講義ノート:ユダヤ人迫害と第二次世界大戦-第二次世界大戦とホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)−
(詳しくは、永岑研究室HP:「ホロコースト」http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050907ShuchuKogiNote.htmを参照してください)
ホロコーストとは何か?
ユダヤ人大量虐殺は、誰がやったのか?
どこで、どのように行われたか?
なぜか?
はじめに
−戦後60年間の信頼されるドイツの構築は、ドイツ国民の自由と民主主義の再構築と建設の努力、福祉国家建設の努力、そして「過去の克服」の不断の闘いとその成功による、しかし、ドイツ人だけの努力ではなく世界の人々・諸国家の努力とあいまって−
1.序論
−ネオナチ・アウシュヴィッツ否定論等の世界的諸潮流と科学的歴史研究の課題・研究史の動向−
参考:映像資料「ホロコーストを否定する世界の人々」
映画『ショア-』の衝撃−被害と加害・傍観のたくさんの生存者の直接体験の厖大な集積・生の声の迫力:
しかし、「被害の側」からは見えてこないもの=「加害者の論理・力学」、これらの総体こそ歴史科学が明らかにすべきこと−
最近、NHKで(05年8月中旬5回・BBC製作)の「アウシュヴィッツ-解放60周年記念」225分のすぐれた番組「アウシュヴィッツと"最終解決″」が放映された。この講義に関心をもつような人の中には見た人も多いであろう。このドキュメンタリーも歴史の忘却・歪曲・そして否定に対抗しようとするものである。
しかし、アウシュヴィッツ、収容所に視野を限定することで、かえって、アウシュヴィッツの背後にあったことはわからない。「よい親衛隊員もいた」といった通俗的なことになる(軍需工場労働力要員として助かったユダヤ人の話、「シンドラーのリスト」)・・・全体のヨーロッパ・ユダヤ人の運命とそれを規定した重要な条件群がみえてこない。したがって、歴史科学による諸要因の連関と背後の理解、歴史の大局の理解が必要。
2.20世紀のドイツと世界:第一次世界大戦の原因と結果
−帝国主義・植民地主義:列強の世界的争奪戦、他方、反帝国主義・反植民地主義・民族独立等の民主主義諸運動、革命運動−
3.ヒトラー・ナチズムの思想構造
−世界大戦の論理、第一次大戦の「敗北の克服」・憤激=報復=復讐のナショナリズム・世界強国の建設と人種主義的民族帝国主義=人種主義的ナショナリズムの論理−
4.ヴェルサイユ体制下のドイツ経済と相対的安定期のドイツ政治・ヒトラー「第二の書」(1928)
-ワイマール共和国の工業システムと政治的展開-
5.世界恐慌・政治的急進化とヒトラー・ナチズムの権力掌握
−保守・極右・軍部・財界の同盟、左翼弾圧・全権委任法、そしてナチ左派切捨て(レーム事件・粛清)・強制収容所−
参考:日本帝国主義・勢力圏植民地拡大の動向とゾルゲの分析・電報(『国際スパイ・ゾルゲ』、『獄中手記』、ほか)
6.「よい時代」=「ヒトラー神話の形成期」=軍需主導の景気回復・戦争準備と世界強国への道
−ベルリンオリンピック・4カ年計画と対外的緊張・日独伊防共協定−
7.「平和的」領土拡大と経済の軍事化の危機
−「民族自決」権の主張から膨張的ナショナリズムの高揚:オーストリア併合・ズデーテン問題・ミュンヘン危機と「水晶の夜」−
8.独ソ不可侵条約(ノモンハン事変)・ポーランド攻撃→電撃戦勝利とヨーロッパ大陸西部の支配
−戦争と治安体制=ライヒ(帝国あるいは国家)保安本部RSHAの樹立、「安楽死」(抹殺)作戦の開始、日独伊三国軍事同盟−
9.対英攻撃挫折・バルカン侵攻・対ソ奇襲攻撃・占領地拡大とリトアニアなどでのホロコースト
−バルバロッサ指令と人種主義的ナショナリズムの東方大帝国建設の基本戦略・ソ連分割支配−
10.ソ連の抵抗・電撃戦の挫折・総力戦化(「前線正面の敵」)とヨーロッパ各地の抵抗機運(「前線背後の敵」)・「背後の匕首」醸成状況=「1918年シンドローム」
11.「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決」の準備命令ゲーリング令(41年7月31日)と西欧ユダヤ人の臨時的移送政策への道−1941年9月「総統のご希望」と移動型ガス室−
12.真珠湾攻撃・対米宣戦布告・世界大戦とポーランド・西欧ユダヤ人絶滅政策への移行
−「冬の危機」・戦時経済の総力戦化(人的物的資源の窮迫・占領地からの奪取)・反ドイツ抵抗運動とヴァンゼー会議 −
参考:映像資料「ヴァンゼー会議」(ドイツARD製作)、記念館
13.1942年以降の大攻勢・敗退の連続・銃後の危機とガス室の建設・増設
−ハイドリヒ暗殺・ヒムラー陣頭指揮、固定型ガス室の実験(臨時的建設)から大規模火葬場の建設・増設へ−
14.ヒトラーの最後・1945年ドイツ
−ドイツの軍事的敗退・ソビボール絶滅収容所ユダヤ人蜂起・「白バラ」・「ヒトラー暗殺・クーデタ計画・7月20日事件」・難民追放・ヤルタ会談(ドイツ領土縮小・西方移動)、ヒトラー「ネロ命令」とシュペーアの緩和・阻止命令、東西からの連合国によるドイツ全土の占領(敗北と解放)・ドイツ軍最後の抵抗・ソ連によるベルリン包囲と占領(ソ連軍は「解放軍」か新たな抑圧の軍か:ベルリン市民の悲劇)−
15.まとめ:戦勝国側の2大陣営(対立的な政治経済原理)と20世紀後半の冷戦体制
−21世紀の地平: 第二次大戦の悲劇の忘却・誤解・歪曲・否定を乗り越えて−
できれば、みなさんも、ドイツ各地の歴史記念施設、あるいはさらに、ポーランドのアウシュヴィッツを訪れて(アウシュヴィッツ博物館・公式案内HP)みてはいかがでしょう。
ドイツ主要都市を見物するかたわら、歴史記念の施設を訪ねることもいみがあるのではないでしょうか。
ドイツ・ミュンヘン近郊のダッハウやワイマール郊外のブーヘンヴァルト、ベルリン郊外ザクセンハウゼンなどの収容所をじっくり見学して、ドイツ人がいかにきちんと過去と向き合おうと努力(ブラント)しているか、その到達点と世界史を考え直してみてください。現在のわれわれの世界の幸せをふかいいみであじわうことになるのではないでしょうか。
過去を直視しようという努力に対して、何の反対もないわけではありません。民族主義・極右勢力による反対は厳然として存在しまう。
そういう意味では、ドイツにおいても、対立する歴史像・対立する世界像との対決がつねに求められているなかでの過去の直視です。
われわれには、すなわち、歴史研究者・歴史教育者にも学生諸君や、広く一般市民にも、過去の忘却・誤解・歪曲・否定を乗り越えて、不断に歴史認識を正確化し、動態的な現実の歴史とそこでの人間(総体)の実相の認識を深く広く立体的に豊かにしていくことが、方法的に、そして実証的に(諸事実にもとづいて)、求められていると思われます。
補:
1960年5月−61年2月アイヒマン裁判(イスラエル)、1962年5月判決、処刑
アウシュヴィッツ裁判
since Aug.18.2005