200311月後半の日誌

 

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20031129(2)  総合理学研究科・佐藤真彦教授HPの最新ニュースで、関 美恵子(横浜市議) 駆けある記:【03.11.19】市長に「市大改革」で申し入れ03-11-28を読んだ。その申し入れに対して、前田正子副市長

1. ドクター課程を縮小したのは、「就職がない。東大のドクター課程を出ても、フリーターの方がいる。就職しやすいように実学を重視する」と答弁したという。・・・コメントしかし、「フリーターの方」がいてはいけないのか? 学問研究を志し、かりに就職が見つからなくて「フリーター」をせざるを得ない人がいたからといって、なぜ,それを理由に,本学の博士課程を縮小しなければならないのか? 経済学研究科に関していえば、博士課程はなが年の努力の成果として、やっと1997年、まさに六年前に設置された。その当時は,上記のような「フリーター」はいなかったのか? 「フリーター」の存在を大学院縮小の理由にするというのは、社会的に通用するであろうか? 6年前に経済学研究科を創設したときの理由はどうなったのか? そんなにも横浜市は無定見なのか? 博士課程の定員はわずか5名にしかすぎない。厳しい経済条件から、博士課程に進学してくる人は現状では少ない。だが、それでもすでに二人の課程博士を出し,内一名は、長崎大学の助教授に採用された。こうした実績をどう判断するのか。博士課程を維持するということは、その課程新設においていわゆる○合教授(演習担当教授・博士論文の指導審査資格教授)が一定数必要であり、そのことは当該研究科の研究教育水準の高さの証明である。だからこそ、幾多の大学が、つぎつぎと、わずかの経費のことなどは度外視して、大学の格(研究水準、教育水準の高さ)の証明と維持のために、博士課程を創設し,維持のために必死の努力をしているのである。なぜ,横浜市ほどの大規模な国際都市が、定員5名ほどの経済学研究科博士課程さえも維持できないのか? それが社会的に説得力のあることだろうか? 大学院生が「契約違反だ」と怒るのは当然のことではなかろうか。

    「実学重視」は、経営学研究科修士課程への応募者の数などから考えて,現状に合致しているだろう。だが、経営学研究科の修士課程は、公立大学だけではなく,実にたくさんの国公私立が持っている。採算があうぶぶんだからだろう。だが、採算が合う部分は,むしろ私学に任せてもいいのではないか。公立大学は、私学ではなかなか難しい分野こそ維持すべきではないのか。そこにこそ,公的資金を投じる意味があるのではないか?

2. 理事長と学長を分離するのは、現場の声も聞いたが、経営面と両方は大変。教学は教学に専念してもらった方がよい。」・・・・・・・・コメント:「現場の声」を聞くのは大切だが、全国の大学の実情,国立大学の実情などをしっかり踏まえ、また、国立大学法人法や公立大学法人法、その審議過程で出た諸問題などをきちんと検討すべきではないのか。国立大学法人法も公立大学法人法も、なぜ,学長=理事長としたのであろうか。国立大学の場合,学長=理事長制度となっており、「経営面と両方は大変」などという議論は、文部科学省などからはでていない。学長の元に経営協議会(経営評議会)をおいて,経営の能力ある人をしかるべき職につければいいのであって、そのしかるべき人の選任において,本当に経営能力があるかどうかの判断を公正適切な基準で行える人であれば問題ないであろう。副市長は、およそ理由にならない理由しか述べていないと考えられる。

3. 任期制は、医学部、理学部ではそのほうがよいという意見が強い。自分自身大学で教えた経験があり、問題を抱えた内情もよく解っている。」・・・・コメント:部局ごとに、また当該講座・科目ごとに、任期法の精神と諸条項に合うものに関しては、法律にしたがって、導入は可能であろう。その場合にも、すでには発生している京都大学・井上教授事件などを参考に、本当に任期制が、任期法の趣旨に合致し、また大学の自治や学問の自由の保護(憲法的要請・学校教育法,教育公務員特例法の精神)に合致するように制度設計をしなければならないであろう。ただ,今回、「大学像」に関して問題になっているのは、「全員任期制」ということを、説得力ある理由付けなしに(秘密主義で「大学像」を作ってきたから当然だが)提案している、ということが問題とされている。全国の大学でもはじめて(都立大のつぎ?)という「全員任期制」は、提案する以上,全社会的に合理的に説得力ある提案でなければならないだろう。科学技術振興機構教員の任期に関する規則一覧)によれば、いろいろの大学で任期制が限定的に導入されており,しかるべき学部・学科・研究科のしかるべき判断によって、導入されている。問答無用の一律の導入などは行われていない。それぞれの大学のそれぞれの教授会の審議決定を踏まえて行われている。そうした手続きをきちんと経て、任期制の制度としての導入にもとづいて、さらに,法律に基づき、当該教員の同意を得て,任期制に移行している。副市長が経験した「問題」がなにであるかわからないが、その問題点を明確にしたばあい,はたして任期制という制度を導入することが妥当なのかは,証明されていない。ましてや,「大学像」が提案するような一律全員などということについては,なんの合理的な説明もない。説明責任をはたすことなしに、発言だけしている。

4. 6年も検討してきた。結論をきちんと出さなくては市民に対して責任がとれない」と・・・・「6年も検討」というが、経済学研究科に関していえば、まさに上述のように、わずか6年前にできたばかりである。また、国際文化の大学院博士課程もその1-2年前である。国際文化学部と理学部が文理学部の改組によって創設されたのも十年に満たない。こうした学部・研究科が創設されたばかりなのに、縮小の方向を検討してきたというのか? 物事は責任を持って,正確に言うべきではないか?

5. 話の中で、市大を「破産しかかった会社」に例えた」・・・・コメントこれは,「1141億円の累積負債」という論拠をもう一度持ち出すことなのであろう。それは、この間の多くの議論で、撤回したのではなかったか?り、

6. 「研究をしていない先生に限って民主主義を主張する」・…コメント:これは、きちんとデータをあげて立証してもらわないと、大変なことになるのではなかろうか? 「民主主義を主張」することと、「研究をしていない」こととが,どのようなデータに基づいているのか、どのように結びついているのか? 恐るべき発言である。

 

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20031129日 総合理学研究科・佐藤真彦教授HPで、共同通信ニュース速報:名工大・柳田学長が辞任へ 教授会が「所信」を否定03-11-27をみた。独立行政法人反対首都圏ネットワークの情報を引用されたものである。そこで以下にも、このネットワークからコピーしておこう。

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  新首都圏ネットワーク

名工大・柳田学長が辞任へ 教授会が「所信」を否定

共同通信ニュース速報

 名古屋工業大(名古屋市昭和区)の柳田博明学長(68)は二十
六日、学長の権限強化を打ち出した自らの所信表明の取り消しを求
める動議が同日の教授会で可決されたことを受け、緊急の記者会見
を開き「所信表明が否定された以上、学長を務めることはできない
」として辞意を表明した。
 二十七日に文科省に辞意を伝え、年内にも辞任が認められる見通
し。任期途中の学長が法人化目前に辞意を表明する異例の事態とな
った。
 柳田学長は東大教授などを経て二○○○年十一月に学長に就任。
国立大学法人法施行を前に、七月、学長のトップダウン方式で速や
かに改革を進めるため「学長が先頭に立って改革を行う」などとす
る所信を表明。その上で自らの信任投票を行い、教授会で約60%
の支持を得ていた。
 柳田学長は十月には、法人化後の運営組織として、学長の権限を
一層強化する「経営戦略本部」を設置。しかし、一部教官から「学
長は学内の民意を無視し、独断で改革を進めている」と反発が強ま
っていた。
 二十六日の教授会には二百人が出席。教官の一人が「七月の学長
の所信表明は(教授会の役割の重要性に十分な配慮を促している)
国会決議を無視している」として所信表明の取り消しを求める動議
を提出。投開票の結果、賛成が百二十二票、反対が六十八票、白票
が十票だった。
 柳田学長の専門分野はセラミックスの基礎科学。
(了)
[2003-11-27-07:36]

 

 

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20031128(2) 昼食時に談話していて、新しい情報を得た。すなわち、北九州市立大学では評議会議事録を公開し、しかも、その議事録はきちんと反対意見、多様な意見の分布がわかるような議事録であることをはじめて知った。さっそくアクセスしてみると、最新のものとしては10月8日の評議会議事録までが公開されていた。意見の分布は、わが大学における議論とも多くの点で共通しており、参考になるものだった。やはり、任期制問題が大きな論点となっている。意見の分布がきちんと紹介されていること、これは本学の評議会議事録(Webでは非公開状態)に比べて、優れている。「大学像」を審議した本学評議会の議事運営の強行的やり方と比べても、理性的な議論の展開が見られるように感じる。ただ、当局(「検討委員会」)の出してくる案は、「任期3年」だとか、いろいろと問題のあるもののようである。

 

「任期制は特に問題がある職員をチェッすするシステムであるべき」と、その言葉のかぎりでは問題がないようにも見えるが、「チェック機能」がどのようにして大学の自治と学問の自由を両立させ、同時にまた生き生きとした自由な科学的発展を保障するものとできるか、難問である。「職員にも任期制を導入するのか。・・・職員にだけは任期制が導入されないとなるとその理由が不明である」。「特に問題のある」職員というのは教員に限らない。わが大学の例でいえば、教員を商品扱いする暴言を吐くような人物はいかがなものか。

ともあれ、「特に問題がある」という基準と判断において、官僚的形式主義的なことをやるとすべてはだめになり、また慎重にあるためには、その審査のためだけにでも膨大な時間が大学内外で必要となり、大学の自由で創造的発展とは結びつかないであろう。

大学教員は、学問研究において学界と社会から厳しい批判の目に曝されており、また学生院生からの批判の目も厳しいものがある。そうした批判が適切に本人にわかるようにする、それを通じて本人が反省し向上するのがいいシステムなのではないか。

さらに任期制を導入し、審査の妥当性のためだけにでも膨大な時間を費やすことになると、日本の大学の科学技術の自由で創造的発展は、本当に達成できるのだろうか。イギリスのサッチャーリズム(新自由主義)の元での大学改革と評価システムが、大学に大変な問題を引き起こしていることも、すでに各方面で指摘されている。よくよく問題を深く多面的に考えなければならないであろう。

 

私の耳にした情報が正確なら、本学の国際文化学部でもすでにこの間に二人が「脱出」することになったということである。私の得た情報が正しければ、本学のきわめて優秀な方々のようである。少なくとも、この間、いろいろな意味で優秀な人びとが脱出先を見つけることに成功しているようである。

神戸大学の阿部泰隆教授が任期制問題の論文(たとえば、論説「大学教員任期制法への疑問、再任審査における公正な評価の不可欠性、「失職」扱いに救済を」,in: http://poll.ac-net.org/2/など)で書いているように、日本の大学は、相当に流動性の高い分野であるにもかかわらず、「流動性」をさらに高めることを目的とするはずの「任期制」がマイナス効果だけをもたらし、真の意味での大学の活性化に貢献しないとすれば、いったいどうなることか。

優秀な人が気持ちよく本学にいることができるようにすることこそ、また、その優秀な著名人の声望を知って受験生が集まるようにすることこそ、改革の目的でなければならないのではないか? 有名な人から逃げ出すような改革は、発展的な改革なのだろうか?

