更新:2005/8/9
資本Das Kapital
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資本とは何か?
その前提として、そもそも商品とは何か、貨幣とは何か。
なぜ商品は価格を持っているのか、なぜ商品の価値は貨幣で表現されざるを得ないのか?
商品の価値とは何か?
なぜ近代資本主義は急激に人間労働の生産諸力を高めるのか?
なぜ恐慌は起きるのか?なぜ大量失業は循環的必然的に発生するのか?景気循環の根拠は何か?
利潤とは何か? 利潤の量はどのようにして決まるのか?
利子とは何か?利子率はどのような諸要因によって変動するのか?
地代とは何か?それはどのような諸要因によって決まるのか?
これらの問題に関する古典派経済学の一世紀半以上の期間にわたる多数の経済学者の研究を批判的に継承発展させ、「商品の価値の実体は労働、抽象的人間労働である」という労働価値説を基礎に、すべての基本的諸範疇を体系的に関連付け、首尾一貫した理論体系として書かれたのが『資本論』である。
『資本論』は、そうした労働価値説を根底において、「資本主義的生産の自然法則そのもの、鉄の必然性を持って作用し自分をつらぬく」傾向を科学的に探究・解明し、「近代社会の経済的運動法則を明らかにすること」(第1版序文)を目指したもの。そこには、資本も、その基礎となる商品と貨幣も、生産の私的なあり方も、一言で言って、「資本主義的生産」がけっして永久不変のものではないという歴史認識がある。
「古典派経済学の最後の偉大な代表者リカードは、ついに意識的に、階級利益の対立、つまり労賃と利潤との対立、利潤と地代との対立を彼の研究の跳躍点とするのであるが、彼はこの対立を素朴に社会的自然法則と考えることによって、そうする」(第二版後記)のだが、マルクスは、「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える」立場(第一版序文)であり、資本、労賃、利潤、利子、地代といった諸範疇は歴史的なものだとみる。
経済の運動法則は、けっして自然法則[1]ではなく、社会の一定の発展段階で創出された歴史的形成物である、という見地である。
商品、貨幣、資本、労賃、利潤、利子、地代といった諸範疇の歴史的法則性が問題となる。
その長期的大局的視野にたって、歴史的産物としての「資本主義社会」の生成・発展・変容の基本的な運動法則を明らかにしようとする。
「資本主義的蓄積の歴史的傾向」・・・「資本主義的生産そのものの内在的諸法則の作用」・・・「諸資本の集中」、「ますます大きくなる規模での労働過程の協業的形態」、「科学の意識的な技術的応用」、「共同的にしか使えない労働手段への労働手段の転化」、「結合的社会的労働の生産手段としての使用によるすべての生産手段の節約」、「世界市場の網の中への世界各国民の組み入れが発展し、したがってまた資本主義体制の国際的性格」の発展、など[2]。
現代世界をも貫く基本的一般的な法則性が、『資本論』で明らかにされている。
地球上でますます近代資本主義(産業資本)の運動が、これまで資本主義的生産様式でなかった地域にも広く深く浸透[3]しているグローバル化時代の現在において、本書で明らかにされた普遍的運動法則[4]を吟味し、経済の発達の史的性格を理解して、現代の諸現象の理性的科学的把握に生かすことが求められているのではないか。
現代は、19世紀とどのような点で本質的な点で違っているのか?
21世紀の現代は、20世紀とどのような点で本質的に違っているのか?
