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ナチズムの歴史と記憶
第3回 深める:なぜホロコーストは起きたのか

     ――
国民社会主義(ナチズム)の「アウシュヴィッツへの道――


  ユダヤ人迫害の段階的過激化に関して、最新の本格的な新しい史料集(全16巻)で検証を
  進めている途中(最近の論文いくつか、配布資料を参照ください)。
  その私の最新の成果を中心にお話ししたい。


                                     講師:永岑 三千輝(ながみね みちてる)


目次


まえおき



【否定論・・・「歴史修正主義」を標榜】


  戦争体験者のマイノリティ化の進行、記憶の風化、忘却、それらに乗っかる種々の戦時中加害・被害の否定や無視

  
ホロコースト否定論・アウシュヴィッツ否定論・いわゆる「歴史修正主義」など

  日本絵での否定論の公然たる登場は、若者向け雑誌『マルコ・ポーロ』(文芸春秋社)に1995年2月号(1月発売)・・・騒然! ・・・廃刊。
    



これに抗する
  
歴史科学は、ホロコーストの筋道を丁寧に実証的に解明。その過程での論争

  歴史科学は、史料をもとに立論。
史料の発掘・解読・研究史を踏まえ、歴史の流れを描く。

      (ドイツ連邦文書館などには膨大な文書)

【歴史科学における論争点の一つ】
   歴史科学における一つの
論争点:
 ヒトラーの
「ユダヤ人絶滅命令」(移送政策から絶滅政策への転換)の時期をめぐる論争

 論争は、歴史認識、歴史科学の正確な認識過程での必然のこと。
 ものごとの真実と真理は、発見の過程で実現される到達点であり、成果である。
  ・・・不断の真実・真理発見過程としての諸科学の歴史。
  ・・・人類史。


【画期・転換点をいつとみるか】

     そのメルクマールとして特筆される諸事実

1939年1月30日国会演説
      ・・・今度、世界戦争になれば、「ボルシェヴィズムの勝利、すなわちユダヤ人の勝利ではなく、ヨーロッパ・ユダヤ民族の絶滅だ」との
予言

1941年7月31日ゲーリング令
     ・・・「鉄の心臓の男ハイドリヒに対する
命令書(・・・ハイドリヒが準備した文書にゲーリングが署名
 
1941年12月対米宣戦布告・世界大戦化におけるヒトラー発言・・・ゲッベルス日記 





本論

  ドイツをはじめとする欧米の研究の到達点
 ・・・・
600万人のユダヤ人がヒトラー・第三帝国によって殺戮された
 
   
これはどうしてなのか?


【論争点】

   
ヒトラーが「ユダヤ人絶滅」を最初から「意図」し、「計画」していたからか、

   
それとも、第一次大戦から第二次大戦のナチズム(国民社会主義Nationalsozialismus)の思想・運動・体制と国内諸情勢および国際的諸条件との関連による悲劇的帰結なのか?
    

 
そもそも、ヒトラーの「絶滅命令」はあったのか。なかったのではないか。
   (極右歴史小説家アーヴィングなど・・・「ヒトラーの絶滅命令はなかった」)

 あったとすれば、どこで、どのように述べ、命じているのか?
   「命令」とはどういう意味合いか? ・・・(極右歴史小説家アーヴィングなど・・・「命令文書がないではないか」)

   「命令」(大々的な
絶滅作戦の開始)は、いつのことか?


   「絶滅命令」の有無、時期、それらのなぜか、
をめぐる問題、ヒトラー第三帝国の全体理解と密接に関連。
  
  この問いは、全体的関連を解きほぐす結節点。

問い: ヒトラーは、『わが闘争』(1925年)以来、一貫して、「ユダヤ人絶滅」を意図し、目標としてきたのか? 

            
ヒトラーとナチズム(国民社会主義)が実現しようと意図目標とし計画したのは、「ユダヤ人絶滅」だったのか?

  
Yes・・・研究者・学説のなかで、意図派(イエッケル)・プログラム派(ヒルグルーバー)。
                    
 典拠は、ヒトラーの初期の演説や『わが闘争』の言説。

                      1990年代後半のゴールドハーゲン論争・・・・ゴールドハーゲンは、「400年の絶滅的な反ユダヤ主義」の伝統を強調。


 
それに対する研究者・学説(歴史研究では、今日の世界の歴史学会で支配的となり、通説化)・・・私もこの潮流に属する。

  
No.・・・・機能派(ブロシャート、モムゼン)・・・現実のような諸要因の組み合わが機能し、
             それら諸要因のドイツ内外の諸条件による変化と迫害の高進を重視する見地。
             諸迫害条件の過激化・累積の総合的帰結として。
             迫害諸条件を過激化させる諸要因・・・重要なものが、戦況・戦線・戦線背後の広大な地域の情勢。 


