2003年12月前半日誌
2003年12月15日 本学の「大学像」では、幾多の反対決議や異論が各学部・研究科から出されているにもかかわらず、大学院の廃止・縮小や研究費の廃止が打ち出され、それが、あたかも「大学からの意見」のように取り扱われている。都立大学と比べて明らかなように、学長が毅然とした態度を取らないことがその根拠となっている。こうして、大学内部が割れているのに対して、たとえば東大声明は、大学が一致して文部科学省や財務省に訴えるものとなっている。本学ではいくつもの学部の反対決議などがあっても、耳を傾けないプロジェクトR幹事会の「大学像」が押しきられ、「大学の態度」としてまかり通っている(『自作自演の茶番劇』:03/12/01横浜市が“大学側”改革案の全面的受け入れを表明2003年12月4日 大学院総合理学研究科 佐藤真彦)。これをこのまま放置はできないだろう。それが、名誉教授等の有志声明(12月18日に記者会見で社会にたいし公表することが予定されている)の意味である。学長は耳を傾けないだろうが、問題は大学内外の世論である。世論にたいしては、情報を提供することがまず第1である。
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東大声明
平成15年12月9日
国立大学協会の緊急要望に関する意見表明
今回の国大協理事会の緊急要望の内容は、私たちの抱いている危機感と軌を一にしてい
る。
東京大学は、世界最高水準の教育・研究を維持・発展させることを目標とし、日本国民
と人類の未来に貢献したいと願い、各分野の指導的人材を養成しようとしている。
私たちは、今回の国大協理事会の姿勢を支持するとともに、政府に対して、日本の未来
を創る高等教育と学術・研究の条件整備に取り組むよう改めて訴えるものである。
大学制度の改革は、国の将来に甚大な影響を及ぼす大問題である。「教育立国」、「人
材立国」あるいは「科学技術立国」という国の根幹に関わる問題である。
周知のように、国立大学は来春4月より国立大学法人というまったく新しい運営組織の
もとで、再スタートを切る。国立大学法人法の成立は本年7月。わずか8ヶ月という短
期間の中で、明治以来の大変革を成し遂げなければならない。東京大学は、「学問の自
由に基づき、真理の探究と知の創造を求め、世界最高水準の教育・研究を維持・発展さ
せること」を基本目標として本学憲章に掲げている。この基本精神を、法人化という高
等教育制度の重大な変革を最大限に生かし実現するために、東京大学は周到な準備を行
ってきた。
しかしながら、いま来年度予算案の作成が急ピッチで進むなか、そもそも「国立大学法
人」とは、単に支出減らしの安易な便法とした発想ではなかったか、と疑わざるをえな
い事態が生じている。
この法人化の目標は大学運営に対する省庁の瑣末な関与を極力排除して、大学の自律性
を高め、我が国の大学を国際競争に耐える一層質の高いものにするという点にあっ
たはずである。そして、国立大学法人の予算については、六年間の中期計画の達成度と
改革の実績を評価し、それに応じて資源配分を変えていくというのが共通の了解であり
、そのために、既に、法律に基づいて国立大学法人評価委員会が発足している。
独立行政法人通則法と切り離し、国立大学法人法という独立の法律を作り、「教育研究
の特性への配慮義務」が定められたのもこうした精神に基づいていた。然るに、この法
人の出発さえ見極めがつかないうちに、将来の運営費交付金の一律削減計画が文部科学
省と財務省との間で練られている。予算案作成の技術的課題として、調整係数を毎年設
定できること、附属病院はほぼ独立採算制のもとにおかれること、など極めて大きな影
響を将来に潜めた案が作成され、平成17年度から実行に移されようとしているのであ
る。
これは明白な約束違反であることはいうまでもない。その上、計画中の案が実施された
場合、日本の高等教育、学術・科学技術研究の基盤の強化を図るという、国立大学法人
化の当初の目的とは全く異なる結果をもたらすことは確実である。むしろ、単に政府の
支出減らしのために国立大学法人法を作ったのではないかという当初からあった批判が
実証されることになるであろう。
日本経済・社会の将来設計の根幹にあるべき、学術の発展について、国家戦略も無く、
単なる予算の数あわせに堕し、学術の中身とは無関係に機械的に削減率を決め予算配分
を決めようとしている志の低さが問題なのである。
国民の税金をどのように有効に用いるかについては慎重かつ責任ある議論が必要なこと
はいうまでもない。グランドデザインなしに、目先の官僚的技術論によって事柄を処理
するのは最悪の事態である。国立大学の費用の最終的負担者であり、またその活動の受
益者である国民が明確に理解できる形で国立大学予算のあり方を公開の場で議論するべ
きである。時間的余裕がない中、そうした議論を行う余裕がないということなら、少な
くとも、国立大学法人の発足後、17年度以降の予算のあり方については、17年度予
算編成との関連で十分時間をかけて検討するべきである。
東京大学は、世界最高水準の教育・研究を維持・発展させることを目標とし、日本国民
と人類の未来に貢献したいと願い、各分野の指導的人材を養成しようとしている。
国は本学をはじめとする国立大学が、この使命を達成しようとしている努力を無にする
のではなく、逆に日本の未来を創る高等教育と学術・研究の条件整備に取り組むべきで
ある。
東京大学 大学院法学政治学研究科長 菅 野 和 夫
大学院医学系研究科長 廣 川 信 隆
大学院工学系研究科長 大 垣 眞一郎
大学院人文社会系研究科長 稲 上 毅
大学院理学系研究科長 岡 村 定 矩
大学院農学生命科学研究科長 會 田 勝 美
大学院経済学研究科長 神 野 直 彦
大学院総合文化研究科長 浅 島 誠
大学院教育学研究科長 渡 部 洋
大学院薬学系研究科長 桐 野 豊
大学院数理科学研究科長 薩 摩 順 吉
大学院新領域創成科学研究科長 河 野 通 方
大学院情報学環長 原 島 博
大学院情報理工学系研究科長 田 中 英 彦
医科学研究所長 山 本 雅
地震研究所長 山 下 輝 夫
東洋文化研究所長 田 中 明 彦
社会科学研究所長 仁 田 道 夫
社会情報研究所長 花 田 達 朗
生産技術研究所長 西 尾 茂 文
史料編さん所長 石 上 英 一
分子細胞生物学研究所長 宮 島 篤
宇宙線研究所長 吉 村 太 彦
物性研究所長 上 田 和 夫
海洋研究所長 小 池 勲 夫
先端科学技術研究センター長 南 谷 崇
大学総合教育研究センター長 岡 本 和 夫
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2003年12月13日 大学院生のつぎのような声が寄せられた。ここに公開し、学長、研究科長にも伝えることにしたい。
-----大学院博士課程の廃止に反対--------
『さて、博士課程廃止の件ですが、もちろん大反対です。学部がまだどうなるかよく分かりませんが、リベラルアーツ的なものにするとするならば、なおさら大学院での専門性を確保する必要があると思うのですが。博士課程はどの大学にもあるわけではありませんので、その優位性をわざわざ放棄するするなんてどういう意図なのか分かりかねます。予算等のことが関係しているとするならば、はっきりいって良い待遇を受けてるわけではないので、たとえ廃止しても何の金銭的なメリットもないと思います。
横浜市立大学は社会的な評価で決して悪くないと思います。それをわざわざ縮小整理するなんて。もちろんこの時勢ですから拡大していろ
いろなものを新たにつくるなんてことはできませんが、質を落とすようなことは絶対にしてはならないと思います。企業でもなんでも1度イメージを下げると立ち直ることは難しいと思うのです。」
と抗議の声をあげている。
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2003年12月12日 国立大学法人もいまや大変な事態に直面しているようである。新首都圏ネットワークの最新情報では、つぎのようである。
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新首都圏ネットワーク |
国立大学法人法の凍結を求める |
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しかし、注意すべきは、財政削減などにたいして、学長(国立大学協会)が、研究教育の責任者として明確な態度を表明しているということである。ここにこそ大学の自律性・自立性・主体性がある。研究教育上の使命を果たすことに最高責任を持つもの(学長)が全学の本質的要求を基礎にして、行政、国会、社会(日本国民)に訴えているわけである。上意下達主義の行政関係者が法人の長になっていたりしたら、こうした態度表明ははたしてできるだろうか? 大学の抱える問題を率直に行政当局や議会、社会に訴えることが可能だろうか? よくよく考える必要がある。
独立行政法人化への移行は、基本方向としては選択するにしても、国立大学法人が抱える問題をじっくり1-2年見据えて、その間にしっかりした制度設計(定款作成)を行うほうが無難ではないか? ほぼ全学部・研究科の意見や決議において、理事長と学長を分離する案には反対であり、学長=理事長とすべきだと主張されている。その学長の元に経営評議会と研究教育評議会を置けばいいのである。こうしたことを煮詰めるためにも時間が必要ではないか?
本学ではさしあたりは、研究教育システムの変更くらいを煮詰めるだけにしたほうがよくはないか? いずれにしろ、事態は決定的に重要な段階にさしかかっている。これまでの進め方、今後の進めかたに関して学長の責任をはっきりさせるべきである。学長は、これまでさまざまの機会に全学的な説明集会等を求められても応じてこなかった。学長・事務局長は全学にたいする説明責任を果たしていないといわなければならない。
その意味で、名誉教授等と現役教員の有志が賛同者を募っている声明(本日現在、44名ほど)に多くの賛同者が加わることを期待したい。従来にない現役・OB教員の多数の賛同を持って学長に迫る必要はないか?それを社会に示す必要はないか?
「都立大学法学部教授が4名、トップダウン改革への抗議辞任」と今朝の新聞で報道されたが、署名はそうした重い態度表明ではなく、あくまでも学長の主体的責任を問い、学長に説明責任を果たすよう求める(もちろんそれができなければ学長失格となろう)ものだからである。
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2003年12月11日(2) 先日の日誌(12月5日参照)で、事務局長の部局長会議における「恫喝」が会議翌日あたりからひそかな噂になって徘徊していることを書きとめておいた。その新しい情報をえた。それによれば、
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「市長に出した改革案を実行するのが部局長の役割だ。部外者・市議などに情報を漏らすのなどは懲戒ものである。各自、決意を表明しろ」だったそうです。
気まずい雰囲気になって、柴田副学長が「皆。そのつもりだから・・」と取りなしたそうです。
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一体いかなる情報が秘密なのか?
任期制、人事委員会制度などは法律的に問題があると公然と教授会決議・声明などで指摘されていることである。本日の日誌でも整理してみたように(Cf.教授会等審議機関の決議などのリスト、より詳しい決議や意見表明のリストを総合理学研究科・佐藤真彦教授が作成した)、重大なポイントで決定的な問題提起が各学部・研究科からなされている。
それら諸決議は瑣末な問題についてではない。大学・学部・研究科の運命にかかわることである。重大な問題を残しながら、期限に迫られて(「期限」の設定がはたして適切であったかが問題でもあるが)押しきった以上、その揺り返し、その反動がいろいろなかたちで出てくるのは必然である。大学は、恐怖政治の独裁国家ではないのだ。学部長・研究科長が学部内・研究科内の意見を反映し、「大学像」に基本的なところで賛同していない部分があることこそ、問題の根底にある。各学部・研究科の長、そして学長は、市長の単純な行政マンではない。事務管理職とは違うのだ。大学の固有の使命を達成する上で、慎重な配慮を粘り強く行うのは義務である。事務局管理職の上意下達主義を大学の教育研究組織の管理職にまでストレートにあてはめるということが既に、行政の不当な大学への介入を意味する。
各学部、各研究科の部長・科長は、研究教育に責任をもち、まさにそうした教授会(大学の使命であり本務である研究教育の担い手)の重大意見を適切に表明する義務をこそ負っている。そうした教授会審議の結果を広く周知させることは、むしろ、ありうべき別の選択肢を大学内外に知らせ、それによって大学を誤った方向に導かないために、あるいはより適正な方向に向けるために、より適正な手順で実現していくために、むしろ進んで行うべきことではないか?
一体いかなる情報を漏らすと「懲戒」なのか?
