2023年2月03日(金)16:10~17:40
第3回 ポーランド侵略・ソ連侵略・世界戦争――総力戦の泥沼と敗退過程――
テキスト(目次):
第4章 ポーランド侵攻・占領とユダヤ人迫害 1939年9月〜1941年6月
独ソ不可侵期・・・ヒトラーとスターリンの「悪魔の抱擁」
はじめに
1. 奇襲攻撃・電撃的制圧とポーランド人指導者層の殲滅
2. 総督府統治と保留地構想段階の追放――1940年春まで
独ソの間でポーランド分割(第4次分割)
一方で、ドイツに編入した地域に東欧各地からどドイツ人を入植させる。
スローガン「帝国へ帰ろう」
・・・ドイツ領土の民族強化。
他方で、ポーランド人を追放(ポーランド人とユダヤ人を強制移住)。
ユダヤ人保留地構想・・・ポーランド東南部ルブリン地区に・・・暗礁に。
3. 対英仏戦争と追放・ゲットー化強行――1941年春まで
マダガスカル計画
(19世紀末のドイツ、20世紀両大戦間のポーランドにもあった構想)
これが、対仏勝利段階で浮上・・・(問題は、対英講和が実現するかどうか)
⇒・挫折、
(イギリス・チャーチルの徹底抗戦、フランス亡命政府ドゴールの闘い)
4. 全般的衰弱・大量的餓死への道
ゲットーに押し込められたユダヤ人の劣悪な生活条件
おわりに――対ソ戦勝利の展望と新たな追放構想――
シベリア、プリピャチ湿地帯(泥沢地帯)等への「ユダヤ人移住」
(=ユダヤ人追放)構想、浮上
前提は、対ソ戦の電撃的勝利。
ソ連に対する電撃勝利に全力集中。
ユダヤ人移送は、戦時中は中止
(すなわち、独ソ戦の行方による・・・ユダヤ人の運命は、戦争の従属要因)。
第5章 ソ連征服政策とユダヤ人大量射殺拡大過程――占領初期1941年6月〜9月を中心に
参考:
映画『バビヤール』(1941年9月29日、30日の3万余のユダヤ人大量射殺):予告編
以上は、ヨーロッパ戦争の段階。
ソ連以外のヨーロッパのユダヤ人については、「移送」政策がまだ継続していた段階。
研究史:
ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅命令・政策の発動はいつか、をめぐる欧米・日本での論争
最近のヘルベルト説(1941年10月25日から11月29日までの間に「絶滅政策」決定)
・・・41年7月説否定で、研究史の到達点および私と同じ見解。
・・・しかし、41年12月だとする見解(欧米、日本では私)を修正ないし否定するもの。
そこで、拙著のスタンス(41年12月、対米宣戦布告=文字通りの世界戦争を
跳躍点とみる)からの批判。
*史料批判に基づくヘルベルト解釈の問題点を批判。
ヒトラーのハイドリヒ、ヒムラーのに対する1941年10月25日の言明
・・・泥沢地に追放(プリピャチ泥沢地帯に追放する・・・
対ソ戦勝利を前提にした・移住政策・追放政策の継続・発想
・・・バルバロッサ指令の発想、ゾルゲ)
1941年10月末から11月末まで、特に10月末までは、
モスクワ攻撃に集中している時期、
その挫折が11月中に次第に明確化⇒「冬の危機」
しかしこの時点では、世界戦争は、予感・予測の段階・・・
短期的勝利を目指している段階。
日本の真珠湾攻撃は、ヒトラーの対ソ戦勝利・ソ連征服を前提にした戦略。
第5章目次
はじめに
1. ヒトラーの「絶滅戦争」とはなにを意味するか
2. 独ソ戦初期のユダヤ人の犠牲――概観――
3. 歴史的前提――ロシア史とソ連時代のユダヤ人
4. ソ連征服戦争の準備とユダヤ人の位置づけ
5. 奇襲攻撃・軍後方地域拡大・激戦化と焦眉の治安確立課題
小括
第6章 ”ユダヤ人問題の最終解決”――世界大戦・総力戦とラインハルト作戦
世界戦争・・・ 1941年12月7日(日本時間では8日)、
12月11日ヒトラーの対米宣戦布告、
