「アウシュヴィッツへの道‐「過去の克服」の世界的到達点の地平から−」
第二回 独ソ戦の展開と「ユダヤ人問題」[1]
−治安警察・保安部の秘密報告書[2]はなにを語るか?−
永岑三千輝(2006年5月24日)
20060524配布資料(地図・ドキュメントなど)のリスト
1.
はじめに
−過去を反省し克服したドイツ:
その象徴・ベルリン中心部のモニュメント石柱群[3]:信頼されるドイツの構築−
前回の確認:
(1)
ヒトラー・ヒムラー・ハイドリヒの基本目標・思想構造:
大国・世界強国ドイツの創出・
東方大帝国建設「ロシアとその周辺諸国の獲得」・・・基軸目標
=ドイツ民族の生存圏拡大・人種主義的社会ダーウィニズム
・
・・すなわち、「優等人種」による「劣等人種」の支配
(反帝国主義・反植民地主義・自由と民主主義の勢力を支配・抑圧)
(2)思想構造におけるユダヤ人(ユダヤ民族)の位置:
人種と民族の階層性(上下の幾層もの関係)
・・・頂点のドイツ民族(ゲルマン)、最底辺の「ユダヤ民族」。
頂点(ドイツ民族・ゲルマン民族)と
最底辺の中間段階にスラブやアジア諸民族・人種
・
たとえば、『わが闘争』によれば、アーリア人種は「文化創造民族」、黄色人種は「文化受容民族」。
2.
政権獲得と段階的政治目標の実現
(1)「強大な民族・世界強国・東方大帝国」の建設の前提
・・・政権掌握・大衆動員・国民的基盤の構築・・宣伝・街頭闘争・選挙戦
(2)世界経済恐慌・大量失業・大量破産(大衆的絶望状態)とナチ党の飛躍
(・・・しかし得票率は、ワイマール期において最高でも、また地域によって違うが、得票率32年7月選挙で、37.3%、32年11月選挙では33.1%、最終局面でナチ党が低落し始めるのに、他方で共産党が伸びた・・・ナチ党は、どうすれば圧倒的多数を獲得できるか?)
(3)国会炎上事件・33年3月選挙(43.9%)・全権委任法・一党体制樹立
「民族共同体」の国家の建設:「ひとつの民族・ひとつの民族政党」・・・多数政党の存立を認めず:・・・自由で民主主義的なワイマール憲法体制の破壊。
(目的のためには手段を選ばず・・・国会炎上事件とその左翼弾圧への活用、・・・しかし、圧倒的多数は獲得できず・・・そこで「全権委任法」=国会否定の法律)。突撃隊幕僚長レームなどの粛清(1934年6月30日・・・でっち上げとしてのレーム一揆)
(4)再軍備を牽引要因とする経済回復・・・「四カ年計画」
(5)民族共同体国家からの異分子排除・・・国家と市民生活からのユダヤ人排除・・・ユダヤ人の市民的権利の剥奪
(6)ユダヤ人の国外脱出
(著名な例:アインシュタイン、アンネ[5]・フランク一家など。しかし、彼らだけではなく、30万から40万人近くのドイツ・ユダヤ人の脱出・・・人数は次回にヴァンゼー会議「議事録」で確認)
パレスチナへのユダヤ人移送におけるアイヒマンの仕事。
3.
「水晶の夜」1938年11月
ヒトラー政権の「実績」・「成功」→威信の拡大→
民族的熱狂→要求の螺旋的拡大・膨張
(1) ミュンヘン危機(ミュンヘン会談)→英仏の宥和政策
→ズデーテン併合(ヒトラーの「成功」)
(2) ポーランド系ユダヤ人の追放と
ユダヤ人青年によるドイツ外交官殺害事件(パリで発生)
民族主義と報復の熱情の暴発・・・外交関係の緊張・排外的ナショナリズムの高揚・・・ポグロム「水晶の夜」(ユダヤ人商店・シナゴーグへの破壊・ユダヤ人を強制収容所へ)
(3) さらに、ユダヤ人をドイツ国内から追放する圧力の高まり
・
ハイドリヒの職務:1939年1月24日ゲーリング命令
・
整然たる移住(追放・・・ドイツ以外へ・・・だが、どこに?)
