大学改革日誌

2003年9月後半(17日―30日)

 

 

2003930日 商学部の反対決議などを無視したかたちの「大枠(追加)」をめぐって、臨時教授会が昨夜開催された。反対決議を無視するほどの説得力のある説明は、何もなかった。3学部事務室→学部廃止の事務主導・経営主義主導の改革がついにここまできたということであろう。その事務主導・経営主導のプランの画竜点睛・象徴となるのが「理事長と学長の分離」であろう。その説明文が不可解なので関係者に説明を聞いたが、理念のないものだった。

 

 公式の説明は、大枠(追加)における説明文によれば、

「市立大学の場合、以下の理由により学長と理事長を分離することが望ましいと判断した。ア 国立大学法人の場合、多数ある国立大学法人(89法人の予定)と文部科学省との間の対応関係にあることに対して、市立大学の場合、1公立大学法人と設立団体である横浜市との1対1の対応関係であり、国立大学に比べ両者の関係が緊密になり、法人の長としての負荷も大きくなる。イ 市立大学の場合、教育研究に加えて附属病院、センター病院の難しい運営・経営面に対しても責任を持たなければならない」と。

 

この説明を理解出きる人は、説明して欲しい。この文章を読み上げて繰り返すだけでは、説明といえない。説明といえないことしか、昨日の教授会ではなかった。

 

 他方で、説明とはいえない「本音」が吐露された。

「学長と理事長をいっしょにした場合、大学が学長を選べなくなる可能性がある、大学の意思に反した人物が外部から天下り的に任命される危険性がある」などと。

これが決定的屈服の精神、大学の精神的自由、大学の自治の精神からはほど遠い精神であることに気付きもしないことに、驚く。この「本音」ないし、危惧が今回の案を規定している。

 

 問題の本質は、法人と教学研究体制を統一的に統率する学長を置くのか、あるいは経営・法人の長(理事長)の下に副理事長として学長を据えるのか、という上下関係、指揮命令関係、教学と経営の最終かつ最高の責任の所在の問題である。プロジェクトR(幹事会)を牛耳っているのが事務局であり、事務局に都合のいいように理事長と学長を分離し、学長の上に理事長を置いているのである。大改革の制度設計としては、「大改革」に値しない内容だ。

 

 大学法人は研究教育を使命とする法人であり、研究教育の使命とその実現のための経営とが一体的に行われなければならず、その場合、研究教育を担う学長が全体を統括し経営についても最終責任を負はない限り、経営優位となってしまうことは目に見えている。

 

 国立大学法人の場合、学長=理事長の一体性であるのは、その大学の使命、大学の自律・独立、大学の自治の必然的要請をきちんと踏まえたものである。

 経営が優位に立っては学問の自由、大学の自治は経営主義の下に制約されざるを得ない。

 

 市立大学で分離する理由とされるのは「病院経営のむつかしさ」だが、まさに、ここにすでに大学の本来的使命の無視がある。まさにここに事務屋の発想がある。それは、大学の理念体系を考えたものではない。

病院経営が難しく、特別多忙であるならば、病院経営担当理事を置けばいいことである。多忙を理由に理事長職(病院以外の研究教育に関わる広範な分野を統括する大学経営の最高決定権者・最終責任者)までを大学(法人と教学)の長たるべき学長から奪っていい理由とはならない。

プロジェクトR幹事会の提案が意味するところは、いかに今まで学長を操り人形にしてきたか、ということである。公立大学法人法をどのように市大に適用するのかを考えるには慎重な検討が必要であにもかかわらず、分離案だけは早々と決めたのは、従来の陰の体制を表に出すにすぎないから出会うr

教学の責任と経営の責任の分離というのは、そのような学長の権威と責任の形骸化をもたらしてきた。

学長の要請(命令)など聞かない事務局責任者を作り出すということである。

 

 大学法人は、病院経営もやるが、それはあくまでも、大学における医学の研究教育とそれに基づく最先端医療を提供するためであり、病院経営を主導する理念や種々の経費・人材配置などは、研究教育の内容を知っている専門集団としての大学教員が責任を負うべきなのである。経費十%カットという政策なら、どここ削減出きるかを最終的に判断出きるのは専門研究者でなければならない。大学病院経営を主導し、指揮し、政策を決めるのは大学教員でなければならない。最終責任も教員が取らなければならない最終責任を教員がとれるためには、教員である学長が教学と経営の最高責任者でなければならない。その責任体制を明確にするのが、理事長=学長の体制である

このような基本的なことがわかっていないのが、分離案である。分離案は責任逃れを自在に出きるようにするための、なれあいのためのシステムである。

 

 学則規定無視、評議会の議長としての学長・大学の最高意思決定機関である評議会の議長としての学長、その学長の要請もけって、評議会から事務局総退場を総務部長が指揮でき強行できたのはなぜか?

このような大学自治破壊を許す現状を、今回の「学長と理事長の分離」は、追認するものであろう。

原理的理念的に考え、また公立大学法人の本則に従い、今回のプロジェクトRの案に反対であることに変わりはない。医学部その他からも反対の意見がでているのが、それに共鳴したい。

プロジェクトR幹事会は決定事項だから変更しないと、この点(その他いくつもの重要な点もだが)に関しては決めてかかっているようだが、説明責任を果たさない(果たせない)で、強行しても、大学の本当の発展はないであろう。

 

 「運営・経営面での公立大学法人の裁量権大幅に拡大される」から、理事長と学長を分離し、「教育研究組織と経営組織の役割を区分し、それぞれの権限と責任の所在の明確化をはかっていく必要がある」という。つまりは、理事長が「裁量権」を大幅に行使できる体制をつくるということである。

 理事長が大学の使命・学問研究教育の使命を担う学長を差し置いて(副理事長と下において)「裁量権」を大幅に行使しはじめたら、大学はだめになってしまう。大学をだめにする可能性のある制度を作ろうとしているのである。

 

 今回、京都大学の次期学長が七〇年ぶりに理学部から選出された、とニュースになっている(http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000165.html)。京都大学のような巨大な大学でも学長が理事長を兼ねる。その学長は大学の選挙規定により、大学の自治にもとづいて、大学内部から選出されている。

 このような学長選出規定を守り、その学長を理事長とし、「病院経営担当理事」といった特別忙しい部門には特別理事を配置すれば、市立大学でも、なんら問題はない。

大学内に適当な人がいなければ、学外から研究教育(と経営感覚)で抜きんでたすばらしい人を選び、選出すればいいではないか。

筑波大学のような巨大な大学でも、内部に人がいなければ(圧倒的コンセンサスを得る人がいない場合だろう)、日本学術会議会長の黒川(?)氏を学長選挙の候補者にしたというではないか(黒川氏は経営能力があるから候補者に選ばれたのか?)。学外のノーベル賞、あるいはそのクラスの人を候補者にし学長に選出したらいいではないか。

 

現在、大学内にふさわしい人がいないという認識は正しいとして(それはこれまでの経営と教学の分離体制からして当然のことだが、それならば十年後二〇年後には、まったく問題のない人・適任の人が学内で形成されるように、大学の人材の質・研究教育の質と経営責任の二つを担える人を育てる努力をすればいいではないか。市立大学がそのような姿勢を見せ、有能な人材を採用し、選び鍛えていく努力をこそすればいいのだ。現在の若い教員の多くがそのような自覚を持てばいいのだ。

 

そのようなことがなぜ市立大学ではできないのか?

そのような長期的観点に立った改革こそ行うべきではないのか?