ヒトラーのナチ党幹部に対する演説(12月12日)
1942年1月1日、26か国による連合国宣言
ソ連以外のヨーロッパ諸国のユダヤ人を「東方へ移送」
・・・しかし、いまは、戦局の実態からして、移送可能な状況は皆無。
「移送」、「移住」は、まったくの名目のみとなる。
この段階で、軍事同盟国日本の真珠湾攻撃
(ヒトラーが対ソ戦で勝利することを前提にした対米強硬路線・開戦)、
これに軍事同盟国の約束として、ヒトラーは対米戦布告、
まさに、世界戦争、これが始まった。
(しかも、ヒトラーにとって都合のいいことに、直接的にはドイツ以外での
日米対決⇒日米戦争の開戦、
アメリカ=アメリカ(米英の)のユダヤ勢力に戦争責任を擦り付けるに絶好)
世界戦争とヨーロッパ・ユダヤ人(世界戦争発動者として)の絶滅とを結びつけること
こそ、ヒトラーの一貫した発想。
「移送」、「疎開」、「移住」は、基本的に(労働投入される一部のユダヤ人を除き)、
「絶滅収容所への移送・移住」 、すなわち、大量ガス殺。
第6章目次
はじめに
1. 独ソ戦下総督府ポーランドの全体状況
2. 体系的大量殺害への道
3. 臨界状況の総督府と1941年12月中旬の根本的転換
4. 総督フランクの閣議総括演説――「ドイツ民族防衛のため」のユダヤ人殺戮
5. 世界大戦・総力戦の死闘とヴァンゼー会議
6. ラインハルト作戦の段階的急進化
(1)大量殺害の第一段階 1942年3月から6月
――春・夏の総攻撃の総体的力学のなかで
(2)大量殺害の第二段階 1942年7月から12月
――スターリングラード攻防戦の総体的力学のなかで
結び――ポストコロニアルの忘却の大河に抗して
ロシアのウクライナ侵略戦争・・・
ヒトラーの段階的膨張・侵略戦争との類似性・共通性を想起させる。
テキスト作成以後の論文:「アウシュヴィッツの歴史的文脈」
(次の著作の構想、その柱のいくつかの章)
①「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942‐1945」
『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐1、PdfPdf.
②「第三帝国敗退最終局面とハンガリー・ユダヤ人の悲劇
――1944‐1945大量殺戮の歴史的文脈」
『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐2・3合併号。PdfPdf
参考:
映画(今ではDVDあり、たとえば横浜市大図書館所蔵)『サウルの息子』
(上映当時、予告編:映画『サウルの息子』公式サイト|)
この映画の迫力の土台は、殺戮に酷使されたユダヤ人コマンド(特務班)による文書
ユダヤ人死体処理班ゾンダーコマンド(特務班)が死を賭して
ビルケナウ収容所地下に隠した文書類について・・・
拙稿 『週刊読書人』掲載書評(2019年7月19日号掲載)-:
ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ
『アウシュヴィッツの巻物―証言資料―』
(二階宗人訳、みすず書房、2019年5月10日刊)
この「証言資料」のもっとも有名・ショッキングな写真
・・・「ビルケナウの闇」(現代絵画の素材)
囚人が死を賭して、撮影した屋外での沢山の死体、焼却作業の場面
③「独ソ戦・世界大戦とドイツ・西欧ユダヤ人の東方追放
――「ユダヤ人問題最終解決」累進的急進化の力学――」
『横浜市立大学論叢』人文科学系列、74‐1
(高橋寛人教授退職記念号)投稿
(2022年8月31日・・・2023年月現在、印刷所入稿)。
この論文に挿入した地図(ドイツと保護領ベーメン・メーレン、
1941〜1945)、参照されたい。