経済史講義-歴史と経済-       詳細目次

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学部サーバーダウン時の経済史HP(カウンター:2003/10/31設置)                                   

更新2005年6月

 

講義メモ・資料・ミニテスト補足説明等のリスト


Ⅰ. 宇宙史のなかの人類の歴史と経済-人間とは?

               
(アインシュタインEinstein相対性理論原稿とラジオ放送開始記念集会での演説)

No.1 開講にあたって(講義の基本方針、ミニテストに関する注意事項など):

何のために研究・勉強するか?羽入-折原論争―マックス・ウェーバーは犯罪をおかしたか?―をてがかりに」、「歴史学は役に立つか?

No.2 歴史における経済史の位置(その1)―宇宙史・銀河史・地球史・生物史と人類史―[1]

(2004年11月、ミュンヘンの凱旋門近く・レオポルト通りの「巨人」)

No.3 歴史における経済史の位置(その2)―人類史[2]・社会史と経済史―

      
No.4 歴史を見る方法、基本的スタンス-科学的弁証法-


Ⅱ. 歴史の中の近代資本主義の生産様式-資本とは何か?

  資本とは何か?

近代資本主義の運動法則

No.5 資本とは何か? 前期的資本と近代に独自な資本(その1)-資本主義の歴史性=生成・発展・変容の視点-

No.6 資本とは何か? 前期的資本と近代に独自な資本(その2)-現代日本の生産様式・蓄積様式-
(その3商人資本に関する歴史的事実)
―補論:貨幣とは? 価格とは? 近代的資本の基本的運動法則の理解のために―


Ⅲ. 労働の生産諸力の発達と余暇-自由とは?
     余暇と自由
[3]

No.7 分業の原理と分業発展の諸段階-人類の生産諸力の発達- 

No.7 補足‐近代工業・機械制大工業の革命性-

不断のリストラクチャリングの歴史強制法則としての競争[4]

不断の技術革新・新商品開発・経営革新・イノベーション(=市場発見・市場創造・先駆性・リーダーシップ[5]

No.7 補足2資本蓄積の法則・集積集中と相対的過剰人口循環的構造的大量失業の法則[6]

No.7 補足3利潤率の傾向的低下の法則、この法則そのもの

そして、反対に作用する諸原因

No.8 人類原始史における生産技術の発達と社会形態の進化

-人類の生産諸力と経済的社会構成の諸形態・その歴史性- 

No.9 社会的分業の発達史、商品・貨幣の発達史と前期的資本

-生産の私的性格と商品・貨幣の発生・発達史-


Ⅳ. 近代資本主義に先行する生産様式にはどのようなものがあるか?           歴史的産物としての近代資本主義の生産様式

No.10 封建的共同体の基本構成とその解体要因

-人類史における共同体の諸形態と封建的共同体- 

No.11 補足:マルク共同体

     「ねずみとり男」  ハーメルンの町  東方植民


中世都市ディンケルスビュール  夏の祭り(1985年)

No.12 中世西ヨーロッパ経済

-「商業の復活」(ピレンヌ)と遠隔地商業、農村と都市の相互関係-


         地中海貿易の覇者ヴェニスの栄光と没落



 バルセロナ港のコロンブス像
No.13  地理上の発見と商業革命-地中海貿易圏の衰退と現代世界システム形成の端緒-
   アルハンブラ宮殿(グラナダ)
(イスラム系支配者の最後の拠点グラナダとアルハンブラ宮殿、
 キリスト教勢力によるレコンキスタと地理上の発見)


              フッゲライ(アウグスブルク)

No.12補足、メディチ家の時代、フッガー家の時代


     メランヒトンの家(ヴィッテンベルク)
 

No.13補足、『資本主義の世界史』と『大反転する世界』

Ⅴ. 近代資本主義の生産様式は、いつごろ、どこで生成したのか?    いつごろ確立したのか?
No.14 近代資本主義経済の成立-局地的市場圏、マニュファクチャー、毛織物工業-

No.14補足、重商主義=Industriesystem重工主義


 ルターが聖書を独訳した部屋 (アイゼナハのヴァルトブルク城内) 


   

No.15 宗教改革と資本主義-プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神- 


  ドンキホーテとサンチョパンサ  (セルバンテス、1605、1615)
 
  (スペイン、マドリード)



   グロチウス(『戦争と平和の法』1625)
    (オランダ、デルフト)

No.16  世界市場の成立と産業革命の前提諸条件

フリードリヒ大王(1712-86)の夏の離宮 サンスーシー宮殿と風車

  

No.17  産業革命-機械制大工業の成立と支配、綿工業-:イギリス産業革命の特質 




   
 (ナポレオン戦争・戦勝記念凱旋門:バイエルン王国ミュンヘン )

No.18 二重革命の時代-市民革命と産業革命-

―国民経済、石炭・鉄鋼・鉄道業と資本蓄積・集積―

補:『フリードリッヒ・リストと彼の時代―国民経済学の成立』(諸田實、有斐閣、2003)

No.19  自由貿易帝国主義・ジェントルマン資本主義と後進国資本主義化の諸類型

―自立型・国民経済形成型と従属型・植民地型―


 ユーゲントシュティルの建物 (19世紀末-第一次大戦)  (ミュンヘン大学近く)



Ⅵ. 二度の世界大戦はなぜ起きたのか?
     地球各地の不均等発展と先進列強の帝国主義・植民地主義

No.20-1  19世紀後半・世界経済の発展と世紀末20世紀初頭の経済史的展開

        -第一次世界大戦の経済史的諸原因、電機化学工業・第二次産業革命-

.No.20-2 帝国主義と第一次世界大戦
    -帝国主義社会主義・民主主義・自由主義の対立的諸潮流


      日本も先進列強を見習って帝国主義化
           日清・日露の戦争で植民地取得・勢力圏拡大→      第一次大戦ではドイツに敵対。ドイツ植民地奪取。。(日本領土の変遷

    -「ヒトラー、ムッソリーニの潮流」(石原莞爾・関東軍など軍部の潮流)対
         「ホブスン、ヒルファーディング、レーニン、幸徳秋水
[7]、石橋湛山[8]の潮流」―[9]




1923年11月、ヒトラーのミュンヘン一揆・・・失敗・・逮捕投獄    (獄中で『わが闘争』口述)
  
     ヒトラー・ミュンヘン一揆23年11月  進軍開始・即鎮圧された場所   英雄廟・オデオンプラッツ

No.21
-1 ヴェルサイユ体制(1919)→世界経済の相対的安定期(1924-29)






 11月革命・左翼勢力に対する右翼からの反対




No.21-2 世界経済恐慌(1929・10)・政治的激動
 人種問題  ユダヤ人問題   ユダヤ人に責任あり  演説家 ユリウス・シュトライヒャー          ゲッベルス博士   「ヴェルサイユ体制の10年間」   「戦争責任の嘘を捨てよ」
 (1929年のナチ党の集会案内)

                     満州事変(31年9月18日勃発)  「満州国」(傀儡国家)建設(32年3月1日)
                              「五族共和の王道楽土」の美名の下、           軍事支配下の傀儡政権樹立。

 (ドイツ国家人民党の宣伝)       (ドイツ国家党の宣伝)

  (世界経済恐慌の打撃を受けて、政治闘争・選挙戦は激化。
   その中でナチ党が第一党にのし上がる。)



 (1932年選挙におけるドイツ共産党と中央党の宣伝)
  中央党は、「赤の洪水に抗して、ブリューニングに返れ、兄弟殺し反対」などと。


1928年選挙ではナチ党はシュレスヴィヒホルシュタインなどで躍進   しかしまだ小政党     30年選挙以降、急上昇。

No.21-3 ナチスの政権掌握(1933年1月)からヨーロッパ戦争勃発(1939年9月)へ

33年1月30日 ヒトラー政権誕生 (ナチ党の権力掌握)

アインシュタイン「政治的自由と寛容、すべての市民の法の前の平等が守られている国にのみ、留まる。政治的自由には政治的確信の口頭および文書による表明の自由が、寛容には個人のそれぞれの確信の尊重が含まれている」(1933年年3月



     (1933年5月10日:ナチ党による焚書の現場写真)

(2001年1月現在)




                 36年 日独防共協定 37年 日独伊防共協定

   
      (1936年につくられたザクセンハウゼン収容所、完成は37年12月:
33年3月-34年7月はこの地にあった閉鎖された醸造所を突撃隊管理下で強制収容所に利用していた)

                 37年7月7日 盧溝橋事件    日本軍、上海・華北に戦線拡大、
                   中国の抗日統一戦線の抵抗
                 37年12月 南京大虐殺
   ナチス・ドイツの侵略戦争開始・大虐殺事件よりも早い時期に、日本帝国は泥沼の侵略戦争へ。 慰安所・従軍慰安婦

  38年3月オーストリア「編入(アンシュルスAnschluss)」(併合)→ズデーテン問題の激化


         ミュンヘン会談(38年8月)会場 チェコスロバキアの屈辱・ズデーテン割譲

  39年3月 ドイツ軍プラハ進駐(チェコスロヴァキア解体・「保護領」下、プロテクトラート・ベーメン・メーレン)
  39年5月、ヒトラー、ポーランド攻撃準備を命令(「9月1日までに準備を完了せよ」)

                    39年5月ー9月 ノモンハン事件    (日ソ両軍の激突→関東軍の敗退)  
                            第23師団ほぼ壊滅。戦死傷者、1万数千名余と。

          独ソによるポーランド分割 (39年8月独ソ不可侵条約秘密協定) 
       (1939年9月1日、ドイツのポーランド攻撃開始)
 
 1940年4月9日 ドイツ軍、デンマークとノルウェーに侵攻。 

 1940年5月10日、ドイツ西部戦線の火蓋をきる(オランダ、ベルギー、フランスへ侵攻開始)。
     電撃戦Blitzkrieg勝利の熱狂
       この場から得意満面でパリを眺めるヒトラー


                      40年9月 日独伊三国同盟(軍事同盟)




No.21-4 バルバロッサ作戦・独ソ戦(1941年6月)から世界戦争(1942年1月)へ

      
  1940年12月18日 ヒトラー、総統指令第21号バルバロッサ作戦準備命令。
       (「41年5月15日までに対ソ奇襲攻撃の準備を完了せよ、電撃的にソ連を蹂躙する準備を!」)


                  41年4月 ユーゴ侵攻、バルカン半島制圧作戦
                       (バルバロッサ作戦発動の遅れの重要な原因)


      
        
       (バルト三国・白ロシアをオストラントとしてまとめ、
     ウクライナコーカサス、そしてモスクワをライヒスコミッサールで支配
         4地域に分割して、支配)

      


 41年6月22日 ドイツ大軍、対ソ奇襲攻撃開始  「バルバロッサ作戦(Fall Barbarossa)」発動

       41年7月3日、スターリン、パルチザン戦争をラジオで呼びかける。

       
      
      パルチザン決起の呼びかけ:
      「電線を切れ、鉄橋を爆破しろ、敵側の建物を燃やせ!」


  41年7月31日 「ユダヤ人問題の最終解決を準備せよ」とのゲーリング令(ハイドリヒ宛)



     
  (アインザッツグルッペは、軍の進撃の後、軍集団の後方地域において治安平定に当たる)
   

  41年7月→8月→9月とソ連軍民の抵抗反撃の激化

  41年8月ー9月 プロテクトラート・ベーメン・メーレンの不穏→「鉄の心臓」のハイドリヒがプロテクトラート総督代理に。
             「旧ライヒ(帝国本土)とプロテクトラートのユダヤ人を臨時的に東方へ」 
 

       
             (北方軍集団:レニングラード包囲)


   41年8月中旬から9月下旬、キエフ攻防戦の激戦→ドイツによるキエフ占領

           
  41年9月末、キエフ攻防戦終了後の混乱、ソ連秘密工作員によるドイツ軍火薬庫爆破など、キエフ大火。
           →報復・・・キエフ郊外・バビヤールの渓谷でユダヤ人大量虐殺(残された大量の衣類等の山

    バルカン半島(セルビア)でも抵抗激化     -ドイツ人兵士一人の犠牲に報復として100人を処刑(カイテル命令)
          (1941年9月16日付、カイテルの命令

  41年10月5日 モスクワ攻略作戦「タイフーン」開始。

                
      (モスクワを目指す中央軍集団の後方地域の重要拠点ミンスク)


  41年秋→冬、独ソ戦の泥沼化。第三帝国の冬の危機(Winterkrise)


 41年12月8日(現地時間、及びドイツ時間では12月7日) 日本の真珠湾攻撃

 41年12月11日 ヒトラー国会演説・・・対米宣戦布告を国会の場で国民に説明。
 41年12月12日 ナチ党幹部を集めた会議で戦争の責任者ユダヤ人に命で償わせる、と(ゲッベルス日記記載、12月13日)。
 
、「ユダヤ人に同情を示してはならず、ドイツ民族にのみ同情を持たなければならない」と述べ、「ドイツが東部戦線Ostfeldzugで16万人の死者を犠牲に供した」とし、「この血の紛争をひきおこしたものに命で購わせなければならない(mit ihrem Leben bezahlen müssen)」とした。

 41年12月16日  ポーランド総督フランク・・・総督府閣議で、総督府のユダヤ人の粛清Liquidierungを表明。その方法は、近いうちにベルリンで予定の会議で(ヴァンゼー会議:42年1月20日)。

 41年12月18日、ヒムラーのヒトラーとの会談メモ「ユダヤ人、パルチザンとして根絶」(Judenfrage, als Partisan auszurotten)
     ユダヤ人とパルチザンとを一緒くたにする・・・その意味は?
 
