以下は、7月11日シンポジウム・レジュメに適宜、新しい情報・資料等を追加ないし添削したものである。

最新文献:
 オメル・バルトフ『ホロコ―ストとジェノサイド――ガリツィアの記憶からパレスチナの語りへ
 橋本伸也訳、岩波書店、2024。

 ジェームズ・カー=リンゼイ/ミクラス・ファブリー『分離独立と国家創設――
 係争国家と失敗国家の生態――』小林綾子訳、白水社、2024.




最新情報(9月26日)…国連決議
  マスメディア記事:

  国連総会決議「イスラエルは違法占領やめるべき」可決――日本は賛成 主要国と一線を画して通したスジとは




  ----------更新版-------------

明治大学国際武器移転史研究所 第11回 公開シンポジウム 2024年7月11日
「ガザのジェノサイドとリベラリズムの危機」                  
            第2報告:永岑三千輝(横浜市立大学名誉教授)

 
ガザ侵攻に対するホロコ―スト研究者の視点


  レジュメ概要(目次):


 はじめに
 ①体制(権力)中枢の根本的特質の類似性・共通性:
 ②理念・目標達成の手段としての武力の正当化・国家戦略の正当化
 ③民族主義的占領支配の極限的状況とジェノサイド――ワルシャワ・ゲットー蜂起

 
 シオニズムの思想・運動・シオニスト国家イスラエルへの支援・支持・武器供給などの問題性
 
⑤反ユダヤ主義か反シオニズムか?

 
ガザ、パレスチナに関する参照文献リスト 



――――――以下、配布レジュメ―――――――


はじめに 


 問題の限定と見地:
 パレスチナ問題を二つの世界大戦と戦後世界史植民地主義史のなかに位置づける必要性

 現在、国連加盟193か国のうち約四分の三、143か国がパレスチナ国家を承認
 しかし、どこに、パレスチナ国家はあるのか?

(米国、日本などはパレスチナ国家未承認、
 承認諸国家と未承認諸国の態度が、パレスチナの現状を規定)

 パレスチナは、1947年以降、とくに1967年以降、
 ほぼ完全にイスラエル国家の領土・占領下にあるのではないか?
 (
国際連合安全保障理事会決議242:1967国連安保理決議242

 国連安保理決議に違反する入植地拡大(国際法違反)は継続し、
最新ニュース(2024-07-05)では、イスラエル占領下ゴラン高原に
5000戸の入植者住宅を建設するとの決定を下した、と。

(逆に、イスラエル未承認・非承認国家は、イラン、インドネシアなど)






【注記】
レジュメ下線部分は、リンクを張って検証のための史料・文献等を提示。
このレジュメとそれにリンクした史料・文献類は、Web版を参照されたい。

Web版アドレス:

https://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/2024-07Gaza-Genocide-note.html










①体制(権力)中枢の根本的特質の類似性・共通性:

 ナチズム
国民社会主義)とシオニズム

ナチズム・・・ドイツ民族主義(民族帝国主義)・人種主義(人種帝国主義・「生存圏」獲得

【ヒトラー・ナチス占領政策】
ポーランド侵攻・占領のなかでの「民族強化」「耕地整理」1939-1940)・・・ポーランド人、ユダヤ人追放
対ソ侵略作戦バルバロッサソ連分割構想(1941)・「東方全体計画」 (1942)
 ・・・ソ連隷属化戦略・ウラルまでソ連に一切軍事力をもたせない。




*ヒトラー『わが闘争』における「精神的疫病」シオニスト、シオニズムの規定(ウィーン時代に経験したことから)邦訳該当ページ

シオニズム・・・ユダヤ民族主義・植民地主義
    パレスチナでの
シオニスト国家建設
    (9割の先住民パレスチナ人の土地からパレスチナ人追放

*シオニストの大量入植・パレスチナ人難民化・「ナクバ」(民族浄化

 シオニズム=パレスチナを「排他的なユダヤ人主権国家とすることを目指すイスラエル国家の思想基盤

 (岸まどか:『分かれ道』訳者解説、459


   
・今日までのイスラエルは植民地主義の極限
 2023-2024・・・シオニスト支配・シオニスト入植地の極限的拡大







代表的シオニスト・ダヴィド・ベングリオン初代・第3代のイスラエル首相)
私は強制移送に賛成である。そこに何ら不道徳なものを見出さない」1938年6月
(ただし、ベングリオンのシオニズムの変遷ー共存模索時代1918-1929もあり)
    ⇒「ナクバ」・民族浄化に連なる