【私の見地】:

  
意図・計画: 「ユダヤ人絶滅」を目標としたのではなく、
   
ヒトラー・ナチス・ナチズムの基本目標・戦略(『わが闘争』のエッセンスは、
 
      
第一次世界大戦の「敗北の清算」、「敗北の克服」膨張政策、「生存圏」拡大


 
世界強国・東方大帝国建設の一貫した目標と段階的実現


 私はダイナミックな変化の核心にある生きた思想(ヒトラー、ナチ党首脳部)の構造としてみる。

 、ヒトラーの確固たる目標を見ずマキャベリスティックな戦術しかみないA.J.P. テイラー
  これに対し、A.ヒルグルーバーは、「計画(プログラム)」の実行と規定(Strategie, 564‐565ページ)。

     ・ヒトラー・ナチズムの思想構造の必然的結果としての「防衛」(膨張)戦争政策
      
 (戦争によっても膨張・大帝国建設を実現するという理念と政策の体系)
     (戦争は、諸外国、ユダヤ諸勢力によって引き起こされるとの主張、「防衛」としての戦争、との主張)


【社会ダーウィニズム】
     
膨張政策の根底を流れる一貫した理念・イデオロギー(正当化の思想=社会ダーウィニズム
       
 ・・・・19世紀末から20世紀前期におけるヨーロッパ列強の世界支配・帝国主義・植民地主義


      
=ドイツ民族が頂点にあって支配する広大な領土をもつ世界強国の建設
      
        (人種=血統による分類、法制度上出発点、混血度による人間の分類・・・1935年9月15日ニュルンベルク法

    
 ・・・膨張的ナショナリズム=弱小諸民族の支配の正当化=人種・民族の階層的位置づけ

      
   アーリア人種の世界的優位性

       ドイツ民族の優秀性・優位性



     
世界の他の諸民族の階層的位置づけ(人種主義)
          ・・・最底辺にユダヤ民族(宗教的反ユダヤ主義の長い歴史を背景にしているが、民族主義的人種主義的反ユダヤ主義はナチス固有)



    そうした
ヒトラー・ナチズムの基本目標・基本戦略・世界強国建設に対する
    多様な反対勢力・抵抗勢力・敵対勢力
の存在。

       
       
 ヒトラー『我が闘争』の論理・・・・敵の諸勢力は、究極的にユダヤ人に帰せられる、とする。・・・・「還元」の思考。


       第三帝国の支配下に置かれる
ポーランド人、ロシア人その他周辺諸民族の不服・抵抗・反撃


I. 追放・強制移送政策の段階

「平和的」領土膨張の時期


 
1.オーストリア併合
           (拙稿「第三帝国の膨張政策とユダヤ人迫害・強制移送 1938」『横浜市立大学論叢

           第一次大戦の戦勝国による抑圧・不当な措置(ヴェルサイユ条約体制)に対する国民的不満を吸収。
           ドイツ人(ドイツ民族)の統一・・・・その限りで、民主主義的要求の実現・・・「大ドイツ」の実現。


 
2.ズデーテン併合

             チェコスロヴァキアに「取り残された」ズデーテン地域のドイツ人を大ドイツに吸収・慶剛・・・・さらなる「大ドイツ化」の実現・・・・民主主義的要求のさらなる実現、という側面。
             
             民族自決の民主主義的原則を、武力を背景にした恐喝によって実現・・・・・
目標手段の暴力性。 



 
3.チェコスロヴァキア解体・・プロテクトラート・ベーメン・メーレン保護領の創設
             
(拙稿「第三帝国の膨張政策とユダヤ人迫害・強制移送 1938‐1939」『横浜市立大学論叢』)


          チェコ人の地域を保護領として支配。(軍事力と恐喝により)

          スロヴァキアを「独立」させる。‥‥傀儡国家化。

次のターゲット・・・・第一次大戦後に成立したポーランド共和国領土内のドイツ人の統合を持ち出す、その実現のための諸措置。

         ポーランドは、脅かし・圧力に屈することがなかった。



戦争:軍事侵略開始・・・ユダヤ人迫害の過激化・ゲットー化
              

 
4.ポーランド侵攻
      ・・・ドイツとソ連でポーランドを分割(第四次分割) 