  『ユダヤ人はパルチザン、 パルチザンはユダヤ人』n

    独ソ戦: 絶滅戦争・世界観戦争 「伝統的意味での戦争ではない」

    

    ドイツ国防軍犯罪展 
     (ベルリン2002年1月)



No.22 『ホロコーストの力学』(序章草稿‐最新の研究上の諸論点

20世紀前半「極端の時代」・世界大戦・総力戦の時代とホロコースト-

(1)ホロコーストの力学-独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法-』〈株〉青木書店、2003年8月

                                   感想や疑問点など知らせてくれるとなおさらうれしい。つぎに構想しているもっと簡明な啓蒙書(さしあたりのプラン)を書くときの参考にします。学生諸君の参考までに知人の研究者などからの反応のあり方をご紹介します。

                                   なお、『図書新聞』2662号(2004116日号)に、本書のエッセンスを説明するインタヴュー記事歴史的実証の力―解きあかされるホロコーストの論理と力学」が掲載されました。本書理解に役立つと思いますので、参考にしてください。

                                   最近、『史学雑誌:回顧と展望(2003年度)』(東京大学・史学会)に芝健介氏(東京女子大教授・ドイツ現代史専攻)の評価、『歴史と経済(政治経済学・経済史学)184(20047)に谷喬夫氏(新潟大学教授・ドイツ政治史専攻)の書評、その後、『社会経済史学(社会経済史学会)の最新号・702(20047月・・・会員の手元に届いたのは10月はじめ)に、松家仁氏(小樽商科大学助教授・ポーランド史専攻)の書評が掲載されたので、それぞれの専門研究者による公開の評価として、あわせて参考にされたい。

(2)『ホロコースト大事典』(共訳・柏書房、20031030日)

Cf .2004年1月『週刊 読書人』三島憲一氏(大阪大学教授)の書評。

この問題に関する世界のそれぞれの最先端の専門家が書いたホロコースト・エンサイクロペディアです。あわせて参考にしてください。

(3) ホロコースト(第三帝国のユダヤ人大量虐殺)の諸要因・ダイナミズムと「普通のドイツ人」(ファシズムと民衆)

(4)ポーランド・西欧ユダヤ人の戦時下移送強行=絶滅政策への大々的転換点
『移住』、しかし実際は? 郊外クルムホーフで運送用・移動用と称される ガス自動車へ。  ボックスカーの中へは排気ガスが。
  (1942年1月14日の警告文:リッツマンシュタット(ウーチ)・ゲットー)

  
 1942年6月の特殊自動車」(Spezialwagen)(ガス自動車)「改良指示」関係文書
  「1941年12月から3台の車で、9万7000を加工」と。


(5)総力戦・世界大戦の戦時経済と「疎開」・強制連行

  42年1月8日付けヴァンゼー会議召集状


ヴァンゼー会議’42-1-20  記念館(湖側から)


 42年春→夏、絶滅収容所ベウゼッツ、ソビボール、トレブリンカが相次いで建設稼動(一酸化炭素)。
 42年春→夏、アウシュヴィッツ第二(ビルケナウ)収容所で農家改造臨時ガス室(第一)稼動、ついで(第二)

                     
 42年5月27日ハイドリヒ(プロテクトラート・ベーメン・メーレン総督代理)、プラハ城に出勤途中、市内急カーブの場所で手榴弾を投げつけられ重傷(→6月4日死亡→ヒトラー、1万名の報復を命令、リディーチェ村の悲劇)

 42年6-8月 ドイツ大軍は、夏の大攻勢、スターリングラード攻撃へ
  しかし、ドイツ国内へは連合国の空襲がはやくも激化。


43年1月ー2月スターリングラードで    ドイツ軍は壊滅的敗北
 43年1月末ー2月はじめ・・・スターリングラードでドイツ第6軍壊滅的敗北。
 43年夏、クルスクでの世界史上最大規模の戦車戦でドイツ敗北。

 44年春、ドイツ大軍敗退に次ぐ敗退で、いまや同盟国ハンガリーにまで撤退。
       ハンガリー・ユダヤ人40万はアウシュヴィッツへ。夏までにガス室・火葬場へ。


    
 44年7月、ドイツ本土に迫るソ連赤軍。7月20日時点の独ソ戦・前線


  (1944年7月20日の暗殺計画はすんでのところで失敗)
  (ドイツ抵抗記念館・展示写真と説明)


        

   (これ以降、45年4月30日ヒトラー自殺・5月8日無条件降伏まで9ヶ月間に、
    それまでの戦死者に相当するドイツ兵士の犠牲
     ・・・・敗戦の最終局面で犠牲者は一挙に多くなる)


     (7月20日事件首謀者たちに対する裁判・・・死刑判決)
     (ドイツ抵抗記念館・展示写真と説明)


(1945年の全ドイツの強制収容所:ドイツ抵抗記念館・展示写真と説明)



 1945年4月16日のソ連軍による攻撃開始時点の戦線
     4月30日ヒトラー・総統地下要塞数百メートルまで包囲
     4月30日午後3時半、ヒトラー自殺→死体焼却


1945年5月1日、ベルリンを占領したソ連軍の女性兵士による交通整理


 1945年5月2日 ブランデンブルク門で。ソ連軍兵士と将校


   戦闘終結後、東方へ連行されるドイツ人兵士・将校
       (ソ連側の発表では50万人と)



捕虜の数、生存者と死亡者の割合
捕虜の兵士のうち、生存者(白い人形で表す)と戦死者(黒い人形で表す)の割合

 (ソ連赤軍:ドイツの捕虜に570万人) 生存者42.1%、死者57.9%

英米軍:ドイツの捕虜になったのは23万2千、生存者96.4%、死者3.6%) 
ドイツ国防軍:ソ連の捕虜になった数315万5千人・・生存者62.4%。死者37.6%)
(第一次大戦のロシア兵:ドイツ捕虜になったのは143万4500人、生存者94.6%、死者5.4%)





Ⅶ. 21世紀初頭の人類(地球)の経済的発達の到達点は何か?
     第二次世界大戦後の地球と地域の経済の発達
    
   この部分に関しては、グローバル化の中での地域統合・リージョナリズムの前提、背景、歴史、展望などを考えてみたい。


 主要参考書
:編著『ヨーロッパ統合の社会史―背景・論理・展望』日本経済評論社、20042月刊。

 

No.23 冷戦体制・世界的な飛躍的生産力の発達と水平的・地域的統合、社会史的統合の必然性-「核戦争」、原子力産業、コンピューター産業-

   -ナショナリズム・民族主義・戦争の潮流と平和的な地球的統合の潮流のはざまで-

No.24 グローバル化と個人・家族・地域・国家・国家連合・人類

 -人類の生産・流通・消費の地球的総体的連関とその地球的総体的調整の必要性-

-現代の諸個人と人類の諸課題、地球地域経営のための公共哲学

(1)      新自由主義批判[10]

(2)      平和構築の鍵は貧困の克服[11]-現代世界の「貧困」の構造は?

(3)      世界の不均等発展―地球諸地域の生産様式・資本の有機的構成の違い・生活様式の違い‐[12] 

(4)      古くて新しい問題-地球上の社会経済の不均等発展と自由貿易・保護貿易のせめぎあい[13]- 

(5)      グローバリゼーションの最先端・・・ex.グローバル・スタンダード・国際会計基準[14] 



  
           ベルリン社会研究センター(2004年12月)       


  (WZB)

    

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閑話休題1(科研費研究調査等の海外出張で撮った写真とその説明)
No.1 ミュンヘン現代史研究所とミュンヘンの史跡(2001年夏)

No.2 ベルリン・ドイツ連邦文書館と史跡など(2001年夏)

No.3 ポツダム20013,第一次世界大戦と第二次世界大戦の関連性をテーマにした国際軍事史会議に参加したときに撮影した写真)

閑話休題2(200112月および20021月の科研費出張で撮影した写真とその説明)

No.4 クリスマスのミュンヘン

No.5 ユーロ転換直後のドイツ・ベルリン体験

(付録:展示会「国防軍の犯罪:絶滅戦争の諸次元19411944」訪問記・デジタル写真)

閑話休題320028月夏期・研究調査・原稿執筆旅行の話

(「ヒトラー山荘」歴史博物館、ブーヘンヴァルト強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所、ヴァルトブルク、ルターの町・ヴィッテンベルク、連邦文書館など) 

閑話休題4200312月(17日成田発―25日成田着)ミュンヘン現代史研究所・史料文献調査(日本学術振興会・科研費・基盤研究(C)(2)「ホロコーストの論理―総力戦の政治と経済の力学―」(20022004)

閑話休題520049月キール大学45回ドイツ歴史家大会

閑話休題620041030日-117日ミュンヘン現代史研究所・文献調査旅行(科研費・基盤研究(B)「戦争と復興」プロジェクト)

閑話休題7200412ベルリン連邦文書館調査(121日付利用確認書)NEW


上記リンクを含め、私の研究室HPでは、大学内外・全国に公開されているHPは、通常の公刊論文・著書と同じように、社会に対してオープンなHPであると考え、文脈等からそのページの参照を求めたいときには、とくにお断りしないでリンクを張らせていただいている。

被リンクページ所有者・責任者等で、私からのリンクを削除したいとご希望の方は、ご連絡ください (nagamine@yokohama-cu.ac.jp)











[1] 宇宙史・地球史・人類史の到達点=現在の総体を(方法的に)頭に入れて、現代の諸問題に処するという基本的見地からして、わが意を得たりという啓蒙書が最近(20035)刊行された。

松井孝典『宇宙人としての生き方-アストロバイオロジーへの招待-』岩波新書である。

 科学の世界的発達は、その世界的最先端部分を世界の人々に気付かせ自覚化させるということであろう。同書によれば、同じような見方が世界各地で進化しているのだ。

 

 本論の各所でも述べたが、遺伝子研究による人間とチンパンジーとの類似性と両者の分離のタイムスパン(最新ニュース「チンパンジーをヒト属に」『朝日新聞』2003520日夕刊【ワシントン=村山知博】)に 関する新たな実証的学説は、改めて、宇宙史、地球史、宇宙人としての人間の意味を考えさせる。

 

 「チンパンジーもヒト属に分類すべきだ」。米研究チームが19日、そんな論文を米科学アカデミー紀要(電子版)に発表した。ゴリラやオランウータンなどほかの類人猿に比べて、人間の遺伝子との共通性が多いからだという。

 主に姿形をもとにした従来の分類では、チンパンジーはオランウータン科チンパンジー属。ヒトかヒト属の人間とは明確に区別される。

 今回、ウェイン州立(ミシガン州)のモーリス・グッドマン博士らのチームは、人間とチンパンジー、ゴリラ、オランウータン、ネズミなどの遺伝子を比較97種類の重要な遺伝子について、人間とチンパンジーとの共通点は99.4と際立っていた。

 分子人類学の第一人者として知られるグッドマン博士は「人間はチンパンジーのちょっとした改良型にすぎない。同じ属にするのが妥当だ」とAP通信に語った。

 人間とチンパンジーの共通祖先は、まず約1300万年前にオランウータンの祖先から分岐、さらに約700万年前にゴリラの祖先から分かれた。

 別々に進化し始めたのは、500万年前と考えられている。」

 

 宇宙史150億年(最近ではNASAによる137億年説が有力と・・上記松井著参照)、そのなかの地球史46億年。地球史の中の生命史40億年ないし38億年をチンパンジーと人間は共有する。

お互いがすこしだけ分かれはじめたのが、わずか500万年前にすぎないなら、遺伝子の違いが、わずか0.6%というのは不思議ではないのではないか? 500万年÷40億年は計算するとどうなるか?


(2005年4月6日追記)・・・長谷川寿一「<人間>と<チンパンジー>のあいだで」小林康夫・山本泰編『教養のためのブックガイド』東京大学出版会、2005年、より。








 

 最近(20047)、奈良貴史『ネアンデルタール人類のなぞ』岩波ジュニア新書451200310月刊)を興味深く読んだ。ネアンデルタール人とわれわれホモ・サピエンス・サピエンスがかなりの期間、地球上で同時に生活していたことなど、面白かった。その結論部分から。

 p.177

未来へ

 ネアンデルタール人類が消滅したあとに、現代人が飛躍的に発達させたのは道具類だけではない。・・・絵画や音楽などの芸術やスポーツなどが開花したのは、地球上に現代人だけになってからのことであるのは事実である。ことのはじまりは何であれ、私たちは、生きていくための労働以外を目的とすることに、時間を費やすようになった」と。

 

余暇と自由!