 

わが大学のプロジェクトRは「リボーン」のはずだったが、「再生」はしていない。まったく「大胆」ではない。「大学の基本法=基本制度=憲法」改正を担うにふさわしくない人々が「改革」案を練っているのだ。

 

長年慣れ親しんできた教学と経営の分離のぬるま湯にずっとつかっていたい人々が、案を作成し、それに多くの人が追随しているのだ。それを、「経営責任と教学責任の明確な分離」等という美名で飾っているにすぎない。

その実は、「経営と教学の責任は一体でなければならない、その一体性の制度的形態は学長=理事長でなければならない」という法人法の本則が無視されているのだ。立法の趣旨など考えたくないのだ。

 

 長年のぬるま湯(事務局長・総務部長職を握る事務局)から抜け出そうとしない事務局に、プロジェクトR幹事会が牛耳られているから、今回のような「大枠」(とその追加)の案になるのである。

 公立大学法人法の趣旨(大学の自治を尊重せよという付帯決議など)、その前提となった国立大学法人法の立法趣旨(法案とその付帯決議)をまったく解しないプロジェクトR幹事会案(大学の教学側が経営責任を最終的には、最高責任者としては負いたくないという非自律的・非独立的・非自治的精神、甘えの構造)には、驚くしかない。

 

 

 

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2003929日 今朝は教員組合委員長藤山先生他2名の方が「市大教員組合から学生の皆さんへ」というビラを配布していた。

 

「瀬戸キャンパスの3学部を統合する改革案で市大はよくなる?」、

「在学生が学び卒業していく上で不利益が生じないようにすることが必要」、

「大学側は、学生の痛切な声と要求をしっかり聞くことが必要です」という大見出しのもと、

学生諸君に自分たちの大学について、「改革」について、カリキュラムなどの保証について考え、要求し主張する権利を説明している。今回のプロジェクトRの案でも「学生サービス」という言葉は出てくるが、目の前にいる学生院生にどれだけ丁寧に説明してきたか? つまり、今回のプロジェクトRの文章は、言葉はあっても精神がこもっておらず、実際が伴わないことを証明してはいないか?

学生の声を本当に聞く気はあるのか?

市民の声を本当に聞く気はあるのか?

いまだに67日の大学主催シンポジウムの市民意見さえ公開されていない。秘密主義で、自分(お役人?プロジェクトR幹事会?)に都合のいいことだけをおしとうそうとしている、といえないか? 現役学生、卒業生、これから入ってくる高校生など、広い目配りが必要だが、それはどのように行ったのか?

 

ともあれ、せっかくの103日の大学側(プロジェクトR)の説明会なのだから、できるだけ多くの学生・院生が参加し、疑問や不安等を表明し、大学改革に学生・院生が参加することが必要だろう[1]

 

なお、都立大学の昨日のシンポジウムに関しても、300名ほどの参加者で活発な議論がなされたようであり、大学院生の数が多かったようである。都立大学も大学院無視の構想が都知事側から出されているからであり、どうして現代の科学文化の最先端の潮流(大学院充実)には目をむけようとしないのか、その点で本学のプロジェクト(R幹事会)(市当局の大学改革推進本部)の精神とが共通するのは、効率主義・経済主義・財政主義が共通するからか? 多くの人が言うように、大学の財政を今回の改革でどこまで削減しようとするのか?大学に対する財政削減圧力よりももっと他に無駄な分野はないのか?

 

 

いずれ詳しい報告が関係HP「石原都政の下での都立大学改革を考えるホームページ」http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3113/index.htmlにでるであろう。

 

 

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2003928日 926日のプロジェクトR委員会における「大学改革案の大枠整理(追加)について」を入手した。それによると、

 

@  3学部の総合科学部への統合、

A  総合科学部のなかに国際教養学府、理工学府、総合経営学府を置くこと、

B  学府内にはコースをおくこと、その詳細は、

C  国際教養学府には(ア)国際社会コース、(イ)比較文化コース、(ウ)人間科学コース、(エ)都市・環境コース、の4コース、

D  理工学府のコース(例)としては、(ア)ナノ科学技術コース、(イ)環境生命コース、(ウ)数理情報コースの3コース、

E  総合経営学府のコースは、(ア)経営・戦略コース、(イ)会計・法務コース、(ウ)、金融・経済コース、(エ)公共・財政コース、(オ)

地域産業創業再生コース 

F  地方独立行政法人化が望ましい、とすること 

G  公立大学法人法の「ただしがき」、すなわち理事長と学長を分ける方式を採用すること、

など、先の大枠をそのままに、細部をつめただけという構成になっている。

 

はじめに「事務組織の統合ありき」(昨年秋の評議会からの事務局責任者指揮による事務局員総退場というかたちでの強制)、その事務組織の統合に合わせて3学部を統合する、という路線を市当局が決めておいて、その枠組みでなんとか大学内を取りまとめよう、という路線である。

 はたして、ここには発展的な展望があるか? 少なくとも私には豊かな力強い理念は感じられない。(理念という言葉はたくさん出てくる)

 

 少なくとも、一学部のなかに設定された学府という提案は、(商学部教授会では反対の決議をしたがそれは無視されたかたちになっている)、その下にコースを置くという編成からして、限りなく学科に近いものであり、3学部の解体縮小という市当局の路線が実現されつつあるということであろう。

 しかも、学府―院という構想に関しては、まったく今回の提案には明確な定義も構想も示されていない。

 いったい「学府―院」の構想は消失してしまったのか?

 これではますます、3学部の解体縮小ということしか浮かんでこないのではないか?

 

 研究院という組織に教員を配置するからこそ、機動性なり融通性なりがでてくるということではなかったのか?

 研究院という組織に統合するからこそ、今までできなかった教育研究指導が出きるという構想ではなかったのか?

 学府間の垣根は低くするが、従来の教員の学府との直結制は維持するということか?

 それなら、まさに学部を学府という名称に変えただけになりはしないか?

 

 今回の「大枠」追加において、研究院という教員組織についてなにも構想がなく、その編成についてもきちんとしたものがないということは、結局、大学内部で自主的に練られた構想は葬り去られた、ということになるのではないか? 

大学内部の自主的な構想のもっとも独自の部分を葬り去るというのなら、これは自治も自律もない。つまりは、大学の自治や自律、改革における内発的努力を発展させる態度がないということであろう。

 

 ところが、大学内部の自主性と自立性を無視して、独立行政法人化については大学の自主性・自律性を高めるものと主張する。

だが、大学の自主性・自律性を尊重する要となるはずの理事長=学長制度(国立大学法人の基本であり、公立大学法人の基本でもある)を無視する。つまり、現状の以上に経営優位のシステムが導入されることになる。現在の学則のように学長の統括下に事務局がある場合ですら、昨年秋の事務局総退場の際、学長が評議会に復帰するように「要請」(職務上の命令)したにもかかわらず無視して通してしまったのだから、理事長が上に立って学長を下にしたら、ますます事務局責任者の思い通りとなり、学問研究の場としての尊厳はなくなろう。さすがに国立大学法人はそのようなことは(少なくとも制度上は)しなかった。

 

医学部や工学部などたくさんの学部を持つ国立大学法人でも、「教育研究に加えて、付属病院、センター病院の両病院の難しい運営・経営面に対しても責任を持たなければならない」(今回の文書の12ページ)などと病院経営を理由に、理事長を上に置いて学長を下に置くことを制度化したり、正当化したりしてはいない。はじめに結論ありきの、「改革」案である。「難しい」というがその「むつかしい」経営をこれまで23年で交替する事務局責任者がやっていくことができたのはなぜか?「難しくはない」のが本当のところである。「難しい」といわなければ、学長・理事長の分離を正当化できないからにすぎない。そうでなければ、国立大学法人のすべてが理事長と学長の分離をしなければならないだろう。

 

 しかしいくらいってもし方がない。

これが横浜市と横浜市立大学の力量ならば、また75年の歴史で十年も経たない前に文理学部を国際文化学部と理学部に分けたという歴史も無視しさるというのならば、なにをかいわんやである。(このことが意味するのは、文理学部を二つの学部に分けたこともそうきちんとした検討がなされていなかった、多くの人の認知を受けていなかったということなのだろうか?・・・聞くところによると、二つの学部に独立した当時の責任者とか要員の多くはすでに他大学に去ったり定年退職したりで、現在の多くの教員は学部独立時に苦労した教員はあまりいないとも[2]・・・このことの意味も重大である)。ついこの間まで、「4つの学部に発展し、中規模だが総合大学だ」としていたことは、空中にとびさり、無視されることになるのだ。いやはや。

 

 大学院は今後の検討と課題の一つになっているが、はたしてどうなることか。

文科系の博士課程要員などを集合して、すでに問題提起したように、最低限でも総合文化研究科といったかたちでも博士課程を残し、博士の学位を取得するチャンス(博士課程を維持するための教員の質の確保)を維持する必要があるのではないか?

