と口頭でも、要求書への回答を求めた。さて、どのような回答が得られるか?
--------学長への再回答要求書・期限付き------
公立大学法人横浜市立大学学長
ブルース・ストロナク様
横浜市立大学教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月31日
「再質問・要求書」に対する学長の再回答を改めて求めます
教育組合が2007年5月2日付で学長に提出した質問状に対して、学長から5月10日付で回答がありましたが、この回答は「質問事項のそれぞれに対して誠意を持って答えていただいたものとは到底いえない」ものであったため、再度、教員組合は5月11日に、学長回答についての「再質問・要求書」を学長に提出しました。
これに対して、5月22日付で学長から「私にいただいた質問に対する私の考えは、5月11日にお答えしたとおり」とのみ記載されただけの回答が教員組合執行委員長宛にありましたが、5月2日付の質問状に対する学長回答は、5月11日に出されたものではなく、5月10日に出されたものです。また5月11日夜9時半頃、全教員に宛てて学長メッセージが配信されましたが、この学長メッセージの日付は5月9日付です。
したがって、学長からの回答・メッセージ等は、どれひとつとして、教員組合が5月11日に出した「再質問・要求書」に対するものではありませんので、改めてここに、「5月11日の再質問・要求書」に記した各項目について、誠意ある文書での回答を6月11日までに求めます。
以 上
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5月31日(2)組合員の各方面から、SDシート記入登録に関する組合の態度を求める声が寄せられた。
他方では、提出できない旨を当局に提出し、それを組合にも送ってくれた組合員もいる。基本的趣旨は、大学自治が破壊された現状での教員評価制度は、到底容認できないということである。
教員組合に対する態度と同様、個々の教員からの真剣な質問にも、当局は何も答えていないことがわかる。
この間もいろいろの大学教員と話し合ったが、任期制にしてもTOEFLにしても、大学の制度の一部に(たとえば新規採用の助教について)、合法的理性的に導入しているところがあるが、助教から教授へ、准教授から教授へのすべてにおいて任期制を導入しようとする大学はなく、また、TOEFLにしても、学問分野・コース学部の特殊性を一切考慮しないで全員に画一的にある水準を強制している大学はない、と改めて驚かれている。
この大学教員に対する任期制、その手段としての教員評価制、「国際化」を大義名分とする学生に対する一律の画一基準の強制との問題は、根源を同じくする。
TOEFL問題は、全国の大学に対する定員規制の厳格化(たくさんの大学が経営的に困難となるなかで定員規制が厳しくなっている)とあいまって、また、正規の大学の講義における平常点を一切認めない異常さによって、いずれ大問題となるであろう。
そのTOEFLの規準を制定し、「仮進級」等の諸制度を決めた教育研究審議会の責任が問題となろう。
----------ある組合員より---------―
たびたびSDシート記入を催促するメールを頂いておりますが、現状では、記入することはできません。
一部の理由は、 1次評価者のコース長に伝えましたが、再度整理してお伝えします。
【記入できない理由】
1.教員評価制度に対して正式に文書で質問・意見を提示しましたが、いまだに回答がありません。回答をするという説明があったのに、回答がないままでは、SDシートに記入はできません。また、回答をすると明言しておきながら、きちんと対応しないのはあまりに不誠実です。回答をせず、無視をするという対応に出ることによって、ヒラ教員の神経を逆なでしておきながら、「早く記入せよ。記入せねば最低の評価になりうる」と脅すのは、不誠実極まりない姿勢としか言いようがありません。
これまでの経緯を簡単に記しますと、2005年1月25日に開催された教員説明会で、質問や意見があったら提出してもらえればすべてにこたえるという説明がなされました。それを受けて、質問を文書にして(プリントアウトして)提出しましたが、何の回答もありませんでした。
さらに、同年2月28日に開催された勤務条件に関する説明会でも、3月18日に開催された組織に関する説明会でも、質問に答えるとの説明がありましたが、私の質問には答えていただけないままです。
思い余って、3月25日に回答をお願いしたい旨の申し入れをメールにて行いましたが、無視されたままです。そのメールに関しては、質問書そのものとともに教員組合にも提出してあるので、教員組合にも記録が残っているはずです。
評価制度に関しては、簡単なQ&A集のようなものが配布されましたが、私の質問に何ら答えるものではありません。
SDシートに記入せよというのであれば、説明するという約束を守り、私の質問に答えてからにして頂きたいと思います。
2.任期制・評価制度は、教員のクビ切りを便利に進める制度として導入が図られたという経緯があります。特に、改革に反対する教員のクビを切り、市の職員が教鞭をとる大学にすると言う構想とセットにされていました。
評価制度は、FacultyDevelopment という意義があるというようなことが説明されていますが、上記のような経緯を知っている者としては、そのような説明に納得することはできませんし、安易に同意することはできません。
もし、「便利なクビ切りの制度ではない」といわれるのであれば、「教員の処遇とは結び付けない」と明言していただきたいと思います。上記のようなよこしまな企図がないのであれば、処遇と結び付けないと明言することは可能なはずです。「それでは、不祥事を起こした教員も処分できないことになる」などというのは詭弁です。不祥事教員に対処する制度は、評価制度に依存しなくてもできるはずです。
特に市大は、倫理法令順守体制を整えているわけですから、その精神に則って、制度整備を進めればよいであろうと思われます。
3.現在、実施されてきている教員評価制度とそれを強制しようとする姿勢、また、質問に答えると約しておきながら答えないままであることは、横浜市大が整備してきている倫理法令順守に抵触しないのですか?教員から疑問が上がっており、公正性・客観性が確保されていない教員評価制度は、これに明らかに抵触します。大学は、自己矛盾に陥っています。今すぐ、強行されようとしている評価制度はとりさげ、教員の全員参加を原則とする教授会のような組織の下で作り直すべきです。
一部の職員がつじつま合わせに作った制度よりは、(FacultyDevelopmentという点で)はるかに有効に機能する制度になるはずです。
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5月31日(1) 昨日も、「教員評価事務局」からの事務的なメールが送りつけられた。エクステンション講座[3]に出かける直前の夕方であった。
今回も、学長名ではないところを見ると、事務が、きわめて事務的機械的にことを推し進めているようである。
不利な立場、弱い立場の教員を抱える教員組合を無視する態度には怒りを感じる。
すでに委員長名の抗議文等で公開しているように、二度にわたる詳細な質問・回答要求に対する誠実は対応は、学長サイドからはない。
制度をしっかり運営していこうとするなら、多数の教員を代表している教員組合に対し、学長が話し合いの場を設定するくらいの積極性があってもいいのではないか?
その逆に、事務的な連絡だけが、メールで送りつけられるというのが現状である。
評価システムもすべて、市当局任命の経営陣・その経営陣に任命された管理職によって構築され、運営されている。制度自体に大学の自治がないという根本的問題が忘れさられている。
大学の自治を破壊しているという基本的認識を持てば、学長・事務局の態度はもっと慎重であっていいはずである。その慎重さは、メールを送りつけるやり方のなかには窺われない。
したがって、約一週間前の状態と変更はない。仮に記入してみただけの私のような場合、学長・当局の対応から、当面、登録段階に進むことはできない。
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5月25日 昨日の副理事長・事務局との会談結果が、週報にまとめられた。記入登録した教員・種々の理由で記入登録しえない教員に参考になろう。いずれの教員の立場をも、大学の民主的発展の見地から、力をあわせて守ること、真の意味での発展を勝ち取ることが、教員組合の活動の基本的筋道であろう。
下記において、記入というのは、正確には記入登録である。
仮に記入してみただけの私のような場合、学長・当局の対応から、当面、登録段階に進むことはできない。
二度にわたる詳細な質問・回答要求に対する誠実は対応は、学長サイドからはない。制度をしっかり運営していこうとするなら、多数の教員を代表している教員組合に対し、話し合いの場を設定するくらいの積極性があってもいいのではないか?
その逆に、事務的な連絡だけが、メールで送りつけられるというのが現状である。
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2007.5.25
教員評価の「処遇への反映は教員組合との協議事項」であり、
「教員の理解が得られてから」です
少なくとも今回の評価結果は処遇に反映されることはありえません
昨年11月末の団交の記録の作成のためにこれまで数回にわたり当局と接触し、作業を行ってきました。しかしながら、いくつかの点について意見が食い違い、確定が遅れていました。事態が滞っているため、副理事長に会談を申し入れ、昨日、組合執行部は副理事長に直接会って、確認をしました。会談の場で副理事長からいくつかの点について確認が取れ、今後記録確定に向けて努力することになりました。確認できた点には、当面の教員評価にかんする、重要な事項が含まれていますので、速報でお知らせいたします。
当局回答および発言から関連主要部分を何点か抜粋します。
@「平成19年度の評価結果を平成20年度に反映させることはない。処遇への反映は、教員の理解が得られてからになる。」
A「処遇への反映は教員組合との協議事項」であり、これは「教員組合との協議を経てという意味」である。
(なお、教員組合に対する19年度の教員評価の説明の場で、@に加え、平成19年度の教員評価の結果は5年あるいは3年単位の評価として処遇に反映させることはない、と執行部の質問に対して人事担当課長が答えていることも、お知らせしておきます)
昨年11月団交では、この他に主として新給与制度、人事・昇任問題が取り上げられていますが、現在、大きな問題になっている教員評価制度に関する、重要な事項が含まれていますので、団交記録の全体をお知らせする前に、教員評価部分の主要な点を抜粋して、お知らせいたします。
組合は、19年度の教員評価に関して、今回のSDシートに記入した方、また記入しない方、どの組合員の立場も守るように努力します。
組合は、記入に当たって感じたこと、問題点、改善すべき点、記入できない理由など、組合員からの意見をお待ちしております。それらは当局との重要な交渉事項となる可能性があります。
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教員組合に皆様の声をお寄せください
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel
045-787-2320 Fax
045-787-2320
E-mail
: kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP:http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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5月23日 今朝、ボックスに学長からの回答が届けられていた。
5月2日付の組合からの質問状に対する5月10日の学長回答に対して、それでは納得できないと、11日昼過ぎに、第二の質問状・要求書を出した。
それに対する回答が、やっと昨日付けで出されたわけである。
学長からのメッセージ(11日にメールで送りつけられたもの)は組合に対するものではなく、全教員に向けたものである。
その意味では組合からの11日の再質問状に対する回答は、昨日(受け取りは本日の朝)まで、引き延ばされていたのである。
今回の回答で言及されている学長メッセージの日付が5月9日付であることから、われわれに送りつけられきたメッセージの日時が5月11日21時30分であったとしても、われわれが5月11日昼過ぎに提出した第二回の質問状に答えているものではない。
その意味で、質問・要求の提出から11日たって、やっと、5月11日21時30分にメールで送りつけたものが、自分の考えだ、と回答してきたわけである。傲慢な態度だといえないだろうか? 以上、公開情報ばかりなので、事実経過は、それぞれのドキュメントに当たって確認できるだろう。
ただし、一定の改善点もある。今回は、基本文すべてが、公文書として日本語である。第一回質問状への回答に際しては、冒頭で英文だけを述べ、英語を使う理由を正当化した態度とはちがっているといえよう。この反省の態度は確認しておきたい。
しかし、今回の回答が、いわば木で鼻をくくるような簡単な回答なので、日本語で可能だったとも言える。
週報で広く知らせているわれわれの5月11日の質問状・要求状の諸項目には、具体的に一切回答はない。その点に関しては、無視された形になっている。今後どうするか?
