ドイツ連邦文書館Bundesarchiv、
ルートヴィッヒスブルク支所(分館)
Außenstelle Ludwigsburg(Stuttgart)
どこ?
ドイツ地図でシュツットガルトの位置確認
いつ?
時は、厳しく長い冬のあと、春到来を喜ぶ季節、
日本と違う待ちの雰囲気は?
景色
クリスマスのお祝いと比べると何が違うか?
町行く人の声(TVニュース)では、オースターは、クリスマスより重要とも。
商戦としては、クリスマス商戦に次ぐ重要なチャンスとも。
辞書による説明では?
広辞苑ほか
幼稚園や小学校では?
「彩色をほどこした卵」は、実際に幼稚園や小学校で子供がつくる。
今年のオースター・ゾンタークは3月23日の日曜、オースター・モンタークは24日の月曜。
オースターの祭りとしては、今年は、可能な範囲の中で、一番早い時期であることが分かる。
85年3月末から86年3月末までミュンヘンⅡ滞在したときの記憶では、オースターは4月初旬だった。
現地調査(現物に当たってみること)の意味・意義は?
百聞は一見にしかず。
商店街や百貨店などには、多産・豊穣の願いや春の到来の喜びを象徴するオースター・
ハーゼ(ウサギ型のチョコレート)や卵型のチョコレートの陳列でいっぱい。
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ウサギ型のチョコレート
百貨店Stuttgart・Galleria(Kaufhof)一階の商品陳列
ウサギ型のチョコレートと卵型チョコレート(テュービンゲンの街角で)
シュツットガルトのラーツケラーRatskeller(市庁舎地下食堂)の飾り
(下記、マールバッハの中心部マルクとぷらっつの泉の飾り)
シュツットガルト
ベンツ、ポルシェの町として有名。
しかし、19世紀の世界的哲学者ヘーゲル生誕の町でもある。
ヘーゲル生誕の家
「世界史は、自由の意識の進歩である」
Die Weltgeschichte ist der Fortschritt im Bewußtsein der Freiheit.
「真なるもの・真理は、全体である」
Das Wahre ist das Ganze.
このドイツ語・英語の案内パンフレットを読んでいて、
ニーチェ、マルクスなどは当然として、
驚いたのはトルストイなどもヘーゲルに本格的に取り組んだことがあったということである。
トルストイによれば、真理とは何か、真理はどうとらえ、どう叙述すべきか、といったことを考えるものに、
必読の書となっていたという。
解説によれば、ヘーゲルは、生存中に、すでにヨーロッパ規模で有名となり、
彼の最後の職場・ベルリン大学の講義にはヨーロッパ各地からの学生が集まったという。
古今東西の哲学者の学説に関する該博な知識は、聴講者を魅了したと。
生誕の家(現、記念博物館)
ヘーゲル生誕の家(Eberhardstr.53)
↓ヘーゲル像(市庁舎壁面)
旧王宮前広場には、
ドイツ統一の立役者・ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルムⅠ世の騎馬像
(ドイツのいたるところの都市にこの像や鉄血宰相ビスマルクの像がある。
.①コブレンツのドライエックの騎馬像、②キール、③ハンブルク、④リューベック・・・・
ナポレオン戦争に敗北してからの、あるいは1860年代からのドイツ統一運動、
そして1871年の対仏軍事的勝利によるドイツ帝国創立が、
いかに大きな意味を持ったか。
Cf.戦前日本における天皇の「御真影」、
日本国民の末端まで小学生のときから国家統一のシンボルとして、
天皇の赤子たる国民として、
