横浜市立大学同窓会:YCUREUNIONSDGsオンラインセミナー

 SDGsの正反対が戦争による地球・環境・人間に対する破壊

  ・・・世界史的流れに対する逆流 

 戦争に巻き込まれないように、戦争を引き起こさないようにするにはどうしたらいいのか?
 SDGsに関心を持つ人全員に問いかけられている基本的問い。
 
 

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『アウシュヴィッツへの道』(春風社、202203刊) 
――ロシアのウクライナ侵略戦争を考える比較素材として――


  表紙とその説明Pdf表紙Pdf表紙説明
                                         永岑三千輝(横浜市立大学名誉教授)
                                    簡略要旨レジュメPdf版


はじめに

 世界的に「プートラー」という言葉がプーチンの本質を示す簡潔な表現として流布しています。
 
その意味内容は?


  プーチンの掲げる大義とは

 実際にやっていること: 大国(ロシア)小国(ウクライナ)
内政の混乱に介入し、
軍事的に主権国家のある領域(クリミア、ルハンスク、ドネツク)の分離独立させ、併合を進め、既成事実化すること
 ・・・ウクライナにとって予断を許さない戦況
 (ロシアが軍事支配を既成事実化に成功?・・・現在進行形、何がどうなるか不確定

 このプーチンの実際の行動は、国連憲章が認めないこと(国連憲章違反)。

 プーチンのどんなところ、どんな本質的問題が、ヒトラーと共通なのでしょうか?

プーチンが掲げる敵・・・ナチス、ネオナチ、ファシスト(ウクライナ・ゼレンスキー政権)。

  ・・・実際には主権国家ウクライナへの侵略、支配地域拡大。
 最初は北・東・南から侵攻。ウクライナをロシアのものにしてしまう(勝利予測!)
 しかし、電撃的勝利に失敗し、東部、そして南部に戦線を集中。
電撃戦から長期戦へ


ヒトラーが掲げる敵・・・ユダヤ、ユダヤ民族、ユダヤ・ボルシェヴィズム(ソ連)、国際金融資本・ユダヤ(英米)
  ・・・実際には、段階的領土膨張、そして「ロシアとその周辺地域」を征服する「東方大帝国」建設。
 電撃戦による広大なソ連領土占領、しかし、ソ連の軍と民衆の抵抗、ソ連軍民と連帯・連携する米英の軍と民衆、世界各国の反植民地勢力。反帝国主義勢力の連携・協力、これらと通じて、総力戦・長期戦へ。
ナチスドイツの全面的敗退、
ナチス・ドイツの敗北が自明の如くなってしまった後世の見方=ヒトラー・ナチスの基本戦略さえ
忘却されている。あたかもヒトラー・ナチスがユダヤ人絶滅だけを目指したかのごとくに。
 
歴史の真実の根本的誤認
 この忘却・無視・隠蔽の上に成立する種々の否定論(看板としての「歴史修正主義」)。

 
 
ヒトラーのやったことを把握し直しておくことが大切だと思います。
 今回ご紹介する
拙著は、その一つの材料


 問題・対象の限定の必要性・・・ヒトラーに関する研究・文献は膨大。
なにか研究しようとする場合、問題と対象を限定する必要性。
 ホロコースト(ユダヤ人大量殺戮)に関する基本的な問い
――拙著副題:
なぜ、いつから、どこで、どのように――に答える

・・・2020年代の現在、最新(昨年完結)の16巻本の史料集『ヨーロッパ・ユダヤ人の迫害と殺戮』(2008〜2021)を研究し、紹介を試みたのが本書。 



 この25年程の仕事のひとつの中心的柱(問題と対象の限定):

  
ナチス・ドイツ・第三帝国のソ連征服戦争とユダヤ人迫害・大量殺戮の歴史

  ・・・ベルリンの壁崩壊・ドイツのl平和的統一から
1991年のソ連崩壊(世界の民主化自由化)を踏まえて、
   ソ連強大化・世界強国化
の歴史的背景を考える・・・独ソ戦
   膨大な研究史と数多くの論点・・・問題-対象の限定の必要性。
   ・・・1990年代当時、最新の史料集『ハーケンクロイツ支配下のヨーロッパ』8巻本の研究・紹介
   