今回の回答は、内容的にはまったくわれわれの質問や要求にこたえたものではない。
昨年度半年間の「試行」の全プロセスがどのように終結したのか、その総括など、新たに踏み出すべき前提条件、安心できる前提条件が欠如していることに変わりはない。
(にもかかわらず、「公開情報参照」をみると、かなりの数の教員がSDシートシステムのシートに記入登録している。それは、何らかの事情・理由で記入登録の危険性をクリアできたと感じた人々・諦観の人々であろう。そんなに安心していていいの、という問題はある。ある人と立ち話したら、任期制教員は、不利になるとまずいとSDシートは記入登録するでしょう、と。民主主義的同意調達のシステムを欠如しているという意味で根本において憲法違反の体制下での制度でも、あるいは不当な、説明不足の制度でも、また、公文書が英語でも、泣き寝入りせざるを得ないのが、「任期制」ということになるのであろう。それが当たっているとすれば、昇進を控えている若い人々をはじめとする弱い立場の人々への、精神的抑圧効果は恐るべきものと推測される。まさに、そこに大学の自治・学問の自由と根本的に矛盾する点がある。)
さらに、昨日夜、10時15分に、全教員向けの第二の学長メッセージが届けられていた。
これも、文書配列の冒頭は英文メッセージであるが、その後ろに、同じ内容の公文書として日本語のメッセージも載せられており、同一ファイルで送られてきた。
これは明確に、学長の統治言語(学内行政言語・大学トップとしての種々の権力・権限を持つ職にあるものの公用語が問題なのであって、教養としての英語が問題なのではない)として英文を使うことが普通になってきていた傲慢・不法な態度を改めたものであり、日本の大学における公文書のあるべき形態を一定理解したものとして、評価したい。教員組合の重なる抗議があってはじめて、学長就任当初の謙虚な姿勢(日本における統治言語の常識・世界の民主的標準)に戻りつつあることは喜ばしい。
しかし、「私の目標は今年度の学長目標で明らかにしている」と、英文での目標掲示については、相変わらず反省の態度をとっていない。当初、公文書として日本語で書けば回避できたであろう幾多の紛糾は少なくとも回避できたであろうが、それに対する反省は見られないようである。
「公文書では日本語を使用するのが最低限のルール」であるといったことの意味は、今回の学長文書でも、いまだに十分には理解されていない。
日本語による公文書を求める態度が「聡明でない」教員たちによるものであると受け取られる中傷的文句がある。
学長という地位にあって権力を持つ人物の公文書におけるこの態度は、到底見逃すことができず、これには断固として抗議しなければならない。ここには、なお、大学統治者の傲慢さ(主観的意図は別として)が露骨に残っているといわなければならない[4]。日本全国、世界の人々に、この学長の文言の不当さを確認していただきたい。
ただ、現実行為として、今回は日本語のメッセージ(公式文書)を送ってきており、その現実の行為に照らして、その限りでは、その限りでのみ、了としておきたい。
今回の学長の行動による反省の態度で、安心感を増したと感じる教員もいるだろう。その人は、SDシートに記入することになろう。学長から送りつけられた圧力で、動揺する人もいるであろう。
他方、改めての傲慢な文言、あるいは、積年の不信感、「中期目標」を大義名分とするだけで噛み砕いた説明を欠如していること、さらには、日本語による学長目標の提示の欠如などに、学長と当局に対する不信感を払拭できない教員は、その精神的抑圧・怒りの故に、SDシートに記入することはできないであろう。
学長文書によれば、約72%の教員がSDシートに記入・登録したという。とすれば、その数は、ちょうど、任期制に同意した教員の割合に近い。相互に密接な関連があるのであろう。
ここにまた、任期制問題が浮上してくる。4月昇任問題では、われわれの調査の限りでは、事実上、任期制不同意教員が不昇任となっている。つまり、公務員時代からの身分を継承した教員たちに「任期制を飲ませること」と昇任とをリンクさせているのである。
これは、身分継承の論理からして不当・不法であり、これまでの教員組合の主張からして、到底容認できない。今後の団体交渉の課題となる。
大学教員任期制の立法の趣旨に反し、また、身分継承の法理にもかかわらず有期契約(労働基準法14条を利用して、65歳定年までの身分保障のあった教員を3−5年の有期契約にしようとするもの)を押し付けようとする点で不当労働行為である。
昇任(重大な処遇措置)における不当な差別を隠然公然と行い、その圧力でもって強制しようとしていることがわかれば、労働基準監督局への提訴など、法的措置を視野に入れて、行動せざるを得なくなろう。
私自身は、今回のSDシートのような拘束された形態、大学の自治の原則を踏みにじる諸機関・当局任命者で構成する評価委員会による評価といったシステムでない場合には、みずからの自主的自発的な今年度の目標を書き、公開することには問題を感じない。自らの目標や計画は、今月のはじめに書いてみた。
しかし、それを、憲法原則に反し民主的制度に基づかないで管理体制(統治体制)のもとで評価権を持つものが、どのように評価しようとするのか(文句をつけるのかどうか)などには、重大な関心を持たざるを得ない。だからこそ、学長(権力者)文書の無神経な部分には強く反発する。
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5月22日 組合員から、ご投稿があった。組合員に、評価制度に関するアンケートを行うべきではないか、というものである。
この積極的提案は、4役で検討し、組合員に提示したい。
先日の拡大執行委員会でも、「団体交渉」をやるべきだ、との意見も強かった。この間、何人かの組合員からも類似意見が寄せられている。そろそろその時期かもしれない。ただ、昨年11月の団交記録ができていないという状況をまず打破しなければならず、それをすみやかにやりたい。その後、新たな団交に向けて、要求の整理等が行われることになろう。
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5月21日(2) 私のところには、組合執行部の行動をどこで収めるべきか、どのように進めるべきかに関して、さまざまの意見が組合員から寄せられている。
この日誌でも紹介してきたが、一方では、これまでの当局のやり方に根底的に反発し、教員評価において各段階の評価者によって何がなされるか、彼らに何ができるのか不信感でいっぱいの人々も、いる。
他方では、一次評価者や二次評価者に関して、一定の信頼感(あるいは現状への諦観)を持ち、あるいは種々の事情で、SDシートに記入しようという人々もいる。
教員組合には、穏健な人々から強行な人々まで、これまでの体験なども踏まえて多様な人々・多様な立場の人々がいる。私の考えでは、今のところ、画一的統一的な路線を出すことはできない。
教員評価制度が,少しでも合理的で民主的なものとなるように大学自治の再建(憲法原則の復活)に資するようにしていくという基本スタンスが、組合の立場だろう。
その点では、大方の理解が得られるのではないか。その点くらいにしか、共通項を見出せないのではないか。(大学の自治など面倒だ、そんなこと考えたくないという人も、なかにはいるとは思われるが)
一方では、当局の教員評価システムに対する姿勢の問題点を明確にしつつ、ボイコット(運動)をも辞さない人々に対しては、その意見の背後にある累積した不信感に理由があることに理解を示しつつ、大学自治再建の路線でともに手を携え、当局(学長、その下の第一次評価者・第二次評価者を含めて)にも「理解」を求め、無理な強権的行政的な姿勢をとらないように求めていくことが、組合には求められているのであろう。
これまでの抗議や声明・質問状はそうした基本線を踏み外してはいないであろう。
他方では、一定の「信頼」感(あるいは諦観・精神的抑圧感)を持っていて(中には「進んで」)、SD記入登録に応じる教員に関しても(任期制同意教員など)、彼らの身分的不利益・不安定が生じないように、一次評価者・二次評価者等によるありうべき「不当な計画への介入」を阻止するよう監視することも必要である。
この4月の昇任問題で、「経営的観点」なる理由(説明責任は欠如)から昇任できなかった教員もいることを、忘れることはできないし、忘れるべきではない。その背後に、この問題に深い関心を持つ大量の若い人々がいる。この点、組合は、現在、教員評価制度問題で多忙を極めているが何もしていないわけではない。昇任問題の解明、当局との交渉にむけても、準備を進めている。
すでに教授になっている人々は、准教授以下の相対的に弱い立場の人々のことを、教育・研究の自由な民主主義的発展の見地から、しっかり考えることは必要ではないか。
教員組合のスタンスは、以上のような意味で、単純ではなく、複線的とならざるを得ないと、現在のところわたしは感じている。ご批判もあるかもしれない。
これまでの組合のスタンスを、「強行」だと感じる人々は、組合が、さしあたり、学長等の回答をまっている段階であり、その回答において一定の前進が見られれば、不信感を払拭できる教員がいる可能性はあり、その限りでSDシート記入登録に向かう人が増えるかもしれない。
組合の態度を「強行」だと感じる人のなかには、一次評価者・二次評価者、あるいは学長に対する私のスタンスにも問題を感じている人がいるかにうかがわれる。
しかし、組合サイドの見地からすれば、彼らの「権限」の内実がまったくわからない段階での、不信感や心配を持つ人々(相対的に弱い立場の人々)のことを考えざるを得ない。
一次評価者や二次評価者に対して、すでに教授になっている人、しかも定年まじかになっている人など、相対的に強い立場の人々も多いので、そうした強い立場の人々は、相対的に弱い立場の人々よりは、あまり臆することなく行動する(SDシートに記入する)であろう。
ただ、繰り返すが、組合のスタンスとしては、弱い立場の人々を念頭に置かざるを得ない。組合の存在意義はそこにあるだろう。その限りで、強い立場の人には、私の見地からすれば、配慮と登録抑制を希望したい。
ともあれ、組合執行部は、組合員からの意見を待っている。
下記に示した3つの例は、ボイコットを主張しているのではなく、現段階では参加の条件がないことを述べているに過ぎない。その意味では、穏健な態度だといえよう。下記のような態度を、他の教員に求めているわけではなく、自らの判断として、当面、教員組合執行部の行動に賛同するというスタンスであろう。
いずれにしろ、これまでの改革のあり方全体を通して、大学の内部には、さまざまのスタンスがありうるのであり、そのさまざまのスタンスを許容し、さまざまのスタンスが議論を戦わせることこそが、重要であろう。
当局の提示するとおりに「脅かし」(学長回答で「最低の評価の可能性」を持ち出すことに、私は「脅かし」を感じる)をちらつかせながら、全員に事務的に強制することになれば、大学内は陰湿な雰囲気となろう。少なくとも、明るい雰囲気とはならないであろう。