このような「恫喝」こそ、大学関係の諸法律、憲法、教育基本法、学校教育法にてらして、処罰ものではないのか? 地方独立行政法人への移行問題に関して、国会の付帯決議が「大学の自治」「学問の自由」、大学の自立性・自律性を脅かさないようにと釘をさしたことの意味は、まさにこのような「恫喝」を許さない、行政の不当な介入を許さない、ということではなかったのか?
この「恫喝」のなかに、既に今回の改革の進め方、「大学像」のなかみを貫く問題性が象徴的典型的に露呈していないだろうか?
現在ですら(現行学則は法律に基づき、学長が事務局長を統督することになっている、学長は特別職であり、ある意味では市長と対等の立場にある、その地位こそ大学固有の使命=学問・科学・真理のみを基準として、その時々の行政から不羈独立性を保つ本質と関係する)、こうした「恫喝」があるとすれば、理事長の元に学長を服させる法人のシステムでは、おそるべきことになりはしないか? 事務局責任者主導で作成した「大学像」は、まさにそれをねらったものではないか? その点に警告を発してはいけないか? これは個人の問題ではなく制度の問題であり、大学の運命、大学の本質に関わる問題である。
国立大学法人法、および公立大学法人法の本則に従い、理事長=学長とし、学長=理事長が経営評議会と研究教育評議会を統括し、その経営評議会のなかに経営専門家の理事をいれる、ということは難しいことではない。学長が理事長として経営にも責任を持つ立場から、主体性と決定権を持ちながら、市長と交渉し、その経営担当理事に市の行政経験者を依頼することもありうるだろう。それは必要不可欠でもあろう。いずれにしろ、独立した大学(法人)の長は大学の本来的使命を担う研究教育の最高責任者である学長でなければ、本当の意味での大学の自律性・独立性はないことになろう。
それが全国80近い国立大学(法人)のシステムでもある。それを否定する理由などない。(学長独裁制への危険など、国立大学法人にも問題性があることはもちろんだが)。
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2003年12月11日 教員組合・藤山委員長がこれまでの教授会等審議機関の決議などのリストを作成した。「あり方懇談会」答申(2月)、それを受けた学長見解(「あり方懇答申に対する要望」4月)、3ヶ月間ほどの徹底した秘密会議でまとめられた「大枠」(8月18日)、これらにたいする教授会等の意見表明を形式的に受けたあとの「幹事会案」や「大枠整理(追加)」(9月)、そして最後にまとめられた「大学像」(10月末)にいたる諸段階で、各学部・教授会が意見や批判を表明していることが明らかである。それらが少なくともいくつかの決定的に重要な点で「大学像」に反映していないことも各決議から明らかである。念のため,ここに決議リストをコピーし、当該文書にリンクをはっておこう。これらを踏まえるとき、全学教授会(医学部や看護短大も含めて)の開催とそこでの徹底討議が必要ではないかと思われる。すくなくとも、商学部は、早い段階で、「大学像」と「設置者方針」で統合される3学部の全体教授会を開催すべきではないかと提案していた(本日誌9月前半参照、とくに9月12日)のであり、商学部として国際文化学部,理学部に合同教授会を呼びかける機は熟しているのではないか?「設置者」を代表すると称する大学事務局長、そして「設置者」に「大学像」を提示した学長が、全学教授会で,全教員の異論や危惧に対してきちんと説明し、基本的な点での合意(確認事項)を取り付けるのが筋ではないか? 現行法規における教授会権限,評議会権限(学則を規定する学校教育法等の法律体系)からして、重大な組織変更にたいしては、きちんと審議事項として設定する必要があるのではないか。
---------教授会・研究委員会の決議等リスト--------
教員組合委員長(藤山教授)作成リスト(2003・12・10)
(ここでの当該文書へのリンクは永岑ができるかぎりで作成)
「あり方懇」最終答申(2003年2月27日)以降の
横浜市立大学の各教授会における改革案関連の決議・意見・見解など(一覧)
*「あり方懇」答申についての国際文化学部教授会見解(3月20日)
*「あり方懇答申に対する要望」に関する総合理学研究科委員会の学長への要望書(5月1日)
*「あり方懇答申に対する要望」に対する商学部教授会決議(5月1日)
*「あり方懇答申に対する要望」に対する国際文化学部教授会決議(5月1日)
*「大枠」についての商学部教授会における意見(8月21日)
*「大枠」についての理学部教授会における意見(8月25日)
*「大枠」についての国際文化学部教授会における意見(8月25日)
*「大枠」についての総合理学研究科八景研究科委員会における意見(8月28日)
*「大枠」についての看護短期大学部臨時教授会における意見(9月5日)
*「幹事会案」に対する商学部教授会見解(9月11日)
*「大枠整理(追加)」についての国際文化学部教授会の意見表明(9月29日)
*教員任期制導入に関する商学部教授会意見(10月2日)
*人事委員会と教員任期制導入に関する商学部教授会意見(10月20日)
*「新たな大学像」についての国際文化学部教授会の決議(10月21日)
*臨時評議会の運営と大学改革案策定に関する国際文化学部臨時教授会の遺憾表明(10月28日)
*大学改革案に関わる商学部教授会の意見(11月6日)
*「大学像」に対する木原生物学研究所教授会の意見と要望(11月13日)
*「大学像」に関する医学部教授会有志の要望書(11月21日)
*改革案に対する国際文化学部臨時教授会決議(11月27日)
*大学改革案に対する商学部教授会の要望(11月28日)
横浜市立大学教員組合
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2003年12月10日(3) センター入試手当に関する件で教授会で問題になったが,その件で,教員組合が学長に申し入れ(「質問書」提出)を行ったようである。いずれ,その結果も明らかとなろう。勤労とそれに対する手当に関しても、一般の民主主義原則と関係諸法律に従わなければならず、当局の一方的な事務的処理は許されないのであり、ルールに則った適正な処理が必要である。
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2003年12月10日(2) 各学部教授会・研究科委員会による決議[1](さしあたり8月下旬以降の最新のもののみで、「大学像」・その諸重要項目に関する反対意見等)を一覧にしてまとめてみた。
その後、あらたに、医学部教授の過半数の署名で学長に要望書がだされていたことを,教員組合の情報で知った。委員長からのメールには次のようにある。
「組合員の皆さん 仄聞するところによると、医学部教授会の有志が小川学長宛の「要望書」を提出しました。これに対し、「学長は、『要望書を充分認識、配慮して、今後対応して参ります』と申されました。以上取り急ぎご報告申し上げます。」という医学部長の連絡文書が医学部教授会構成員に回覧されました。以下の「要望書」の文言は、教員組合の責任において記述したものです。ワードで添付します。なお、署名者の医学部教授22名は医学部教授会人数の過半数となります。」
噂では、医学部がこの要望書のような見解であると耳にしていたが、初めて明確に文書で,その内容を確認できた。非常に貴重な意見である。すなわち、この医学部の過半数の教授の署名による要望書(11月21日)は、学長と理事長の分離に反対であり、国立大学法人法と同じく,学長=理事長とすべきことを主張し、また、人事への外部からの介入に道を開く人事委員会の構成にたいする反対を明確に示している。
全学的な意思,「大学の総意」という点では、「大学像」の「学長と理事長の分離」案,「人事委員会制度」案に賛成している学部はないことが、これで明確となった。
「大学像」が、決定的に重要な点において、「大学の総意」などではないことはここからも明確である。この要望書は、大学の立法と統治のシステム、大学の人事と予算のシステム、したがって大学の自律性・自立性に関する決定的に重要な二つの点での意思表明であり、このHPに関心のあるみなさまの注意を促したい。
--------8月下旬以降・最新決議等一覧---------
「大学像」策定過程と「大学像」にたいする学部教授会・大学院研究科委員会等の決議・見解等
1. 第3回大学改革推進・プラン策定委員会報告についての総合理学研究科(八景委員会)意見
2. 「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」に対する商学部の見解(10月20日)
3. 「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」に対する国際文化学部の決議(10月21日)
4. 2003年10月28日の国際文化学部臨時教授会決議(評議会審議の問題性)
5. 03/11/13木原生物学研究所教授会意見書03-11-25
6. 全教員任期制反対など国際文化学部教授会決議(2003-11-27)
7. 「大学改革案に対する商学部教授会要望」(2003-11-28)
8. 教授会自治を尊重し、きちんと審議し、態度表明を!―教員組合の申し入れ(2003‐9-3)
9. 「大学像」の重大な問題点―学長批判―(2003-10-30教員組合)
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このような多様な公式の見解(批判や危惧,異論)が示されていても、学長や副学長は,総合理学研究科の「対話集会」では、「大学像」(それを受けて設置者の方針が示されたとされるが)を、「大学の総意」を結集したものといっているのである。いかに形式主義であるかがわかるであろう。
諸決議を読みなおしてみて、あらためて、「大学の総意」なるものの実態を確認し、驚きを禁じえない。こうした学内外の真剣な意見・反対を受けてこそ,市議会でも各党派の議員から実に多様な疑問点が示された(下記、市会討議報告は,教員組合がそのほんの一部をまとめたものだが、それ参照されたい) のであり、そこに示された意見(横浜市民の意見を代表するもの)に市当局は慎重に対処すべきだろう。
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横浜市議会・大学教育委員会(2003.12.01)の傍聴録(PDF版)(20031209掲載) -------------医学部教授有志要望書------------- 横浜市立大学学長 小川恵一先生 要望書 医学部教授会では、「横浜市立大学の新たな大学像について」(平成15年10月29日)について討議し、以下の通りの意見がありましたので、この点につき宜しくご配慮頂きますようお願い申し上げます。 <学長と理事長の分離案について> 今回の案では、学長を副理事長とし、経営側の理事長の下に経営側副理事長と同格に置き、教学側の権限の制限が理事長の下、可能となっています。 これは今回、国会で成立した「地方独立行政法人法案に対する衆議院附帯決議」で述べられている「公立大学法人の定款の作成、総務大臣及び文部科学大臣等の許可に際しては、憲法が保障する学問の自由と大学の自治を侵すことのないよう、大学の自主性、自立性が最大限発揮しうる仕組みとすること」に反する結果となりかねません。 従って、大学のトップは国立大学同様、学長一人とし、その下に経営組織と教育研究組織が置かれるべきであると考えます。「この体制をとることが、大学の経営圧迫の原因となる」という論理が成り立たないことは、国立大学では統一として、学長と理事長を一人で兼ねることになっていることからも明白です。 <教員の人事を決定する人事委員会に経営審議機関や学外有職者を構成員として加えた案について> 教員人事の決定に際して経営側が加わることにより、「学問の自由、大学の自治」の根幹をなす、教授を始めとした教員の人事に、経営審議機関(法人化後も設置者からの運営交付金などの関係から行政側の色彩が濃いと思われる)という行政側の干渉の可能性を許すことになることが懸念されます。憲法23条(学問の自由は、これを保障する)や教育基本法10条(教育は不当な支配に服することなく、国民に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政はこの自覚に下に教育の目的を遂行する可能性のある必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない)に違反する内容であります。 国立大学法人法でも「教員人事に関する事項」を、大学の教育研究に関する重要事 項を審議検討する「教育研究評議会」の審議事項としています。今回の案では、学問の自由や主体性を守り、国民に対して独立して責任を持っことが不可能になる可能性が大きいと考えますので反対いたします。 以上の諸点を御考慮の上、慎重に対応くださいますようお願い申し上げます。 平成15年11月21日 医学部教授会有志 (教授有志22名 署名) |
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2003年12月10日 東京都のトップダウン的な大学「改革」・新大学構想の具体化プロセスは、設置認可といった決定的な点で、タイムスケジュール等問題がありそうである。この点は,本学の今後の評議会,教授会における改革論議(「設置者」方針の受け止め方と進め方)とも密接に関連する。以下に,自由法曹団の文部科学省に対する公開書簡を引用しておこう。