  森まり子『社会主義シオニズムとアラブ問題』第5章 模索の終焉(1936-1939)――民族分離への道――
   パレスチナからのパレスチナ・アラブ人の追放へ

「我々にとって社会主義とは我々の救済への道である。
なぜならば社会主義は
民族のためにあるのであって、その逆ではないからだ。」
(ダヴィド・ベングリオン『階級から民族へ』・・・民族主義的社会主義・ユダヤ民族の社会主義)
世界的にナショナリズムが、社会の階級的構成を無視させていく。「階級から民族へ」。ナチスの民族共同体イデオロギーがその典型だが)


パレスチナへの入植…拠点建設・拡大・・・パレスチナ戦争(1917〜1939
  シオニストは1920年代から現在のイスラエルの地へ移住
  (拠点建設開始のシオニズム運動・・・入植地建設)
  ・・・「嫌われ差別され迫害されるのなら、シオンの地へ出ていくだけだ。
   そこでユダヤ人の国を創設するのだ」
   (テオドール・ヘルツル『イスラエル国家』)。
   1920年代に東欧ユダヤ人を中心立ち上げられて修正主義シオニズム…創設者ジャポディンスキー)








ナチズムとシオニズムの協力関係
   
(戦間期反ユダヤ主義の激しさで知られえるポーランドでもエスニック・ナショナリズムとシオニストの「協力関係」

 ヨーロッパの反ユダヤ主義のスローガンの一つ:
   「ユダヤ人よ、パレスチナへ行け!

 ヒトラー・ナチスも政権初期、この路線(パレスチナへの移住促進)
 (1934年には親衛隊SSが最も親シオニスト)

 オーストリア併合(1938.3)、ズデーテン危機(38.8〜9)などを経て、
 ユダヤ人青年によるドイツ外交官射殺を契機とするポグロム(1938年11月「帝国水晶の夜」)、
 ユダヤ人追放・強制的移住政策へ(ポーランド攻撃、併合と総督府構築)、
 さらに飛躍して絶滅政策に代わるのは、独ソ戦・世界大戦・総力戦の力学



二つの自民族第一主義のナショナリズムの協力関係

(ナチ政権初期・・・親衛隊中間管理職アイヒマンの活躍・・・パレスチナへのユダヤ人「移住」の推進)
ブレンナー、第5章 ドイツ・シオニズムのナチズムへの
協力申し出)




・強烈な排外的膨張的ナショナリズム・ユダヤ人排除政策のナチスと



・シオンの地に国家を創設することを目指すシオニスト
(シオンの地に国家を創設する強烈な軍事的ナショナリズム
 マスタープランを作成し、計画的にパレスチナ人の村々を襲い、追放(民族浄化)・・・それによるイスラエル国家建設1947-48








シオニズムの階級性(反共・富裕層)
  移住・脱出できたものは、財産・能力・親類縁者の助けなど「有利な人々」

  東欧・中欧のユダヤ人の圧倒的部分が、貧困・忍従
   ⇒移住・脱出の可能性はなかった。
   ホロコ―ストの犠牲者600万人のほとんどは、この社会層。

  脱出したシオニストたちは、建国時、
   ホロコ―ストを「民族の弱さ」をとみなし、否定的に扱う


Cf.オーストリア・ウィーンユダヤ人の場合、拙稿書評
 ヴァンゼー会議(1942年1月20日、議事録・・・東方への「疎開」方針の確認)










②理念・目標達成の手段としての武力の正当化・国家戦略の正当化

 抵抗・闘いのたびに、
圧倒的武力で「敵」を殲滅ないし鎮圧
    ・・・ヒトラー・ナチズム国家(権力)とイスラエル・シオニズム国家(権力)
共通性

 ガザ攻撃に戦闘機・戦車等を投入。砲撃・空爆
  ・・・病院破壊、多数の子どもの犠牲など(『ガザ通信』『ガザ日記』)。

 
闘いの中でのジェノサイドへの過激化の力学と論理

第三帝国の場合:
 ・ソ連攻撃におけるアインザッツグルッペの殺戮拡大・急進化の力学と論理
(例示:たくさんの事例からイェーガー報告書
さらに拙著2001および拙著2022の第5章、第6章などを参照されたい)