---------------
5月21日(1) 当局が求めるSDシート記入期限は、その模範となるべき学長・管理職の未記入・未公開など幾多の問題を含むが、それでも、誠実に対応しようとする教員は、一次評価の権限を与えられたコース長等に、下記のような文書を送り、理解を求めている。当局の指示に従い、「一次評価者に理由を伝え」ようと考える教員は、下記の例を参考にされたい。
ほかにも、「現状では不参加」の理由をお持ちの方は、その理由を共有するために、教員組合にお知らせいただければと思う。広く、匿名で、紹介したい。
(法律論・法律手続き論としても、それをいつ、どのような形で出すかは別として、また大学では本来は大学自治の見地で、本学の実情からすれば大学自治再建の見地で問題に対処すべきであり、司法等の外部の力を借りないのが最善だが・・・・)。
仮に具体的にそうした文書をコース長等一次評価者に送らなくても、教員組合執行部としては、結集する組合員の多くを代表して、すくなくとも、5月18日までの記入は種々の理由から不可能であることを学長・および一次評価者・二次評価者に申し出ている。
学長の回答がない場合、余儀なく、その回答不可能な期間が延びることはいうまでもない。
教員組合の主張とその論理は、組合ニュースで広く公開され、議論と検証の素材として提供されている。フェアな態度だと考える。
--------例示@------
コース長・・・先生
事務局から、SDシートを18日までに記入するようにとの指示がありましたが、以下の教員組合委員長の要望書が示しているように、この記入作業につい
ては多くの問題があり、私としても疑念を払拭できません。しかるに、われわれの教員組合を通じての、このことについての真摯な質問に対して、学長から十
分な回答は与えられていない状況です。
--------例示A-----------
・・・コース長・・・先生
標記の件について、教員組合が当局に提出した「「19年度組織目標提示について
の質問状」に対する学長回答についての再質問・要求書」(2007年5月11日提出)
に対して、SDシートの記入の前提となる当局からの回答が提出締め切り日の前日
までに提示されませんでした。よって、本日中にSDシートの記入はできません。
-------例示B:制度参加・記入不可能な諸理由の当局者への提示----------
「大学全般に協力と信頼の関係が十分に醸成されていない現状」、
「評価の結果をどう使うのか不明であるまま実施するのはおかしい」、
とくに、「任期満了の際の再任の審査に使われるのか使われないのか,使うとしたらどのように使うのかを明確にすべき」だが、そうした基本的根本的疑問点を明確にしていない、
「任期制を承認しないものは管理職にしないなどという差別もあり,しかも,管理職は一方的な任命であり,学内業務に貢献したくても出来ない状況での評価はおかしい」、
「大学においては,専門分野がある程度近い人々によって組織をつみあげ,日常の業務を把握できる人が評価者になり,評価の方法を慎重に積み上げていかなれば,意味のある評価は出来ない」
「評価者が学長の任命による管理職であり,しかも専門のまったく異なる評価者が公平な評価をすることが出来るとはとうてい考えられない.また,そのような評価に意味があるとも思えない」.
「憲法で保障された学問の自由,それを担保するための教授会の自治をまったく無視した大学改革と,その延長で教授会の自治を完全に無視したまま作られた評価システムには教員の参加を強制する合法的根拠はない」
「説明会では「ピアレヴュー,同僚による評価を重視する」とのことだったが,まったくそのような見地は取られていない.一番重要な点が「これから」というままでの実施は性急」
------------
5月18日(2) 学長にも直接抗議する必要があると考え、4役の了承を得て、抗議文を作成し、1時半過ぎに学長室に提出した。学長は、サン・モールとかに出張とのことであったが、本日中にわたるようにと依頼してきた。下記のメッセージ原案は、執行部で字句訂正の上了承されたので、本日の週報第二号として組合員に発送することとした。
----------抗議文-------------
横浜市立大学学長
ブルース・ストロナク 様
教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月18日
抗議文
今回のSDシート記入にあたって、当局のシステムにおいて前提とされている学長そのほかの管理職の組織目標の提示さえ、まだ一部のコースでは整っていないという状況です。いかに、当局が準備不足で、一般教員に対しては高圧的な態度を示しているか、その不当さは歴然としています。
トップとして率先垂範すべき学長は、教員組合の要求にもかかわらず、5月18日朝の時点でも、まだ組織目標を英文で公示しています。わが大学は日本の大学であり、アメリカ占領軍下の大学でも、アメリカ植民地の大学でもありません。日本の大学における公文書は、日本語で書かれなければなりません。その最低限のルールすら守らないことは、倫理までを含めた法令順守の精神を掲げる大学においてはとりわけ、許されることではありません。学長の態度は、傲慢であり、学長職にあるまじき態度だと考えます。日本国憲法の保障する大学の自治が破壊されている現実を端的に物語るものといえましょう。
大学教員が自らの教育・研究・社会貢献・学内業務に関して目標を立て、その目標を公開することによって学内の人々に相互に情報を提供しあうことは否定すべきことではなく、大学の発展の一契機ともなることだと思われます。
しかし、学長メッセージに対する前回の抗議でも申しましたが、模範はトップに立つものが率先して示すべきです。SDシート記入に当たって、一般教員が疑念・不安等を抱くことなく、目標を立て計画を実行できるようにするためには、学長みずから目標の立て方や実行に関して範を示し、ついで管理職全員がSDシート記入をし、一般教員の信頼を得るようにすることが最低限の条件でしょう。
本日朝の時点では,学長のSDシートは、公開どころか、登録さえされていません。みずから、範を示さないで、これまでの各方面からの質問・要求にも関わらず、記入期限に関する訂正も行わず、一般教員を不安にさらすことに怒りを覚えます。
あらめて、5月11日付の、再質問・要求書に誠意をもって回答することを要求するとともに、上述の諸点に関し厳しく抗議します。
--------------
5月18日(1) 今朝の時点で、学長をはじめとする多くの管理職は、SDシートに記入していない。倫理的に見て、また事務的にも、いかにずさんであるかを露呈している。この状況を見て、弱い立場の一般教員はとうていSDシートに記入することはできないだろう。その非は、学長をはじめとする退学当局の側にあることはあきらかである。下記のようなメッセージを組合員に送ろうかと考えている。
----メッセージ原案-----
組合員のみなさま
教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月18日
学長、次いで管理職全員のSDシート公開をみてから記入するのが安全です(遅くはありません)
すでに組合週報でお知らせしていますように、今回のSDシート記入にあたって、当局のシステムにおいて前提とされている学長そのほかの管理職の組織目標の提示さえ、まだ一部のコースでは整っていないという状況です。いかに、当局が準備不足で、一般教員に対しては高圧的な態度を示しているか、その不当さは歴然としています。
トップにおいて率先垂範すべき学長は、教員組合の要求にもかかわらず、5月18日朝の時点でも、まだ組織目標を英文で公示しています。わが大学は日本の大学であり、アメリカ占領軍下の大学でも、アメリカ植民地の大学でもありません。日本の大学における公文書は、日本語で書かれなければなりません。その最低限のルールすらまもらないことは、倫理までを含めた法令順守の精神を掲げる大学においてはとりわけ、許されることではありません。学長の態度は、傲慢であり、学長職にあるまじき態度だと考えます。日本国憲法の保障する大学の自治が破壊されている現実を端的に物語るものといえましょう。
大学教員が自らの教育・研究・社会貢献・学内業務に関して目標を立て、その目標を公開することによって学内の人々に相互に情報を提供しあうことは否定すべきことではなく、大学の発展の一契機ともなることだと思われます。
しかし、学長メッセージに対する抗議でも申しましたが、模範はトップに立つものが率先して示すべきです。SDシート記入に当たって、将来の処遇への、あるいは任期更新への関係を危惧せざるを得ない弱い立場の一般教員が安心して目標を立て計画を実行できるようにするためには、学長みずから目標の立て方や実行に関して範を示し、一般教員の信頼を得るようにすることが最低限の条件でしょう。
本日朝の時点では,学長のSDシートは、公開どころか、登録さえされていません。みずから、範を示さないで、これまでの各方面からの質問・要求にも関わらず、記入期限に関する訂正も行わず、一般教員を不安にさらすことに怒りを覚えます。
組合員のみなさまが、学長、ついで管理職全員のSDシート記入とその公開を見てから、記入・そして登録を行っても遅くはないと考えます。非は、一般教員の側にはなく、学長をトップとする大学当局にあるからです。
--------------
5月17日 公権力による言語強制問題に関しては、学問的な形で大学内でシンポジウムを開催するといったことが必要ではないかとの御提言をいただいた。「欧米諸国、日本の植民地言語政策、グローバル化の中の言語政策等、言語使用と社会・教育等の接点をさぐるようなシンポを市大で行うことはできないでしょうか」と。
また、この問題は、国会や市議会等でも問題になりうる重要問題の要素があり、そうした市議会サイドへの働きかけも必要ではないか、一方で学長の今回のような高圧的な態度がありながら、他方で、事なかれ主義が見られる学内当局の動向を打破するにはそれしかないのではないかとの助言も寄せられた。
今後の学長・法人サイドの出方を見極めつつ、本日の執行委員会・拡大執行委員会での議論も踏まえ、行動を展開していくことになろう。
組合には、教員評価システム(システムのシート)に関連して、いろいろな批判、疑問が寄せられているが、たとえば、その一つは下記のようなものである。
経費削減・研究費削減で圧迫を加えられている教員が持つ下記のような疑問に対して、当局が、説明責任を果たしていないことは確かである。
---------------------
> 教員組合御中
>
> 先日からの教員評価に関連して疑問に思ったことがあります。
> サイボウズの導入の際もそうでしたが、教員評価システムもどのように
> このシステムを採用するように決定されたのか
> 経費削減、研究費削減、外部資金と言われている中で