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自由法曹団東京支部支部長から文部科学大臣への公開質問状12/8
http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/jiyuhosodanshitsumonjo12.8.htm
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質 問 状
2003年12月8日
文部科学大臣殿
自由法曹団東京支部
支部長 松 井 繁 明
#(連絡先
略)
いま、東京都立4大学の統廃合問題が社会的に注目されています。
これは、本年8月1日に、石原慎太郎東京都知事が、「新しい都立
の大学の構想について」(以下、「構想」という。)を突如公表し
たことに端を発しています。
「構想」は、その手続において唐突かつ強権的であるのみならず、
その内容においても、大学人の協議を全く行わないままに、「都市
教養学部」や「エクステンションセンター」の設置を打ち出すなど
しており、これらのことが、大学関係者のみならず、受験生や父母、
高校などにも不安と混乱をもたらしています。
教職員にとっては、今後の仕事のあり方、身分・雇用にかかわる
重大問題であります。また、都の「新しい大学の学部構成・入試概
要のお知らせ」には「※文部科学省への設置認可申請の結果等によ
り、記載内容が変更となる場合があります。」、「※学部・学科・
コースの名称は、いずれも仮称です。」との記載があり、受験生、
父母、高校などは、きわめて不安的・不確定な情報にもとづく進路
選択を余儀なくされているのです。
そこで、新大学の認可を所管する貴殿に対し、下記の点を明らか
にすることを求めます。ご回答は2003年12月25日までに文
書でお願いします。
記
第1 都の「新大学設立までの主なスケジュール」によると、「文
部科学省事前相談 書類提出11/26〜1/5」、「審査1/1
9」、「新大学設置認可申請(4月末)」、「新大学設置認可(7
月末)」、「新大学・法人設立(4月)」とされている。
1 すでに、事前相談の書類は提出されているか。
2 2004年1月19日が審査という日程に誤りはないか。
第2 現在、都立4大学では、新大学設置構想が現行大学の代表者
が参加できないままにすすめられ、かつ、教職員の雇用不安が生じ
ている。これらの事態は広く報道されているのですでに承知のこと
と思うが、このような不正常な状態での新大学認可はありうるのか、
あるいは認可にあたって何らかの指導をする意向があるか。
第3 第1に記載した新大学設立のスケジュールについて
1 4月末申請、7月末認可という日程は、教員審査が省略され
る場合しかありえず、仮に教員審査を行えば、都のスケジュー
ルは成り立たないと考えるがどうか。
2 今回の都立の新大学の場合は、教員審査が省略されると承知
してよいか。その法的根拠を併せて教示されたい。
第4 都大学管理本部「新大学の大学院設置時期及び現大学等の取
扱い、経過措置等について」(平成15年10月31日)によると、
「○都立新大学の新たなコンセプトに基づく大学院を平成18年度
に開設する。」、「○新大学における大学院教育・研究のあり方
(分野の設定、カリキュラムの組み立て方、教員組織等)を今後十
分に検討の上で、詳細な制度設計・再編成を行う。」、「○17年
度においては、暫定的に現都立4大学の大学院構成を新大学の大学
院として設置し、学生を募集する。」とされている。要するに、平
成17年度は、学部は新大学だが大学院は現行大学院ということに
なる。
1 このような形態で認可することは可能か。可能とすれば、そ
の法的根拠は何か。
2 同様の形で認可した前例があるか。
第5 地方独立行政法人法の付帯決議は、「公立大学法人の定款の
作成、総務大臣及び文部科学大臣等の認可に際しては、憲法が保障
する学問の自由と大学自治を侵すことのないよう、大学の自主性、
自律性が最大限発揮しうる仕組みとすること。」と明記している。
ところが、新大学への統合・移行は、現行都立4大学の教授会・
評議会に諮られることもなく都の独断専行で進められている。本件
認可審査に際して、前記付帯決議に照らして、貴殿としては、学問
の自由と大学自治を守るため、いかなる措置をとる考えか。
以 上
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2003年12月9日(2) 本日受け取った下記情報によれば、総合理学研究科・佐藤真彦教授の論説「自作自演の茶番劇」が、全国に紹介されている。
Academia e-Network Letter No 38
(2003.12.07 Sun)
http://letter.ac-net.org/03/12/07-38.php
ログ:http://letter.ac-net.org/log.php
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2003年12月9日 都立大学史学科の大学管理本部にたいする抗議声明(東京都大学管理本部の情報操作に対する抗議声明)の結果について,下記のようは知らせがあった。コピーしておこう。事実と論理が、大学管理本部の恣意性を浮き彫りにするものとなっている。
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抗議声明への最終的な署名賛同者数は、以下の通りと
なりました。
史学O B 会: 54名
一般賛同者:178名 計: 232名
受付期間が短かったにもかかわらず、多数のみなさまに
ご賛同をいただき、大変有り難く思っております。
どうもありがとうございました。
みなさまからご署名をいただきました抗議声明は、12月5日
にOB会事務局の三品、泉谷、野口、後藤、尾崎の5名で、
都庁大学管理本部に提出して参りました。また、都庁記者
クラブのマスコミ計22社のポストに、幹事社の許可を得て、
声明文の写しをポスティングいたしました。
抗議声明を提出する際に、大学管理本部副参事山本氏
及び係長飯村氏の二名と、2時間弱にわたる会談を持つ
ことができました。概要については、以下にまとめましたので
ご一読ください。
なお、ご意見・ご質問などがございましたら、下記のアドレス
までお寄せくださいますよう、よろしくお願いいたします。
Jimukyoku-shigaku-owner@egroups.co.jp
=========================
Q1)この「『新しい大学の構想』に至る検討の経緯とその後
の経過」のHPは、大学管理本部の責任の下に作成され
たのか。
A1)その通り。
Q2)このページの内容を読むと、大学管理本部には一切の
非はなく、都立大学人文学部に問題があるように受け止
められる。これはおかしくないか?
A2)都立大学人文学部に問題があるというようなことは記
載していない。事実を箇条書きにしただけ。
Q3)確かに事実かもしれないが、改革の流れを示す際に、
一部の事実を切り取って提示すれば、誤った像になる
危険性があることくらい分かるはずだ。たとえば、7月31日
までの検討体制に大学管理本部が加わっていたことを
記載していない。
A3)こちらで重要と思われる事実をピックアップして、淡々
と示した。全ての情報を入れると煩雑になり、誰も理解
できなくなる。
Q4)今次、都立の大学改革問題において、大学管理本部
の非はないと思っているのか。
A4)こちらで作成するページ内容の中で、自己否定をする
ことはできない。こちらの認識に基づいて内容を構成した。
Q5)それで行政の中立性が保たれていると言えるのか。
A5)・・・
Q6)「都立大学等の動き」においては、明らかな誤りがある。
これは直ちに訂正していただきたい。
A6)(8月29日学長意見聴取と、3大学が教授会で賛意を表
明したとする件。こちらから説明した結果、誤りであること
を認めていただく。)
Q7)「都立大学等の動き」において、各所から出ている抗議
声明を一切記さず、総長と都立大人文学部の声明のみ記
すのは何故か。
A7)都立大総長、三大学学長、都立大人文学部教授会など
は、都に所属する公の立場にある人たち。その人たちの意
見表明は非常に重くとらえているため。任意の団体から出
されるものとは異なる。
Q8)そうであるならば、任意団体が開催した「緊急シンポジウ
ム」を記載するのは何故か。情報の取捨選択が恣意的と見
られても仕方がないのではないか。
A8)確かにそうかもしれない。検討する。
==========================
以上のやりとりを通じて、大学管理本部の方には、誤った記載
があったこと、情報の取捨選択に恣意的と見受けられる点が
あったことについて、おおよその所、認めていただき、検討をして
いただけることになりました。
こちらから対処法として申し入れたのは、
・訂正=誤りの部分を訂正し、他団体からも抗議
声明が出されていることを記載する。
・削除=誤りの部分を訂正し、「都立大学等の動
き」の箇所を全て削除する。
の二つです。大学管理本部の方からは、検討の結果について、
来週中にご連絡をいただけることになりました。
最後になりましたが、今回の抗議声明にご署名をいただきました
みなさまに、改めて御礼申し上げます。今後ともご支援、ご協力
賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2003年12月8日 史学OB会事務局
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2003年12月8日 総合理学では学長を呼んで、説明会を開催したようである。他の学部や研究科も、このような説明を求める場を設定すべきであろう。教員組合はすでに全学的説明集会を求めている(回答期限は既に過ぎ去ったのではないかと思われるが,学長の返事は?)。統合される三つの学部の全体教授会を開催して,学長はきちんと説明すべきではないだろうか?今まで一度も全学的に説明したことはないのである。「設置者」(を称する行政機関[3])の意のままに,「設置者」(を称する行政機関)のいうとおりに、「改革」案をまとめてきたのであり、そうでないならば、全学的に説明する場を設けることを躊躇すべきではないだろう。
全学の合意の調達なしに、全学の総力を結集できるのだろうか?
総合理学研究科では木曜日に学長との「対話集会」が午後6時から8時半くらいまで開かれた。これに関して寄せられた情報によれば、そこでの学長の発言は、ほとんど、客観的意味を持たない、彼の主観的な気持ちを述べたものばかりだったようである。
客観的に意味のある発言としては、1.看護短大での欠員不補充は、支障が出るレベルになってきた。商学部もそれに近くなっている。2.これまでは、外との関係があったので、学内の意見を集めるという点にスイッチする。
つまり、3学部統合,任期制、人事委員会制度などなど基本的な点については「あり方懇」(外部・行政)路線で,学内を取りまとめていきたい、ということの表明か? それにしても、これまで進めてきたことが,主として外部との関係であったことを議会答弁(「今後は内部に対して」・・・)と同じように、総合理学教授会の前でも認めたということ。それは、大学内部の意見を結集したものではないことを認めたというわけではないか?
同席した柴田副学長は、学長・副学長などの立場を述べたようである。すなわち、「学長は、何も権限がない。幹事会では、いろいろ、議論した。教員の意見が割れることがある。事務はそうでない。そこが難しかった」と。とすれば、一連の流れが行政主導だったことを認め、表明したことを意味しないか? それが事実ならば、まさに、今回の「改革」案作成決定過程が,行政主導であったことを立証する発言である。
他方で、「大学像」を弁護する発言もしたようである。すなわち、「『新たな大学像』は、手続きを評議会で決めたとおりにやっている、これが大学の総意でない、とはどういうことか」といったという。ここではっきりしていることは,「手続き」の形式面である。「大学の総意」とは、内容面である。案の作成過程の秘密主義は一体なんだったのか? どこに大学の総意を結集するための努力があったのか? 総意を結集したというのなら、それによって,秘密主義の結果として作成された「大学像」のどこがどのように変わったのか?
「プロジェクトR幹事会」は、どこで「大学の総意」を結集するための意見聴取の場を設定したのか? 評議会の議論の結果はどのように実質的なものであり,実質的に度のような変更が加えられたのか? これまでの経過を考えてみると、副学長発言には官僚的な形式主義が露呈している。このギャップこそ,今後問題となるものであろう。例えば,大学院に関してはまったくなにも具体的なものがない。現在の院生やOB院生の不安には大きなものがある。私にいろいろ質問され,批判的な疑問が投げつけられても、答えようがない。なにもはっきりしたものが示されていないからである。また,検討をどのような組織でどのように進めるのかも明確ではない。
「大学像」と現在の「設置者の方針」とが、「大学の総意」という言葉で一括されていることに,大学人は注意しなければならない。
「大学像」は、内容的に本当に大学の総意ですか? 「大学像」を受け入れたと称する「設置者」サイドの提案は、大学の総意にてらして,妥当ですか? 本学の大学人が黙っていれば、「それそのとおり」ということになろう。これまで商学部,国際文化で出された決議などはどのように反映されているのですか? 大学の総意を結集するために、学長・事務局長はどのような努力をしましたか?