優秀な人が大学のなかで生き生きとできるようなシステム構築が必要である(教員プロフィールの公開システムがすでに数年前から実行されているし、講義要綱などの公開システムも構築中のはずだが、こうしたものが刺激となり、できるだけボランタリーなかたちで各人のさまざまの研究教育活動を内外に公開することになっていけば、影に隠れることは難しくなろう)。かなり流動性の高い本学の場合、むしろ、優秀な人を社会的説明責任のある基準で選び出し、引き留めておけるようなシステムこそ、確立していかなければならないのではないか。

 

他方で、評議会、教授会などで沈黙して明確な態度を表明せず、かげでこそこそ談合するひとびとが、居心地悪くなるようにする必要がある。多様な意見がぶつかりあう評議会や教授会の議事録(すくなくとも主要論点・主要対立点の整理)をきちんと公開するシステムも、そのひとつの大切なやりかただろう。その意味で、冒頭の北九州大学の評議会議事録は、少なくともわが大学よりはるかにすすんでいると感じる。

 

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20031128日 さきほど、商学部長から小川学長にたいする大学改革案に対する商学部教授会要望(2003-11-28)をメールで学部教員全体に頂戴した。さっそくここに掲載して、商学部長・評議員がこれまでの商学部教授会の見解や決議をしっかり踏まえて「大学改革案」に関してきちんと評議会審議を求めているか、社会的にも情報公開しておこう。大学を21世紀初頭の大改革にふさわしい安定性・発展性のある改革にしていくには、全体で合意できるぎりぎりの線を模索しつつも、大学を破壊してしまうような点に関しては中途半端な妥協は許されず、一方で大学の自治・学問の自由を保障する憲法や学校教育法などの諸法規をしっかり踏まえて、他方で、「特権にあぐらをかいている」(その意味合い・妥当性はきちんと検証しなければならないが)などとされる社会や市民からの大学にたいする批判や要望をしっかり踏まえて、審議を積み重ねる必要があろう。

 

京都大学再生医科学研究所・井上教授事件はいまや京都大学の「白い巨塔」(いや「黒い巨塔」)事件として広く社会の注目を集めるようになった(井上教授の「弁明」、すなわち裁判所への「井上陳述書」[1]も参照)が、そこでも元最高裁判事の園部逸夫立命館大学教授(詳しくは京都地方裁判所に提出の「園部意見書」を見る必要がある)が言っているように、「日本の教授会は気をつけないといけない多数決で決めるものだから、誰かの画策があると判断が変わってしまうことがある」と。

「多数決」は、さまざまの利権・利害により「衆愚政治」、「利権政治」、「利益誘導政治」に堕落することがある。

予算権をだれがにぎっているのか? 予算編成がどのように行われているのか。物言わぬ教員たちを作り出すのに予算配分は大きな意味をもつ。とりわけ予算が窮屈になると、年度末の予算処理などに蟻が群がるように群がる現象も仄聞する。それが「選挙」、「多数決」で大きな意味をもつ。従順な(場合によっては物取り主義的な、馴れ合い的な、寝技師的な)教授連をつくりだすのに予算編成の威力は大きい。「研究費ゼロ」、「競争的資金配分」などという「大学像」で、経営審議会と事務局が権限を握ったら、一体学問はどうなるだろうか?物言わぬ民はますます増え、金力に群がる人びとが増えるだろう。多数で金力・権力を得ようとする人びとが増えるだろう。

 

大学のような場でこそ、とりわけ批判的な声が大切である。数は少なくとも、批判が堂々と述べられることが重要である。金力・権力に屈しないでできるだけ自由に発言できるような環境、その自由の理性的な雰囲気こそ大学の生命である。

それが、「任期制」(クビきりの脅迫)で脅かされたらどうなるか? ソクラテスのような人物は、希少だからからこそ世界史的な人物だということをよくわきまえなければならない。普通人は経済的圧迫や利益誘導に弱いのだというリアルな現実を直視しなければならない。大学教員の身分保障は、大学教員の特権のためにあるのではない。「特権にあぐらをかいて」仕事をサボっている教員がいるとすれば、それは批判によって克服していくべきものである。教員一律に一定「任期」終了後に職を奪うことをちらつかせて黙らせるべきではない。それは大学を崩壊させる。それこそが、大学の自治・学問の自由の重要な意味であり、その前提としての学校教育法、教育公務員特例法などにおける教員の身分保障や教授会自治の原則である。

 

われわれが直面し批判してきた「大学像」は何だったか。そのなかには学内の積極的意見を必死で盛り込んだ側面もあるが、基本的に重要な点で「あり方懇談会」という大学外部の組織の答申にどれだけ振りまわされているか? しかも、「あり方懇」答申でさえ言わなかったような「全員任期制」をプロジェクトR幹事会が秘密主義を貫徹しつつ「大学像」にいれてしまった。責任はプロジェクトR委員会全体にあるとしても、発案者はどこの、誰か、何の介入か? 精査すればすぐわかることである。

 

ともあれ、井上教授再任拒否事件に関連して、園部教授は言う。「ある程度の実績があれば[2]、再任されるという前提があるのに、気に入らない人がいれば再任しないということができてしまう。そうなると"任期が切れたら辞めさせる"というのは表向きで、実際は辞めさせたいので、再任しない。そういうことができてしまうのですね。学内には救済する措置がなかった、そのため、本来なら学内で解決すべき問題が裁判所に持ち込まれる事態になっています」(『週間新潮』12月4日号記事総合理学研究科・佐藤真彦教授HPより孫引き)

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20031127(3) 京都大学・井上教授再任拒否事件をめぐる裁判と関連して、任期制の合憲性・政策的合理性大学の自治・学問の自由との関連、過去の採用人事(新任・再任)に関する裁判とその判決に関する詳しい研究が、行政法学の第一人者の一人とされる神戸大学大学院法学研究科の阿部泰隆教授によってつぎつぎと『自治研究』12月号(既刊)、来年1月号、『法律時報』来年3月号[3]に公表される。これらは、『ジュリスト』[4]に公開した高裁判決批判の法律論が最高裁判決に採用されるなど、論文著作を通じて裁判や立法に影響を与え、また幾多の学会賞を獲得した数々の実績を持つ著名な行政法学の専門家中の専門家(知人の法律学者からも「第一級の研究者だ」とうかがった[5]が、違憲性をもふくめた「多数の違法事由」、「幾重にも無効事由」があることを理路整然と述べる緻密な法律論を展開したものである(たとえば任期制問題では文部省高官の法律論・解釈論を説得的に批判)。阿部教授の議論は、関連する問題ですでに紹介されている法律論(Cf.最新日誌関連の論文・アピール等の阿部論文)だけを読んで見てもきわめて合理的で説得力のあるものである。大学の自治・学問の自由と大学「改革」・任期制問題を考え、不当・違法な任期制導入や現行任期制における不当・不合理な再任拒否、関係法令や判決を無視したり逸脱ないし違反している再任拒否を防止するためには(大学を不毛な争いごと、裁判多発に巻き込まないためには)、実に強力な武器となろう。その阿部教授が「全員任期制」の違法性を指摘する本学商学部見解を評価しているところからしても、「大学像」の現在の教員にたいする「全員任期制」提案の欠陥が明らかとなろう。学生院生諸君も、また本学教員関係者、改革問題に関心をもつ人びとはぜひ阿部論文を一読されたい。力が湧いてくるであろう。「知は力なり」。

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20031127(2) 昼休みに、教員組合(委員長・藤山教授)から、小川惠一学長にたいする要求書:「教員に対する全学説明集会の開催を要求するを頂戴した。まさに、これこそ大切な点だ。任期制や独立行政法人への移行の提案など、教員と職員の身分保障と生活に深く関わる内容を、秘密主義の委員会で決めてしまって、問答無用で押しとおしてしまったのだから、教職員から疑問がでるのは当然のことだ。学長がこうした説明要求に応じるかどうか、これまた学長(事務局長)の態度を示すリトマス試験紙となろう。「説明責任」をいっぽうで主張しながら、自分の作成した「大学像」についてはきちんと内容の説明も行わないのかどうか、これが問われている。

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20031127日 トップダウンの思いつきを実現するためには、官僚主義・官僚機構は事実の捏造までも辞さない、というのは、決して外国や過去のことではない。都立の4大学に関する新構想に関して、東京都大学管理本部が検討経過をねつ造」という情報は、それを示している。煩を厭わず、コピーし、引用しておこう。

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東京都大学管理本部が検討経過をねつ造

都立大学・短大教職員組合声明: 開かれてもいない教授会が「賛意を表明」大学管理本部の「経過」ねつ造を批判する

1118日に東京都大学管理本部ホームページに開設された「新大学の開学に向けて」というページにある経過報告が事実と異なることが指摘されている。これほどまで信用できない組織に東京都民は大学改革を委ねてしまうのだろうか。都知事は自分のアイディアを実現するためには権力だけでなく明白な虚偽による情報操作の利用も厭わないのであろうか。

・・・・・
新構想発表以降の経過開かれてもいない教授会をねつ造
 もっとも悪質なのは「新構想発表以降の検討経過」図の中で、都立大学を除く3大学の教授会が「新構想」に賛意を表したとする記述です。その時期は図からは8月〜9月上旬とされています。しかし8月1日からこの時期までの間に、少なくとも科技大・短大では教授会すら開かれていません。したがって「教授会が賛意を表明」などあり得ないことです。各大学の教授会の開催の有無を大学管理本部が把握していない筈は無く、したがってこれは意図的な虚偽であるとしかいいようがありません。(なお、これらの大学の教授会においては現在に至るまで賛意など表明していません。)
 また8月29日には「学長意見聴取」と、あたかも4大学の総長・学長からの意見聴取がおこなわれたかのような記載があります。しかし8月29日は、都立大5学部長と科技大・保科大学長が、「個人」として大学管理本部に呼ばれ、「新構想」への賛意と教学準備委員会への参加が求められたもので、大学からの意見聴取の場ではありませんでした。大学からの意見聴取は8月1日以降、正式には1度も行われていません。・・・・・

tjst |1126 |URL:http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000304.html |東京都の大学支配問題 |