 

拙著目次Pdf

拙著の基本的スタンス(序章)
 
19世紀末から20世紀前半・・・英・仏・独・米・日などの列強の植民主義・帝国主義、覇権争いが跋扈していた。その世界的潮流の波に乗ったのがヒトラー・ナチス、という基本的把握

 ヒトラーは、ドイツ民族主義、ドイツ民族至上主義の見地から、
総統大本営地下壕に追い込まれ、自殺の間際になって(すなわち彼の建設的目標=東方大帝国建設の逆、全面的敗退において)も、
 ユダヤ人大量殺害を、ドイツ民族への貢献、「ドイツ民族に感謝されること」と主張。
   ・・・主観・信念と
客観的真実との断絶・乖離。


 
植民地独立運動、植民地解放運動、帝国主義反対運動・勢力がまだまだ弱かった世界の時代状況

 国際連合に196か国が結集する現代との違い。
 
第二次世界大戦後、冷戦期、脱植民地主義・非植民地主義の勝利→アジア・アフリカにおける多数 の民族が独立・国家樹立
  (参考:ハルトムート・ケルブレ著永岑監訳『冷戦と福祉国家』Pdf
  


 現代世界の根本基準・原則は、反植民地主義・反帝国主義・反覇権主義。
 ところが今回のウクライナに対するロシア、プーチン政権の行動は?
・・・現代世界のこの到達状況からすれば、ロシア・プーチン政権の侵略・併合を敗北させる可能性は大きい。
 敗北させるのは、ロシアの内部の意識変化、世界の英知の結集・連帯強力であろう。


1.      なぜホロコーストを研究してきたのか・・・問題・対象絞り込みの契機
(1)   「ナチ・ガス室はなかった」――『マルコポーロ』事件
ユダヤ人大量殺戮研究のきっかけは、一九九五年一月の『マルコポーロ』事件でした。

 神戸大震災とオーム真理教事件で日本中が騒然とていた当時、第二次大戦終結・アウシュヴィッツ解放の五〇周年記念の年にすべき時にこの事件は発生しました。

 文芸春秋社の若者向け雑誌『マルコポーロ』(二月号)に「ナチ・ガス室はなかった」と称するセンセーショナルな「論文」が掲載されました。アウシュヴィッツ否定論、ホロコースト否定論の日本での公然たる登場でした。

 国内外から厳しい批判を受け文芸春秋社はただちに廃刊


 
しかし、否定論に対する欧米の歴史科学の到達点はどこにあるのか、これが日本の歴史学界に、その一人である私に突きつけられました。




   参考:現在の実証的到達水準を紹介した拙稿(Pdfにリンク)
   「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942‐1945」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐1。Pdf.



(2)  欧米とわが国での歴学上の論争
    ――ヒトラー命令・大々的絶滅政策の
画期をめぐって 
歴史学上では、ユダヤ人大量殺戮(絶滅政策)への政策転換が
 
いつ始まったのか?
 それは、ソ連征服戦争のなかでか、世界戦争突入による全ヨーロッパ・ユダヤ人対象なのか?


画期・政策転換の時期に関して、
 ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅命令は、
 1939年1月の国会演説か、
 1941年夏(7月末から8月前半・・・ゲーリング署名の文書)なのか、
 日本の真珠湾攻撃を受けてヒトラーが対米宣戦布告をした1941年12月なのか
 をめぐって世界的な歴史科学論争がありました。

 日本では、栗原優説(1941年夏)私の1941年12月説


 論争点はヨーロッパ・ユダヤ人の大々的絶滅政策への移行が
いつからなのか、
ヒトラーやナチス首脳のどのような発言・演説・実際の行動からなのかでした。


   下記拙著は、1941年12月画期説

拙著①『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941‐1942』(同文舘、1994)
拙著②『独ソ戦とホロコースト』(日本経済評論社、2001)
拙著③『ホロコーストの力学――独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』(青木書店、2003)



