2024年度夏季エクステンション講座(6月22日13時〜15時開催)

「ヒトラーはどうしてあんなに残酷になれたのだろうか?」――レジュメ――

前置き


 問いは、ごくシンプル。
 
  ヒトラー・第三帝国ドイツに関する文献・・・見渡せないほどの大量の文献、各研究者においても汗牛充棟
 
 それぞれの文献が扱うテーマ、対象、その他無数、

しかし、
 我々のこのシンプルな問いに直接答えるものはない。

 そこで、この講義で、この問いを探求していく第一歩、今後の探求への刺激をめざす。


 この問いに答えるために必要なこと:

  今回講義の中心は何か?―限定――

  (最初に生誕1889・4・20オーストリアのブラウナウ・アム・イン
  最後自殺1945・4・30ベルリン・・・現在のガザの空爆等による全面的」破壊状況との類似性=絶望的状態)






―――以下、レジュメ―――

   
必要不可欠な論点、重要な点をまとめると、

1.ヒトラーの思想・・・『わが闘争』と『第二の書』
  ・・・運動「闘い」思想全体の構造
        『わが闘争』1925年
        『第二の書』1928年 

2.ヒトラー信奉者の思想・行動
  ・・・人種主義政策の実行部隊――親衛隊――
  ――ユダヤ人迫害から追放・移送・「疎開」名目の殺戮段階へ
  対ソ電撃戦開始・残酷さの実行段階――射殺からガス殺へ

3.ヒトラー敵対諸勢力の段階的変化・・・敵勢力の強大化(侵略戦争の諸段階ごとに抵抗・敵対勢力が増大)
  対応して、ヒトラー支持の国民大衆の意識の変遷
  ・・・各時期における変化の追跡必要
    末期の民衆・・・「麻痺の構造」(1918年シンドローム)

重要な段階・画期
*ワイマール末期から政権初期―1933.1〜38、

*「平和的」領土拡張段階―1938、

*電撃戦勝利段階―1939・9〜1940夏・・ポーランドの短期的征服から西部戦線での連戦連勝段階、

*独ソ戦―バルバロッサ作戦(40・12・18総統指令)・発動1941・6・22〜敗戦1945年
    最初の「東部地域占領の基本方針」

世界大戦・総力戦段階―1941・12・7(日本時間では8日)、対米宣戦布告・大国会演説12/11〜1943、

*全面的敗北段階―1943〜45
  
  ヒムラー・・・ 「ワルシャワゲットー撤収」=「ワルシャワにおける大作戦行動」 VS

  ワルシャワ・ゲットー蜂起(歴史的比較のシンポジウム7月11日ガザ・ジェノサイド



 しかし、今回の講義では、「ヒトラーの思想」を中心とし、戦時下のヒトラー思想の過激化を適宜見ていく。
 そして、ワルシャワ蜂起(1943年4月19日から5月半ば)についても、言及したい。






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はじめに

 イスラエルのガザ侵攻で過激化するジェノサイド
   ・・・ガザ地区パレスチナ人3万7千人余(6月中旬までに)
      子供がその4割ほどとか。

 パレスチナの子どもたちの大量犠牲に、イスラエル・シオニスト国家は何の反省もないのか?
      憐憫の情はないのか?・・・「ハマスが悪いからだ」と。

 テレビ等の生々しい情報で世界がガザ地区住民の被害の大きさをつぶさに知っている状態で、
 なお、「ハマスの殲滅」を掲げ、パレスチナ人の犠牲者を増やしている。

 Cf. ヒトラー・ナチスは、ソ連権力中枢の「ボルシェヴィキの殲滅」を掲げ、実際には大量のソ連の人びとを殺害。 
 
  Cf.ガザ侵攻に対するホロコースト研究者の視点:
   明治大学国際武器移転史研究所第11回シンポジウム・報告

    (ビラ・コピー、配布)



 ユダヤ人600万人の殺害・・・なぜ?