 すでに私のもとにも「博士課程があるから進学した」とか、「博士号取得を目指してこれまでやってきたのに」と、院生から「どうなっているんですか、反対しないんですか」との詰問の声が寄せられた。私は、この研究室HPの「大学改革日誌」を読んで欲しいというしかなかった。

 

前回の「大枠」が掲げたように考え方、全国的に大学院博士課程を創設するという今日の科学技術の発展段階で.逆にやっと数年前に完成したばかりの全学の博士課程を解体縮小ということをやろうとするのならば、いくらなんでもひどすぎるのではないか? なりふりかまわない態度には驚くだけである。大学院博士課程の発展充実などということを考えてきたのはばかげたことになる。

聞く耳持たない人々に何を言っても始まらないという思いはますます強くなる。あきらめるしかないのか? 

それを市民、市議会、学生院生が黙視しているのなら、それもまた横浜市と横浜市立大学の全体的力量であろう。

 

 103日の金曜日には、学生・院生のための「説明会」が開催されるという。26日に議論した案を1週間後に学生にはじめて説明するというわけで、しかもどのていど学生・院生に説明会の周知徹底を図るのか、たんに「やった」というポーズだけを示すのか? しっかり説明する機会を何回かもうけるべきだろう。

 

 

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2003927日 ちょっと小耳に挟んだところでは、昨日、プロジェクトR委員会(幹事会)は激論が続き、深夜にまで及んだとか。さて、「あり方懇を踏まえた」『大枠』がこれまで各学部・研究科から出された意見を踏まえて、どのように練りなおされ、発展的な案となっているか、21世紀の冒頭の「大改革」にふさわしい理念のもとに説得力のあるものになって いるか、それとも硬直した屈辱的案にとどまっているか、月曜日には明らかになろう。

 

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2003926日 国公私立大学通信No135http://ac-net.org/kd/03/925.htmlおよび136http://ac-net.org/kd/03/926.htmlには東京都立大学の各種抗議声明が公開されている。大学管理本部が知事から全権を与えられて憲法や教育基本法等無視してやっている。石原都知事に3百万票も与えた東京都民は、このようなことを予期し、支持していたのか? この民主社会において、民主的手続きをこのように無視するとは、恐るべきことではある。

 

イラクに対する自衛隊派遣もアメリカの強い要請で押しつけられそうな雰囲気である。国際紛争・世界的人権問題などは、二つの世界大戦の教訓から国際連合という国際組織で平和的民主的に解決をはかるというのが原則であり、その国連中心主義をこそ日本は強く推進すべきではないのか? ドイツやフランスがこの間世界のなかで信望を強化したのは、そうした国連中心主義の基本的態度のためではないか? それは、二つの世界大戦の総力戦を闘い抜かざるを得なかったヨーロッパの涙をじっくりかみしめているからではないか? 国連主導の世界的コンセンサスの元でのイラク復興でなくてはならないだろう。アメリカ民主党議員の演説が昨日流れていたが、そこでも「ブッシュ政権の先制攻撃戦略で世界から反対を受けた」と強調していた。国連の基本精神を遵守せず、「大量破壊兵器」を口実に先制攻撃したことは、ベトナム戦争におけるトンキン湾事件と同じく、戦争の正当性を根底から覆すもので、戦後確立した国際ルールを無視する非民主的行動に他ならない。民主的方向でのアメリカ世論の急速な転換を期待したい。

 

一事が万事、民主主義と自由の擁護のためには尋常ならざる努力が必要のようだ。以下には、国公私立大学通信編集者の前書きと、東京都立大学人文学部の抗議声明東京都立大学人文学部文学科5専攻から大学管理本部宛質問状だけをコピーしておこう。

 

----------国公私立大学通信より----------------


    
各位

    
東京都が8月1日に、数年かけて形成された都立大学改
    
革案をご破算にし、都立大学改革において大学側の意思
    
は考慮しない方針を明確に宣言し、秘密裏に検討を進め
    
ていることは、教育基本法10条(*)が禁止する「不
    
当な介入」そのものと言ってよいと思います。この介入
    
が看過されれば、行政が教育基本法の規制を受けない
    
「教育特区」が事実上誕生することとなり、同様の事実
    
上の教育特区は全国に急速に広がり、最後には、教育基
    
本法の規制そのものが失効する懸念もあります。

    
この意味で、東京都を「教育基本法10条適用外特区」
    
としないことは、単に東京都立大学関係者だけでなく、
    
日本の全大学関係者の将来を左右する重要な課題である
    
と思います。

     □ □ □ □ □ □

    
8月以降は、都の改革案を了承する教員が「一本釣り」
    
され厳重な守秘義務の下で作業に協力させられていると
    
言います【1】。これは、数年前に国立研究所が独立行
    
政法人化されるときに常用された手法であり、また国立
    
大学でも広がりつつあると推測されますが、このような
    
手法で実際に大学を良くすることができるのでしょうか。

    
密室で少数の者によって大学改革を立案できるという発
    
想は、大学で行なわれている教育・研究の諸活動全体が
    
持つ認知上の複雑度を見誤っており、関係者の性善説を
    
仮定したとしても大学を奇形にすることは不可避と思い
    
ます(**)。情報公開は、単に施策者を監視するために
    
だけ必要なのではなく、多様な視点を持つ多数の認識主
    
体に課題を絶えず曝すことによって初めて課題の持つ複
    
雑さに見合った複雑度を持つ吟味が実現されるから重要
    
なのです。(編集人)


*)教育基本法(教育行政)

 
10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直
 
接に責任を負って行われるべきものである。

 
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要
 
な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。


**)参考人として小野善康氏が国会で発言した中で、たとえノー
 
ベル賞受賞者から成る評価委員会を作っても、素人集団でしか有り
 
得ず、素人集団は単なるはやりと話題性を追求するだろう、という
 
趣旨の指摘をされています:

http://ac-net.org/kd/03/612.html#[4]


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1】東京都立大学人文学部抗議声明 2003.9.25
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抗 議 声 明

 
 本年8月1日、東京都はそれまでの新大学計画を突然覆し、新た
 
な基本構想を一方的に発表した。それ以降の新大学設立準備過程に
 
おいても、大学側の公式の関与をいっさい排除し、2005年4月
 
の開設を目途に強引に検討を進めている。新大学設置をめぐるこの
 
ような都の手続は、設置者権限を大きく逸脱し、憲法、教育関連法
 
規およびその他の諸法規に抵触する恐れが大きいと判断される。我々
 
はこれを深く懸念し、以下の6点について東京都に抗議するととも
 
に、広く社会に訴える。

 
1.東京都が、東京都大学改革大綱に基づき都立の4大学との緊密
 
な協議を経てほぼ完成を迎えていた前計画を、事前に何の説明もな
 
く、また日程上の無理を承知で一方的に破棄したこと。

 
2.これに代わって発表された基本構想の策定が、非公表の外部委
 
員会に委ねられ、大学はいうまでもなく都民、都議会にもまったく
 
知らされぬまま、秘密裏に行われたこと。また、上記計画破棄の理
 
由とこの新構想の必要性について合理的な説明を行わず、大学側の
 
質問にも答えていないこと。

 
3.教学面での計画実現に向けた準備委員会から都立大学総長を
 
排除し、個人として委員を委嘱された大学教員も、予め基本構想に
 
積極的に賛同するという前提のもと、しかも厳重な守秘義務を課し
 
たうえで初めて参加を認めるという異常な体制を敷いたこと。

 
4.人文学部の教員定数に関しては、すでに前計画においてもかな
 
りの削減が予定されていたが、新構想においては、さらに大きな定
 
数削減が迫られていると聞く。このような極端な定数減は、現行の
 
多くの学科・専攻の維持を危うくするのみならず、過員教員の大学
 
院担当の有無も不明であり、在学生、特に院生に対する教育・指導
 
体制の長期継続が不可能になる恐れが大きいこと。また、すでに学
 
生・院生の間には、学習権が十全に保障されないのではないかとい
 
う不安と動揺が広がり始めているが、これに対し都が十分な説明責
 
任を果たしていないこと。

 
5.人文学部専攻の多くが全学の基礎教育に果たす大きな役割から
 
見て、提示された条件では新大学の基礎教育は極めて貧弱なものと
 
ならざるを得ないが、この疑念に対しあえて明らかな回答を示そう
 
としないこと。また、外国語を必修化しない今回の構想は、大学教
 
育本来のあり方からして容認できないとともに、基本理念としてう
 
たわれた国際化、教養重視などとも大きく矛盾すること。

 
6.我々は、学部・大学院を通じ、教育・研究組織としての現人文
 
学部の社会的評価は十分に高いと自負している。しかるに、今回の
 
計画に従う限り、各専攻において積み上げられてきた教育・研究の
 
蓄積の多くが途絶し、日本の人文系学術研究拠点のひとつが失われ
 
る恐れが大きいこと。

 
      2003925日    東京都立大学人文学部

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2】東京都立大学人文学部文学科5専攻から大学管理本部宛質問状
 2003.9.24
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東京都大学管理本部長 殿