 

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20031126(2) 任期制問題は、よく仕事をする熱心な研究教育者が安易に賛同しやすい危険性を持っている(大学教員の任期制を考える引用集」参照)。だが、放送大学事件もみてもわかるが、仕事や業績の質量ではない基準で再任拒否がありうる。再任拒否された深谷昌志氏の場合、「一三人の中でもっとも若い五〇代前半で、しかも、教育学関係の唯一の教授なので、責任を痛感していた。それだけに、可能なかぎり、研究に打ち込みたいと、専門にしていた児童生徒の意識調査を国際的な規模に拡大して展開した。六年の在職期間の間に、五冊の単行本のほか、学会誌などに数多くの論文を執筆した。……[p.21]」にもかかわらず、再任拒否である。最近の京都大学井上教授事件や放送大学事件の実例を見ると、「任期制は全体として教員を沈黙させるシステムである」という事がよくわかる(「大学教員の任期制を考える引用集」より)。つまり、自由な意見表明、自由な研究を抑圧するシステムとなる。

 

正直に言って、任期制が導入されると、研究者たちは審査が気になり、落ちついて研究ができなくなる。また、審査権を持つ教員にさりげなく近づくなど、変な形でのコネづくりが始まろう。また、大学の管理者のなかには、教員を管理する手段として、任意制を使う者も増加する。そう考えると、任意制の導入により、大学の雰囲気が暗さを増し、研究も停滞する。それだけに、任期制が導入されないように、大学人が自戒して研究や教育に[p.30]全力を傾けると同時に、白分たちの大学を守るために、大学としてのきちんとした制度づくりをしておくことも重要であろう。[p.31](深谷昌志「任期制導入の問題点は何か」川成洋『だけど教授は辞めたくない』ジャパンタイムズ、1996年より)」(「大学教員の任期制を考える引用集」)という声に、しっかり耳を傾ける必要がある。

 

自由闊達な雰囲気のない、息苦しい大学などというのは、大学の本質的要素を失ってしまった大学、大学としては死に瀕した大学といわなければならない。日本の21世紀、日本が世界のなかで果たすべき役割を考えたとき、自由のない、大学らしからぬ大学で何ができるというのか?

「全員任期制」などという大学破壊の制度設計ではなく、「大学としてのきちんとした制度づくり」において、「大学人の会」の声明(2003年11月25日)が提起するような業績評価の公明性・公開性など大学の自由な発展を保障する制度設計こそが、必要であろう。

「大学像」は、業績審査の公明性や公開性を言葉としては打ち出しているが、魂が欠如している。形式主義なのである。「全員任期制」、「人事委員会制度」、「研究費ゼロ」などを提起する事によって、実際には、大学のトップダウンの官僚統制だけに都合のいい大学を作り出そうとしているのである。プロジェクトR幹事会の官僚主導からして、当然の帰結ではあるが、大学改革においては、それを許してはならないだろう。官僚主義のトップダウンの悪しき実例が、まさに「大学像」の問題点に集約的に露呈している。官僚の上に立つ人間(市大問題では市長)の政治家としての見識が問われる事になるのである。市長の見識を判定するのは、市民であり、市民の見識が問われているということでもある。「横浜市に大学を持つ資格なし」ということは、最終的には横浜市民の見識を問題にしている。私自身は、市民の一人として、「大学像」がはらむ根本的問題を批判する立場である。そうした市民が多いかどうか、これが問題だ。

 

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20031126日 「横浜市大を考える大学人の会」は、昨日、市庁舎(関内)記者クラブで記者会見を行い、「横浜市立大学の新たな大学像について」の声明(その概要)を発表した(新聞報道「神奈川新聞、朝日新聞、日経新聞)その声明の副題‐「官僚統制大学」化をおそれる‐」が端的に示しているように、学長と事務局長が任命した少数のプロジェクトR幹事会による「大学像」は、憲法、学校教育法など基本的諸法規に照らしても問題の多い「大学像」であり、学内の理性的な建設的意見をきちんと吸収したものではない。そのことがますます社会的全国的に明らかになってきたといえよう。

 

この「大学人の声明」は、アメリカのテニュア制度の意味と意義や、日本における労働経済学などの研究成果も踏まえ、実に優れた見識の高いものである。わたしには大変勉強にもなった。大学改革を考えている全国の国公私立大学の人びとに、そして日本全国の市民に、深い感銘を与えるものではなかろうか。多くの人に、是非とも横浜市民の全員には、読んでいただきたいものである。「大学人の声明」をまとめられた人々に、その深く広い見識に、そして今回のようなこの声明の公開(記者会見)という能動的態度に、深甚の敬意を表する。

 

中田市長は一方で「大学像」を賞賛し[6]、他方で、「精査する」とも発言した。

いまや市長および副市長・大学改革推進本部の見識、民主主義的感覚・大学の理念や歴史に対する理解などが問われる段階となっている。学長・事務局長主導によるプロジェクトR幹事会のような秘密主義はもはや許されない。学長・事務局長主導のプロジェクトR幹事会のような官僚主義・形式主義の跋扈はもはや社会が許さない。

市長および副市長・大学改革推進本部の「精査」こそは、市長および横浜市の見識を全国に知らしめるものである。「横浜市に大学を持つ資格なし」といわれることが本当になるのかどうか。「大学像」は、21世紀の最先端を行くすばらしい内容なのかどうか。

精査」の内容が、大学内外で多様な根本的批判が出ている論点をきちんと踏まえたものとなるかどうか、われわれは注目しなければならない。

 

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20031125日 任期制問題は、本学「改革」問題でも最も重要な問題点の一つである。本学の全教員が自覚するであろうように、この「全員任期制」導入の提案(「大学像」)は、きちんとした議論がなされず、国際文化学部、商学部教授会や教員組合などの違法性の指摘や反対決議にもかかわらず、また、評議会での長時間の審議(修正要求)にもかかわらず、学長を長とする「プロジェクトR幹事会」が教授会・評議会無視のさまざまの手段をもちいて時間切れを最大の根拠に強行に押しとおしたものである。神戸大学大学院法学研究科の阿部教授が貴重な論点整理を行ってくれているので、本学の全教員がまずしっかりと自分の頭で「任期制」なるものを批判的に検討しておく必要があろう。

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Academia e-Network Letter No 30 (2003.11.24 Mon)
http://letter.ac-net.org/03/11/24-30.php

        
 
「任期制導入にさいしての大学における留意点」

     
阿部泰隆氏論文「大学教員任期制法の違憲性・政策的不合理性
        
と大学における留意点」より抜粋

           #(自治研究12月、1月号に掲載予定論文の一部を著者の承諾を得て転載します。草稿全文を読まれたい方は著者にメールで連絡してください:yasutaka@law.email.ne.jp
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大学教員任期制法の違憲性政策的不合理性と大学における留意点
                神戸大学大学院法学研究科教授 阿部泰隆(京都大学事件に関するメッセージ)[7]
 
目次
 
 一    はじめに
   
二    大学教員任期制法の構造的不合理
 
 三     任期制導入にさいしての大学における留意点
   
      むすび

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        任期制導入にさいしての大学における留意点

 
        任期制は導入するな

 
 このように、本来は、任期制法を廃止し、大学教員スカウト支援
 
法を制定すべきであるが、日本では一度制定された法律は、いかに
 
悪法でも、それを廃止するエネルギーを結集することは至難である
 
ため存続する。そこで、大学においては、井上事件のような問題を
 
発生させないように次のような点に留意すべきである。

 
 まずは、任期制の導入は、各大学の選択によるから、この法律は
 
合理的根拠もなく、致命的な欠陥があることを説明して、導入しな
 
いこととすべきである。ただし、プロジェクト型、研究助手型につ
 
いてはルールを明確にして導入するのも良いだろう。

 
 これからは、大学は外部評価、文科省の評価にさらされるが、そ
 
の際に任期制を導入すれば評価が高いのではないかといったが飛
 
んでも、応ずべきではない。

 
任期制の導入は徹底議論して

 
 仮に任期制を導入する場合も、これらの点について、学内で徹底
 
的に議論するべきである。任期制の施行は周知が徹底してからにす
 
べきである。

   
絶対再任しないことが明示されている場合はともかく、再任審査
 
をする可能性があるなら、同僚による暗黒裁判の愚を避けるように、
 
それは学部全体で一挙に導入すべきであり、一部のポストにだけ導
 
入するべきではない。とはいっても、任期制を導入できるのは、
 
「職に就けるとき」に限るから、新規採用の教員についてしかこれ
 
を導入することはできない。そうすると、それまでの教員は安全地
 
帯にいて、新規採用の教員の生殺与奪の権限を有することになって
 
しまう。特に慎重に行うべきである。

 
同意の取り方

 
 任期制への同意を求める前に、再任は一切ないのか、あるならば
 
再任審査のルールをきちんと明示し、署名を取る前に熟慮期間をお
 
くか、消費者保護法にあるクーリングオフ(無条件取消)制度をお
 
くべきである。

 
再任審査のあり方

 
 評価基準をきちんと作って、その運用が恣意的にならないように
 
するべきである。

 
 評価には、教育と研究上の業績だけに絞り、人柄とか学内業績な
 
どという、曖昧なものは入れるべきではない

   
その評価のデータは毎年収集し、評価の良くないと思われる教員
 
については、事前警告制度をおき、改善の機会を与えるべきである。

   
再任するならともかく、再任を拒否する場合には特に慎重な手続
 
を行うべきである。内部だけではなく、外部評価を行うべきである。
 
外部評価では、再任拒否に持っていけるようにと、敵方の人物を入
 
れることがあるので、その点も事前に教授会でしっかり吟味すべき
 
である。また、除斥事由も定め(民訴法23条参照)、論敵などに
 
ついては、評価される教員からの忌避申立て(民訴法24条)を認
 
めるべきである。

   
外部評価については、事実に即したきちんとした理由を付けさせ
 
るべきである。

 
 そのときどきイエス、ノーで個別に判断すると恣意的になるおそ
 
れがあるので、その組織の判断を一貫させるため、まとめて数人は
 
一緒に行うべきである。

   
外部評価の結論を覆すには、それに値する重大な理由を事実に即
 
して示すべきである。

 
 教授会では無記名投票で決定するにせよ、再任拒否案には理由を
 
付け、その当否を判断できるようにすること、あるいは、再任を拒
 
否するなら責任をもって、記名投票とすべきである。

 
 再任拒否の前に、本人の聴聞を行い、かつ、再任拒否決定には、
 
異議申立手続をおくべきである。

   
これらの手続は、内規などではなく、正式に学則で定めるべき
 
ある。
──────────────────────────────


━ AcNet Letter 30
2━━━━━━━━━━ 2003.11.24 ━━━

 
「大学の教員等の任期に関する法律をめぐる国会議事録の整理」
      
阿部泰隆・位田央(神戸法学年報掲載予定)
       http://poll.ac-net.org/2/shiryou/ninkisei-giji.html

──────────────────────────────

   
(目次)

   
はじめに

   
大学の教員等の任期に関する法律

   
一 任期制導入の目的、現状認識

   
1)目的
   
2)人材流動化の実例放送大学、素粒子論グループの例
   
3)現状認識

   
二 任期制は適切な手段か

   
1)任期制の問題点
   
2)学問の自由に関して
   
3)事実上の任期制について
   
4)任期制以外の手法

   
三 身分保障との関係

   
1)米国のテニュア(tenure)制の運用、外国法制度との比較
   
2)給与体系
   
3)インセンティブ
   
4)女性教員
   
5)任期切れ後は?
   