 しかし、ヒトラー・ナチス国家によるソ連征服戦争(1941年6月22日〜45年5月8日)で、

 ソ連だけで2000万人(最近では2700万人)の犠牲者



 ナチスドイツによるユダヤ人殺害だけを取り出して、
 ヒトラー・ナチスの残虐性を考えるのは、一面的。

 ヒトラー・ナチズムの究極目標・ないし中心目標・根本思想を、ユダヤ人殺戮だとするのは、誤り。


 ソ連の厖大な犠牲者ユダヤ人の犠牲者をどのような関連で把握するか。これが、重要。


 ヒトラーの残酷性・残虐性の根底にあるのは、戦争(征服戦争)の正当化
    ・・・戦争目的の正当化(民族の「生存圏」獲得)。


ヒトラーの思想・運動の核心的内容:
 第一次世界大戦の敗北を踏まえた総括
     ・・・例えば、「ドイツの再生」(『第二の書』第八章)


ヒトラー・ナチズムの思想のなかでは、       
 ユダヤ人は諸民族の最底辺の位置づけられる
 ・・・アーリア人種ドイツ民族を頂点におく世界の階層秩序の構想



なぜ、ユダヤ人が最底辺に?
  ・・・キリスト教社会におけるユダヤ教の位置づけ・・・反ユダヤ主義のすそ野の広さ

  ・反ユダヤ主義の長い歴史
  ・ヨーロッパ(キリスト教)社会における反ユダヤ主義


19世紀から20世紀の冷酷な現実:
 現在到達した世界の状況からすれば、両大戦間の現実、
 それが引き起こした、今日ではまったく理解できない大虐殺。

 逆に言えば、第一次世界大戦から第二次世界大戦の時代は、
現在からは理解できないような差別構造
 (20世紀列強の植民地主義帝国主義、それを正当化する人種主義民族主義


ガザのジェノサイド
 ところが、今回のイスラエル・シオニスト国家のガザ侵攻によって、
 まさに、パレスチナにおけるシオニストの植民地主義・入植地拡大の70数年が浮かび上がってくる。





    
1.ヒトラー・ナチスの基本にある考え方・・・民族主義理念・運動・政権掌握

 ヒトラーを単純に気違い扱いしたり、精神異常者だと見たりしては、
 ヒトラーが小さな運動・政党から大きな政党・運動へ、
 さらには、政権までも手にいれ、
 権力強化・膨張=圧倒的な大衆的支持を国民の中で得ていったことがわからない。

 (ヒトラーの思想・運動は、どのような「敵」、国内外情勢・諸勢力との闘争のなかで生まれ発展してきたのか?
      
 彼の「残酷さ「、彼の思想・運動・権力掌握の全体像をつかむためには、やはり、
総合的な文献(一次史料として『わが闘争』を吟味してみる必要がある。


 そこに彼の「残酷さ」のまず一番基本的な原因を探ることができるのではないか?


『わが闘争』の基本にあるもの:
 第一次世界大戦・総力戦の経験の総括と敗北・11月革命の克服

 ・・・11月革命、それに影響を与えたロシア10月革命への悪罵
 ・・・ヴェルサイユ条約に基づく天文学的賠償金の確定(ロンドン協定1921年1月末)への反対運動

世界に冠たるドイツの再建・世界強国建設・・・「ロシアとその周辺」を征服し、
  アーリア人種ゲルマン民族の「生存圏」とする東方大帝国建設世界強国


 『わが闘争』(公刊)、第一巻 民族主義的世界観 第二巻 国民社会主義運


 『第二の書』(非公刊・戦後発見(ワインバーグ)された秘密文書、
 ヒトラーの「外交政策の基本思想」(序言)、すなわち、「生存圏と領土問題」を中心に)

 ・・・人種理論にもとづく大帝国建設を正当化する思想が吐露されている:
 公刊を控え、秘密にしていただけに、大量の読者をもった『わが闘争』よりも露骨な主張



 『第二の書』 第17章 ユダヤ人との闘争(Pdf)

 ・・・「優等民族・優等人種による劣等民族・劣等人種の淘汰・支配」
 ・・・社会ダーウィニズム、人種主義的淘汰「理論」(イデオロギー抜粋
        

 『わが闘争』第一巻第11章「民族と人種」
抜粋:
 「個々人の生命」と「民族の生存・民族防衛」
   その世界観のシンボル「ハーケンクロイツ」・独自の旗の創造


(民族主義の世界観、マルクシズム・赤色戦線との戦い例示第二巻第7章
ホーフブロイハウスでのナチ党集会の連続
・・・左翼の妨害・乱闘・・・ヒトラーの側の勝利・・・ヒトラーの描く乱闘状況)