天皇を民衆一人一人に脳裏に焼き付けることとの類似
・・・・国民意識・ナショナリズムの植え付け)
旧王宮が歴史博物館↓。たくさんの古代遺物(石器、陶器など発掘物)が展示されている。
↓ドイツ初のテレビ塔
(シュトットガルトが低い山々に囲まれた盆地のようなところなので、
電波を受けるためにはテレビ塔が必要だったのであろう)
歴史博物館(旧王宮)の中庭・陳列の部屋
ヒトラー暗殺事件(1944年7月20日事件)で、
爆弾を仕掛けた(ヒトラーは奇跡的に助かる・「悪運強し」か)ことで有名なクラウス・グラーフ・
シュタウフェンベルクは、
シュツットガルトの出身
(父親がヴュルテンベルク王の宮廷高級官吏Oberhofmarschall、家族が宮廷内に1909-1919生活)
王宮前広場(シュタウフェンベルクの名前の広場)に記念碑があり、
旧王宮(歴史博物館)の一郭の地下に記念の展示場がある。
入場者が受け取る案内書の写真の一枚。元は王室文書室だったようである。
Berthold und Claus
ヒトラー側近にまでなった忠実・勇敢無比(片腕を失っている)の人物だからこそ、
総統大本営の会議場にかばんに隠した時限爆弾を仕掛けることができた。
↑シュタウフェンベルク シュタウフェンベルク署名のクーデター命令(1944年7月20日)
Das durch Rundfunk bekanntgegebene Comunique
trifft nicht zu. Der Führer ist tot. Die angeordneten
Maßnahmen sind mit höchster Beschleunigung durchzu-
führen.
Der Befehlshaber des Ersatzheeres
und
Oberbefehlshaber im Heimatkriegsg-
gebiet.
St(署名)
ラジオで報じられている公式発表(コミュニケ)は当たっていない。
総統は死んだ。命じられた措置を可及的速やかに遂行しなければならない。
補充軍司令官・本土戦闘地域最高司令官
シュ(署名)
旧王宮・歴史博物館前の建物
1914年創立のMarkthalle↓・・・屋外市場を大きな建物の中に集めた感じ。
ここで、ヴュルテンベルクの地元ワイン(赤ワイン)を2本買った。
一本は京都のゼミ合宿のとき、持参した。
ドイツは普通白ワイン(ラインやモーゼルのワイン)が有名だが、
南西ドイツでは赤ワインもかなり有名。
王宮広場にある↓市立美術館キューブ(ガラス張り)と↓ケーニヒスパサージュ(ケーニヒス通り・王宮前広場から)
キューブ最上階からの写真:
新王宮=現州庁舎と王宮広場Schloßplatzその周辺 ↓旧王宮
新宮殿(バーデン・ヴュルテンベルク州庁舎)と新宮殿前広場
地下鉄Uの王宮広場駅
Königsbau Passage↓ 遠方に中央駅(ベンツの星印)
↓オペラ劇場と道路を挟んだところに「歴史の家(Haus der Geschichte)」
「歴史の家(Haus der Geschichte)」の昨年12月から2008年8月までの特別展示:
「Jud Süss―ナチ国家の宣伝映画」
18世紀中葉のユダヤ人豪商の宮廷との関係を描き、
宮廷に取り入って巨富を作り上げ、
民衆の血を吸い取るものとして描く。
------ワイマール期・バウハウス運動の建物群Weißenhofsiedlung----------
ガイドブックでは「現在見ても新鮮」というが、バウハウスが世界に普及し、
アメリカ経由で戦後日本に入ってきた建物のイメージがあるので、
新鮮さに驚くことはなかった。(鈍いだけか?)