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カール・マルクス著(フリードリヒ・エンゲルス編)
『資本論―政治経済学批判―』全3巻
(Karl Marx,
Das Kapital. Kritik der
politischen Oekonomie)[5]
--------------------------『資本論』第一巻(全集第23巻)-------------------------------
第一部
資本の生産過程
第一篇 商品と貨幣
第一章
商品
第一節
商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体、価値量)
第二節
商品に表わされる労働の二重性
第三節
価値形態または交換価値
A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
一 価値表現の両極。相対的価値形態と等価形態
二 相対的価値形態
a 相対的価値形態の内実
b 相対的価値形態の量的規定性
三 等価形態
四 単純な価値形態の全体
一 展開された相対的価値形態
二 特殊的等価形態
三 全体的な、または展開された価値形態の欠陥
C 一般的価値形態
一 価値形態の変化した性格
二 相対的価値形態と等価形態の発展関係
三 一般的価値形態から貨幣形態への移行
D 貨幣形態
第四節
商品の呪物的性格とその秘密
第二章
交換過程
第三章
貨幣または商品流通
第二節
流通手段 (『経済学批判』の「流通手段」の節)
a 商品の変態 (『経済学批判』の「商品の変態」の節)
c 鋳貨 価値章標
第三節
貨幣
a 貨幣蓄蔵
b 支払手段
c 世界貨幣
第二篇
貨幣の資本への転化
第四章
貨幣の資本への転化
第一節
資本の一般的定式
第二節
一般的定式の矛盾
第三節
労働力の売買
第三篇
絶対的剰余価値の生産
第五章 労働過程と価値増殖過程
第一節
労働過程
第二節
価値増殖過程
第六章 不変資本と可変資本
第七章 剰余価値率
第一節
労働力の搾取度
第二節
生産物の比例配分的諸部分での生産物価値の表示
第三節
シーニアの「最後の一時間」
第四節
剰余生産物
第八章 労働日
第一節
労働日の限界
第二節
剰余労働への渇望
第三節
搾取の法的制限のないイギリスの諸産業部門
第四節
昼間労働と夜間労働
第五節
標準労働日のための闘争 14世紀半ばから17世紀末までの労働日延長のための強制法
第六節
標準労働日のための闘争 法律による労働時間の強制的制限 1833-1864年のイギリスの工場立法
第七節
標準労働日のための闘争 イギリスの工場立法が諸外国に起こした反応
第九章 剰余価値率と剰余価値量
第四篇 相対的剰余価値の生産
第十章 相対的剰余価値の概念
第十一章 協業
第十二章 分業とマニュファクチャー
第十三章 機械と大工業
第一節 機械の発達
第二節
機械から生産物への価値移転
第三節
機械経営が労働者に及ぼす直接的影響
a.
資本による補助労働力の取得 婦人・児童労働
b. 労働日の延長
c. 労働の強化
第四節 工場
第五節 労働者と機械の闘争
第六節 機械によって駆逐される労働者に関する補償説
第七節 機械経営の発展に伴う労働者の排出と吸引 綿業恐慌
第八節 大工業によるマニュファクチュア、手工業、家内労働の変革
第九節 工場立法(保健・教育条項) イギリスにおけるその一般化
第十節 大工業と農業
第五篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
第十四章 絶対的および相対的剰余価値
第十五章 労働力の価格と剰余価値の量的変動
第十六章 剰余価値率を表す種々の定式
第六篇 労賃
第17章
労働力の価値または価格の労賃への転化
第18章
時間賃金
第19章
出来高賃金
第20章
労賃の国民的相違
第七篇 資本の蓄積過程
第21章
単純再生産
第22章
剰余価値の資本への転化
第三節
拡大された規模での資本主義的生産過程 商品生産の所有法則の資本主義的取得への変転
第四節
拡大された規模での再生産に関する経済学の誤った見解