 イデオロギー・理念・思想は、ヒトラー個人、ヒトラー崇拝者・支持者など、狭い範囲にある限りでは、
後のような巨大な犯罪行為とは直結しない。

 ⇒政権を取り、理念・思想・イデオロギーにしたがった政治を強行していくと、実害が飛躍的に大きくなる。



ヒトラーの思想・運動を大衆化し権力の座につけ巨大な力にしてしまった要素群は、
 広大・多様・多次元・世界的。すなわち、

*第一次世界大戦を引き起こした諸要因、長期化・総力戦化させた諸要因、
*さらに、その結果としてのロシアやドイツでの革命の諸要因、
*その上、戦後処理の在り方、戦後平和の脆弱性の諸要因。
*世界大恐慌…大量失業




2.政権を獲得してからのヒトラー・ナチス国家の政策

(1)一党独裁体制の構築・・・民族全体をまとめた一つの政党(階級的対立、その諸政党の否定)

(2)再軍備と軍事力を背景にした膨張戦略・・・最初は、大国の「同権」


(3)軍事力を行使した膨張戦略・親衛隊警察力による占領地支配

  第一段階…ポーランド征服戦争(ソ連・スターリンと一緒になってポーランドの征服・支配)
        英仏の対独宣戦布告
        ドイツ対英仏

  第二段階…英仏など西欧諸国への戦争(征服・支配)


  第三段階…対ソ戦争(ソ連征服・支配・東方大帝国=世界強国建設)・
       軍後方地域・征服地の治安平定・ユダヤ人殺戮
       (例:最初の数か月:オーレンドルフ・ニュルンベルク裁判証言
       (例:1941年10月20日ヒムラー命令…コーカサス占領準備・シュトロープ
         ヒムラー命令は、ソ連征服後の構想を前提、41年10月中はまだ、楽観的戦勝気分

  第四段階・・・軍事同盟国日本の真珠湾攻撃・これにともなうヒトラーの対米宣戦布告

  ⇒連合国(1942年1月1日26か国の連合国宣言) 
            独伊三国軍事同盟の死闘段階=文字通りの世界戦争への突入


議題「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決」
  ヴァンゼー会議1942年1月20日):ソ連以外の全ヨーロッパのユダヤ人の「疎開」

   東方への「強制移送」「疎開」・現地収容所における殺害、

   絶滅収容所建設とガス殺

                  
  ヒトラー、1942年1月25日の秘密談話・・・
   ユダヤ人がヨーロッパから出ていかなければ、「絶対的な根絶」
   「ロシア人の捕虜が死んでいるのに、ユダヤ人を優遇する必要があるか」



(4)段階ごとに敵の勢力・敵国が飛躍的に増え、敵国の反撃も熾烈になっていく)

  占領統治体制の諸困難…激化・・・ユダヤ人殺戮の最終段階

  ・・・これに対する抵抗=反乱=蜂起、
    親衛隊警察はポーランド人とユダヤ人の連携・協力の阻止に全力

  ・・・「ワルシャワ・ゲットー蜂起」(1943年4月16日から約一か月)シュトロープ将軍が鎮圧
  
    1943年4月19日(「撤収」作戦・準備から初日)ー4月20日から26日の「復活祭地獄」

    シオニスト精鋭の頑強な抵抗



占領支配地の縮小・総力戦敗北過程


   




3.ユダヤ人迫害・殺戮の推進・執行組織SS(親衛隊)=国内外治安平定
   占領下ヨーロッパ地域の、特に戦時下ポーランド、ソ連その他戦闘後方地域の
   仮借なき治安秩序確立

  Cf.拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年。
  Cf. ハイン『親衛隊』についての拙稿書評(2024-05-05)

  Cf.独ソ戦の展開、1941・6〜1942「事件通報・ソ連」(初期の通報の紹介)、
              1942〜「東部占領地域事件通報」





むすび

 ヒトラーの最後
 
 ソ連赤軍により、ベルリンが徹底的に破壊され、包囲され、 
 
ベルリン総統大本営地下壕に追い詰められ自殺直前に残した遺言

 その意味・文章構造:
  第一次世界大戦から第二次世界大戦終結までの全体的関連において考える必要性を示す。




 そして、21世紀世界の現実のなかで、今一度、二つの世界大戦の悲劇を踏まえて人類が到達した国連憲章
実現を根本から考えてみるべきだろう。