1942年以降の大攻勢・敗退の連続・
全ヨーロッパにおける銃後の危機
(特にソ連地域)とガス室の建設・増設・・・
ドイツ占領下で迫害されるユダヤ人におけるドイツ支配からの解放要求・ドイツ敗北の願望・敗北主義から抵抗まで。
ヒムラー命令・
ハイドリヒ暗殺(1942年5月末重傷・・・6月4日死去)・
固定型ガス室の実験(臨時的建設)から大規模火葬場の建設・増設・(命令書)・稼動へ−
「ラインハルト作戦」ヒムラー陣頭指揮:
一方における軍需生産の維持増大要請と
他方における人種主義的治安秩序政策(ユダヤ人絶滅政策)のせめぎあい
ドイツ民族強化全権としてのヒムラーの努力と
ドイツ占領下の治安秩序の不安定化のせめぎあい
(ドキュメント例示1942年9月・ヒムラーからコッホ宛の書簡)
1943年4月、ワルシャワ・ゲットー蜂起・・・鎮圧
(シュトループ報告)
1943年6月30日、40ページの報告書「ガリツィアにおけるユダヤ人問題の解決(Lösung der Judenfrage in
Galizien)」SS-Gruppenführer und Generalleutnant
der Polizei Katzmannカッツマン(Nürnberger Dok. 018-L, in: Der Nürnberger Prozess, Bd.37, S.391-431)
1944年11月、ワシントンの戦時難民委員会報告書の抜粋(Nürnberger Dok.022−L, in: Der Nürnberger Prozess, Bd.37, S.433)・・・アウシュヴィッツ・ビルケナウにおけるガス殺の計算(総数約176万5000人と)・・・・現在の研究水準(110万人から130万人程度)からすれば多いが、戦争末期の混乱状態だったことから考えれば、かなり正確な見積もりというべきだろう。