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2003年12月6日(2) 総合理学研究科の佐藤真彦教授が、「あり方懇」答申(外部意見・市長任命の委員によるもの)→それに従う旨の学長見解→徹底した秘密主義で「あり方懇」答申にあわせた原案の作成→「大枠」作成→学内からの種々の批判を無視→時間切れを理由とする「大学像」の提出・公開→今回の改革案の市による「受け入れ」表明という流れを整理する貴重な意見書をまとめられた。学内での積極的な意見聴取などがない以上、大学の総意を結集するものになり得ないことは明確である。表面的に自立性・自主性をもった「大学改革」案が,「あり方懇」答申の強権的な行政的介入によって筋道をつけられ,タイムスケジュール優先でゆがめられていることを明らかにしている。
大学が真の改革を自立性・自主性を発揮して実現していく道は、きわめて厳しい。学長の態度が,都立大学の場合と違って、大学の自律性・自治の見地に立ち得ていない以上、なおさら厳しい[4]。
これに対して、本学の大学人には,都立大学の人々と連帯しつつ、21世紀初頭にふさわしい大学を構築していくために、いっそうの努力が求められている。大学を自由で創造的で活発なすばらしい最高学府に仕上げていくのは,大学を担うわれわれ教員であり職員であるからである。一方には,大学に言論の自由がないかのような沈黙が蔓延している。だが,他方では、大学における言論の自由の健在を示す痛烈な意見表明がなされている。その佐藤教授の文書の整理を以下にコピーしておこう。
12月4日の商学部教授会で、任期制問題,人事委員会問題など、教員がしっかりしなければ、「自分の首を締めることになろう」とある教授が発言したが、まさにその通りであろう。
任期制や人事委員会問題は、大学人がしっかり対処し,憲法や教育基本法、学校教育法の基本精神,民主主義の精神で修正(取捨選択)しなければ、大学の自治、学問の自由の限りない縮小への道を意味することになろうそうすれば、大学が大学でないことになろう。(任期制が大学の内部から学問の自由や大学の自治を破壊させる危険性は,京都大学再生医科学研究所・井上一知教授再任拒否事件で全国的に明らかになったのであり、任期制の場合の,合理的で民主的な科学的な制度設計が大学人の叡智を結集して行われなければならないだろう[5]。任期制をしっかり検討することなく行政的に導入した結果が、このような大学自治・学問の自由をめぐる憲法的問題を引き起こしているともいえよう。安易な行政主義に対する警戒と批判が必要であろう)。任期制問題などに関する商学部教授会見解は、まさにその大学の自治や学問の自由を守るための貴重な,大学らしい態度である。それを抑止しようとする事務局責任者の姿勢は、その対極にある。誹謗中傷に屈することなく、この筋は守る必要があろう。自由な言論を封殺しようとする傾向にたいしては、商学部教授会の若手のなかからも,健全な反対論がいくつも出され,勇気付けられた[6]。
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『自作自演の茶番劇』:
03/12/01横浜市が“大学側”改革案の全面的受け入れを表明
横浜市は,去る10月29日に小川恵一学長が中田宏市長へ提出した“大学側”改革案を,全面的に受け入れる方針を,12月1日の市議会大学教育委員会における答弁および記者会見で表明した.翌12月2日付け各紙報道の見出しには,【独立行政法人化で3学部を統合 05年に横浜市大 市が受け入れ】(神奈川新聞),【横浜市立大改革案 市がほぼ受け入れ】(毎日新聞 横浜版),【市大の改革案市が受け入れ 教職課程は存続へ】(朝日新聞 横浜版)とある[i][1].
同時に,市大事務局は公式ホームページ[ii][2]に,記者発表資料(「市立大学改革案に対する設置者(横浜市)の基本的な考え方について」[iii][3])を掲載した.
“コワモテ”で鳴る石原慎太郎知事による,東京都立4大学に対する有無を言わさぬ強権的な“改革”(大学解体・破壊)[iv][4]に比べると,“市民派”中田市長のソフトさ・寛容ぶりが際だっているように見えるが,この横浜市大改革も,その実態は,都立4大学の場合と同様の,凄まじい大学解体・破壊であり,市長と市大事務局が主導した“自作自演の茶番劇”であることが,その経緯を見れば歴然となる.
すなわち,中田市長は,昨年の9月に,私的諮問機関である「あり方懇談会」[v][5]を立ち上げ(02-9-3),座長の橋爪大三郎氏(東工大教授)[vi][6]に市長・事務局の意向に沿った答申を出させた(03-2-27).この準備の後,市長メッセージ「改学宣言」(03-5-7)[vii][7]を受けた“大学側”委員会(「プロジェクトR委員会」)を発足(03-5-14)させて,“「あり方懇答申」を踏まえ,かつ,独立行政法人化を前提に”というがんじがらめの枠をはめて,“大学側”に改革案を検討させた.実際には,最終的に市に提出された改革案(03-10-29)は,「プロジェクトR委員会」の“幹事会”[viii][8]において,学長をはじめとする少数の“積極的擦り寄り派”教員が,事務局の主導と圧力のもとに秘密裏に,学内の多くの反対意見[ix][9]を押しきって,事務局と協同で作成したものである.
横浜市は,“大学側”改革案を受け取った後,1ヶ月間ほどかけて“精査”し,おそらく市議会対策上の配慮から,教職課程廃止を撤回する“度量”を示した上で,“大学側”改革案の全面的受け入れを表明したわけである.
小川学長によれば,この改革案に対し,“市長からあたたかい言葉をいただき”,前田正子副市長(横浜市 大学改革推進本部長)からも“今まで,6年かけてもできなかったことを現学長がやった.反対を乗り越えてまとめた.それを尊重して,やって行きたい.”と絶賛されたという(市議会大学教育委員会03-11-11,14)[x][10].
これを,“自作自演の茶番劇”と呼ばずに,何と呼べばよいのか.
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2003年12月6日 都立大学の新構想を河合塾に委託するなどという記事には,唖然とするほかない。今の石原都知事のトップダウン方式がいかに酷いものであるかを全国に曝したようなものである。300万票を取ってやりたい放題のようだが、任期終了後に荒廃した都立大学の廃墟だけが残るなどということにならないだろうか。「意見広告の会」からの情報を以下にコピーしておきたい。
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皆様。
都立大学関係です。
以下を朝日新聞(12/5)がすっぱ抜きました。
またその続きは、掲載を予定していたにもかかわらず、当方のパソコン故障で掲載が遅
れていたものです。
なお、当「ニュース」への投稿を歓迎いたします。
***
「新都立大」目玉学部の理念づくり、河合塾に調査委託
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東京都立大学など4大学を廃止し、大都市問題に取り組む新大学を発足させる東京都
が、目玉となる都市教養学部のコースについて、理念づくりの補強などを大手予備校の
河合塾(本部・名古屋市)に委託する。「大学の先生に検討をお願いしたが、旧来のタ
コツボ型の発想しか出てこなかった」と都は説明する。大学側からは「大学の理念を、
受験産業に外注するのは信じがたい」という声が上がっている。
河合塾によると、国公立大で学部やコースの設置趣旨など理念の部分について調査を
委託されるのは初めてという。
新大学は「大都市における人間社会の理想像の追求」を使命に掲げ、05年春の開校
を目指す。この8月、石原慎太郎知事が構想を発表。学部長らを中心に準備委員会をつ
くり、カリキュラムなどの検討を進めている。
河合塾に委託するのは「都市教養コース」「国際文化コース」の理念の補強。「社会
学コース」など人文・社会系各コースの授業科目名を提案してもらったり、都市教養学
部全体の設計、教養教育の英語、情報教育プログラムの設計なども補足してもらったり
する。
都は、今週中にも約3000万円の資料作成委託の契約を河合塾と結ぶ。委託書では
、先進的な事例として国際基督教大(東京都三鷹市)、立命館アジア太平洋大(大分県
別府市)などをあげ、これらの大学の調査分析も加味して、基礎資料をつくるよう求め
る。
都の大学管理本部は委託した理由について、「大学の先生方は法学、経済学などの既
存の学問分野での縦割りの検討は得意だが、学際的に横断するのは苦手。河合塾は大学
評価手法の調査を経済産業省から委託された実績もあり、お願いすることにした」と説
明する。
一方、準備委員会の一員でもある都立大の南雲智・人文学部長は「横割りだから十分
な案が書けないのではない。構想自体、都が勝手につくったもので、特に新しい都市教
養コースは内容さえわからない。大学の理念を予備校に外注する発想は信じがたい」と
言っている。
石原知事の新大学構想は都市教養、都市環境、システムデザイン、保健福祉の4学部
を設け、「単位バンク」で国内の他大学や海外の大学の単位を大幅に認める。新大学発
足に伴い、都立大(八王子市)、都立科学技術大(日野市)、都立保健科学大(荒川区
)、都立短期大(昭島市)は廃止になる。
もともと都と4大学の関係者は昨年から新大学の内容を検討する会合を始め、カリキ
ュラムの検討段階まで進んでいた。石原構想は、これを事実上白紙に戻した。
このため、都立大の関係者らは石原流のトップダウンの手法に対し反発。都立大は茂
木俊彦総長が批判声明を発表するなど、人文学部を中心に抵抗を続けている。 (12/05
06:17)
**
山口文江都議会議員(生活者ネット)の都立大に関する報告
http://politics.islandvoice.net/pro-board/back_no/back_no.php?action=back_no&
id=1069044805&site=hyamaguchi
2003年11月17日
都立大学の新構想についての質疑・・・・・こんなことって???