 

p.178

「人類の歴史のなかで、その99パーセント以上の時間に「隣人」が存在」していた。

「二足歩行も脳の拡大も、わたしたちだけの特権ではなかった。・・・私たちが歩んできた歴史を理解する努力を怠ってしまっては、取り返しがつかない地点を感知できなくなってしまうのではないだろうか。

 現在、地球上で、チンパンジーがわたしたちに近いと認識することは重要なことである。しかし、わたしたちにはもっと近い仲間と過ごしてきた長い時間があることを忘れてはならない。

 その「隣人」たちの進化上の位置を正確に理解し、消滅した理由を追究することによって、わたしたちが現在おかれている状況が把握できるのではなかろうか。わたしたちの絶滅へのターニングポイントを逃してはならない。」

 

[2] ホモ‐サピエンスHomo sapiensラテン】(知性人・叡知人の意) 現生人類の学名。新人。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 

朝日新聞・朝刊2003612

16万年前のホモ・サピエンス -エチオピア頭骨の化石・アフリカ起源、裏付け-」

 

 現代人を含む「ホモ・サピエンス」種では最古の、約16万年前のほぼ完全な頭骨貸せきがエチオピアで見つかった。従来を約六万年さかのぼる。一時は欧州人のルーツと目されたネアンデルタール人など旧人と同時代、すでにアフリカにホモ・サピエンスが登場していたことから、ホモ・サピエンスは約20万年前のアフリカで生まれ世界に広まったとする「アフリカ単一起源説」がきわめて有力になった。

 

 米カリフォルニア大バークリー校のティム・ホワイト教授、東京大学総合研究博物館の諏訪元・助教授らの国際チームが、12日発行の英科学誌ネイチャーで発表する。

 発掘地は、アディスアベバの北東約230キロのヘルト村周辺。男二人と子ども一人の頭骨などが出土した。放射年代測定で年代の特定された地層との比較から、16万~154千年前と分かった。

 頭骨の一つは容積が1450ccで現代人より少し大きめ。目の上の盛りあがりが大きいなど原始的特徴も残す。現代人の頭骨の形態に比べ、同じホモ・サピエンスの亜種と判定。ホモ。サピエンス・イダルツ(現地語で「長老」)と名付けた。

 

 アフリカ単一起源説は、遺伝子分析などから有力だったものの、直接に裏づける化石は未発見で、中東や南アフリカで約10万年前までにさかのぼれるだけだった。アフリカはヒト化石の宝庫だが、ホモ・サピエンスの担上記を含む30万年~10万年前は「空白」だった。

 

 ホモ・サピエンスの起源については、アフリカ単一起源説のほかに、約200万年前のアフリカにいた原人が欧州やアジアに渡り、各地で現代人に進化したとする複数起源の「多地域進化説」もあったが。だが、今回、その根底がくつがえされた。」

 

 とすると、現代地球人類の人種や民族の違い、肌の色や言語の違いは、せいぜい20万年ほどの歴史のなかで形成されたことになる。そのわずかなちがいをめぐって血で血を洗う争いをいつまで続けるのか? 大局的にいえば、人類はますます狭い利害対立で血を流すことを克服してきた。人間・人類は生産力(肉体能力・精神能力・科学文化)を向上させ、富を豊かにすることによって、また富の生産と取得との関係を人間的に規律化しつつ、したがって人口60億を越えるまでになった。

さてこの60億人を越える人間・人類は、自分の生存基盤である地球を大切にし、どこまで人間的な生活を発展させ、そのあとに来るべき太陽=地球の死滅に備えるのか?

 

 「人類の衣服 起源は7万年前?」朝日新聞、2003819日夕刊

【ワシントン=村山知博】人類が衣類をまとうようになったのは約7万年前だった―。独マックスプランク研究所のチームが18日、生物専門誌カレント・バイオロジー(電子版)に、そんな研究成果を発表した。人間に寄生するシラミの遺伝子の突然変異を元に推定したものだ。

 

独研究チームが発表:寄生シラミをDNA分析 出現時期で推定

 人間に寄生するシラミのうち、衣類にすむコロモジラミは、頭に住むアタマジラミから枝分かれしたといわれる。コロモジラミが現われたのは、人間が裸の生活をやめて衣類をまとうようになった結果だと研究チームは推定。コロモジラミの登場と衣類の起源はほぼ一致すると考えた。

 世界中の12箇所から2種類のシラミ計40匹を収集。朕万事―のシラミも含め、DNAの突然変異を比べた結果、コロモジラミの出現は約72千年前であると推定できた。

 衣類はもろく長くは残らない。研究チームによると、衣類を縫ったとみられる針のような「間接証拠」ですら古くても約4万年前で、衣類の起源はよくわかっていない。

 研究チームは「現生人類がアフリカから世界中に広がりはじめたのは約10万年前とされる。アフリカよりも涼しい地域に住むようになって衣類を考案したのではないか」と説明している。

 

[3] 「余暇」とはなにか? 自由と余暇との関係は?

 

余暇は人間にとっていかなる意味があるか?

 

人類史における労働(日)と余暇(自由時間・個人的生活時間)との相互関係・発展史

 

-----

資本の文明的性格

 

「資本の文明的な面の一つは、資本がこの剰余労働を、生産力や社会的関係の発展のためにも、またより高度な新形成のための諸要素の創造のためにも、以前の奴隷制農奴制などの諸形態のもとでよりもより有利な仕方と条件とのもとで強要するということである。

Es ist eine der zivilisatorischen Seiten des Kapitals, daß es diese Mehrarbeit in einer Weise und unter Bedingungen erzwingt, die der Entwicklung der Produktivkräfte, der gesellschaftlichen Verhältnisse und der Schöpfung der Elemente für eine höhere Neubildung vorteilhafter sind als unter den frühern Formen der Sklaverei, Leibeigenschaft usw.

 

 

 資本主義の歴史的使命

 

「このようにして、資本は、一方では、社会の一部分が他の部分を犠牲にして行う社会的発展(その物質的な利益も知的な利益も含めて)の強制や独占がなくなるような段階を引き寄せる。

Es führt so einerseits eine Stufe herbei, wo der Zwang und die Monopolisierung der gesellschaftlichen Entwicklung (einschließlich ihrer materiellen und intellektuellen Vorteile) durch einen Teil der Gesellschaft auf Kosten des andern wegfällt;

 

「また他方では、それは、社会のより高度な形態のなかでこの剰余労働物質的労働一般に費やされる時間のより大きな制限と結びつけることを可能にするような諸関係への物質的手段と萌芽とをつくりだす。なぜならば、剰余労働は、労働の生産力の発展しだいでは、総労働日が小さくても大きいことがありうるし、また総労働日が大きくても相対的に小さいことがありうるからである。

andrerseits schafft sie die materiellen Mittel und den Keim zu Verhältnissen, die in einer höhern Form der Gesellschaft erlauben, diese Mehrarbeit zu verbinden mit einer größern Beschränkung der der materiellen Arbeit überhaupt gewidmeten Zeit. Denn die Mehrarbeit kann, je nach der Entwicklung der Produktivkraft der Arbeit, groß sein bei kleinem Gesamtarbeitstag und relativ klein bei großem Gesamtarbeitstag.

 

「もし必要労働時間が3で剰余労働が3ならば、総労働日は6で、剰余労働の率は100%である。必要労働が9で剰余労働が3ならば、総労働日は12で、剰余労働の率はたった33%である。

Ist die notwendige Arbeitszeit = 3 und die Mehrarbeit = 3, so ist der Gesamtarbeitstag = 6 und die Rate der Mehrarbeit = 100%. Ist die notwendige Arbeit = 9 und die Mehrarbeit = 3, so der Gesamtarbeitstag = 12 und die Rate der Mehrarbeit nur = 33 1/3%.

 

「しかしまた、一定の時間に、したがってまた一定の剰余労働時間に、どれだけの使用価値が生産されるかは、労働の生産性によって定まる。

Sodann aber hängt es von der Produktivität der Arbeit ab, wieviel Gebrauchswert in bestimmter Zeit, also auch in bestimmter Mehrarbeitszeit hergestellt wird.

 

「だから、社会の現実の富も、社会の再生産過程の不断の拡張の可能性も、剰余労働の長さにかかっているのではなく、その生産性にかかっており、それが行われるための生産条件が豊富であるか貧弱であるかにかかっているのである。

Der wirkliche Reichtum der Gesellschaft und die Möglichkeit beständiger Erweiterung ihres Reproduktionsprozesses hängt also nicht ab von der Länge der Mehrarbeit, sondern von ihrer Produktivität und von den mehr oder minder reichhaltigen Produktionsbedingungen, worin sie sich vollzieht.

 

 

自由の国の条件

 

「じっさい、自由の国は、窮乏や外的な合目的性迫られて労働するということがなくなったときにはじめて、始まるのである。つまり、それは、当然のこととして、本来の物質的生産の領域のかなたにあるのである。

Das Reich der Freiheit beginnt in der Tat erst da, wo das Arbeiten, das durch Not und äußere Zweckmäßigkeit bestimmt ist, aufhört; es liegt also der Natur der Sache nach jenseits der Sphäre der eigentlichen materiellen Produktion.

 

未開人は、自分の欲望を充たすために、自分の生活を維持し再生産するために、自然と格闘しなければならないが、同じように文明人もそうしなければならないのであり、しかもどんな社会形態のなかでも、考えられるかぎりのどんな生産様式のなかでも、そうしなければならないのである。

Wie der Wilde mit der Natur ringen muß, um seine Bedürfnisse zu befriedigen, um sein Leben zu erhalten und zu reproduzieren, so muß es der Zivilisierte, und er muß es in allen Gesellschaftsformen und unter allen möglichen Produktionsweisen.

 

「彼の発展につれて、この自然必然性の国は拡大される。というのは欲望が拡大されるからである。しかしまた同時に、この欲望を充たす生産力もまた拡大される。

Mit seiner Entwicklung erweitert sich dies Reich der Naturnotwendigkeit, weil die Bedürfnisse; aber zugleich erweitern sich die Produktivkräfte, die diese befriedigen.

 

自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たちが、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制自分たちの共同的統制のもとにおくということ、つまり力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとで、この物質代謝を行うということである。

Die Freiheit in diesem Gebiet kann nur darin bestehn, daß der vergesellschaftete Mensch, die assoziierten Produzenten, diesen ihren Stoffwechsel mit der Natur rationell regeln, unter ihre gemeinschaftliche Kontrolle bringen, statt von ihm als von einer blinden Macht beherrscht zu werden; ihn mit dem geringsten Kraftaufwand und unter den ihrer menschlichen Natur würdigsten und adäquatesten Bedingungen vollziehn.

 

 

真の自由の国の条件…労働日の短縮

 

「しかし、これはやはりまだ必然性の国である。この国のかなたで、自己目的として認められる人間の力の発展が、真の自由の国が始まるのであるが、しかし、それはただ、かの必然性の国をその基礎として、その上にのみ花を開くことができるのである。

Aber es bleibt dies immer ein Reich der Notwendigkeit. Jenseits desselben beginnt die menschliche Kraftentwicklung, die sich als Selbstzweck gilt, das wahre Reich der Freiheit, das aber nur auf jenem Reich der Notwendigkeit als seiner Basis aufblühn kann.

 

労働日の短縮こそは根本条件である。

Die Verkürzung des Arbeitstags ist die Grundbedingung.

 

[Marx: Das Kapital, S. 4073 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 7387 (vgl. MEW Bd. 25, S. 826 ff.)]邦訳・大月書店版・『資本論』第3巻、第5分冊、1050-1051ページ。

 

標準労働日など労働者の標準的労働条件確立・向上・法的整備は、労働者(肉体的・精神的労働者=現在社会の圧倒的多数の勤労する人々)の主体的連帯行動による。

 

世界銀行の次の記事を参照されたい。

Labor Standards and Their Role in Economic Development
Workers who belong to trade unions earn higher wages, work fewer hours,
receive more training and have longer job tenure on average than their
non-unionized counterparts, according to a new Bank study
-- Unions and
Collective Bargaining
: Economic Effects in a Global Environment.

 

The study reports that workers covered by collective agreements in both industrial
and developing countries get significantly higher average wages than workers who are not affiliated with trade unions. While temporary layoffs can be more frequent in unionized firms, at the macroeconomic level high unionization rates lead to lower inequality of earnings and can improve economic performance.

http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20091472~menuPK:34457~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

 

追記:

現在の日本では、大量失業、若者の大量失業を前にして、その打開策として、労働時間短縮=ワークシェアリングが提案されている。

熊沢誠『リストラとワークシェアリング』岩波新書、2003

(この新書の参考文献のひとつに本学教授・齊藤毅憲編の研究書の一章、商学部助教授(20044月からは香川大学経済学部助教授)・吉田誠さん執筆の「ゆらぎのなかの働き方」があげられている。齊藤毅憲・石井貫太郎編著『グローバル時代の企業と社会』ミネルヴァ書房、2002年)。

 

熊沢の提案、すなわち、法的規制にもとづく一律型ワークシェアリング、それを基本前提にする個人選択型ワークシェアリングの制度化は、大量失業、若年層フリーター化、社会不安、消費冷却状態などの克服、そして社会の活性化・高度化・男女共同参画型社会の建設(その前進)、少子化の防止、豊かな人間的なバランスのとれた社会の創造のために必要不可欠であり、非常に重要な提案である。

 

日本がドイツやオランダなどといった生活の質の上での先進国の仲間に入るためには、あるいはむしろ人間生活の質の世界的最先端を行くためには、ワークシェアリングは、是非とも必要なことであろう。それは、自由の王国にまっさきに近づくことであろう。

 

 日本の現実は、「サービス残業」の無法状態が、日本を代表するような企業でも横行していることであり、生活貧国・人権貧国である。C.成果主義の諸問題(北海道大学 辻下徹教授HP「国立大学独立行政法人化の諸問題」の関連リンクより転載

 

 現代日本の「過労死」も、働く人々自身がその連帯の力で克服していくべきものである。Cf.労働基準オンブズマン

日本の現状(総合的統計、過労死の現場は、この全体的統計とは違う労働実態)については、Cf.「世界的に異常な日本の労働時間、違法残業」・・・ここにあげられている統計:日本の労働時間は長い 国際労働機関の雑誌より。

 

オランダ、ノルウェー、ドイツなど労働時間の少ないところ(逆に言えば、余暇の多い国々)を見よ! 

