2023年1月27日16:10~17:40

第2回 権力掌握・独裁体制構築からズデーテン併合へ――「平和的」膨張段階 

 第2回のテキスト該当の章(目次):

 第1章 「合法的革命」とユダヤ人差別の段階的進展 1933〜1937年

  1.「合法的革命」とヴェルサイユ体制打破

   「革命」・・・ワイマールの民主主義、多党制の議会共和制を根底から破壊。

   国権の最高機関=国会の無機能化
    (立法・予算の権限廃止、「憲法に違反する法律」制定も可能・・・政府に全権委任法



  2.国民的民族的統合反ユダヤ主義        
  
    共産党の徹底的弾圧・・・
      
       共産党・マルクス主義は、ヒトラー・ナチスによれば


      「ユダヤ人」、「ユダヤ民族」、「ユダヤ人種」の考えであり、ドイツ民族に敵対するもの。

      (ユダヤ・・・ナチズムの思想・運動・体制と根底から対決するもとの位置づけ)
      
      共産主義者・マルクス主義者⇒ヒトラーによれば、「ヘブライ人の民族破壊者連中

      戦争政策において「マスクス主義の清算」が必要、との認識・政策・行動、その一貫性。
        
       職業官吏再建法・・・「非アーリア人」(ユダヤ人)を官職から追放。



  3.差別迫害に対するユダヤ人の行動



  4.ニュルンベルク法とユダヤ人政策の中央集権化

    共産党鎮圧の後に国内に残るのは、ユダヤ人・ユダヤ民族・ユダヤ人種

    ⇒ユダヤ人迫害・ユダヤ人差別の法律の体系化・・・ニュルンベルク法

    ⇒ユダヤ人の「移住」促進・ユダヤ人追放への圧力





  5.四ヵ年計画とユダヤ人迫害 

    四か年で経済は重要諸原料の自給体制を構築する。
    四か年で軍隊は、出動稼働な体制にする。

    「ロシアとの紛争は不可避だ」
    ソヴィエト・ロシアのボルシェヴィズムは、「マルクス主義が世界最大の帝国で勝利した」ものだ。  

    急速な再軍備・・・予算、資源をどうするか?

     急激な景気回復(軍需主導)による「完全雇用」・・・・食料はどうするか?


     最新の研究(山本達夫

   小括


 第2章 「大ドイツ帝国」建設とユダヤ人迫害・強制移送 1938年
     

 はじめに

  1.  オーストリア併合とユダヤ人迫害・追放
       19世紀、ドイツ統一をめぐる大ドイツ主義と小ドイツ主義のせめぎ合い

       第一世界大戦終結後、ドイツとオーストリアの合併要求
          ・・・戦勝国は、ドイツ弱体化のために、合併禁止。
  
      ヒトラー政権誕生で、「民族自決」を掲げ、
      ヴェルサイユ体制下で禁止されていた合併要求の高揚。
          
      紆余曲折を経て、オーストリア併合を実現
        ・・・ナショナリズムの高揚・成果・勝利・・・国民投票
          ⇒ヒトラー「外交の天才」と。



  2. ズデーテン併合とユダヤ人迫害・追放 

      ズデーテン問題・・・第一次世界大戦がドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国の敗北の結果、
            戦勝国(米英仏)の支援・支持を得て、チェコスロヴァキアが独立
                (民族自決、ただし国境内部に異民族マイノリティ多数)。


       チェコスロヴァキア共和国内部に、ドイツ系住民の住むズデーテン地域
          (ズデーテンラント)がマイノリティとして。




   *中欧は、たくさんの民族が隣り合って生活・・・国境線で分断することの難しさ

    ・・・各民族のナショナリズムが、排外的になると、力による「解決」、力による境界線設定
     ・・・後々に、不満を持つ民族のなかに、怨念を持ち、領土回復を求める。


    (参照:ロシア・ウクライナ戦争・・・ソ連解体後の諸共和国内のマイノリティ問題)



  3. 諸外国のユダヤ人難民受け入れ拒否   

    エビアン会議(風刺画)・・・失敗。

     例外:イギリスが子供のユダヤ人だけを1万人ほど受け入れ(キンダートランスポート)。


  小括――「帝国水晶の夜」――

     パリで、一人のドイツ外交官がポーランド・ユダヤ人の青年によって殺害される。

      (出稼ぎでポーランドに来ていた約1万7000人のユダヤ人に対する追放
        =国外退去命令
      17歳のユダヤ人青年がヒトラー政府によるポーランド人追放に反発して発砲
       ⇒11月7日、9日死亡)
                 

    …これに対するポグロム(ゲッベルスの扇動的演説、ナチ党幹部による準備)

    これへの民族主義的報復として、1938年11月9日から10日にかけて、ドイツ全土で、

     ユダヤ人商店の破壊(ショーウィンドーの破壊)・・・約7000のユダヤ人商店、

     シナゴーグ(ユダヤ教の教会)の放火・のち爆破。

     約3万人がミュンヘン近郊ダッハウやベルリン近郊ザクセンハウゼンなどの国内収容所に連行)


     一人の殺害に対して、「公式データでは、91人の殺害」

   ⇒1939年1月24日、ゲーリングがハイドリヒに「移住あるいは疎開」による
            「ユダヤ人問題」の解決を託す。 






 第3章 保護領創設とユダヤ人迫害・強制移送 1938〜1939年

 はじめに

  1.「帝国水晶の夜」からヒトラー国会演説へ

      1939年1月30日のヒトラー国会演説(「予言」)
            ・・・・一方で「民族の悲願」大ドイツ達成を誇る

      他方で、世界戦争を国際金融ユダヤ人が引き起こせば、
             第一次世界大戦とは違って、「ユダヤ人種の絶滅だ」と。

  *普通には、1939年9月1日、ヒトラーのポーランド侵略開始=「世界大戦」の開始時点。
    しかし、ヒトラーの意識・定義、そして実際にも、この時点では、世界戦争ではない

    独ソ不可侵条約にもとづき、ボルシェヴィズムのソ連と協力
            ・・・ソ連打倒の戦争ではない。

    ドイツに宣戦布告したのは、英仏⇒ドイツと英仏の闘い。      



  2. メーメル占領・併合とユダヤ人迫害



  3. ベーメン・メーレン保護領化とゲルマン化



  4. 保護領におけるユダヤ人迫害の開始 
 

 小括――ユダヤ人問題「解決」諸構想と開戦後迫害急進化の五段階――


   戦争の拡大過程(ヒトラー・第三帝国の敵勢力・敵国の拡大過程)と
        「ユダヤ人問題」の解決の仕方の変化(過激化)


   
独ソ不可侵条約化の電撃戦勝利段階・・・ユダヤ人問題の「領域的解決」

    
戦勝の段階に応じてユダヤ人を送り込む領土ないし領域を獲得
    ・・・「領土的・領域的解決」
     ・・・「ルブリン保留地」構想(ポーランド占領)、
       「マダガスカル」構想(フランスに対する電撃的勝利、戦後構想)


   独ソ不可侵条約を破り、バルバロッサ作戦・電撃的ソ連制圧戦略、
     …
ユダヤ人を追放する領土領域の候補地
       「シベリア」、あるいは、
       「ベラルーシ(白ロシア)のプリピャチ湿地帯(泥沢地帯」)へ
 

       その挫折過程

    戦争の弁証法・・・戦争の経過による「累進的過激化」