③民族主義的占領支配の極限的状況とジェノサイド
  (2023年10月7日以降のガザ戦争=ガザ地区住民・ハマスの抵抗戦争、
  そこでのイスラエルによるジェノサイドとの類似性=本質的共通性、
  強大な軍事国シオニスト・イスラエル国家に抵抗するガザ市民の闘いの最終局面という意味合い、
  Cf. 早尾「シオニズムから見たガザ地区、ガザ地区から見たシオニズムサラ・ロイ2024所収))

ワルシャワゲットー蜂起
 (1943年4月19日勃発、鎮定5月16日) 
 (シオニストの精鋭集団die zionistische Elite)
 (ユダヤ人の闘争心・堅忍不抜さ




*ヒトラー・ナチスの民族主義的膨張・人種主義戦争の諸段階の中での
  ワルシャワ・ゲットー蜂起(徹底的鎮圧)の歴史的位置づけ
  (映画『戦場のピアニスト』でも、この蜂起は一つの柱

ヒトラー・ドイツの侵攻諸段階と敗退段階でのユダヤ人殺戮=累進的過激化
 1941年12月真珠湾攻撃・対米宣戦布告・文字通りの世界大戦化が画期。

ヒムラー命令(1942年7月)・・・ 「1942年末までに総督府ユダヤ人を絶滅せよ」

 ユダヤ人絶滅作戦と治安秩序確立、諸資源節約、食糧不足=口減らし
反乱要因排除・
総力戦における
労働力不足とのせめぎ合い




スターリングラード攻防戦での
敗北後
1943年4月、「疎開」、「撤収」作戦の最終段階でのゲットー・ユダヤ人の抵抗・蜂起
   ポーランド人抵抗運動のユダヤ人支援・協力・連携。



蜂起鎮圧現場責任者・親衛隊将軍シュトロープ証言
(元国内軍闘士・戦後投獄され同房となったモチャルスキに対して)
(ニュルンベルク裁判でのシュトロープ報告書の引用・報告書表紙




1943

4月19日(「撤収」作戦・
準備から初日)―4月20日から26日の「復活祭地獄」

5月1日、残存蜂起部隊員殲滅のため
 SS「新パルチザン部隊・装備は最高級投入
 東方上級親衛隊兼警察指導者、親衛隊上級師団指導者、警察将軍クリューガー

 「人種問題に造詣が深いクリューガーは、総督府統治区域の
 すべてのユダヤ人の撲滅ということをきわめて重要視していました。」

5月5日までに4万5千人
 ・・・「生け捕りにしたユダヤ人と数えることができたユダヤ人の死体」 
  
5月7日、「平常通り」ナチス兵力約1300人で、約50の掩蔽壕を破壊。
  千人余のユダヤ人を逮捕。射殺約270名

  「蜂起司令部」・・・シオニズム左派をはじめとする多様な党派の結集。

  しかし、宣伝上、「蜂起を煽ったのは共産主義者だけ」と発表。
  蜂起をポーランド地下運動の全組織が積極的に支援
 
5月12日までに大作戦行動開始以来捕らえたユダヤ人の数は、5万4500人

5月13日の特徴: 引き続き、蜂起戦闘集団、とりわけ若い男女の抵抗、
  そして、その日から、
 「捕らえたユダヤ人を
トレブリンカ第二収容所にのみ送るべきであるという私
 (シュトロープ)とクリューガーの決定があった」と。  

5月16日20時15分、大作戦行動を終了・・・総数56065人

 この他に、シュトロープの見積もりでは、約6千人が射殺され、
 壁に押しつぶされ、火事で焼死し、そして自殺。



さらに1943年秋までの作戦全体では、約7万1千人以上
 「作戦は命令に従っただけ」、ユダヤ人やジプシーや様々なモンゴル人は、
 「真の科学という観点からすれば、ほとんど畜生に近いか不完全な人間かのどちらか」と。

 非常にたくさんの物的戦利品

 ゲットーのユダヤ人の完全殲滅(射殺2万人、その他は絶滅収容所へ)後、

 ゲットー廃墟はポーランド人抵抗運動の処刑場に



今回の、2023年10月7日からのイスラエル・パレスチナ戦争(ガザ戦争):
イスラエルのガザ侵攻と
 パレスチナ人に対するジェノサイド

   (死者だけでいまや3万8千余、半数近くが子供、ガザ地区の見るも無残な様子)

 
シオニスト国家の領土拡大=占領支配・
   植民地(入植地)拡大・・・究極のところまで来ているのでは?