    
東京都立大学人文学部文学科 国文学専攻 
    
中国文学専攻
    
英文学専攻 
    
独文学専攻 
    
仏文学専攻 
            
2003
924

 81日「都立の新しい大学の構想について」発表以降、東京都大
学管理本部の進めている新大学構想には不明な点があまりにも多く、
学生たちの間でおおきな混乱と将来への懸念を招いています。

 そこで、以下の質問事項にお答えいただくようお願いする次第で
す。回答は、学生への説明の必要上、後期授業が開始される前日、
2003
930日までに、文書によって文学科上記各専攻までご送付
ください。

 なお、情報は学生、都民に対して閉ざされたものであるべきでな
、との考えから、送付時点で本質問状を一般に公開するとともに、
回答もいただき次第公開することを申し添えておきます。

  
1.  本年731日まで、東京都大学管理本部と都立4大学の間では、
    
「都立新大学設立準備委員会」のもとで都立の新大学に向けた構想
    
を検討してきました。しかし、これまで相互信頼関係に基づき築き
    
上げてきた構想は、81日の「都立の新しい大学の構想について」
    
の発表によって、都側から一方的に破棄されました。

    
 管理本部側、大学側ともに膨大な勤務時間を費やし形づくった案
    
をこのように唐突に破棄された根拠を、納税者に対して説明する義
    
務があるかと存じます。具体的にご説明お願いします。

  
2.  「都立の新しい大学の構想について」では、現在の都立大学に
    
かぎっても学部学科構成がおおきく変動することになるにもかかわ
    
らず、現行体制から新大学への移行がどのようになされるのか触れ
    
られていません。

    
 現在在学している学生たちの間では、自分たちの学習権がはたし
    
て保障されるのか、というおおきな不安がわき起こっています。ま
    
た人文学部一年生は、進級にあたっての専攻選択という問題を眼前
    
に控えとまどっています。

    
 この案を強行すると仮定して、現在在学している学生に対して、
    
入学時に示されていた教育態勢が縮減されることなく卒業時まで保
    
持されることを確約してください。またそれがどのように保証され
    
るのか、具体的にお答えください。

  
3.  新しい大学における大学院の構想は、いまだに発表されていません。

    
 現在ある大学院人文科学研究科・社会科学研究科が、新しい大学
    
ではどのような扱いとなるのか、お答えください。

    
 またその際、現在在学する大学院生の処遇はどのようになるので
    
しょうか。現在修士課程在学中の大学院生が、課程博士号取得にい
    
たるまで、入学時の態勢が十全に保たれることを確約してください。

  
4.  現在人文学部には文学科5専攻(国文学、中国文学、英文学、
    
独文学、仏文学)があります。その、新しい大学における位置づけ
    
を示してください。

  
5.  新大学における言語教育(日本語および外国語)について、7
    
31日までに検討・準備されてきた案も破棄されたのでしょうか。
    
もしその場合、どのような対案が用意されているのか、具体的にご
    
呈示ください。

以上。」

 

 

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2003925日 国公私立大学通信No134924日号)(http://ac-net.org/kd/03/924.html)によれば、静岡大学で進んでいる就業規則制定(案)において、日本の労使関係と労働法の水準から言っても、もちろん教育公務員特例法の精神からいっても、後退した、あるいは問題の多い規定を作ろうとしているようである。どうしてこうも時代遅れの、幾多の紛争を引き起こしそうな規定を制定しようとするのであろうか? 大学・大学人の自主性と自立性・自律性にもとづく責任体制が取れないようなシステムや規則21世紀の日本で作ってどうなると言うのか。日本の水準の低さを世界にさらけ出すのか? わが大学に限らず、時代が到達した最先端の水準(研究者で言えば研究史整理・研究の最新の到達点を踏まえた論文を書くことが学会評価・社会的評価のための必要最低限の要請なのだが)をきちんと調査し見据えて新たなシステムを作るということになっていないようである。それは、改革の名前に値しない。およそ大学「改革」を行う精神的水準に達しない古い精神状態の人々が既得権益をもとに既得権益と馴れ合いになって提案作成の部署を握り、適当に「改革」案の表面を取り繕っているのではなかろうか。本学に関しては、今週にもまとめられる案を見れば、どのような水準かはあきらかになる。一方的外在的見解に屈辱的な、無原則的で理念の欠如した、歴史に汚点を残す水準・内容になっているか、本学の歴史的発展を踏まえ、各学部・研究科の意見を発展的に反映し、豊かさと希望・将来展望のあるものになっているか、各方面から出された意見を汲み上げ練り上げたそれなりに納得のいく案になっているか、あるいは「はじめに結論ありき」の硬直した屈辱的なものにとどまっているか、それが問題だ。自由と民主の欠如した「改革」にしかすぎないのか、それとも、無原則的なその場しのぎの改革ではないことを、すなわち発展的内実を説得的に示せるか?

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1】静岡大学就業規則についての前号コメントへの静岡大学職員組合の意見
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「私共の認識と異なるコメントが付されておりましたので、改めて意見表明を
させていただきます。
 
「通信」(03-09-22)冒頭で、次のようなコメントが付されておりました。

 
 「また国立大学では就業規則の検討も進んでいるようです。
 
  静岡大学の案【4】を見ると問題点もあるようですが、
 
 人事・降格・解雇等については「教育公務員特例法の精
 
  神」にほぼ沿ったものとなっている印象があります。」
 
しかし、私共は、大学当局に提出した意見書で、次のように述べております。

 
 「第二に、内容について。法人移行準備本部に対しとくに再考を求
 
  めたいのは、教育公務員特例法の継承問題についてである。人
 
  事労務部会は、従前より、「教員の人事制度については、教育公
 
  務員特例法の基本理念を活かす」と明言してきた。しかし、今回
 
  提出された第1次案を見る限り、教特法の趣旨はほとんど活かさ
 
  れていないと言わざるを得ない(具体的な指摘は、逐条コメントに
 
  譲る)。自らの言明を誠実に履行するという立場にたち、法人移行
 
  準備本部が全面的な見直しをなされることを強く希望する。」
 
要するに、私共は、「教特法の趣旨に沿っていない」ことを最大の批判点とし
ております。1次案によれば、たとえば大学側は、教員に対して異職種への
配転命令をなすことができます。それに対し教員側は、正当な理由がない限り、
これを拒めないことになっています。異職種への配転など、教特法の予定する
ものではありません。それは、実際には、中小私立大学でリストラ策の一つ
して活用されているものです。このような案を、「教特法の精神にほぼ沿って
いる」などとはとても評価できない−−それが私共の立場です。(それ以外の
論点については、「教職員就業規則(第1次案)」へのコメントをご覧くださ
い)。そういう意味では、まだ、下記のコメントの方が、まだ私共の認識に近
いものがあります。
 
 
 「#(人事異動、降格、解雇等は「研究教育評議会と教授会等の議を
 
  経て学長が行う」となっている。「議を経て」という表現は、教育
 
  公務員特例法第6条「(教員は)評議会の審査の結果によるのでな
 
  ければ、その意に反して免職されることはない」よりは曖昧ではな
 
  かろうか。)」
 
さらに、私共は、「教特法の趣旨が守られていない」というだけでなく、より
深刻な問題として、「労働法(判例等も含めて)の水準すら守られていない」
という重大な欠陥についても指摘しています。