> どれくらいの費用をかけて導入されたのか、業者の選定はどうなされたのか
> 一切が明らかにされておりませんが、いかがなものでしょうか。
> 教員を評価するにしても別にコンピュータ化する必要は無いのではないかと
> 思うのですが。
----------
5月16日 「意見広告の会」が、本学の公権力(大学教学のトップである学長・学長職)の英語強制に関する貴重なコメントを公開してくれた。以下、そのコメント部分までの最新ニュースをコピーしておこう。
------「意見広告の会」ニュース415--------
*ニュースの配布申し込み、投稿は、
qahoujin at
magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。
*迷惑メール防止のため@をatに書きかえています。アドレスは@に直して下さい。
** 目次 **
1 横浜市大 学長が構成員に英語を「強制」
1−1 市大一組合員の声
学長は日本語で
1−2 19年度組織目標提示についての質問状
横浜市立大学教員組合執行委員長 5/2
1−3 学長回答
学長 ブルース ストロナク 5/10
1−4 永岑三千輝氏の最新日誌より
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Nisshi.htm
1−5 学長メッセージへの抗議
横浜市立大学教員組合執行委員長 5/15
1−6 事務局より
5/15
2 改憲国民投票法の成立に抗議し、その廃止と根本的作り直しを要求する
改憲国民投票法案情報センター事務局 5/14
3 慰安婦問題韓国報道
3−1 慰安婦決議案、米下院外交委に今月中の奇襲上程も
東亜日報 5/12
3−2 慰安婦:「日本の憲兵が強制連行」…オランダの公文書発見
朝鮮日報 5/12
***
1 横浜市大 学長が構成員に英語を「強制」
1−1 市大一組合員の声
学長は日本語で
いよいよ教員評価制度が始動するのか、各教員に「教員評価システム」にログインする
ためのIDとパスワードが配布された。どのようなことが書いてあるのかと思い、ためし
にログインしてみた。そして「学長の目標」ボタンをクリックした。するとストロナク
学長の19年度の組織目標が“英語”で表示された。一部、日本語の単語は混じってい
るものの、基本構文は英語である。
そういえば、3月の評価システム説明会の冒頭で学長からの話があったが、すべて“英
語”であった。このとき配布された説明資料の冒頭の文章「Statement on faculty
eva
luation」も全文英文である。また4月にはいって開かれた研究院全体会議であったか
、学部教授会であったか、その冒頭での学長からのメッセージもすべて英語であった。
いつからこうなったのだろう。それともはじめからだったのか。
学長はすべての学内構成員は、学長の喋る、あるいは書いた“英語”を問題なく理解で
きると考えているのだろうか。それとも、問題なく理解できるべきである、と考えてい
るのだろうか。TOEFL500点を学生に課している大学の教員は、すべての構成員が学長の
英語をすんなり理解すべきである、とでも考えているのだろうか(そのような議論がな
された記憶はない)。
現実的には、私を含めて、理解するのに困難を覚えている学内構成員も少なくないと思
う。少なくとも、日本語でしっかり語ってもらったほうが分かりやすいと思っている人
のほうが多いのではないか。
学長は、今回の教員評価制度がすべての学内構成員にとって非常に重要であり、大学の
発展のために必要であると信じているなら、日本語を母国語として生きている構成員(
それが圧倒的多数である)には、きちっとした日本語でそのことを伝える義務があると
私は思う。この問題に限らず、学長が自分の考えをきちっと学内構成員に伝えたいと望
むなら、やはり日本語でそのことを伝える必要がある。
一組合員より
1−2 19年度組織目標提示についての質問状
横浜市立大学教員組合執行委員長 5/2
公立大学法人横浜市立大学学長
ブルース・ストロナク様
横浜市立大学教員組合執行委員長 永岑三千輝
2007年5月2日
19年度組織目標提示についての質問状
5月1日に各教員に対して、「教員評価委員会事務局(人事企画担当)」名で、教員
評価について、インターネットサイト内において提示されている組織目標を見たうえで
各自の個人目標をサイトに記入することを求める文書が届けられました。記入の期限は
5月18日「厳守」とされています。
このような文書を突然、学長による説明文書等もなく個別教員に送りつけたこと、期
限の設定、内容には大きな問題があります。
今般の19年度組織目標の提示に関する以下の点についての質問に対し、当局提示の期
限の緊迫性にかんがみ、下記の期限までに回答を求めます。
1.
そもそも、本年3月の当局の説明会文書では、3月中に学長等の目標
が提示されることになっています。しかし、5月にいたるまで提示されませんでした。
それはなぜでしょうか。学長の組織目標は、学部長、コース長などの組織目標の作成前
に、十分な日程的余裕をもって、広く教員全体に示すべきですが、提示の遅れた理由を
日本語で説明してください。
あわせて、組織目標もなぜ日本語で明確に示さなかったのかに関して、説明を求めます
。組織目標の提示が日本語で明確になされなかったことが、今回の遅延の重要な原因で
あるとも考えられるからです。
2.
専攻長等の目標に、空欄が見られます。 目標提示を受け、教員は
十分に考慮して、記入すべきであるにもかかわらず、空欄のまま提示しています。5月1
8日までと期限をきった責任は学長にあると思われますが、どのようにお考えでしょう
か。空欄にしておくとの考えの専攻長のお考えにも正当な理由があるかとも思われ、空
欄にしている専攻長等のお考えも含め、日本語での文書による釈明を求めます。
3.
こうした組織目標が、はたして、大学の自治・学問の自由の見地か
ら、「Self Development」の見地から問題がないかどうかこそが、重大問題です。その
検討のためには、すでにこの 間、教員組合などが指摘しているように、昨年度の半年
間の試行の結果の、問題点の洗い出し、総括・反省などが示されていることが必要です
。昨年度の総括・反省等を早急に文書でお示しいただきたい。
4.
そもそもこうしたシステムを稼動させるためには、一次評価者、二
次評価者、そして学長など自らが、自らの評価において、何をどのように行ったのか、
率先垂範すべきであります。下部に行動を求めるならば、管理職がまず模範を示すべき
であります。そのことが何ら示されることなく、一般教員に評価への参加を求めること
は、教員全体の不信感を招くものです。いうまでもなく、説得力ある行動に裏付けられ
た説明を欠如した上からの強制は、内発的意欲を押さえつけてしまいます。昨年度の総
括を率先して提示しないままで、一般教員に評価制度への参加を求める理由を日本語文
書でお示しいただきたい。
一般教員の目標設定の期限は18日となっていますが、上記の諸理由からしても到底期限
内に記入することは不可能でしょう。学長・学部長等の目標提示が1ヶ月以上遅れたこ
とからして、教員の目標設定が仮に行われるとしても、一ヶ月以上の余裕が必要でしょ
う。 今回の学長等の組織目標提示から、教員への目標記入を求める文書の提示
(連休の真っ只中の5月1日)までの期間の短さ、さらに、連休明けから提出期限までの短
さのため、この要望書の回答にも、切迫した期限の設定が必要となります。
この質問状に対する学長回答を得て、一般教員が考慮する時間が必要であり、上記に関
し、5月9日夕方までに回答を求めます。
以上。
1−3 学長回答
学長 ブルース ストロナク 5/10
19年度組織目標提示についての質問状に対する回答
1
Thank you for your letter of May 2,2007. Before I respond to your main
points
in Japanese,I would like to write a few words in English about my use of
Engl
ish. I have often been told that because this is a Japanese university I
shou
ld always use Japanese,but I think this misses the point. This is a Japanese u
niversity and our primary language is Japanese. However,I also use English bec
ause this is a Japanese university and Japanese universitise must increase the
ir use of English and their English proficiency. This is especially true for Y
CU as one of our mission is 国際教養教育. We have
instituted a policy requir
ing English language proficiency for all students at YCU., the president is a
native speaker of English and therfore it is fitting that the President occasi
onally uses English in the administration of the university. I appreciate your
understanding of this matter.
2 コース、専攻、診察科などの組織目標のうち、まだ提出されていない組織目標があ
りますが、……(以下、日本語 組合HP参照)
組合HP:http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
3、4、5 略
1−4 永岑三千輝氏の最新日誌より
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Nisshi.htm
5月10日 今朝、学長からの文書回答があった。きわめて不十分であるが、事態の緊急
性に鑑み、こちらが申し入れた回答期限を少し過ぎただけで、ひとまずの回答を得られ
たことは、喜びたい。学長サイドの真剣さの一つの証であろう。
しかし、「日本語で」とこちらが求めているにもかかわらず、英語で回答するというの
は失礼千万。英語回答を正当化(この箇所だけが学長執筆であろうと思われる)する学長
自身の態度は、傲慢であり、他面では権力に基づく「甘え」であろう。TOEFL500点問題
で苦しむ学生のことをどのように考えているのか?