第五節
剰余価値の資本と収入への分割 節欲説
第六節
資本と収入への剰余価値の分割比率とは別に蓄積の規模を規定する諸事情 労働力の搾取度―労働の生産力−充用される資本と消費される資本との差額の増大―前貸資本の大きさ
第23章
資本主義的蓄積の一般的法則
第一節
資本構成の不変な場合に蓄積に伴う労働力需要の増加
第二節
蓄積およびそれに伴う集積の進行途上での可変資本の相対的減少
第三節 相対的過剰人口または産業予備軍の累進的生産
第四節 相対的過剰人口の種々の存在形態 資本主義的蓄積の一般的法則
第五節
資本主義的蓄積の一般的法則の例解
第24章 いわゆる本源的蓄積
第一節 本源的蓄積の秘密
第二節
農村住民からの土地の収奪
第三節
15世紀末以後の被収奪者に対する地の立法 労賃引き下げのための諸法律
第四節
資本家的借地農業者の生成
第五節
農業革命の工業への反作用
第六節
産業資本家の生成
第七節
資本主義的蓄積の歴史的傾向
第25章 近代殖民理論
-----------------------『資本論』第二巻(全集第24巻)------------------------------
序文(エンゲルス、1885年5月5日、マルクスの誕生日に、ロンドンで)
第二部 資本の流通過程
第一篇 資本の諸変態とその循環
第一章 貨幣資本の循環
第一節
第一段階 G−W
第二節
第二段階 生産資本の機能
第三節
第三段階 W’−G’
第四節
総循環
第二章
生産資本の循環
第一節
単純再生産
第二節
蓄積と拡大された規模での再生産
第三節
貨幣蓄積
第四節
準備金
第三章
商品資本の循環
第四章
循環過程の三つの図式
第五章
流通期間
第六章 流通費
第一節 純粋な流通費・・・1.売買期間、2.簿記、3.貨幣
第二節 保管費・・・1.在庫形成一般、2.本来の商品在庫
第三節 運輸費
第二篇 資本の回転
第七章 回転期間と回転数
第八章 固定資本と流動資本
第一節 形態上の相違
第二節 固定資本の諸成分・補填・修理・蓄積
第九章 前貸資本の総回転 回転の循環
第十章 固定資本と流動資本に関する諸学説 重農学派とアダム・スミス
第十一章 固定資本と流動資本に関する諸学説 リカード
第十二章 労働期間
第十三章 生産期間
第十四章 流通期間
第十五章 回転期間が資本前貸の大きさに及ぼす影響
第十六章 可変資本の回転
第一節 剰余価値の年率
第二節 個別可変資本の回転
第三節 社会的に見た可変資本の回転
第十七章 剰余価値の流通
第一節 単純再生産
第二節 蓄積と拡大再生産
第三篇 社会的総資本の再生産と流通
第十八章 緒論
第一節 研究の対象
第二節 貨幣資本の役割
第十九章 対象についての従来の諸論述
第三節 重農学派
第四節 アダム・スミス
一 スミスの一般的観点
二 スミスによる交換価値のv+mへの分解
三 不変資本部分
四 アダム・スミスにおける資本と収入
五 要約
第三節 アダム・スミス以後の人々
第二十章 単純再生産
第一節 問題の提起
第二節 社会的生産の二つの部門
第三節 両部門間の転換 T(v+m)対UC
第四節 部門Uのなかでの転換 必要生活手段と奢侈手段
第五節 貨幣流通による諸転換の媒介
第六節 部門Tの不変資本
第七節 両部門の可変資本と剰余価値
第八節 両部門の不変資本
第九節 アダム・スミス、シュトルヒ、ラムジへの回顧
第十節 資本と収入
第十一節 固定資本の補填
一 摩滅価値部分の貨幣形態での補填
二 固定資本の現物での補填
三 結論
第十二節 貨幣材料の再生産
第十三節 デステュット・ド・トラシの再生産論
第二一章 蓄積と拡大再生産
第一節 部門Tでの蓄積
一 貨幣蓄蔵
二 追加不変資本
三 追加可変資本
第二節 部門Uでの蓄積
第三節 蓄積の表式的叙述
一 第一例
二 第二例
三 蓄積が行われる場合のUcの転換
第四節 補遺
--------------------------『資本論』第三巻(全集第25巻)-------------------------
第三部 資本主義的生産の総過程
第一篇
剰余価値の利潤への転化と剰余価値率の利潤率への転化
第一章 費用価格と利潤