 
 「第三に、再度、内容問題について。いうまでもなく、就業規則
 
 を作成する上で、現行労働法、学説・判例等の水準を確保するこ
 
 とが必要である。しかし、その水準に達していない条項がいく
 
 つか散見される(こちらも、具体的な指摘は逐条コメントに譲
 
 る)。こうした点についても、ぜひ真摯な見直しを行っていた
 
 だきたい。」

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1-1】静岡大学就業規則案とコメントの抜粋(|からの行は組合コメント)
     http://www.jade.dti.ne.jp/~suu/2003/syugyo_comment.htm
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(配置転換)

    
第22条 教職員は、業務上の必要により、転勤、職
    
場異動又は従事する職種の変更(以下「配置転換」とい
    
う。)を命じられることがある。

    
2 大学の教員の配置転換に当たっては、本人の意向
    
を聴取した上で、教育研究評議会及び教授会等の議を
    
経て学長が行う。

    
3 第1項に規定する配置転換を命じられた教職員は、
    
正当な理由なくこれを拒否することができない。

    
4 教職員の配置転換に関し必要な事項は、別に定める
    
「国立大学法人静岡大学教職員配置転換規程」による。


| (1)たしかに、労働協約及び就業規則に転勤命令の根拠規定があり、
| 労働契約成立時に勤務地を限定する合意がないときには、個別的同
| 意なしに転勤を命ずることができると考えられている。〈最高2
| 昭和61714
| 
|  しかし、その一方で使用者側には、「本人事情の配慮」が求めら
| れる。したがって、第2項において、「本人の意向聴取」などとい
| う曖昧な表現ではなく、使用者側の「本人事情の配慮義務」を明確
| に規定すべきである。たとえば、「事前に本人の意見・事情を聞き、
| 公正かつ職員の家族的責任などを考慮して実施しなければならない」
| など。
| 
| (2)教員に対する「職種変更命令権」を包括的に定めたのは、きわ
| めて理解に苦しむ内容である。判例では、就業規則に「業務の都合
| により転勤・職場変更」を命ずる旨の定めがあっても、職種を特定
| して採用した者については、本人の同意なくして異職種に転属させ
| ることはできない、とされている〈名古屋地裁昭和4546〉。に
| もかかわらず、第22条は、使用者側に教員の異職種への変更命令権
| を包括的に与える(第1項)だけでなく、「正当な理由」がなけれ
| ばこれを拒めないとしている(第3項)。つまり、判例の要求する
| 「同意」要件をまったく無視されているのである。
| 
| このような第22条の実際的な意味を理解するためには、現在、中小
| 私立大学におけるリストラ策の一つとして、教員に対する異職種へ
| の配転命令が横行している事実を想起すれば十分である。



(出向)

    
第23条 教職員は、業務上の必要により、出向を命
    
じられることがある。

    
2 大学の教員の出向に当たっては、本人の意向を聴取
    
した上で、教育研究評議会及び教授会等の議を経て学長
    
が行う。

    
3 前項に規定する出向を命じられた教職員は、正当
    
な理由なくこれを拒否することができない。

    
4 教職員の出向に関し必要な事項は、別に定める「国
    
立大学法人静岡大学教職員出向規程」による。


(1) ここにいう「出向」は、在籍出向と転籍出向のいずれも含むの
| か? 在籍出向(出向元の大学と出向先との間に二重の労働関係が
| 発生するもの)を行う場合には、出向期間終了後の復職について確
| 実な保障を与える必要がある。転籍出向(大学を退職して転籍先と
| の間に新たな雇用関係を発生させるもの)については、均等待遇を
| 保障する必要がある。
| 
(2) 学説判例は一致して、民法第6251項を根拠に、出向命令には
| 労働者の同意が必要であると解している。にもかかわらず、第23
| は、こうした同意要件(拒否権)を無視している(リーディング・
| ケースとして、〈東京地判昭和41331〉参照)。



(解雇)

    
第33条 教職員が次の各号の一に該当する場合は、解
    
雇する。

    
一 勤務成績が著しく不良の場合

    
二 心身の故障のため職務遂行に堪えられない場合

    
三 事業の縮小、閉鎖その他やむを得ない経営上の必要がある場合

    
2 大学の教員の解雇に当たっては、教育研究評議会及
    
び教授会等の議を経て学長が行う。


| (1) 33条第1項第3号は整理解雇の規定。整理解雇とは、使用者の
| 作成した整理基準に該当する者を一方的に解雇することをいう。現
| 状では、整理解雇を規制する法令は存在しない。しかし、判例によ
| り、「整理解雇の4条件」が確立している。
| 
| 人員整理の必要性(特定事業部門閉鎖の必要性)
| 
| 人員削減の手段として整理解雇を選択することの必要性(配置転
| 換、出向などで人員削減を回避できないかどうか検討したか)
| 
| 解雇対象者の選定の妥当性(選定基準は客観的、合理的か)
| 
| 解雇手続の妥当性(労使協議を行うなど十分な説明がなされてい
| るか)
| 
| 大学が業績不振を理由に職員を解雇した場合、その解雇の有効性が
| 訴訟で争われるのは、当該解雇がこの4要件に該当しているかどう
| かという点について。いずれにせよ、本号のように「経営上の必要」
| のみによる包括的な整理解雇規定を置くことには問題が多い。より
| 具体的な要件を示すべきである。
| 
| (2)教授会の審議を経ずしてなされた私大教員の解雇は、追認があっ
| ても瑕疵は治癒されず無効とされている。〈神戸地裁昭和519
| 14〉本条第2項は、その趣旨を明文化したものとして肯定的に評価で
| きる。


(解雇の予告)

    
第34条 前条第1項の規定により教職員を解雇する場
    
合は、30日以上前に本人に予告するか、又は労基法第
    
12条に規定する平均賃金(以下「平均賃金」という。)
    
の30日分に相当する解雇予告手当を支給する。

    
2 前項の予告の日数は、平均賃金を支払った日数だけ
    
短縮することができる。

    
3 本条の定めにかかわらず、次の各号の一に該当する
    
場合は、予告することなく即時に解雇するものとする。

    
  一 試用期間中の者を14日以内に解雇する場合

    
  二 労働基準監督署長の解雇予告除外認定を受け懲
    
戒解雇する場合

(解雇の制限)

    
第35条 前条の定めにかかわらず、次の各号の一に該
    
当する期間及びその後30日間は解雇しない。

    
一 業務上負傷し又は疾病に罹り、療養のため休業する期間

    
二 産前産後の女性教職員が「国立大学法人静岡大学教
職員休暇等規程」に基づいて休業する期間

    
2 前項の規定は、業務上の傷病の場合において、療養
    
開始後3年を経過した日に労働者災害補償保険の傷病補
    
償年金の給付がなされ、労基法第81条の規定によって
    
打切補償を支払ったものとみなされる場合は、適用しない。

| (1)非公務員型には不利益処分に対する人事院による事後救済の制
| 度は適用されない。それだけに、就業規則において、解雇手続、不
| 服申立てなどの手続を整備しておくことが必要である。
| 
| そこで、たとえば解雇手続に関しては、「「懲戒解雇には行政官庁
| の認定を得る」旨の就業規則がある場合には、その認定があるまで
| 解雇の効力は発生しない」などの規定を盛り込んでほしい(たとえ
| ば、〈東京地裁昭和38528〉参照)。


(懲戒の種類)

    
第39条 懲戒の種類は、次の各号に掲げるものとする.