日本における公用語は、言うまでもなく日本語である。
学長が示す方針が明確であるためには、みずから、自らの主張を日本語できちんと返事
すべきである。この不誠実な態度は、許せないといわなければならない。
世界史における幾多の紛争問題は、言語問題に端を発する。
公的文書がいかなる使用言語であるかは、決定的に重要なことである。自分自身が書く
部分は英語でという学長の態度は不遜、といわなければならないだろう。
個々の項目に関しても、回答は誠実なものではない。「管理職は率先垂範を」という言
葉の意味が理解されてはいないようである。
学長自身が自ら昨年どのような目標を立てたのか(研究、教育、学内業務、社会貢献の
各分野で)、自らのSDシートとその達成度を示す文書を日本語で示すべきなのである。
1−5 学長メッセージへの抗議
横浜市立大学教員組合執行委員長 5/15
公立大学法人横浜市立大学学長
ブルース・ストロナク様
横浜市立大学教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月15日
学長メッセージへの抗議
学長職にある公文書は、日本では、日本語でなされるべきであります。したがって、
学長の目標提示文書(教員評価システムに記載された文書)等も、はじめから公文書とし
て日本語でなければなりません。
公文書としての要件さえ満たさない文書類を掲げながら、SDシートへの記入期限に関
しては、脅かしとも思われる文言で全教員に記入を求めています。しかも、英語原文と
日本語文書(公文書)とには齟齬があり、教員の神経を逆なでしています。
こうした高圧的な不当な態度は、大学にあっては決して許されるものではありえませ
ん。
公文書としての要件を整えてから、期限を再設定すべきであります。
5月18日の期限に関しては、公文書としての要件を欠如する学長文書からして、無効
といわなければなりません。また、公文書であれば、パソコンを使用しない教員を含め
た全教員への周知徹底が必須の前提要件です。この要件も満たしていません。
パソコンで情報にアクセスできる教員だけに、特定の文書(評価にかかわる利益不利
益に関わる文書)を送りつけることは、教員集団への差別措置であり、これまた断じて
容認できません。今回のような学長文書は、確実に全教員に渡るよう、また、十分な時
間的余裕をもって配布すべきものです。
教員に求める公文書として必要な根本的前提条件を満たしていないにもかかわらず、
SDシートに記入しないことをもって「最低の評価となる可能性がある」などというのは
、到底許されることではありません。
すでに提出している質問状に対する誠実なご回答もないままの、学長メッセージ(5月9
日付となっていますが、われわれには5月11日夜21時半に配布されたことも不可解です)
は、私ども教員組合に対しても失礼千万と考えています。
教員組合の第二回質問状・要求書に速やかにご回答いただき、公開されることを求めま
す。
以上、ここに厳重に抗議します。
1−6 事務局より
すべてのナショナリティー・言語は、対等であり平等に敬意が払われるべきものであ
ります。それゆえ、ある言語の他言語に対する押しつけ、またある言語自体に対する言
われなき中傷などは許されるものではありません。
権限を行使しうる”native speaker”の、行使されるものに対する行使者母語の使用
は、言語の対等性・平等性を破壊します。植民地主義時代によくみとめられた「特定言
語使用の強制」に当たるからです。
英語教育に英語を使用することは当たり前です。しかし横浜市大において、事柄は英
語教育を超えて、”the administration of the university”に及んでいます。ストロ
ナク学長は、統治のための言語には統治者の母語がふさわしいと考えているのでしょう
か。
かつての植民地朝鮮での学校教育言語は、「教育的配慮」によって日本語でした。横
浜市立大学における「英語の強制」は、京城帝国大学における「日本語の強制」を連想
させるものがあります。
私たちは、旧植民地朝鮮における従軍慰安婦問題、石原東京都知事のフランス語侮蔑発
言などと同様の事例として、市大における英語強制を捉えてゆく必要があるのではない
でしょうか。
--------------
5月15日 組合員の各方面から、「脅かし」の文書について学長に抗議すべきだ、との声が寄せられた。組合としては、5月11日の昼に提出した第二回質問状への回答を待っている段階での「学長メッセージ」であり、その配布の仕方・時間に対しては憤りを持っているが、今日まで、学長からの回答を待っていた。しかし、学長からの回答はなく、したがって、下記のような抗議文を学長室に提出した。
----------------
公立大学法人横浜市立大学学長
ブルース・ストロナク様
横浜市立大学教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月15日
学長メッセージへの抗議
学長職にある公文書は、日本では、日本語でなされるべきであります。したがって、学長の目標提示文書(教員評価システムに記載された文書)等も、はじめから公文書として日本語でなければなりません。
公文書としての要件さえ満たさない文書類を掲げながら、SDシートへの記入期限に関しては、脅かしとも思われる文言で全教員に記入を求めています。しかも、英語原文と日本語文書(公文書)とには齟齬があり、教員の神経を逆なでしています。
こうした高圧的な不当な態度は、大学にあっては決して許されるものではありえません。
公文書としての要件を整えてから、期限を再設定すべきであります。
5月18日の期限に関しては、公文書としての要件を欠如する学長文書からして、無効といわなければなりません。また、公文書であれば、パソコンを使用しない教員を含めた全教員への周知徹底が必須の前提要件です。この要件も満たしていません。
パソコンで情報にアクセスできる教員だけに、特定の文書(評価にかかわる利益不利益に関わる文書)を送りつけることは、教員集団への差別措置であり、これまた断じて容認できません。今回のような学長文書は、確実に全教員に渡るよう、また、十分な時間的余裕をもって配布すべきものです。
教員に求める公文書として必要な根本的前提条件を満たしていないにもかかわらず、SDシートに記入しないことをもって「最低の評価となる可能性がある」などというのは、到底許されることではありません。
すでに提出している質問状に対する誠実なご回答もないままの、学長メッセージ(5月9日付となっていますが、われわれには5月11日夜21時半に配布されたことも不可解です)は、私ども教員組合に対しても失礼千万と考えています。
教員組合の第二回質問状・要求書に速やかにご回答いただき、公開されることを求めます。
以上、ここに厳重に抗議します。
添付資料「一次評価者・二次評価者への教員組合委員長の要望書」
-----------------------------------------------
第一次評価・第二次評価の権限をもつ管理職の皆様
教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月14日
SDシート記入期限に関する要望
日ごろの大学の管理運営・教育・研究・社会貢献のための皆様のご活躍に敬意を表し、御奔走に感謝いたします。
さて、昨年度より、教員評価システムの試行がはじまり、その総括もまだ十分でなく明確に文書で示されてもいない段階で、4月から「本格」実施との学長・事務局の態度で、一般教員は疑問・怒り・不安などで困惑しています。
そこで、学長に対して、命令ではなく、率先して模範を示されるように求めて5月2日付けで質問状を出しました。それに対する5月10日付けの回答は、私ども組合がたずねたことにまともに答えるものではなく、したがって直ちに、翌11日に、第二回目の質問状・要求書を提出いたしました。その回答を待っている段階で、事務局から高圧的な提出を求めるメールが届きました。教員からは早速怒りの声が組合に寄せられています。
みなさまも、教員評価システムの大学におけるトップの人物の模範が示されなくては、安心してみずからの目標や計画をたてることはできないのではないでしょうか?
大学においては、命令や指示、行政的事務的な通知ではなく、トップにあるもの(今回で言えば評価権をトップにおいて有する学長)が模範や理性的説得の態度を示すべきだとは考えられないでしょうか。学長が自らの行動で模範を示すべきではないでしょうか。
私ども教員組合が学長に出している質問状は、組合員からの信任投票によって信頼を得ている組合執行部の質問状であり、それに対する十分な回答がない場合には、事務的に締切期限とされる5月18日にはほとんどの教員が、シート記入できないであろうことをあらかじめ、お伝えしたく存じます。皆様ご自身のSDシートも安心して書くことはできないのではないでしょうか?
よろしくご配慮ください。
以上、お知らせとお願いまで。
添付リンク資料:組合週報該当号
5月11日号(第一回質問状と回答)
-------------
5月14日(2) 学長が真っ先にSDシートに当たるものを公開し、その模範をみて、ついで学部長や研究科長以下の管理職が記入し、それを公開し、そうした模範を見てから、弱い立場(特に任期制教員)の一般教員が記入しても遅くはない、という見地で、組合としては学長や管理職に質問状や要望書を送った。
どれほどの人が、一部だけの登録を含めて、なんらかの登録を済ませたのか。その教員(登録日が明記されているもの)の数を現時点で調べなおしてみたら、20名だった。
これに対して、白紙状態が、71名。
アクセスだけしたもの(アクセスしかしないもの)と一部仮に記入したものが59名、というところだった。(言うまでもなく、登録はしていない。)
私の数え間違いでなければ、140名中20名のみが一部か全部の登録に進んでいる、ということである。多いと見るか?
医学部は、任期制同意教員が圧倒的多数を占めるはずだが、それによるためか、数えてみたところ、234名の教員のうち、登録しているのはわずか14名に過ぎなかった。
登録の割合は、国際総合科学部よりも遥かにわずかである。
現時点の実績を見る限り、医学部教員は、徹底的に無視ないしボイコットしているとも見られうるが、実際はどうだろう。実質的身分・生活保障がある教員・医師が多いので、少々の不当な「脅かし」は無視できるということか?
教員組合が求めている学長からの回答がどのようになるか、これによっても変化があるだろう。
それにしても、11日夜の「脅かし」のメッセージを見れば、任期制に同意している教員の苦渋の心境が推測される。
任期制教員へのの精神的圧迫は、大きなものであろう。おそるべきことである。
すでに団体交渉記録で、今年の教員評価の「本格」実施の結果は、処遇には反映しない、当局者(副理事長)といっているが、その一方で学長は、「悪い評価」をぶち上げている。
立場の弱い教員への圧迫は想像を絶すると思われる。その圧迫は決して研究教育にいい影響はないと考えるが、どうだろう。
本学でいい評価を得るために努力するよりも、脱出するための研究実績の蓄積のみを必死でやることになろうか?
