3.世界恐慌とナチ党の躍進(諸潮流の政治対立の激化から)
賠償金問題・・・ヴェルサイユ条約の根本問題・・・・ヤング案
ワイマール共和国を担った諸政党への攻撃・・・・安定した議会構成ができない。大統領内閣
シャハトの行動(財界とヒトラーの仲介、その功績で後にライヒスバンク総裁、ライヒ経済大臣、のち失脚)
4.ヒトラー政権誕生・再軍備政策・「四か年計画」、
そして「平和的」ヴェルサイユ体制打破・「主権」回復
国会解散・・・「議会の圧倒的多数を獲得する」目標・・・しかし、・・・
国会放火事件・・・ドイツ共産党を犯人としたてあげ、憲法停止・徹底的弾圧(裁判で、犯人とされた共産党関係者はアリバイがあり、無罪釈放・・・・有名なディミトロフ・・・有名な法廷弁論)
(二つの問題: 誰が犯人か?という問題と 誰が、放火事件を利用したか、という問題、最大限に利用したのがヒトラー・ナチ党幹部であったことは明白・・・ワイマール憲法停止)
(犯人に関する二つの説・・・リュッベ単独犯行、ナチ党突撃隊・警察など秘密謀略グループ)
→解散時の目的「議会で圧倒的多数の獲得」は実現せず
・・・・「全権委任法」を強行成立させる。
秘密再軍備・・・軍需発注・・・受注で潤う重工業・化学工業などをはじめ、経済の急速な回復・・・・・1936年ころにはに「完全雇用状態」
過度の「景気過熱」・・・資源・食糧・労働力における諸問題露呈
→四カ年計画(1936年9月党大会)・・・第三帝国のアウタルキー政策(重要原料・食糧等の自給政策)
「国民的課題」の「平和的解決」・・・ライン左岸への進駐(主権国家としての平等の権利の見地)
→オーストリア「編入」(同じ民族が一つの国家を形成する…民族自決の正当化論理)
→ズデーテン問題・危機(1938年夏―10月)・ズデーテン地域(ドイツ系住民300数十万の住む地域)の併合
・・・・「民族自決」原理・・・国境によって分断されドイツ人(ドイツ民族)の統一・・・・ナショナリズムの一段の高揚
1938年11月9./10.「帝国水晶の夜」(ポグロム)
・・・突撃隊員・ナチ党員がシナゴーグ放火破壊、全土で約7千のユダヤ人商店を破壊。
公表で91人のユダヤ人を殺害。商店略奪。約2万6千人をブーヘンヴァルト、ダッハウ、ザクセンハウゼン強制収容所に。
この時点でユダヤ人を助けることはできなかったのか?
ユダヤ人の子供を助ける運動・・・キンダートランスポート(ベルリン・フリードリヒシュトラーセ駅の記念碑)(ウィーン西駅の記念碑)
(ごく少数のユダヤ人の子供がイギリスに,そこからさらにアメリカに逃れることができた)
オットー・ハーンによる核分裂発見(12月クリスマス)・・・連鎖反応・・・原子力エネルギー(発電と爆弾の可能性)
・・・1939年はじめ(論文公表)から世界中へ衝撃
ヒトラーのもとで原爆開発?