    
一 戒告 始末書を提出させ、将来を戒める。

    
二 減給 始末書を提出させるほか、給与の一部を減額
    
する。ただし、減給額は、一事案について平均賃金1日
    
分の2分の1を、数事案に及ぶ場合にも総額において給
    
与算定期間の給与総額の10分の1を、超えないものと
    
する。

    
三 出勤停止 始末書を提出させるほか、14日間を限
    
度として出勤を停止し、その問の給与を支給しない。

    
四 停職 1カ月以上6カ月以下を限度として、職務に
    
従事させず、その間の給与を支給しない。

    
五 諭旨解雇 本学の諭旨を受け入れた場合、30日前
    
の予告若しくは30日以上の平均賃金の支払いをして解
    
雇する。ただし、これに応じない場合には、懲戒解雇と
    
する。

    
六 懲戒解雇 予告期間を設けないで即時に解雇する。
    
この場合、労働基準監督署長の解雇予告除外認定を受け
    
たときは、解雇予告手当を支給しない。

(懲戒の事由)

    
第40条 教職員が次の各号の一に該当する場合は、懲
    
戒処分とする。

    
一 正当な理由なく、しばしば遅刻、早退をした場合

    
二 正当な理由なく、長期にわたり無断欠勤した場合

    
三 正当な理由なく、みだりに職場を離脱し、業務に重
        
大な支障を来した場合

    
四 重大な職務怠慢により、本学で災害又は事故を引き
        
起こした場合

    
五 故意又は重大な過失により本学の施設、備品及び機
        
器等を破壊したり、帳票類又はデータ等の資料を紛
        
失若しくは破壊した場合

    
六 本学の「国立大学法人静岡大学セクシヤルハラスメ
        
ントの防止等に関する規程」又は「国立大学法人静
        
岡大学教職員倫理規程」に反する行為を行った場合

    
七 本学の物品を許可なく他に流用し、又は本学の金品
        
を着服した場合

    
八 正当な理由なく職務命令に反し、業務に重大な支障
        
を来した場合

    
九 本学の秘密を他に漏らし、本学に損害を与えた場合

    
十 重大な経歴詐称をした場合

    
十一 他人の発明、著作及び論文等を剽窃した場合

    
十二 許可なく兼業を行ない、職務に重大な支障を来し
          
た場合

    
十三 刑事事件に関与し有罪判決を受けた場合

    
十四 素行不良で本学の風紀秩序を乱した場合

    
十五 本学の名誉若しくは信用を著しく傷つけた場合

    
十六 重ねて訓告又は厳重注意を行ったにもかかわらず、
          
なお改俊の情が明らかでない場合

    
十七 その他この規則及び附属する諸規程によって遵守
          
すべき事項に違反し、又は前各号に準ずる行為が
          
あった場合

| (1)懲戒解雇に相当する行為については、紛争になる場合が多い。
| それだけに、紛争防止の観点から、懲戒解雇事由を明示的に規定し
| ておくのが望ましい。それゆえ、すべての懲戒事由を包括的に規定
| する第40条を修正し、懲戒解雇事由を定める規定とそれ以外の懲戒
| 事由を規定する2つの条文を新たに設けるべきである。
| 
| 懲戒解雇事由を定める規定は、たとえば、以下の通りである。
| 
|  (懲戒解雇)
| 
|  第条 労働者が次の各号の一に該当する場合は、懲戒解雇とす
| る。ただし、情状により、通常の解雇、減給または出勤停止にとど
| めることがある。(以下、例示)
| 
|  一 正当な理由なく、無断欠勤が1月に14日以上に及び、
|   再三にわたる出勤の督 促に応じないとき
| 
|  二 他の労働者に対して暴行脅迫行為に及んだとき
| 
|  三 故意または重大な過失により、大学に重大な損害を与えたとき

 

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2003924日 国公私立大学通信No133922日号)には、国立大学の評価機構をめぐる問題等、重要な情報があるが、本学との関係で注目すべきは東京都立大学の情勢であろう。この8月から、まったく方針が変わり、強行的な改革が上から押しつけられようとしているようである。いったいそれが本当にすばらしい改革なのか。改革の中身はなくて(中身は議論させないで)結論だけを押しつけるという手法のようであり、都立大学が積み上げてきた科学文化の研究教育の歴史的発展をどのように継承発展させるものか、説得的な説明がない以上、都立大学の訴えが指摘するようにまさにファシズム的「改革」ということになろう。伝えられる(新聞報道などで)学部名はあたかも専門学校のようなものであり、都立大学の歴史と発展を総括し発展させるものとは感じられない。あるいは新時代の要請する専門性と総合性を示すものではない。一体東京都民、東京都庁、その他の見識はどうなっているのか? 独立行政法人法(公立大学法人法)は、このような形で大学の自治を破壊ないし無視することを許容するものだったのか?  国会や文部科学省はこのようなことを認めるのか? 200399日都立大学の統廃合をめぐる危機の現状の「問題点」が示すように、これは憲法が保証した大学の自治(学問の自由の制度的保証)を根底から覆すものではないのか? 日本、東京は法治国家ではないのか? 設置者権限とはこのように独裁的なものか?  すみ挙げてきた検討結果を一挙に覆せるほどの独裁的権限が都知事には与えられているのか? 世界恐慌期にヒトラーは大衆的支持を得て権力を掌握し、その帰結は世界大戦とドイツの敗戦、領土の大幅縮小・一千数百万のドイツ人の追放・難民化、東西分断の50年であった。ヒトラーは自殺し、ドイツ人民衆が悲惨な結果を背負うことになった。三百万票も石原都知事に投じた東京都はそのような経済危機にあるのか、都民は現在のような大学改革のやり方を認めているのか? トップダウン改革の「帰結」がわかる頃には石原都知事はいないであろう。ともあれ、この間本学の問題で自分なりにずっと苦労してきた経験から、連帯の輪の広がりはうれしく心強く、したがって、下記の「賛同」呼びかけにただちに応じた。

 

都立大学は東京都にとってもう必要がないのか?

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 今年の8月以降、都立の大学「改革」をめぐる動きが変わってきました。2005年4月から、都立の4大学が統廃合されることはすでにマスコミ報道されてきましたが、ここにきて、都庁にある大学管理本部の本部長が入れかえられ、これまで準備してきた新大学構想がご破算にされました。そして、まったく異なったプランが突如8月に発表され、新大学概要が10月には発表されるとのことです。

 いったい、8月以降、都庁の大学管理本部では、どんな議論がなされているのか。これまでの都立の大学は、都民にとってほんとうに必要のなくなった大学なのか。「新しいタイプの大学」とは、何がどのように新しくて、それが都民にとって、どのように望ましい大学なのか。当事者である都立大学関係者は、この事態をどう受けとめ、どのように「あらたな大学づくり」を進めていこうとしているのか。

 都立の4大学のあり方について、関心をもつ多くの方々とともに、閉ざされたものではない開かれた公論の場で、都立の大学のあり方について議論していく場が求められています。

 都立の大学、そして、東京都の教育に関心を持つ、多くの方に、緊急公開シンポジウムへの参加をお待ちしています。

 

● 都立4大学改革の予想される今後のスケジュール

2003年8月

新大学の構想発表

 

新大学設立本部の設置

 

学長予定者決定、理事長予定者決定

 

名称公募・決定

    10

新大学説明会で概要公表

 

教員採用・公募、授業科目決定

    11

学部長予定者決定

 

文部科学省との事前折衝

2004年4月

設置認可申請

 

開学準備、法人設立準備

    7月

設置認可

(東京都立大学・短期大学教職員組合『手から手へ』第2203号に掲載)

※ より詳しい現状については、2003年9月9日都立大学の統廃合をめぐる危機の現状がわかりやすい。>>PDF版

 

■ 報告内容 ■

(1) 都立の大学「改革」で、今何が起こっているのか

 大串隆吉氏(公立大学教職員組合協議会副委員長)

 乾 彰夫氏(都立大学・短期大学教職員組合副委員長)

(2) 都立大の教員から  高山宏氏(英文学)ほか

※ 指定討論には、都内各層からの発言を予定しています。

■ 日時と場所 ■

○ 2003年9月28日(日曜日) 午後2時−5時

○ 場所 東京都立大学教養棟 120番教室 >> 詳しくはこちらをご参照ください。

○ 京王線南大沢駅徒歩5分 >> 詳しくはこちらをご覧ください。

■ 資料代 ■

1000円 (学生・院生については500円)

 