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5月14日(1) 教員組合が学長に対して第二回目の質問状・要求書を出したその直後に、学長・事務局が相談したのであろうが、11日夜(9時半ごろ)になって、「提出期限をまもれ、提出しなければ悪い評価となることもありうるぞ」との脅かし[5]のような文書をメールで全教員に送っていることを知った。私のところにも届いていた。すでに、そうしたやり方に対する激怒の意見表明が週末に組合に、そして今日になって、各方面から(一例)届けられている。
われわれ教員組合の態度は、学長に対し自らのリーダーシップ(率先垂範)を求め、昨年の総括、今年度のみずからの目標の提示、自らのシートの提示を求めたのだが、それに対する回答はなされないまま、期限遵守を求める文書を送りつける事務的手法をとることは、学長としての資質に疑念を抱かせるものである。(学長の英語原文とその翻訳との間にも齟齬がある。)
このやり方をみると、TOEFL500点問題で学長が学生諸君に示している態度が、学生諸君にどのように受け止められているか、そのひそかな怒りが理解できるように思われる。
教員組合としては、すなわち、組合に結集する組合員の圧倒的多数(投票者総数114名のうち112名から114名)の信任を得ている組合執行部としては、学長が組合の質問・要求に誠実に回答するまでは、組合員の多くはとうていSDシート(システムのシートへ)を安心して書くことができず、したがって、学長の態度によって余儀なくされて、「一次評価者への期限の延期」を申し出ることなろう。(申し出原案・・・・4役会議を経て了承されたので、一次評価者・二次評価者宛てに、また教員にも情報として、発送した。)
事務局の高圧的なメールが来たために、各方面からいろいろと問い合わせが寄せられた。そのかたがたには、システムのシートの登録画面に入って、「公開情報紹介」のところをまず見てください、とお知らせしている。そこを見れば明らかだが、現時点で、登録している人はほんのわずかである(何日に誰が登録したかがわかる)。
疑心暗鬼に陥らないためには、ご自分で、ひとまず、「公開情報紹介」のページだけを参照ください。自分のシートにはたちいらないようにして。(たしか、「君子、危うきに近寄らず」といった意味合いのことわざがありました) 自分のシートにアクセスしただけで、その記録が残るようである。
(たとえば、「国際総合科学部」のところを見ますと、全教員の名前があり、そのひとつひとつをクリックしますと、個別の教員が、すでにアクセスしたのかどうかがわかります。
非常に多くの教員が「教員評価システム」のページに、まだアクセスさえしていません。すなわち、真っ白の状態です。怒りとボイコットの姿勢が深く広く蔓延しているかに見えます。)
何も記入していない(エフォート欄がすべて0)人が、何人かいる。多分、ちょっとアクセスしただけの結果が残っているのであろう。
仮登録文書を一切書いていなくても、こうした結果が出るようである。
(先ほど、組合会議で議論していると、アクセスしてみただけで何も記入していない、という人も、アクセスの痕跡がのこっていることが判明した。)
私自身は、アクセスしてみて、一定のことを記入し、エフォート欄も書いてみましたので、そこまでは記入されています。
しかし、あくまでも仮登録であり、登録はされていません。
登録した人は、その日付が刻印されます。
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5月11日(2) 組合事務室からの連絡によれば、一組合員から、組合事務室前の郵便受けに、下記のような「無題」提案があった。
現在、教員組合としては、評価制度を健全なものとして、大学自治の原則にしたがって、したがって、教授会機能の回復などと連関する形で進めていくことには、必ずしも反対ではない。
法律による大学評価の制度ができた以上、その憲法的原則に従った実施は必要ではないかとの見地である。
大学自治(学問の自由)の原則の土台の上でならば、大学の自主的・自治的はあり方としての教員の一定の評価・自己点検等はありうるだろうというスタンスである。
しかし、本学の場合、投稿者の一組合員が述べるように、大学自治(学問の自由の制度的保障)という点では、理事長・副理事長が市長任命で、副理事長でもある学長も、実質上、市長任命と同じである。大学構成員の意思確認などはまったく行われていない。全国的にも突出した行政主導の大学であり、大学の自治はなきに等しい。
一般教員が発言する公式の場としての教授会は、学則上、年に一度しか開催されないという異常事態が続いている。違憲状態、学校教育法違反状態が、実質的に続いている、というのが私個人の見解であり、かなり多くの組合員の考えでもあろう。
したがって、ボイコットの主張もその気持ちは良く理解できる。
しかし、現在の組合のスタンスは、そうした極端な手法を提案してはいない。
現在のところ、実質的に自治的な形態の評価制度にしていく、大学自治を回復していくという方法を模索している、といえよう。
それが至難の道であり、絶望的な闘いの道である、という感覚は、多くの教員が持っているものであろう。
大学自治回復のための学則改正、就業規則改正、その他、関連する諸制度変更が、行政権主導の現在の状況では困難至極であるからである。
TOEFL問題など、大学自治破壊状態で行われている諸問題は厳然として存在し、深刻化しつつあるかに見える。
そのあまりの無理なひどい実態の故に、TOEFL問題が導火線となり、新たな大学改革の起爆剤となるかもしれない・・・・
市当局主導で作った制度は根本的な問題をいくつも持っていることは、TOEFL問題などを通じてしか、一般社会は理解できないのではないか?
TOEFL問題(500点基準の画一的設定に起因する難問群、最近の仮進級制度にいたる数々の方針転換)は、学長が主催する教育研究審議会ですべてを決定している。学長をはじめとする管理職は、すべて「上から」の任命であり、構成員の信任投票などのオーソライズは一切欠如している。官僚主義的行政的手法以外の何ものでもない。
教員組合は、とりわけ弱い立場の若い人々を守る見地から、学長宛てに質問状を出しているところである。学長の真摯な態度を求めて。率先垂範を求めて。
下記のような組合員のスタンスは、組合が呼びかけなくても、事実上、ほとんどの教員がとっている。
登録画面をしらべてみたところでは、仮登録は一定数の教員がしているが(私も、いったいどのようなシステムか確認するため、仮に記入してみた一人だが、学長の態度・行動を見るため、本登録はしていない)、本登録は国際総合科学部では管理職など数人のみ(そのほとんどの人を私は知らない・面識がないのでたぶん理系関係・鶴見・木原であろう)である。
現時点では、実質上、ほとんどの教員が、「上から」の一方的な指示にはしたがっていないようである。ほとんどの教員の自発的な実質上のボイコット状態が現状である。
今回のシステムの唯一いいところは、誰が本登録しているのか、何人か、といった事実が登録画面で全員に関してきちんとわかることであり、疑心暗鬼に陥る必要がないことである。
下記の「無題」投稿者は、まだ一度もアクセスされていないようであるが(そもそもパソコンをやっていない・もっていない教員かもしれない・・・パソコンをやることは義務化されていたか?パソコンは全教員に配布されていたか?手段もないのに記入強制はできるのか? 職員と教員とはちがう。職員は全員にパソコンが業務用として配布され、すべての必要ソフトなども備えているであろうが、教員はそのようになっていない)、現状は、数名の人だけが本登録しているだけであり、疑心暗鬼に陥る必要はないと思われる。安心されたい。できれば、教員評価システムの登録画面にアクセスして確認してほしい。そうすれば、安心できる。
学部長以下の管理職も、学長の様子を見ているのではないか?
学部長以下の管理職も、学長の指示に従わなければ管理職を辞めさせるぞとでも「脅かせ」ば、かえって、「はい、ありがとうございます。教育研究に専念します。」と、今回のような制度の強制には、よろこんでいっせいに辞職するのではないか? 事務系の管理職とはわけがちがい、教育研究を本来の仕事として持っている教員ばかりだから。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。
いやいや、学長が率先して模範を示してくれれば青信号だから、また、その模範に従い評価権を持つ管理職全員がSDシートに記入し、公開すれば、青信号だから、「青信号になるまでまとう、安全のため」と。
教員組合が呼びかけなくても、不当さ・制度のひどさに怒る人々、不信感でいっぱいになっている人々が、個人の判断で、自発的な意思の連帯で、内面的に団結して行動することになれば、一片の「指示」文書(メール)による「脅かし」は、無効となろう。
そうすれば、現在のシステムが、いかに教員の自主的内発的な協力によるものではないか、単なる「上から」、「外から」の、事務的な押し付けでしかないかが、明らかとなろう。
教員が、評価システムについていかにあるべきかを自由に語る教授会のような公式の場がない以上(つぶされてしまっている以上)、議論を通じて、必要性や意義を認識し合い、その一定の確認のもとで自己目標を立てるといったことは不可能だから。
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組合員の声 無題
教員組合は、早急に、評価制度のボイコットを組合(員)に訴えかけるべきである。
ほとんどの教員は、評価制度に反対のはずであるが、個々が孤立していると、
「自分だけがボイコットすることになり、それによって、不当な扱いを当局から受けるかも
しれない」という疑心暗鬼に陥り、評価に参加してしまう可能性がある。
ほとんどの教員が反対している改革が、強行されえたのは、本来、教員を代表し、
教員を取りまとめる位置にいる学長が改革推進に回ってしまった一方で、個々の教員を
取りまとめる軸が整備されていなかったことによる。
現時点で、このような役割を果たせるのは、教員組合のみである。
教員組合が、組合員に呼びかけ、結集してボイコットを進めるべきである。
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5月11日(1) 昨日の任期制・評価制度WGでの議論、その後の4役会議の検討を踏まえて、学長回答の不十分さを入念に確認し、昨日夕方から今朝方まで執行部で意見交換し、再質問状・再要求書を纏め上げ、最後に私が添削を行い、私の名前で学長室に届けてきた。学長はご不在で、秘書の方に渡してきた。いずれ本日中に、週報として、この文書が送られることになろう。
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公立大学法人横浜市立大学学長
ブルース・ストロナク様
横浜市立大学教員組合執行委員長
永岑三千輝
2007年5月11日
「19年度組織目標提示についての質問状」に対する学長回答についての再質問・要求書
教育組合が2007年5月2日付けで提出しました「19年度組織目標提示についての質問状」(以下、「質問状」)に、ご回答いただきありがとうございました。しかし、学長の5月10日付の「19年度組織目標提示についての質問状に対する回答」(以下、「学長回答」とする)は、「質問状」に記載された質問事項のそれぞれに対して誠意を持って答えていただいたものとは到底いえない内容です。
「学長回答」の中で誠意を持って回答されなかった「質問状」の事項、およびその事項についての「学長回答」の内容を踏まえ、以下に挙げる質問・要求を新たに提示し、そのそれぞれについて誠意ある回答を求めます。
記
1.