 
極限状態における
 シオニスト・イスラエル国家の大規模軍事力に抵抗するパレスチナ人の粘り強さ

 日々のテレビ報道と『ガザ通信』『ガザ日記』など下記参照文献に豊富な事実。






シオニズムの思想・運動・シオニスト国家イスラエルへの支援・支持・武器供給などの問題性

シオニスト国家への支援: 
 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、そして日本など
  ――それぞれの国における諸潮流・対立的諸見地
     ・・・アメリカの学生の抗議など。

国家(特定の立場での政府・政治権力)による武器移転・武器供給・武器輸出の問題性
 (ドイツは非公表ながら、イスラエルへの武器輸出を停止、と。


日本との関係でいえば、日本政府による「武器輸出」のなし崩し的拡大・・・「紛争・戦争国家」への武器輸出。

国連決議違反の国家、侵略国家への武器輸出は、ジェノサイド・戦争犯罪を助けるものではないか。

武器移転国の国家の行動が、いかなる性格のものか、これが大問題となる。



一方でロシアによるウクライナ侵略を批判しながら、
イスラエル国家によるパレスチナ・ガザ地区へのジェノサイドに無批判

ダブルスタンダードの批判を免れまい。

しかも、無批判のイスラエル国家支持は、自由と民主主義、
それを基本原則とする日本国憲法と矛盾するのではないか?

アメリカへの武器輸出(ミサイル部品など)は、アメリカがイスラエルに武器供給をしている現状から、
問題ではないか? 

他方、今回のハマスのかなりの数量の武器弾薬類、地下秘密通路網など、
 「外部」からの財政援助・武器弾薬援助・工作機械援助といった
「武器移転」関連の事実






⑤反ユダヤ主義か反シオニズムか?
(Cf. ミュンヘン・現代史研究所シンポジウムのテーマ

イスラエル国家のパレスチナ、ガザ地区へのジェノサイドを批判すると、「反ユダヤ主義だ」とされる。

しかし、イスラエル国家の行動は、世界のユダヤ人全体がやっていることでも、世界のユダヤ人が賛同していることでもない。

イスラエル国家の民族至上主義的行動は、シオニズム(勢力・国家)の行動であって、
シオニズム批判は、一般的な反ユダヤ主義との区別が必要であろう。







ーーーーー主要文献類ーーーーー

 パレスチナ、ガザ、参照文献(問題の根本を提起する文献):

今日のガザ戦争――パレスチナ戦争――前史・根本的前提としての両大戦間シオニズムの諸相
 レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』芝健介訳、法政大学出版会、2001
 (原書はZionism in the Age of the Dictators, 1983)。

ジェノサイドの実相を生々しく伝える本
①-1,サイード・アブデルワーヘド『ガザ通信』岡真理・TUP=訳、岡真理解説、
 志葉玲=写真、
2009年4月10日
 2008年12月27日から2009年2月19日まで、イスラエルによるガザへのジェノサイドの
 現場からの報告

①-2,岡真理『ガザとは何か――パレスチナを知るための緊急講義』大和書房、2023年12月31日。
 2023年10月7日から12月末までのイスラエルによるガザ・ジェノサイド、ガザ地区無差別破壊の報告。

①-3, 『平和をめざす翻訳者たち=Translater United for Peace』
   ガザ地区のジェノサイドンの実態を通報。

①-4, 岡真理「『人権の彼岸』から世界を見る――二重基準に抗して」同上。
 ロシアのウクライナ侵略ばかり取り上げ、イスラエルのガザにおける
 ジェノサイドを無視する欧米の諸国家とメディアに対する痛烈な批判。

①-5, アーティフ・アブー・サイフ『ガザ日記――ジェノサイドの記録』
 中野真紀子訳、地平社、2024.05.29.