 移送政策から絶滅政策への、またソ連だけではなく全ヨーロッパのユダヤ人絶滅政策への大転換・画期

1941年12月11日真珠湾攻撃を踏まえたヒトラー対米宣戦布告
    ヒトラー国会演説、その後のナチ党首に対する演説
             ヨーロッパ戦争とアジア太平洋戦争の結合・・・文字通りの世界戦争。
             対ソ戦での苦境・占領下全ヨーロッパの苦境、
             特に総督府ポーランド(12月16日総督府閣議フランク総督発言

   ・・・・
1942年1月20日のヴァンゼー会議
      
(議題:ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決)、 
    詳しくは、ヴァンゼー会議記念館編著の史料集(横浜市立大学新叢書8)を参照
              

      
1942年1月30日のヒトラー国会演説

 ヴァンゼー会議(列席した総督府次官発言)を踏まえた
ラインハルト作戦(拙著該当箇所Pdf
   ・・・1942年の一年間に約200万人近くの総督府ユダヤ人の殺戮
   (一酸化炭素ガス≂エンジン排気ガス、総督府東部の
三つの絶滅収容所
    ベウジェッツ、トレブリンカ、ソビボールで)
     ・・・・1943年春から11月にかけ、完全に痕跡をなくす=証拠隠滅

           参考:犠牲者数の全体的概観・統計



 これは、今回の拙著でも確認できた世界の歴史学の到達点です。
 ユダヤ人への迫害(差別や追放・強制移住)から大量殺戮への過程は段階的に進行。
 はじめに殺戮のヒトラーの絶滅プログラムがあったのではない。・・・絶滅政策への大々的転換は、軍事的挫折・敗北過程の帰結として。
挫折・敗北を前もって計画・プログラムするなどありえない)。

 ヒトラー・ナチス、ドイツ第三帝国の膨張から戦争への過程で過激化が進展。

 電撃戦・ヨーロッパ戦争から総力戦・世界戦争へと泥沼化し、第三帝国が全面的に敗退して、追い込まれていく過程で、ヨーロッパ・ユダヤ人の殺戮が
累進的に過激化した、と。
 今回の拙著は、第一次世界大戦からワイマール期の概観を踏まえ、ヒトラー・ナチ体制が敗北の絶望的状態に追い込まれていく諸段階、そこでの累進的過激化過程に的を絞ってまとめたものです。


論点の一つ・・・「アイヒマン評価」・・・アイヒマンは「ほどんどユダヤ人問題にのみ専念し、その任務はユダヤ人の絶滅であり、あおの非道な体制の中で果たした役割がそれのみに限られていた人間は一人だけしかいなかった。それはアドルフ・アイヒマンだった」・・・アイマン裁判での検察側主張アーレント[2017 ], 6


 ・・・・この検察の見方は、拙著の見地からすれば、他の数多くの同様のl立論と同じく、「絶滅」という結果を戦後に知った上での断罪である。

 
アイヒマンは、ユダヤ人問題担当者になってから1941年まで、ユダヤ人の強制的移送・移住を仕事にしていた。

 
絶滅(最初はソ連ユダヤ人、後ポーランドユダヤ人、さらに西欧ユダヤ人)政策の巨大な機構の歯車の一つ、彼の担当・任務が独ソ戦・世界大戦・総力戦の過程で飛躍的に拡大していく、とみる。

もう一つの論点・・・・「大量殺害」という規定と「問題の最終解決」という表現・正当化
 「アイヒマン自身はたしかに大量殺害に直接的にはかかわってはおらず、多くの人を殺そうという意図もなかった。」アーレント[2017 ],,434)
  
 拙著の見地: 「大量殺害」という実際の出来事を、「ユダヤ人問題の
最終解決」という正当化の定義で、実施すること、そのユダヤ人移送課の課長。

 ヴァンゼー会議(議題:「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の
最終解決」)以降、「移送」は、絶滅収容所・ガス室への移送、すなわち殺害を意味した。

 しかし、「殺害」とは表現せず、「問題の最終解決」と表現する。


 プーチンがなぜ、「特別軍事作戦」と唱え、戦争という表現を使わないのか?
 日本が、1937年以降の中国侵略戦争を、「事変」と表現したのか?