「質問状」の質問事項1に関して。全教員に対する公式文書は日本語で書かれるべきである。全教員に対して組織目標を提示する今回の文書がまさにそれであって、多くの教員が正確に内容を理解するためには日本語であることは絶対に必要である。その考えに則って「質問状」の質問項目について回答する場合も日本語でおこなうことを要求したが、「学長回答」の回答項目1では学長は相変わらず英語で応えている。
本来、大学の学内行政はその国の公用語でおこなわれるべきであり、日本の大学であれば全構成員に影響を及ぼす学内行政で使う言語は当然日本語である。
学長が教員に対しておこなう公式活動は日本語でおこなうことを、再度、強く要求する。この要求についての回答を日本語で求める。
2.
同じ質問事項において、5月にいたるまで学長およびそのほかの管理職の目標が提示されなかった理由を質問したが、「学長回答」では、それについての明確な回答が示されなかった。この質問について明確な回答を日本語で再度求める。
3.
「質問状」の質問事項2において、一部の専攻長の目標に空欄があるまま、全体としての目標を提示し、各教員のSDシート記入期限を5月18日に定めた責任を問い質したが、そもそも空欄が残ったままの文書を一般教員に提示し、それに基づいて各教員に対してSDシートの記入を要求してきたことの責任について、どのように考えているのか。明確な回答を日本語で求める。
4.
「質問状」の質問事項3において、2006年度の半年間の試行についての結果、問題点の洗い出し、総括・反省などが示されていることが必要であり、各教員がSDシートを記入できるようになるためには、これらの提示が前提になるので、至急明らかにするように要求した。それに対して、「学長回答」の回答項目3では「サイボウズを通じて周知するとともに、問題点や課題については引き続き検討」すると回答しているが、「サイボウズを通じて周知する」具体的な時期が明示されていないこと、さらに検討すべき問題点や課題が残ったままそれを明らかにする前に各教員に対してSDシートの記入を要求することは、不誠実な要求だといわざるを得ない。更に、必ずしも全教員がアクセスしているわけでないサイボウズによって、昨年度の試行状況という重要事項を周知したと考えることは大きな問題であり、情報の不伝達を招きかねないことを認識すべきである。サイボウズによる重要情報の伝達という手法は、今後重大な問題を引き起こすと考えられるので、特に注意をうながしておきたい。
具体的な周知の時期を明確にすること、情報が伝達するより確実な方法をとって昨年度の試行状況などを各教員に周知することを要求し、その回答を日本語で求める。また、検討すべき問題点や課題が残ったまま、それを明らかにすることなく、なぜ各教員に対してSDシートの記入を要求するのかの釈明を日本語で求める。
5.
「質問状」の質問事項4において、評価「システムを稼動させるためには、一次評価者、二次評価者、そして学長など自らが、自らの評価において、何をどのように行ったのか、率先垂範すべきであり」、「下部に行動を求めるならば、管理職がまず模範を示す」ことが必要であり、それがなされないまま、さらには「昨年度の総括を率先して提示しないまま」、一般教員に対して評価制度へ参加を求めることは「教員全体の不信感を招く」と述べた。それに対して「学長回答」では、説得力のある、明確な回答がなされていない。この質問事項では、教員評価制度の目的についての回答「教員一人ひとりが自己点検・自己評価を行うことが第一の目的」(「学長回答」回答項目4)を求めたわけでも、その重要性の所在についての回答「教員管理職は言うまでもなく、全ての教員に取り組んでいただくことが重要」(同回答項目4)を求めたわけでもない。
学長自身の昨年度の評価がいかに行われたのか、その他副学長をはじめとする管理職教員の評価がどのように行われたのか、その過程および結果について明らかにすることを、再度求める。
6.
「質問状」の質問事項4において、さらに上記5でも述べたように、評価システムの健全な稼動のためには、まずは一次評価者、二次評価者、そして学長など、一般教員を評価する立場にある者が模範となるものを示す率先垂範が不可欠の条件である。一般教員が個人の具体的な目標を立てる前提条件となる、模範を示す立場にある者のSDシートの記入・公開がなければ、一般教員が各自、SDシートを記入することはできない。
一般教員が記入する前に、管理職による記入を求める。また、それをすみやかに公開することを求める。
7.
「学長回答」の回答項目5において、「個人目標の提出については、5月18日を締め切りとし」、期限までに提出が不可能な場合は、その理由と提出予定日を一次評価者に対して示すように要求している。しかし、「質問状」に提示した質問事項に対して誠実な回答が得られない状況下で、このような一方的な要求に従うことは到底できない。こうした一方的な要求を即座に取り下げることを求める。
各教員が疑問・不安を抱かずSDシートを記入できる素地をいち早く構築し、さらに教員評価制度が円滑に運営できるよう、そしてまた、大学をより良くしていこうという考えが本当にあるのであれば、以上のそれぞれの項目について、早急に誠意ある、かつ明確な回答をするよう求めるものである。
以 上
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5月10日 今朝、学長からの文書回答があった。きわめて不十分であるが、事態の緊急性に鑑み、こちらが申し入れた回答期限を少し過ぎただけで、ひとまずの回答を得られたことは、喜びたい。学長サイドの真剣さの一つの証であろう。
しかし、「日本語で」とこちらが求めているにもかかわらず、英語で回答するというのは失礼千万。英語回答を正当化(この箇所だけが学長執筆であろうと思われる)する学長自身の態度は、傲慢であり、他面では権力に基づく「甘え」であろう。TOEFL500点問題で苦しむ学生のことをどのように考えているのか?
日本における公用語は、言うまでもなく日本語である。
学長が示す方針が明確であるためには、みずから、自らの主張を日本語できちんと返事すべきである。この不誠実な態度は、許せないといわなければならない。
世界史における幾多の紛争問題は、言語問題に端を発する。
公的文書がいかなる使用言語であるかは、決定的に重要なことである。自分自身が書く部分は英語でという学長の態度は不遜、といわなければならないだろう。
個々の項目に関しても、回答は誠実なものではない。「管理職は率先垂範を」という言葉の意味が理解されてはいないようである。
学長自身が自ら昨年どのような目標を立てたのか(研究、教育、学内業務、社会貢献の各分野で)、自らのSDシートとその達成度を示す文書を日本語で示すべきなのである。
学長への質問状とそれへの回答、一組合員の意見をあわせて1号とする週報(本日付)を発行することとし、完成した。
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5月8日 この間、SDシート記入問題では、各方面からつぎつぎと意見・怒りなどが寄せられている。これに関しては、教員組合執行部も、10日には四役等の会議を開催して検討し、執行委員会議にかけて、しかるべき態度表明を行うことにしている。この間、寄せられたある組合員からの声を以下に紹介しておきたい。
-----一組合員より-------
大学の説明会にも、教員組合の勉強会にも出られなかったので、注意点を把握していません。
そもそも、説明会に出席していなくとも、大学は、説明会の資料等をきちんと配布すべきと思いますが、それすらしていない評価制度に対応する必要があるのかどうか疑問をもっています。
さらに成立の経緯にも問題があります。大学は、コンプライアンス体制を作ったとHPで宣伝していますが、説明会資料も配布せず、制度構築において、誠実とはいえない態度をとっていながら、コンプライアンスとは笑止です。
ご存知のようにコンプライアンスは、広義・狭義に使われており、
@ 法令・ルール遵守、A法令・倫理遵守、B社会的要請の遵守(CSRと重なります)に分かれていますが、
大学は、A選択していますので、法令に触れなくとも、倫理的に問題があればそれは中止せねばなりません。
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5月5日 非組合員の教員に対し、教員組合への加入呼びかけを、執行委員長名で行うことになった。(呼びかけ素案)
理系・医学部における参加率がよくなく、対当局交渉力を少しでも強くし、また、学内のさまざまの問題のうち、教員組合のルートを通じてしかまとめることができない諸問題もおおいからである。
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5月2日 昨日(連休の谷間での突然)のSDシート記入に関するきわめて事務的な連絡に対する疑問・怒り・不安等が多く寄せられ、教員組合執行部で検討し、委員長名で緊急に質問状を学長宛に出した。それと並んで、一組合員からも、この間の学長の態度に関する意見も寄せられた。次号の週報は、これら二つの文書を載せることになろう。
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5月1日(2) 教員組合執行部で、今回のシート記入問題を検討したいが、組織目標に関して、午前中はみることができなかったが、午後、少なくとも4時過ぎころにはみることができるようになったことを知った。それで、学長、学部長以下の組織目標をみることができた。ということは、大学の自治の見地から組織目標の提示を控えたのかと思ったのは誤りだった。そこで、学長の目標を見た。わずかの箇所に日本語が示されているだけで、英文である。なぜ、きちんと日本語で書かないのか? 英語で理解しろ、ということのようだが、正確な目標提示は日本語で行うべきではないのか?
組織目標を読むことができたのは、私の場合、つい先ほどだが、なぜ、5月はじめになってはじめて、組織目標が提示されるのか?
遅くとも3月までに提示されるのが筋ではないか?
そのように提示が遅れながら、教員には5月18日までに提出せよとは、傲慢な高圧的態度ではないか?
ここにも、今回の評価システムを「上から」「外から」、無理強いするという根本問題が表れているようである。
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5月1日(1) ボックスに、「教員評価システム ユーザーID・仮パスワードのお知らせ」が入っていた。4月28日に配布されたものか、今朝方入れられたのか、いずれにしろ、文書の日付はどこにもない。
その裏面には、「個人目標の登録は5月18日(金)厳守でお願いします。(全教員が登録します)」とあり、システムのシートへの記入の仕方が書かれている。
まず、「学長、学部長等の組織目標」を確認しようとしたら、クリックしても反応がなかった。
仮に確認できたとして、管理職の提示する組織目標が、はたして、大学の自治・学問の自由の見地から、その原則にのっとった「Self Development」の見地から、問題がないかどうかこそが、重大問題である。
すでにこの間、教員組合などが指摘しているように、昨年半年間の総括・反省などが提示されていない。
ボトムアップの側面を欠如した、行政的組織的な「上から」の制度であることは明確である。
一次評価者、二次評価者、そして学長などが、何をどのように行ったのか、率先垂範の原則・その具体化が必要だと思われるが、それは見えてこない。相対的に弱い立場の一般教員に、相対的に力の強い位置にある管理職が、具体的にどのようなことをしているのか、素材・判断材料を提示することは、すべての評価システムの前提である。
民間企業において、口先だけ(率先垂範でなく)、権力だけの経営陣がいれば、腐敗堕落するのは目に見えており、業績悪化は必然となる。権力だけ上部に集中すれば、批判的な声は封殺され、その結果、企業は結局のところ壊滅的打撃をうけることは、最近のいくつもの事件が証明している。
学長をはじめとする大学管理職が自らの全分野(教育・研究・地域社会貢献・学内業務)での目標を公開していないこと(したがって達成に関する自己評価も、しかるべき人による他人の評価も不可能)、これが行政的権力的な評価システムの重大な問題点の一つであろう。
そもそも、当局の説明会文書では、3月には学長等の目標が提示されることになっているが、現在にいたるまで提示されていない。
その理由は何か?説明責任は?