シオニズム・シオニスト国家の長期の行動とそれに対するパレスチナ人の抵抗
②ラシード・ハーリディ『パレスチナ戦争――
入植者植民地主義抵抗の百年』2023年12月15日。
  コロンビア大学エドワード・サイード特別記念教授。
   序章、第1章1917〜1939、第2章1947〜1948、第3章1967
   第4章1982、第5章1987〜1995、第6章2000〜2014終章。訳者あとがき

 1947年国連分割決議案(地図
 ・・・・第二次大戦直後の国連=連合国の原則的態度の問題性
  (植民地主義批判の欠如・・・国連の中心諸国は植民地所有の諸国)


今日のジェノサイドにつながる大々的暴力の発端
イラン・パぺ『パレスチナの民族浄化――イスラエル建国の暴力
 法政大学出版局、2017・・・ナクバの実態を詳細に実証
   今日のイスラエルによるガザ・ジェノサイドを根底から理解するための第一級の研究書。

④イラン・パぺ(イギリス・エクセター大学教授)『イスラエルに関する十の神話』(序、目次、結語)
 法政大学出版局、2018・・・シオニズムの歴史に関して、批判的説明。
  以下の各章で諸種の神話・イスラエル美化擁護論を徹底的に批判
 第一部 過去の虚偽 第一章第二章第三章第四章第五章第六章
 第二部 現在の虚偽 第七章第八章第九章
 第三部 未来の虚偽 第十章「二国解決策」の欺瞞性を批判
 結語・・・10章にわたって詳しく批判した諸論点の総括的結論・・・「21世紀の殖民・植民地主義国家イスラエル

⑤サラ・ロイ『ホロコ―ストからガザへ――パレスチナの政治経済学
  岡真理・小田切拓・早尾貴紀編訳、青土社、2009年(新装版、2024年3月

⑥ヤコブ・M・ラブキン『イスラエルとは何か』平凡社、2012


今日のジェノサイドを容認する「自由主義」「民主主義」陣営の国家・メディア(アメリカ、ヨーロッパ、日本など)への痛烈な批判 
⑦内藤正典・三牧聖子『自壊する欧米――ガザ危機から問うダブルスタンダード』集英社新書、2024年4月

パレスチナに対する差別意識の諸相――19世紀以来の西洋の中東への差別意識 
⑧E. W. サイード(コロンビア大学教授)『オリエンタリズム』板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社 1986
 「オリエンタリズム再考」、Cf. サイード批判(マッケンジー)、ロシアの東洋蔑視p.12-13

⑨工藤庸子『ヨーロッパ文明批判序説――植民地・共和国・オリエンタリズム』東京大学出版会、2003


シオニズムの総合的検討
⑩臼杵陽監修・赤尾光春・早尾貴紀編『シオニズムの解剖
 ――現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克』人文書院、2011
 II ホロコ―ストからイスラエル建国へ
   第5章 カタストロフィ・シオニズム――ホロコ―スト後のユダヤ人DP(Displaced Persons)
 III ナクバという遺産
   第6章 国家の起源にどう向き合うか――「新しい歴史家」とパレスチナ難民問題」


ユダヤ人のなかでのシオニズム批判・・・上記文献における批判の他、
ユダヤ人、ジュディス・バトラー(2012)『分かれ道――ユダヤ性と
シオニズム批判』大橋洋一・岸まどか訳、。青土社、2019.

訳者解説(大橋洋一,482-483)より・・・「イスラエル政府の自己防衛の名のもとに継続されるパレスチナ人への暴力的政策は、
人類/人道への犯罪と呼ぶにふさわしい過酷lさをともなって、今この瞬間にも即刻停止すべきものとなっている。」

ナチスの「犠牲者であったユダヤ人が迫害者にかわり、パレスチナ人がその犠牲者になるとき、怒りにまかせてイスラエル国政府と
ナチスと同じだと罵ったとしたら、たとえ意図していなくとも、それは反ユダヤ主義的発言とみなされてしまう。
・・・イスラエル=ナチスのメタファーは、反ユダヤ主義陣営を勢いづかせるだけではない。イスラエル政府からも逆説的な歓迎を受ける。・・・」

