独ソ戦初期(1941年6月22日〜)
世界大戦(1941年12月7日現地時間、「真珠湾=敵基地」奇襲攻撃)以前
1.独ソ戦・死闘の拡大とユダヤ人大量殺害開始・急進化(1941年6月-12月)
・ 東方大帝国建設の基本戦略・ソ連分割支配、
・ 1941年6月22日 対ソ奇襲攻撃・
占領地拡大とリトアニアなどでのホロコースト
占領地域の反ユダヤ主義の扇動と利用:
とくに、独ソ不可侵条約でソ連地域に併合され、1941年6月22日以降のドイツによるソ連攻撃で、ソ連軍を撃退した地域。
ソ連支配下で反ソ・反コミュニズムk・反ユダヤの意識が融合しやすかった地域、現地住民によるポグロムの条件がある地域。
・ ソ連侵攻当初の占領政策の基本指針
(占領地域住民の統合の必要性と経済的利用=搾取の必要性・・・矛盾する必要性のせめぎあい)
⇒・多大の犠牲を出しながらも、ソ連の強固な反撃による、
電撃戦の頓挫と占領政策基本指針の挫折
・ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国・最高)指導者・ドイツ警察長官に治安秩序樹立の任務
・アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊A,B,C,Dの4隊:「世界観の軍隊」)
および秘密報告書「事件通報ソ連」・
・ 「活動・情勢報告書」(第1号、第2号、第3号、第4号、第5号、第6号、第7号、第8号、第9号、第10号、第11号
・ソ連地域においてドイツ占領下に、戦時の最初の半年間に50万人余の殺戮
(Cf. Aの総括報告1942年1月31日・付録地図・・・アインザッツグルッペAだけで半年間に22万人ほど)
2. 全ヨーロッパの「ユダヤ人問題の最終解決」の準備命令
1941年7月31日付ゲーリング命令(ハイドリヒ宛):
「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の全体的解決を準備せよ」
(電撃戦勝利の幻想・確信の段階・・・前線へのムッソリーニ招待)
3. 電撃戦の挫折・被害増大と「ユダヤ人問題」―占領地住民の統合の必要性―
(1) ソ連赤軍(多大の犠牲を払いつつも)の反撃の高まりと1941年8月のドイツ国防軍の損害
ソ連戦時捕虜・・・最初の半年間に350万余(ヒトラーの12月の国会演説)。
しかし、ドイツの被害は?
・ 41年8月の内に、ドイツ国防軍の最精鋭・優秀な将校兵士の戦死・行方不明、戦車などの大規模な被害
(2) プロテクトラート、総督府、パリなどにおける不穏状態・・・食糧不足・配給への不満、伝染病、ストライキ・・・ヒトラーへの情報と要望。
ベルリンの情勢とゲッベルスのヒトラーへの要望(帝国宣伝大臣であり、かつ、ベルリン大管区長の職務にもあってベルリンの治安情勢に重大な責任
・・・戦時下におけるユダヤ人移送の要望・・・ドイツ本国の「民族同胞」の統合、不安・不満解消の手段)
「1918年症候群」(1918年11月の「革命で敗北」に終わった第一次大戦というヒトラー・ナチ国家指導部=「背後の匕首」の神話と恐怖・憎悪)
(3) 「総統のご希望」(1941年9月18日文書)-臨時的一時回避的移送政策の強行-
一方で、42年春にはソ連に勝利して移送計画が実行できるとの思惑(対ソ勝利の熱狂的確信・妄想)。
他方で、ハンブルクなどドイツ本国大都市への空襲・・・焼け出された「民族同報」、それに対しユダヤ人は?
・・・各地のナチ党大管区長からのユダヤ人排除の要請
(4) 臨時的移送を不可能・困難にする条件の蓄積・・・現場の抵抗(ウッチ[2][9]やリガなど)
ゲットー・・・41年9月は既に39年冬以来、2年。ゲットーの劣悪な生活条件、狭く不衛生、食糧不足、飢餓、伝染病、燃料不足
他方、軍需経済に組み込んだユダヤ人の活用のためには、その撹乱要因・新たな負担は回避(・・・軍需経済当局の発想・要望)
(5) 戦時下の移送の臨時的強行 (1941年10月中旬から11月にかけて)
移送されたユダヤ人の状態は?
たとえば、リガ、ミンスクに送られたドイツ・ユダヤ人は、「70-80%が労働不能」
4.「冬の危機」・対米宣戦布告・世界大戦化と絶滅政策への移行
ヴァンゼー会議(1941年11月29日召集・会議日12月9日・・・「直前キャンセル」)
⇒・42年1月8日再召集・・・「もう延期できない」
…1月20日にベルリン郊外高級住宅街にある親衛隊の建物(かつてのユダヤ人富豪の館)