 行為者がどのような表現を使用するかということと、行為の実際の内容とを、きっちり、区別しなければならない。


 
行為者の主観・信念と客観的真実の乖離・断絶。



 拙著の見地序章参照 



2.ヒトラー第三帝国の侵略戦争とプーチン・ロシア大国のウクライナ侵略戦争
①二つの戦争は何を目指したか?
プーチン・・・ピョートル大帝の偉業・大ロシア帝国建設を賛美。
  世界を二分した世界強国ソ連の崩壊、ロシアの小国化、ウクライナ、ベラルーシ
(白ロシア)などの独立・多数国家成立を民主化・自由化ととらえるのではなく、
 大国ロシアの世界的地位・「領土」(支配権)などの喪失ととらえ
強烈な「敗北意識」
持っています。
  「敗北の克服」、
大国ロシアの再建・世界的な覇権的地位の再獲得
追求する意識が強烈に見て取れます。
 ヒトラー・ナチ党・・・まさに第一次世界大戦の「敗北」ヴェルサイユ条約(体制)の屈辱
 その克服とロシアとその周辺の征服による
東方大帝国建設が一貫した目標でした。



②いかなる領土・勢力圏の再獲得・再建・創造をめざしたか?
プーチン
  ・・・チェチェン、ジョージアなどでの独立の志向と勢力を武力で抑え込み、ロシア(支配)地域の拡大を着々と目指し、絶大な権威を確立しました。その成功過程が彼の英雄化や神話化をもたらしました。その方向性はついにウクライナ領土・クリミアを武力を背景に併合し、さらにドネツク、ルガンスクを新露派勢力を支援して「独立」させて、併合する暴挙に出ました。今回のウクライナ侵略に成功しロシアとウクライナ、ベラルーシを統合した大国の形成に成功すれば、ピョートル大帝以来のロシアの英雄になれる、それを目指しているといえるでしょう。
ウクライナの人々の抵抗、ヨーロッパ諸国・アメリカのウクライナ支援により、プーチンの野望を打破できるかどうか、これが現在世界に問いかけられています。





ヒトラー・ナチ党・・・詳しくは、ヒトラーの思想構造 を参照されたい。

  ・・・第一次世界大戦で喪失した領土、世界的地位の回復、すなわち「敗北の克服」が一貫した中心的目標でした。それを段階的に――最初は「平和的に」、そしてついには武力で追求。最初は「民族自決」の論理を利用・活用しました。オーストリア併合、ズデーテン・ドイツ人地域の併合はまさに「民族自決」の論理を前面に出した。それが英仏等の宥和政策を引き出し、曲がりなりにも通用したのでした。
しかし約5か月後、、1939年3月、ミュンヘン協定でかわした国際的約束を破り、
他民族地域チェコに進駐
、保護領に・・・保護領ベーメン・メーレン

 さらに、123年ぶりに独立を果たしたポーランド共和国からその生存に不可欠な「回廊」を取り返そうと企て、拒否されて、1939年5月ポーランド侵攻計画立案を命令(9月1日まで準備完了せよ)
 遂に1939年9月1日、侵略戦争の火蓋を切りました。

 第二帝政時代の国境線を取り戻すだけでなく、ソ連・スターリンと協力してポーランドの民族的国家的独立を全面的に破壊しました。

 ポーランドの支配層・エリートを殲滅し、
 ユダヤ人をゲットーに強制集中し、追放にとりかかりました。

 ユダヤ人追放・強制移住の過渡的措置としてのゲットーへの集中では劣悪な生存条件でユダヤ人の
餓死・病死が増えていきました。
 ヒトラーは1940年5月以降、電撃戦
 対独宣戦布告した英仏をはじめとする西ヨーロッパ諸国に対して火蓋を切り、1940年6月までに占領支配下に置いた後、