(4)総統指令(39年5月)「ポーランド攻撃の準備を9月1日までに完了せよ」
独ソ不可侵条約(1939年8月23日:ヒトラー・スターリン秘密協定・勢力圏分割)
・・・極東ノモンハン事件(春から日ソ衝突)・・・ヨーロッパ情勢と極東情勢の連関
開戦(ポーランド侵略開始・1939年9月1日)
4. ドイツ民族強化政策と「安楽死」作戦1939年10月[6]
(ヒトラー命令書の署名の日付は、遡って9月開戦時)
5.
電撃戦の勝利と占領下諸地域のユダヤ人の移住(追放)政策
(1) ポーランド占領・併合地域の民族的強化と
ユダヤ人のゲットーへの集中
ルブリン居留地構想
(総督府東南部地域の狭い地域に押し込める)[7]
(2)西部戦線(1940年5月)
・
オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・フランスへの侵攻
・
ドイツの「電撃的勝利」
・
対仏講和構想・・・・「マダガスカル計画」(ユダヤ人580万余をマダガスカル島へ)。
(3)対英攻撃挫折→対ソ攻撃計画
1940年12月18日発令:対ソ攻撃命令「バルバロッサ指令」
「41年5月15日までに準備完了せよ」
・
ユダヤ人移送計画(準備や構想)の戦時中における一時停止(戦争終結後に、ユダヤ人移送との方針:41年3月)
バルカン侵攻(41年4月)
6.
ソ連侵略開始(1941年6月22日) と
占領地(戦闘終了地域・前線後方地域)におけるユダヤ人殺戮の開始
占領の基本方針とユダヤ人の位置づけ(41年7月16日会議)
ソ連侵攻当初の占領政策の基本指針
(占領地域住民の統合の必要性と経済的利用=搾取の必要性・・・矛盾する必要性のせめぎあい)
・・・・・電撃戦の頓挫と占領政策基本指針の挫折
ソ連地域
ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国・最高)指導者・ドイツ警察長官に治安秩序樹立の任務
アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊A,B,C,Dの4隊:「世界観の軍隊」)
・ ハイドリヒの命令、
・ 「活動・情勢報告書」(第1号、第2号、第3号、第4号、第5号、第6号、第7号、第8号、第9号、第10号、第11号)
以上、一級の一次史料
半年間に50万人余の殺戮
(Cf. Aの総括報告1942年1月31日・付録地図・・・
アインザッツグルッペAだけで半年間に22万人ほど)
全ヨーロッパ
1941年7月31日付ゲーリング命令(ハイドリヒ宛):
「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の全体的解決を準備せよ」
(電撃戦勝利の幻想・確信の段階・・・前線へのムッソリーニ招待)
7.
ソ連占領地拡大・電撃戦の挫折・被害増大と「ユダヤ人問題」[9]
―占領地住民の統合の必要性―
(1)
ソ連赤軍(多大の犠牲を払いつつも)の反撃の高まりと
1941年8月のドイツ国防軍の損害
ソ連戦時捕虜・・・最初の半年間に350万余(ヒトラーの12月の国会演説)。
しかし、ドイツの被害は?