8月に出された「新大学構想について」都立大の学生など多くの人たちからさまざまな
形の抗議が届いています。あまりにも唐突で、トップダウンの方法に、怒りと不安溢れ
た声があがっています。
11月13日に文教委員会がありました。私は事前のやりとりで、抗議文や公開質問状にど
う応えたのか、聞きましたが、個別の問い合わせには応えているが、原則として大学に
お願いしているので、というよう管理本部の内容の答えしかかえってきませんでした。
大学内部決定の問題ならともかく、管理本部があらたな専門委員会を立ちあげ検討して
公表した構想に、なぜ自らが回答しないのか、何度問い質しても同じ返事です。委員会
でも、応えはわかっていましたが同じ質問をし、再度文書回答はしていないことを確認
するしかありませんでした。ちなみに、他会派の議員の質問による、不安を抱いている
学生の対応については、大学にお願いしているが都立大は、学長はじめ一部の教員の理
解が得られず、学生に情報が届いていない、とあたかも大学側の責任のような答弁でし
た。びっくりです。
また、現在、カリキュラムや入試内容について検討している「教学委員会」のメンバー
である都立大教員に「賛同と守秘義務を課す同意書」を結んだ意図について訊ねたとこ
ろ、妨げられずに、自由闊達な議論の場を確保するため、という答えでしたので、密室
的な方法と反論しました。さらに、もうひとつの経営準備室メンバーの名は、迷惑メー
ルなどを防ぐため公表しないことや、教学委員会も経営準備室も内容は記録せず未公開
ということが確認されましたので、今後もその方針は変わらないのか、と確認すると。
変わらないとのことでした。あまりにも非民主的な進め方が明確になりました。
学生・教員など当事者や、都立大学という立場上、都民の意見反映を再考すること、特
に学生のアンケート調査では80%以上の学生が新構想に反対や、情報がないと答えるな
ど、真摯に受け止め協議することを強く要望しました。
14日、知事は新大学理事長予定者(H17年4月1日付で知事が任命)を発表しました。前
日の委員会では、学長も理事もまだ決まっていないという答弁でしたのに・・・・。噂
によれば学長もお願いしたい人はいるが同意が得られないとか。
都民300百万人の信任を得たからといって、こんな横暴がまかり通る都庁でいいのでし
ょうか。しっかり考えて選挙権を使ってください。
**
「現行を下回るいかなる人事・給与制度は許さない──「新大学の教員の
人事・給与制度(任期制・年俸制)の概要について」の説明をうけて──」
都立大組合のHP
http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/ninkinenpogaiyo.htm
組合は、11月19日に、大学管理本部から、「新大学の教員の人事・給与制度(任期制
・年俸制)の概要について」(別掲)の説明をうけました。11月21日には、読売、
毎日の2紙が、新たな人事・給与制度を東京都が決定したかのごとく取り上げています
。しかし、組合は「当局の考え方の概要」がまとまったので、その説明を受けたのであ
って、この内容で協議したいとの提案を受けたわけではありませんし、組合との協議を
尽くさないで、新大学の教員の人事・給与制度を東京都や大学管理本部が一方的に決定
できるものでもありません。組合は、新聞報道の情報がどこからリークされたのか、大
学管理本部に調査を求めています。
大学管理本部が、具体的な提案を行えば、協議を始めることになりますが、今回出さ
れた「新大学の教員の人事・給与制度(任期制・年俸制)の概要について」は、教員の
給与モデルも示されていませんし、人件費の総額や人件費率を算定するための大学の総
収入の見積もりやそこに占める東京都からの運営費交付金の割合や教職員定数など、協
議に必要な資料も示されていません。協議は、これから始まるのであって、すでに任期
制や年俸制の導入が決定されたわけではないのです。組合は、組合員の皆さんに、こう
した協議の過程で、必要な情報は公開してゆきます。どうか、協議の過程について、注
視いただいて、ご意見があれば、組合に寄せて頂きたいと思います。
また、協議が始まれば、協議中であることを理由に、本文にあるような、任期制への
同意書と新大学の設置認可に伴う就任承諾書を抱き合わせで求めてくることも想定され
ますが、そのような強要を行わないよう、協議の過程で、大学管理本部に要求してゆき
ます。
11月19日に、大学管理本部から、「新大学の教員の人事・給与制度(任期制・年俸制
)の概要について」の説明をうけました。まず、重要な点として確認しておかなければ
ならないのは、これは、あくまでも「当局の考え方の概要」が示されたもので、当局か
らの、法人化後の勤務条件の正式提案ではない、ということです。
大学管理本部からは、宮下調整担当参事、泉水副参事、櫻井総務課長が説明にあたり
、組合からは、乾副委員長、田代副委員長、小林書記長が出席しました。
大学管理本部の説明では、「新制度は、主任教授、教授、准教授、研究員という職を
設け、大学の中心的な役割を果たす教授(主任教授?仮称)は任期制をはずし定年65
歳、教授は任期5年で再任可、教授5年以上で主任教授(テニュア)審査を受ける資格
を得る、准教授は任期5年で、1回のみ再任可、准教授5年以上で教授審査を受ける資
格を得る。また、これまでの助手に代わる制度として、研究者の養成の立場から、ポス
ドク終了者(28歳以上)を対象として、研究員という職を設ける。研究員は、任期3
年で2年まで延長可、研究員3年以上で准教授審査を受ける資格を得る」というもので
す。主任教授は、原則として内部昇格だが、例外的に外部から公募もあり得る。教授や
准教授への昇任はそれぞれ、公募で外部からも応募できる、としています。
現在の4大学の教員は、制度発足時に、旧制度(現行制度)か新制度(今回示された
、任期制・年俸制)を選択できるが、旧制度を選択したものは、現給据え置きで、昇任
ができない。旧制度を選んだ場合は、いつでも新制度を選択し直すことができるが、新
制度を選んだものは、旧制度へは戻れない。
年俸制については、基本給、職務給、業績給で構成し、基本給(人件費の原資の概ね
5割)は、生計費相当分で、職務給(人件費の原資の概ね3割)は、例えば、授業を**
コマ以上うけもてば、1コマにつき**円、入学試験業務に従事すれば**円、学部長にな
れば**円といった業務の量に応じて支払われる給与。従って、自分は外での活動を中心
にしたいので、授業をあまり受持ちたくない場合は、授業加算が少ないので、職務給の
割合が少なくなる。業績給(人件費の原資の概ね2割)は、教育活動、研究活動、社会
貢献など、各活動分野の業績評価に基づき単年度で評価し、業績がよければ加算し、業
績が悪ければ減額する。
また、資料には書かれていませんが、国公立大学との人事交流を考慮して、現行の退
職金制度は残し、年俸の中には退職金の相当分は加算しない。法人退職時に、退職金は
別途支給する。」としています。国公立大学法人間では、退職金は通算されますから、
他の国公立大学法人や公立大学へ異動した場合は、異動先で退職金を受取ることになり
ます。
勤務条件では、任期制・年俸制を選択した教員は、勤務時間の管理の弾力化を行うと
しています。 大学管理本部は、制度の方向性として、制度を構築する上で留意した点
は、@教員の活性化を促進して、働きやすい環境作りA優秀な教員を確保するために、
外から優秀な先生が参加できる制度、B適切な人件費率を経営の観点から考慮し、人件
費の高騰を押さえるとしています。また、教員組織を簡素化し、教授、准教授を中心と
した基本組織とし、教授?助教授?助手という、これまでの主従関係は解消する、講座制
は廃止する、と説明しました。
組合は、こうした説明を受け、次のような質疑を管理本部との間で行いました。
組合 教授と准教授の割合は、どうなるのか。
回答 これまでの教授、助教授というポスト管理はしない。従って、教授が退職しない
ので、助教授が教授になれないということはなくなる。あくまでも、その人の業
績で判断する。教授と准教授の割合の想定はしていない。
組合 法人発足時に主任教授、教授、准教授とする審査はどこで行うのか。
回答 法人の中に組織を作って行うが、その方法は、これから検討したい。
組合 旧制度を選ぶか新制度を選ぶかは、法人発足時1回限りか。
回答 新制度を選んだ人は、旧制度に戻れないが、旧制度を選んだ人は、いつでも手は挙
げられる。
組合 研究員の昇任の際の評価を「教育と研究」と言ったが、その両方で評価するのか
。
回答 主として研究で評価する。
組合 旧制度の助手のところに、一部任期制とあるが。
回答 現在、経済学部や都市科学研究科の助手に任期制が採用されているという、意味
だ。
組合 研究員から准教授、准教授から教授、教授から主任教授になるということは、昇
進、昇格ではないということか。
回答 昇任ではあるが、准教授が教授に従属している関係ではない。そういう意味での
ポスト管理はしない。研究者としては、同等だ。ただし、学校教育法上は、教授は教授
相当、准教授は助教授相当として、申請や公募を行う。
組合 その資格審査を法人がやるということか。
回答 そうだ。
組合 新制度を選んだ場合は、勤務時間の弾力化とあるが、旧制度を選んだ場合の勤務
時間はどうなるのか。
回答 これまでと同じ、9時―5時だ。多少は、これまでより厳しくなる。例えば、タ
イムレコーダーとか。
組合 職務給、業績給を割合で書いてあるが、これらは単なる加算ではないのか。
回答 人件費の原資を平均してみると、この割合になるという意味だ。
組合 年俸制の基本給に生計費とあるが、生計に足りうる額か?人勧の標準生計費を下
回ることはないか。
回答 標準生計費ということを考慮して、決めたわけではない。生計費相当分は、5割
の基本給で賄えると考えている。
組合 職員については、終身雇用制なのか。
回答 以前説明したように、派遣法に基づく派遣を考えている。
問題点
@ 今回示された当局の考え方は、旧制度と新制度を選択できるという装いをこらして
、任期制や年俸制を一方的、一律に導入したのではないように見せかけようとしていま
す。しかし、当局の考え方に示された、「旧制度」は現行の制度とは、昇給や昇任の機
会がない点など、明らかに異なっており、二つの新しい制度が示されたというべきです
。そして、任期制や年俸制を選択しなければ、昇給や昇任ができないので、結果として
、いずれは任期制や年俸制を選択しなければならないように誘導しています。任期制と
は、任期がくれば、退職を迫られる制度で、これは、勤務条件というよりは、雇用の問
題です。
A 当局のいう旧制度も新制度も、給与面からみて、明らかに現行の賃金体系を改悪す
るものです。当局の考え方について、論議するためには、具体的な給料モデルを示させ
る必要がありますが、最終的には、「適切な人件費率」によって、給料の総額を管理す
るのですから、誰かが多くとれば他は下がるのです。人件費の総額や教職員の人員計画
、運営費交付金の総額およびそれらの推移の見込みなども、明らかにさせる必要があり
ます。
B 業績給のための業績評価(単年度でできるももの業績の評価を行うと当局は説明し
ました)や昇任審査などの人事評価機関の構成や評価項目、評価基準などを明らかにさ
せる必要があります。また、こうしたことを地方独立行政法人法に規定されている、公
立大学法人内の「教育研究審議機関」で行うとすれば、その構成は定款による定めが必
要となります。
今回示された「新大学の教員の人事・給与制度(任期制・年俸制)の概要について」は
、大幅な賃金・労働条件の改悪であり、地方独立行政法人への円滑な移行という、法の
主旨や制度設計に反するものです。国立大学法人の場合は、大幅な勤務条件の変更は行
われていません。また、地方公務員である現在の教員の給与について、昇任の際に厳格
な審査が行われていますが、旧制度を選択した場合、どんなに業績をあげても昇給や昇
任がないというのは、「一般地方独立行政法人の職員の給与は、その職員の勤務成績が
考慮されるものでなければならない。」という、地方独立行政法人57条第1項にさえ
、明らかに違反するものです。
当局は、教授―助教授―助手という「主従関係」をなくすとしていますが、新たに設け
る「主任教授」が昇任や業績評価に深く関与することから、主任教授によるボス支配を
生む恐れがあることも指摘しておかなければなりません。管理本部が「設置者権限」を
振りかざす現在の検討体制のもとで、新制度発足時に設置者や理事長への忠誠度をひと
つの基準として、主任教授の選考が行われるようなことがあるとすれは、その恐れは現
実のものとなるでしょう。
さらに、大学管理本部が公表している新大学設立スケジュールによれば、来年2月から
3月にかけて、「勤務条件を示して、就任承諾書の提出」を求めることになっています
。しかし、ここで求める就任承諾書は、大学の設置認可のために文部科学省に提出する
もので、任期を定めた教員ポストに就くための同意書とは本来、別のものです。大学管
理本部のこれまでの手法から類推すると、同意書を兼ねた就任承諾書の提出を求めてく
ることも考えられます。しかし、これらは、まったく別個のものです。組合は、任期を
定めた教員ポストに就くための同意書を兼ねた就任承諾書の提出などを強要することが
ないよう、管理本部に求めてゆく考えです。
最後に、組合は「ただいま、当局の考え方を聞いた。今後は、窓口で交渉のあり方を含
めて整理したい」と発言し、当局は「提案がまとまり次第、協議したい」と発言しまし
た。これに対し組合は、「協議を拒否するようなことはしないが、どういう場で、何を
協議するか、窓口で整理したい」と発言し、この日の会見を終えました。
組合は、11月28日に都立大学で、12月には、他の3大学で「新大学の教員の人事
・給与制度(任期制・年俸制)の概要について」の学習会を開催し、当局の考え方の問
題点をさぐるとともに、みなさんからの疑問を解明要求にまとめて、管理本部に提出し