6)国家公務員法等との関係

   
四 任期制導入の三類型  助手の任期制は妥当か?

   
1)任期制を導入する三つに類型は適切か?限定的か?
   
2)なぜ教授まで対象とするのか?
   
3)流動化と再任制度は矛盾しないか?
   
4)助手の任期制は妥当か?

   
五 業績評価

   
1)業績評価はどのように行われるのか?
   
2)大学の教育研究活動に対する自己評価、外部評価、情報公開

   
六 恣意的な運用の恐れ、任期切れ教員の救済方法

   
1)恣意的な運用の恐れ
   
2)救済手段

   
七 私学の場合、労働基準法との関係、教授会

   
八 選択的導入と予算等による事実上の強制

   
1)選択的導入の根拠
   
2)選択的導入と文部省の圧力
   
3)選択的導入の弊害市場の狭さ

   
九 大学ではどんな再任ルールを作るべきか? 
       
規則作成過程は? 規則の変更は?

   
十 労働組合との関係、団体交渉

──────────────────────────────
2-1】はじめに

   
大学の教員等の任期に関する法律が平成9年に制定されたとき、そ
   
合憲性、政策的な妥当性について種々疑問が示された。学問の自
   
由を侵害し、実際上は大学の活性化に寄与せず、混乱を生ずるだけ
   
であるということである。

   
 しかし、その後、6年間の間、その議論はほとんど行われずに経
   
過した。この法律は、一般には活用されていないので、あまり気に
   
もとめずに、死せる法と思われていたのではないか。たしかに、
   
学部系統では全教官に任期制を導入しているところも増えているが、
   
実際に、任期を理由に失職させる事件はなかったので、それは普通
   
は形だけと思われているだろう。

     
しかし、今、国立大学法人化などを契機に、全教官に任期制を導
   
入する動きが出てきている。そこで、今一度、この法律の合憲性、
   
政策的な妥当性を再検討する必要がある。

     
しかも、全教官の一律任期制が拡がりそうである。横浜市立大学
   
は全教員に任期制、年俸制を導入する方針を決定した。しかし、同
   
大学では商学部教授会が10月2日全教官への一律任期制導入は違
   
法との法的な意見を提出している。

    http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20031002NinkiseiKyojukaiIken.htm

   
 たしかに、この法律は任期制を導入できる場合を限定し、しかも、
    職に就ける場合に限っているから、現職の教員を全員任期制に切り
   
替えることは違法である。この意味では、この法律のしくみを正確
   
に理解することが必要である。

   
 さらに、2002年12月には、京大再生医科学研究所で、任期
   
制初の任期切れ失職扱い事件が発生した。これは、外部評価で7人
   
の高名な医学者が「国際的に平均」「再任可」と評価したのに、教
   
授会が、無記名投票で、白票も反対に数える方法で、再任賛成が過
   
半数に達しないという理由で、再任拒否を行って、失職に追い込ん
   
だものである。さらに、もともと、任期制であることは、この教授
   
のポストの公募のさいには示されず、任期への同意は、発令直前に
   
ばたばたと事務官から求められた。任期制法の下でも、任期が適法
   
に付されたことと、再任審査が合理的であることが前提で、失職に
   
なるものであって、この任期自体が違法であり、また、再任審査が
   
恣意的である(しかも、この再任審査のルールは、この法律に基づ
   
く学則とそれから委任されたと見られる研究所「内規」で規定され
   
ている)場合には、任期を理由とする失職扱いは、失職へ追い込む
   
失職・免職処分と解される。しかし、裁判所は、その救済に消極的
   
である。原告は執行停止を申請したが、京都地裁は失職だから、処
   
分ではないとして門前払いとし、大阪高裁も同様の態度を取ったの
   
で、原告は即時抗告を取り下げざるを得なかった。目下、京都地裁
   
で、失職処分の取消訴訟が進行中であるが、これでは研究の中断の
   
ため、実際上は、救済はできないし、任期制法が狙った学問の進展
   
を阻害する結果となることは明らかである。

   
 このように、この法律への疑問は解消されるどころかますます深
   
まっている。阿部泰隆は、別稿でこの点を検討するところであるが、
   
そのための準備作業として、ここでは、国会での議論を整理するこ
   
ととした。

   
 これを見て感ずることは、国会では、野党側は問題こそ提起して
   
いるが、文部省は、まともに答えずに、はぐらかし、これに対して
   
野党側が徹底的に追及しないので、問題点が十分に解明されずに終
   
わっている。この資料は、この問題を考える素材として役立つとい
   
うつもりで、分析を始めたし、多少は役立つが、他面では、日本の
   
国会では、まともな法律論を展開していないと慨嘆せざるを得ず
   
立法過程論の講義で悪しき例として参照して頂きたいという思いを
   
持つこととなった。

     
この資料は、http://kokkai.ndl.go.jp/ の検索画面で、第139
   
から第141回の国会の期間を選択し、大学and教員and任期で検索し
   
た。以下の項目が出てきたので、明らかに関係ないと思われる部分
   
を除いて、全てコピーandペーストでMSWordの文書に取った上で、
   
項目毎に整理し直し、大部になるので、できるだけ重複を避け、無
   
駄な発言を削除した。

    141
文教委員会高等教育に関する小委員会 01 1997/12/03
    140
文教委員会 18 1997/06/18
    140
文教委員会 20 1997/06/17
    140
本会議 32 1997/06/06
    140
文教委員会 15 1997/06/03
    140
文教委員会 17 1997/05/30
    140
文教委員会 14 1997/05/29
    140
文教委員会 16 1997/05/28
    140
文教委員会 13 1997/05/27
    140
内閣委員会 11 1997/05/27
    140
文教委員会 15 1997/05/23
    140
本会議 37 1997/05/22
    140
議院運営委員会 37 1997/05/22
    140
文教委員会 14 1997/05/21
    140
文教委員会 13 1997/05/20
    140
文教委員会 12 1997/05/16
    140
文教委員会 11 1997/05/14
    140
本会議 33 1997/05/09
    140
議院運営委員会 33 1997/05/09
    140
文教委員会 10 1997/04/25
    140
文教委員会 09 1997/04/23
    140
文教委員会 06 1997/04/08
    140
文教委員会 06 1997/04/02
    140
文教委員会 05 1997/03/27
    140
文教委員会 04 1997/03/18
    140
本会議 14 1997/03/05
    140
文教委員会 03 1997/02/19
    140
文教委員会 01 1997/02/14
    140
文教委員会 02 1997/02/14

   
(以下略)

------------

20031122(2) 任期制問題・再任拒否の京都大学再生医科学研究所(井上教授)事件に関して、再任拒否の恣意性や不当性を問題とする裁判が行われている。はやくも任期制がはらむ根本的な問題点が露呈しており、行政当局が「全員任期制」を公立大学法人への移行と同時に打ち出している横浜市大や都立大学の関係者は、自分たちだけの問題ではなく全国的問題として、また大学の発展の根幹に関わる問題として、真剣に本腰を入れてこの問題を考えていく必要があろう。Cf.任期制問題大学界有志声明:京都地方裁判所第3民事部裁判官への要望書03-11-21

------------ 

20031122日 「意見広告の会」から、つぎのようなメールを頂戴した。大学改革に関する貴重な情報が送られてくるので、本日誌に関心のあるかたがたも是非講読されてはいかがか。今回のメールの内容では、やはり任期制導入に関する部分が注目される。教員組合が都立大と市大で連帯しているように、東京都と横浜市の大学改革推進本部も任期制や年俸制で共同歩調を取っているかのようである。どちらも、自分が先だと先陣争いで目立とうとしているように思われる。

---------------- 

「意見広告の会」qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp

ニュース64

皆様。
本日の目次は次の通りです。 3に特にご注目下さい。

1 都立大学任期制採用へ 「毎日新聞」ニュース
2 都議会傍聴記のお知らせ
3 東京都新大学設立本部本部長の「教学準備委員会」での挨拶
4 新首都圏ネットの声明

大量に及びますが、マスコミでは決して知ることのできない「新情報」の提供をめざし
ています。

是非、周辺の方々にも「登録」をおすすめ下さい。
登録は、このメールの配送元qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp にご連絡下さい。
現在は特にカンパ活動を行っておりませんので、「ニュース配信希望」としてメールア
ドレスを示して下されば結構です。

***
(1) 任期制導入へ

「毎日新聞ニュース」11月21日
新都立大 任期制導入へ 
  組合は反発 終身雇用制を見直し
 東京都は20日、05年4月開設予定の新都立大学の教員に、「任期制」と「年俸制」を
導入することを決めた。終身雇用制を抜本的に見直すもので、全国初の取り組み。さら
に、「主従関係」をなくすとして、助教授、講師を「准教授」として教授とほぼ同等に
する。都は、旧制度にこだわる教員は給料を固定し、昇任を不可とする冷遇措置
執る方針で、組合側は反発している。[奥村隆]
 新大学では、昇任しないで滞留する人も多い助手を廃止し、「研究員」として研究に
専念させる。また、現在は教員のすべてが63歳定年だが、研究員は任期を3年(2年ま
で延長可)とし、審査に合格すれば准教授になる。准教授は任期5年で再任は1回のみ
10年以内に教授にならない場合は退職となる。教授を含め、学外からの公募も行う。
教授の任期は5年だが、実績が評価されれば、任期のない「主任教授」(65歳定年)
昇任できる。 年俸のうち、基本給は5割だけで、授業などの職務給が3割、研究上の
業績などを評価した業績給を2割とする。
 これに対し、都立大・短大教職員組合の小林喜平書記長は「労働条件の一方的な変更
であり、教員が使い捨てにされる環境では、教育・研究に専念できない」と反発してい
る。

(2) 都立大学の方からの「お知らせ」

11月13日都議会文教委員会傍聴記が組合HP(以下)に
アップされましたので、お知らせ申し上げます。メールでの
配信などご検討お願い申し上げます。

http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/togikaibochoki11.13.htm

生活者ネット(山口文江議員)、自治市民'93(福士敬子議員)、
共産党(曽根はじめ議員)など、複数の会派がかなり厳しい
ことばで都・管理本部のやり方を追及していたのが印象的でした。

それに対するO改革担当参事(週刊朝日の記事で「総長の見識を疑う」
との迷言を吐いたり、「トップダウン」の正当化に福沢諭吉や大隈重信
まで引っ張り出した人物です)の迷答・珍答の数々を聞いていると、
厚顔無恥」という言葉はこの人のためにあるのではないか、という
気がしてしまいました。(50年の歴史・実績をもち・数多くの優れた
教員・学生を擁する都立大の命運をこのような人物が左右するなどと
いうことがあっていいのでしょうか?)

