20091202講義「ファシズムと第二次世界大戦」に関する質問等へのコメント(20091209

                                  

講義と配布した統計資料(戦時捕虜の死亡率)、写真等の史料(ミンスクにおける処刑場面)、地図(1944-45年におけるドイツ人の難民、非追放民)などを見て、第二次大戦、ポーランドやソ連などに関して「認識を新たにした」との多くの感想。

以下の内容について詳しくは、研究室HPホロコースト講義、参照されたい。

1. ヒトラーと民衆との関係

a.    ヒトラーの思想との共鳴関係・重なり具合・・・多様・多段階・・・ヒトラー・ナチ党幹部・親衛隊ヒムラーハイドリヒ、その他)、一般党員と国民大衆での違い。

   

b.    時期・段階による変化

1929-1932年、ナチ党躍進期(恐慌期)→19331月、ナチ党政権誕生時→19331-19348月、一党体制・独裁化進行段階(左翼政党の弾圧・禁止から始めて中道政党・右翼政党の統合)→1933-1936、軍需主導による景気回復(ただし、赤字財政・政府負債の累積)・・・民主主義的課題の実現課題(「悪しき平和」の克服過程、主権回復、再軍備など)→総統神話の形成過程19399月戦争への突入→19399月から1940年夏の電撃戦段階における総統神話の絶頂期19416月以降、独ソ戦・世界大戦・総力戦へと展開→その敗退過程(194112月対米宣戦布告、1942-43年、スターリングラード敗北1943年夏、クルスクの大戦車戦における敗北→その後のドイツ軍、連戦連敗1944年春から夏、ソ連軍のドイツ国境突破の進攻段階・・・1944720日、軍人・保守政治家・労働組合活動家・宗教家などによるクーデター計画「ワルキューレ」作戦=ヒトラー暗殺計画(失敗)・・・民衆の絶望化・離反。しかし、第一次大戦のような革命状態にはならず(革命による戦争終結の帰結は?再度のヴェルサイユ体制?)。民衆の「まひ状態」

 

詳しくは、拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年を参照してください。 

 

2. ユダヤ人大量虐殺はなぜ起こったのか?

攻め込んだソ連での諸困難(ドイツ軍の被害増大、ソ連の人々の抵抗の増大、例示:キエフ郊外バビ・ヤールでの虐殺)、さらにアメリカという巨大な国家との戦争によるドイツの負担の飛躍的増大、ドイツの主要都市などへの連合軍の爆撃。

 生命の危険、住宅・食糧・衣料など全生活物資の窮乏化・・・第一次大戦では、労働者のストや革命気分の基盤・・・戦争末期まで可能な限りドイツ人を飢えさせない政策・・・占領地などからの生活物資の調達・略奪・・・ユダヤ人の生活物資のはく奪。転換点=194112月、日本の真珠湾攻撃→ヒトラーの対米宣戦布告→世界大戦・総力戦

 

  詳しくは、上掲の拙著、および拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994年、『ホロコーストの力学−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−』青木書店、2004年を参照してください。

 

3. 「真の平和とはなんだろう。敗者には、ドイツのように復讐心が芽生え、また次の戦争へと」・・・・1945年以降、アメリカ陣営とソ連陣営の冷戦体制となったが、そのなかで、ドイツは平和的なヨーロッパとの融合・親交の道を選んだ。ヨーロッパの平和的統合!!(1945年以降のヨーロッパ統合社会史-背景・論理・展望-

 1989年のベルリンの壁の崩壊(平和革命)は、まさに、ドイツが信頼される国家、復讐をしないことが最終的にヨーロッパの人々を納得させた段階を意味する。

戦後ドイツの人々は、ヒトラー・ドイツの行ったことを反省し、ユダヤ人大量虐殺を直視して、二度とふたたび同じ道を歩まないように、必死の努力をした。ドイツいたるところに、多数の戦争記念碑・反省の印

 

4.ナチス原爆開発の進展度(結果的には、挫折、しかしなぜ)