*本報告の見地は、「ナチスと同じ」ではなく、ナチズムとシオニズムの共通性・類似性を確認するもの。
   人種主義、民族主義による弱小人種・弱小民族の支配、
   ドイツ民族(アーリア人種)による東欧スラブ系等諸民族の支配・追放・隷属化、
   シオニズムによるイスラエル国家建設・領土獲得拡張とアラブ・パレスチナ支配、

  ナチズムが強烈な自民族至上主義を根幹において「劣等な」東欧諸民族の支配隷属化、東方大帝国建設・世界強国建設を目標とするのに対して、
  シオニズム・イスラエル国家は、そのような世界戦略・目標を持っていない、など相違点も多々ある。しかし、シオニスト・ユダヤ人至上主義、パレスチナ人支配・追放、
  シオニスト国家の権力・勢力の拡大・膨張を追求する点で、ヒトラー・ナチズムと根本的共通性を持つ、という見地。 


⑫鶴見太郎『イスラエルの起源――ロシア・ユダヤ人が作った国』講談社選書メチエ、2020.

⑬-1 森まり子『社会主義シオニズムとアラブ問題――ベングリオンの軌跡1905〜1939』岩波書店、2002.
⑬-2 -- 『シオニズムとアラブ : ジャボティンスキーとイスラエル
右派一八八〇-二〇〇五』講談社選書メチエ、2008.

⑭宮田律『ガザ紛争の正体――暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム』平凡社新書、2024。


⑮サラ・ロイ、岡真理、小田切拓、早尾貴紀編訳『なぜガザなのか――パレスチナの分断、孤立化、反開発』青土社、2024.

⑯マルティン・ブーバー『ひとつの土地にふたつの民族――ユダヤ・アラブ問題によせて』合田正人訳、みすず書房、2006
 1.大砲と国旗と勲章を持ったユダヤ人国家?(ツヴァイク、ブーバー)
 2.決断に先立って(1919)・・・ヴェルサイユ体制の問題性=人間主義的な旗を掲げた帝国主義、その中での「入植」の正当化
 3.時すでに遅し(1920)
   …
アラブ・ナショナリズムの高名な指導者エミール・ファイサルとシオニスト代表団代表ハイム・ヴァイルマンの「協働」可能性文書1919・1・3はすぐに無効化された。
 4.ナショナリズム 第12回シオニスト会議に際してのカールスバートでの講演
    ・・・・しかし、理想主義的なブーバーのシオニズムは、
排外的ナショナリズムのシオニズム(「頽廃的」ナショナリズム)のもとで無力化。
 5.アラブ問題決議への提案(1921)、6.アラブ問題をめぐる会議の決議・・・第12回シオニスト会議での妥協決議(1921)


⑰トム・セゲフ『イスラエル人とホロコ―スト』ミネルヴァ書房、2013


⑱早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』青土社、2008.
  第1章 ユダヤ人国家か国民国家か――二つの独立宣言、第2章 ユダヤ人国家かに民族共存か

  シオニズムの多様性・右派・左派、ex. シオニストそれぞれも、立ち位置が違う。(左派・右派の本質的共通性
  (・・・・しかし、パレスチナという先住民族が生活している場所を奪うことになることに、自制できるかどうか、
   現実のシオニスト国家イスラエルは、1947〜18年の国家創設において、暴力=武力(国家とは暴力装置)を行使し、
   パレスチナ人を難民化させた。=「ナクバ」
   現実のイスラエル国家の行為は、正当化できないであろう。バーリンの文化的シオニズムは、単なる観念的なものにとどまり、
   シオニスト・イスラエル国家の現実のパレスチナ人抑圧、パレスチナ支配、人権抑圧に対して、無力。)

   オスロ合意(1993)(バーリンの「遺言」の二面性)
   
・・・イツハク・ラビンが首相として率いる労働党政権下で、イスラエル政府とパレスチナ解放機構(PLO)の相互承認と、
   パレスチナの暫定自治を段階的に進め、将来的には独立し、二国家方式によって最終的解決を図るという方向性の確認。
    これに異を唱える
右派(大イスラエル主義者)のユダヤ人によって、のちにラビンは暗殺された(1995年11月4日)。