 
エクステンション講座用Pdf
(
「第三帝国の戦争政策とユダヤ人迫害――ポーランド 1939年9月〜1941年6月――」原稿)を配布


 ドイツに併合する部分と総督支配下地域(総督府・・・総督フランク

 ドイツ併合地域におけるドイツ民族の強化(ドイツ民族の割合を増やす、ポーランド人・ユダヤ人を排除する)・・・ヒムラー民族強化全権

  総督府南東ルブリン地区に、
ユダヤ人居留地」構想




5.電撃戦における西部ヨーロッパへの侵攻・占領支配と軍事経済的利用

      
電撃的西部征服 1940年5月〜6月


     
 デンマーク、ノルウェー

   オランダ・ベルギー
  

     
フランス・・・戦後構想としての「マダガスカル計画

  1940年夏から秋 バトル・オブ・ブリテン
    制海権獲得不可能・・・・イギリス征服困難・・・対英戦争決着前に、ソ連制圧の戦略が浮上

【電撃戦勝利段階の増長】:
  西ヨーロッパを支配下に置いた絶頂期、傲慢さはさらに増長し、
電撃的にソ連を制圧した暁に

  中近東(英仏植民地勢力圏)に突進し、スペインを経由して北西アフリカ進出の道も切り開かれるとの構想。
     A.ヒルグルーバー『ヒトラーの戦略』536ページ  

  

Ⅱ. 独ソ戦下、急速に拡大する戦闘後方地域での大量射殺の段階


 
6.バルバロッサ作戦・・電撃的ソ連征服作戦
    
 (1940年12月18日発令、41年5月15日までに準備を完了せよ、と)


  
 1941年前半・・・イギリスの同盟国としてのアメリカの支援強化・・・ヒトラーの政治的立場の困難先鋭化
        ヒルグルーバー『ヒトラーの戦略 1940‐1941』398‐408ページ。


    
・・ソ連侵攻・ソ連占領・ソ連の分割支配計画・東方全体計画(東方総合計画)

        
その全体戦略のなかでのユダヤ人政策



  
1941年1月30日、ヒトラー国会演説
・・・「世界戦争」と関連させ、「ユダヤ民族絶滅」を予言する、というパターン


  
 「他の世界がユダヤ民族Judentumによって全般的戦争に引きずり込まれたならば(von dem Judentum in einen allgemeinen Krieg gestürzt würde)、全ユダヤ民族がヨーロッパにおけるすべての役割を演じ終わることになろう」と予言


広大なソ連を電撃的に征服するにはどうしたらいいか? 

 
 1941年3月、移送政策を中断

      
戦争勝利に全力。巨大な軍隊(350万)とその軍需物資の輸送に重点。


最新準備草稿「第三帝国のソ連占領政策とユダヤ人迫害――1941年6月〜12月――」
Pdfファイル



    
1941年6月〜8月、緒戦の電撃的勝利・
  7月はじめころ・・・予定通り短期にソ連制圧、と楽観。
                A.ヒルグルーバー『ヒトラーの戦略』537‐538ページ。

  しかし、次第に高まるソ連軍の抵抗反撃。
  急進撃は、広大な軍後方地域の形成
  広大な地域での治安平定・秩序確立の必要性、
  その過程での抵抗諸勢力、ユダヤ人殺戮の無差別化

  
     
 
    「事件通報・ソ連」のベルリンへの報告

             英米は通信傍受で殺戮の事態を把握、しかし、それを封印




   
   ソ連の反撃・・・・激戦・・・電撃戦の挫折・・・・戦争長期化・泥沼化

8月から9月ごろにかけ、
 ドイツがソ連で順調にいっていないこと・・・ひそかな情報がヨーロッパ各地に流れる。
   ・・・チェコ(ベーメン・メーレン保護領)などで
不穏な情勢
     「鉄の心臓」の男、帝国保安本部長官ハイドリヒの投入(保護領総督代理・)

      ハイドリヒによる
苛烈な弾圧、抵抗勢力の鎮圧。 



西方ヨーロッパユダヤ人の臨時的移送政策への転換

 

  
1941年9月の転機・・・ソ連の電撃的征服の挫折・・・西部ヨーロッパのドイツ占領地域における抵抗の高まり
 
     
チェコ(プロテクトラート・ベーメン・メーレンの不穏化
      ライヒ(帝国)保安本部長官ハイドリヒを総督代理に任命・・・・チェコの抵抗の徹底的で苛烈な鎮圧


     
しかし、他方で、「総統の希望」に従い、ドイツ国内とヨーロッパ西部占領地域からのユダヤ人の東方への移送(「来年春までの臨時的な」回避策)

     
臨時的回避策としての西方ユダヤ人移送の直面する難問群と
                 「東方移送」を求める圧力群・・・・・・・・・・・移送の強行



 
受け入れ余地のないところへの移送強行

      その打開策は、結局は、
移動型ガス室(自動車排気ガス)による移送(疎開)ユダヤ人のガス殺(CO)