 1941年6月22日、ついにソ連全土への総攻撃を始めました。
 短期電撃的な勝利をもくろんだバルバロッサ作戦
  ・・・これは、ソ連に甚大な人的物的被害を与えながらも、祖国防衛に立ち上がったソ連民衆の抵抗の前に挫折し、長期戦総力戦となりました。




祖国防衛に立ち上がったソ連民衆の闘い、その戦闘意欲を描いたものとして、
    2022年本屋大賞:逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』早川書房、2021年。

 その前提となるノーベル文学賞作家の作品
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』岩波現代文庫2016 
 (この本を読んでいくと、いかに独ソ戦当時、ナチス・ドイツを祖国から撃退するためにたくさんの人が立ち上がったか、戦争の容赦ない過酷さ、その被害と闘いの実態を知ることができる。それだけに、今のプーチン政権がウクライナで、ウクライナ支配のためにやっていることが、過去のソ連(そのなかのロシア)の犠牲・英雄的行為に値しない行為、過去の犠牲を汚す行為をしているかがわかる。)

リュドミラ・パヴリチェンコ『最強の女性狙撃手――レーニン勲章を授与されたリュドミラの回想』原書房、2018。目次等抜粋Pdf


 スターリングラード攻防戦
 その後のクルスク大戦車戦などでの大敗北、
 1942年〜43年以降、占領地域縮小で、遂にはソ連領土から追放されていきます。

 ヒトラー・ナチスの軍隊と警察機構は、ソ連を支配する
ユダヤ・ボルシェヴィズムのせん滅を掲げ、抵抗・反撃するボルシェヴィズム、その担い手、共産主義の基盤・源泉諸民族の階層秩序の最底辺と位置付けたユダヤ人・ユダヤ民族を殲滅していきます。

 ソ連に侵攻したドイツ国防軍350万人、
  レニングラード(北方軍集団)、モスクワ(中央軍集団)、スターリングラード(南方軍集団)に進撃。
 各軍集団の後方から、アインザッツグルッペ(親衛隊警察の特別出動部隊)が進撃。
 ボリシェヴィキとユダヤ人を殺戮していく。
  ユダヤ人殺戮の中心的主体は、親衛隊・警察。


 ソ連侵攻の最初の半ねんだけで、ソ連地域、約50万人のユダヤ人を血祭りに。

  参考:アインザッツグルッペの活動報告書



 反ユダヤ主義をイデオロギー的武器として世界強国ドイツ、東方大帝国ドイツ建設という基本目標を実現しようとし、その侵略戦争の開始から挫折の過程で起きたことでした。




  参考:ホロコーストを理解するには、二つの世界大戦とその論理と力学を見る必要がある。
    「ホロコーストの論理と力学

 

結び 
 ヒトラーは、生まれたときからヒトラーではありません。

 ヒトラー誕生の町:ブラウナウ・アム・イン(イン川沿いのブラウナウ)
    
                 「国境の町」・・・どこに国境? 



 どのような諸要因が、われわれの知るヒトラーをつくりだしたのでしょうか?

 プーチンについても同様に彼の現在を創り出した諸要因を冷徹に見据える必要があるでしょう。

 ヒトラーやプーチンを生みだした諸要因を見極め、それらをなくしていくこと、その意味で歴史を現代に生かすこと、現在の日本人がホロコーストの歴史から考えることではないでしょうか。
 その意味で、拙著は問題提起の本です。

 次々と関連する新たな問いが出てくるでしょう。
 現在直面する日本と世界の諸問題をどのように理解し、
 どのように行動するかを問いかけるものだと考えます。





より詳しくは、来年2023年1月20日(金)、27日(金)、2月3日(金)の開催のエクステンション講座(募集定員30名)で拙著をテキストにして、お話しします。
 これにぜひご参加ください。