総力戦とホロコースト

                                                     

 

はじめに

 第二次大戦中の犠牲者・・・「戦争中だけで5500万人以上。
  そのうち、最もたくさんの犠牲が出たのは、民間人・軍人でソ連」。
  
新の国際シンポジウム案内の文言

 他方、ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)の犠牲者数は、約600万人。

 (ヒトラーの政治的遺言では、「
私が、ドイツと中部ヨーロッパからユダヤ人を根絶した
  …自らの反ユダヤ主義の誇るべき成果、感謝される業績として)

 

 なぜ、こんなにたくさん?

 どこで?

どのようにして?

どのような経過をたどって?

 

  Cf.ホロコースト講義HP
  http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20060126ShiminKozaNote.htm

 

 二つの世界大戦との関連性・・・ホロコーストは第二次大戦中の悲劇。

 しかし、第二次世界大戦は、
第一次世界大戦とその帰結のあり方(ヴェルサイユ体制下の世界の構造的諸問題)と関連。

ヒトラー・ナチ党・・・第一次世界大戦の「敗北の克服」という基本戦略と関係。

 

 

1.平時の迫害から追放へ(1933-1939年)

 

  193811月の「帝国水晶の夜」の迫害後のキンダー・トランスポート

 

2.戦時下、西欧ユダヤ人の移住政策(19399月-194110月まで

 
  「民族の耕地整理」・・・ポーランド人・ユダヤ人の追放と民族ドイツ人の植民

  移動型ガス室による「安楽死」作戦

  ただし、対ソ奇襲攻撃準備が煮詰まってくる段階で、ユダヤ人移住政策、停止。
  (対ソ戦のための全力集中、輸送能力の対ソ戦への集中)

 

3.独ソ戦・死闘の拡大とユダヤ人大量殺害開始・急進化(19416月-12月)

     東方大帝国建設の基本戦略ソ連分割支配

     19416月 対ソ奇襲攻撃

 占領地拡大とリトアニアなどでのホロコースト

 占領地域の反ユダヤ主義の扇動と利用
  とくに、独ソ不可侵条約でソ連地域に併合され、
1941622日以降のドイツによるソ連攻撃で、ソ連軍を撃退した地域。

  ソ連支配下で反ソ・反コミュニズムk・反ユダヤの意識が融合しやすかった地域、現地住民によるポグロムの条件がある地域。


     ソ連侵攻当初の占領政策の基本指針

(占領地域住民の統合の必要性と経済的利用=搾取の必要性・・・矛盾する必要性のせめぎあい)

    ・・・・・電撃戦の頓挫と占領政策基本指針の挫折

 

・ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国・最高)指導者・ドイツ警察長官に治安秩序樹立の任務 

アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊A,B,C,D4隊:「世界観の軍隊」

   ハイドリヒの命令

 および秘密報告[1][7]「事件通報ソ連」

活動・情勢報告書

第1

第2

第3


第4

第5

第6

第7

第8

第9

第10

第11


リトアニアイェーガー報告書)、白ロシアウクライナ(バビ・ヤールなど)

・ソ連地域においてドイツ占領下に、戦時の最初の半年間に50万人余の殺戮

Cf.  Aの総括報告1942年1月31日・付録地図・・・アインザッツグルッペAだけで半年間に22万人ほど)

 

4. 全ヨーロッパの「ユダヤ人問題の最終解決」の準備命令

1941731日付ゲーリング命令(ハイドリヒ宛)

「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の全体的解決を準備せよ」

 (
電撃戦勝利の幻想・確信の段階・・・前線へのムッソリーニ招待)

 ・・・しかし、41年8月はじめ、ヒトラーは時期尚早と移送政策の全省庁調整開始を禁止。

 だが、独ソ戦の展開(ソ連反撃の強さ、電撃的勝利の頓挫がはっきりしてくる状況)
 9月、ヒトラーは「来年春までの」臨時的、部分的移送政策を「希望」するに至る。

 
臨時的移送政策が直面する難問群

 1941年10月〜11月
   全体的調整の会議招集の認める。


 1941年11月29日 ハイドリヒがヴァンゼー会議を招集。

 1941年12月7日(日本時間8日)、真珠湾攻撃

    12月11日、ヒトラーの対米宣戦布告。

   「世界大戦」(1914〜1918)の展開と同じような事態へ。すなわち、アメリカの参戦。

   文字通りの、世界大戦への突入

   ヒトラーのナチ党幹部への演説・・・・ゲッベルス日記。

   「いまや、世界大戦だ」・・・・すなわち、再び世界大戦がはじまったことを宣言。

 1942年1月1日 連合国26か国宣言

 

5.   電撃戦の挫折・被害増大と「ユダヤ人問題」占領地住民の統合の必要性―

(1)   ソ連赤軍(多大の犠牲を払いつつも)の反撃の高まり19418月のドイツ国防軍の損害

    

ソ連戦時捕虜・・・最初の半年間に350万余(ヒトラーの12月の国会演説)

    しかし、ドイツの被害は?