      
ボックス型自動車」(写真)使用実績報告と「改良」の提案)・・・ヘウムノ、ソ連各地に投入





 
ハイドリヒの会議招集支配下ヨーロッパのユダヤ人をどうするか

     
西方ヨーロッパの支配者からのユダヤ人移送の要望の集約

     
ユダヤ人移送政策の総合的処理を行うための会議招集(当初、12月9日)



    
モスクワ攻防戦・・・激戦の最終段階で、ドイツ軍の敗退・・・第三帝国の深刻な「冬の危機」

       ・・・最初の半ねんの「アインザッツグルッペ」の行動




  ところが、 しかし、
12月7日(ドイツ時間)の日本の真珠湾攻撃


     
12月11日 ヒトラーの国会演説・・・対米宣戦布告

     
12月12日 ヒトラーのナチ党最高幹部会議での演説(ゲッベルス日記)
   
     
12月16日 ポーランド総督府長官フランクとの会談
           ・・・・総督フランクの12月初めの閣議における発言



1942年1月1日 26か国連合国宣言
・・・単独講和をしないで最後の勝利まで戦い抜く宣言

         
連合国 対 枢軸国の世界的対抗関係・・・・文字通りの世界戦争 
         (それまでは、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争は、一体化していなかった)


 
1942年
      
 ヒトラーの年頭挨拶

      
1月8日 ハイドリヒヴァンゼー会議招集:議題「ユダヤ人問題の最終解決」

 
    
 1月30日、ヒトラー国会演説

  
 
1942年1月30日国会演説――

  「ユダヤ人が思っているようなヨーロッパのアーリア諸民族が根絶されるのではなく、この戦争の結果は
ユダヤ人の絶滅だ

  「戦争の結果」ということが、ある意味で進行中の現実をカムフラージュすることになっている。

 しかし、他方では、「ユダヤ人絶滅」など、できなかったという現実も、示唆することになる。

 もう一点重要なことは、1939年1月の予言で、もっとも重要なこと、すなわち、「ボルシェヴィズムの勝利」しつつある現実、あるいは、ヒトラー第三帝国が敗退に向かっている現実が、カムフラージュされている。

 1939年1が津国会演説の大言壮語が、実現できなくなってきていることは、感づかれないような表現となっている。




 
対ソ戦の展開は?

    1942年夏からの独ソ戦・スターリングラード攻防戦へ・・・占領地の反ドイツ諸事件・鎮圧
       
    
第三帝国敗退過程のさらなる隠しようもない現実の露呈。

すでに1942年4月末末、陸軍軍備局長(Chef der Heeresrüstung u. OB des Ersatzheeres)
フリッツ・フロムは、軍需大臣シュペーアに、「完全に新しい効果をもつ武器を開発するという前提の場合のみ、戦争に勝利することが可能」と伝える。

「完全に新しい武器」、原子爆弾は、しかし、1942年6月初め、ハイゼンベルクが、「理論的には可能」だが、「要請するあらゆる支援が与えられても、生産技術的には何年もかかる」と、軍需大臣シュペーア、フロム、元帥エアハルト・ミルヒ、海軍武器局長カール・ヴィッツェルと説明。

1942年秋には、原爆開発プロジェクトA-Bomben-Projektは、最終的に放棄された。
 
(Manfred Messerschmidt, Die Wehrmacht: Von Realitätsverlust zum Selbstbetrug, in: Hans-Erich Volkmann(hrsg.), Ende des Dritten Reiches - Ende des Zweiten Weltkriegs . Eine perspektivische Rückschau, München 1995, S.223f.)



Ⅲ. 最終解決:絶滅政策の段階

 
7.ヴァンゼー会議:議題「ユダヤ人問題の最終解決
   1942年1月20日

          ベルリン西南ヴァンゼーに記念館・・・・記念館資料集
             (邦訳・山根徹也・清水雅大、市大叢書8)

   

    
移送政策と絶滅政策の体系化
   

    
最初のターゲット・・・ポーランド総督府のユダヤ人
       ・・・250万人・・・「そのほとんどは労働不能」
(ヴァンゼー会議議事録)。 
 
  
総督府東部の三つの絶滅収容所
 
・・・ソビボール・トレブリンカ・ベウゼッツにおけるガス殺(CO)
  これらのところでは、
労働収容所は欠如。 


    
ラインハルト作戦
     ・
・・ハイドリヒ暗殺(1942年5月27日プラハで出勤途中、手榴弾攻撃を受け、一週間後、6月4日死去)に対する報復作戦の意味合い





    
西部ヨーロッパ占領下のユダヤ人の
 「東方への
移送」、「東方への疎開
     
       ・・・・
アウシュヴィッツは、労働収容所と絶滅収容所の二つの機能

 「ヨーロッパのほぼ全域から、ユダヤ人たちはここアウシュヴィッツに連れてこられた。良い条件を享受しているという内容の手紙を数か月にわたって書いた後、これらのユダヤ人は突然仕事から外され、すぐに『処分』された。」
 ヴィトルト・ピレツキ『アウシュヴィッツ潜入記――収容者番号 4859――』(杉浦茂樹訳、みすず書房、2020) 181.