せっかく各会派の委員諸氏がこれだけ厳しい追及をしてくださった
のですから、それをバネに少しでもこちらの要求を強く打ち出して
いけるよう、私たちも努力していかなければならないと思っています。
いくら各方面から都・管理本部のやり方に対する批判・反対の声が
高まっても、それを私たちが実際の交渉に生かすことができなけれ
ば、せっかくの運動の盛り上がりも無駄になってしまうと思います

(3) 新大学設立本部長発言骨子(10月23日)
     於 第4回 教学準備委員会(西澤座長
 
1 本日は、お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。
 まず挨拶に先立ちましてご報告ですが、本日、知事に大学改革の経過報告をしてまい
りました。
 内容につきましては後ほど、ふれたいと思います。

2 専門委員の先生方におかれましては、たびたび検討やご意見をいただき感謝してい
ます。
 また、都立大学の一部の教員から専門委員の先生方に対して、何度もお手紙や働きか
けがあったと伺いました。
 激務を縫って専門委員をおつとめいただいているにもかかわらず、さらに「場外乱闘
」とでもいうべき動きに巻き込んだことについては、設置者として、深くお詫び申し上
げます。

3 前回の教学準備委員会から、いくつかの動きがありました。
 10月7日付で、突然マスコミに流れた都知事への都立大学総長抗議声明は、私の前回
申し上げた「心をひとつにして新大学の設計に取り組んでいきたい」という思いを、明
らかに裏切るものでした。

4 その後も、総長をはじめとする一部の教員は、都立大の教員から提出された同意書
を、本部に提出していなかったり、提出しないよう圧力をかけたりするなどして、詳細
設計に向けての検討作業を妨害していると聞いています。

5 本来であれば、独立行政法人という法人運営を行うにあたって、他の大学と競争可
能な財務体質にしていくのは社会常識であり、与えられた制約条件のもとで、社会との
接点を探りながら、自らの改革を行っていくことこそか大学の常識でもあると聞いてい
ます。

6 たとえば、アメリカの各州で、大学に要する人件費削減の動きがあったとき、ほと
んどの大学は人員削減を選択したが、カリフォルニア州立大学では、与えられた人件費
の枠の中で、教員全員の雇用を維持する代わりに、全員の賃金カットを選択したという
話があります。「大学の自治による選択」とは、その結果を甘受するということでもあ
る証左です。

7 50年にわたって「伝統」のみを固守し、外部委員の知恵を借りなければ改革できな
いという今回の事態に際し、「この大学はこういうことでよいのか」と、都立大学のす
べての先生方は、今一度考え直していただきたいと考えます。

8 設置者である東京都の認識は、
 平成17年度から、独立行政法人として運営責任を負う新大学は、経営的視点からの見
直しを行わなければ、経営破綻する可能性が極めて高い。
 一番の問題点は。6割を占める人件費であり、教員構成比の3割を占め、教員1人あ
たりの学生数が4,6人という人文学部である。人文の見直しなくして、大学改革はあ
りえない。
 社会的ニーズにこたえ、機動的な運営を行うには、50年間に肥大化した組織改革が必
要であり、人文をはじめとする人的資源の再配分が必須である。
 というものです。

9 冒頭に申し上げたように、知事に経過を説明したところ、
 「学生やその父兄が今の大学のあり方で満足しているのか。新しいことをやろうとす
るとほとんどの人が反対するが、今のままで良いかというと絶対良くない。大学の先生
方も何か連帯感があるのかも知れないが、現状維持だと物事は何も変わっていかない」
と、改革を強力に推し進めていくように指示がありました。
 設置者の認識とは、大学管理本部だけではない、まさしく都の方針であり、今後とも
改革を推進していくことはあっても後戻りする可能性は一切ございません。

10
 都議会与党も都の姿勢を指示しています。

11
 都立大学の反対している先生方にご認識いただきたい点があります。
 第一に、独立行政法人になる段階で、いままでの人件費が都の一般財源として、事業
別の物件費とは別立ての局トータルで支給される予算システムとはまったく変わるとい
う点です。法人として、効率的な運営をいかに行っているか、人件費を含めた運営費交
付金というなかで、厳しく問われます。
 第二に、その運営費交付金の審議・議決を行うのは都議会であり、支出するのは東京
であるという点です。

12
 これまでの、大学管理本部が予算要求をして、大学はいかにして予算を使うかとい
うだけの発想では通じません。人件費の圧迫を解決するか、外部資金を稼いでこないか
ぎり、現在の財政状況下では、全体のパイは縮小する一方です。

13
 より具体的にいえば、人文学部の139人の教員配置や、少数精鋭を銘打つ語学教
育を温存するということは、人件費を一定とすれば運営費交付金の中の研究費を約8割
カットするという結果になることです。 
 あるいは、先生方の給料を、自ら1割2割は引き下げざるをえないということです。
 さらに、社会全体のニーズにこたえ、新しい分野を立ち上げたいと思っても、一切で
きないということになります。

14
 こうした人文の現状を見れば、改革の推進は社会常識であり、その計画を遅延させ
るような行為は、大学に対する信頼性を低下させるものであることがご理解いただける
のではないかと思います。

15
 はじめに述べた同意書についても、前回委員会開催時には、都立大学以外の三大学
から全員提出という状況でした。今回は、「一緒に新大学をつくっていこう」というメ
ッセージとともに、都立大学の中からも続々と同意書が提出され、私としてもその熱い
想いに、非常に胃を強くしています。

16
 より良い大学にしていくためにも、全員協力してやっていこうではありませんか。

17
 このような私の発言は、全面的に協力体制をとっている三大学や基本構想に賛同し
ていただいている都立大学の先生方にとっては、極めてお聞き苦しいことと遺憾に思い
ますが、前回の委員会のように、ひたすら手続き論や、定数確保の議論を繰り返すこと
にならないよう、あらかじめ述べさせていただきました。

18
 実りのある検討の場にしたいと思います。どうぞ、ご協力方よろしくお願いします

  


(4) 「新首都圏ネット」の声明

運営費交付金問題の本質と危機打開の緊急行動

           2003
1122日 国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局

一、運営費交付金の削減問題の発端は、財務省が本年729日の経済財政諮問会議に
2005
年度予算の概算要求基準(シーリング)の枠組を示したことである。ここでは、政
策判断で予算額が増減する「裁量的経費」に対して、前年度比で2%減とすることと
されている。国立大学法人法第7条は、国が国立大学法人に出資「できる」という条
文がはめ込まれており、財務省の主張によれば、これは義務的経費ではなく裁量的経
費ということになるこのまま事態が推移すれば、2005年度以降、運営費交付金には
0.98
の係数を掛け続けるという状況に突入する

二、文科省は、これまでの国立大学特別会計を引き継ぐ2004年度運営費交付金を義務
的経費とみなして2004年度概算要求を準備していた。これは、人件費イコール義務的
経費という基準が存在すると信じて、一般会計からの繰入金の9割を占める人件費
義務的経費とみなしていたためと言われる。ところが、上記の決定が出るや文科省は
その扱いを変え、財務省の方針に従って裁量的経費に切り換えたのである。この切り
換えの経過は依然として藪の中であるが、高等教育局が国大協との協議はおろか
省内の意思統一さえ行わず、財務省の方針で動いたとも伝えられている。実際、文科
省内で事態の深刻さが広く認識されるようになったのは10月下旬からであり、国大
協執行部がその重大性に気付いたのも同時期である。1112日の国立大学学長懇談会
(国大協総会後に開催)で、遠藤高等教育局長が、運営費交付金が裁量的経費である
ことは初めからわかっていたと強弁したのは、こうした秘かな切り換えを隠したかっ
たからであろう。その一方、彼は、国立大学法人に対する運営費交付金を義務的経費
として認定する(あるいは義務的経費として位置付ける)ことを求めるとも発言してい
るが、このような経過をみれば彼の論法が財務省によって歯牙にもかけられないのは
明白である。

三、財務省は、標準運営費交付金の割合を増やし、可能な限り学生数による運営費交
付金の算定の方向に持っていきたいと考えている。つまり、運営費交付金が、増える
可能性のない数値(学生数)をもとに算出できるからである。その第一歩として、特定
運営費交付金を「特定の中の特定」の項と「附属病院」の項に区分しようとしている
が、高等教育局はこの財務省案を既に飲んだようである。高等教育局が同意したの
は、運営費交付金の内訳が現在全国平均でおおよそ標準4に対して特定6となってお
り、文科省による大学統制だと他省庁に批判されていることを回避できるという姑息
な理由からであろう。第二歩として、「附属病院」の項をさらに、教育研究と診療に
分割することが提起されている。こうすれば、財務省としては診療部門に独立採算制
を導入することが容易になるからである。だがこれが大学付属病院の崩壊を招くこと
は火を見るより明らかではないか。そして、文科省による、病院を持つ大学と持たな
い大学、整備済の病院と未整備の病院、病院と他部局、などの間の離間策(divide
and rule)
を通じて、大学全体の瓦解の導火線に火をつけることとなろう。

四、効率化係数については、特定運営費交付金のうち物件費にのみかけることになっ
ていたが、物件費と人件費の区別が廃止されたこともあって、適用範囲拡大の可能性
が一挙に高まった。運営費交付金全体に対して1%を越える効率化係数がかけられる
危険が現実に存在する。これは、運営費交付金が、シーリング2%+効率化係数1%以
上が2005年度から毎年削減される、つまり、0.97をかけ続けるという無限級数状況に
突入することを意味する。まさに、大学財政は崩壊の危機に立たされているのであ
る。

五、我々が国立大学法人法案に反対する闘争のなかで繰り返し指摘したことが、大学
財政崩壊という形で現実化しようとしている。すべての国立大学は、今こそ高等教育
予算を構成する国立大学法人運営費交付金が社会の健全な発展にとって不可欠の義務
的経費であるという視点に立脚し、大学財政の強化とその運営の自主性獲得を堂々と
主張しなければならない。文科省は、その視点を失って個々の事態に姑息に対処しよ
うとしている。こうした路線とはきっぱりと決別しなければならない。国大協は、最
低限1112日の総会決議に沿う行動に全力で取り組まねばならない。さもなければ国
立大学は財政の崩壊を通じて瓦解に至るであろう。