産業立地間競争などで、労働時間の少なさは厳しい条件となり、経営と資本の論理からは労働時間延長の圧力が日増しに高まっているが。

 

労働時間の国際比較(その1)

一人当たり年間労働時間

 

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

オーストリア

1,869.0

1,858.0

1,850.0

1,874.0

1,879.0

1,876.0

1,867.0

1,866.0

1,860.0

1,864.0

1,860.0

カナダ

1,789.8

1,769.5

1,761.0

1,765.4

1,783.3

1,779.8

1,787.4

1,776.9

1,767.4

  

  

日本

2,031.0

1,998.0

1,965.0

1,905.0

1,898.0

1,884.0

1,892.0

1,864.0

1,842.0

1,842.0

  

USA

1,942.6

1,936.0

1,918.9

1,945.9

1,945.3

1,952.3

1,950.6

1,965.9

1,956.8

1,975.8

1,978.7

韓国

2,514.0

2,498.4

2,478.0

2,476.8

2,470.8

2,484.0

2,467.2

2,436.0

2,390.4

2,497.2

2,474.4

NewZealand

1,820.1

1,801.7

1,811.7

1,844.0

1,851.2

1,843.3

1,837.9

1,822.7

1,825.3

1,841.5

1,817.3

1,657.0

1,645.0

1,646.0

1,642.3

1,638.9

1,613.9

1,607.7

1,605.3

1,604.2

  

  

1,593.3

1,572.7

1,622.1

1,610.3

1,576.6

1,557.2

1,545.3

1,546.1

1,503.1

1,556.2

1,480.1

アイルランド

1,728.0

1,708.0

1,688.0

1,672.0

1,660.0

1,648.0

1,656.0

1,604.0

1,552.0

1,524.0

1,520.0

ノルウェー

1,432.0

1,427.3

1,436.9

1,434.0

1,431.0

1,414.0

1,407.4

1,399.4

1,398.6

1,395.1

  

スウェ-デン

1,546.3

1,533.2

1,550.6

1,567.4

1,605.7

1,613.2

1,623.0

1,624.0

1,629.4

1,635.1

  

イギリス

1,767.4

1,767.8

1,728.9

1,722.8

1,736.5

1,740.0

1,738.0

1,736.5

1,731.0

1,719.9

  

オランダ

1,433.0

1,421.0

1,413.0

1,404.0

1,388.0

1,384.0

1,374.0

1,365.0

  

  

  

出所:ILO労働統計 Annual hours worked per person
なお、「より長時間働くことが、より良い労働につながるか?」(ILO)JISHAのHP)参照
ILO
発行「World of work199910,11月号( 国際安全衛生センター)

 

企業経営の観点からの次のような「効果性(effectiveness)重視の経営」を強調する指摘も、社会的に追求すべき目標を示している。

 

「企業は、今後、効率(efficiency)を高めるだけではなく、

     労働時間の短縮を通じて従業員の生活の質を高め

     協力工場との関係では、企業はサプライヤーとの間で新しい共生関係を模索し、

     顧客満足も今まで以上に重視し、

     株主の保護にも配慮し、

     地球環境の保護も避けて通れない問題である。

企業がこれらの社会的責任を果たしながら、企業の主要な目的を高めて永続的な企業の存続、成長、発展を図りえたとき、効果性(effectiveness)重視の経営を行ったといえる。」(櫻井通晴『管理会計(第二版)』同文舘出版、2003年、p.32.

 

そのような「効果性重視の経営」のために、管理会計は経営者(資源配分意思決定、経営戦略策定)に適正な情報(会計情報)を提供する課題を担っている、という。

 

[4] 「産業競争力の源泉はイノベーションの力である」亀岡秋男・古川公成編『イノベーション経営』放送大学教育振興会、2001, p.19.

 

[5] Cf.亀岡秋男・古川公成編『イノベーション経営』放送大学教育振興会、2001

 「イノベーションの展開を支える科学技術は、創造的で挑戦的な人物によって進歩してきた」(p.16)

それでは、「創造的で挑戦的な人物」=起業家(アントレプレナー)・企業家(イントラプラナー)はどのようにして、どのような条件の元に生み出されてきたのか?

そのような人間類型の基礎・背景にある社会とは? 教育のシステムとは?

 

霍見(つるみ)芳弘・・・「日本人の自由で独創的な思考と行動を促すには、日本人の精神的解放が欠かせない。・・・自由な思考と行動を支えるのは『独立自尊』の精神で、個々人の多様な個性を尊び、他人に迷惑をかけないで共生の社会連帯を育てる」(同上、p.230) ことが必要。

 

[6] 熾烈な市場競争のもとでの多数企業における労働の生産力の発達はめざましい。それは資本蓄積(その源泉としての利子・不動産地代・動産賃借料や営業利益)をともない、資本の有機的構成の高度化が時々刻々と進展している。最近10年ほどでも、企業の資本規模の巨大化は確実に進展し、資本金3千万円以上の大企業が着実に増えている:詳しくは規模別法人企業統計参照。

そうした多数の民間企業法人の私的競争が、内外の市場を開拓し拡大しつつも、総合的結果として、内外の市場のキャパシティを超えるまでにいたり、相対的過剰生産を循環的に引き起こす。現代的信用制度は、内外から資金を集めることを可能にし、一挙に巨大設備(結果としては過剰設備)を構築することを可能にする。こうしたことが、大量現象・大量法則としての景気循環と「非自発的失業」を発生させる。

 

こうした一連の内的に関連する諸現象を貫くのは、繰り返しになるが、労働の生産力(科学技術)の発達、資本の競争と蓄積の法則だ、というのはマルクスによって確立され、周知の法則だと考えていた。

しかし、いわゆる近代経済学の最近の研究によれば、「非自発的失業の理論化が暗礁に乗り上げてきた」という。「非自発的失業発生の合理的理由を多数の経済学者に対し説得するだけの理論が存在しないのが現状である」と。玄田有史著『ジョブ・クリエイション』日本経済新聞社、2004p.4-5. ここでは、過去の経済学の理論(マルクスのそれ)は、基本的な法則性に関して批判されるのではなく、忘却ないし無視されているようである。

 

もちろん、雇用創出と雇用消失のきめ細かな実証分析が進んでいる、というのは事実である。そのきめ細かな多様な現象をつらく長期的法則性(生産の高度化、資本蓄積、資本の有機的構成の高度化など)は、自営業の絶対的相対的減少にも現われている。たとえば、戦後日本の40年間に自営業・家族従業者が1100万人ほども減少し、それにたいして法人企業に働く雇用者が絶対的相対的に、傾向的に増加している。

そうしたこととの関連性は、上記玄田のいう「近代経済学」では考察の対象外となっているようである。

 

[7] 最近、岩波文庫の幸徳秋水『帝国主義』が復刊された。その解説によれば、欧米でも幸徳に対する関心は高まっているのか、あるいはアメリカの「自由の帝国」の引き起こす戦争が背景にあるのか、幸徳の本が英語に翻訳されるとか。

 

[8] 石橋湛山は戦前からの筋金入りの度量の広い自由主義者であり、戦後、欧米における世界政府論を支持していたようである(小熊英二氏の2004年国会の委員会での答弁で知った)。この検討は別の機会に。

「宇宙船地球号」が世界の広くで周知のイメージとなるなかでは、すなわち、宇宙()のなかでの地球()の小ささが多くの人びとの認識となっている現在では、「世界」よりも、「地球政府」、「地球議会」といった言葉の方が人類の現在と今後の課題を直視する上では、ふさわしいのではないか。

 

[9] 2003614日、篠田正浩監督(三六作目のこの映画を監督最終作品とするという)の『スパイ・ゾルゲ』が封切られた。

 

ゾルゲは、まさに第1次大戦勃発時18歳の高校生(ギムナジウムの学生)で、夏休みスウェーデン旅行中に開戦を知り、帰国後ただちに志願した。

「祖国防衛」の大義に熱狂した気持ちは数ヶ月で沈静し、戦争について深く考えるようになった。

 

この世界戦争・総力戦は一方ではヒトラーとその潜在的支持者を作り出したが、他方ではゾルゲとその潜在的支持者の大衆も作り出した。ゾルゲは、反帝国主義の立場となった。帝国主義国家が世界を支配するかぎり、世界戦争は不可避だと見た。

 

1930年代には日本の対ソ攻撃の可能性を探る国際スパイ(ソヴィエト赤軍第四本部所属)となり、日本人協力者尾崎秀実などとともに、日本の南進政策を洞察した。その秘密情報は、ソ連が4112月モスクワ戦線で反撃に転じる上で重要な役割を演じた(この点、拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994でも若干言及した)

彼らが逮捕されたのは4110月中旬であり、日米関係の悪化のなかであった。

 

上記の映画封切りに合わせるかのように、ゾルゲ事件関係の本が復刊されている。

1.リヒアルト・ゾルゲ『ゾルゲ事件 獄中手記』岩波現代文庫。

2.尾崎秀実『ゾルゲ事件 上申書』岩波現代文庫。

3.尾崎秀実著今井清一編『新編愛情はふる星のごとく』岩波現代文庫、2003年。

  青木書店版:愛情はふる星のごとく〔新装版〕(上・下2)1998年。

4.ディーキン/ストーリィ共著河合秀和訳『ゾルゲ追跡』()()、岩波現代文庫。

5.『ゾルゲの見た日本』みすず書房

 

余談になるが、上記の尾崎の家族宛て書簡集の編者今井清一氏(本学名誉教授)は、尾崎秀実の一人娘とご結婚(編者あとがき参照)。新鮮な驚きを持つ人は多いのでは?

 

[10] 「世界銀行」のシンポジウム(June 19, 2003におけるワシントン・コンセンサス=新自由主義批判

 

Debating the Washington Consensus

World Bank, NGOs suggest new emphasis on social issues

 

市場至上主義の弊害・失敗の確認、

国家の規制的役割・社会的役割(社会的投資、環境投資)の重要性の確認

国際連携の重要性

Debating the Washington Consensus 
The so-called Washington Consensus on market-oriented policy measures and
macro economic balance either failed to achieve expected results in terms
of growth and poverty reduction or was interpreted from an ideological
point of view in many developing countries, a group of experts and
analysts agreed at an international roundtable hosted by the Bank in
Paris. The meeting explored a new approach that would include investment
in social development, environmental responsibility and a strong
regulatory role for the state, as well as international cooperation
through multi- and bilateral development institutions
.
http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20116211~menuPK:34457~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

新自由主義的グローバリズム批判の世界的潮流は、たとえば、「世界社会フォーラム」など。

 

[11] 「世界銀行」調査・・・世界の指導者の意見

 

貧困との闘いが平和の鍵

Fighting Poverty Is Key to Peace


An overwhelming majority of opinion leaders, especially those in the
poorest countries, agree that fighting poverty is key to achieving world
peace and lowering global tensions, according to a worldwide poll
commissioned by the Bank. Large majorities of opinion leaders in every
region point to poverty reduction as critical to achieving peace.
That
sentiment is especially strong in Sub-Saharan Africa (91 percent), South
Asia (87 percent) and the Middle East and North Africa (79 percent). But
support is also high in rich countries, where seven in 10 opinion leaders
strongly believe that fighting poverty is the path to peace.
http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20114427~menuPK:34458~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

 「貧困」の克服の客体的条件と主体的条件‐現代世界の「貧困」地帯の主体における問題性

 近代科学的教育システムの貧困

 近代科学的人間類型のすくなさ

 

[12] 人間労働の共通のものさし(労働時間)で、世界主要都市の状態を比較:

 

「ビッグマック1個買うには・・・・必要な労働、東京→10分、低賃金ナイロビ→185分」(朝日新聞2003824)

【ロンドン=小森敦司】マクドナルドの「ビッグマック」1を買うのに働く時間は、東京だとナイロビの18分の1、という調査結果をスイスの金融大手UBSがまとめた。

 世界の主要70都市を対象に賃金や商品価格を調べ、計算した。

 東京でビッグマック(250)を買うのに必要な労働時間は10分。ハンバーガー大国である米国のロサンゼルス、マイアミ、シカゴと並んで最短だった。これにニューヨーク十二分、香港13分と続いた。最下位のナイロビは賃金が安く、185分。

 ただ、コメ1キロを買うとなると、東京が18分働かなければならないのに対し、コペンハーゲンは5分。東京より労働時間が少なくてすむ都市は41で、半数を超えた。

 パン1キロは東京が20分。東京より少なくてすむのはロンドン、フランクフルト欠く6分をはじめ、やはり先進国中心に37都市に及んだ。

 

[13] Cf.IMFWorking Paper 

Title: Trade Liberalization and Real Exchange Rate Movement
Author/Editor: Li, Xiangming ; European I Department
Electronic Access: Full Text in PDF format. (PDF file size is 1,216KB)
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Series: Working Paper No. 03/124
Authorized for Distribution: June 1, 2003
Language: English
Stock No.: WPIEA1242003

Summary: Although theory suggests that the real exchange rate should depreciate after a credible trade liberalization but could appreciate temporarily with a noncredible one, little empirical evidence exists. Unlike existing studies that use either indirect tests or unreliable openness measures, this paper uses an event study based on carefully documented trade liberalization in 45 countries. The result shows that real exchange rates depreciate after countries open their economies to trade. In countries with multiple liberalization episodes, however, real exchange rates appreciate during early episodes, suggesting that partial or no ncredible trade liberalizations are associated with real appreciation.

 

[14] IASBInternational Accounting Standards Board1973年設立のIASC国際会計基準委員会から転換)で国際会計基準が作成され、それとリンクして各国で基準を国内化するという方法でグローバルな会計規制が行われることになる。このように国際組織の決定に事実上、各国が服するスタイルの会計基準作成方式は、ある意味でグローバリゼーションの最先端に立つものとなっている。」小栗崇資・熊谷重勝・陣内良昭・村井秀樹編『国際会計基準を考える‐変わる会計と経済』大月書店、20036月刊、p.15.