て、回答を求めることにしました。当局の示した考え方は、法人化後の勤務条件の一つ
の議論の素材です。みんなで、対案を含めて、おおいに論議しましょう。
組合の基本的視点は、どんな制度が採られるにせよ、現行を下回る人事・給与条件は許
さないことです。
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2003年12月5日 昨日,教授会前から、「部局長会議で局長が激怒した、各学部教授会で今後決議などは出さないようにと恫喝した」と言う噂がもれ伝わってきた。局長は、市当局の大学改革推進本部の委員でもあり、したがって行政当局が大学に派遣した大学内行政の最高責任者である。その行政責任者が、教授会の審議を抑圧するかのような発言をして、そのまますむかどうか、これが問題だ。これに呼応したのかどうか,教員サイドのある重要人物が「そんなに嫌ならやめたらいい」といったという。誰を名指しし,誰にたいする言葉か? これもいずれにしろ、時間とともに漏れてくるのではないかと思われる。学部教授会においても、口封じをしようとする発言が要職の人物からなされたが,これには教授会の何人もから批判の声が出された。
21世紀初頭の大改革という問題が全国の関心を呼び、一つ一つの改革内容が学内外で問題になっている以上、学内外の批判を踏まえ,それをクリアしたものを目指すことこそ、堂々たる態度ではないか。「口が軽い」などと「口封じ」に躍起になるのは、みずから推進している改革の重要性を認識していないからではないか。一挙手・一投足に関心が集まり,噂になり批判の対象となっていること事態が、問題の大きさを証明していないか。そのくらいの度量が必要ではないか? 議論になり噂になっているのは,プライバシーではなく、しかるべき要職にあるものの言動であり、大学改革のあり方・進め方のクリティカルな点である。公論に決すべき論点である。その点を忘れた言論抑圧的言動は許されるべきではない。それこそ,全国からの厳しい批判の的となる。
ともあれ、三つの別のルートから,この「激怒」、「恫喝」の噂が私の耳に入った。もしも本当に「恫喝」や「激怒」だとして、そうした「恫喝」や「激怒」で真の意味で創造的な明るい改革が建設的に進むかどうか,それこそ問題だ。既にあげられた各学部や研究科等の決議については、それにたいする適切な対応を取ればいいのであって、適切な対応を取れないのには、理由があるだろう。
その一つは、「あり方懇」答申以来の大学改革の進めかたの非民主性があるだろう。プロジェクトR、およびその幹事会の選任は「全学的見地で」ということだが、それは大学内部に渦巻くさまざまの反対意見を適切に反映するものではなかった。学長(その意思を決定的に左右する事務局責任者、その学長の資質に関する一つの見方が総合理学研究科・佐藤真彦教授の見解http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page107.htmlであり、この間多くの学長批判決議・批判声明で表明されている諸論点である)が基本的に「あり方懇」答申を受け入れ態度をまず表明し(「結論先にありき」)、それにあわせてすべてを強引に、「秘密主義」の原則で進めてきた、というところに問題があるだろう。
そうした大学の基礎部分からの異論・危惧・反対はどうしても節目ごとに噴出せざるを得ない。それこそ健全な,大学らしいあり方だろう。上からの命令に従うだけの行政組織と学問の創造的批判的発展を担う大学とは本質的に違うのである。8月中旬にはじめて「大枠だ」として「大学像」を公開した以上、それにたいする意見,決議が大学から8月末から11月末までに次々と出されるのは当然のことだ。
3学部統合=1学部の創出、看護短大の医学部への吸収、「全員任期制」、独立行政法人化は、どれひとつとっても簡単なものではなく、大学の発展(没落)のあり方に関わってくる。たとえ、「6年前から」大学改革の検討がはじまっていたとしても、ことはそう簡単に進むはずがない。任期制問題一つ取っても、すでに京都大学再生医科学研究所・井上教授事件(大学界有志声明:京都地方裁判所第3民事部裁判官への要望:第1次集約12月8日まで) や韓国における裁判(再任拒否違憲判決■「再任基準と救済などを求めた韓国の違憲判決」)も広く知られるようになっている。「大学像」における「全員任期制」などが「恫喝」効果をもち、多くの教員の前向きの姿勢を冷えこませ押さえこんだことの意味は大きい(他方では,商学教授会決議のような批判と反発・批判の高揚効果)。(商学部見解と同様の意見書が、医学部全員任期制導入に反対・違法の見地から日本科学者会議琉球大学分会から出されている。☆任期制に関する日本科学者会議琉球大分会の見解 2003年12月1日, in: http://www.shutoken-net.jp/index.html)
秘密主義と独裁的決定システムによってはじめて、学長が「あり方懇」答申受入の態度を表明してからのこの半年間に「大学像」にまでこぎつけ,内々に市当局本部の「大学改革推進本部」との連携の元で、今回の「設置者の態度」が示されることになったわけである。審議検討過程の秘密主義・短期間・独裁性こそが、各学部・研究科・さまざまの内外の大学人有志、市民の会などの意見表明・決議として噴出す原因である。
市当局も、また学長(事務局長)も、「大学像」と言う表現を使い、また「大枠」という表現を使っている以上、こんご真剣に、たくさんの学部決議や内外の意見のうちから、取り入れるべきものを取り入れ、「大学像」を豊かに,強靭にし,細部を詰めて「きちんとした正規の枠組み」に仕上げていく責任がある。その柔軟で建設的なやり方こそが,まさにいま求められている。
大学内外の決議や異論・反対(その全国的なものは、国公私立大学有志の東京都議会と横浜市議会への要請(継続中)、「大学人の会の声明」大学人の声明)は、当然にも,市議会にも伝えられ、大学教育委員会の審議では実に多様な疑問や危惧が示されている。それらの一つ一つをきちんとクリアする姿勢がなくては、改革は頓挫するであろう。「恫喝」や「激怒」,決議封じは問題をなにも前進的に解決されるものではない。「事務局長の激怒,恫喝」なる噂の真相がなにか,いろいろと今後多くの情報が漏れてくることであろう。人の口に蓋はできないであろう。大学と言う言論,思想の自由のもっとも大切にされなければならない場所においては、なおさらであろう。
昨日の定例教授会は8時過ぎまでの長時間となった。審議時間を多く取ったのは、学生の授業評価アンケートに関するものだった。6月7月段階で商学部は、アンケートの項目、実施手順、アンケート結果(自由記述欄を含めて))などに関し、看過できない問題点を見いだし、「自己点検評価委員会」の原案のままでは実施しないこととした。このアンケートを実施しなかったことだけが市議会で問題とされた。検討を踏まえて独自にものを行う,という決定はきちんと伝えられなかった。なぜ、7月段階では実施しなかったのかの,教授会審議の内容はたずねられることがなかった。
だが、大学では、アリバイ的に形式的にアンケートをやって,表面的に学生の声を聞いていると言うポーズを取ればいいわけではない。アンケート項目の一つ一つに大学の姿勢が表明されている。その一つ一つを検討し、問題点がはっきりしている3つのポイント(全学共通の質問項目のうち、第4,第6,第9)については、重大な問題があると言うのが、教授会審議の結論だった(それは商学部教授会ではすでに7月段階に確認された意見だったが,改めて確認し、全学共通形式でやるかどうかの採決も行った結果,共通項目すべてはやらないこととなった)。
年度末になって、このアンケートをやるにしても、7月段階の議論の到達点をきちんと踏まえるべきだという正論が多数を占めたのである。繰り返しになるが、問題点が明確になった上記の3つの項目は削除するか修正するかしなければならないというのが、結論だった。採決の結果は、「4と6の項目の削除、9の項目の質問修正」の意見が多数を占めた。関心ある方は、教授会の議事録公開は基本原則となっているので、教授会正式議事録の公開(正式議事録確認は来年1月8日定例教授会において行われる)を請求されたい(したがって公開は来年1月9日以降となろう)。
もう一つの問題は入試関係であった。
「センター試験分包作業」割り当手書類において、手当てを「平日の場合出さない」という事務局の注意書きが、入試関係文書で発見された。これは入試センターから渡される諸手当の「ピンはね」ではないか、教員組合との交渉抜きの手当てカットは不当労働行為ではないか,という論点である。事務職の責任者は、ここでもまた、教員の勤務形態・給与形態の独自性を無視して、一般事務職員並の取扱いをしようとしたようであり,今後大問題となる可能性がある。
一般職員は勤務時間が明確に定められており、平日は通常勤務時間であるが、教員の場合は、週40時間のうち講義・教授会等各種委員会など固定的勤務時間を除く部分をどのように利用しようと自由であり、そのかわり土曜日・日曜日・その他休日、夜間等に研究にいそしんでも、なんら「残業手当」「超過勤務手当て」は出ない。
他方、大学教員の専門家としての仕事から非常勤の各種兼職による収入や、職員と違った手当もありうる。職員の場合の超過勤務手当や残業手当,休日出勤手当などに対応するだろう。
センター試験や入学試験関連業務では、受験生から受験料を取っており、入試業務関連手当てはどこの大学でも額の多少はあれ、きちんとルールが決められ,労使合意で支給されている。本学でもそうした協定に基づいて手当(額は,私学などと比べると「雀の涙」程度、意欲の湧く額では決してない)が出されてきた[7]。したがって、「平日なので手当が出ません」などという注意書き(「雀の涙」さえも削る案)を勝手にするなどということはできず,昨年までと違った手当て支給(手当カット)となるならば、それは教員組合との協議事項である。そうした基本的なことさえ行われていないところが、大問題となった。額の多少ではなく、決定システム(民主主義的ルール、勤労条件に関する労使協議ルール)の無視が、原理的に問題となった。
入試関係事務職と総務関係事務職とは事前にきちんと議論していたか?
学長,事務局長その他の決済を得ていたか?
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2003年12月3日(3) 理事長と学長を分けることを前提にした「大学像」は、つぎのニュース「東大における財務担当エキスパートを総長顧問に」といった発想がないと言うことの証なのではないか。下記のニュースが示すことは、学長が理事長として,有能な実績のある財務エキスパートを選べばいい(理事の一人に任命することもありうるだろう)ことを示してはいないか。「あり方懇」とそれを受けた「大学像」は、理事長と学長を分離することを提案しているが、なぜ国立大学法人のようには公立大学法人でもできないのか。
宮崎学・設楽清嗣著『敗者復活』(朝日文庫,2003年)でよく出てくる言葉を使えば、大学改革においても、「コペルニクス的転回」こそ必要だ。独立行政法人とはそのような厳しいものではないのか。その厳しさと自律性・自立性が表裏一体となっているのではないか。そのための「独立法人化」のはずではないのか。だからこそまた,多くの人が、十分に検討されていない「独立行政法人化」の提案に不安になっているのではないか。
国立大学法人法,それに準拠した公立大学法人法の本則を採用しないのであれば、それはそれなりの理由をきちんと提示しなければおかしいのではないか。すくなくとも、これまで提示されてきた「兼務では多忙だから」と言う理由は、国立大学を見てもわかるが、なりたたないのではなかろうか。
「大学像」における別の論点。
既に批判し,「大学人の会」の声明でもきちんと批判されていることだが、「研究費原則廃止」等と言う提案を「大学像」で行っている。外部から資金を取ってくることが可能な研究だけをやればいいという。これはまっとうな大学人の言うことではないと,私は考える。学長以下の大学教員画半数も入ったプロジェクトR幹事会が,そのような驚くべき提案をしていることこそ,驚くべきことであり、「案」の作成を誰が主導した下の証拠となるものである。
苦しい財政事情でも、もっと研究費のあり方,大学らしいあり方を入念に提示すべきである,と私は考える。
きちんと規則的な最低限の大学経費として提供される研究費なしでいいなどと(研究費原則廃止などと)、どうしていえるのか?「大学像」は決して内々の文書ではない。その公開の文書で「研究費原則廃止」を打ち出している。そこに、財政削減主義の発想を見てはいけないのか。無原則的経費削減主義の態度にではないのか?それは本当に横浜市民が望むことなのか?
基礎的で安定的な研究費も与えず、内部で競争(しかもその競争たるや、ちょっと冷静に考えればわかるように、客観的で公平な審査などと言うものが内部の人間同士では困難を極めることぐらいわかりそうなものではないか,結個々人の研究の専門性から考えて,そんなに簡単に研究内容を判定できるのか。「大学人の会」の声明が示すようにアメリカのテニュア制度はまさにそうした学問の専門性とその評価の難しさを前提にしたものではないのか)させたりすれば、学問的基準ではなく,別の種々の悪しき計算が働くことになるのではないか。
外部の目はどうか。
「大学はインテリがそろっていて,大学の自治だの何だのと自由で進歩的な空間というイメージがあるかもしれないが,現実はまったく逆だ。大学はとても保守的だ。労働条件や人事管理にしても保守的な体質がある。非常に閉鎖的で,そこには複雑な人間関係が絡む。派閥の勢力争いも激しい。・・・・そのドロドロとした派閥が,助教授や教授、学部長,理事などの人事問題に絡んでくる。これはもう自民党の派閥抗争以上に陰湿だ」[8]と外部から見られている。基礎的で安定的な研究費がなくなれば,競争資金しかなくなれば、そうした「ドロドロした」要因に拍車をかけることになるのではないか。
恐るべきことではないか?