ヴァンゼー会議から1942年末までのユダヤ人殺戮に関する
史料紹介
 
  
拙稿Pdf:ユダヤ人移送(疎開)と特別処理(ゾンダーべハンドルング)――ヴァンゼー会議から1942年末まで」
 



【アウシュヴィッツ―ビルケナウ】


       
アウシュヴィッツ=ビルケナウでの、最初のガス殺は、農家改造の建物で
                   
ニュルンベルク裁判におけるヴィスリツェニー証言


         「ヨーロッパ全域から連日、数千人単位で到着するユダヤ人たちは、直接ビルケナウへ送られた」
         ヴィトルト・ピレツキ『アウシュヴィッツ潜入記――収容者番号 4859――』(杉浦茂樹訳、みすず書房、2020) 181.



                   
       
アウシュヴィッツ郊外ビルケナウの広大な労働収容所
       コンクリート製ガス殺設備・死体焼却棟の建設開始


         
1943年になって完成



       
「ユダヤ人絶滅」作戦と労働力不足とのはざまで
     ・・・1942年9月ポーランドに「30万人のユダヤ人労働者」


    
ラインハルト作戦の終結
             
・・・三つの絶滅収容所の解体・証拠隠滅
   
   (グロボチュニクのヒムラー宛報告書:1943年11月4日付







 
8.独ソ戦最終段階のハンガリーユダヤ人(40数万人)のガス殺(アウシュヴィッツ=ビルケナウ)

  
   
1944年春から夏・・・40数万人を数か月で

   
死体焼却能力(四つの火葬場キャパシティ)を超えた殺戮・・・・屋外で焼却


  
 映画『サウルの息子』の描いていること。

   
映画『サウルの息子』チラシ上映時の予告編・公式サイト

   2020年8月NHKスペシャル「
アウシュヴィッツ――死者たちの告白――


    
犠牲者の数(割合)・・・地域別の違いが示すこと・・・ドイツ軍とソ連軍の激闘の足元




まとめ: 

     
ヒトラーの遺言・・・ユダヤ人絶滅政策の正当化の論理

     
証拠隠滅作戦ソビボール、トレブリンカ、ベウゼッツ) 

         
絶滅収容所の解体・破壊
      死体を掘り返し、粉々にして焼却



     
コンクリート製の火葬場・ガス室設備
       
 アウシュヴィッツ・ビルケナウのガス室・火葬場の破壊・証拠隠滅は、不完全

        
・・・たくさんの証拠の残存・・・アウシュヴィッツ博物館・・・「アウシュヴィッツの巻物:証言資料

 
評(7月19日号掲載)-『週刊読書人』:
ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ『アウシュヴィッツの巻物―証言資料―』(二階宗人訳、みすず書房、2019510日刊




 
現在への教訓・・・たくさんある

その一つ(例示)
   
   現
在の世界の排外的ナショナリズムとの対決・・・現代ヨーロッパのナショナリズム諸政党

   ドイツにおける政党「ドイツのための選択肢」

    
排外的ナショナリズムは、その芽のうちにきちんと(歴史科学的に批判して)摘み取る必要がある。

    排外的ナショナリズムの諸要素を分析し、

  健全な民主主義的ナショナリズム(諸民族の相互尊重・相互理解・融和)を強靭
していく必要がある。

    
ヘイト・スピーチなどに対し、適切に批判を加えていく必要がある。  


  なぜ、ユダヤ人が2000年にわたって「憎悪」されたのか?・・・・キリスト教社会・・・「十字架のイエス」(磔の刑に処されたイエス)







受講生からの質問とそれへの暫定的回答


















ーーーーーーーーーーーーーー参考2019版ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   
「深める:ホロコーストはなぜ起きたのか」              永岑三千輝

 

拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941‐1942』(同文舘、1994)

    