     418月の内に、ドイツ国防軍の最精鋭・優秀な将校兵士の戦死・行方不明、戦車などの大規模な被害

     ハルダー陸軍参謀総長の記録  

 

(2)  プロテクトラート総督府、パリなどにおける不穏状態
    ・・・食糧不足・配給への不満、伝染病、ストライキ・・・ヒトラーへの情報と要望。

  ベルリンの情勢とゲッベルスのヒトラーへの要望

  (ゲッベルスは帝国宣伝大臣であり、かつ、ベルリン大管区長の職務にもあってベルリンの治安情勢に重大な責任

   ・・・
戦時下におけるユダヤ人移送の要望・・・ドイツ本国の「民族同胞」の統合、不安・不満解消の手段)

 

  「1918症候群(シンドローム)(191811月の「革命で敗北」に終わった世界大戦というヒトラー・ナチ国家指導部=「背後の匕首」の神話と恐怖・憎悪)

 

(3)  総統(フューラー)のご希望(1941918日文書)臨時的一時回避的移送政策の強行

  一方で、42年春にはソ連に勝利して移送計画が実行できるとの思惑(対ソ勝利の熱狂的確信・妄想)

  他方で、ハンブルクなどドイツ本国大都市への空襲・・・焼け出された「民族同報」、それに対しユダヤ人は?

     ・・・各地のナチ党大管区長からのユダヤ人排除の要請

 

(4)  臨時的移送を不可能・困難にする条件の蓄積
    ・・・現場の抵抗(ウッチ[2][9]
リガなど)

 ゲットー・・・419月は既に39年冬以来、2年。
        ゲットーの劣悪な生活条件、狭く不衛生、食糧不足、飢餓、伝染病、燃料不足

 他方、軍需経済に組み込んだユダヤ人の活用のためには、その撹乱要因・新たな負担は回避(・・・軍需経済当局の発想・要望)

 

(5)  戦時下の移送の臨時的強行 (194110月中旬から11月にかけて) 

移送されたユダヤ人の状態は?

たとえば、リガ、ミンスクに送られたドイツ・ユダヤ人は、70-80%が労働不能」

 

6.「冬の危機」・対米宣戦布告・世界大戦化と絶滅政策への移行

 ヴァンゼー会議19411129日召集・会議日129
     ・・・「直前キャンセル

     ・・・42年1月1日の連合国26か国宣言

       
4218日再召集・・・「もう延期できない」

   42年
120日にベルリン郊外高級住宅街にある親衛隊の建物(かつてのユダヤ人富豪の館)

 

7.ラインハルト作戦(1942年から194311月)

   ベウゼッツ・ソビボール・トレブリンカ(ラインハルト作戦)、


   そして、アウシュヴィッツ


         ポーランドおよびハンガリーにおける反ユダヤ主義


8.ドイツ国防軍の撤退とハンガリー・ユダヤ人の絶滅(1944年春から夏)

 




補論:

9.ホロコースト(すべて焼き殺す大量殺害)の武器としての原爆の開発は? 

      ナチ体制下ドイツの原子力開発(原爆・原子炉)は、最終的には低い水準。 

   それはどのような諸要因によるか? 

 


科研費調査研究(出張記録から)
2009823日―96日・マックス・プランク協会文書館Berlin

20092月と3月の出張記録
(ミュンヘン・ドイツ博物館およびベルリン・マックス・プランク協会文書館

 

 原爆に関する空想科学小説は、第一次大戦勃発直前に・・・ウェルズ 『解放された世界』

 空想科学小説作家ウェルズとシラードの交流。

 

    シラードとアインシュタインの交流(両者ともユダヤ人)。

 

193812月 オットー・ハーン、シュトラスマンによる核分裂発見

        理論的解明は、リーゼ・マイトナー(ユダヤ人、スウェーデン亡命中)

19391月 学術雑誌にハーンとシュトラスマンの連名で発表。

               
夏までに、世界中で核分裂が確認され、同時に、
      連鎖反応(原爆・原子炉の原理)の理論的可能性解明。


193982 シラードの働きかけでアインシュタインからローズベルト大統領へ書簡
 

 193991日 ドイツのポーランド奇襲攻撃開始。

 1940年夏までに、西ヨーロッパ全域を電撃的に支配(軍事占領)。

 

 シラードたちの焦り、アインシュタインのアメリカ大統領あて第二の書簡

  1940615日の大統領書簡(ヴァニヴァ・ブッシュ宛)

  1941517日 米国科学アカデミー原子核分裂委員会(第一次)報告書

 

    194112月 日米開戦。ヒトラーの対米宣戦布告。

   
    194211日 26カ国連合国宣言





 1942年のドイツの原子力開発状態は?

19426月 ハイゼンベルクの演説・・・原子力開発の研究継続を要請(陸軍の直轄から離れて、化学研究としてのウエイトが高まる)。

  アメリカではまさにこの夏、マンハッタン計画が開始。陸軍による実際の原爆開発プロジェクト。





 

-----------------その後の経過(以下、資料出所-----------------

 

1945618日 トルーマン大統領と軍首脳の対日戦略会議
       (
111日までに九州上陸作戦の準備を完了)