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新首都圏ネットワーク |
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2003年12月3日(2) 先日、教員組合の学習会で招待した設楽清嗣氏の宮崎学氏との共著『敗者復活! リストラ社員の大逆襲』朝日文庫、2003年8月30日刊を読む。「全員任期制」などという恫喝的提案に対抗する精神を養うには、役に立つ本である。自由で民主主義的な社会だという日本社会のイメージは、この本を読むと崩れる。現在の企業社会・管理社会において、サラリーマン(大学教員といえども、サラリーマンの一種であることはまちがいない、事務職ももちろん同じだ)の精神的態度で支配的なのは、「奴隷」,「社畜」とでも言うべきものだと,設楽は言う。
「上司から嫌われないようにするためには,どうしたらいいかということが,サラリーマンの生き延びる術となっている。それはとても不条理なことに聞こえるが,結局サラリーマンで生きるということは,不条理をあえてするということなのだ。大島渚は露骨に『奴隷なんだ,奴隷』と言う。佐高信になるともっとひどく、『社畜だ、社畜』と言う。奴隷で社畜であるサラリーマンは,贈収賄であれ談合であれ、会社の不正を見てみぬふりするだけでなく、自分でもちゃんと実行できなければならない。見て見ぬふりして不正をやり抜かなきゃ本当の社員じゃない。ばれたら責任を取らなきゃならない。ときにはクビを吊らなきゃならない。それがサラリーマンの現実だということを直視しなければならない。あるいは,サラリーマンなんて、その程度のものでしかない。」(206ページ)
「あり方懇」答申そのまま(座長私案の恫喝と露骨に尊大な態度・見下した態度―新聞で公開されたときのあの憤りはいまでも忘れられない―に比べれば表現上はすこし緩和されているものだが)の条項を多く含む「大学像」は、こうした日本社会の基本的問題と照らし合わせると、理解が可能になるといえないか。「研究費の原則廃止」などが,そのまま盛りこまれるのは、まさにその証拠ではないのか?
学校教育法、教育公務員特例法、国立大学法人法,公立大学法人法、それらを議決した国会の付帯決議などがあるが、そうしたものは、慎重に念には念を入れて検討しなければならないだろう。
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2003年12月3日 この間の新聞報道では、市議会の「大学教育委員会」で学長と事務局長が行った改革案に対して種々の疑問や懸念が示されたが、結論的には学長・事務局長の説明が承認されたかのように報じられている。その際、「大学像」が大学の基本的合意に基づくかのような答弁が繰り返されている。だが、本日誌の最近のものを見てもわかるように、商学部や国際文化学部は「大学像」(大学改革構想)に関して、根本的なところで反対や異論を提起している。その反対や異論のすくなくともいくつかは市議会の議員にも認識されているようである。今後,各教授会,評議会が、どのような態度をとるか、問題はこれからである。真の意味で「像」が現実とぶつかるのは、こんごの審議による。学長・事務局長が「大学の意思」として示したことが,どのていどまで本物か、これが問われる。そして、それが本当に大学の発展になるのか、あるいはセンセーショナルな表面だけの「改革」に終わるのか、これが問われる。
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2003年12月2日 昨日全国大学有志の要望が、都立大学に関しては都議会に、横浜市立大学に関しては市議会に送られた。その最新情報を下記にコピーしておこう。(最新情報等は、電子署名:国公私立大学有志の東京都議会と横浜市議会への要請)
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横浜市議会大学教育委員会 各位
横浜市議会議員 各位
(アドレスを公開されている44名の議員に送付します)
横浜市立大学の「改革」について、全国104大学の有志342名が横浜市議
会に以下の要請をいたします。11月11日に大学委員会委員の方々に送付し
てより新たに130名の大学界有志が連署に加わり、有志が所属する大学数も
16校増えております。また、大学外には広く宣伝はしていませんが、市民の
有志8名が要請書への賛同の意を示されています(*1)。
文部科学省は全国大学高専職員組合との会見(2003.11.13 *2)において、学
校教育法を遵守し地方独立行政法人法の付帯決議を尊重するため、改組の審査
時には「地方分権」に配慮しつつも、「大学の教育・研究の自主性」が配慮さ
れているかを細に渡って聴取する意向を示しています。
10月に市立大学は「横浜市立大学の大学像について」という改革案を提出しま
した。しかし、この報告書は、市大学長が評議会の意向を無視し作成されたも
のであることを商学教授会が公式に指摘しています。市長の強い意向を受けた
「市立大学の今後の在り方懇談会」の最終報告書に記載された「廃学恫喝」に
学長を含め同大学の運営にあたる人たちが強く動揺したことが推測されます。
このような報告書に基く「市大改革」を大学の意向を踏まえたものとして市議
会が承認するようなことがあれば、設置者の権限を濫用した恫喝による大学運
営への行政の介入、という重大な違法行為を議会が容認したことになります。
この「前例」は、国立大学の行政法人化を契機に、表面的な規制緩和に反して、
行政の実質的権限が日本全体で飛躍的に拡大しつつある「大学改革」の変質を
加速させることになりますので、横浜市民にだけでなく日本社会全体に大きな
被害を及ぼすものです。
以上のことを十分に認識され、以下に要請しますように、「大学改革」超会派
で真剣に審議されることを要望します。
*1 サイト http://poll.ac-net.org/1/ で、本人を電子メールで確認する署名
システムで実施。
*2 http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/shiryo/z031119-1.pdf
連絡先:世話人 辻下 徹
〒060-0810 札幌市北区北10条西8丁目
北海道大学大学院理学研究科
tel/fax 011-706-3823(univ), tel: 080-5715-3963
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【1】東京都議会と横浜市議会への大学界有志要請書
【2】有志所属の104大学リスト
【3】東京都議会と横浜市議会への大学界有志要請書 連署者名簿 (五十音順)
【4】大学界・市民有志のメッセージ抜粋(新しい順)
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【1】東京都議会と横浜市議会への大学界有志要請書
(2003.12.1 現在 104大学342名が連署、市民有志8名が賛同署名)
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東京都立4大学および横浜市立大学の法人化準備が、各地方政府首長の強い関
与の下で進められている。わたしたち大学教員有志は、両地域の公立大学にお
ける力強い動きを大学の自律の発現として全面的に支持し、東京都議会および
横浜市議会に対し、設置者権限を濫用する行政行為を看過しないよう要請する。
東京都大学管理本部が8月以降進めている新都立大学の開設準備は、大学の関
与を排除して進められていることを東京都立大学総長は10月7日の声明で強
く批判した。一方、横浜市立大学が10月17日に明かにした「横浜市立大学
の新な大学像について(案)」は横浜市の主導[9]の下で作成されたもので、全員
任期制の導入や基礎研究費の全廃等、学術研究の自律性を損う内容に対し、商
学部教授会、国際文化学部教授会、総合理学研究科教員有志、理学部教員有志
が強く批判し、10月22日の評議会では多数の反対意見が出されているが、
横浜市側には、こういった学内の批判を真剣に検討する姿勢は今までのところ
見られない。
こういった大学の自主性を認めない行政行為は、地方独立行政法人法が7月に
成立した際に、大学の自主性・自律性を最大限発揮しうるために必要な措置を
講じなければならないとした付帯決議に反し国会を軽視するものであるだけで
なく、地方行政の首長が個人的信念に基き、教育・研究の当事者を排して大学
を根本から改造することは、教育基本法第10条にある「不当な支配」そのも
のであり、当該地方議会がこの行政行為を了承するならば、明白な教育基本法
違反行為が公然と行なわれることとなる。
ところで、国立大学法人法および地方独立行政法人法は7月に与党のみの賛成
で可決されたが、その審議の中で、独立行政法人制度の構造が、行政による大
学支配を可能とすることが問題となった。その弊害の一つである学問の多様性
の破壊の様相は、東京都・横浜市双方の「改革案」に顕著に現れている。
わたしたち大学教員一人一人は、短い一生にあって特定の分野において真理と
真実を探究し伝えることしかできず、無際限の真理と真実は大学界全体として
探究し伝えることしかできない。その意味で、どの専門分野も、わたしたち大
学教員一人一人にとって、そして大学界全体にとって、かけがえのないもので
ある。それだけでなく、行政の判断で特定の分野を弱体化させることは、大学
界の主要機能を深く傷つけ、真理と真実に対する社会の目を閉ざすものでもあ
る。
大学界を弱体化させる動きが強まる中で、東京都立4大学と横浜市立大学にお
ける力強い動きに力付けられている大学教員は少なくない。わたしたちは、東
京都立4大学と横浜市立大学における教員と学生の方々の真摯な取りくみを大
学界全体の独立性を守る闘いとして強く支持する。
東京都と横浜市において、教育基本法の禁じる大学支配が実現するか否かは、
日本の大学界全体の行く末を大きく左右することに鑑み、私たち国公私立大学
教員は、東京都議会および横浜市議会に対して、東京都立4大学および横浜市
立大学の法人化が、各大学の自主性を明確に排除して進められていることを看
過せず、教育関連諸法および国会審議に反する行政行為の逸脱をチェックする
使命を遂行されることを、要請する。
なお、国立大学の場合とは異なり、公立大学を独立行政法人化するか否かは各
地方政府の判断に委ねられている。この利点を活かし、公立大学の独立行政法
人化を既定方針とせず、独立行政法人化が国立大学に与える影響を見定めてか
ら、各地方政府ごとに検討してほしい。大学の本性とは調和し得ないことがわ
かっている設置形態に、多くの大学が画一化的に移行することが、日本の未来
にとって良いはずはないからである。
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【2】有志所属の104大学リスト
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北海道大学(21名),岩手大学(14名),名古屋大学(12名),東京都立大学(12名),
九州大学(10名),神戸大学(9名),愛知教育大学(9名),筑波大学(9名),横浜市
立大学(9名),富山大学(8名),新潟大学(8名),東京大学(8名),横浜国立大学(7
名),金沢大学(7名),琉球大学(7名),岡山大学(6名),東北大学(6名),広島大
学(6名),三重大学(6名),岐阜大学(6名),名古屋工業大学(5名),佐賀大学(5
名),群馬大学(5名),高知大学(5名),北海道教育大学(4名),北九州市立大学(4
名),奈良教育大学(4名),鹿児島大学(4名),お茶の水女子大学(3名),大阪教育
大学(3名),京都大学(3名),山形大学(3名),熊本大学(3名),東京農工大学(3
名),東京学芸大学(3名),大阪大学(3名),福島大学(3名),日本大学(3名),弘
前大学(3名),大分大学(3名),山梨大学(3名),静岡大学(3名),名古屋市立大学
(2名),香川大学(2名),立教大学(2名),福井大学(2名),長野大学(2名),東京
外国語大学(2名),福島県立医科大学(2名),追手門学院大学(2名),椙山女学園
大学(2名),愛知県立大学(2名),小樽商科大学(2名),信州大学(2名),鳥取大学
(2名),長岡技術科学大学(2名),東京海洋大学(2名),奈良女子大学(2名),茨城
大学(2名),千葉大学(2名),東京工業大学(2名),山口大学(2名),電気通信大学
(2名),早稲田大学(2名),島根大学(1名),兵庫教育大学(1名),東京工芸大学(1
名),鳴門教育大学(1名),徳島大学(1名),日本福祉大学(1名),東邦大学(1
名),亜細亜大学(1名),埼玉大学(1名),滋賀大学(1名),神田外語大学(1名),
三重短期大学(1名),甲南大学(1名),明治大学(1名),札幌学院大学(1名),龍谷
大学(1名),姫路工業大学(1名),室蘭工業大学(1名),東洋大学(1名),長崎大学
(1名),神奈川大学(1名),大東文化大学(1名),大分工業高等専門学校(1名),北
見工業大学(1名),千葉短期大学(1名),帯広畜産大学(1名),東京女子大(1名),
京都教育大学(1名),明海大学(1名),埼玉短期大学(1名),京都府立大学(1名),
九州工業大学(1名),秋田大学(1名),札幌医科大学(1名),明星大学(1名),関西
学院大学(1名),中京女子大学(1名),一橋大学(1名),成城大学(1名),鶴見大学
短期大学部(1名)
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【3】東京都議会と横浜市議会への大学界有志要請書 連署者名簿 (五十音順)
12月1日現在350名 http://poll.ac-net.org/1a/1poll-3-sandousha.php