第二章 利潤率、
第三章 利潤率と剰余価値率との関係
第四章 回転が利潤率に及ぼす影響
第五章 不変資本充用上の節約
第六章 価格変動の影響
第七章 補遺
第二篇 利潤の平均利潤への転化
第八章 生産部門の相違による資本構成の相違とそれにもとづく利潤率の相違
第九章 一般利潤率(平均利潤率)の形成と商品価値の生産価格への転化
第十章 競争による一般利潤率の平均化 市場価格と市場価値 超過利潤
第十一章 労賃の一般的変動が生産価格に及ぼす影響
第十二章 補遺
第一節 生産価格の変動を引き起こす諸原因
第二節 中位構成の商品の生産価格
第三節 資本家の保障理由
第三篇 利潤率の傾向的低下の法則
第13章 この法則そのもの
第14章 反対に作用する諸原因
第一節 労働の搾取度の増強
第二節 労働力の価値以下への労賃の切り下げ
第三節 不変資本の諸要素の低廉化
第四節 相対的過剰人口
第五節 貿易
第六節 株式資本の増加
第15章 この法則の内的な諸矛盾の展開
第一節 概説
第二節 生産の拡大と価値増殖の衝突
第三節 人口の過剰を伴う資本の過剰
第四節 補遺
第四篇 商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)
第16章 商品取引資本
第17章 商業利潤
第18章 商人資本の回転 価格
第19章 貨幣取引資本
第20章 商人資本に関する歴史的事実
第五篇 利子と企業者利得とへの利潤の分裂 利子生み資本
第21章 利子生み資本
第22章 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率
第23章 利子と企業者利得
第24章 利子生み資本の形態での資本関係の外面化
第25章 信用と架空資本
第26章 貨幣資本の蓄積 それが利子率に及ぼす影響
第27章 資本主義的生産における信用の役割
第28章
流通手段と資本
第29章
銀行資本の構成部分
第30章 貨幣資本と現実資本(T)
第31章
貨幣資本と現実資本(U)
第32章 貨幣資本と現実資本(V)
第33章 信用制度の下における流通手段
第34章 通貨主義と1844年のイギリスの銀行立法
第35章 貴金属と為替相場
第36章 資本主義以前
第六篇 超過利潤の地代への転化
第37章 緒論
第38章 差額地代 総論
第39章 差額地代の第一形態(差額地代T)
第40章 差額地代の第二形態(差額地代U)
第41章 差額地代U―第一の場合 生産価格が不変な場合
第42章 差額地代U―第二の場合 生産価格が低下する場合
第43章 差額地代U―第産の場合 生産価格が上昇する場合 結論
第44章 最劣等地でも生まれる差額地代
第45章 絶対地代
第46章 建築地地代、鉱山地代、土地価格
第47章 資本主義的地代の生成
第七篇 諸収入とそれらの源泉
第48章 三位一体的定式
第49章 生産過程の分析のために
第50章 競争の外観
第51章 分配関係と生産関係
第52章 諸階級
---------------剰余価値学説史(全集第26巻)-------------------
---------------------------1859 年刊行『経済学批判』(全集第13巻)--------------------
『経済学批判』における章だて
第一部 資本について
第一篇 資本一般
第一章 商品
第二章 貨幣または単純流通[6]
一 価値の尺度
二 流通手段
a 商品の変態
b 貨幣の通流
c 鋳貨。価値表章
三 貨幣
a 貨幣蓄蔵
b支払手段
c世界貨幣
四 貴金属
C 流通手段と貨幣についての諸学説
[1] 最近の科学研究の到達点であるビッグバン宇宙論からすれば、自然法則もまた時間・空間とともに変化している。物質そのものが、ビッグバン後の時間的経過と空間的広がりの中でさまざまに作り出されてきたということのようである。地球史・人類史の物差しからすれば、不変に見える自然界の法則性も、けっして絶対的な無時間的な普遍性ではないのだ。
[2] 第一巻、第七篇 資本の蓄積過程。第24章 いわゆる本源的蓄積、第7節、邦訳(大月・全集版),p.994-995.