 これに対する栗原優氏書評(『歴史学研究』No.694:書評1997年2月Pdf版

欧米におけるさまざまの主張
 栗原説・・・ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人絶滅命令(1941年7月末―8月初め)説
 これに対する批判的実証研究(41年12月説の私の見地から)。
同時に、むしろ根底的には、アウシュヴィッツ否定論(例えば、「ナチ・ガス室はなかった」など)への実証的批判。 
(アウシュヴィッツ否定論に対しては栗原氏も根本的に批判的な立場を私と共有する)


                   
    1993年3月末から10月初めまで
    半年間のドイツ連邦文書館(コブレンツでの
    史料調査の成果。
     一連の論文を『経済学季報』(立正大学)に発表し、添削を加えて一冊にまとめたもの。

     
    1995年8月のアウシュヴィッツ・ビルケナウ調査をはじめとする
    文書館調査を踏まえて、下記のような一連の論文を執筆。それらを適宜取捨して一冊にまとめたもの。
    最後の章に、アウシュヴィッツ否定論への科学的批判一連の否定論批判の仕事の総括。
 
    この間のホロコーストの実証的研究において、重要な現代的課題意識は、『マルコポーロ』事件(1995年2月号掲載の「ナチガス室はなかった」記事)への歴史科学的批判ということであった。
   歴史の忘却、記憶の喪失、歴史に対する無知の大河に乗じて、否定論が跋扈する風潮に対して、きちんと科学的批判の素材を提供すること、これである。
    

    

    以上、三冊の成り立ちの経緯については、それぞれの「あとがき」で、概略がわかると思われる。
      三冊の「あとがき」を参照されたい。


*ヒトラー・ナチスを単純に「きちがい」扱いしていいか?
 ヒトラーは生まれたときから、われわれの知るヒトラーか? (ヒトラー生誕の地=オーストリア国境の町ブラウナウ・アム・イン、税関吏の息子)
*ホロコーストは初めから決まっていたことか?

政治権力の状況・領土膨張・戦争(対ポーランド・英仏、対ソ連、対アメリカ)の段階的把握の必要性
*ナチ体制・ヒトラーナチスの権力掌握から開戦まで
1933年〜38年 権力確立過程とユダヤ人迫害・移住強制
1938年〜39年 膨張政策・領土拡大とユダヤ人迫害・強制移住
*電撃戦勝利段階(ポーランド侵攻からフランス占領まで)・・・ユダヤ人移送政策
   ルブリン(ポーランド総督府南東地域)ユダヤ人居留地構想
   マダガスカル計画
*対ソ戦準備段階(1940年夏から41年3月)
   プリピャチ湿地(ベラルーシ)追放構想
   シベリア追放構想
*ソ連奇襲攻撃以降の重要な殺戮の画期
①1941年6月(特に7月から8月)から41年12月までに独ソ戦の後方地域で約50万人のユダヤ人がアインザッツグルッペ(親衛隊警察の特別出動部隊)により射殺される。
②1941年9月から12月の戦時中移送の臨時的強行(戦時中移送の過渡的臨時的強行)・・・挫折・・・ガス殺(移動型ガス室・自動車排気ガス一酸化炭素CO
③1941年12月12日のヒトラーの命令
④1942年1月20日ヴァンゼー会議・・・軍事情勢に対応し必要にあわせて、「疎開」(絶滅収容所への「疎開」-つまりは殺戮)。
 1942年一年間に、ポーランドユダヤ人200万人のガス殺(ベウゼッツ、トレブリンカ、ソビボールの絶滅収容所・・・廃棄戦車のエンジン利用・一酸化炭素ガスCO・・・ラインハルト作戦)・・・1943年11月解体証拠隠滅

ヴァンゼー会の歴史的位置づけ(論争の紹介)・・・
 拙稿(1998)「ホロコーストのダイナミズム」『ドイツ研究』(Deutschstudien) No. 26, 1998. 
 拙稿(2000)「ヒトラー『絶滅命令』」とホロコースト」『土地制度史学』第166号、XLII-2, 2000・1  

 

ヴァンゼー会議記念館(編)の資料集及びその解説書(横浜市立大学新叢書8:山根徹也・清水雅大訳)

⑤1942年〜44年 ヨーロッパ各地のユダヤ人の「東方への疎開」(労働収容所と絶滅収容所、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、ビルケナウにおける農家改造ガス室、その後大型火葬場・ガス室建設、43年以降稼働・・・アウシュヴィッツ・ビルケナウでは約100万から110万人がツィクロンBで殺害…今日の研究の到達段階)
⑥1944年春〜夏、ハンガリーユダヤ人・40数万人のアウシュヴィッツへの連行とガス殺=ツィクロンB=青酸ガス、余りの大量の死体を焼却炉では処理しきれず、屋外でゾンダーコマンドの手により焼却坑で焼却