 

 「資本市場の国際化など経済のグローバル化が進むなか、日本企業においても、海外で資金調達するものが増加している。その場合、資金調達に際して財務報告の比較可能性が問題となる。・・・他の国よりもコストと労力をかけているとされるアメリカでは、『世界一厳しい』会計基準が存在し、自国以下のレベルの会計基準で作成された財務諸表をアメリカ国内で認めていない。したがって、日本の会計基準で作成された財務諸表はアメリカでは認められない。・・・・欧州統合が進み、欧州地域ないの統一会計基準(EU会社法指令;当時はEC会社法指令)が整備され、日本基準準拠の財務諸表は欧州でも認められなくなった。さらに近年では、世界的な会計基準と比較して日本の会計基準が異なることを理由として、日本基準で作成された英文の財務諸表には「この財務諸表はあまり親しみがない日本基準で作成されており、注意を要する」と警告文(レジェンド)を付記することが要求された」と。同上、p.60

 

「情報開示や判例を重視するアングロサクソン型に対して、コンチネンタル型は法律重視で、政府の影響力が強い。コンチネンタル型のドイツ会計制度の変化の契機の一つは、ダイムラー・ベンツ社の1993年の財務報告であった。ドイツ基準では65100万マルクの利益を計上したのに対して、アメリカ基準にしたがった報告では183900万マルクの損失が計上された。誰の目から見ても会計基準に何らかの問題があるのは明らかであった。同様の事例は日本でもソニーやマイカルの財務報告で指摘されている」と。同上、同ページ。



  資本とは何か?

近代資本主義の運動法則

No.5 資本とは何か? 前期的資本と近代に独自な資本(その1)-資本主義の歴史性=生成・発展・変容の視点-

No.6 資本とは何か? 前期的資本と近代に独自な資本(その2)-現代日本の生産様式・蓄積様式-(その3商人資本に関する歴史的事実)

―補論:貨幣とは? 価格とは? 近代的資本の基本的運動法則の理解のために―


Ⅲ. 労働の生産諸力の発達と余暇-自由とは?
     余暇と自由
[3]

No.7 分業の原理と分業発展の諸段階-人類の生産諸力の発達- 

No.7 補足‐近代工業・機械制大工業の革命性-

不断のリストラクチャリングの歴史強制法則としての競争[4]

不断の技術革新・新商品開発・経営革新・イノベーション(=市場発見・市場創造・先駆性・リーダーシップ[5]

No.7 補足2資本蓄積の法則・集積集中と相対的過剰人口循環的構造的大量失業の法則[6]

No.7 補足3利潤率の傾向的低下の法則、この法則そのもの

そして、反対に作用する諸原因

No.8 人類原始史における生産技術の発達と社会形態の進化

-人類の生産諸力と経済的社会構成の諸形態・その歴史性- 

No.9 社会的分業の発達史、商品・貨幣の発達史と前期的資本

-生産の私的性格と商品・貨幣の発生・発達史-


Ⅳ. 近代資本主義に先行する生産様式にはどのようなものがあるか?           歴史的産物としての近代資本主義の生産様式

No.10 封建的共同体の基本構成とその解体要因

-人類史における共同体の諸形態と封建的共同体- 

No.11 補足:マルク共同体

     「ねずみとり男」  ハーメルンの町  東方植民

No.12 中世西ヨーロッパ経済

-「商業の復活」(ピレンヌ)と遠隔地商業、農村と都市の相互関係-


         地中海貿易の覇者 ヴェニスの栄光と没落

No.13  地理上の発見と商業革命-地中海貿易圏の衰退と現代世界システム形成の端緒-
    アルハンブラ宮殿
(イスラム系支配者の最後の拠点グラナダとアルハンブラ宮殿、
 キリスト教勢力によるレコンキスタと地理上の発見)


               フッゲライ

No.12補足、メディチ家の時代、フッガー家の時代


     メランヒトンの家、    ヴィッテンベルク
 

No.13補足、『資本主義の世界史』と『大反転する世界』

Ⅴ. 近代資本主義の生産様式は、いつごろ、どこで生成したのか?    いつごろ確立したのか?
No.14 近代資本主義経済の成立-局地的市場圏、マニュファクチャー、毛織物工業-

No.14補足、重商主義=Industriesystem重工主義


 ルターが聖書を独訳した部屋 (アイゼナハのヴァルトブルク城内) 

ヴィッテンベルク(ザクセン・アンハルト)の城教会 (ルターが95か条の論題を貼り付けた扉の説明板)
   

No.15 宗教改革と資本主義-プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神-  

No.16  世界市場の成立と産業革命の前提諸条件

フリードリヒ大王(1712-86)の夏の離宮 サンスーシー宮殿と風車

夏のサンスーシー 
  

No.17  産業革命-機械制大工業の成立と支配、綿工業-:イギリス産業革命の特質 




   
 (ナポレオン戦争・戦勝記念凱旋門:バイエルン王国ミュンヘン )

No.18 二重革命の時代-市民革命と産業革命-

―国民経済、石炭・鉄鋼・鉄道業と資本蓄積・集積―

補:『フリードリッヒ・リストと彼の時代―国民経済学の成立』(諸田實、有斐閣、2003)

No.19  自由貿易帝国主義・ジェントルマン資本主義と後進国資本主義化の諸類型

―自立型・国民経済形成型と従属型・植民地型―


 ユーゲントシュティルの建物 (19世紀末-第一次大戦)  (ミュンヘン大学近く)



Ⅵ. 二度の世界大戦はなぜ起きたのか?
     地球各地の不均等発展と先進列強の帝国主義・植民地主義

No.20-1  19世紀後半・世界経済の発展と世紀末20世紀初頭の経済史的展開

        -第一次世界大戦の経済史的諸原因、電機化学工業・第二次産業革命-

.No.20-2 帝国主義と第一次世界大戦
    -帝国主義社会主義・民主主義・自由主義の対立的諸潮流


      日本も先進列強を見習って帝国主義化
           日清・日露の戦争で植民地取得・勢力圏拡大→      第一次大戦ではドイツに敵対。ドイツ植民地奪取。。(日本領土の変遷

    -「ヒトラー、ムッソリーニの潮流」(石原莞爾・関東軍など軍部の潮流)対
         「ホブスン、ヒルファーディング、レーニン、幸徳秋水
[7]、石橋湛山[8]の潮流」―[9]




1923年11月、ヒトラーのミュンヘン一揆・・・失敗・・逮捕投獄    (獄中で『わが闘争』口述)
  
     ヒトラー・ミュンヘン一揆23年11月  進軍開始・即鎮圧された場所   英雄廟・オデオンプラッツ

No.21
-1 ヴェルサイユ体制(1919)→世界経済の相対的安定期(1924-29)






 11月革命・左翼勢力に対する右翼からの反対




No.21-2 世界経済恐慌(1929・10)・政治的激動
 人種問題  ユダヤ人問題   ユダヤ人に責任あり  演説家 ユリウス・シュトライヒャー          ゲッベルス博士   「ヴェルサイユ体制の10年間」   「戦争責任の嘘を捨てよ」
 (1929年のナチ党の集会案内)

                     30年 満州事変→ 32年 満州国樹立
                              「五族共和の王道楽土」の美名の下、           軍事支配下の傀儡政権樹立。

 (ドイツ国家人民党の宣伝)       (ドイツ国家党の宣伝)

  (世界経済恐慌の打撃を受けて、政治闘争・選挙戦は激化。
   その中でナチ党が第一党にのし上がる。)



 (1932年選挙におけるドイツ共産党と中央党の宣伝)


1928年選挙ではナチ党はシュレスヴィヒホルシュタインなどで躍進   しかしまだ小政党     30年選挙以降、急上昇。

No.21-3 ナチスの政権掌握(1933年1月)からヨーロッパ戦争勃発(1939年9月)へ

33年1月30日 ヒトラー政権誕生 (ナチ党の権力掌握)


     (1933年5月10日:ナチ党による焚書の現場写真)

(2001年1月現在)




                 36年 日独防共協定 37年 日独伊防共協定

   
      (1936年につくられたザクセンハウゼン収容所、完成は37年12月:
33年3月-34年7月はこの地にあった閉鎖された醸造所を突撃隊管理下で強制収容所に利用していた)

                 37年7月7日 盧溝橋事件    日本軍、上海・華北に戦線拡大、
                   中国の抗日統一戦線の抵抗
                 37年12月 南京大虐殺
                   ナチス・ドイツの侵略戦争開始・大虐殺事件よりも早い時期に、日本帝国は泥沼の侵略戦争へ。


  38年3月オーストリア「編入(アンシュルスAnschluss)」(併合)→ズデーテン問題の激化


         ミュンヘン会談(38年8月)会場 チェコスロバキアの屈辱・ズデーテン割譲

  39年3月 ドイツ軍プラハ進駐(チェコスロヴァキア解体・「保護領」下、プロテクトラート・ベーメン・メーレン)
  39年5月、ヒトラー、ポーランド攻撃準備を命令(「9月1日までに準備を完了せよ」)

                    39年5月ー9月 ノモンハン事件    (日ソ両軍の激突→関東軍の敗退)  
                            第23師団ほぼ壊滅。戦死傷者、1万数千名余と。

          独ソによるポーランド分割 (39年8月独ソ不可侵条約秘密協定) 
       (1939年9月1日、ドイツのポーランド攻撃開始)
 
 1940年4月9日 ドイツ軍、デンマークとノルウェーに侵攻。 

 1940年5月10日、ドイツ西部戦線の火蓋をきる(オランダ、ベルギー、フランスへ侵攻開始)。
     電撃戦Blitzkrieg勝利の熱狂

                      40年9月 日独伊三国同盟(軍事同盟)




No.21-4 バルバロッサ作戦・独ソ戦(1941年6月)から世界戦争(1942年1月)へ

      
  1940年12月18日 ヒトラー、総統指令第21号バルバロッサ作戦準備命令。
       (「41年5月15日までに対ソ奇襲攻撃の準備を完了せよ、電撃的にソ連を蹂躙する準備を!」)


                  41年4月 ユーゴ侵攻、バルカン半島制圧作戦
                       (バルバロッサ作戦発動の遅れの重要な原因)


      
        
       (バルト三国・白ロシアをオストラントとしてまとめ、
     ウクライナコーカサス、そしてモスクワをライヒスコミッサールで支配
         4地域に分割して、支配)

      


 41年6月22日 ドイツ大軍、対ソ奇襲攻撃開始  「バルバロッサ作戦(Fall Barbarossa)」発動

       41年7月3日、スターリン、パルチザン戦争をラジオで呼びかける。

       
      
      パルチザン決起の呼びかけ:
      「電線を切れ、鉄橋を爆破しろ、敵側の建物を燃やせ!」


  41年7月31日 「ユダヤ人問題の最終解決を準備せよ」とのゲーリング令(ハイドリヒ宛)



     
  (アインザッツグルッペは、軍の進撃の後、軍集団の後方地域において治安平定に当たる)
   

  41年7月→8月→9月とソ連軍民の抵抗反撃の激化

  41年8月ー9月 プロテクトラート・ベーメン・メーレンの不穏→「鉄の心臓」のハイドリヒがプロテクトラート総督代理に。
             「旧ライヒ(帝国本土)とプロテクトラートのユダヤ人を臨時的に東方へ」 
 

       
             (北方軍集団:レニングラード包囲)


   41年8月中旬から9月下旬、キエフ攻防戦の激戦→ドイツによるキエフ占領

           
  41年9月末、キエフ攻防戦終了後の混乱、ソ連秘密工作員によるドイツ軍火薬庫爆破など、キエフ大火。
           →報復・・・キエフ郊外・バビヤールの渓谷でユダヤ人大量虐殺(残された大量の衣類等の山

    バルカン半島(セルビア)でも抵抗激化     -ドイツ人兵士一人の犠牲に報復として100人を処刑(カイテル命令)
          (1941年9月16日付、カイテルの命令

  41年10月5日 モスクワ攻略作戦「タイフーン」開始。

                
      (モスクワを目指す中央軍集団の後方地域の重要拠点ミンスク)


  41年秋→冬、独ソ戦の泥沼化。第三帝国の冬の危機(Winterkrise)


 41年12月8日(現地時間、及びドイツ時間では12月7日) 日本の真珠湾攻撃

 12月12日 ヒトラー、対米宣戦布告の国会演説

 41年12月18日、ヒムラーのヒトラーとの会談メモ「ユダヤ人、パルチザンとして根絶」(Juden als Partisan auszurotten)
     ユダヤ人とパルチザンとを一緒くたにする・・・その意味は?
 
