ナショナリズム論・講義・資料(2010/05/26)
来週あたりから、ナショナリズムをめぐる自分の問題関心、それに基づく調査が進んでいる人に、報告をお願いしたいが、手を挙げる人は?
報告に当たっては、簡単なレジュメでも結構ですし、パワーポイントの利用なども、どうぞ。
A. ナショナリズム(国民主義・国粋主義・民族主義)をどうとらえるべきか?
ナショナリズムの多様な形態・潮流・レヴェル・主張や思想の違いを確認する必要。
前回の朝河貫一の見地(Pdf1,Pdf2)・・・・国粋主義的な人々との違い。
1− @「共通の敵を作り出すことで、利害関係の共通化を図る」、「ドイツ人という集団を作り出す役にたてられた」。
・・・世界経済恐慌は、列強がそれぞれ自国・自帝国を守るという方法で脱却がはかられた。植民地・勢力圏を持たない「プロレタリアート」国家・民族としてのドイツ・イタリア・日本が植民地拡大・帝国建設への道を推進した。
自分の国民のため→自分の帝国のため・・・・・弱小民族を抑圧する・支配する・従属させる。列強・大国の側での帝国主義ナショナリズム。これに対し、支配され従属させられた諸民族の抑圧や従属からの解放を目指すナショナリズム(民族解放闘争の中心的理念としてのナショナリズム)。
アルジェリア独立戦争、ベトナム戦争、その他。
第二次世界大戦を経て世界的に確立されてきたことは、諸民族の平等、諸民族の民主主義、諸民族の独立(自決)・・・戦後65年近い現在、国際連合にはたくさんの小さな民族・国民で形成された200近い国家が結集している。200近いこれらの国々は、ナショナリズムを基礎として形成されたが、また、現在までの過程で幾多の紛争・戦争を行った(冷戦体制崩壊を契機に盛り上がったナショナリズムの炎の結果、ユーゴスラビアにおける民族紛争など)が、大局的には、大きな戦争を引き起こすような排外的敵対的なナショナリズム、あるいはその過激化は、なんとか抑え込まれてきた、といえるのではないか。その少数の例外の一つが、中東(イスラエル・パレスチナ問題)。
1−Aユダヤ人はいったい何なのだろうか?・・・宗教と血によって「人」をあらわすユダヤ人はとても不思議な存在。国がないとナショナリズムはできないものであるとこの講義を受けるまで考えていましたが、ユダヤの人たちは違ったと思いました。「同じ経験」というものがナショナリズムをつくる材料かもしれない。
・・・ユダヤ人のナショナリズム・・・ユダヤ人国家を作ろうとするシオニズム→イスラエル国家の創設。
「同じ経験」、「同じ利害」、「共通の経験・利害」(現実的なものから想像上・思想上・理念上)を持つ人々の結集の思想としてのナショナリズム。「同じ」「共通」・・・・どこまでが事実で、どこからは思想的に作り上げたものか?
国がないが、植民地人が結束して、本国に対抗し、独立戦争を行って国をつくったのがアメリカ合衆国。
2.現代のような情報化社会では以前のようなナショナリズムは発生しづらくなっているのではないか。
・・・「9.11」とその後のイラク戦争への道は、情報化社会の最先端を行くアメリカにおける危険性をものがたってはいないか?「危機」が発生した時、情報化社会はかえって恐るべきことになりはしないか?
アメリカは、対イラク戦争を始めたブッシュ政権の誤りを占領下の現実と選挙で明らかにし、オバマ大統領を誕生させた。それを可能にしたのは、どのような諸条件だろうか?
3.勝者こそ正義の図式は揺るがないもので、正しいのだろうか?
・・・何が勝ったか? これが問題。 どのような大義が勝利したか。どのような大義が戦後社会で圧倒的なものとなったか。第一次大戦後はまだ帝国主義時代。
第二次大戦後は? 冷戦体制は?(次の感想・意見と関連)
4.WWII後、日本の敗戦においてアメリカが日本に行った政策、すべてを奪うのではなく、自分たちの思想を与えつつ、再興に力を貸すというやり方は、第一次大戦の反省を生かしてということがあるのではないか?
・・・その通り。「自分たちの思想」=国民主権、自由と民主主義の考え方・・・民主主義の憲法。(ソ連型社会主義との対抗)・・・アメリカ合衆国の自分たちの原理の正当性・自分たちの生き方を守る・それを世界に広める、という使命感。
5.ヒトラーが自殺してしまった後に、世界はどうやってドイツに責任を負わせようとしたのか? イタリアや日本に対しては?