■ 主 催 ■

「都立4大学廃止に関する緊急公開シンポジウム」実行委員会

■ 呼びかけ人・賛同者 ■

更新日:9月23日

池上洋通(自治体問題研究所)、上原公子(国立市長)、坂元忠芳(東京都立大学名誉教授)

新井秀明(横浜国立大学)、安藤聡彦(埼玉大学教育学部)、飯村しのぶ(東京図書(株)第二編集部長)、石井忠(教務職員・山梨大学)、大石美夏(東京都立大学人文学部卒業生)、植田健男(名古屋大学教授)、太田政男(大東文化大学)、大和田英子(法政大学教授) 、小澤浩明(中京大学)、小澤正和(東京都立大学人文学部卒業生)、加藤道子、河名俊男(琉球大学教授)、神谷章生(北海道教育大学)、小島喜孝(東京農工大学)、児美川 孝一郎(法政大学)、佐久間正夫(琉球大学教授)、佐藤隆(都留文科大学)、佐藤広美(東京家政学院大学)、佐藤学(東京大学教授)、真田哲也(福島大学経済学部)、佐貫浩 (法政大学)、新城竜一(琉球大学助教授)、関口昌秀(神奈川大学)、高野和子(明治大学助教授)、寺尾光身(名古屋工業大学名誉教授)、寺崎昌男(東京大学名誉教授)、照本祥敬(中京大学教授)、富田充保(札幌学院大学)、永井栄俊(高校教員)、仲嶺政光(富山大学)、野平慎二(富山大学)、長谷川裕(琉球大学)、林量俶(埼玉大学)、平塚眞樹(法政大学)、廣田健(民主教育研究所)、船山良一(米沢女子短期大学教員) 、増田正人(法政大学)、村上純一(国士舘大学)、吉田傑俊(法政大学)、吉村真子(法政大学)

以上は都立大教員・学生・院生以外からの賛同者リストです

■ あなたも賛同者へ!! ■

 このシンポの趣旨に賛同される方は、ganbare_toritudai@yahoo.co.jpに、「お名前」と「肩書き・所属」をメールにてお送りください。賛同者に登録させて頂きます。

 賛同者になられた方のお名前と肩書きは原則として、上記に掲載させて頂きます。都立大の改革について、広く開かれた「公論の場」を設けることを目的としている私たちにとっては、研究者だけでなく、「都民」という肩書きをもった方々が多く参加して頂けると、大変に励みになります。

 ぜひ、多くの方々に登録頂けるようお願いいたします。

※ 何らかの理由でお名前・肩書きなどを公表できない方でも、賛同者にご登録頂けます。その場合、お送り頂くメールに、公表できない部分(お名前のみ、肩書きのみ、両方)に「公表不可」とお書き頂ければ、賛同者にカウントさせて頂きますが、ホームページへの掲載はいたしません。

※ 急な呼びかけにもかかわらず、ここにお名前の掲載できない方を含めて、呼びかけ人がどんどん増えています。あなたも、是非、ご登録ください。

 

 

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2003923日 仕事がたまっているので休日出勤で[3]研究室で仕事をしていると、総合理学研究科教授・佐藤真彦先生から、エンジンルームの「大学改革関連」議事録部分を頂戴した。現在、プロジェクトR幹事会でまとめられつつあるという案が、はたして「市民の理解を得られる」ものであるかどうか、学内でも、最近の市会における梶村議員の発言でも、「プラクティカルなリベラルアーツ」などの強引な概念には批判が寄せられているが、そのような正当な批判や疑問に答える説明力・説得力のある提案になるかどうか、それが問われている。問われているのは理念であり、構想の全体的内容であり、市民が納得する21世紀初頭の改革にふさわしいアカウンタヴィリティである。1140億の赤字」といった不当な脅かしが貫徹し、財政削減だけを強行するというような経済主義的な「改革」しか出てこなければ、それはただちに誰の目にも明らかとなろう。下記議事録に見られるように、「あり方懇」答申を踏まえて「検討させる」という市当局の命令・指令が一体いかなる意味を持つのか、その内容が問題であろう。まさこの「命令」「指令」がある以上、自由な発想が制限されていることは明らかであろう。人目を引く「大胆な改革」が、その内実においてまったく脅かしや「命令にしたがった」だけの非主体的・従属的精神構造の結果でしかないとすれば(それは「改革」を検討してみればすぐ判明する)、「市民の理解」は得られるか? とりわけ、普通の行政機構の階段を上っているような人々にとっては、「命令」の支配力は決定的である。だが、大学の研究などは行政的な命令・指令に従順な人々によっては真の意味では発展させられないだろう。「命令」の妥当性と研究教育の現状と課題に照らしてきちんと批判的に判断することこそ、自律的研究者の資質であろう。大学改革において、「命令」にしたがう発想、そのような行政的発想が支配してしまえば、自由で豊かな創造的なものとはならないだろう。歴史がそれを検証することになろう。

 

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横浜市ホームページhttp://www.city.yokohama.jp/me/keiei/engine/st/
を見てみました.
すでにご存知かも知りませんが,中田市長創設の都市経営戦略
会議・執行会議議事録に,下記の横浜市大関連の記事ほかがあ
りました.
今秋に,アクションプラン(実施計画)と中期財政ビジョンを
公表するということですが,市大改革案もその際の一環として
発表するものと思われます.

・・・・・・

【エンジンルーム(都市経営局都市経営推進課)都市経営戦略
会議・執行会議の概要】

•
平成15年4月17日(木)執行会議 午後1時〜午
後2時30分
•
出席者 :清水副市長、本多副市長、前田副市長、収
入役、都市経営局長、総務局長、財政局長、市民局長、関係局
局長・部長ほか
•
議  題:

2.
市立大学改革について
•
議事内容:

2.
市立大学改革について
[
結果]
・戦略会議に付議する。時期については、今後調整することと
なった。
・改革について市民の理解が得られるよう、大学の現状や課題
について客観的に説明できるデータを整理して示すこと[4]
・・・・・・

•
平成15年4月21日(月)戦略会議  午前9時3
5分〜午前10時35分
•
出席者 :市長、清水副市長、本多副市長、前田副市
長、都市経営局長、総務局長、財政局長、関係局局長・部長ほ

•
議  題:
1.
横浜リバイバルプランの推進スケジュールについて
•
議事内容:
1.
横浜リバイバルプランの推進スケジュールについて
[
結果]
・平成15年秋までに「新時代行政プランのアクションプラン
」及び「中期財政ビジョンの課題に対する具体的取組等」につ
いて、連動をはかりながら検討を進め、この内容を踏まえて平
成16年度の「都市経営の基本方針」、「予算編成方針」を策
定することとする。
・局区再編は、区への分権と市民サイドからの発想を基に考え
ていくこととする。
・・・・・・
•
平成15年4月28日(月)戦略会議  午前10時
00分〜午前11時20分
•
出席者 :市長、清水副市長、本多副市長、前田副市
長、収入役、都市経営局長、総務局長、財政局長、関係局局長
・部長ほか
•
議  題:
1.
市立大学改革について
•
議事内容:
1.
市立大学改革について
[
結果]
・市長メッセージを発し、「市立大学の今後のあり方懇談会」
答申を踏まえた[5]改革案について大学に検討させる[6]
・市に設置者として大学改革推進本部を設置する。大学は全学
的改革検討組織を設置する。
大学が作成した案を市が設置者として判断し、大学改革の方
向性を決定する。
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平成15年5月19日(月)戦略会議 午前10時1
0分〜午前10時50分     
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出席者 :市長、清水副市長、本多副市長、前田副市
長、収入役、都市経営局長、総務局長、財政局長、関係局局長
・部長ほか
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議  題:
1.
横浜リバイバルプランの推進について
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議事内容:
1.
横浜リバイバルプランの推進について
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結果]
・今年秋の「新時代行政プラン・アクションプラン」、「中期
財政ビジョン」の発表に向けた進め方について確認し、今後、
具体的な課題について検討を進める。
・都市経営局は、各局、各部署に対して改革全体の動きが分か
るようにし、横浜リバイバルプランの進行管理を行う。
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2003922日(2) たまたまコピー室で同僚とあったら、「学生説明会があるようですね」とのことだった。学生のBBS(私は見たことがないのだが)で話題になっているようである。そこで、大学HPの大学改革のところ(第26回幹事会議事録)を見ると、なるほど、「大学改革学生説明会を929日(月)に開催することとした。とある。一体いつ掲示し、どのていど周知徹底したのか。議事録公開が918日なので、18日に議事録公開、ということで周知できたことにするのか?