[3] 開発途上にある世界各地で、いわゆる「資本の本源的蓄積」が進行し、「資本の歴史的生成」がみられる。それは、「直接生産者の収奪、すなわち自分の労働にもとづく私有の解消」が進行するということである。
しかし、この歴史発展の法則性は、過去や見ず知らずの世界各地を見るまでもない。
戦後日本はまさにこの直接生産者としての大量の農民(戦後農地改革によって成立した小農経営)をその生産手段(農地・農業経営)から引き離す過程であった。
日本の勤労者の圧倒的多数がサラリーマン化したのはまさに戦後半世紀の歴史においてであった。人々が自分の働く能力を法人企業に売ること、すなわち、労働力の商品化は、歴史発展の産物なのである。
そうした過程が、現在、世界のいわゆる開発途上国でも急速に進行している。
そうした移行過程が時に暴力的になるのは、イギリス(有名なエンクロージャー)やその他の西洋諸国(いわゆる「農民解放」など)で見られたことであり、農民からの土地剥奪過程は、現在の開発途上国における貧民の都市への流入過程にも見られる。
[4] それぞれの生産部門で、大経営が小経営を駆逐していく必然性(第一巻、第七篇 資本の蓄積過程。第24章 いわゆる本源的蓄積、第7節、邦訳(大月・全集版),p.993-994)
小農民、手工業者に典型的だが、「労働者が自分の生産手段を私有しているということは、小経営の基礎であり、小経営は、社会的生産と労働者自身の自由な個性との発展のために必要な一つの条件である。」
・・・小経営という「この生産様式が繁栄し、全精力を発揮し、十分な典型的形態を獲得するのは、ただ、労働者が自分の取り扱う労働条件の自由な私有者である場合、すなわち農民は自分が耕す畑の、手工業者は彼が老練な腕で使いこなす用具の、自由な私有者である場合だけである。」
しかし、「この生産様式は、土地やその他の生産手段の分散を前提する。それは、生産手段の集積を排除するとともに、同じ生産過程のなかでの協業や分業、自然に対する社会的な支配や規制、社会的生産諸力の自由な発展を排除する。それは生産および社会の狭い自然発生的な限界としか調和しない。」
「ある程度の高さに達すれば、この生産様式は、自分自身を破壊する物質的手段を生み出す。その瞬間から、社会の胎内では、この生産様式を桎梏と感ずる力と熱情が動き出す。この生産様式は滅ぼされなければならないし、それは滅ぼされる。その絶滅、個人的で分散的な生産手段の社会的に集積された生産手段への転化、したがって多数人の矮小所有の少数人の大量所有への転化、したがってまた民衆の大群からの土地や生活手段や労働用具の収奪、このおそろしい重苦しい民衆収奪こそは、資本の前史をなしているのである。」
戦後日本の高度成長、農村から都市への大量の人口移動は、都市における資本=賃労働関係の急速な形成の過程であった。
すなわち、小農経営、「自分の労働によってえた、いわばここ独立の労働個体とその労働諸条件との癒着にもとづく私有は、他人のではあるが形式的には自由な労働の搾取にもとづく資本主義的私有によって駆逐されるのである」という法則性は、戦後日本の半世紀の統計データをみても、貫徹していることが一目瞭然となるのである。
現在の地球で、とくにそのいわゆる開発途上国で進展していることは、まさにこうした小経営の駆逐過程、小経営の支配する産業分野への資本関係の浸透でもある。
[5] 邦訳は、基本的には大月書店版(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳)を利用している。時には岩波書店版(向坂逸郎訳)も利用している。
[6] 「以下の研究でしっかり把握しておかなければならないことは、商品の交換から直接に発生する貨幣の諸形態だけを問題にし、生産過程のもっと高い段階に属する貨幣の諸形態、たとえば信用貨幣のようなものは問題にしない、ということである。簡単化のために、どんな場合でも金が貨幣商品であるとしておく。」(『経済学批判』第二章、全集版、48ページ)
In der folgenden Untersuchung
ist festzuhalten, daß es sich nur um die Formen des Geldes handelt, die
unmittelbar aus dem Austausch der Waren herauswachsen, nicht aber um seine,
einer höhern Stufe des Produktionsprozesses angehörigen Formen, wie z.B. Kreditgeld.
Der Vereinfachung wegen ist Gold überall als die Geldware
unterstellt.
[Marx: Zur
Kritik der politischen ヨkonomie, S. 67f. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 2964f (vgl.
MEW Bd. 13, S. 49)]
信用貨幣は、信用制度、銀行業の発達とともに発生し、展開する。
単純な商品交換においては、そうした信用制度・信用貨幣は歴史的にも理論的にも存在しない。