・・・イタリアや日本は、第一次大戦のときは、戦勝国。しかし、戦果が少ないと欲求不満・・・対華21カ条要求など利権獲得を目指したが挫折したので。
第二次大戦で、敗戦国は植民地をすべて失う。敗戦国ドイツは、連合国4カ国の占領下におかれ、敗戦国日本はアメリカの占領下・・・日本全土にアメリカの軍事基地・・・それがいまだにひ地米安全保障条約というシステムの下で存続…沖縄にずっと過重負担。
連合国は、第一次大戦を反省して、敗戦国それぞれの国民全体に負担を押し付けるのではなく、指導者・指導組織に責任を負わせた・・・・ニュルンベルク裁判、東京裁判。
6−@EUはナショナリズムを国単位では克服したかもしれない。だが、結局EUとそれ以外の構図は依然として続いているのではないか? 地球ナショナリズムは可能だろうか?
6−AEU統合は、合理性を重視して行われたのかと思ったが、ナショナリズムの観点でEU統合をしたという見方を知って驚いた。興味深いが、統合と支配はすごく紙一重だと思うので、もしこのような考えが世界を取り巻くようになったら本当に慎重に考えるべきだと思う。今の世界はナショナリズムの悲劇を克服したと先生はおっしゃっていたが、慎重にする必要があると思いました。EU統合に伴う国家・国境という枠組み、その垣根を低くしているというのは国家のデメリットだと思いますか?
・・・EUの統合への道、通貨統合その他の制度・・・・「EUとそれ以外」は、かつての排外的帝国主義的ナショナリズムのように「その他」に対して、抑圧的・対立的・敵対的か?
地球環境を守る、地球の核戦争を起こさせないようにする、といった地球共通・人類的な課題に向かって、たくさんの利害対立に直面しつつも、ごくわずかでも、あるいは一歩ずつでも、世界・地球は前進してはいないか? COP15のコペンハーゲン会議の困難な現実を見据えつつ。
地球ナショナリズムは、困難な道だが、前進させようという一人ひとりの努力は確実にできるとも言えるのでは?
20世紀前半、帝国主義・植民地主義の世界など実現できると思われていなかったのではないか?
その中での日本人では、朝河貫一であり、石橋湛山であり、幸徳秋水であったのではないか?(日本における自由主義・民主主義などの潮流、反帝国主義・反植民地主義の人々・・・世界における同様の人々)
「ナショナリズムの悲劇の克服」は、限定的。決して安心してもいい状況ではない。排外的ナショナリズムの空気は、最近も、何か事件があると(たとえば竹島問題、尖閣列島問題、あるいは哨戒艇沈没事故、などなど)、一部で盛り上がり激化している。
そして、その度ごとに、日本の自衛隊の装備は増強されている。今や日本の陸上自衛隊の隊員数はイギリスやフランスよりも多い(欧州では冷戦体制解体後、すなわちベルリンの壁崩壊後、軍事力削減が進められた)
国境・国家の枠組みの、相対化が、戦後、少なくともヨーロッパはEU統合の中で進展した。だが、ドイツ、フランスなどの諸国家は厳然として重要な機能を果たしている。国境をめぐる争い、国境の膨張をめぐる争いは克服したが・・・
7.第一次大戦の処理の問題を考えれば、「ユダヤ人の犠牲は、連合国にも責任がないとは言えないと思う」。
・・・日独伊の軍事同盟国にも責任。
ナショナリズムを排外的に激化させ、帝国主義・植民地主義を推進し、そのための戦争、最終的には世界戦争を行った勢力・国家の責任。
8.ヨーロッパはそれぞれの小さな国が経済的な目的で大きくまとまり、中国は大きな国の中に小さな民族の塊が数多く集まる。国としてのまとまる難しさを感じる。国は永久機関ではないので、時代の移り変わりとともに絶えず変化していく。国家・国籍という概念をもう一度多角的に考えていきたい。
・・・・いいレポートテーマになりそう。
9.戦争を正当化している論理を突き詰めていき、その論理を崩すことができれば、戦争は無くせるのだろうか?
・・・いい研究テーマ。
10.ナチ党に入党したハイデガーの票な優秀な学者もいたのだから、当時のドイツは本当に荒んでいたのではないか。
・・・大学院生の修士論文のテーマが「ハイデガーとナチズム」だった。関心があれば、図書館で。
B. ヒトラーをどう評価するか?どんな政治的潮流の人物としてみるか?
「ヒトラーばかりが悪者」?「ドイツばかりが悪者」?
1.現在『わが闘争』を読み始めたところ・・・・「小さい頃は恵まれた環境」、父の死までは「神童」?・・・ヒトラー神話(「天才」という見方)?
・・・ヒトラーの全生涯・世界の中での行動を知った上で、「神話」の形成過程から、絶頂期、しかし、敗戦によるそのはく奪、極悪人化の全過程をきちんと見据え、分析していく必要。講義で話したことはそのための出発点・素材のいくつか。
2.ヒトラーは民主的に選ばれた? ドイツ国民・ドイツイ国民・大衆の合意を得てナチスドイツをつくることができた、ドイツ人民はヒトラーの命令にあまりにも従順だった?