--------マウルブロン修道院(世界文化遺産、12世紀創建、ヘルマン・ヘッセなどたくさんの著名人がこの神学校で学ぶ-----------
修道院全景
修道院内のレストラン↓(マウルタッシェンを食べる) ↓修道院内ラートハウス
----ネッカー河畔マールバッハMarbach:・シュツットガルト地区Regionの町=シラー生誕の町------
1月の時には「シラー生誕の家」記念館に着いたのが閉館10ほど前で、じっくり町を見物することもできなかったので、改めて時間をとった。
一月のときには気づかなかったが、すぐ近くに母の実家があり、また、生家の道路反対側の家(現在はケーキ屋・レストランとなっている)でシラーの両親が住んでいたこともあるようだった。
シラーの生家と祖父母が住んでいた家(ケーキ屋・レストラン)との間には、
「Geliebtester Brüder」という帯状のものが取り付けられている。
シラーの母の実家レストラン・「金のライオン」
(シラー生誕の家の2軒隣)
シラー生誕の町マールバッハでも、オースターの飾り(装飾の卵)がいたるところに
マールバッハの町壁(市壁)の上から、路地を。
----シュツットガルトから一時間ほどの町カルフCalwはヘルマン・ヘッセの生誕の町----------
市庁舎↓
市庁舎前広場・市庁舎の真向かいにヘッセの生誕の家
カルフ商会の建物(綿織物取引などでかつて栄えた)
-----シュツットガルトから25分ほどの町テュービンゲンTübingenは、ヘーゲル、ヘッセゆかりの大学町----
ヘッセが4年間働いていた書店
↓ヘッセが働いていた書店(Buchhandlung)の建物
市庁舎・マルクトプラッツ(町の中心)
テュービンゲンの町の一番高いところにある城からの眺め
城門前から街中を
↓Hotel am Schloß(日本なら、「城前ホテル」とでも)
大学の建物の前には、自転車がいっぱい・・・いずこも同じ?
テュービンゲンの駅から町の中心部へ入る途中にネッカー川(市中心部・城の方向)
下流方向
中州には、プラタナスが植えられた散歩道
----テュービンゲンから20分ほどのヘッヒンゲンHechingenからタクシーで10分ほど(12ユーロ)で、ホーエンツォレルン城---
ブランデンブルク伯に転じ、のち、プロイセン王となり、3人のドイツ皇帝となった人物を出した家系。
このホーエンツォレルン家の出身地は、西南ドイツ・シュヴァーベンだったのだ。
日本で言えば、薩摩藩・島津家が将軍となり、後に皇帝(天皇)になったようなものか。
ホーエンツォレルン城
―鉄道の駅ヘッヒンゲンの駅前からの遠望写真―
駅前タクシースタンドにはタクシーが常駐していない。
困っていると、親切な年配の人二人が近づいてきて、
一人はタクシー会社のカード(名詞タイプ)をだし、
もう一人はい携帯電話でタクシーを呼んでくれた。
その親切に、この町・この地域の印象が非常によくなった。
帰路も、駐車場にあるキオスクでタクシーを頼んだ(キオスクには30セント出した)
城への入場券
日本語案内書・表紙
------シュツットガルト滞在中のホテル―--------
インターシティ・ホテル・・・駅中ホテル
このインターシティ・ホテルは、シュツットガルトの場合、中央駅の「駅中」。
(ミュンヘンなど他の都市でも駅中か、駅のごく近くなので、特に不案内の旅行者には便利)
部屋(宿泊したのは124号室)に行く途中に、駅の中央ホール部分を見下ろして行く廊下部分があった。
(この通路から写した写真)
Hotel Wirt am Bergホテル・ヴィルト・アム・ベルク
(地下鉄Olgaeck駅から徒歩3分だが、歩いてケーニヒス通りや中央駅まで行くのもそう大変なことではない)
念のためにいえば、このホテルのレストランは閉鎖。
ガイドブックには、「このホテルのレストランのシュヴァーベン料理がおいしい」などと書いてあり、それを信じ期待したが、事実と違う記載だった。
インターネットで調べてみると分かるが、同名のレストランが別の場所にある。
ガイドブックを書いた人は、きちんと調べないで、どこかからの孫引きで、誤った情報を流している(流し続けている)ことになる。
この場合も、現場・現地調査が必要、書かれていることには誤りがありうる、検証が必要、ということを示している。
-------------シュヴァーベン料理:マウルタッシェンとシュペッツレ------------
ホーエンツォルレルン城Burgschenke(城内レストラン)で食べたシュヴァーベン料理マウルタッシェン(西洋風ぎょうざ)
マウルブロン修道院で食べたマウルタッシェン
肉料理などに添えられるシュペッツレ(ヌードル状)