以下、配布資料:

関連論文・書評・・・三つの論文・・・コピー配布
  特に、2と3は、移送政策の変遷に関する決定的証拠資料の発掘と紹介。
 
1941年春、対ソ攻撃準備が進展する中で、いったんは移送政策・その計画が当面中止となる。
    ユダヤ人移送は、独ソ戦終了後に、と。
 41年7月31日・・・ゲーリング令:その基本方針のもと、緒戦の奇襲攻撃の圧倒的勝利段階で、
   近い将来の対ソ戦勝利を踏まえた全ヨーロッパ的なユダヤ人問題の最終的全体的解決を
   中央諸官庁の調整を行って実施する構想、その準備命令(ハイドリヒとアイヒマンが草稿準備、ゲーリングの署名をもらう)。

 41年8月一方(東部戦線)でソ連の猛烈な抵抗反撃、他方(西側―英米連携の強化)でチャーチル・ルーズベルトの「大西洋憲章」、ドイツ本土へのイギリス空襲など。 
 41年9月 「総統の希望」(ユダヤ人をドイツとその支配地域から戦時中にも排除・追放する要求)
 41年10月 臨時移送・追放措置の強行(戦時中の東方へのユダヤ人移送の一時回避的臨時的開始)。
  10月15日ユダヤ人の英米等へ移住禁止(ユダヤ人の移送・移住方向は東方のみとなる。)

   しかし、追放された移住者を受け入れる条件(住宅・食料など)の欠如が判明・・・一時的回避策・臨時措置の挫折
  11月〜12月、移送されたユダヤ人の大量殺害開始
 (11月末のリガではユダヤ人移送者の射殺、12月初めウッチで移動型ガス室稼働)
。   

1.     「独ソ戦の展開・世界大戦化とホロコーストの力学」『横浜市立大学紀要』March 1998、社会科学系列 第1号、81-123. (1998年3月)(永岑ウェブサイトリンク)

 

    目次:

   はじめに

1.ブラウニングの『普通の人びと』とヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』

2.ヒトラーの「絶滅命令」とは何か

3.絶滅策への転換の機が熟したのはいつか

4.「冬の危機」・真珠湾攻撃・世界大戦化とユダヤ人虐殺

むすびにかえて

 

2.     「ユダヤ人東方移送政策とウッチ・ゲットー問題―いわゆるヒトラー「絶滅命令」の力学構造―」『横浜市立大学論叢』第49巻 社会科学系列 第1号(1997年平成99月)、51100.(実際には1999年平成112月)

 

目次: 

はじめに

1.アインザッツグルッペとソ連占領地の治安状態

―抵抗・非統合状態と鎮圧ラディカル化の力学―

2.ユダヤ人の東方移送―「フューラーの希望」

3.ウッチ・ゲットーの実態―19419月ヴェンツキ報告の段階―

おわりに

 ヒムラー、ハイドリヒの強行突破策

  ―ライヒ保安本部の選択肢狭隘化とガス自動車「安楽死」作戦―

 

3.     「ウッチ・ゲットー問題とヘウムノ・ガス自動車安楽死作戦」『横浜市立大学紀要』、社会科学系列 第2号、1-32.March 1999(永岑ウェブサイトリンク)

 

目次: 

   はじめに

1.ソ連占領地ユダヤ人殺戮の無差別化と「安楽死」技術転用の検討開始

2.特殊ゾンダー・自動車ヴァーゲン」開発とソ連占領地への投入―配備開始194111月末―

3.西ヨーロッパ各地の不穏状態とユダヤ人東方移送への圧力群

4.ヒムラー、ハイドリヒによるライヒ・ユダヤ人のウッチ移送強行

 ―自動車排気ガスによる「安楽死」抹殺へ― 

おわりに

 

 

4.     「独ソ戦の現場とホロコーストの展開」『横浜市立大学論叢』第50巻 社会科学系列 第23合併号、43-90.(20003)・・・・横浜市立大学学術機関リポジトリに掲載(インターネットアクセス・閲覧・ダウンロード可能)

  

目次:

     はじめに

. 国防軍のソ連における行動指針とユダヤ人の位置づけ

. 独ソ戦の現場

三.バルバロッサ作戦の挫折とヒトラー指令 

  四.セルビアのパルチザン戦争と男子ユダヤ人射殺 

  おわりに

 

5.     「ホロコーストの論理と力学―総力戦敗退過程の弁証法―」『横浜市立大学論叢』第55巻 社会科学系列 第3号、265-296. 20045月)(永岑ウェブサイトリンク)

 

目次:

 はじめに

 1.ヒトラー「絶滅命令」に関する最新の論点 

 2.食糧難は歴史総体にどのように位置づけるべきか  

 3.ソ連ユダヤ人とポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅政策への移行は同時か

 4.パルチザン問題は戦局全体にどう位置付けるべきか 

 5.本書の基本的見地

 おわりに―根本史料群と論争を通じて確実な歴史把握を―

 

6.     「総力戦とプロテクトラートのユダヤ人問題『横浜市立大学論叢』第56巻 人文科学系列 第3号(2005331日)、159-206.(実際の刊行20062月)

 

    目次:

    はじめに

    1.ヒトラーの言説に示される段階的変化とハイドリヒの位置 

    2.プロテクトラート統治の基本目標・課題とユダヤ人追放=「移住」政策のベクトル群  

    3.一時回避策としての追放強行=「疎開」と新たな難問群

    むすびにかえて

      ―「特殊自動車」作戦から絶滅収容所の建設へ―

 

7.     特殊シュペツィアール・自動車ヴァーゲンとは何か―移動型ガス室の史料紹介―」『横浜市立大学論叢』第56巻 社会科学系列 第3号、123-142. (20073)(永岑ウェブサイトリンク)

 

    目次: 

    はじめに

    1.「4112月から3台の車で97000を加工」 

      ―194265日付文書(史料①)―

    2.ボックス型荷台のどこが極秘中の極秘か

      ―1942623日付文書(史料②)・918日付文書(史料③)―

    おわりに

 

 

8.     「アウシュヴィッツへの道―過去の克服の世界的到達点の地平から―」(1『横浜市立大学論叢』第58巻 人文科学系列 第12合併号、55-95. 20073月)(永岑ウェブサイトリンク) 

 

    目次:

    はじめに

    第一章 ヒトラー・ナチス指導者の世界観・思想構造・戦略

      1.ドイツ民族の「生存圏レーベンスラウム」拡大戦略

       (1)ヒトラーの『わが闘争』と『続・わが闘争』

       (2)民族共同体の構築=ヒトラー独裁体制確立と再軍備・四カ年計画

       (3)ホスバッハ・メモにみる具体的な戦争計画 

 

   

9.     「アウシュヴィッツへの道―過去の克服の世界的到達点の地平から―」(2『横浜市立大学論叢』第58巻 社会科学系列 第123合併号、223-257.20083月)(永岑ウェブサイトリンク)  

 

 目次:  

       (4)領土拡大政策の第一段階・フリッチ危機と反ユダヤ主義の論理

          ―「帝国水晶の夜」と1939130日の国会演説―

       (5)ポーランド侵攻の構想―領土拡大の第二段階へ

 

10.     「アウシュヴィッツへの道―過去の克服の世界的到達点の地平から―」(3『横浜市立大学論叢』第59巻 人文科学系列 第12合併号(20083月)、201-218. 20096月)(永岑ウェブサイトリンク)

   目次:

      2.ポーランド侵略開始・ドイツ民族強化政策と「ユダヤ人問題」

       (1)ポーランド侵攻の正当化と開戦の陰謀―暗号名「ヒムラー作戦」―

       (2)併合地域・東方のドイツ民族強化・ゲルマン化―大帝国の中核構築― 

       (3)戦時下におけるゲルマン化政策の修正―「民族リスト」政策―

 
11.書評:E・ファン・デル・クナープ編「映画『夜と霧』とホロコースト」(庭田よう子訳、みすず書房、2018年)『週刊読書人』2018年10月12日ウェブサイト掲載)。
 

12.     「第三帝国の膨張政策とユダヤ人迫害・強制移送 1938――最近の史料集による検証――」『横浜市立大学論叢』第70巻 社会科学系列 第2号、193-227.20194月)・・・横浜市立大学学術機関リポジトリに掲載(インターネットアクセス・閲覧・ダウンロード可能)  

   目次:

   はじめに 

      1.オーストリア併合・「大ドイツ帝国」建設とユダヤ人迫害・移住強制

      2.ズデーテン併合とユダヤ人迫害・移住強制

      3.ユダヤ人難民の大量発生と諸外国の受け入れ

      小括

 

13.     書評:「ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ著『アウシュヴィッツの巻物―証言資料―』(二階宗人訳、みすず書房)、2019年、『週刊読書人』2019719日号(ウェブにも掲載されている)。・・・A3拡大コピー配布 

――――――――ゲラ段階の原稿(A3拡大コピー配布)―――――――――

14.     「第三帝国の膨張政策とユダヤ人迫害・強制移送 19381939『横浜市立大学論叢』第71巻 社会科学系列 第2号、20202月刊行予定、1-24. 

以上。