・・・ミュンヘン一揆失敗後、「合法路線」で、選挙で、特に世界経済恐慌の深刻化の過程で、国民の支持を得ていき、第一党となり、「連立政権」の首相に選ばれた。
3.国民全員が指導者と同じ考えではなく・・・しかし、「国の意見」としてとらえられてしまうということは現代社会でも多い。
・・・注意すべきは、ナチ党の得票率の推移。
このテーマに関する研究
ロバート・ジェラテリー, 根岸 隆夫
マシュー・セリグマン
村瀬興雄『ナチス体制下の民衆生活』東京大学出版会
最新の学会のテーマ「ナチス時代のドイツ社会:イデオロギー的計画と社会的実践」
1933年1月30日に成立したヒトラー内閣のもとで、国会炎上事件を武器に共産党など左翼を非合法化、弾圧し、ワイマール憲法を停止しても、なお、3月5日投票の総選挙で全体としては過半数を占めることはできなかったという事実も、見据える必要がある。
多様な政治的考え(多様な政党)が公然と目に見える形で活動しているのが、民主主義社会、多党制の社会。この多党制・複数政党制の議会制民主主義の国が多くなってきた現在の世界の見地から、他国のこと、世界のことを「国単位」でみる見方の危険性(ナショナルなメガネ)を察知した意見。
3.アウシュヴィッツの強制収容所で人命を奪っていた人たちは軍人などではなく、一般の普通の市民だったと聞いたことがある・・・アウシュヴィッツ強制収容所に連行されたユダヤ人をガス室に送り込み実行した人々は、イエスマンばかりの軍部になったから何も疑問に感じなかったのだろうか・・・
ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)を行った主体・主要組織・機関は?
ヒトラーとヒムラー、ハイドリヒ、アイヒマンなど(親衛隊のトップから中間幹部)との関係。
「ユダヤ人問題最終解決」を議題としたヴァンゼー会議の招集者がハイドリヒ(帝国保安本部長官)。
ヒトラーと軍人との関係、ヒトラーと一般兵士との関係。
吉見義明『草の根のファシズム』、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
ゴールドハーゲン論争。
ゴールドハーゲン『ヒトラーの自発的死刑執行人−普通のドイツ人とホロコースト』(邦訳あり)
多くの議論。拙著『独ソ戦とホロコースト』、『ホロコーストの力学−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−』はゴールドハーゲン批判の見地。
4.もしドイツが勝っていたら、“自由”や“民主主義”は、どのように考えられるのだろうか?
・・・指導者原理。ゲルマン的民主主義。ドイツ国民・ドイツ民族限定の「自由」、「民主主義」・・・・ドイツ国民にとっても本当に「自由」、「民主主義」?(実際には、一党体制確立、民主主義的多様性、多党制を否定)
5.ユダヤ人迫害についての文献は被害者目線のものが多いので、逆の立場のことも触れてみたい
・・・まさに私がやってきたことは、このユダヤ人を迫害する人々(ヒトラーを頂点とする巨大な組織・第三帝国とその戦争)の論理・行動・その状況などの解明。
6.ユダヤ人、ナチス(ヒトラー)と共産主義・社会主義の関係についてもう一度言っていただきたい。
・・・講義で。マルクス・エンゲルス・レーニンなどの社会主義・社会民主主義・共産主義(「万国の労働者、団結せよ」・・・インターナショナリズム)をヒトラー・ナチズムは否定。不倶戴天の敵。
「社会主義」を称するものはたくさんのタイプがある。ビスマルクの国家社会主義。
------------------6月2日配布資料・レジュメ---------------
1. 平時の迫害から追放へ(1933年-1939年)
1938年11月の「帝国水晶の夜」の迫害後のキンダー・トランスポート
2.戦時下、移住政策(1939年9月−1941年12月まで)
「民族の耕地整理」・・・ポーランド人・ユダヤ人の追放と民族ドイツ人の植民
3.独ソ戦・死闘の拡大とユダヤ人大量殺害開始・急進化(1941年6月−12月)
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東方大帝国建設の基本戦略・ソ連分割支配、
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1941年6月 対ソ奇襲攻撃・
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占領地拡大とリトアニアなどでのホロコースト
占領地域の反ユダヤ主義の扇動と利用:とくに、独ソ不可侵条約でソ連地域に併合され、1941年6月22日以降のドイツによるソ連攻撃で、ソ連軍を撃退した地域。