41年8月の内に、ドイツ国防軍の最精鋭・優秀な将校兵士の戦死・行方不明、戦車などの大規模な被害
ソ連以外の地域の問題(治安・経済など)の先鋭化
(2)
プロテクトラート、総督府、パリなどにおける不穏状態・・・食糧不足・配給への不満、伝染病、ストライキ・・・ヒトラーへの情報と要望。
ベルリンの情勢とゲッベルスのヒトラーへの要望(帝国宣伝大臣であり、かつ、ベルリン大管区長の職務にもあってベルリンの治安情勢に重大な責任・・・戦時下におけるユダヤ人移送の要望・・・ドイツ本国の「民族同胞」の統合、不安・不満解消の手段)
「1918年症候群」(1918年11月の「革命で敗北」に終わった第一次大戦というヒトラー・ナチ国家指導部=「背後の匕首」の神話と恐怖・憎悪)
(3)
「総統のご希望」(1941年9月18日文書)−臨時的一時回避的移送政策の強行−
一方で、42年春にはソ連に勝利して移送計画が実行できるとの思惑(対ソ勝利の熱狂的確信)。
他方で、ハンブルクなどドイツ本国大都市への空襲・・・焼け出された「民族同報」、それに対しユダヤ人は?・・・各地のナチ党大管区長からのユダヤ人排除の要請
(4)
臨時的移送を不可能・困難にする条件の蓄積・・・現場の抵抗(異議申し立て・・・権力内部の対立)
ゲットー・・・既に39年冬以来、2年で、劣悪な生活条件、狭く不衛生、食糧不足、飢餓、伝染病、燃料不足、
他方、軍需経済に組み込んだユダヤ人の活用のためには、その撹乱要因・新たな負担は回避(・・・軍需経済当局の発想・要望)
8.
特殊自動車(ガス自動車・トラック)の開発と投入
(1)
ソ連各地域でのユダヤ人殺害作戦と
ガス自動車開発(刑事警察の犯罪技術研究所)[10]・投入
(2)
ソ連地域だけでなくヘウムノ(クルムホーフ)で投入
むすびにかえて:
真珠湾攻撃・対米宣戦布告・世界大戦化とヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅
−「ヴァンゼー会議」
−ベウゼッツ・ソビボール・トレブリンカ、そして、アウシュヴィッツ
[1] 独ソ戦の現場の状況が、ヒトラー・ヒムラー・ハイドリヒなどの戦略・基本構想の現実への適用を過激化させ、ごく最初の段階の限定的な男子ユダヤ人殺戮から、老若男女を含むユダヤ人無差別殺戮への過激化を条件付けた、という私の見地(論争で史料を洗いなおして確立し検証した見地・・・ヒトラーが7月末・8月はじめに大々的なユダヤ人絶滅命令を出した、というのではなく)に関しては、第1回で配布した拙稿「ホロコーストの論理と力学」を参照してください。
今回の講義の説明は、その基本的趣旨に従ったものです。詳しくは、拙著『ホロコーストの力学』青木書店、2003年を見てください。
[2] ドイツ連邦文書館に保存・保管・自由に閲覧可能
文書館の整備・開放度・利用のしやすさは、過去を直視することを厭わない姿勢・・・「過去の克服」の程度(水準の高さ・度量の広さ・見識の深遠さ)を示す。
---------------
参考文献(邦訳だけでも相当数に上る):その一部=研究室HP(文献リスト1、文献リスト2)
最新の本格的な事典として、ラカー編『ホロコースト大事典』柏書房、2003年
最近の入門的なものとして、『ホロコーストを学びたい人のために』ヴォルフガング ベンツ (著), Wolfgang
Benz (原著), 中村 浩平 (翻訳), 中村 仁 (翻訳)を挙げておきたい。
古典的な研究書としては、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』ラウル ヒルバーグ (著), Raul
Hilberg (原著), 望田 幸男 (翻訳), 井上 茂子 (翻訳), 原田 一美 (翻訳)ラウル・ヒルバーグ
[3] google earthで空から見た規模を知ることもできる。
[4] フリッツ・フィッシャー『世界強国への道』T(1972年)・U(1983年)、岩波書店
[5] Frank, Anne, DieTagebücher(『アンネの日記』筆跡鑑定版)
[9] 配布資料の拙稿(プロテクトラートと東ガリツィアに関する論文)を参照してください。