六、事態は文字通り緊迫している。我々は全国の大学関係者に対して次の具体的行動
を提起したい。

(1)
国会に対して:今回の事態は、国会における国立大学法人法案審議過程を無視
たものであり、さらに附帯決議にも明白に反する。衆参両院に対して、行政府が作り
出した異常な事態を国政調査権に基づき調査し、それを解決するために必要な措置を
とらせる行動を強化しよう。

(2)
財務省・文科省に対して:現在、財務省・文科省が準備している運営費交付金の
算出ルール(2005年度から適用)を直ちに公開させ、国立大学との合意なき算出ルール
を作らせないための行動を展開しよう。

(3)
政府に対して:上記の算出ルールは2004年度概算要求書に添付され、12月末まで
に閣議決定される危険がある。国立大学との合意のない算出ルールを閣議決定させな
い行動を進めよう。

(4)
社会に対して:各大学が文部科学省に提出した「中期目標」素案等の前提が崩れ
たことを社会に対して強くアピールすることが必要である。「中期目標」素案の凍
結、撤回等も当然検討されるべきであろう。


 

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20031121(3) 全大教と文部科学省大学改革担当者との公式会見のなかでも、これまで教員組合が主張してきた論点、すなわち教育研究体制の改革(3学部解体・位置学部への統合といったもの)、公立大学法人への移行を選択する場合における現在の教員の「全員一律任期制」の強制を重ね合わせて行うことが違法なものと確認されたといえよう。ただ、横浜市の側は、文部科学省に対して「教育公務員特例法の下で、教員は特権の上にあぐらをかいているという横浜市としての考え方」を示しているという。そうであるとするなら、一体いかなる事実が、「あぐらをかいていることになるのか」。「あぐらをかいている」とされる事実と全員任期制がどう整合するのか。これは、学長や事務局長および「大学像」の全員任期制提言を固執した長時間の評議会における議論と修正要求も無視して‐プロジェクトR幹事会に確認しなければならない。もしもあるのなら、その具体的事実こそは、はっきりさせなければならない。そして、「特権の上にあぐらを」かくといった事実を具体的事実に即して解消しなければならない。他方で、そうしたありうべき個別事例を理由に、大学の自由な研究を破壊してしまうような全員任期制などを「大学像」にいれることに固執して公表してしまった不見識ぶりをはっきりさせ、責任を明確にさせなければならない。批判に耳を傾けず、不見識に固執したために、どれだけ多くの人びとを害したことか。どれだけ発展的建設的改革への意欲を削ぐ結果になっているか。多くの教員に脱出活動をはじめさせていることか。

 

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20031121(2)教員組合からうれしい、重要な情報をいただいた(「文部科学省・横浜市大問題に関する公式見解」)。文部科学省がさすがに大学関係法律体系をよく知っており、今回の国立大学法人や公立大学法人の法律制定においても中心的役割を果たした官庁だけに、これまで大学の自治・学問の自由から主張してきたわれわれの主張と基本的部分で重なる見解を示した。法律がまだ生きている、という実感を抱くのはわたしだけではなかろう。これまでこのHPで繰り返し指摘してきた学長・事務局責任者の問題性がはっきり露呈されたといえよう。

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教員組合委員長からのメッセージ:

組合員の皆さん

 全大教が公立大学問題で初めて文科省と会見を行いました。横浜市立大学教員組合も参加して意見を述べました。その中で、文科省は市大の現状に関わる重要な見解を示しました。それは、「大学像」の本質的な問題点に関連しています。これを踏まえて、本日(11月21日)学部長宛に申し入れをしました。

 この内容に関する教員組合の見解は、添付しました学部長宛の申し入れ書(ワード)をご参考ください。また、会見の内容については添付しました「全大教が、公立大学の法人化問題で文部科学省と会見」(pdf)をぜひともご検討ください。

 今後、教員組織で今までにまして真剣な議論をしていくべき問題がそこには提起されています。文科省の公式見解をふまえるならば、「大学像」は終着点では決してないこと、市会である議員が指摘したように予算の裏づけのない「案」を果たして「案」といえるのかという問題もあります。各教授会、評議会などで緊急に議論すべき問題が山積しています。

 市大の問題は、日本の学問研究の発展に甚大な影響を与えるといって過言ではありません。私たちは、そうした研究者としての真摯な自覚のもとに正論を戦わせ後世に憂いを残さない努力をしようではありませんか。

 

横浜市立大学教員組合執行委員長
               藤山嘉夫

教員組合ホームページ
http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

 

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横浜市立大学商学部長 川内克忠殿

横浜市立大学国際文化学部長 黒川修司殿

横浜市立大学理学部長 馬来国弼殿

横浜市立大学医学部長 関原久彦殿

横浜市立大学看護短期大学部部長 藤尾ミツ子殿

20031121

                  横浜市立大学教員組合

                  執行委員長 藤山嘉夫

 

 

文部科学省は横浜市立大学問題に関わる重要な公式見解を示しました

 

 横浜市立大学をめぐる問題は展開如何では、今後日本全国の大学の状況と学問研究の発展に極めて大きな影響を与えることになります。

 全国大学高専教職員組合(全大教)は1113日に公立大学に関する問題では初めて文部科学省と公式の会見を行いました。文科省から大学課大学改革官室の西山専門職が、全大教からは、三宅副委員長、森田書記長と横浜市立大学、東京都立大学、大阪府立大学の教職組の代表が参加しました。

 

 

1)  「大学像」への批判・異論・疑問や改革案作成過程についての批判などを、今、数多く提出しておくことが重要であることが明らかになりました。

 

法人化については定款の文科省認可が必要になりますが、文科省は「大学の教育・研究の自主性」が配慮されているかを「細にわたって聴取」することが強調されました。その際、地方公共団体と大学の双方から意見を聴取するが、審査された経過についても聴取すると明言しています。つまり、学内における公然たる異なる見解の存在やそうした見解の処理の仕方などが、重要な意味を持ってきます。そして、横浜市立大学問題に関しても「大学関係者ともいつでも会う」と述べました。「大学関係者」の誰が赴くかについては、教授会や評議会といった市大の教員組織が決めるべきことだと考えます。

 

2)  大学の人事に関しては「教育・研究にたずさわる者が責任を持つべきである」と明言されました。その視点で市大の3者構成の人事委員会には問題があると指摘しました

 

今後は、この指摘を踏まえて「大学像」における「人事委員会」は、この改革案を提出した「プラン策定委員会」においてではなく、これについて強い疑義を提出していた教員組織において、つまり、教授会、評議会において見直されなくてはなりません。

 

3)  上記、人事に関する事項は文科省の強調する「大学の教育・研究の自主性」の根幹に関わる問題です。したがってこのことに連動して、「大学像」が前提とする理事長と学長を分離し、学長をこの理事長の下に副理事長と位置づける組織構成は再考されるべきです

 

4) 全教員への「一律」任期制の導入に関して、移行については「大学の継続性」という性格を強調し、「一律に任期制をしき、誰を採用に誰を採用しないかというようなことを行うのは公権力の介入という視点からよいこととはいえないのではないか」、と明言されました

 

任期制の導入には本人同意が前提となります。「労働契約」の形態においても当然です。それは、「誰を採用し誰を採用しないか」という「公権力の介入」を意味することになります。「大学像」の現職全教員に対する任期制の導入は直ちに撤回されるべきものです。

 

以上、文科省の公式見解にしたがって、各教授会、評議会は直ちに「大学像」の問題点を改める作業を開始すべきことを申し入れます。会見記録「全大教が、公立大学の法人化問題等で文部科学省と会見」を別添いたします。

03/11/19 全大教文書 「全大教が,公立大学の法人化問題等で文部科学省と会見」

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031119zendaikyo.pdf

 

 

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20031121日 議事録を見ると、市議会での議論の内容から、大学内部で行われている議論の本当の姿(議論の無視・抑圧のすがた)が、答弁に立つ学長や事務局長から正確には伝えられていないことがわかる。教員組合は、大学教育委員会の議員諸氏に正確な情報を提供すべく、各種資料をお送りしたようである。教員組合からいただいたメールをここに掲載しておこう。一言しておけば、公立大学法人法案の本則は、国立大学法人と同じく「学長=理事長」制度である。ところが、「大学像」は分離案である。なぜ、理事長と学長を分離しなければならないのか、その合理的な説明がなければならないが、「大学像」は理由にならない理由しかしめされていない。制度設計としてはまったくアカウンタビリティのないものとなっている。その点を、議員の一人が鋭く突いたものと考えられる。21世紀初頭の大々的な大学「改革」である以上、根本的な各方面からの深い議論を行う必要がある。「大学像」策定過程におけるような秘密主義、非民主主義では決していい大学は作れないだろう。市議会の場で、秘密主義を貫くことはできないだろう。設置者である横浜市、その設置主体である市民を代表する議会の場で、しっかりと議論を深めて欲しい。大学を発展させるのも衰退させ壊滅させるのも、その重要なアクター・責任者としての市議会(議員)のかかわりが大きいことははっきりしている。憲法問題、学校教育法問題、設置基準問題、その他をきちんと確認して欲しい。わたしのみるところでは「大学像」には重大な問題点がいくつも含まれている。秘密主義、非民主主義、行政主導主義、拙速主義の結果である。

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組合員の皆さん

11日、14日の市議会大学教育委員会では、自民党の議員が改革案について疑問を提起しました。とりわけ学長と理事長の分離には反対で、人事委員会についても疑問を投げかけています。12月1日、2日にまた大学教育委員会が開催されます。市議会委員に添付しました文章をお送りしました。

  横浜市立大学教員組合執行委員長  藤山嘉夫
教員組合ホームページ 
http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm 

 

 

 

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20031119(3) 論説・「大学改革」という名の大学破壊−法人法から都立大学、横浜市立大学「改革」へ−20031117日 国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局)を総合理学研究科・佐藤真彦教授HPを拝見して知った。ここにもリンクを張り、掲載しておこう。横浜市大問題がいかに現在の日本全体の大学「改革」と関連しているかを示している貴重な洞察である。大学人が、人類の進歩・人類の平和・人類の繁栄・人類の幸福の見地から、したがってまた「市場」に還元できない様々の人間的分野の擁護・発展の見地から、大学改革を真の意味で行うために、なすべき課題は多い。「市場」が人間・人類を支配するのを許してはならない。人間・人類は、みずからが作り出した「市場」に屈服してはならず、市場を人間的・人類的・世界的・地球的見地で合理的に統御していかなければならない。人間・人類が「市場」を支配しなければならない。本学の「改革」問題は、こうした人間的人類的課題とも連動していることが理解される。大学は、行政の不当な介入にも、市場原理にも、支配されてはならない。大学の自治、学問の自由を憲法的に保障してきたことの意味は深く重い。