イギリス、アメリカにおける危機意識→段階的なプロジェクトの拡大・予算の拡大、原爆開発へ。(マンハッタン計画は1942年夏から本格化)
→1939年3月プラハ進駐:プロテクトラート(保護領)・ベーメン・メーレンの創出・・・・チェコスロヴァキアの共和国の解体
1939年5月の会議で「9月1日までにポーランド攻撃準備を完了せよ」とのヒトラー命令
5.独ソ不可侵条約・ポーランド侵攻・電撃戦勝利・西ヨーロッパ主要部分を軍事支配下に
1939年5月から9月、極東・シベリアでの軍事紛争(ソ連と日本・・・ノモンハン事件・・・ゾルゲ情報)・・・飛行機・戦車などを使った大量投入した本格的戦争
ヨーロッパと極東・ノモンハンでの二つの戦線を回避したいスターリン、
西での英仏と東でのソ連との二正面の戦争を回避したいヒトラー
独ソ不可侵条約(秘密協定で、ポーランド分割・・・・第4次)
1939年8月23日→9月1日奇襲攻撃開始 ・・・・9月3日英仏の対独宣戦布告
・・・1940年4月デンマーク・ノルウェー占領、5月西部戦線の火ぶたが切られる
ナチス・ドイツ軍の破竹の進撃
1940年6月下旬、・・・・パリ進駐
対英戦・・・・見通しが立たない(海上覇権、防空体制・大軍の輸送体制)
・・・・『わが闘争』以来の一貫した目標「東方大帝国建設」・・・そのためのソ連征服
1940年12月18日 バルバロッサ指令「最も迅速な進軍でソ連を蹂躙せよ」
6.独ソ戦・世界大戦・総力戦とホロコースト
緒戦・・・奇襲攻撃で連戦連勝・・・・急速なドイツの進軍・・・・占領地拡大・・・最初の半年で、レニングラードを包囲し、モスクワに迫る。
ソ連軍の抵抗・反撃・・・・次第に激化・・・・・ドイツ軍の被害も次第に増加
急拡大する広大な占領地を迅速に平定し、現地から必要な食糧ほかの物資、資源を獲得する必要
・・・・ドイツ警察長官・親衛隊最高指導者ヒムラー、その部下ハイドリヒ、そのもとに編成されたアインザッツグルッペ(特別出動部隊、機動部隊、行動部隊等の訳)
ホロコースト
ユダヤ=ボルシェヴィズム、「闇商売の元凶」、「大食漢」とされるユダヤ人の抹殺・・・・最初の半年だけで、アインザッツグルッペにより約50万が犠牲に。
射殺・・・最初は、男性ユダヤ人だけ、
すでに41年8月ごろからは婦女子・老人をも含む無差別射殺(Cf.イェーガー報告書)
この過程で、
「移動型ガス室」の開発 (開発の理由・投入地域地図)
1941年11月〜12月
「冬の危機」・第三帝国最初の危機・・・・ナポレオンの敗北を連想させる
1941年12月7日(日本では8日)真珠湾攻撃・・・日米戦争・・・・ヒトラーの対米宣戦布告・大演説:
ヨーロッパの戦争とアジア太平洋の戦争が結合して、文字通りのグローバルな世界大戦へ
1942年1月1日 連合国宣言・・・・・日独伊枢軸対連合国の文字通りのグローバルな(世界的・地球的)対決・死闘の開始
1942年1月20日 ヴァンゼー会議・・・・議題:「ユダヤ人問題の最終解決」
(帝国保安本部長官ハイドリヒが招集、議長で会議をリード)
ポーランド東部に絶滅収容所建設(ベウゼッツ、ソビボール、トレブリンカ)
1942年5月末、ハイドリヒはプラハで出勤途中、襲撃され、手榴弾の破片が突き刺さり、6月初め死去。ヒムラーが計画(ラインハルト作戦)遂行。
1942年のうちにポーランドの圧倒的多数のユダヤ人はガス室に(1943年初めのヒムラーの調査結果→ヒトラーへの報告書)
Cf. 拙稿「ユダヤ人移送(疎開)と特別処理(ゾンダーベハンドルング)」(論文Pdf)
ドイツに編入したアウシュヴィッツにも、巨大プラントと巨大な収容所・・・「労働と絶滅」
アウシュヴィッツの本格的な「ガス室」(火葬場)は、1943年から稼働
7.連合軍の全土占領・ドイツ無条件降伏・米英ソ仏による全ドイツ占領
最終局面: ベルリン攻防戦・・・・全面敗退: ヒトラーの最後:
ヤルタ協定: 東方のドイツ人1千数百万人の追放・・・・ドイツ領土の大幅な縮小 1945年ドイツ
連合国共同のニュルンベルク主要戦犯裁判、アメリカ単独の継続裁判
・・・西ドイツにおける厳しい姿勢・ナチ戦犯い対する追及の継続(今に至るまで)
米(英仏) 対 ソ連 ・・・冷戦
ドイツの東西分割占領の固定化
1949年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立