  『ユダヤ人はパルチザン、 パルチザンはユダヤ人』

    独ソ戦: 絶滅戦争・世界観戦争 「伝統的意味での戦争ではない」

    

    ドイツ国防軍犯罪展 
     (ベルリン2002年1月)



No.22 『ホロコーストの力学』(序章草稿‐最新の研究上の諸論点

20世紀前半「極端の時代」・世界大戦・総力戦の時代とホロコースト-

(1)ホロコーストの力学-独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法-』〈株〉青木書店、2003年8月

                                   感想や疑問点など知らせてくれるとなおさらうれしい。つぎに構想しているもっと簡明な啓蒙書(さしあたりのプラン)を書くときの参考にします。学生諸君の参考までに知人の研究者などからの反応のあり方をご紹介します。

                                   なお、『図書新聞』2662号(2004116日号)に、本書のエッセンスを説明するインタヴュー記事歴史的実証の力―解きあかされるホロコーストの論理と力学」が掲載されました。本書理解に役立つと思いますので、参考にしてください。

                                   最近、『史学雑誌:回顧と展望(2003年度)』(東京大学・史学会)に芝健介氏(東京女子大教授・ドイツ現代史専攻)の評価、『歴史と経済(政治経済学・経済史学)184(20047)に谷喬夫氏(新潟大学教授・ドイツ政治史専攻)の書評、その後、『社会経済史学(社会経済史学会)の最新号・702(20047月・・・会員の手元に届いたのは10月はじめ)に、松家仁氏(小樽商科大学助教授・ポーランド史専攻)の書評が掲載されたので、それぞれの専門研究者による公開の評価として、あわせて参考にされたい。

(2)『ホロコースト大事典』(共訳・柏書房、20031030日)

Cf .2004年1月『週刊 読書人』三島憲一氏(大阪大学教授)の書評。

この問題に関する世界のそれぞれの最先端の専門家が書いたホロコースト・エンサイクロペディアです。あわせて参考にしてください。

(3) ホロコースト(第三帝国のユダヤ人大量虐殺)の諸要因・ダイナミズムと「普通のドイツ人」(ファシズムと民衆)

(4)ポーランド・西欧ユダヤ人の戦時下移送強行=絶滅政策への大々的転換点
『移住』、しかし実際は? 郊外クルムホーフで運送用・移動用と称される ガス自動車へ。  ボックスカーの中へは排気ガスが。
  (1942年1月14日の警告文:リッツマンシュタット(ウーチ)・ゲットー)

  
 1942年6月の特殊自動車」(Spezialwagen)(ガス自動車)「改良指示」関係文書
  「1941年12月から3台の車で、9万7000を加工」と。


(5)総力戦・世界大戦の戦時経済と「疎開」・強制連行

  42年1月8日付けヴァンゼー会議召集状


ヴァンゼー会議’42-1-20  記念館(湖側から)


 42年春→夏、絶滅収容所ベウゼッツ、ソビボール、トレブリンカが相次いで建設稼動(一酸化炭素)。
 42年春→夏、アウシュヴィッツ第二(ビルケナウ)収容所で農家改造臨時ガス室(第一)稼動、ついで(第二)

 42年5月27日ハイドリヒ(プロテクトラート・ベーメン・メーレン総督代理)、プラハ城に出勤途中、市内急カーブの場所で手榴弾を投げつけられ重傷(→6月4日死亡→ヒトラー、1万名の報復を命令、リディーチェ村の悲劇)

 42年6-8月 ドイツ大軍は、夏の大攻勢、スターリングラード攻撃へ
  しかし、ドイツ国内へは連合国の空襲がはやくも激化。


43年1月ー2月スターリングラードで    ドイツ軍は壊滅的敗北
 43年1月末ー2月はじめ・・・スターリングラードでドイツ第6軍壊滅的敗北。
 43年夏、クルスクでの世界史上最大規模の戦車戦でドイツ敗北。

 44年春、ドイツ大軍敗退に次ぐ敗退で、いまや同盟国ハンガリーにまで撤退。
       ハンガリー・ユダヤ人40万はアウシュヴィッツへ。夏までにガス室・火葬場へ。


    
 44年7月、ドイツ本土に迫るソ連赤軍。7月20日時点の独ソ戦・前線


  (1944年7月20日の暗殺計画はすんでのところで失敗)
  (ドイツ抵抗記念館・展示写真と説明)


        

   (これ以降、45年4月30日ヒトラー自殺・5月8日無条件降伏まで9ヶ月間に、
    それまでの戦死者に相当するドイツ兵士の犠牲
     ・・・・敗戦の最終局面で犠牲者は一挙に多くなる)


     (7月20日事件首謀者たちに対する裁判・・・死刑判決)
     (ドイツ抵抗記念館・展示写真と説明)


(1945年の全ドイツの強制収容所:ドイツ抵抗記念館・展示写真と説明)



捕虜の数、生存者と死亡者の割合
捕虜の兵士のうち、生存者(白い人形で表す)と戦死者(黒い人形で表す)の割合

 (ソ連赤軍:ドイツの捕虜に570万人) 生存者42.1%、死者57.9%

英米軍:ドイツの捕虜になったのは23万2千、生存者96.4%、死者3.6%) 
ドイツ国防軍:ソ連の捕虜になった数315万5千人・・生存者62.4%。死者37.6%)
(第一次大戦のロシア兵:ドイツ捕虜になったのは143万4500人、生存者94.6%、死者5.4%)


1945年4月30日、ヒトラー自殺、遺書(政治的遺書と個人的遺書)。


Ⅶ. 21世紀初頭の人類(地球)の経済的発達の到達点は何か?
     第二次世界大戦後の地球と地域の経済の発達

この部分に関しては、グローバル化の中での地域統合・リージョナリズムの前提、背景、歴史、展望などを考えてみたい。


 主要参考書
:編著『ヨーロッパ統合の社会史―背景・論理・展望』日本経済評論社、20042月刊。

 

No.23 冷戦体制・世界的な飛躍的生産力の発達と水平的・地域的統合、社会史的統合の必然性-「核戦争」、原子力産業、コンピューター産業-

   -ナショナリズム・民族主義・戦争の潮流と平和的な地球的統合の潮流のはざまで-

No.24 グローバル化と個人・家族・地域・国家・国家連合・人類

 -人類の生産・流通・消費の地球的総体的連関とその地球的総体的調整の必要性-

-現代の諸個人と人類の諸課題、地球地域経営のための公共哲学

(1)      新自由主義批判[10]

(2)      平和構築の鍵は貧困の克服[11]-現代世界の「貧困」の構造は?

(3)      世界の不均等発展―地球諸地域の生産様式・資本の有機的構成の違い・生活様式の違い‐[12] 

(4)      古くて新しい問題-地球上の社会経済の不均等発展と自由貿易・保護貿易のせめぎあい[13]- 

(5)      グローバリゼーションの最先端・・・ex.グローバル・スタンダード・国際会計基準[14] 



  
           ベルリン社会研究センター(2004年12月)       


  (WZB)

    

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閑話休題1(科研費研究調査等の海外出張で撮った写真とその説明)
No.1 ミュンヘン現代史研究所とミュンヘンの史跡(2001年夏)

No.2 ベルリン・ドイツ連邦文書館と史跡など(2001年夏)

No.3 ポツダム20013,第一次世界大戦と第二次世界大戦の関連性をテーマにした国際軍事史会議に参加したときに撮影した写真)

閑話休題2(200112月および20021月の科研費出張で撮影した写真とその説明)

No.4 クリスマスのミュンヘン

No.5 ユーロ転換直後のドイツ・ベルリン体験

(付録:展示会「国防軍の犯罪:絶滅戦争の諸次元19411944」訪問記・デジタル写真)

閑話休題320028月夏期・研究調査・原稿執筆旅行の話

(「ヒトラー山荘」歴史博物館、ブーヘンヴァルト強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所、ヴァルトブルク、ルターの町・ヴィッテンベルク、連邦文書館など) 

閑話休題4200312月(17日成田発―25日成田着)ミュンヘン現代史研究所・史料文献調査(日本学術振興会・科研費・基盤研究(C)(2)「ホロコーストの論理―総力戦の政治と経済の力学―」(20022004)

閑話休題520049月キール大学45回ドイツ歴史家大会

閑話休題620041030日-117日ミュンヘン現代史研究所・文献調査旅行(科研費・基盤研究(B)「戦争と復興」プロジェクト)

閑話休題7200412ベルリン連邦文書館調査(121日付利用確認書)NEW


上記リンクを含め、私の研究室HPでは、大学内外・全国に公開されているHPは、通常の公刊論文・著書と同じように、社会に対してオープンなHPであると考え、文脈等からそのページの参照を求めたいときには、とくにお断りしないでリンクを張らせていただいている。

被リンクページ所有者・責任者等で、私からのリンクを削除したいとご希望の方は、ご連絡ください (nagamine@yokohama-cu.ac.jp)











[1] 宇宙史・地球史・人類史の到達点=現在の総体を(方法的に)頭に入れて、現代の諸問題に処するという基本的見地からして、わが意を得たりという啓蒙書が最近(20035)刊行された。

松井孝典『宇宙人としての生き方-アストロバイオロジーへの招待-』岩波新書である。

 科学の世界的発達は、その世界的最先端部分を世界の人々に気付かせ自覚化させるということであろう。同書によれば、同じような見方が世界各地で進化しているのだ。

 

 本論の各所でも述べたが、遺伝子研究による人間とチンパンジーとの類似性と両者の分離のタイムスパン(最新ニュース「チンパンジーをヒト属に」『朝日新聞』2003520日夕刊【ワシントン=村山知博】)に 関する新たな実証的学説は、改めて、宇宙史、地球史、宇宙人としての人間の意味を考えさせる。

 

 「チンパンジーもヒト属に分類すべきだ」。米研究チームが19日、そんな論文を米科学アカデミー紀要(電子版)に発表した。ゴリラやオランウータンなどほかの類人猿に比べて、人間の遺伝子との共通性が多いからだという。

 主に姿形をもとにした従来の分類では、チンパンジーはオランウータン科チンパンジー属。ヒトかヒト属の人間とは明確に区別される。

 今回、ウェイン州立(ミシガン州)のモーリス・グッドマン博士らのチームは、人間とチンパンジー、ゴリラ、オランウータン、ネズミなどの遺伝子を比較97種類の重要な遺伝子について、人間とチンパンジーとの共通点は99.4と際立っていた。

 分子人類学の第一人者として知られるグッドマン博士は「人間はチンパンジーのちょっとした改良型にすぎない。同じ属にするのが妥当だ」とAP通信に語った。

 人間とチンパンジーの共通祖先は、まず約1300万年前にオランウータンの祖先から分岐、さらに約700万年前にゴリラの祖先から分かれた。

 別々に進化し始めたのは、500万年前と考えられている。」

 

 宇宙史150億年(最近ではNASAによる137億年説が有力と・・上記松井著参照)、そのなかの地球史46億年。地球史の中の生命史40億年ないし38億年をチンパンジーと人間は共有する。

お互いがすこしだけ分かれはじめたのが、わずか500万年前にすぎないなら、遺伝子の違いが、わずか0.6%というのは不思議ではないのではないか? 500万年÷40億年は計算するとどうなるか?

 

 最近(20047)、奈良貴史『ネアンデルタール人類のなぞ』岩波ジュニア新書451200310月刊)を興味深く読んだ。ネアンデルタール人とわれわれホモ・サピエンス・サピエンスがかなりの期間、地球上で同時に生活していたことなど、面白かった。その結論部分から。

 p.177

未来へ

 ネアンデルタール人類が消滅したあとに、現代人が飛躍的に発達させたのは道具類だけではない。・・・絵画や音楽などの芸術やスポーツなどが開花したのは、地球上に現代人だけになってからのことであるのは事実である。ことのはじまりは何であれ、私たちは、生きていくための労働以外を目的とすることに、時間を費やすようになった」と。

 

余暇と自由!

 

p.178

「人類の歴史のなかで、その99パーセント以上の時間に「隣人」が存在」していた。

「二足歩行も脳の拡大も、わたしたちだけの特権ではなかった。・・・私たちが歩んできた歴史を理解する努力を怠ってしまっては、取り返しがつかない地点を感知できなくなってしまうのではないだろうか。

 現在、地球上で、チンパンジーがわたしたちに近いと認識することは重要なことである。しかし、わたしたちにはもっと近い仲間と過ごしてきた長い時間があることを忘れてはならない。

 その「隣人」たちの進化上の位置を正確に理解し、消滅した理由を追究することによって、わたしたちが現在おかれている状況が把握できるのではなかろうか。わたしたちの絶滅へのターニングポイントを逃してはならない。」

 

[2] ホモ‐サピエンスHomo sapiensラテン】(知性人・叡知人の意) 現生人類の学名。新人。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 

朝日新聞・朝刊2003612

16万年前のホモ・サピエンス -エチオピア頭骨の化石・アフリカ起源、裏付け-」

 

 現代人を含む「ホモ・サピエンス」種では最古の、約16万年前のほぼ完全な頭骨貸せきがエチオピアで見つかった。従来を約六万年さかのぼる。一時は欧州人のルーツと目されたネアンデルタール人など旧人と同時代、すでにアフリカにホモ・サピエンスが登場していたことから、ホモ・サピエンスは約20万年前のアフリカで生まれ世界に広まったとする「アフリカ単一起源説」がきわめて有力になった。

 

 米カリフォルニア大バークリー校のティム・ホワイト教授、東京大学総合研究博物館の諏訪元・助教授らの国際チームが、12日発行の英科学誌ネイチャーで発表する。

 発掘地は、アディスアベバの北東約230キロのヘルト村周辺。男二人と子ども一人の頭骨などが出土した。放射年代測定で年代の特定された地層との比較から、16万~154千年前と分かった。

 頭骨の一つは容積が1450ccで現代人より少し大きめ。目の上の盛りあがりが大きいなど原始的特徴も残す。現代人の頭骨の形態に比べ、同じホモ・サピエンスの亜種と判定。ホモ。サピエンス・イダルツ(現地語で「長老」)と名付けた。

 

 アフリカ単一起源説は、遺伝子分析などから有力だったものの、直接に裏づける化石は未発見で、中東や南アフリカで約10万年前までにさかのぼれるだけだった。アフリカはヒト化石の宝庫だが、ホモ・サピエンスの担上記を含む30万年~10万年前は「空白」だった。

 

 ホモ・サピエンスの起源については、アフリカ単一起源説のほかに、約200万年前のアフリカにいた原人が欧州やアジアに渡り、各地で現代人に進化したとする複数起源の「多地域進化説」もあったが。だが、今回、その根底がくつがえされた。」

 

 とすると、現代地球人類の人種や民族の違い、肌の色や言語の違いは、せいぜい20万年ほどの歴史のなかで形成されたことになる。そのわずかなちがいをめぐって血で血を洗う争いをいつまで続けるのか? 大局的にいえば、人類はますます狭い利害対立で血を流すことを克服してきた。人間・人類は生産力(肉体能力・精神能力・科学文化)を向上させ、富を豊かにすることによって、また富の生産と取得との関係を人間的に規律化しつつ、したがって人口60億を越えるまでになった。

さてこの60億人を越える人間・人類は、自分の生存基盤である地球を大切にし、どこまで人間的な生活を発展させ、そのあとに来るべき太陽=地球の死滅に備えるのか?