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20031119(2) 大学教育委員会における大学事務局長の答弁は、法律を無視する内容を公然と示したものである。こうした法律をきちんと理解しないで大学事務を執り行っていることが、今回の「大学像」の作成過程と内容(「全員任期制」の提言や「人事委員会」に関わる提言)に染み込んでいる。下記の決定的に重要な法律解釈の部分(質疑応答抜粋)を見ていただきたい。ここに事務局長の法律解釈の問題を見ないならば、いったい学校教育法はどうなるというのか? 「教授会の権限」と法律が規定していることを、「設置者が判断」するというのである。これは、法律違反を公然と表明していることではないのか?この単純な応答のなかに、今回の「大学像」策定過程の全問題(行政の大学自治への介入・操作、プロジェクトR幹事会とその「大学像」を書記を握る事務局=行政管理職が実質的に決定し評議会等をひきまわしたことを露呈する)が象徴的集約的に露呈しているといえないか? 設置者(地方公共団体、市長等行政当局、事務局長はその機構の一員)が、教授会で審議する内容を決めることが出きるというこの判断を、法律的に合法だというのか? 行政(行政は「設置者」権限の執行をさしあたり地方公共団体である横浜市から付託されているにすぎないのであって、行政が「設置者」を僭称してはいけないのだが、それはおくとしても)の大学への介入をこのように公然と「合法」だということを許していいのか? 憲法的問題、憲法違反、学校教育法違反を公然と述べているのではないのか? この間の幾多の教授会決議を無視してきたことの根本に、事務局責任者(それに追随する学長)の下記のような法律無視の態度があるといえないか? 

 

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関:教授会の権限については学校教育法に「重要事項の審議」とあるが、学生身分等に限定する改革案はそれと矛盾しないか?

局長:「重要事項」の内容は設置者の判断となるので、矛盾はない。

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20031119日 伊豆利彦教授の「私の個人的意見」(20031114)が、「非常に素晴らしい」ので是非多くの人に読んでもらうべきではないかとの御意見をいただいた。同感であり、ここにも掲載して、当HP日誌を訪問される方にご紹介し、できるだけ多くの人の目に触れるように期待したい。

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20031117日 「大学像」を最終的に議論した評議会における修正事項に関して、学長(事務局長)がきちんと修正案を評議会に文書で提示ぜず、口頭でしか確認しなかった。その結果、重大な「大学像」最終文案を議論する商学部教授会に提出された「修正文案」(学部長作成)と学長が市長に提出した「大学像」とは違ってしまったようである。

 

@  そうした商学部教授会で審議した修正内容(文章で配布された教授会資料=正式資料=文書資料)と評議会での学長の口頭での訂正との食い違いは、結局は、商学部長に責任をとらせるかたちで収めようとしている。任期制を全員に対して行うのか、任期法にもとづく任期制にどの教員のどのポストがふさわしいのか全部検討するというのとではまったく違うのであり、こうした決定的に重要な部分に関してすら、文章化しないで評議会を運営した学長(事務局長)の何重もの非民主主義的なやり方(重要事項を文書で提示しないという責任逃れがいつでもできる体制を取るということ、その意味で職務怠慢・誠実義務違反)は、結果としての「大学像」における内容的問題とともに、歴史的に厳しい審判が下されるであろう。

A  学部長が配布した文章に関しては、評議員全員がそれを承認した上で教授会に出したものであり(教授会で文章に問題ありと指摘した評議員は誰もいなかった)、そうした学部長・評議員全員の確定した修正文として教授会は議論した。だからこそ紛糾しないでまとまったともいえる。われわれ一般教員としてはだまし討ちにあったような感じを持つ。そうした「ケアレスミス[8]」の文章を配布して了承ととりつけた教授会全員に対しては学部長・評議員は一体どのような責任をとるのかが、問われるではなかろうか。学部長の「ケアレスミス」などという軽い表現ですませることができる問題なのか、不可解である。「任期制」をめぐる修正案は「ケアレスミス」(学部長の配布文書の字句の「間違い」)ですむようなそんなにも軽々しい問題なのか? 学長(事務局長)が行った議事運営に根本的問題があったということこそはっきりさせるべきではないのか? わたしには理解できないが、こんな説明で教授会の多くの人は了承するのだろうか? それならそれだけのことだ。「何を言っても無駄だ」、「これ以上、敗北しようがない」というあきらめの声もこれまで何度も聞いた。

B  「大学像」()とその修正を検討した臨時教授会の席には副学長も同席した。学部長が「間違いありませんね」と確認したが、それにうなずいていた。すくなくとも学部長発言・学部長が提示した修正文書を修正や訂正する発言はしなかった。だから、副学長の態度にも問題がある。われわれ教授会メンバーの意志決定においては重要な情報となっていたからである。少なくとも私はそうである。だが、その承認を文章で残していないから、学長とおなじで如何様にでもできるということなのか? これまた教授会各位の受け取り方が問題となる。わたしは唖然としている。

C  ともあれ、学長の議事運営の非民主性・秘密性(結局は事務局と一体化し、「あり方懇」答申にしたがいそれをごり押しする事務局中枢主導の体制に押しきられただけ)は徹底しており、修正文案に関しては口頭のみとして形を残さないでその場を乗りきっておいて、あとで規定方針通りの「全員任期制」が評議会の議を経たかのような外観を作り出し、市長に提出し、社会に公表したわけで、わたしのみるところでは歴史的汚点となるものである。任期法の基本精神や条文・条項に照らした商学部や国際文化学部の明確な反対意見が公開(商学部の見解国際文化学部の決議20031028国際文化学部臨時教授会決議されており、それを無視していることは明白である。

D  これがこのまま通用するのか、それを許さないのか、これが今後の各学部・教授会・研究科会・教員に問われている。わたしはおかしいと判断してこうして意見を公開している、だが、一人、あるいは少数のものが「おかしい、問題だ」と発言しても、何の力にもならない。教授会や評議会としてきちんと問題にしない限り、無視される。だが、無視されるからと言って、「不当だ、おかしい」と判断することを、黙って見過ごすわけにはいかない。少なくとも明確に意見表明だけはしておきたい。意志表明の明文を残さず、いつでも責任逃れが出きるようなことはしたくない。

E  もちろん、別の態度のとり方もある。学長(事務局)のこうした一連のやり方に心底から怒り、嫌気がさした人々のなかには、学会その他のチャンスに他大学や大学関係者と会う機会に就職先を真剣に求める努力をはじめている。ソ連東欧が崩れるにあたって人々が国境を越えて逃げ出すことが大きな役割を演じた。化石化した体制、独裁化した体制、上意下達の体制、予算決算の事務を握って研究教育体制を支配する事務専制体制、評議会における長時間の議論の本当の意味(任期制などに関する重大な異論反対の深刻さ)を無視して修正文の字句の「間違い」を商学部長に取らせるという転倒したやり方、こうしたことを変えることができないならば、逃げ出す道を真剣に模索するのもひとつの道だ。まさに、現在、本学でも「大量脱出」がはじまろうとしているのではないかと感じられる。

F  逃げ出す力と気力のある人びとはどのような人々、どのような条件を持っている人々であろうか?

G  何年かおきに、任期を判定され、いつまでたっても、その3年とか5年の内に目に見える形でしか仕事ができない(しかも、人事委員会制度に見られるように教授会の権限を学校教育法などの規定を無視して剥奪し、教員の発言力・専門家としての判定を排除しようとする評価人事システムの元で)不安定な状況に落とされることに怒り、じっくりとした仕事をしたい人は、可能ならば(しかるべき逃亡先が見つかれば)、逃げ出す。

H  あるひとは、学会であった人から、「いや酷い大学になりそうですね。教授会に人事権などない理事長専制体制の私学のわれわれの大学よりもっと悪くなりそう。さすがにうちでもいまのところ全員任期制などではないですからね」と。

I  おろかな、熟慮しない「全員任期制」を教員が半数いる「プロジェクトR幹事会」で打ち出し、それをごり押ししたこと(それがなぜできたのか?そこには構造的歴史的問題がある)の深刻な問題性は、すでに「逃亡」現象(逃亡待機状態、逃亡願望状態)としてあらわれており、適切に修正を行わない限り、いずれますます広く深くあらわれてくるであろう。その逃亡の進展に応じて、大学の発展にとって取り返しのつかない事態、何十年も大学が荒廃する事態となろう。だが、自分が去った後の大学のことなどどうでもいい事務局責任者は、「すべて入れ替わってもいい」と豪語したという(それが正確かどうかは別として、まさにそのように言ったであろう、と噂され信じられる状態こそが問題)。

J  市大が突破口になって全国に全員任期制が広まれば、いたるところで紛糾が生じ、大学の安定した教育研究は全国的に消滅してしまうだろう。経営主義的に効率主義的に大学を運営しようという大学(かならずしも私学だけとはかぎらない)関係者は、早速飛びついてくるであろう。いやはや。

K   それにしても、九州のある国立大学の自然科学系では、「配置換」ということで任期制ポストへの移動がすすんでいるという。(総合理学研究科佐藤真彦教授HP任期制法と労基法(AcNet Letter 22より)03-11-11) いったい医学部や工学部、農学部は、そのように任期制に「同意」する人々がなぜ多いのか?何のメリットがあるのか?本学でも任期制反対を明確にしたのは、教授会では国際文化学部と商学部であり、文科系学部だが、なぜ自然科学系・医学系はなぜ明確に反対しないのか? 「全員任期制」は自然科学系の多くの人々と医学系が求めていることか?なぜかれらは、不安定化を受け入れるのか? 不可解である。その背後にある秘密をこそしりたい。「テニュアをとる」ことこそ、大学教員の実力の証であり、名誉であり、安定的な自由な研究の保障ではないのか? それを捨てることを求められてもほとんどの人が「同意」するとは、いったいどういうことか? 実力も名誉もなかったことをみとめるのか? 全世界でも皆無の「全員任期制」などは、どのようにして合理性を証明できるのか? 「あり方懇」答申でも、さすがに「全員」とはいっていなかったのではないか? 「全員」をいれたのは、一体誰か? プロジェクトR幹事会は、誰に、何に、押しきられたのか?