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【4】大学界・市民有志のメッセージ(新しい順)
http://poll.ac-net.org/2/2poll-5-iken-hyouji.php
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2003年12月1日 昨日は特別入試があった。とりわけ大きな関心を呼んだのは、商学部と国際文化学部の推薦入試応募者が30%以上も激減したことである(「市民の会HP」は、まさにこの受験生の激減を予想し,それにたいする責任問題を意識した陳情書を議会の議長に提出していることを知った:総合理学研究科・佐藤真彦教授HPより「「市民の会」から横浜市議会宛陳情書:「横浜市立大学の新たな大学像について」に示された改革案により、入学志願者が減少するような事態に立ち至った場合の責任を予め質しながら、大学改革に関し、市会において慎重な審議をしていただく件031201」。商学部の場合、昨年が96名(この数年間、定員50名にたいし,出願者100名前後。具体的には、H14年度,105名、H13年度,98名、H12年度,98名)に対して、今年は67名ということである。3学部廃止と1学部への統合が打ち出されている以上、しかも、その新しい体制に関してはまだはっきりせず、教員とカリキュラムの体制、また学部の上に置かれる大学院研究科の体制がはっきりしない以上、志願者が激減するのは当然かもしれない。
学部の改組という研究教育体制において根本的に重要なこととがはっきりしないこと、新しい学部創設には関係学部の総力をあげた前向きの取り組みが必要となるが、そうした体制構築のために、その説明のために,同意調達のために、学長は率先して各学部を回るといった積極的態度こそ必要だろうが,そうした態度を示さないことなど、したがって教員や職員ですら展望が見えないこと、こうした状況で受験者が激減するのは必然であろう。今回の激減、および来年1月―3月の受験生動向は、この間の学長・事務局長の独断専行的なやり方の社会的な,外部評価として、責任問題ともなるであろう。
三つの学部を一つに統合するなどという大改革と大学の経営形態を根本的に変更する(独立行政法人化を打ち出すこと)ということを同時に打ち出していること、さらにその上、多くの反対(少なくとも商学部教授会と国際文化教授会の反対表明)があるなかで、十分な法的検討と制度設計がないままで「全員任期制」などという全教員の身分保障(したがってまた学問の自由と大学の自治の保障)に関わる大改革を打ち出すということ、こうした説得力を欠く総花的なセンセーショナルな「大学像」を打ち出して多くの教員の意欲をそいでいること、これではなにもうまくいかないのではなかろうか。
実力相応に、着実に、時間をかけて進むしかないのではないか。
大学の実態を無視したことの象徴的な例として,昨日問題となったのは、特別入試にたずさわる教職員の昼食(弁当)が、廃止されたことがあげられる。入試業務は,全国どこの大学でも、国公立と私立を問わず、また先日の留学生試験などの場合も、監督等入試業務に関係する教職員の昼食は大学が準備するのは普通である。センタ―入試でも昼食弁当は出る。
ところが、この長年の,入試業務固有の必要性から出されていた弁当すら、「市民に説明できない」という大義名分なるものを勝手に突然持ち出し,廃止となったのである。
入試業務が、分単位の厳しい時間管理・人的配置管理・秘密管理のもとで遂行され、したがって各人が「随時,昼食に出かける」(一般人や受験生のいる場でいろいろと入試の秘密に関する事を話題にする可能性・危険性が飛躍的に増大する)などということが危険極まりないことから、入試業務の厳密公正性の確保のために、昼食弁当は一括して当局が準備し、しかるべき閉鎖的な空間で提供していたものである。それすら、一般の「飲食費」と同じで「市民に説明できない」というのである。入試業務の特殊性に伴う弁当を、どんちゃんさわぎの遊興の「会議費・飲食費」のようなものといっしょにしてしまうというのは、酷いのではないか。大学教員の勤務形態(それにたいする給与形態)のちがいにたいする無理解も、同じような形式主義・表面的画一的な物事の理解が根底にある。
入試業務の大変緊迫した時間管理のなかでも、そんなことはおかまいなしに、自分で用意して食べればいいというのである。たんなる経費の問題に矮小化している。「市民」を語りながら,実は,説明責任を果たすべきものの問題ではないのか? 経費削減の必要性はわかるが,入試業務から弁当を廃止することで一体どれだけの経費が節減でき,その反面としてどれだけの危険性が増大するのか?
こうしたことを続けると,一般入試の入試業務でも大きなミス(単純だが大きなミスが)が発生するのではないかと危惧する。
先日、市民医療センターで窒素ボンベと酸素ボンベの取り違え事件があった。事件そのものの原因はしっかりと調査されているのであろう。ただ、この間の身近な経験から一言しておきたいのはつぎのことである。単純ミス(だが場合によっては、その結果は生命に関わる重大事故となる)の背景には、何を言っても市民的感覚を示さない市当局(大学でいえば、学長と事務局責任者)があるのではないか?
多くの人間が,上からいわれた事しかしない、自分の感覚でなにか問題を感じても発言しない(発言しても睨まれるだけ)、というシステムになっているからではないか。入試という特別業務(休日出勤・生協閉店状況)での昼食弁当廃止ということは、表面上はごく小さなことだが,その決定過程,その決定の論理(無論理・経済主義)を見据えると、今回の「大学像」決定過程とおなじ深刻な問題が浮き上がってくるように思える。細かなことのすべてをトップが把握できるわけがない。
「民の力」に耳を傾け、それらの意見を結集し、組み合わせて、一歩ずつ前進するべきではないのか。私は,それはまさに民主主義の一つのあり方だと思う。秘密主義・独断主義・官僚的上意下達主義は、問題の解決にならず、深刻な問題を次々と引き起こしていくのではないのか。
「横浜市に大学を持つ資格なし」か?
いや、学長・事務局責任者に見識がないだけか?(Cf.「小川恵一学長の見識のなさが混乱・紛糾の原因の第一」http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page107.html)
それとも、これまでのような入試における昼食弁当廃止という現実の措置をそのまま受け入れ,なにも疑問を感じず、なにも発言しないのが優れているのか?
われわれ一人一人がじっくり反省しなければならないだろう。なにか問題を感じたら,適当にやり過ごすのではなく、おかしいと思った点は言うべきではないか。
ただ私のように「おかしい」とおもったことをずばずば言いすぎるのも、「すぎたるは及ばざるがごとし」であるかもしれない。読者の忌憚のない意見をお聞かせ願いたい。
[1] リンクがうまくつながらないようなので、本文中にリストをそのまま掲示した。
[2] 教員組合は、実にたくさんの要望書などをこの間に発表した。その一つ一つが、大学「改革」の問題点を適切に指摘するものとなっている。
委員長・藤山教授のお話では、こうした教員組合の諸決議・意見書も含め,教授会等の重要な公式決議リストをまとめられるそうである。本HPで欠落している諸決議について,必要に応じて補強していきたい。
[3] 設置者は地方公共団体=横浜市であり、行政機関はその一つの機構・一つの機関であるにすぎない。市議会における予算審議や定款審議が必要なこと,市議会の承認が必要なことが示しているように、「設置者=地方公共団体」の意思決定においては,地方公共団体を構成する市民の代表である議会の討論も決定的に重要である。
市長とその下にある行政機構は「設置者=地方公共団体」の一執行機関として、設置者の重要構成要素である現在の市民の意思を代表する議会への提案者であるにすぎない。市長と行政機関は、また、その議会での決定を執行する機関であるにすぎない。
行政機関の,そのまた歯車の一つでしかない事務局長等の責任者が、しばしばみられるように無限定かつ不注意に「設置者」を名乗ることは,僭称だといわなければならない。市議会への定款提案責任が,市長・行政当局にある、ということである。
市議会の議員を選んだのは,市長を選んだと同様に,横浜市民である。
市長(行政機関・行政機構)と市議会の意思決定がどのていど横浜市民の意思を反映し、また長い歴史をもち今後長く続くであろう地方公共団体としての横浜市(=設置者)の意思にかなうものか、これが問われている。
横浜市は現在の市民だけのためにあるのではない。過去の幾世代もの市民の努力の結実として今日の横浜市の現実がある。現在の横浜市民は今後長く続くであろう横浜市の意思を深く考えなければならない。横浜市が設立する大学の運命は,まさにそのような視野で考えなければならない。
学内外のさまざまの意見は、まさにこうした広い意味での、本質的で長期的な意味での真の設置者の意思をどのように判断するかをめぐるものである。大学は、まさに単に市長等の行政機関にたいして責任を負うだけではなく,大学の使命からして、こうした真の設置者にたいする歴史的社会的責任をもっている。
横浜市民、地方公共団体である横浜市は何を大学改革に望むか、それをめぐる根本的な議論が求められれていると考える。
その意味で,大学人は、市議会への市長・行政機関の提案の原案作成において、どのように関わるかが問われる。市議会や市民、地方公共団体の判断を狂わせないように,最大限の議論を積み重ねる必要があろう。
[4] 現行学則では、学長が大学事務局長と統率することになっているが、それでも議会答弁ひとつとっても、学長は局長答弁に追随するようになっている。
「大学像」とそれを受けたと称する今回の設置者の方針は、まさにその理事長支配体制を推し進めることになろう。「設置者」を標榜する行政の責任者が、実は,設置者ではないこと(たんに行政責任者にすぎないこと),このずれをきちんと見据える必要があろう。設置者は地方公共団体であり、その意思決定は,行政機関が独断的官僚的に行ってはならない。
大学人は、との時々の行政に振りまわされてはならない。長期的で普遍的な大学の使命にもとづいて、適切に意思を表明していかなければならない。
[5] 都立大学「改革」案で、大学管理本部から出された「主任教授制」などと抱き合わせの任期制は、大学内部の自由で創造的批判的な活発な研究を促進するよりも,ボス支配を制度化しかねない危険性が指摘されている。熟慮が必要である。
[6] HPで率直な大学の実態を書くことが,受験生にたいして悪い影響を与えるのではないかと危惧する向きもある。
率直に描かれた大学の実態こそ,改善しなおしていくべきである。
大学内部にある問題を外部に隠しても,内部の問題は改善されない。
商学部や本学,そして多くの大学に対するいくつかの正当な批判には、こうした大学内部の問題を隠す傾向(秘密主義・非民主性)の批判がある。
公的問題を公開で、最大限の自由をもって討論し,解決していくことこそ、真の民主主義であり,大学内部の活性化ではないか?
[7] 本日(12月8日)に入手した「特殊勤務手当」は,本学の入試業務に関するものであり,センター試験に関するものではないが,つぎのようになっているそうである。「1991年に制定され、市労連・教員組合との協議なしには市当局が勝手に措置できない」ものである。センター試験の場合、きちんとした原則があるはずであり,その確認が問題となろう。
1. 調査書の審査,1件10円
2. 試験問題の作成,1題7千円
3. 試験場の監督 日額3600円
4. 答案の採点、一題13円
5. 健康診断、1件,8円
6. 電子計算機による採点結果集計の立会い,日額1100円
7. 答案の出し入れの管理、1,100円
[8] 宮崎学・設楽清嗣著『敗者復活』朝日文庫,2003年、194-195ページ。
[ii][2] http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page142.html
"欺瞞の象徴"「横浜市大公式ホームページ」と事務局によるネットワークシステムの"無法乗っ取り"を糾弾する03-7-3
[iii][3] http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigakukaikaku/daigaku/daigaku_kaikaku/kangaekata.html
市立大学改革案に対する設置者の基本的な考え方03-12-1
[v][5] http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/taira021209.htm
第3回「市大あり方懇」傍聴記−池田理事・橋爪座長の議事引回しを許さず,民主的・公正な運営と討論を求める−02-12-9
[vi][6] http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page033.html
学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性02-12-11
[vii][7] http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/giman030514.htm
ようやく公開された『部外秘資料』と市長メッセージ『改学宣言』の欺瞞性03-5-14
[ix][9] http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030830goyohearing.htm
“御用”ヒアリング:たった15分の意見聴取で済ませて,強行突破する積もりか03-8-30
[x][10] http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031118shikai-houkoku.htm
教員組合:横浜市会大学教育委員会報告ほか03-11-18