これまで同様(アンケートなどのやり方を見てわかるように)、たんなる「やりました」という形式だけを整えようというもののようである。内容も決まっていないのに、十分学生に検討する時間も与えず、突然、やるというのだから、すごいやり方ではある。一体どのようなやり方をするのか、みておく必要がある。講義日なので、さてどうするか。困ったものである。「学府-院」にしても、「プラクティカル・リベラルアーツ」にしても、全学部・研究科から意味不明などと強い批判が出ているのに、一体どのようにしようというのか? しっかりした意見交換とその往復が何回か行われ、論点の整理と新たな説明の往復がなければ、決まったことを単に押しつけるだけの「説明」になってしまうだろう。

 

 

 

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2003922日 本学商学部の教授会決議が、国公私立大学通信Weekly Reports No.132http://ac-net.org/kd/03/920.html5】横浜市立大学商学部臨時教授会決議 平成159月11日(http://ac-net.org/kd/03/920.html#5の記事でも紹介されている。本学大学人は、本学の問題が全国的関心事であり、それだけに改革の理念や実際の改革は全国注目の的であることを肝に命じ、本学の歴史的発展と展開を踏まえ、現代の地球と地域の課題と夢に応える科学文化の研究教育の最高学府にふさわしい改革案を練り上げていかなければならないだろう。プロジェクトR幹事会案に対する根本的批判と各種修正案をしっかり組みこみ、現時点で可能なものはなにか、整理する必要があろう。

 

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2003921日 看護短期大学部の教授会の「幹事会」案に対する見解文書が判明した。ここにも公開しておきたい。また、918日に市会で自民党の梶村議員が、きわめて正当な観点から市長に質問している。教員組合からこの情報を得たので、ここに公開しておこう。

 

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2003918日 商学部教授会決議は、「3学府の一学部への統合に反対」という姿勢を明確に大学内外に示した。その「1学部への統合に反対」と言う部分に私も賛成である。また、独立行政法人化等に関する決議、大学院博士課程の堅持の決議部分にも何ら異論はない。その大学院博士課程堅持の決議とも関係するものとして、整合性と論理的一貫性との観点から、重大な疑問があることだけは指摘しておかなければならない。

 

すなわち、つぎの2点で重大な問題がある。

1.   研究院(教員組織)と学府(教育と研究指導の場としての学部と大学院)を分離する、それによって学府の内部編成や講義担当などを流動化する.柔軟性を増す、それこそ現代的課題に応える道だ、という最も積極的な改革理念に照らすときには、学府を現在の案のように三つの学府にわけるというのは、問題があると思われる。三つの学部を単に学府名に変更しただけだということになり兼ねない。学府(学部・大学院)の壁を低くするカリキュラムや研究指導の体制をこそ研究院と言う組織で時間をかけて練り上げるべきであるのに、このままでは旧態依然とならざるをえないことを危惧する。対外的にも、無原則的な対応だとの印象を与えるであろう。研究院と学府との明確な分離、という基本線をこそきちんと確定すべきである。

2.   その意味は、研究院(教員組織)には医学部・医学研究科と看護短大(看護学部)の教員もおなじように組み入れるべきである、ということでもある。すなわち、横浜市立大学研究院(横浜市立大学の教員の一体的組織)とその研究院が教育と研究指導のために送り出すべき学府(教育と研究指導の場としての学部・大学院)というシステムは、全学的に適用すべきである。医学部・医学研究科・看護短大にこうした学府・院システムを導入しないこと、その差別と区別の意味はどのようなものか? そのアカウンタビリティが問われている。

3.   無原則的な妥協は改革理念さえもだめにしてしまうであろう。

4.   私の対案は、すでに、910(3)の日誌で述べたとおりである。

以上の意見を学部長(同報として学長にも)提出しておいた。

 

 

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2003917日 科研費合宿で不在中にいくつかの進展があったようである。その資料を掲載しておこう。

 

1.「市民の会」(会長・長谷川名誉教授)の市長および学長宛ての陳情書

件名 横浜市大商学部名を存続させ、さらに市民ニーズに合った新学科を増設して市大の収支を改善するよう陳情する件

2.一学部への統合に反対等に関する商学部教授会決議

3学長への補充人事に関する要請(商学部教授会決議

 

 



[1] 学生が大学改革の重要な主体的構成者であることは、憲法的な意味、大学の自治や学問の自由の見地からも、確認されていることである。

 憲法学の代表的な仕事、標準的で模範的かつ指針的著書として現在最も広く読まれている芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法』第三版、岩波書店2002年、160ページによれば、下記引用のようである。

これでみると、この間のプラン策定委員会(幹事会)の態度は、1960年代以前の古いものだということがわかるであろう。

いっさいの説明集会も開催せず、いっさいの積極的な意見の汲み上げも行ってこなかった。やることといえば、きわめて恣意的な操作的なアンケートをちょっとやっただけである。全学生にアンケートをやる責任や資金・人員があるはずなのにそれをやっていないのである。

 

---------芦部『憲法』(第三版)より----------------------

*大学の自治と学生の位置づけ

大学自治の担い手は、伝統的に教授その他の研究者の組織(教授会ないし評議会)と考えられてきたが、1960年代の大学紛争を契機に、学生も自治の担い手であるべきだという議論が強くなってきた。たしかに、学生をもっぱら営造物(公共のために用いる施設)の利用者として捉える考えかた(東大ポポロ事件最高裁判決の立場)は妥当でないが、教授とは地位も役割も異なるので、大学における不可欠の構成員として、「大学の自治の運営について要望し、批判し、あるいは反対する権利」を有する(仙台高判1971528判時64555ページ)ものと解する説が、妥当である。

 

[2] この点に関し、事実確認が必要だとの語意見が寄せられた。「当時の文理学部長は,今も幹事会に名を連ねる小島先生 であったし,彼が先頭に立って積極的に話を進めたのです。確かに,文科の当時の責任者や要員の多くの方は辞められたようですが,理科では現在もご活躍中の馬来先生 や尾崎先生 が学部長を助け推進役を務めた筈です。」と。私の知る限りでも、この3人の先生方は市大ご勤務が長く、長期的に分離学部や理学部の執行部などを担ってこられたということはうかがっている。

 理学部独立に奔走された方々が、少なくとも新聞報道による限り、「あり方懇」答申の改革路線に賛同する記者会見を行い、したがって「学部解体」・3学部統合に御賛成のようである。

 これまでいくつか耳にしているかぎりでは、理学部独立にあたって編成した4学科の組みたてには無理が多く、相当問題を抱えているということだった。8年ほどの経験で、その改組の失敗を認めた、ということなのかもしれない。

 東京都立大学も工学部は大学管理本部・都知事のいうとおりのようであり、共通する姿勢があるのかもしれない。

 

[3] 「もちろん特別の休日出勤の手当てもなく」。

このようなことをわざわざ書くのはもちろん、「辣腕」事務局責任者とそれに追随し(あるいは大学の実情や研究教育のあり方に関してよく知らないままに「告げ口」して?)て点数を稼ぐ軽薄な出世主義の人々が、大学教員の研究教育のあり方に関して無知であり、失礼千万であり、かつ慣行的に確立した勤務形態(給与形態)に関して不当な介入を行う姿勢があるからである。

 

[4] まさに、これが問題。アカウンタビリティ!

 学内で出された幾多の疑念や批判をプロジェクトR幹事会はどのように咀嚼し、新たな提案に盛り込むか?

 

[5] 「答申」がはらんでいる幾多の問題はどうなるか?

 

[6] 議事録にこのようにある以上、「命令」の側面がはっきりしている。

 だが、「答申を踏まえる」と言う意味ないようはなにか? 抽象的であり、「踏まえ方」に大学人の見識、主体性、独立性が問われる。

 それをこそ検証しなければならない。