[1] 陳述書を見れば、井上一知教授は、「白い巨塔」でいえば「里見先生」タイプのように思われる。下記の、学会における評価(裁判中にもかかわらず学会長に選出された)を見ても、優れた研究者だといえるのではないか。

 

私はいろいろの圧力や制約を受け、極めて厳しい環境下にありますが、教室の先生方と心を一つにして、研究活動、研究指導、学会活動、講演活動、執筆活動、ボランティアー活動などに励んでおります。また、裁判のさ中に、歴史と伝統のある日本膵臓学会の会長に選出されました。そこで、来年7月には会長として、国際膵臓学会と合同で日本膵臓学会を主宰することになり、日本の膵臓病治療の発展と、膵臓病研究の進歩のためにその重責を果たすべく、現在その準備に追われているところです。」

 

[2] 大学教員に求められるのは、まさにこの「実績」である。その評価を多元的に公正に、公明正大に、科学的に、専門家集団の深く広い検証に絶えられるように行うこと、これが肝要である。

 素人による行政主義的管理主義な「評価」は、大学を破壊してしまう。

 「任期制」は、その行政的管理主義(非学問的諸利害の横行)の一番の武器になる可能性がある。井上教授再任事件は、井上教授のような研究実績を持つ研究者の再任拒否ということで、その問題性を明確に浮き上がらせた。

 

[3] 阿部泰隆「大学教員任期制法の違憲性・政策的不合理性と大学における留意点」・・・この論文は『法律時報』が公刊されたら全文を読んで欲しい。下記の指摘など、その通りだと思う。

 

 「大学教官の人事を通じて学問の自由を侵害するのは、何も国家権力だけではない。大学内の権力もそうである。そもそも、学問とは、会社組織のように、営業成果を上げる、他社に負けないなど、みんなが同一の目的を追求するものとは全く異なり、先人・同僚の学問を乗りこえ、時の権力者を批判し、批判と孤独に耐えて初めて成り立つものである。そして、多数派は凡人であり、優れた研究者は少数派である。したがって、新しい学問研究は、これまでの(克服されるべき)研究者からは評価されないものが少なくない。こうした研究は研究者の身分が保障されていなければ、およそ成り立たないのである。これまでの大学では、お互いに同僚をいわば追い出すことが不可能であるという前提で、お互いにその研究を尊重するという人間関係が成り立っている。」

 

 名古屋大学物理教室・沢田教授証言「任期制の下では、「大学の研究や教育にとって最も大事な自由に相互批判するという雰囲気が失われて、アカデミックフリーダムが大学の内部から失われていくということになる」

 

研究者は単なる一般職の公務員で、高度の専門職であるだけに、いわゆるつぶしがきかず、しかも就職できなければ研究を継続できず、民間との自由な人事交流が可能ではないので、ルールなき再任拒否制は、研究の独立をほぼ抹殺するものである。」

 

教授の流動化型任期制は国際的に異常・・・京大井上事件で問題になるのはこの1号(流動化型)なので、以下、これに限定して考察すると、まずは、教授に関する1号任期制は、日本国内はもちろん、国際的にも異常なしくみである。アメリカではもともと契約自由の原則、解雇自由の原則が支配していたところ、その例外として、教員の身分保障(テニュア制)が導入されたのである。これは日本と逆である(11。また、大学審議会の答申に付された諸外国における教員の任期制という資料(同答申25頁以下によっても、国会の質疑でも(12)、ドイツ、アメリカ、フランス、イギリスでは、教授の任期制をとっていない。幅広く任期制を導入している韓国(根拠は、私立学校法、高等教育法)でも、任期は、副教授6年、助教授四年、専任講師2年となっていて、教授になれば定年までの身分保障がある。」

 

[4] 『ジュリスト』掲載論文数七九本(!!)だそうである。

「ジュリストが創刊号から、DVDに入った。・・・来春までは、5万円引きの19万八〇〇〇円という。これで、書棚数列分が不要になる。 そこで、デモで、阿部泰隆で検索した。小生の寄稿数は79多い方ではあろうが、同年輩の淡路剛久には負けた。・・・・ジュリストに最初に持ち込んだ「行政財産使用許可の撤回と損失補償」ジュリ435号(1969年10月)75頁以下(『行政法の解釈』所収)が懐かしい。東京高裁判決批判を原田尚彦さんと同時期に行ったら、昭和49年最高裁判決(阿部泰隆「行政行為の撤回と補償」ジュリスト行政判例百選[第四版]212頁)で採用されたものである。」(Cf. 阿部教授HP最近の状況Last Updated: 2001/04/09

 

[5] しかし、ご本人はきわめて謙虚で、井上教授擁護の法論理を展開するある論文では、「筆者なら再任審査されれば、かならず異議が出て、結局は水掛け論にされ、失職させられるであろう」と。

井上教授は、「再生医療学会の大物であり、外部評価でも、7人の委員が全員再任に賛成しているのに、再任が拒否された」のであり、「本件さえ」、すなわち、井上教授の場合さえも「救済されないようであれば普通の先生が任期制に適用された場合にはとても救済されない」と。

井上教授事件がい外かに全国的全教員的な深刻な問題をはらんでいるかがわかるであろう。合理性、合法性、説明責任を果たしていることといった条件がないままで、「再任拒否」が行われれば、暗黒の大学になるであろう。

 「全員任期制」等が導入されたら、一体どうなることか?

 「全員任期制」を提案する「大学像」を作成した7名の教員は、京都大学・井上教授以上の実績を持つ方々なのか? それとも、事務官僚に押しきられただけのことか。

 いずれにせよ、合理性・合法性のない井上教授再任拒否がまかり通れば、「大学の人事の公正さは完全に犠牲になる。大学教員は人事権者のほうを見て、黙して語らず論争を避け、誰にも関係のない「お勉強」を一人静かに行って、一見「業績」を生産することになろう。これでは、既存の学問を乗りこえることに使命がある学問を意味する。」

 

外部評価は、一般に厳しい。その外部評価の内容は、つぎのようであった。

 

この委員会の構成員7人は高名な学者で、うち臨床医は5人おり、再生医療を専門とする専門家も5人いるということである。これは再生医療を専門とする原告教授の業績を理解できる専門家からなるもので、それなりに公正なしくみである。そして、その外部評価の結果、井上教授の業績は、「国際的に平均」であり、その「再任を可とすることに全委員が一致して賛成し、今後の活躍に期待をしめした」ということである。ここで「国際的に平均」とはまさか、学問が進んでいない国も含めた平均ではなく、国際的に立派に評価されていることを意味するであろう。

 したがって、これを覆すには、外部評価に重大な誤りがあるか、外部評価とは別の重大な不適格性を指摘する必要がある。」

 (阿部論文「大学教員任期制法による「失職」扱いに対する司法的救済方法」)

 「外部評価に「基づく」との審査基準に反する理由不明の再任拒否は違法」というのはきわめて合理的な説得的な論理展開ではなかろうか。

 

 また、つぎの論点も重要である。

「本件では井上教授は助教授から教授に昇任したところで、任期を付されたのである。身分保障のある一般職の助教授が教授に昇任したら、任期のために、もとの助教授の地位まで失うというのはいかにも行きすぎであり、この人事異動通知書も、教授に昇任させる、任期5年と書いてあるだけであるから、そのような趣旨とまではわからない。これは、教授に任ずるがその任期は5年ということは、任期が終了すれば助教授に戻るという趣旨とも読めるのである。ちなみに、国家公務員の昇進は、採用と同じく6ヶ月間条件付きとなっている(国家公務員法59条)。そこで、6ヶ月間は分限事由に該当しなくても降任させることができることとなっている(免職、失職するのではない)。本件の任期制も、昇進の場合、公務員の身分を奪うのでは、予想外であり、仮に任期制が適法であると仮定しても、合理的に捉えれば、5年間の条件付き昇任と理解するのが合理的であると思われる。

  そうでなければ、新規採用ではない以上は、任期が到来したら助教授の身分を失うのですが、了解しますかとまで念を押して聞くべきであろう。」

 

[6] 政治家の市長には、別の構想もあるようだ。

たとえば、市長は、20036月の横浜国立大学経済学部・経営学部同窓会「冨丘会」定期総会で講師に招待され、「国大と市大の合併についても可能性を検討してもらっています」とった意味の発言をして、参加者・関係者の関心を呼んだ。

 

昨日、「新・横浜総合大学構想を見た国大・工学部卒業生のある方から、

 

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先生の「新・横浜総合大学構想」拝見いたしました。私は昭和31年に横浜国立大学の・・・科を卒業したエンジニアの一人です。実は先日、同窓会があり、先生の構想をプリントアウトし配布したところ、反応があり、貴文中の「中田市長が横浜国立大学卒業生の会で講演し」とあるこれは「いつ」「どこで」話したのか是非教えて欲しいとのこと。ご多忙中誠に恐縮ですが、ご一報頂きたくお願い申し上げる次第です、宜しくお願いします。

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とのメールをいただいた。

 

 そこで、下記のようにわたしの知るかぎりをお知らせした。

 

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関心をもっていただき、大変うれしく存じます。

中田市長がこのことを語ったのは、今年の6月中旬でしたか、冨丘会同窓会定例総会においてでした。わたしは参加していなかったのですが、今年の冨丘会総会には、普通の年(著名経済人等、あるいは国大卒業者など)と違って、講演者には中田市長を招待したということです。

 司会の方も市役所につとめる国大卒業生だったそうで、中田市長が、「市役所にも二百人ほど国大卒業生がいるので・・・・」と発言したようです。

 詳しくは、冨丘会本部等にお尋ねいただけないでしょうか。

 わたしは、同期の友人・・・君に七月に会ったときに聞いたのです。

 他方、市大の関係者(たとえば、経済研究所名誉教授・・・)などにも、この市長発言が伝わったようで、そんなこともあり、「市民の会」の市大関係者(教授)などが、年来の構想をあらためて打ち上げたというところです。

  卒業生の多くの方が、国大と市大の関係、協力関係、緊密な関係に興味をもち、あらゆるルートで働きかけていただくことは、横浜市、神奈川県、日本、そして二つの大学にとって、すばらしいことではないかと考えています。

  取り急ぎ、お知らせまで。」

 

[7] 阿部教授のものすごい仕事量に驚嘆しながら、同教授HP公共政策学会」の項をみると、1999年度大会企画全体テーマ:「公共政策の法制化に向けて」で、本学商学部の和田さんが報告している事を知った。

 

[8] 学部長からは、任期制に関わる部分は、ケアレスミスではなく、「メモが間違っていた」との御連絡があった。ということは、商学部教授会で、評議員各位も副学長もその重大な「間違い」に気づかなかった、指摘しなかった、ということになる。それはどう解釈すればいいのか? そのような学部を代表する人々が誤解するような形での「修正文言」の提示ということが根本的に問題ではないのか? 結局は、内容自体が問題なのであり、商学部が教授会として見とめたのは、配布された文書に関してだけである。