 

 「人類の衣服 起源は7万年前?」朝日新聞、2003819日夕刊

【ワシントン=村山知博】人類が衣類をまとうようになったのは約7万年前だった―。独マックスプランク研究所のチームが18日、生物専門誌カレント・バイオロジー(電子版)に、そんな研究成果を発表した。人間に寄生するシラミの遺伝子の突然変異を元に推定したものだ。

 

独研究チームが発表:寄生シラミをDNA分析 出現時期で推定

 人間に寄生するシラミのうち、衣類にすむコロモジラミは、頭に住むアタマジラミから枝分かれしたといわれる。コロモジラミが現われたのは、人間が裸の生活をやめて衣類をまとうようになった結果だと研究チームは推定。コロモジラミの登場と衣類の起源はほぼ一致すると考えた。

 世界中の12箇所から2種類のシラミ計40匹を収集。朕万事―のシラミも含め、DNAの突然変異を比べた結果、コロモジラミの出現は約72千年前であると推定できた。

 衣類はもろく長くは残らない。研究チームによると、衣類を縫ったとみられる針のような「間接証拠」ですら古くても約4万年前で、衣類の起源はよくわかっていない。

 研究チームは「現生人類がアフリカから世界中に広がりはじめたのは約10万年前とされる。アフリカよりも涼しい地域に住むようになって衣類を考案したのではないか」と説明している。

 

[3] 「余暇」とはなにか? 自由と余暇との関係は?

 

余暇は人間にとっていかなる意味があるか?

 

人類史における労働(日)と余暇(自由時間・個人的生活時間)との相互関係・発展史

 

-----

資本の文明的性格

 

「資本の文明的な面の一つは、資本がこの剰余労働を、生産力や社会的関係の発展のためにも、またより高度な新形成のための諸要素の創造のためにも、以前の奴隷制農奴制などの諸形態のもとでよりもより有利な仕方と条件とのもとで強要するということである。

Es ist eine der zivilisatorischen Seiten des Kapitals, daß es diese Mehrarbeit in einer Weise und unter Bedingungen erzwingt, die der Entwicklung der Produktivkräfte, der gesellschaftlichen Verhältnisse und der Schöpfung der Elemente für eine höhere Neubildung vorteilhafter sind als unter den frühern Formen der Sklaverei, Leibeigenschaft usw.

 

 

 資本主義の歴史的使命

 

「このようにして、資本は、一方では、社会の一部分が他の部分を犠牲にして行う社会的発展(その物質的な利益も知的な利益も含めて)の強制や独占がなくなるような段階を引き寄せる。

Es führt so einerseits eine Stufe herbei, wo der Zwang und die Monopolisierung der gesellschaftlichen Entwicklung (einschließlich ihrer materiellen und intellektuellen Vorteile) durch einen Teil der Gesellschaft auf Kosten des andern wegfällt;

 

「また他方では、それは、社会のより高度な形態のなかでこの剰余労働物質的労働一般に費やされる時間のより大きな制限と結びつけることを可能にするような諸関係への物質的手段と萌芽とをつくりだす。なぜならば、剰余労働は、労働の生産力の発展しだいでは、総労働日が小さくても大きいことがありうるし、また総労働日が大きくても相対的に小さいことがありうるからである。

andrerseits schafft sie die materiellen Mittel und den Keim zu Verhältnissen, die in einer höhern Form der Gesellschaft erlauben, diese Mehrarbeit zu verbinden mit einer größern Beschränkung der der materiellen Arbeit überhaupt gewidmeten Zeit. Denn die Mehrarbeit kann, je nach der Entwicklung der Produktivkraft der Arbeit, groß sein bei kleinem Gesamtarbeitstag und relativ klein bei großem Gesamtarbeitstag.

 

「もし必要労働時間が3で剰余労働が3ならば、総労働日は6で、剰余労働の率は100%である。必要労働が9で剰余労働が3ならば、総労働日は12で、剰余労働の率はたった33%である。

Ist die notwendige Arbeitszeit = 3 und die Mehrarbeit = 3, so ist der Gesamtarbeitstag = 6 und die Rate der Mehrarbeit = 100%. Ist die notwendige Arbeit = 9 und die Mehrarbeit = 3, so der Gesamtarbeitstag = 12 und die Rate der Mehrarbeit nur = 33 1/3%.

 

「しかしまた、一定の時間に、したがってまた一定の剰余労働時間に、どれだけの使用価値が生産されるかは、労働の生産性によって定まる。

Sodann aber hängt es von der Produktivität der Arbeit ab, wieviel Gebrauchswert in bestimmter Zeit, also auch in bestimmter Mehrarbeitszeit hergestellt wird.

 

「だから、社会の現実の富も、社会の再生産過程の不断の拡張の可能性も、剰余労働の長さにかかっているのではなく、その生産性にかかっており、それが行われるための生産条件が豊富であるか貧弱であるかにかかっているのである。

Der wirkliche Reichtum der Gesellschaft und die Möglichkeit beständiger Erweiterung ihres Reproduktionsprozesses hängt also nicht ab von der Länge der Mehrarbeit, sondern von ihrer Produktivität und von den mehr oder minder reichhaltigen Produktionsbedingungen, worin sie sich vollzieht.

 

 

自由の国の条件

 

「じっさい、自由の国は、窮乏や外的な合目的性迫られて労働するということがなくなったときにはじめて、始まるのである。つまり、それは、当然のこととして、本来の物質的生産の領域のかなたにあるのである。

Das Reich der Freiheit beginnt in der Tat erst da, wo das Arbeiten, das durch Not und äußere Zweckmäßigkeit bestimmt ist, aufhört; es liegt also der Natur der Sache nach jenseits der Sphäre der eigentlichen materiellen Produktion.

 

未開人は、自分の欲望を充たすために、自分の生活を維持し再生産するために、自然と格闘しなければならないが、同じように文明人もそうしなければならないのであり、しかもどんな社会形態のなかでも、考えられるかぎりのどんな生産様式のなかでも、そうしなければならないのである。

Wie der Wilde mit der Natur ringen muß, um seine Bedürfnisse zu befriedigen, um sein Leben zu erhalten und zu reproduzieren, so muß es der Zivilisierte, und er muß es in allen Gesellschaftsformen und unter allen möglichen Produktionsweisen.

 

「彼の発展につれて、この自然必然性の国は拡大される。というのは欲望が拡大されるからである。しかしまた同時に、この欲望を充たす生産力もまた拡大される。

Mit seiner Entwicklung erweitert sich dies Reich der Naturnotwendigkeit, weil die Bedürfnisse; aber zugleich erweitern sich die Produktivkräfte, die diese befriedigen.

 

自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たちが、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制自分たちの共同的統制のもとにおくということ、つまり力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとで、この物質代謝を行うということである。

Die Freiheit in diesem Gebiet kann nur darin bestehn, daß der vergesellschaftete Mensch, die assoziierten Produzenten, diesen ihren Stoffwechsel mit der Natur rationell regeln, unter ihre gemeinschaftliche Kontrolle bringen, statt von ihm als von einer blinden Macht beherrscht zu werden; ihn mit dem geringsten Kraftaufwand und unter den ihrer menschlichen Natur würdigsten und adäquatesten Bedingungen vollziehn.

 

 

真の自由の国の条件…労働日の短縮

 

「しかし、これはやはりまだ必然性の国である。この国のかなたで、自己目的として認められる人間の力の発展が、真の自由の国が始まるのであるが、しかし、それはただ、かの必然性の国をその基礎として、その上にのみ花を開くことができるのである。

Aber es bleibt dies immer ein Reich der Notwendigkeit. Jenseits desselben beginnt die menschliche Kraftentwicklung, die sich als Selbstzweck gilt, das wahre Reich der Freiheit, das aber nur auf jenem Reich der Notwendigkeit als seiner Basis aufblühn kann.

 

労働日の短縮こそは根本条件である。

Die Verkürzung des Arbeitstags ist die Grundbedingung.

 

[Marx: Das Kapital, S. 4073 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 7387 (vgl. MEW Bd. 25, S. 826 ff.)]邦訳・大月書店版・『資本論』第3巻、第5分冊、1050-1051ページ。

 

標準労働日など労働者の標準的労働条件確立・向上・法的整備は、労働者(肉体的・精神的労働者=現在社会の圧倒的多数の勤労する人々)の主体的連帯行動による。

 

世界銀行の次の記事を参照されたい。

Labor Standards and Their Role in Economic Development
Workers who belong to trade unions earn higher wages, work fewer hours,
receive more training and have longer job tenure on average than their
non-unionized counterparts, according to a new Bank study
-- Unions and
Collective Bargaining
: Economic Effects in a Global Environment.

 

The study reports that workers covered by collective agreements in both industrial
and developing countries get significantly higher average wages than workers who are not affiliated with trade unions. While temporary layoffs can be more frequent in unionized firms, at the macroeconomic level high unionization rates lead to lower inequality of earnings and can improve economic performance.

http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20091472~menuPK:34457~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

 

追記:

現在の日本では、大量失業、若者の大量失業を前にして、その打開策として、労働時間短縮=ワークシェアリングが提案されている。

熊沢誠『リストラとワークシェアリング』岩波新書、2003

(この新書の参考文献のひとつに本学教授・齊藤毅憲編の研究書の一章、商学部助教授(20044月からは香川大学経済学部助教授)・吉田誠さん執筆の「ゆらぎのなかの働き方」があげられている。齊藤毅憲・石井貫太郎編著『グローバル時代の企業と社会』ミネルヴァ書房、2002年)。

 

熊沢の提案、すなわち、法的規制にもとづく一律型ワークシェアリング、それを基本前提にする個人選択型ワークシェアリングの制度化は、大量失業、若年層フリーター化、社会不安、消費冷却状態などの克服、そして社会の活性化・高度化・男女共同参画型社会の建設(その前進)、少子化の防止、豊かな人間的なバランスのとれた社会の創造のために必要不可欠であり、非常に重要な提案である。

 

日本がドイツやオランダなどといった生活の質の上での先進国の仲間に入るためには、あるいはむしろ人間生活の質の世界的最先端を行くためには、ワークシェアリングは、是非とも必要なことであろう。それは、自由の王国にまっさきに近づくことであろう。

 

 日本の現実は、「サービス残業」の無法状態が、日本を代表するような企業でも横行していることであり、生活貧国・人権貧国である。C.成果主義の諸問題(北海道大学 辻下徹教授HP「国立大学独立行政法人化の諸問題」の関連リンクより転載

 

 現代日本の「過労死」も、働く人々自身がその連帯の力で克服していくべきものである。Cf.労働基準オンブズマン

日本の現状(総合的統計、過労死の現場は、この全体的統計とは違う労働実態)については、Cf.「世界的に異常な日本の労働時間、違法残業」・・・ここにあげられている統計:日本の労働時間は長い 国際労働機関の雑誌より。

 

オランダ、ノルウェー、ドイツなど労働時間の少ないところ(逆に言えば、余暇の多い国々)を見よ! 

産業立地間競争などで、労働時間の少なさは厳しい条件となり、経営と資本の論理からは労働時間延長の圧力が日増しに高まっているが。

 

労働時間の国際比較(その1)

一人当たり年間労働時間

 

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

オーストリア

1,869.0

1,858.0

1,850.0

1,874.0

1,879.0

1,876.0

1,867.0

1,866.0

1,860.0

1,864.0

1,860.0

カナダ

1,789.8

1,769.5

1,761.0

1,765.4

1,783.3

1,779.8

1,787.4

1,776.9

1,767.4

  

  

日本

2,031.0

1,998.0

1,965.0

1,905.0

1,898.0

1,884.0

1,892.0

1,864.0

1,842.0

1,842.0

  

USA

1,942.6

1,936.0

1,918.9

1,945.9

1,945.3

1,952.3

1,950.6

1,965.9

1,956.8

1,975.8

1,978.7

韓国

2,514.0

2,498.4

2,478.0

2,476.8

2,470.8

2,484.0

2,467.2

2,436.0

2,390.4

2,497.2

2,474.4

NewZealand

1,820.1

1,801.7

1,811.7

1,844.0

1,851.2

1,843.3

1,837.9

1,822.7

1,825.3

1,841.5

1,817.3

1,657.0

1,645.0

1,646.0

1,642.3

1,638.9

1,613.9

1,607.7

1,605.3

1,604.2

  

  

1,593.3

1,572.7

1,622.1

1,610.3

1,576.6

1,557.2

1,545.3

1,546.1

1,503.1

1,556.2

1,480.1

アイルランド

1,728.0

1,708.0

1,688.0

1,672.0

1,660.0

1,648.0

1,656.0

1,604.0

1,552.0

1,524.0

1,520.0

ノルウェー

1,432.0

1,427.3

1,436.9

1,434.0

1,431.0

1,414.0

1,407.4

1,399.4

1,398.6

1,395.1

  

スウェ-デン

1,546.3

1,533.2

1,550.6

1,567.4

1,605.7

1,613.2

1,623.0

1,624.0

1,629.4

1,635.1

  

イギリス

1,767.4

1,767.8

1,728.9

1,722.8

1,736.5

1,740.0

1,738.0

1,736.5

1,731.0

1,719.9

  

オランダ

1,433.0

1,421.0

1,413.0

1,404.0

1,388.0

1,384.0

1,374.0

1,365.0

  

  

  

出所:ILO労働統計 Annual hours worked per person
なお、「より長時間働くことが、より良い労働につながるか?」(ILO)JISHAのHP)参照
ILO
発行「World of work199910,11月号( 国際安全衛生センター)

 

企業経営の観点からの次のような「効果性(effectiveness)重視の経営」を強調する指摘も、社会的に追求すべき目標を示している。

 

「企業は、今後、効率(efficiency)を高めるだけではなく、

     労働時間の短縮を通じて従業員の生活の質を高め

     協力工場との関係では、企業はサプライヤーとの間で新しい共生関係を模索し、

     顧客満足も今まで以上に重視し、

     株主の保護にも配慮し、

     地球環境の保護も避けて通れない問題である。

企業がこれらの社会的責任を果たしながら、企業の主要な目的を高めて永続的な企業の存続、成長、発展を図りえたとき、効果性(effectiveness)重視の経営を行ったといえる。」(櫻井通晴『管理会計(第二版)』同文舘出版、2003年、p.32.