ソ連支配下で反ソ・反コミュニズムk・反ユダヤの意識が融合しやすかった地域、現地住民によるポグロムの条件がある地域。
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ソ連侵攻当初の占領政策の基本指針
(占領地域住民の統合の必要性と経済的利用=搾取の必要性・・・矛盾する必要性のせめぎあい)
・・・・・電撃戦の頓挫と占領政策基本指針の挫折
・ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国・最高)指導者・ドイツ警察長官に治安秩序樹立の任務
・アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊A,B,C,Dの4隊:「世界観の軍隊」)
および秘密報告書「事件通報ソ連」・
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「活動・情勢報告書」(第1号、第2号、第3号、第4号、第5号、第6号、第7号、第8号、第9号、第10号、第11号
・ソ連地域においてドイツ占領下に、戦時の最初の半年間に50万人余の殺戮
(Cf. Aの総括報告1942年1月31日・付録地図・・・アインザッツグルッペAだけで半年間に22万人ほど)
4. 全ヨーロッパの「ユダヤ人問題の最終解決」の準備命令
1941年7月31日付ゲーリング命令(ハイドリヒ宛):
「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の全体的解決を準備せよ」(電撃戦勝利の幻想・確信の段階・・・前線へのムッソリーニ招待)
5. 電撃戦の挫折・被害増大と「ユダヤ人問題」
―占領地住民の反ドイツ意識・抵抗意識・運動の表面化と民衆統合の必要性―
(1) ソ連赤軍(多大の犠牲を払いつつも)の反撃の高まりと1941年8月のドイツ国防軍の損害
ソ連戦時捕虜・・・最初の半年間に350万余(ヒトラーの12月の国会演説)。
しかし、ドイツの被害は?
・ 41年8月の内に、ドイツ国防軍の最精鋭・優秀な将校兵士の戦死・行方不明、戦車などの大規模な被害
(2) プロテクトラート、総督府、パリなどにおける不穏状態・・・食糧不足・配給への不満、伝染病、ストライキ・・・ヒトラーへの情報と要望。
ベルリンの情勢とゲッベルスのヒトラーへの要望(帝国宣伝大臣であり、かつ、ベルリン大管区長の職務にもあってベルリンの治安情勢に重大な責任・・・戦時下におけるユダヤ人移送の要望・・・ドイツ本国の「民族同胞」の統合、不安・不満解消の手段)
「1918年症候群」(1918年11月の「革命で敗北」に終わった第一次大戦というヒトラー・ナチ国家指導部=「背後の匕首」の神話と恐怖・憎悪)
(3) 「総統のご希望」(1941年9月18日文書)−臨時的一時回避的移送政策の強行−
一方で、42年春にはソ連に勝利して移送計画が実行できるとの思惑(対ソ勝利の熱狂的確信・妄想)。他方で、ハンブルクなどドイツ本国大都市への空襲・・・焼け出された「民族同報」、それに対しユダヤ人は?・・・各地のナチ党大管区長からのユダヤ人排除の要請
(4) 臨時的移送を不可能・困難にする条件の蓄積・・・現場の抵抗(ウッチ[1][2][9]やリガなど)
ゲットー・・・41年9月は既に39年冬以来、2年。ゲットーの劣悪な生活条件、狭く不衛生、食糧不足、飢餓、伝染病、燃料不足
他方、軍需経済に組み込んだユダヤ人の活用のためには、その撹乱要因・新たな負担は回避(・・・軍需経済当局の発想・要望)
(5) 戦時下の移送の臨時的強行 (1941年10月中旬から11月にかけて)
移送されたユダヤ人の状態は?
たとえば、リガ、ミンスクに送られたドイツ・ユダヤ人は、「70-80%が労働不能」
6.「冬の危機」・対米宣戦布告・世界大戦化と絶滅政策への移行
ヴァンゼー会議(1941年11月29日召集・会議日12月9日・・・「直前キャンセル」)・・42年1月8日再召集・・・「もう延期できない」…1月20日にベルリン郊外高級住宅街にある親衛隊の建物(かつてのユダヤ人富豪の館)
会議の議事録・・・その最後に、ポーランド総督府次官の「要請」・・・約250万人のユダヤ人、「大食漢」、伝染病・闇商売、ほとんどが労働不能・・・できるだけ速やかに最終解決を。
7.ラインハルト作戦(1942年から1943年11月)
ベウゼッツ・ソビボール・トレブリンカ(ラインハルト作戦)、
そして、アウシュヴィッツ
8.ドイツ国防軍の撤退とハンガリー・ユダヤ人の絶滅(1944年春から夏)
ソ連赤軍の反撃により、全面的敗退に追い込まれ、1944年初春には、ハンガリーまで撃退される。
同盟国ハンガリーのユダヤ人も、強制収容所への集中と短期間のアウシュヴィッツへの移送・・・約40万人を絶滅。