もちろん、「上から」の、統制的な組織目標の提示は大学の自治・学問の自由の見地から根本的な問題をはらんでいる。その意味では、管理職の提示する目標などというものはない方がいい。
特に本学の場合、すでに教員組合への教員の意見が示すように、学長、その任命者としての経営陣が市当局任命であり、行政権力優位の体制となっていることから、大学の自治はなきに等しく、違憲状態と考えられるので根本的に問題だ。
そのことを考慮したものかどうかはわからないが、評価システム(目標提示を5月18日厳守と明示してきた今回の通知)が、当局の当初提案(説明会の解説文書)の形式的日程に合致していない状態となっていることは事実だろう。
教員評価制度の説明が、大学の自発性を言葉の上で掲げながら、その実態が行政的な意味での「外から」、「上から」のもの(非自発性・行政的通達)となっているという根本問題は、視野・思考から完全に抜け落ちている。まさにそのこと自体、現在の教員評価システムの根本問題を一番明確に示すものとなっている。
憲法違反問題(教授会・評議会の審議・審議権を剥奪した上での目標の検討)をはらむ「外から」・「上から」の目標提示ではなく、各人の自発的な目標設定ということなら、その限りでは、問題は限定的となろう。問題は、「一次評価者」、「二次評価者」、学長等が、何をするか、という側面に問題点が移動するであろうから。
そして、一次評価者、二次評価者、学長など教員を評価する立場の管理職を、教員の全体(学長や理事長・副理事長など管理職に関しては教職員の全体)が評価するシステム(かつての選挙制度は管理職任免権=評価権=それに伴う義務を教員が持っていたことを意味する)を作り上げることが問題となろうから。
「上から」、「他人から」、行政的権力的に押し付けられた目標ではなく、自らの内発的な目標設定ということならば、どのようなことが考えられるか。
教員組合執行部として、弱い立場の若手教員のことも念頭に置きながら検討していかなければならないので、シートへの記入の個人的な素案を「仮登録」の形式で書いてみた。「仮」から「本登録」にするかどうかは、教員組合執行部での議論を踏まえて、検討しよう。
教育・共通教養に関しては、「教養ゼミA4を、これまでの2年間の実績を踏まえて、実習室Cを利用し、ITを駆使して、より双方向的で建設的なものとする。過去2年間、教養ゼミA4のために構築してきたHP:http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kyoyousemi.htm をさらに充実していく。」
教育・専門教養に関しては、「ヨーロッパ社会論・ナショナリズム論の講義と演習において、ヨーロッパ社会のナショナリズムの歴史、その悲劇を踏まえたヨーロッパ統合への道を、履修者の多面的関心を尊重して、各人の問題意識で問題を発掘させ、多面的に検討させ、講義・ゼミの場で発表させ、議論させる。各参加者が、ヨーロッパ社会とナショナリズムの重層的で多面的な相互関連を把握し、日本が21世のアジアと世界で進むべき共同体的理性的な道を、深くつかむよう支援する。
なお、この間に構築してきたヨーロッパ社会論、ナショナリズム論の講義ゼミの下記のHPをさらに充実する。
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050920EuropeanSociety.htm
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20051227Nationalism.htm
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/semi.htm 」
教育・大学院では、「必修科目である入門講義(後期担当)では、拙著『ホロコーストの力学―独ソ戦・世界大戦・総力戦―』青木書店、2003を素材に、歴史研究をめぐる諸問題を院生にマスターしてもらう。修士論文を書く院生には、着実に研究を前進させるよう指導する。あわせて、大学院演習講義関係の研究室HP(下記)を今年も必要に応じ、さらに充実する。
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20051005DaigakuinEnshuu.htm
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/daigakuinenshu.htm 」
研究に関しては、「「中欧経済会議・南東欧協会の構想と戦略」(科研費基盤研究c)の課題を実行する。また、10人の共同研究グループの研究分担者として参加するヨーロッパ統合の経済思想史に関するプロジェクト(基盤研究B)のための基礎研究も行う。さらに、ケルブレ(ベルリン・フンボルト大学)の新著『ヨーロッパ社会史 1945−現在』(München 2007)を翻訳出版することになったので、時間の許す限り、この作業を前進させる。」
地域(社会)貢献に関しては、「エクステンション講座「ヨーロッパ統合の到達点は何を意味するか」を企画実行する。
https://ycupr.yokohama-cu.ac.jp/webmaker/view_page.asp?page_id=919 」
学内業務に関しては、「学内業務とは厳密にはいえないが、教員の分業体系からして、10年に一度くらい回ってくる教員組合の仕事、とくに今回は執行委員長の重責を頂戴したので、それを全うする。本学の大学の自治・学問の自由をめぐる状況は、重大問題をはらんでいるので、その点に関しては、研究室HPで常に問題の分析・意見表明を行い、正常な大学なら定期的に開かれる教授会で発言し、審議するであろう諸事項に関して、見解を表明する。「学内業務」という概念が何を意味するか重大な問題だが、上記のような大学自治・学問の自由を守るための自発的な活動こそは、大学教員として決定的に重要な持ち場での、したがって学内での業務である。それはまた、平和憲法を守ること、現在の憲法の平和主義と民主主義の原理原則を守る活動とも連携・連動することとなる。」
[1] (選挙をしても結果的には選ばれる人かもしれないが、どの程度の支持を得ている人かはわかる、管理職の支持率は政策運営において重要なファクターであろう)
[2] しかし、実は、個々の教員には、いろいろコメント(指示)を出して、書き直しを命じているようである。
「差し戻し」という権利者の行為を、行っている。
その判断基準、内容など、今後、調査が必要となる。
評価権者に対して、「弱い立場」、「不利な立場」の教員は、どのように対応するだろうか?
不毛な、萎縮効果が、蔓延しないといいのだが。
-------SDシート差し戻しに関する共通教養長メール--------
教養ゼミA,B,自然科学基礎実験担当の先生方へ
(SDシートの提出,未提出,了承,差戻にかかわらず,bccで教養ゼミA,B担当の専任の先生方全員,および自然科学基礎実験を担当されている何人かの先生に出しています。cc:国際総合科学系部会,二次評価者:学部長,研究科長,一次評価者:コース長,専攻長)
昨日メイルでご連絡いたしましたが,私の手違いかあるいはほかの理由かはわかりませんが,「差戻」がかからず「保留」のままになってしまったシートがありました。ご指摘を受け確認し,先ほど再度作業を行ないました。大変失礼しました。
また,目標設定時に必要な場合は面接を行なうということになっておりますが,共通教養は担当者も多く,差戻に際してメイルで趣旨をお知らせしました。ご理解くださいますようお願いいたします。評価者側も不慣れでありますので,ご不便をおかけすることも多々あるかと思いますが,有効な制度運営へむけてご意見などお寄せください。今後ともご協力をよろしくお願いいたします。
[3] 昨年から、「兼職願い」を出さなければならなくなったという。
それにしても、エクステンション講座は、われわれ本学教員にとって、「兼職」なのか?
わざわざ兼職としてお願いしなければならない筋合いのものか?
奇妙なことが次々と起こり、事務的に押し付けられてくる。
嫌気だけが増す。
書類もどこかに行方不明となった。事務処理は、事務が本業で一日中事務処理の仕事をしているのでなんともないかもしれないが、多数の多次元的な仕事を分刻みでこなしているわれわれには、無意味な(不当だと思われる)、違和感を持つ書類を書くことは苦痛以外の何物でもない。
[4] 教員に対する「評価権」を持つ学長が、その5月9日付(5月11日21日にメールで送りつけた文書)のメッセージで、「低い評価の危険性」(英文)、「最低の評価の可能性」(公式文書)等の文言(英文と日本文との齟齬からみて、TOEFL500点をクリアできないものではないか)を使っていること自体が示しているように、すなわち、その「脅かし」の文句がメッセージ内にあること自体、公文書(強制力を想起させる文言)における権力的態度が示されているのである。その態度に対する反省の言は、どこにもない。
学長と一般教員の関係は、こと、この「評価権」をめぐっては、権力関係である。
両者の関係は、対等の関係ではなく、相互に啓発しあう国際的教養の関係でもなく、友愛・隣人関係とは異質なものなのである。
だからこそ、大学の自治において、学長人事がどのように行われるかが決定的に重要なのである。
学長選出が、民主的自治的なのか、「外部から」、「上から」任命されたものかで、決定的にちがうのである。
下記、日本国憲法のスタンダードな解説・芦部『憲法』抜粋、参照:
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「大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治の二つである。ほかに、近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である。
(1)人事の自治 学長・教授その他の研究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。
以下略・・・・・・・・・・・・・・・」(芦部『憲法』)
[5] 制度が疑問だらけ、にもかかわらず押し付けてくる学長の態度が大学らし
くなく、あたかも下級管理職のような命令口調であるとき、「脅かし」と感じざるを得ない。
まさに、そのやり方が、今提示されている「評価」のやり方の根本的問題を露呈している。
教員の評価とは、疑問があっても、その疑問を押し殺し、ただただ従順に「お上」の言うことを聞くものだけが、評価(良い評価?悪くない評価?)の対象となるからである。
一人一人の教員の教育・研究・社会貢献・学内業務の実績をきちんと検討するではなく、当局への問答無用の従順さだけ(従順さを強制するやり方がその背景にある)が、評価において大きなウエイトを占めることは、大学自治の破壊のなにものでもない。