 

そのような「効果性重視の経営」のために、管理会計は経営者(資源配分意思決定、経営戦略策定)に適正な情報(会計情報)を提供する課題を担っている、という。

 

[4] 「産業競争力の源泉はイノベーションの力である」亀岡秋男・古川公成編『イノベーション経営』放送大学教育振興会、2001, p.19.

 

[5] Cf.亀岡秋男・古川公成編『イノベーション経営』放送大学教育振興会、2001

 「イノベーションの展開を支える科学技術は、創造的で挑戦的な人物によって進歩してきた」(p.16)

それでは、「創造的で挑戦的な人物」=起業家(アントレプレナー)・企業家(イントラプラナー)はどのようにして、どのような条件の元に生み出されてきたのか?

そのような人間類型の基礎・背景にある社会とは? 教育のシステムとは?

 

霍見(つるみ)芳弘・・・「日本人の自由で独創的な思考と行動を促すには、日本人の精神的解放が欠かせない。・・・自由な思考と行動を支えるのは『独立自尊』の精神で、個々人の多様な個性を尊び、他人に迷惑をかけないで共生の社会連帯を育てる」(同上、p.230) ことが必要。

 

[6] 熾烈な市場競争のもとでの多数企業における労働の生産力の発達はめざましい。それは資本蓄積(その源泉としての利子・不動産地代・動産賃借料や営業利益)をともない、資本の有機的構成の高度化が時々刻々と進展している。最近10年ほどでも、企業の資本規模の巨大化は確実に進展し、資本金3千万円以上の大企業が着実に増えている:詳しくは規模別法人企業統計参照。

そうした多数の民間企業法人の私的競争が、内外の市場を開拓し拡大しつつも、総合的結果として、内外の市場のキャパシティを超えるまでにいたり、相対的過剰生産を循環的に引き起こす。現代的信用制度は、内外から資金を集めることを可能にし、一挙に巨大設備(結果としては過剰設備)を構築することを可能にする。こうしたことが、大量現象・大量法則としての景気循環と「非自発的失業」を発生させる。

 

こうした一連の内的に関連する諸現象を貫くのは、繰り返しになるが、労働の生産力(科学技術)の発達、資本の競争と蓄積の法則だ、というのはマルクスによって確立され、周知の法則だと考えていた。

しかし、いわゆる近代経済学の最近の研究によれば、「非自発的失業の理論化が暗礁に乗り上げてきた」という。「非自発的失業発生の合理的理由を多数の経済学者に対し説得するだけの理論が存在しないのが現状である」と。玄田有史著『ジョブ・クリエイション』日本経済新聞社、2004p.4-5. ここでは、過去の経済学の理論(マルクスのそれ)は、基本的な法則性に関して批判されるのではなく、忘却ないし無視されているようである。

 

もちろん、雇用創出と雇用消失のきめ細かな実証分析が進んでいる、というのは事実である。そのきめ細かな多様な現象をつらく長期的法則性(生産の高度化、資本蓄積、資本の有機的構成の高度化など)は、自営業の絶対的相対的減少にも現われている。たとえば、戦後日本の40年間に自営業・家族従業者が1100万人ほども減少し、それにたいして法人企業に働く雇用者が絶対的相対的に、傾向的に増加している。

そうしたこととの関連性は、上記玄田のいう「近代経済学」では考察の対象外となっているようである。

 

[7] 最近、岩波文庫の幸徳秋水『帝国主義』が復刊された。その解説によれば、欧米でも幸徳に対する関心は高まっているのか、あるいはアメリカの「自由の帝国」の引き起こす戦争が背景にあるのか、幸徳の本が英語に翻訳されるとか。

 

[8] 石橋湛山は戦前からの筋金入りの度量の広い自由主義者であり、戦後、欧米における世界政府論を支持していたようである(小熊英二氏の2004年国会の委員会での答弁で知った)。この検討は別の機会に。

「宇宙船地球号」が世界の広くで周知のイメージとなるなかでは、すなわち、宇宙()のなかでの地球()の小ささが多くの人びとの認識となっている現在では、「世界」よりも、「地球政府」、「地球議会」といった言葉の方が人類の現在と今後の課題を直視する上では、ふさわしいのではないか。

 

[9] 2003614日、篠田正浩監督(三六作目のこの映画を監督最終作品とするという)の『スパイ・ゾルゲ』が封切られた。

 

ゾルゲは、まさに第1次大戦勃発時18歳の高校生(ギムナジウムの学生)で、夏休みスウェーデン旅行中に開戦を知り、帰国後ただちに志願した。

「祖国防衛」の大義に熱狂した気持ちは数ヶ月で沈静し、戦争について深く考えるようになった。

 

この世界戦争・総力戦は一方ではヒトラーとその潜在的支持者を作り出したが、他方ではゾルゲとその潜在的支持者の大衆も作り出した。ゾルゲは、反帝国主義の立場となった。帝国主義国家が世界を支配するかぎり、世界戦争は不可避だと見た。

 

1930年代には日本の対ソ攻撃の可能性を探る国際スパイ(ソヴィエト赤軍第四本部所属)となり、日本人協力者尾崎秀実などとともに、日本の南進政策を洞察した。その秘密情報は、ソ連が4112月モスクワ戦線で反撃に転じる上で重要な役割を演じた(この点、拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994でも若干言及した)

彼らが逮捕されたのは4110月中旬であり、日米関係の悪化のなかであった。

 

上記の映画封切りに合わせるかのように、ゾルゲ事件関係の本が復刊されている。

1.リヒアルト・ゾルゲ『ゾルゲ事件 獄中手記』岩波現代文庫。

2.尾崎秀実『ゾルゲ事件 上申書』岩波現代文庫。

3.尾崎秀実著今井清一編『新編愛情はふる星のごとく』岩波現代文庫、2003年。

  青木書店版:愛情はふる星のごとく〔新装版〕(上・下2)1998年。

4.ディーキン/ストーリィ共著河合秀和訳『ゾルゲ追跡』()()、岩波現代文庫。

5.『ゾルゲの見た日本』みすず書房

 

余談になるが、上記の尾崎の家族宛て書簡集の編者今井清一氏(本学名誉教授)は、尾崎秀実の一人娘とご結婚(編者あとがき参照)。新鮮な驚きを持つ人は多いのでは?

 

[10] 「世界銀行」のシンポジウム(June 19, 2003におけるワシントン・コンセンサス=新自由主義批判

 

Debating the Washington Consensus

World Bank, NGOs suggest new emphasis on social issues

 

市場至上主義の弊害・失敗の確認、

国家の規制的役割・社会的役割(社会的投資、環境投資)の重要性の確認

国際連携の重要性

Debating the Washington Consensus 
The so-called Washington Consensus on market-oriented policy measures and
macro economic balance either failed to achieve expected results in terms
of growth and poverty reduction or was interpreted from an ideological
point of view in many developing countries, a group of experts and
analysts agreed at an international roundtable hosted by the Bank in
Paris. The meeting explored a new approach that would include investment
in social development, environmental responsibility and a strong
regulatory role for the state, as well as international cooperation
through multi- and bilateral development institutions
.
http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20116211~menuPK:34457~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

新自由主義的グローバリズム批判の世界的潮流は、たとえば、「世界社会フォーラム」など。

 

[11] 「世界銀行」調査・・・世界の指導者の意見

 

貧困との闘いが平和の鍵

Fighting Poverty Is Key to Peace


An overwhelming majority of opinion leaders, especially those in the
poorest countries, agree that fighting poverty is key to achieving world
peace and lowering global tensions, according to a worldwide poll
commissioned by the Bank. Large majorities of opinion leaders in every
region point to poverty reduction as critical to achieving peace.
That
sentiment is especially strong in Sub-Saharan Africa (91 percent), South
Asia (87 percent) and the Middle East and North Africa (79 percent). But
support is also high in rich countries, where seven in 10 opinion leaders
strongly believe that fighting poverty is the path to peace.
http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20114427~menuPK:34458~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

 「貧困」の克服の客体的条件と主体的条件‐現代世界の「貧困」地帯の主体における問題性

 近代科学的教育システムの貧困

 近代科学的人間類型のすくなさ

 

[12] 人間労働の共通のものさし(労働時間)で、世界主要都市の状態を比較:

 

「ビッグマック1個買うには・・・・必要な労働、東京→10分、低賃金ナイロビ→185分」(朝日新聞2003824)

【ロンドン=小森敦司】マクドナルドの「ビッグマック」1を買うのに働く時間は、東京だとナイロビの18分の1、という調査結果をスイスの金融大手UBSがまとめた。

 世界の主要70都市を対象に賃金や商品価格を調べ、計算した。

 東京でビッグマック(250)を買うのに必要な労働時間は10分。ハンバーガー大国である米国のロサンゼルス、マイアミ、シカゴと並んで最短だった。これにニューヨーク十二分、香港13分と続いた。最下位のナイロビは賃金が安く、185分。

 ただ、コメ1キロを買うとなると、東京が18分働かなければならないのに対し、コペンハーゲンは5分。東京より労働時間が少なくてすむ都市は41で、半数を超えた。

 パン1キロは東京が20分。東京より少なくてすむのはロンドン、フランクフルト欠く6分をはじめ、やはり先進国中心に37都市に及んだ。

 

[13] Cf.IMFWorking Paper 

Title: Trade Liberalization and Real Exchange Rate Movement
Author/Editor: Li, Xiangming ; European I Department
Electronic Access: Full Text in PDF format. (PDF file size is 1,216KB)
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Series: Working Paper No. 03/124
Authorized for Distribution: June 1, 2003
Language: English
Stock No.: WPIEA1242003

Summary: Although theory suggests that the real exchange rate should depreciate after a credible trade liberalization but could appreciate temporarily with a noncredible one, little empirical evidence exists. Unlike existing studies that use either indirect tests or unreliable openness measures, this paper uses an event study based on carefully documented trade liberalization in 45 countries. The result shows that real exchange rates depreciate after countries open their economies to trade. In countries with multiple liberalization episodes, however, real exchange rates appreciate during early episodes, suggesting that partial or no ncredible trade liberalizations are associated with real appreciation.

 

[14] IASBInternational Accounting Standards Board1973年設立のIASC国際会計基準委員会から転換)で国際会計基準が作成され、それとリンクして各国で基準を国内化するという方法でグローバルな会計規制が行われることになる。このように国際組織の決定に事実上、各国が服するスタイルの会計基準作成方式は、ある意味でグローバリゼーションの最先端に立つものとなっている。」小栗崇資・熊谷重勝・陣内良昭・村井秀樹編『国際会計基準を考える‐変わる会計と経済』大月書店、20036月刊、p.15.

 

 「資本市場の国際化など経済のグローバル化が進むなか、日本企業においても、海外で資金調達するものが増加している。その場合、資金調達に際して財務報告の比較可能性が問題となる。・・・他の国よりもコストと労力をかけているとされるアメリカでは、『世界一厳しい』会計基準が存在し、自国以下のレベルの会計基準で作成された財務諸表をアメリカ国内で認めていない。したがって、日本の会計基準で作成された財務諸表はアメリカでは認められない。・・・・欧州統合が進み、欧州地域ないの統一会計基準(EU会社法指令;当時はEC会社法指令)が整備され、日本基準準拠の財務諸表は欧州でも認められなくなった。さらに近年では、世界的な会計基準と比較して日本の会計基準が異なることを理由として、日本基準で作成された英文の財務諸表には「この財務諸表はあまり親しみがない日本基準で作成されており、注意を要する」と警告文(レジェンド)を付記することが要求された」と。同上、p.60

 

「情報開示や判例を重視するアングロサクソン型に対して、コンチネンタル型は法律重視で、政府の影響力が強い。コンチネンタル型のドイツ会計制度の変化の契機の一つは、ダイムラー・ベンツ社の1993年の財務報告であった。ドイツ基準では65100万マルクの利益を計上したのに対して、アメリカ基準にしたがった報告では183900万マルクの損失が計上された。誰の目から見ても会計基準に何らかの問題があるのは明らかであった。同様の事例は日本でもソニーやマイカルの財務報告で指摘されている」と。同上、同ページ。